朝鮮人戦時動員、いわゆる強制連行に関するウィキです。

・元大正鉱業所中鶴炭鉱労務係・竹原三二氏の証言


昭和十七年頃は募集に行くと、「私も連れて行ってくれ」と泊っとる旅館まで申し込みにやって来とった。十八年に入ると誰も来るどころか嫌がって、募集に行くとそこの若い者は山の中に逃げ込み姿を見せない。他の面の親戚の家に逃げたりして、探しても何処にもいなかった。面巡査が、彼らを探し回るのに骨折ったですたい。面巡査は何処の部落のどの家に誰がおるかは分かっとりますからね。今度はあの男を引っ張ってやろうと、面事務所の募集係と巡査がリストをこしらえておる。ところが行って見ると、その家には姿が見えない。何処へ行ったかとたずねると、行き先はさっぱり分からん。割り当て人数が決まっていても、期日まで集まるとは限らないので、どうしても半強制から強制となって、もう理由もなしに誰でも強引に連行するようになった

しかし、彼らは逃げて逃げて、やっと捕まえて炭鉱へ強制連行するので、将来に対して不安を持っている。それで最初はいいことずくめの話をして、ご飯は腹一杯あるとか、賃金はいいとか、二年満期になると必ず朝鮮に帰すとかね。時にはお前たちは国の方針で徴用令をかけられているので、もし逃げたりしたら大変なことになるぞと、脅したりしたこともある


「消された朝鮮人強制連行の記録―関釜連絡船と火床の坑夫たち」(林えいだい/明石書店、1989) p269

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