【視線】//ビーチェ、ベルナルド、ラウーロ、エルザ
        //【】// Serious, //2008/10/03




    【視線】


 早くに両親を亡くし親戚中を転々としていた子供が、事故に遭った。
 腰の骨を砕かれ両足を失いながらもようやく一命を取り留めた少女の枕元で、
親戚はまだ目覚めたばかりの彼女を罵倒した。
 まったく、なんて厄介者だ。轢き逃げじゃ金も取れやしない。
 治療費や入院費を一体誰が払うんだ。
 退院したって手間と金がかかるばっかりじゃないか。
 役立たずの疫病神。
 なんで後腐れ無く死んじまわなかったんだろう。


 家庭争議の現場に居合わせるべきではないと席を外しながらも様子を伺っていた看護師が、
静かになったその病室を訪れた時には、そこには唇をかみしめて天井をにらんだまま
声もなく涙を溢れさせる子供が一人残されているきりだった。
 重い障害を負った少女を病院に置き去りにしたまま治療費を踏み倒し、その子の親戚は二度と病院を訪れなかった。
連絡を取ろうにも電話は通じず、たずねた先には誰も住んではいなかった。
 引取先のない重症患者にほとほと手を焼いていた病院に、ある日政府の福祉職員が訪れて提案した。
今度新しく設立された障害者の自立支援プログラムが、彼女のようなケースならば適用されますよ、と。
 滞っていた支払いは公金で補填され、少女は専用の自立訓練施設に入所することになると説明されて、
病院は一、二もなく少女の身柄を引き渡した。

 ……こうしてその少女は社会福祉公社に引き取られ、
以後『ベアトリーチェ』   ビーチェと呼ばれることになった。




 前の職場をつまらない派閥争いの巻き添えで解雇された俺は、新しい対テロ組織の求人に応募した。
だが蓋を開けてみりゃ、戦闘用のサイボーグ手術を受けた『義体』と呼ばれる“子供”を教育して連れ歩けときたもんだ。
なんだってそんな冗談みたいな部署が設立されたのかは知らないが、それが仕事だと言われりゃしょうがない。
 『義体』の子供達は皆、犯罪の被害者だったり保護者に見捨てられたりした“不幸な子供達”で、
そう言う意味じゃ表看板の『社会福祉公社』ってのもまるきりの嘘じゃない。
放って置かれりゃただのたれ死んじまうだけの子供だった訳だからな。
テロリストだのマフィアだの“反社会的な”連中を片っ端から殺して回るってのも、
考え方によっちゃひとつの“社会福祉”なのかもしれん。
   もちろん、お天道様の下で胸を張って言えるような話じゃないが。

 俺の相棒として引き合わされたのは、轢き逃げに遭い親戚に見捨てられた女の子だった。
『ベアトリ−チェ』と名付けた俺の義体は、まあ連れて歩くのが嫌になるような不細工な子供というわけじゃないし、
むしろ顔は可愛い部類だ。例えガキでも野郎とつるんで歩き回るよりゃ潤いがある。
 ただ、こいつの『目』は。
 公社が『条件付け』と呼んでる洗脳のおかげで、こいつは主人である俺の言うことには絶対に逆らわない。
けど俺の顔を見返すその目は、俺を信じていない。
嫌々言うことを聞いてるってな反抗的な目じゃない。だが俺の命令を聞くのは自分の『義務』で、
用済みになって捨てられたとしてもそれはそれで仕方がない   そんな冷めきった目だ。
 『条件付け』の過程で大抵過去の記憶は消去される。
だがボケた年寄りでも、あったことは忘れても嫌だったって気分はいつまでも覚えてたりするらしいしな。
こいつには何か人間不信に陥るような強烈な体験があったんだろうか。
    しかしだとしても、そりゃあ俺には関係のねえ事だろ?
絶対的な信頼なんてぇうざったいモンが欲しい訳じゃないが、
ああも不信感いっぱいの目で真正面から見返されるんじゃ正直気が滅入る。
「ありゃあどうにかならんのかね」
 愚痴った俺に条件付け担当医が言った。
「では『条件付け』を強化しますか」
「ああ?」
「義体により強力な暗示をかけ重ねて、担当官への信頼感や忠誠心、愛情を強化することは可能です。
ただし条件付けには大量の投薬が必要とされますから、義体の脳には負担がかかりますが」
 機械でできた身体はいくらでも換えがきくが、脳味噌だけはそうは行かない。
脳に負担がかかるって事はそれだけこいつの寿命を縮めることになる。
 けど、な。
 どっちにしたって、身体の八割も人工物に置き換えるなんて無茶な手術をしているこいつが、
それ程長生きできるはずがない。
 だとすればおまえ、俺と上手くやっていけた方がいいだろう? 
    どうせ短い残りの一生、ずっと俺と付き合うんだ。
「……分かった。やってくれ」
「分かりました」
「ああ、別に目ェウルウルさせて”尊敬の眼差し”ってな顔でこっちを見てくるような、
面倒臭ぇもんに仕上げなくていいんだぜ。今だって俺の言うことはちゃんと聞くんだ。
   要はあの”不信の眼差し”だけ、どうにかしてくれりゃいいんだから」




 広場の一角に停まった移動式スタンドに、楽器ケースを下げた少女が近付く。
栗色の髪を襟足のあたりで真っ直ぐに切りそろえた少女の背丈は
車を改造したスタンドのカウンターにようやく目線が届く程度だ。
とことこと歩いてきた頭の先に、スタンドの主人が声を掛ける。
「よう、おじょうちゃん。何にするね」
 少女は楽器ケースを足下に置き、カウンターに手を掛けて背伸びしながら片手で小銭を差し出した。
「ランプレドットのパニーニをひとつください」
「はいよ」
 何か考え事をしているような表情で、少女はくんくんと香ばしいパニーニの匂いをかいでいる。
そんな少女の様子に思わず笑み崩れ、よく煮込んだ牛の臓物を挟んだホットサンドイッチを手渡しながら
スタンドの主人が言う。
「お嬢ちゃん、かわいいねえ。カントゥッチョをおまけで入れといたからね」
「ありがとうございます」
 礼儀正しく挨拶をしてパニーニを受け取ると少女はそれを落とさないように片手で抱える。
石畳に置いた楽器ケースをひょいと拾い上げ、少女は元来た方向へてくてくと歩き出した。


「ベルナルドさん、買ってきました。カントゥッチョはおまけだそうです」
「おう、ご苦労さんビーチェ。カントゥッチョはおまえにやるから、寮で食いな」
「はい。ありがとうございます」
 受け取ったパニーニの包みから紙ナプキンにくるまれた固焼きのビスケットを取り出して少女に与える男に、
傍らの同僚が嫌そうに顔をしかめる。
「おい、ベルナルド。おまえもジョゼやヒルシャーと同じ主義かよ」
「ああん?」
「義体のガキとじゃれ合って楽しいか?」
「あそこまでまともに入れ込む気なんかねェよ、ラウーロ。
犬っころが芸をすりゃ頭のひとつもなでてやるだろ? あんなもんだって」
 大げさに肩をすくめて答える男に、それなら分かると同僚は頷いた。
「おまえまであの辛気臭い優男だのクソ真面目なドイツ人と一緒だったらどうしようかと思ったぜ」
「おいおいおい、よしてくれ。俺はあんなにお優しかねえ。
    ま、かと言って、ジャンさんみてぇに完璧な猟犬を仕付けようなんて思っちゃいねえしな。
犬っころは“お手”と“お回り”に“取ってこい”ができりゃ、充分だろ」
 違いないとラウーロが笑う。
「じゃあベルナルド、マフィア連中の掃除が済んだら、手はず通りおまえの“犬”の良く利く鼻でヘロインを嗅ぎ出してくれ。
今回は資金源を押さえとかないと意味がないからな」
「おう」
 じゃあ30分後になと片手を上げて歩き出した同僚の後に付き従って、長いお下げ髪の少女も歩き出す。
その思い詰めたような視線には、自分の担当官以外の姿は映っていないようだった。 
 条件付けを強化された義体は大抵そんな風に自分の担当官に惚れ込んで、恋する乙女の視線で主人の後を追いかける。
けれどまあ、俺はあそこまで慕ってもらわなくてもいいなと、同僚とその義体の後姿を見ながらベルナルドは思った。

   どうせ俺は、尊敬や愛情に値するような男じゃないし、それに。

 男は自分の傍らであらぬ方を見つめている少女を見やった。
少女は自分の命令を受ける時のみ自分と視線を合わせる。そしてその瞳には勿論、初めの頃の不信感はない。

   尊敬や愛情も、自分がそうさせた”信頼”の視線を受け止める覚悟もない、卑怯者なんだから。
 
 少女から視線を外し人の行き交う広場の方を眺めると、ベルナルドは彼女が買ってきたパニーニにかぶりつく。
 温かく、香ばしい匂いを振りまくそのパニーニは、なぜか苦みを伴って男の胃の腑へ落ちていった。



   ≪ Das Ende ≫

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