【スウィート キッチン】//エッタ、トリエラ、クラエス、リコ、アンジェ
        //【】// Humor, //2008/04/18




    【スウィート キッチン】


「トリエラ、見て。ジョゼさんにこんなのを買っていただいたの」
 部屋を訪ねてきたヘンリエッタが嬉しそうにトリエラに見せた真新しい箱には、
台所用品の姿がプリントされている。
「何なに? ハンディミキサー? ああ、生クリームを泡立てるやつか」
「メレンゲだって作れるのよ」
 うきうきとした口調で年下の少女がそう言うのを微笑ましい思いで見ながら、
トリエラはたずねる。
「それで、お菓子作りでも始めるの?」
「うん。そうしようと思うんだけど、私、まだお菓子は作ったことがなくて……ねえ、
クラエス、教えてくれない?」
 ヘンリエッタは二段ベッドの上段で、我関せずと読書中の眼鏡の少女に声をかけた。
面倒そうに本から顔を上げた理知的な黒髪の少女は、けだるげな口調でそれに答える。
「……何を作りたいの?」
「ええと……あまり失敗しなさそうな、簡単なお菓子を……」
   ホットケーキでも焼きなさいな」
「だって、それじゃいかにも簡単そうじゃない」
「……つまり、簡単だけど手が込んでいるように見えるお菓子がいいという訳ね」
 ホットケーキだって、美味しそうに焼くのは色々難しいのだけどね。
そう呟きながらクラエスはベッドから起き上がる。
「----じゃあスコーンでも焼く? あれは大雑把に作るほど美味しくできるから」
「スコーンって、よくアフタヌーンティーに付いてくる、あのお菓子?
そんなのが作れるの?」
「存外簡単なものよ」
 二人の会話を受けて、学級委員長が提案する。
「それなら、せっかくだからリコも誘って作るか。アンジェリカのお見舞いに持っていってあげようよ」
「あ、それもいいね」
 すっかり乗り気のヘンリエッタの様子に軽いため息をつきながら、年長組の少女は本を閉じた。




 少女たちの寮である義体棟には調理場も設置されていて、一通りの調理器具は揃えられている。
材料は厨房に行って必要な分量を分けてもらい、まずはクラエスの指示で作業台の上に必要な物品を並べる。
手のひらにひとたらしされた中性洗剤で良く手を洗えば、これで準備万端。
白いエプロンを着けた四人の少女のお料理教室が始まった。
「さあ、始めましょう」
「はーい。クラエス先生、よろしくお願いしま〜す」
「まずは粉ね。普通は小麦粉に砂糖やベーキングパウダーを適宜合わせて使うのだけど」
 クラエスはちらりとヘンリエッタを見やる。
「今回は簡単に、市販のホットケーキミックスを使います。これが600グラムね」
「え? でもそれじゃあ甘くないじゃない」
 不思議そうな声を上げたヘンリエッタをクラエスの眼鏡越しの視線がじろりと睨む。
「担当官にも持って行くんでしょう? 男性は甘い物は苦手だと言う人も多いから」
「でも、ジョゼさんは甘い物も平気よ」
「あなたは良くても、リコはね。ジャンさんが甘い物好きとは思えないし。
生クリームを甘くすればバランスはとれるはずよ」
 そうクラエスは説明したが、
本音を言えばこれは激甘党のヘンリエッタの被害を最小限に食い止めるための策なのである。
生クリームだけなら塗る量を加減すればすむ話だが、
スコーン本体を歯茎が痙攣するほどの甘さにされてはたまらない。
「じゃあ、冷凍したバター250グラムを出して、ナイフで削り落とすわね。
これと粉を指でひねり潰すようにして馴染ませて、細かいフレーク状にするの。
力のいる作業だけど私たちなら大丈夫よ」
 急いでいるときならフードカッターを使うのもひとつの手ね と、クラエス先生の補足説明が入る。
もっとも義体たちの華奢だが力強い指は、あっという間に硬いバターと粉を砂状に馴染ませてしまったので、
急いでいる時でも余計な電力を必要とはしないようであったが。
「はい、ではここに卵二個とヨーグルトを合わせて2カップ、それに干し葡萄を一掴み。
これをざっくりと混ぜ合わせて。なるべくアバウトでいいのよ。上手ね、リコ。
トリエラ、練らなくていいから」
「でもなんだかバラバラしてるわよ」
「あとでちゃんとまとまるから大丈夫よ。
   それで、延べ板に打ち粉をふって、生地をあけて、大体まとめて、と。
……ここから急ぐわよ。いい? 生地は真上から手首に体重をのせて押し潰す! 
そしてクッションをふたつに折りたたむようにして、また潰す。これを繰り返して」
「は〜い」
 元気良く返事をした年少組のリコとヘンリエッタ。
彼女らにとっては少し高い作業台で、ぴょんぴょんと跳び跳ねながら一生懸命生地をまとめる姿が可愛らしい。
ほどなくして柔らかなひとつの固まりになった生地をクラエスは両手でぺたぺたと拡げ始めた。
「クラエス、のし棒は使わないの?」
「いらないのよ。言ったでしょ? 大雑把に作った方が美味しいって。
スコーン型で型抜きもしなくていいわ。余った生地を練り合わせても、あまり上手く膨らまないから。
かえって最初から四角に切り分けてしまった方がいいのよ」
「ふうん、なるほどね」
 ちょっと手持ち無沙汰になっていたトリエラは、感心したようにクラエスの説明を聞いている。
「リコ、ナイフを取ってちょうだい。   コンバットナイフじゃなくて、果物ナイフ。
渡す時は人に刃先を向けない」
 護身用にしては物騒極まりない大ぶりのナイフを差し出そうとするリコを制し、
代わりに受け取った果物ナイフと濡れた布巾を、クラエスはヘンリエッタに手渡す。
「はい。ナイフは布巾で拭いて濡らしながら切ると、生地がくっつかないわ。
4センチ角くらいで切り分けてちょうだい」
「はい」
 ヘンリエッタか真剣な表情で厚さ二センチほどのスコーンの生地を切り分ける間に、
クラエスは手を洗いオーブンの余熱の準備に入った。
やることがなさそうだと見て、トリエラとリコもシンクで手を洗おうと石鹸を取り   
戻って来たクラエスにその手をはたかれる。
「痛っ。何よクラエス」
「料理中に石鹸は使わない! 匂いがつくでしょ。石鹸臭いスコーンを食べたいの?トリエラ!」
「う。それは嫌だわ」
「分かった? 手は中性洗剤で洗ってちょうだい」
「は〜い」
 いつもは皆のまとめ役であるトリエラも、事が調理では勝手が分からない。
ひたすらクラエスの指示に従うのみである。
「できましたっ」
 慎重に慎重に、生地を切り分けていたヘンリエッタが達成感に満ちた表情で報告する。
そんなに真剣になるほどの作業じゃないんだけどと呆れながらも、クラエスは次の指示を出す。
「じゃ、オーブンから天板を取り出して。
中の温度は200度になっているから、ちゃんと鍋つかみを使ってね。
それで、スコーンの生地を少し間隔をあけて並べるの」
「はいっ」
 自分でこねて切り分けた生地を天板に並べれば、何となく全部自分で作ったような気分になって、
ヘンリエッタは上機嫌でハミングをしている。

   あれは一人で作ったときには確実に失敗するだろうなぁ。
ヘンリエッタ、忘れっぽいし。

 そう思いながら、その時には失敗作を食べさせられるのは同室の自分ではないだろうかと
リコは一瞬不安になった。
「ヘンリエッタ」
 オーブンのふたを閉めたおかっぱ髪の少女が振り返る。
「何?リコ」
「もう一回くらいは、みんなで一緒に作ろうね」
「? うん、そうね」
「絶対だよ」
「?? うん」
 リコの不安を察したトリエラが苦笑する。
「ま、みんなで料理するのもなかなか楽しいじゃないか。
今度の休みには、アンジェリカも戻って来られるかも知れないしさ。また作ろうよ」
「そうね。アンジェも早く元気になるといいね」
「なれるさ。だから、元気が出るように美味しいスコーンを届けてやらなくちゃ」
「そうだね」
 今は体調を崩して入院中の仲間を思って、少女たちはまた一段とやる気が出たようだ。
七分袖のブラウスの袖をまくり直して、ヘンリエッタがクラエスにたずねる。
「クラエス、次は何をしたらいいの?」
「そうね……焼き上げるまでに8分から10分位かかるから、
その間にお待ちかねのホイップクリームでも作りましょうか」
「はいっ」
 ヘンリエッタが張り切って新しい調理器具を取り出し、電源をつないだ。
その間にもクラエス先生の厳しい指導は続いている。
 リコは冷凍庫から氷を取り出しひんやりした冷気の感覚を楽しんでいて、早く閉めなさい!と語気荒く急かされ、
トリエラは金属製のボウルに生クリームをひとパック空けると、そのまま空き箱を捨てようとして怒られる。
   後で紅茶を淹れてすすぎ、ミルクティーにするのだそうだ。
普段冷めた態度と理知的で皮肉っぽい言動が目立つクラエスだが、
料理には譲れない何かがあるらしい。
「限りある食材は余さず利用。出されたごはんは残さず食べる。これがキャンプ料理の鉄則よ」
「キャンプ料理??」
「何でキャンプ??」
「クラエス、あなた野外設営の訓練なんか受けてた?」
「え? ……さあ。でも何か昔、そんなことを教わった気がするの」
「ふうん?」
「さ、それよりその氷をこちらの大きなボウルにあけて。上に生クリームのボウルを乗せて。
……はい、ヘンリエッタ。好きなように砂糖を入れてちょうだい」
「え」
「う」
「は〜い!」
 クラエス先生のお許しが出たので、ヘンリエッタはにこにこしながら砂糖壷に手を伸ばした。
計量スプーンの、もちろん大さじを片手に、である。
 ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……。
がばがばと豪快に生クリームの中に投下されていく砂糖に恐怖を覚えて、
トリエラはルームメイトにこっそり話しかける。
「ちょっとクラエス」
「何?」
「あれ、どうするの。ヘンリエッタの好みに合わせたら誰も食べられないじゃない、あの生クリーム」
「ジャムで食べればいいのよ」
「……ああ、そう」
 どうやら生クリームは最初から甘味大王への生け贄だったらしい。
実はほんのり甘いホイップクリームを楽しみにしていたトリエラだったが、
今回は諦めるしかなさそうだ。
 心なしか青ざめたリコにボウルを押さえてもらい、
ヘンリエッタはそれはそれは嬉しそうに 新品のハンドミキサーを始動させる。
 じょりじょりじょりじょり…….
ボウルの底に堆積した砂糖が不吉な音を立てるのを、トリエラは暗たんとした思いで見つめるのだった。



 その日の午後、アンジェリカの病室には小さなバスケットに入った焼き菓子が届けられた。
上手に膨らんで焼き上がったほのかに甘いスコーンには、
真っ赤な苺ジャムと甘くないクロテッドクリームが添えられていたそうである。


≪ Das Ende ≫   

     BGM // ヴィヴァルディ 『マンドリン協奏曲』

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