社会福祉公社技術部保管庫 - 【コート】
【コート】// ヒルシャー、トリエラ
        // 【】 // general // 2012/12/19



   【コート】


 軍施設での訓練の帰り。広い駐車場を少女は担当官と並んで歩いていた。
すっかり暗くなった冬の舗装路に靴音を響かせながら、男は傍らの少女に話しかける。
「今夜は流星群の極大期だそうだな」
「そうなんですか」
「ああ。夜中にかけて西の空を中心に見られるらしい」
 言いながら足を止め、男は夜空を振り仰ぐ。少女も担当官に倣って視線を上げる。
駐車場の周囲には照明が灯っているが、それでも見上げた空にはぽつぽつと
星明かりが見て取れた。
   やはり公社の演習場の方が良く見えたな」
「そうですね」
 少し前、少女は彼に引率を頼んで仲間と共に流星雨の観測をしたことがあった。
担当官は彼女が天文に興味を持ったとみたのだろう。これまで彼がそんなことを
言い出したことはなかったのだから。
実際のところ、観測会を提案したのは彼女の仲間であり、彼女自身が特に強く星に
興味を持っているわけではない。だから以前の彼女ならば、物事の表面を見ただけの
儀礼的で浅はかな御機嫌取りだと、担当官のそんな言動には苛立ちを覚えたものだった。
「トリエラ」
「はい?」
 名を呼ばれ振り返った少女の肩がぬくもりを伴った布地で覆われた。
かすかな煙草の匂いと共にそれが担当官の着ていたコートであることに気付き、
少女はまばたきする。
「冷えるから着ていなさい。流れ星はすぐに見られるものじゃない」
「大丈夫です、私もコートは着ているんですから。あなたこそ、マフラーだけでは
風邪をひきますよ」
「僕はいい。風邪をひいたら薬を飲めばそれですむ」
 だが君は、と男が続けることはなかった。
けれども男が言外に危惧している内容を、少女もまた理解していた。
義体である彼女は条件付けにも身体の調整にも多くの薬物を使用されている。
男の行動は少女に不要な薬物を摂取させないための不器用な気遣いだ。
   もっとも、彼女がそんな風に考えられるようになったのは比較的最近のことだが。
 男は視線をそらすようにまた上空を見やった。
スーツの上に大き目のマフラーを巻いただけのその姿はナポリで目にしたものと同じだ。
一年に一度くらい、男の御機嫌取りに腹の立たない日があってもいいだろう。
あの時はそんなことを考えた。
それが、次第に腹の立たない回数が増えてきている。むしろ嬉しくさえ感じている。
そんな自身の変化を少女は自覚していた。
 少女は男の視線の先を追い澄んだ冬の夜空を見上げた。またたく星々の光はまばらだが美しい。
黒い闇間をすっ、と一条の光が通り過ぎた。あ、と同時に声が上がる。
「今、流れたな」
「ええ」
 空を見上げたまま言葉を交わす。二人の人影は白い吐息をけぶらせながら
しばし冬の静寂に佇む。
 流れ星に願いを掛けるほどロマンチストではない、と少女は思う。
それでも男の傍らに並び立ち同じ光景を見つめているこの時間は、
仲間との流星雨観測とどこか違う感じがする。
 冷たく静かな夜気の中、コートの暖かさだけではないぬくもりが
少女の胸を心地よく満たしていた。


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