最終更新: gurugurian 2011年02月19日(土) 11:20:37履歴
朴慶植は自発的に「朝鮮人強制連行の記録」を執筆した
確かに朴慶植は「朝鮮人強制連行の記録」を執筆していた当時、朝鮮総連の一員で、その主張や方針も概ね支持していました。しかし朴は、当時の総連の中でも非主流派(後覚派)で、主流派(先覚派)からは冷遇され、時には圧力も加えられていました(なお、朴は1970年に総連を脱退しています)。
当時の総連は日本人や日本政府との摩擦を恐れ、日本の植民地支配の責任追及や真相究明にはどちらかというと消極的でした。「朝鮮人強制連行の記録」の執筆を命じるどころか、出版の際には「なぜ勝手に本を出したのか」と朴に抗議するほどでした。「朝鮮人強制連行の記録」が総連や北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の指示によって執筆されたというのは根拠のないデマに過ぎません。
参照
朝鮮人強制連行―研究の意義と記憶の意味―
鄭大均「在日・強制連行の神話」を検証する(4)
確かに朴慶植は「朝鮮人強制連行の記録」を執筆していた当時、朝鮮総連の一員で、その主張や方針も概ね支持していました。しかし朴は、当時の総連の中でも非主流派(後覚派)で、主流派(先覚派)からは冷遇され、時には圧力も加えられていました(なお、朴は1970年に総連を脱退しています)。
当時の総連は日本人や日本政府との摩擦を恐れ、日本の植民地支配の責任追及や真相究明にはどちらかというと消極的でした。「朝鮮人強制連行の記録」の執筆を命じるどころか、出版の際には「なぜ勝手に本を出したのか」と朴に抗議するほどでした。「朝鮮人強制連行の記録」が総連や北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の指示によって執筆されたというのは根拠のないデマに過ぎません。
参照
朝鮮人強制連行―研究の意義と記憶の意味―
鄭大均「在日・強制連行の神話」を検証する(4)
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