07/04/25 新時代第6回本部幹部会

新時代第6回本部幹部会でのスピーチ




 一、皆さん、おめでとう!(大拍手)
 楽しくやりましょう。
 きょうは、お祝いだから、長い話はやめて、懇談的にお話ししたいと思う。
 記念に、和歌や句を詠んだ。各部の代表にお渡ししたい。

  〈壮年部に〉  堂々と
           広布と共に 勝ち進む
            偉大な使命の
             勝利の指揮 執(と)れ

  〈婦人部に〉  偉大なる
           婦人部ありて
             大勝利

  〈男子部に〉  青年部
           厳と戦い
              大完勝

  〈女子部に〉  美しき
          瞳の女子部の スクラムが
              広布の完勝 飾りけり

  〈壮年部に〉  栄光の
           断固と完勝
                白星を

 だれより戦ったのは、婦人部である。
 道を開いたのは、そして、勝ったのは、婦人部の力である。
 婦人部こそが、第1位である。婦人部の力は、すごい(大拍手)。
 青年部も、厳然と戦った。それゆえの完勝である。
 芸術部の皆さんも、ありがとう!
 「芸術部が会合に来ると、うれしい」──そういう人も多い(笑い)。ご活躍に、拍手を送りたい。本当によく頑張っておられる(大拍手)。
 いよいよ、広宣流布の新たな戦いの出陣だ。
 互いの健闘に喝采を贈りながら、勝利への回転を開始したい。
 では、皆さんのために演奏をお願いします。
 〈ここで、創価グロリア吹奏楽団が滝廉太郎作曲「花」を演奏した〉

 一、全勝、完勝の「5月3日」、おめでとう!(大拍手)
 また、「創価学会思の日」、おめでとう!(大拍手)
 新たな時代が、晴れ晴れと到来した。
 すべて、尊き同志の偉大な奮闘のおかげである。幹部ではない、会員の皆様のおかげである。
 皆、本当によく戦ってくださった。

 一、日蓮大聖人は、弟子が苦難と戦いながら、勝ち進みゆく姿を大変に喜ばれた。
 四条金吾に宛てられた「世雄(せおう)御書」の冒頭には、金吾からの便りを読んだ感想を、「長い夜が明け、遠い道のりを歩いて、帰り着いたようである」(御書1165ページ、通解)と認(したた)められている。
 また、同じく金吾に対して、「何よりも、勝利の報告は爽快である」(同1175ページ、趣意)等と綴っておられる。
 創価の完全勝利を、大聖人がどれほど喜ばれ、讃嘆なさっていることか。
 広宣流布のために戦いきった満足と歓喜ほど、誇り高いものはない。その功徳は無量である。
 インチキをした人間の心は苦しい。因果の理法は厳しい。
 学会のために戦う。広布のために戦う。その功徳によって、福徳と幸福の人生を歩む生命に変わっていく。

 一、大聖人は門下に、「日蓮が如くに」修行を貫けと仰せである。
 「総じて、日蓮の弟子といって法華経を修行する人々は、日蓮と同じようにしなさい。そうするならば、釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏、諸天善神たる十羅刹も必ず守護されるであろう」(同989ページ、通解)
 創価の三代の師弟は、「大聖人が如く」正道を進み、一閻浮提の広宣流布のために闘争してきた。
 立正安国のために、難を受けながら、三類の強敵を師子奮迅の力で打ち破ってきた。
 だからこそ、ありとあらゆる諸仏菩薩が創価学会を讃え、厳然と護っているのである。
 また御書には、梵天・帝釈等が、他国の賢王の身に入って、正義の行者を護る原理が説かれている。〈「報恩抄」など〉
 御聖訓に違わぬ実証は、皆様もご存じの通りだ。

 一、音楽隊の皆さん、いつも素晴らしい音楽、演奏、本当にありがとう!(大拍手)
 学会は、法華経に説かれる通り、常に、勇壮な「妙音」とともに、勝利、勝利の大行進を続けてきた。
 ここで、一つの提案をさせていただきたい。
 次の5月の本部幹部会には、大関西から「関西男声合唱団」を招いて、日本一の歌声を聞かせてもらいたいと思うが、どうだろう(大拍手)。
 その次の6月の本部幹部会には、大中部から、婦人部の「仲良(なかよし)合唱団」と女子部の「ゴンドラ合唱団」を招待して、美しいハーモニーを披露していただきたいと思うのだが、どうだろうか(大拍手)。
 勝利の歌声も高らかに7月、8月へ向けて、頑張ろう!(大拍手)

 一、きょうは海外18力国・地域の尊き同志の皆様、ようこそ! ありがとう!(大拍手)
 特に、南米の皆様、遠いところ、よく来てくださった。大変なことである。ありがとう!(大拍手)
 そして、聖教新聞創刊56周年、おめでとう!(大拍手)
 偉大な配達員の皆様方に、私たちは、心から感謝申し上げましょう(大拍手)。
 大聖人の時代に、遠く離れた佐渡に住む、国府尼(こうあま)という女性門下がいた。この“広宣流布に励む母”に、大聖人は、こう述べておられる。
 「日蓮を恋しく思われたなら、常に(朝に)出る太陽、夕べに出る月を拝まれるがよい。(日蓮は)いつであっても、太陽や月に影を浮かべる身なのです」(御書1325ページ、通解)
 “離れていても、いつでもお会いできますよ”“あなたと心は一緒ですよ”──御本仏の深き真心のこもった御文である。
 無冠の友の皆様は、毎朝、昇りゆく旭日とともに、広宣流布の原動力である聖教新聞を、配達してくださっている。その功徳は大きい。
 まだだれも見ない、明るい明るい、出たばかりの太陽を仰ぐ──それは、何ものにもかえがたい幸せだと私は思う。
 私も、若き日に新聞配達をした。だから今、健康になった。足も健康である。体の弱い弱い、私であった。配達を通して、体を鍛えることができた。
 ともあれ、無冠の友の皆様に、心から拍手を送りたい(大拍手)。
 どうか、これからも絶対無事故で!
 無冠の友の健康長寿と、幸福勝利を、皆で祈りきっていきたい。頼むよ!〈会場から「ハイ!」と返事が〉

 一、ご存じの通り、今月の12日、私は、中国の温家宝(おんかほう)総理と再会し、有意義に語り合った。
 〈1992年以来、2度目の出会い。
 日中国交正常化35周年を祝う今回の会談では、両国友好は民衆の願いであり、アジアと世界の平和のためにも、万代の友好を築きゆくことを約し合った〉
 その折、光栄にも、温総理から、見事な直筆の「書」をいただいた。
 「慈航創新路 和諧結良縁」(慈航〔じこう〕は新たなる路を創り、和諧〔わかい〕は良縁を結ぶ)
 「慈悲の航海で新たな道を創造し、調和は良縁を結ぶ」──という意味である。
 総理は、私の対談集を読まれ、創価の意義を確認なされて、この書をしたためたと言われていた。
 〈温総理が来日前に読んだのは、イギリスの歴史学者・トインビー博士との対談集(邦題『21世紀への対話』)と、中国の国学大師・季羨林(きせんりん)博士らとの対談集(同『東洋の智慧を語る』)〉
 温総理の「書」は、創価学会の宝として、また日本の宝として、ここ東京牧口記念会館の展示室に飾らせていただいている。

 一、先日、高名な中国の知性であられる、中国美術館の笵迪安(はんてきあん)館長が、学会本部を表敬してくださった。
 〈中国美術館は北京にある国立美術館。92年、東京富士美術館所蔵の「西洋絵画名作展」を開催〉
 その折、笵(はん)館長は、温総理の書について、こう語っておられた。
 歴史の証言として、ありのままに、ご報告させていただきたい。
 「温総理がしたためられたこの書の文字には、素晴らしい意味が込められております。
 『慈航(じこう=慈悲の航海)』とは、池田先生が天下万民を、慈愛をもって導いてきた功績を讃えたもので、池田先生の高い境涯を示しているのではないでしょうか。
 また、この『慈悲』の『慈』という文字の発音は、中国語では、池田先生の『池』の文字の発音と、よく似ています」
 「さらに、書には『創価』の『創』の字もしたためられております。
 ですから、温家宝総理は、『池田先生』と『創価学会』を、幾重にも賛嘆しているといえましょう」
 このように深く見ておられる(大拍手)。
 〈萢館長は、こうも語っていた。
 「温家宝総理が、海外の要人に、書をしたためたということは、よほどのことであり、この一点を見ても、池田先生への尊敬の念が、どれほど大きいか、十分にうかがい知ることができます〉
 すべて、創価の民衆運動への評価である。
 隣国の大指導者、文化人、学者の方々から、これほどまでの信頼をいただき、感謝にたえない。

 一、「現代の周恩来総理」とも敬愛されている温家宝総理は、こう語っておられる。
 「政治の一切の権力は、すべて人民から与えられたものである。
 一切は人民に属する。
 一切は人民のためである。
 一切は人民による。
 そして、一切は人民に帰する」
 その通りである。
 温総理がおっしゃるとおり、一番尊いのは、人民である。
 学会は、世界の人民の心と心を結んできた。この学会員こそ、一番、尊い方々であると、私は、声を大にして申し上げたい(大拍手)。

 一、きょうは、「カリブ海の真珠」と謳われる中米のキューバから、代表が出席されている。
 本当に、ようこそ! うれしい! うれしい!(大拍手)
 キューバ創価学会は本年1月、正式に「宗教法人」として認可された。
 おめでとう!(大拍手)
 仏教団体としては、国内で初めてとうかがった。
 私がキューバを訪問したのは、1996年。
 カストロ国家評議会議長と約1時間半にわたり語り合った。
 〈両者の会談は、「文化交流による平和」の重要性などをめぐって。
 また名誉会長は、国立ハバナ大学の「名誉文学博士号」を受章し、記念講演を行った〉

 一、キューバでも、女性の活躍が大変光っている。
 〈キューバ創価学会の理事会は、9人のメンバーのうち、6人が女性〉
 皆、本当に仲が良い。
 祖国の繁栄のために、一生懸命、行動している。戦っている。
 お帰りになられましたら、大切な大切なキューバの友に、どうか、くれぐれもよろしくお伝えください!(大拍手)

 一、現在、私は、アルゼンチンの人権の闘士、エスキベル博士と対談を進めている。
 〈エスキベル博士は、1970年代、ラテンアメリカ全域で人権擁護の活動を展開。77年、祖国アルゼンチンの軍事政権に逮捕され、14カ月にわたり過酷な獄中闘争を続けた。80年、ノーベル平和賞を受賞。名誉会長との対談「人権の世紀へのメッセージー“第三の千年”に何が必要か」が、東洋哲学研究所発刊の「東洋学術研究」に好評連載中である〉
 対談のなかで、エスキベル博士は、味わい深いエピソードを紹介された。
 それは、アメリカの首都ワシントンDCで、各国の要人らも見守るなか、エスキベル博士をはじめ、5人のノーベル賞受賞者による対話が行われたときのことである。
 その折、司会が、この5人に質問した。
 “皆さんの人生のなかで、最も重要な意味をもつ英雄はだれですか”最初の人は、「アメリカの初代大統領ワシントン」と「イギリスの首相チャーチル」の名前を挙げた。
 2人目が挙げたのは、「劇作家シェークスピア」。
 3人目が挙げたのは、「大科学者キュリー夫人」。
 4人目が挙げたのは、「南米解放の父ポリバル」。
 いずれも、世界的に知られた人物である。
 最後に答えたエスキベル博士は、一体、だれの名前を英雄として挙げられたのか?
 博士は、「私の英雄は祖母です」と、誇り高く答えたというのである。
 私は感動した。
 大喝采を贈った。
 一般的には、「政治家だから偉い」「博士だから偉い」と考えがちである。
 しかし、真の人間の偉さは、地位や肩書で判断することはできない。
 博士が深く敬愛していたおばあさんは、長年、苦労に苦労を重ねながら、真面目に誠実に生き抜いてきた無名の庶民である。
 母なる自然を大切に、皆と調和をとりながら、しかも、傲慢な人物、偽りの人物を鋭く見抜いていく智慧の女性であった。
 女性の智慧を尊重することだ。女性の意見を聞かなければ、どんな団体も、社会も伸びない。伸びないどころか、未来は危うい。かつての悲惨な戦争の道に再び進んでいかないとも限らない。
 その意味でも、女性の智慧に深く学んでいくことが大切である。

 一、エスキベル博士のおばあさんは、正しい人間の道を、まっすぐな心で、堂々と歩んでこられた。その健気(けなげ)な庶民の女性こそ真の英雄であると、博士は言い切ったのである。
 そしてまた、博士は、小さな町や村のなかにこそ、手本とすべき偉大な建設の人生を生き抜いた無名の英雄がいることを強調しておられた。
 時代をつくるのは、無名の庶民である。それを忘れるなとの叫びであった。
 わが学会にあっても同じである。
 偉いのは、幹部ではない。会員である。
 なかんずく、私が言いたいのは、「学会の婦人部こそ一番偉い」ということである(大拍手)。
 なにかと忙しいにもかかわらず、婦人部の皆様方は、折伏にせよ、聖教新聞の拡大にせよ、地域の友好にせよ、すべてにおいて、先頭に立ち、戦い、勝ってくださっている。皆様のご活躍は、全部、存じ上げている。
 私は、戦う婦人部の皆様を徹して大事にしてきた。
 毎朝毎晩、妻とともに、皆様の無事安穏を深くまた深く祈ってきた。
 たとえ悪口を言われようとも、断固として立ち上がり、また立ち上がり、正義と真実を訴えておられるのが、偉大なる婦人部の皆様である。あまりにも、いじらしい。
 わが壮年部、また青年部の皆さんは、最敬礼して、婦人部の皆様を尊敬し、守り抜いていっていただきたい。
 まさしく、尊き婦人部の皆様の勝利が、学会の勝利であり、広宣流布の勝利につながっている。
 “創価の母”である婦人部こそ、人間の王者であり、だれよりも尊貴な真実の大英雄であると、私は強く申し上げておきたい(大拍手)。
 エスキベル博士も、「幸福の博士」である創価の女性の連帯に深い意義を見いだし、どれほど讃嘆しても讃嘆しきれないとの心で見つめておられる。
 世界一、偉大な婦人部の皆様方、世界一の大勝利の「創価学会母の日」おめでとう!(大拍手)

 一、昨日(現地時間23日)、アメリカの「ボストン21世紀センター」が主催して、「生死」をテーマにした第1回のセミナーが同センターで開催された。
 これは、仏法の永遠の生命観の上から、「生も歓喜、死も歓喜」と論じた、私の2度目のハーバード大学での講演を出発点として行われたものである。〈名誉会長のハーバード大学での2度目の講演は1993年9月。テーマは「21世紀文明と大乗仏教」〉
 各分野の第一級の識者が集い合い、「生死」の問題をともに探究していくものである。
 第1回は、中国思想研究の第一人者であるハーバード大学のドゥ・ウェイミン博士や世界的に著名な文化人類学者であるメアリー・キャサリン・ベイトソン博士を囲んで、まことに有意義な語らいが交わされたと、うかがっている。
 今後も継続して行っていく予定である。
 依然として止むことのない、戦争、紛争、テロ、殺人。
 こうした悲惨な現実を前にして、生命とは一体、何であるのか、そして死とは何か、宇宙との関係は、どうなっているのか──これらの問い掛けに明快な解答を与える生命哲学が求められている。
 「正しき生命観」に立ってこそ、真実の平和構築は可能となる。
 国家間の交渉や国際的な条約も大事だが、それだけでは平和を守れないことは、世界の歴史が示している通りである。
 ともあれ、「生老病死」の苦悩を超え、「常楽我浄」の幸福境涯を開いていく仏法の哲理を、世界の最高峰の知性たちが、真剣に探究していこうと努力をしているのである。
 この生命の大哲学を持った私たちは、時代の先端を切っている。
 我らこそ人類の根本的な指導理念の先導者なのである。
 その誇りを持って、勇敢に堂々と進んでいきましょう!(大拍手)

 一、日蓮大聖人は仰せである。
 「南無妙法蓮華経と唱え、退転せずに修行して、最後の臨終の時を待ってごらんなさい。
 妙覚(みょうかく)の山に走り登って、四方をきっと見るならば、なんと素晴らしいことであろうか、法界(ほうかい)は寂光土(じゃっこうど)で、瑠璃(るり)をもって地面とし、黄金の縄をもって八つの道を仕切っている。
 天から四種類の花が降ってきて、空には音楽が聞こえ、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、心から楽しんでおられる。
 我らも、その数の中に連なって、遊戯(ゆうげ)し楽しむことができるのは、もう間近である」(御書1386ページ、通解)
 皆、いずれは死んでいく。大聖人の仏法は、生死の問題を明快に説き明かした「生命の大法」である。
 凡眼(ぼんがん=凡夫の眼)ではない。仏眼(ぶつげん=仏の眼)によって、三世の生命を見つめている。何千年先の人類をも照らしゆく大哲学なのである。
 この御書に仰せの通り、妙法に生き抜いた人が、臨終の際、これ以上ないという最高の幸福境涯に包まれていくことは絶対に間違いない。
 ここで述べられている「四種類の花」とは何か。
 それは、法華経で説かれる天上界の四つの華のことであり、「曼陀羅華(まんだらげ)」「摩訶(まか)曼陀羅華」「曼殊沙華(まんじゅしゃげ)」「摩訶曼殊沙華」の四つを指す。
 「摩訶」とは「大きい」という意味である。
 法華経の序品(じょほん)では、釈尊が法華経を説こうとした時に、天が祝福して、この美しく香(かぐわ)しい四種類の華を降らせ、皆が歓喜したと記されている。
 次元は異なるが、美しい華が天空を舞う様は、創価の文化運動をリードする音楽隊、鼓笛隊の皆様の活躍を連想させる。
 華やかに見える活躍の裏では、厳しい練習が行われている。大変な訓練があるからこそ、最高の力を発揮できるのである。
 音楽隊や鼓笛隊をはじめ、妙なる音楽で同志に勇気と希望を贈ってくださる皆様、そして、目立たない、陰の力として学会を支えてくださっている皆様を、リーダーは最大に大切にしていかねばならない。
 それが真実の妙法の世界であり、和合僧の世界である。

 一、大聖人は「妙心尼御前(みょうしんあまごぜん)御返事」で、こうも述べておられる。
 「(もしも)今、霊山(りょうぜん)にまいられたならば、太陽が昇って、十方の世界を見晴らすようにうれしく、『早く死んでよかった』と、お喜びになられることでしょう」(同1480ページ、通解)
 “早く死んで良かったと喜ぶであろう”三世の生命を達観されたゆえの御言葉である。
 妙法は、全宇宙を貫く大法である。宝の法である。それを皆様は持っておられる。だから、何も恐れることはない。不幸になることなど、永遠にない。
 また、大聖人は、法華経の譬喩品(ひゆほん)に記された「法華経誹謗の人は命終えて阿鼻地獄(あびじごく=無間地獄)に入るであろう」との文を引きながら、無間(むけん)地獄の様相について述べておられる(同932ページ)。
 そこでは、地獄に堕ちた罪人たちが、自らの体から火を噴いて苦しんでいる。こうした厳しい責め苦を避けようと、東へ西へ南へ北へと走るのだが、結局、この苦しみから逃れることはできない。
 しかし、この大火の苦悩も、無間地獄の大苦の一部にしか過ぎない。無間地獄の苦しみを仏が詳しく説いたならば、人々は皆、驚いて死んでしまう。
 ゆえに、仏は詳しくは説かれなかったのだろうと思われる──と。
 意味深長な表現である。
 どんなにお金があり、社会的地位があったとしても、妙法を誹謗した人間の末路は悲惨である。学会に反逆し、仏子(ぶっし)をいじめた人間は、最後は深い苦しみを受けることになる。
 どんなに表面を取り繕(つくろ)っても、死という現実を前にしては、無益である。
 さらに大聖人は、こう仰せである。
 「妙法を唱える人の臨終は、何と喜ばしいことであろうか。一仏・二仏ではなく、また百仏・二百仏でなく、千仏までも来迎(らいごう)し、手を取ってくださるとは、歓喜の感涙をおさえがたい」(同1337ページ、通解)
 一仏や二仏ではなく、千の仏が迎えに来ると仰せである。たとえるならば、幼い子どもを、親や家族が温かく迎えに来るような姿であろうか。
 広宣流布のために、異体同心で戦い抜いた皆様方が、大満足の最期を迎えられることは絶対に間違いない。

 一、戸田先生は指導しておられた。
 「妙法という最高の法を受持した学会員は、いかなる高位の人間よりも、はるかに尊貴な『信心の王者』『人生の皇帝』『生命の帝王』なのである」
 この誇りで進もう! 広宣流布のため、大聖人の御遺命の実現のために走ろう!〈会場から「ハイ!」と元気な返事〉
 また、戸田先生は言われていた。
 「婦人部の力がなければ、学会の発展も、広宣流布の大事業も達成できない。幹部は婦人部に最敬礼せよ! 」
 先生の遺言ともいうべき指導である。
 婦人部ほど、ありがたい存在はない。
 婦人部の皆さん、頼みます!
 「創価学会は、永遠に異体同心の団結で勝っていくのだ! 」
 これも戸田先生の指導である。
 皆、信心の上では平等だ。大切なのは「異体同心の団結」である。
 勝ち抜こう! 朗らかに!

 一、キューバ独立の父ホセ・マルティ。
 この大思想家について、私は、キューバ最高峰の研究者であるヴィティエール博士と語り合い、対談集を発刊した。〈『カリブの太陽 正義の詩』潮出版社〉
 これには、世界の知性からも、大きな反響が寄せられた。
 マルティが心に刻んでいた雷葉を紹介したい。
 「誠実な友人ほど、人生において、偉大な宝は存在しない」(古代ギリシャの詩人エウリピデスの言葉から)
 学会は、地域にあっても、世界にあっても、「一対一」の対話で、誠実な友情を結んできた。ここに、確かな平和への力、平和への道がある。
 ともに頑張ろう!
 マルティは、こうも綴っている。
 「青春とは、発達と成長である。活動とみずみずしさである。そして、創造性と勢いの時期である」
 青春は素晴らしい。
 わが青春を、人生を、生き生きと戦い、悔いなき歴史をつくっていかなければ、損である。
 皆さんは、歴史をつくることができる舞台にいるのだから。

 一、イギリスの首相チャーチルは断言した。
 「勝利の暁とは、輝かしい瞬間である。それは、歓喜の時である。そして、それ以上に、新たな決意の時であるのだ」
 未来の勝利へ、出発しよう!
 アメリカの人権の闘士キング博士は洞察している。
 「宗教は、社会改革の必要を無視することによって、人間生活の主流から遊離してしまうのである」(蓮見博昭訳『汝の敵を愛せよ』新教出版社)
 正しい宗教は、社会の変革に最も貢献していくのである。
 アメリカの公民権運動の父・ダグラス。日本では、まだまだ知られていないが、19世紀、奴隷制廃止や女性の権利の獲得のために戦い抜いた。
 彼は訴えている。
 「闘争なき所には、進歩はない」(リローン・ベネット著、中村妙子訳『マーティン・ルーサー・キング』新教出版社)
 だから闘争せよ!
 戦いに立て!
 彼は火を吐くように叫んだ。
 仏法の魂もまた言論戦である。一流の人は皆、正義のための闘争を教える。
 そうでなければ、人間としての価値がなくなってしまうのだ。
 オランダの大画家ゴッホも述べている。
 「人生は戦いだ」
 「自分が置かれた困難な状況と戦うことによってわれわれの胸中から内奥(ないおう)の力が育ってくる。その勇気は生存の戦いのなかでさらに磨かれる(人は嵐のなかで大きくなる)」(二見史郎編訳『ファン・ゴソホの手紙』みすず雷房)と。
 いい言葉である。
 きょうは、画家の方はいらっしゃいますか。
 〈芸術部の画家のメンバーが返事を〉
 ますます本気になって、いい絵を描いてください!(大拍手)

 一、インドの大科学者で、平和運動のリーダーであるスワミナサン博士。私と博士は、対談集『「緑の革命」と「心の革命」』(潮出版社)を発刊した。
 〈博士は、核兵器廃絶を目指す科学者の連帯「パグウォッシュ会議」の会長を務める〉
 博士は、文化が均一化され、人間が“ロボット化”されゆく世界にあって、すべての政治指導者、思想界の指導者に、次のように呼びかける。
 「人間的な社会の実現は、宗教的・精神的な根底があって、初めて可能であることを自覚すべきです」
 人問主義の哲学をもった人が、社会のリーダーとなっていくことが、どれほど重要なことであるか。
 また、スワミナサン博士は、5月3日に寄せて次のようなメッセージを贈ってくださった。
 「5月3日は、人類の運命にとって重要な日であります。
 戸田城聖氏が、創価学会の第2代会長に就任した日であり、また、池田大作博士が創価学会の第3代会長に就任された日です」
 「『創価学会母の日』とも制定されている5月3日は、私たちにあらゆる形で存在する性別による不平等、不公平と戦い、撤廃する必要を思い起こさせてくれます」
 博士は、この日が私たち夫婦の結婚の日であることにも触れられ、こう続けておられる。
 「この幾重にも祝うべき日に、私たちは、牧口常三郎氏、戸田城聖氏、池田大作氏にとって大切な、平和、持続可能な人間の安全保障、幸福という目的のために貢献していくことを、再び確認し合っていきたい」
 私自身のこともあり、恐縮だが、全世界の尊き創価の母への感謝を込めて、恩師・先師に捧げる思いで、そのまま、ご紹介させていただく(大拍手)。

 一、昭和31年のきょう4月25日、関西の大阪から勝利の報告が届いた。
 私の指揮のもと、大阪支部が、ーカ月で9002世帯の折伏を達成したという知らせであった。
 当時、28歳であった私は、この日の日記に綴った。
 「断固、五月度も追撃だ。一万世帯の夢も可能だ。上げ潮だ、怒濤の如き。不幸の人々を救っているのだ」
 「喜べ、舞え、叫べ、踊れ、歌え、妙法の健児達よ。同志たちよ」
 この決意に呼応するように、大阪支部は、5月に未曾有(みぞう)の「1万1111世帯」の金字塔を打ち立てた(大拍手)。
 そして7月には「“まさか”が実現」と大きく報道されるほどの「大勝利」を収めた。
 だれも勝てるとは思っていなかった戦いであった。
 決戦の日の早朝5時ごろ、東京の戸田先生から、大阪にいた私のもとへ電話が入った。
 「大作、起きてたのか」
 「はい」
 「関西はどうだい?」
 「こちらは勝ちます!」
 「そうか。うれしいな」
 戸田先生は、本当に喜んでくださった。
 私は、師匠を守り抜いた。その私を、戸田先生は心から大切にしてくださった。わが子のようにかわいがり、薫陶してくださった。
 言葉ではとても言い表せない、麗(うるわ)しい師弟であった。

 一、あの昭和31年、関西の同志は、私とともに立ち上がり、真剣に戦ってくださった。そして、人々があっと驚く勝利をつかんだのである。
 私は、あらゆる戦いに勝ってきた。「仏法は勝負」であるからだ。
 人生は戦いの連続である。これからも、さまざまな試練はある。
 しかし、どうせ戦うならば、楽しく戦おう! 苦難をも笑い飛ばして、朗らかに進もう! 勝てば、楽しい。痛快である。
 どれだけの歴史を築けるか。どれだけ、自分自身を大きくしていけるか。思い切って挑んでいくことだ。
 リーダーの皆さんには、友の健康と無事故を勝ち取る、大きな責任がある。しっかりと祈りながら、偉大なる名指揮をお願いしたい。

 一、重ねて、勝利の幹部会、おめでとう!(大拍手)
 「わが同志、万歳!」と高らかに叫びたい。
 芸術部も、ありがとう! 皆で心から応援していきたい。
 皆さん、お元気で! 一生懸命、お題目を送ります。
 全同志の皆様にも、どうか、くれぐれもよろしくお伝えください。
 いい人生を、一緒に勝ち抜いていこう! 生き抜いていこう!
 ありがとう! ありがとう!(大拍手)

(2007・4・25)




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2007年08月13日(月) 09:19:44 Modified by hakata_dan




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