朝鮮人戦時動員、いわゆる強制連行に関するウィキです。

「自由意思で残留 戦時徴用者は二四五人 在日朝鮮人出入国白書」



外務省は十二日「在日朝鮮人の出入国の経緯、とくに戦時中の徴用労働者について」という調査結果の発表を行なった。これは韓国方面から日朝帰還協定の妨害や、抑留邦人漁夫を釈放しない口実として、在日朝鮮人の大部分は日本政府が強制的に労働させるため連れてきたものであるという悪宣伝が、世界中に流布されている現状に対抗して、その実情を公表したものである。そのため、この発表はきわめて詳細、具体的に在日朝鮮人の渡来、引揚げの内容を示しており、いわば在日朝鮮人の出入国白書ともいえるものである。

外務省はこれまでこの種の宣伝活動にあまり重きを置いていなかったが、ジュネーブにおける日朝会談にさいし、日本代表団がとった不手際な啓発活動から北朝鮮側の主張に日本側が押されているとの印象を各国に与え、とくに韓国側の激しい宣伝活動は、結局アメリカをはじめ自由陣営に相当アピールする効果を収めている。このため当初即時承認を見込んでいた赤十字国際委までが、慎重審議の態度に変るなど思わぬ障害を受けている。日赤代表団は「欧州系某通信社は韓国側と親しく、また西欧系大通信社も、それぞれ国家的立場を反映した記事を流している」との釈明を、このほど政府に打電してきたが、外務省としては釈明を信じないわけではないが、それ以前の日本の立場、主張を明らかにする啓発活動が、全く行われた様子もないことに驚いている。とはいえ、外務省自体としても北朝鮮帰還問題について、国内的に異論がほとんどなかったため、国内的はもちろん、対外的にも啓発活動をあまり行わなかった手落ちは認めそこで今回の異例の発表を皮切りに、岸首相の外遊に当って外国PR会社と契約を結ぶなど、帰還問題に限らず、啓発活動に重点を置くことになっている。


在日朝鮮人の出入国白書の大要は次の通り。

▽戦時中の増加と理由

一九三九年末、内地に居住していた朝鮮人の総数は約百万人で、一九五四年(ママ)の終戦直前には約二百万人に増加した。この増加した百万人のうち、約七十万人は職を求めて自ら個別渡航した者と、出生による自然増である。また残る三十万人の大部分は鉱工業、土木事業などの募集に応じ、自由契約により渡航してきており、国民徴用令による徴用労務者はごく少数(約九万六千人)で、徴用で内地へ送出したのは一九四四年九月から翌年三月までの約半年間だけである。

▽戦後の帰還状況

一、一九四四年八月の終戦(ママ)から、翌年三月までの間に、日本政府の配船で約九十万人、個別的に約五十万人計約百四十万人が引揚げた。

二、政府は一九四六年三月、在日朝鮮人全員の約六十五万人について帰還の希望を調査したところ五十万人の希望者がいたが、実際に帰還したのものは約八万人で、他は自ら残った。

三、一九四七年三月、北朝鮮引揚計画が実施されたが、一万人の申込みにもかかわらず、実際には三百五十人が帰還しただけであった。

四、朝鮮戦争休戦後は、常時南朝鮮へは便船があり、このため数千人が帰った。

五、この状況から、在日朝鮮人の大部分は自らの意思で残ったものであり、ことに戦時渡航してきた労務者、軍人、軍属は残ったものはほとんどない。

▽在日朝鮮人の現状

現在登録されている在日朝鮮人の総数約六十一万人について精密な渡来事情調査を行なったところ、戦時中徴用労務者として来たものは二百四十五人にすぎないことが明らかとなった。現在日本に居住している朝鮮人はその二百四十五人を含み自由意思で日本にとどまった者か、あるいは日本生れの者であり、犯罪者を除き本人の意思に反して残しているものは一人もない。
なお、在日朝鮮人の来往時別の内訳は次の通り。

登録在日朝鮮人総数六一一、○八五人

一、所在不明のもの(一九五六年八月以降の登録未切替えのもの)一三、八九八

二、居住地の明らかなもの五九七、一八七
(1)終戦前からの在留者三八八、三五九
(イ)一九三九年八月以前一○七、九九六
(ロ)それ以後から一九四五年八月まで三五○一六
(ハ)不明七二、○三六
(ニ)終戦前の日本生れ一七三、三一一
(2)終戦後の日本生れおよび入国者二○八、八二八

メンバーのみ編集できます