「徴用令」以外の動員も実態は徴用同然だった
当時の朝鮮人には徴用以前の動員も徴用とほぼ同様のものとして認識されていました。これは当時の日本人側の史料にも表れています。
・北炭幌内鉱業所の労務課員・北山外次郎の1945年3月24日付「朝鮮募集出張報告」(小沢有作「近代民衆の記録10、在日朝鮮人」)
「一般民衆・日雇等は従来より送出の対象となり居り、官斡旋に於いても事実上強制的に送出せられ居りたれば、今更衝撃を受くることもなし」
そのため、戦後の韓国や実際に動員された人の間でも募集や官斡旋も含め「徴用」と呼ぶのが普通になっていました。
また当時、連行する側が(本当は徴用ではないのに)「徴用なのだから逃げられない」と言って募集に応じることを強要した例があったことが、いくつかの証言で明らかになっています(
資料1、
資料3)。こうしたことも「募集や官斡旋も『徴用』である」と認識させた原因だったと思われます。従って、徴用令実施以前の時期に「徴用された」という証言があっても、それをもって「嘘だ」「信用できない」とするのは誤りです。