07/03/07 新時代第5回本部幹部会

新時代第5回本部幹部会・全国壮年部幹部会でのスピーチ




 一、凛々しき音楽隊の皆様、そして、世界一の創価合唱団の皆様、素晴らしい演奏と合唱、ありがとう!(大拍手)
 〈席上、音楽隊の創価グロリア吹奏楽団・東京管弦楽団と、創価合唱団の友が、「人間革命の歌」「世紀の英雄」を披露した〉
 感謝をこめ、和歌を捧げたい(大拍手)。

  音楽隊
    広布と平和の
     勝利曲
    リズムの彼方は
       万歳 賑(にぎ)やか

  千万の
    同志の胸には
       大勝利
     音楽隊の
        伴奏 響きて

  大演奏
    凛々しき文化の
      使者たちよ
     これこそ広布の
         原動力かな

 〈「音楽隊・合唱団の皆様方の御健康と御多幸と益々の文化と広布の発展への御努力を祈りつつ」との言葉とともに、代表して音楽隊の江上(えがみ)隊長に手渡された〉

 一、まもなく、我らの5月3日「創価学会の日」がめぐり来る。
 少し、気が早いかもしれないが(笑い)、この「5・3」を記念し、全同志の皆様に和歌を贈りたい(大拍手〉。

  晴れ晴れと
    五月三日の
       嬉しさは
     三世の宝が
       光るが如くに

  全世界
    創価の旗は
      たなびきて
     平和と勝利の
       同志の笑顔よ

 一、きょうは、よく晴れた。富士もよく見える。
 絶好の天気である。
 春が来た!(大拍手)
 ここ八王子をはじめ、第2総東京の婦人部の皆様は、いつも、最高の天候で全国の同志を迎えようと、真心こめて祈ってくださっている。
 私は、妻と共に、心から感謝申し上げたい。
 ありがとう! ありがとう!(大拍手)
 日蓮大聖人は、御書に仰せである。
 「日蓮もまた、(正法の力を根底に)この日天子(にってんし)を頼みとして、日本国に立ち向かって数年になる。すでに日蓮は『勝った』という気持ちである」(1146ページ、通解)
 諸天を動かし、大宇宙を味方にするような大いなる境涯で、大聖人は大闘争に生き抜かれた。これが、仏法の生き方である。
 仏天(ぶってん)は、仏意仏勅(ぶついぶっちょく)の学会を厳護している。
 きょうの晴天は、完勝の5月3日への、希望の瑞相であると申し上げたい(大拍手)。

 一、海外の13の国や地域の同志の皆様方、ようこそ!(大拍手)
 とくに、アメリカ、韓国、台湾の研修会、本当にご苦労さまです。

  Winter is over.
  Spring has come.
   The sun is shining brightly! (大拍手)
        〈冬は去り、春はめぐり来て、太陽は輝く〉

 アメリカのリンダ・ジョンソン婦人部長の名スピーチも、全部うかがった。
 素晴らしい前進、おめでとう!(大拍手)
 世界各地の発展は、本当にすごい。
 韓国では、5月の3日を記念して、約10万坪の素晴らしい墓苑「韓国平和公園」が誕生する。
 生死不二(しょうじふに)の「永遠の都」に、万歳と叫びたい(大拍手)。
 この5月には、「和光(わこう)新聞」(韓国SGI〈創価学会インタナショナル〉の機関紙)の新社屋もできあがる。
 地上7階、地下1階の堂々たる言論城(げんろんじょう)である。おめでとう!(大拍手)
 「広布45周年」の台湾SGIも、全員が素晴らしい前進をされている。
 「100万人の対話」の運動も、目覚ましい勢いである(大拍手)。
 台湾SGIは、「社会優良団体賞」に14回連続で選ばれている。
 台湾の名門・中国文化大学の張鏡湖(ちょうきょうご)理事長と私との対談「教育と文化の王道」も、いよいよ、月刊誌「灯台」で連載が始まる。〈5月号から〉
 台湾の皆様にも、よろしくお伝えいただきたい(大拍手)。

 一、「広宣流布の花」である芸術部の皆様、結成45周年の「芸術部の日」、本当におめでとう!(大拍手)
 皆様は、一人一人が光っている。偉大な方々だ。
 芸術部という言葉を聞くだけで、皆が朗らかになる。
 芸術部は花である。広宣流布の花である。
 うれしい。皆様がいると、ほっとする。また来てください(笑い)。
 おめでとう! ありがとう!(大拍手)

 一、戸田先生は言われた。
 「偉大な芸術家は、非常に若い。まるで、青年のような若々しい生命力をもっている。
 皆も、そうでなければならない」
 芸術部は戦っている。
 芸術部は躍動している。
 これほどの大発展を、いったい、だれが思い描いたであろうか。
 総合芸術部長の土屋(つちや)君も、よく頑張ってくれている。
 一人一人を大切にして、一人一人を励ましてくれている。
 そして今や、学会精神のみなぎる「戦う芸術部」になった。
 芸術部の皆様、これからも、学会のため、広宣流布のため、ご活躍をお祈りしています。
 生涯、不退の道を!
 私も、最大に応援しています!(大拍手)
 芸術部長の牛田君は、幼いころから、私も妻も、じっと見守ってきた。本当の「学会っ子」である。
 草創の蒲田支部の会合では、“幼年部”の彼が、よくテーブルの上に乗っかって、小さな体で、一生懸命に学会歌の指揮を執っていた。皆も一緒に歌った。
 私は“牛田ひばり”という名前をつけた。美空ひばりになぞらえて(笑い)。
 幼いころに、真剣に学会歌の指揮を執った牛田君が、その延長で、今、創価の芸術運動の指揮を堂々と執っている。
 これが、妙法の因果の理法だ。
 学者でもあったお父さん(牛田寛〔ひろし〕・初代男子部長)も、喜んでいるにちがいない。頑張れ! 

 一、仏法の世界には、少しも無駄がない。因果の理法だから、すべてが生きてくる。
 おとぎの世界のようなロマンが光っているのが、仏法の世界なのである。
 現実の社会は、一面、残酷である。
 どんなに世間の脚光を浴びようとも、心の中は、ギザギザに荒れ、グサグサに傷ついている。そういう葛藤に苦しむ人生もある。
 見栄を張ったり、嫉妬したり、嫉妬されたり──それだけでは、本当に無残だ。これが多くの人生の実像かもしれない。
 そのなかで、妙法に生きゆく、わが芸術部の皆様方の使命は、不思議であり、大きい。法華経に説かれる「妙音菩薩」のごとく、未来永遠に光り輝いていく。
 「無量百千」の功徳と威徳で荘厳されることは、絶対に間違いない。これが、大聖人の仏法である。
 皆で「芸術部、万歳! 万歳!」と祝福申し上げたい。〈全員で、万歳三唱を〉

 一、きょうは、壮年部の幹部会、おめでとう!
 日蓮大聖人は、病気と闘う富木常忍(ときじょうにん)の夫人を励まされた手紙で、弟子の四条金吾について言及された。
 「良い医者がいます。その中務三郎左衛門尉殿(なかつかささぶろうざえもんのじょう=四条金吾)は法華経の行者です」(御書985ページ、通解)
 「金吾殿は極めて負けじ魂の人で、自分の味方(信心の同志)のことを大切にする人です」(同986ページ、通解)
 四条金吾は、現代で言えば、ドクター部の方々である。また、頼もしき壮年部の方々である。
 「負けじ魂」を燃やして、同志を守り抜く。同志を、勝利ヘリードする。これが壮年部だ。
 壮年部が元気であれば、婦人部も喜ぶ。青年部も伸びていく。
 わが壮年部よ、金吾のごとく、力強く立ち上がれ! 

 一、わが創価学会は、何の力で勝ってきたか。
 「勇気」である。勇気のない人間は、本当に信心があるとはいえない。結局は、ずるいのだ。
 そして「忍耐」である。「団結」である。この三つで学会は勝ってきた。これを忘れてはならない。
 勇気。忍耐。そして互いが仲良く団結して、守り合っていくことだ。
 立場が上だからと威張り、皆を見下げるような人間は、とんでもない。
 日蓮大聖人は「異体同心」と仰せである。信心を根本とした団結こそ、御書に仰せの通りの姿なのである。
 戸田先生も「『団結第一』でいけ! 」と訴えておられた。
 「団結」の二字の実践こそが、創価学会を世界的にしたのである。この原理を生涯、忘れないでいただきたい。
 今、学会は日本をはじめ全世界に、広宣流布の「創価の旗」を、にぎやかに振り始めている。
 これほど発展するとは、だれも、わからなかった。日本だけでも、これだけ多くの人が信心をしている。
 宗門など、想像さえしなかっただろう。
 それを学会は成し遂げた。大聖人直結だから、実現できたのである。
 まさに、広宣流布の大進軍である。
 これだけの人が社会のため、人々のために真剣に行動している。本当に素晴らしく、尊いことだ。荘厳なことである。
 創価学会は、皆様方の正しき信心、大いなる勇気、そして誠実と努力によって、この時代に大勝利の歴史を刻むことができた。
 我らは、栄光の5月3日を目指して、威風も堂々と進みたい。
 この佳き日を、勝利、勝利の万歳を皆で朗らかに叫んで迎えましょう!(大拍手)

 一、戸田先生は指導しておられた。
 「最も行きづらい所にこそ、真っ先に行け! 最も大変なことにこそ、真っ先に挑戦せよ!」
 大変なところから挑戦していく。それでこそ、戦いの壁は破れる。勢いを増していくことができるのである。
 ヨーロッパの「平和の先進国」ウクライナの大詩人ウクラインカは、高らかに謳った。
 「私の心に、勝利の歌が響く。春の力が、魂に湧き起こる」
 「明るく大声で歌を歌うがいい! 不幸自身も笑い出すぐらいに」
 これで行きましょう!
 私たちは、「創価の妙音菩薩」の皆様とともに、学会歌を高らかに歌いながら、勝ち進もう!
 特に、婦人部、女子部の皆様、頼みます。
 学会の前進は、女性の活躍によって支えられている面が大きい。
 とりわけ男性のリーダーは、女性を大切にしていただきたい。決して、女性に対して威張ったりしてはならない。
 また、婦人部や女子部の方が学会活動することを、当たり前だと思ってはいけない。
 皆、忙しい中、大変な中、時間をつくって活動されている。
 特に婦人部の皆様は、それぞれ家庭がある。小さなお子さんがいる場合もある。
 ご主人や、ご家族の理解と協力があってこそ、思う存分、学会活動に励むことができるのである。
 リーダーは、こうしたことにも配慮し、陰で支えてくださっているご家族に対しても、心から感謝していけるようでなくてはならない。

 一、ともあれ私は、皆様方のご健康とご多幸を真剣に祈っている。
 自分だけの願いではない。皆のことを心から祈っていくのがりーダーだ。その決心を貫き通していかねばならない。
 幹部の方々は、大切な大切な全同志、全会員の皆様方に、どうか、くれぐれもよろしくお伝えください。「戦ってくださって、本当に感謝しています」と、お伝えいただきたい。
 幹部から、やさしい、誠実な言葉をかけられれば、会員の方がどれほど喜ぶか。
 反対に、ツンとして、笑顔も見せない──それでは皆、うんざりしてしまう。かわいそうだ。
 皆がスッキリして、自在に戦えるよう、心を尽くしていくのである。
 特に、会合の会場を提供してくださっている方々を最大に大切にし、そのご恩に対して、厚く御礼を申し上げていただきたい。
 また、真心の財務をもって学会を守り、学会を発展させ、広宣流布の勝利の道を大きく開いてくださっている功労者の方々にも、深く御礼を申し上げていかねばならない。
 その心がある限り、学会は発展する。
 「尊敬に値する人に尊敬を示すことは常に最高の義務であり喜びである」(山崎八郎訳『ゲーテ=カーライル往復書簡』岩波文庫)
 これは、イギリスの歴史家カーライルが、友人とともに、「精神の師」と仰ぐゲーテにあてた手紙の中の言葉である。
 恩を知るを人という──仏法は、そう教えている。広宣流布を担い、支えてくださる人への感謝と尊敬の心を失えば、もはや人間の道ではない。恩知らずの、仏法利用の極悪となってしまう。
 日顕宗が、まさにそうであった。

 一、文永11年(1274年)の3月8日──。
 佐渡流罪中の日蓮大聖人のもとに、幕府からの赦免状が届いた。
 生きては帰れないと言われた、2年半に及ぶ佐渡流罪を、大聖人は厳然と勝ち越えて、鎌倉に戻られたのである。
 佐渡を発たれる直前、大聖人は、一人の門下(遠藤左衛門尉=えんどうさえもんのじょう)に綴っておられる。
 「遠藤殿の外護がなければ、私の命は永らえることができたでしょうか。また赦免を受けることができたでしょうか。日蓮の一代の修行の功徳は、ひとえに左衛門殿らのおかげです」
 「この経文(法華経の安楽行品〔あんらくぎょうほん〕)に照らしてみると、左衛門殿は梵天・帝釈天のお使いであられましょうか。霊山浄土へ行く固い約束として、この判形(はんぎょう=印となるもの)を差し上げます。
 一つは未来世へお持ちになりなさい。そして霊山で『日蓮、日蓮』と呼んでください。その時はお迎えに出てまいりましょう」(御書1336ページ、通解)
 この遠藤左衛門尉については、詳しいことは不明である。御書もこの一編しか残されていない。
 決して有名ではない、無名の人々のなかに、本当に偉大な、正義の闘士がいる。
 最前線で戦う学会員をこそ、大聖人は、三世永遠に讃え、護ってくださる。そう確信していただきたい。

 一、赦免状が届いた後、大聖人は、3月13日には佐渡の一谷(いちのさわ)を出発され、26日には鎌倉に到着された。
 そして4月8日には、幕府の権力者・平左衛門尉に対面され、峻厳に諌暁(かんぎょう)なされた。赦免状が届いてから、1カ月後のことだった。
 大事なのは、行動である。スピードである。
 大聖人は、電光石火で行動を起こされた。
 学会も、電光石火だから勝った。スピードがあったから勝った。そのように、冷静に見ている評論家も多い。

  一、戸田先生は、恩師である牧口先生について、「あなた(牧口先生)の慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました」とまでおっしゃった。
 これが「師弟不二」の姿である。
 私は、戸田先生に訓練を受けた。ある時は、急遽(きゅうきょ)、先生に呼び出され、深夜から明け方まで、打ち合わせを行ったこともあった。
 師匠である戸田先生の指導を、私は弟子として、その通りに実行した。
 だからこそ先生は、「大作を見ろ。ここに真実の学会がある。私の精神がある」とまで言ってくださった。
 私は、真の師弟の道を壊そうとする、すべての輩と戦ってきた。

 一、大聖人は後に、平左衛門尉に諌暁した御心境を、こう記しておられる。
 「国を助けたいために申すことを、これほどまでに怨まれるのであるから、佐渡流罪が許された時、佐渡の国からどのような山中・海辺にもまぎれて入るべきであったが、このことを今一度、平左衛門尉に言い聞かせて、蒙古が日本国に攻めてきた時、幸いにも生き残る衆生を助けようと鎌倉に上ったのである」(御書1461ページ、通解)
 大聖人は、ただただ民衆の幸福のため、権力の魔性に、真っ向から立ち向かわれた。
 この、御本仏の大精神を忘れてはならない。
 これが、「正義の声」であり、「真実の勇気」であり、「正しい人生」である。私たちも、これで行こう!〈会場から「ハイ!」と返事が〉
 私は、すべてを、この御聖訓の心の通りにやって来た。
 学会でいえば、「民衆のために、学会員の幸福と勝利のために」――リーダーには、これを考える責任がある。
 大聖人の歩まれた大道に、まっすぐに連なり、立正安国を進めているのが、創価の三代の師弟である。そして、誉れの皆様方である。

 一、平左衛門尉との対面を終えられた後、大聖人は、池上兄弟に仰せになられた。
 「強盛(ごうじょう)に歯を食いしばって、たゆむ心があってはならない。たとえば、日蓮が平左衛門尉のところで、堂々と振る舞い、正義を言い切ったように、少しも恐れる心があってはならない」(同1084ページ、通解)
 この御文のままに生き抜くことが、大聖人に正しく直結する究極の信心であり、学会精神であると訴えたいのだ(大拍手)。
 戸田先生は言われた。
 「どんな強敵が現れようとも、微動だにするわけにはいかない」
 「最後に勝てるのが、また勝つのが、正しい信心の姿なのである」
 この通りに学会は前進してきた。ゆえに、どんどん道が開けてくる。世界の各地で、どんどん同志が集まっている。
 すごいことである。だれがこの発展を想像し、考えただろうか。

 一、各国との友好が、一段と深まっている。
 ロシアからは、このほど、シベリア屈指の名門大学である、「バイカル国立経済法律大学」の名誉教授称号を拝受することになった(大拍手)。
 創価学会と同じ、77年の歴史をもつ大学である。
 また、文化大恩の国・韓国では、「韓国芸術文化団体総連合会」から、「特別芸術貢献賞」の授与を決定する知らせをいただいた。この総連合会は、韓国で最大規模の芸術文化団体であるとうかがっている。
 心から御礼申し上げたい(大拍手)。
 さらに南米・ベネズエラ。名門私立大学の「ラファエル・ベジョソ・チャシン大学」は、私と妻に名誉博士号の授与を決定してくださった。
 ベネズエラで最初の私立大学である「サンタマリア大学」からは、私に名誉法学博士号、妻に名誉教授称号を贈るとの決定通知をいただいている(大拍手)。
 〈サンタマリア大学からの決定通知書には、こう記されている。
 「お二人(池田名誉会長夫妻)が、地球上の民衆と民衆、人間と人間の平和のために並はずれた規模の偉業を残されていることは、世界の国々が認めております。
 お二人によって着手され、堅持(けんじ)されている事業は、世界の民衆の間で、日々、活力と勢いを増しています」〉
 ほかにも、世界から顕彰の決定をいただいている。
 栄誉に深く感謝し、全同志の皆様とともに分かち合いたい(大拍手)。

 一、イギリスの歴史家トインビー博士との対談の開始から、今年で35年になる。
 最初に、東洋の仏教に深い関心を抱いていた博士のほうから、対談の希望が寄せられた。
 手紙や人を介して、博士から何度も要請をいただいた。そして私が、博士の自宅があるロンドンへ向かったのである。
 1972年(昭和47年)の5月5日から、2年越しで、40時間──。
 人類が直面する文明史的課題をめぐって縦横(じゅうおう)に語り合った。
 博士の自宅は赤レンガ造りの建物の中にあった。エレベーターから降りると、博士はベロニカ夫人と待っておられた。
 「よく来てくれました」と大歓迎して、家の中を案内してくださった。
 博士と私の傍(かたわ)らに、ベロニカ夫人と私の妻。
 全力の対話を重ねた。
 ともに食事をし、近くの公園をゆっくりと散策した。そして、涙を流さんばかりに、別れを惜しんでくださった。すべて懐かしい思い出である。
 本当は、もっともっと語り合いたかった。しかし通訳で苦労した。この時ほど、語学の重要性を痛感したことはない。
 どうか青年部、未来部の皆さんは、将来のために、思う存分、語学を磨いていただきたいと思う。

 一、トインビー博士と私との対談集(邦題『21世紀への対話』)には、驚くほど高い評価が広がっている。
 翻訳され、世界26言語で出版された。教科書として使用している海外の大学もある。
 私がお会いした多くの指導者が「愛読しています」と言われていた。
 先日(2月28日)、会見したモンゴルのエンフバヤル大統領も読んでおられた。
 〈トインビー・池田対談は、世界の識者から「人類の教科書とも言える一書」「人間と社会のあらゆる分野にわたり、精神と知性の光を当てながら蘇生への道を探った“ルネサンス人”の対話」など賞讃されている〉
 この対談を一つの原点として、世界の知性と進めてきた対談集は、現在進行中のものを含め、50点を超えた。

 一、トインビー博士は言われていた。
 「文明はその基盤をなす宗教の質によって決まる」
 人生の最終章を迎えておられた博士が、対談のなかで、私に託すように語られた。
 まさに卓見(たっけん)である(大拍手)。
 真の宗教なくして文明はない。平和もない。
 また、博士はこう綴っている。
 「人間社会のいっさいのことがらにおいてつねに行動が問題となる」(松本重治編訳『歴史の教訓』岩波書店)
 行動があるか、ないか。学会は、行動している。それが、どれほど、すごいことか。
 博士は、行動という一点に、鋭く注目したのである。

 一、ここで、東西の英知の言葉を贈りたい。
 古代ギリシャの大詩人ホメロスは、傑作『イリアス』に綴っている。
 「アカイアの勇士たち、そこで、敵が攻めてくるのを待っていてはいかん。ひとりひとり、相手をさだめて向かって行くんだ」(小野塚友吉訳『完訳 イリアス』風濤社)
 我らの言論戦も、その根本は折伏精神である。
 戦いは、受け身になっては、絶対、勝てない。最後まで攻め抜いたほうが勝ちである。
 日蓮大聖人は「かしこへ・おしかけ・ここへ・おしよせ」(御書502ページ)と記しておられる。
 攻めて攻め抜け!──大聖人の教え通り、また戸田先生の指導通り戦ったから、学会は勝った。これを忘れてはならない。

 一、さらに、ホメロスの名作『イリアス』から。
 ある人物が勇者に向かって言う。
 「おぬしは剛勇の武将、敵に向かっては一歩も退かず、怯(ひる)んだ仲間を見れば、必ず声をかけて勇気づける。ぜひ、これからも逢う者には声をかけてやってもらいたい」(前掲『完訳 イリアス』)
 敵に向かっては、一歩も退かずに戦う。
 仲間と出会えば、必ず勇気づけてあげる。
 これが勇者である。
 青年部の諸君も、正義のためには、先頭に立って、「邪悪な敵」と戦い抜いていく人であってもらいたい。
 そして、誠実に行動する同志には、どんなときも、「励ましの声」を贈り続ける、真実の勇者に育っていただきたいのである。
 戸田先生は一切は青年で決まる」と確信しておられた。
 「青年部に託すのだ!」
 「青年部は恐れるな!」
 「やるからには思い切って戦え」との烈々たる恩師の叫びを、私は、後継の青年部の諸君に贈りたい(大拍手)。
 一、さて、『イリアス』には、ある戦士が人々のなかで、次のように力強く訴える場面がある。
 「おお、戦友諸君、男らしくやってもらいたい。勇気を振い起こすんだ」(田中秀央訳「イリアス」、『世界文学全集III-1』所収、河出書房新社)
 戸田先生もよく、“男じゃないか”“男らしくやろうじゃないか”と親しく肩を抱いて、壮年部や男子部の友を激励してくださった。
 私も今また、「わが壮年部よ! わが男子部よ! そして、わが男子学生部の諸君よ! 男らしく頼む!」と申し上げたい。
 どこまでも婦人部、女子部の皆さんを守り、支え、尊重しつつ、大胆に、勇敢に、男らしく、新しい勝利の歴史を切り開いていっていただきたい(大拍手)。

 一、チェコの哲人政治家、マサリク初代大統領(1850〜1937年)──。
 私が会談したチェコのハベル大統領も、マサリク初代大統領を大変に尊敬しておられた。
 〈ハベル大統領は、無血の「ビロード革命」をリードしたチェコの指導者。名誉会長は、1992年4月、来日したバベル大統領と東京・元赤坂の迎賓館で会見した〉
 マサリク初代大統領は、宗教の本来の力について、こう述べている。
 「宗教は希望であり、恐怖に、特に死の恐怖に打ち勝ちます」(K・チャペック著『マサリクとの対話』石川達夫訳、成文社)
 また初代大統領は、「希望は宗教の本質」(同)とも喝破した。
 真実の宗教は、人々の心に希望の火を点(とも)すものである。社会の未来を照らしていくものである。
 残念ながら、現代のように「物」が中心の生き方が横行すれば、打算や利害ばかりになってしまう。
 それでは、「人のために」「社会のために」──そういう「崇高な心」はわいてこない。利己的な風潮が蔓延(まんえん)するばかりである。
 こうした時代にあって、わが学会は、人々の心を、「善」の方向へ、「連帯」の方向へ、「希望」の方向へと導き、“精神性の大道”を広げるために戦っている。
 その使命は限りなく大きい。

 一、私の友人であり、ともに対談集を発刊したローマクラブのホフライトネル名誉会長は言われている。
 「現代国家では民主主義がもっとも受け入れられています。人権宣言や新しい世界の秩序などはすべて民主主義に基づいています。そして重要な点は、その民主主義とはさまざまな宗教や思想を尊重するところから生まれたということです。そこから初めて共存、団結、そして調和というものが生まれるのです」(月刊誌「潮」96年5月号)と。
 民主主義というものは、さまざまに論じられるが、その根っこは、宗教や思想を尊重することにある。「一人の人間」を最大に大切にしていくことにも通じよう。
 その意味において、すべての人のなかに平等に「尊極の仏」を見ていく大聖人の仏法は、最高の「民主主義の哲学」といっていい。
 また仏法は、真実の指導者論を説いている。
 戸田先生は次のように考えておられた。
 ──仏法では、「王は民を親とし」と説かれている。わが親のごとく、民衆を大事に思い、懸命に仕え、わが身を犠牲にしても尽くしていく。それが本来の指導者の道である、と。
 こうした根本の大哲学を、大聖人は、末法に残してくださったのであり、それを大聖人の仰せ通りに現代に展開しているのが創価学会である。
 私たちは、時代が求める最先端を進んでいることを確信していただきたい(大拍手)。

 一、話題は変わるが、私が20代のころ、親しくお会いした作家に、長編小説『徳川家康』で有名な山岡荘八氏がいる。
 当時、私は、戸田先生のもとで、少年雑誌の編集長を務めていた。
 人気作家であった氏のご自宅にうかがって、「ぜひ少年たちに希望を贈る小説を書いてください」とお願いしたこともある。氏は、「あなたの情熱に打たれた」と快く引き受けてくださった。
 〈名誉会長が編集長を務めた『少年日本』に山岡氏は「紅顔三剣士」を執筆した〉
 後に、山岡氏は、この縁(えにし)を大切にされ、小説『高杉晋作』を「聖教新聞」に2年4カ月にわたり連載してくださったのである。〈『山岡荘八歴史文庫77〜79 高杉晋作』(講談社)に収められている〉

 一、維新の志士、高杉晋作は、戸田先生がお好きな人物でもあった。
 「革命児のごとく生きよ」との心で、先生は、私を「晋作!」と呼ばれることもあった。
 この小説のなかで、晋作は言う。
 「元気を出せ!」「蹟(つまず)いたからといって落胆せぬこと。ただちに次の策を立てて進むばかりだ」
 広宣流布の戦いにあっても、たとえ何があろうと、落胆する必要などない。動いた分だけ、祈った分だけ、福運は積まれているのである。
 大事なのは次だ。前へ進むことだ──これを合言葉としていきたい。
 また、幕末の思想家・佐久間象山(さくましょうざん)と晋作の対話のなかで、象山が次のように言う場面がある。
 「何もせぬものには何もできぬ」
 これが結論である。
 私たちは、広宣流布の勝利のために、きょうも「なすべきこと」を厳然となしていこう!
 そのたゆみなき積み重ねによってのみ、「勝利」の扉は開かれるのであり、これほど尊い生き方はないのである。
 こう強く申し上げて、私のスピーチを終わります(大拍手)。

 一、ここで、重ねて皆様に和歌を贈りたい。

  偉大なる
    広宣流布の
       道しるべ
     五月三日の
        この日祝さむ

  師弟不二
    生死不二なる
      意義深き
     五月三日の
       創価の佳き日は

 長時間、ありがとう!
 とくに海外の皆様、ご苦労さまでした。全国の皆様もお疲れさまです。
 皆様のご健康とご多幸を祈ります。お題目を贈ります。
 芸術部の皆様も、ありがとうございました。
 一生涯、ともどもに、この道を進みましょう!
 風邪などひかないように。またお会いしましょう!(大拍手)

(2007・3・7) 



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2007年08月15日(水) 23:01:33 Modified by hakata_dan




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