07/05/24 新時代第7回本部幹部会

新時代 第7回本部幹部会でのスピーチ




 一、きょうはまず、海外の皆様に、和歌を贈りたい(大拍手)。

  イタリアの
   同志の幸福をば
     祈るらむ
    三世の果てまで
       仏の生命よ

  あこがれの
    ドイツ広布の
      君 立ちて
    誇りも高く
      この人生(よ)を喜ベ

  イギリスの.
   偉大な同志に
      栄えあれ
    来る年来る年
      歓喜の生命(いのち)で

  アメリカの
   全土を走りし
    勇者(きみ)なれば
   広布の功徳は
      三世に輝く

 いつも本当にありがとう!(大拍手)

 一、ここで、合唱団の歌声を、皆で聴きたい。頼むよ!
 〈音楽隊の関西男声合唱団が「威風堂々の歌」「常勝の空」の2曲を歌い、創価グロリア吹奏楽団が力強く演奏。終了後、熱演を讃えて、名誉会長から代表に、帽子と花のレイが贈られた〉
 わが関西男声合唱団の皆様方に、御礼を申し上げたい。
 素晴らしい常勝の歌声、ありがとう!(大拍手)
 吹奏楽団の方々も、本当にありがとう! ご苦労様!(大拍手)
 アメリカ・ルネサンスの大思想家エマソンは叫んだ。
 「最も美しい音楽は、生命からほとばしる慈愛と真実と勇気に満ちた人間の声の中にある」
 まさに、皆様方の歌声である。素晴らしい合唱団である。
 わが創価の友の「勇敢な声」「信念の声」の響きほど、胸を打つ音律はない。合唱団の歌を聴いた人は、皆、感嘆している。
 「声仏事を為す」(御書708ページ)である。
 声の力で、仏の仕事を成し遂げていく──これが、私たちの戦いである。
 声と音楽が一体となった「文化の力」で、暴力や野蛮な力を打ち破り、善のスクラムを広げてまいりたい。

 一、私が、東北の同志と共に、青森県の奥入瀬(おいらせ)の渓流を訪問させていただいたのは、1971年(昭和46年)6月。
 今から36年前のことである。
 この渓流のそばには、立派な東北研修道場がある。
 詩人は、どこへ行っても、詩が生まれる。
 何かを見る。何かを感じる。すると、詩が奔流(ほんりゅう)のように、あふれ出る。
 夜中でも、そうだ。妻に口述し、書きとってもらったこともある。
 東北で、私は、ほとばしる滝を見つめた。そして、詠んだ。

 滝の如く 激しく
 滝の如く 撓(たゆ)まず
 滝の如く 恐れず
 滝の如く 朗らかに
 滝の如く 堂々と
 男は
 王者の風格を持て

 その後、1994年(平成6年)6月。
 思いがけなくも、スコットランドの誇る最高峰の名門グラスゴー大学から、私は「名誉博士号」を拝受した。
 それは、立派な儀式であった。荘厳な儀式であった。
 伝統と歴史が刻まれた大ホール。世界の学問をリードしてきたグラスゴー大学が、最高に意義ある式典を開催してくださった。
 これほど偉大な栄誉はない。列席した友も、心から感嘆していた。
 この授章式で、私の「滝」の詩が、凛然と朗読された。
 大学評議会の議長であられたマンロー博士が、私への「推挙の辞」を、この「滝」の詩で朗々と結んでくださったのである。
 マンロー博士は、世界的な翻訳者であるワトソン博士が翻訳された、私の英文詩集を読んでおられた。
 そして、この「滝」の詩が、私の人物像と深く一致していると判断されたのだそうだ。
 素晴らしいスピーチであった。
 会場は、万雷の拍手で包まれた。

 一、先日、マンロー博士は、この詩が生まれた青森県を訪問された。記念の講演会も開いてくださった。私も、つぶさにうかがっている。
 マンロー博士を歓迎して、地元の十和田と三沢を擁する青森常勝県の壮年部の方々が、この詩に曲をつけた「滝の詩」を歌い上げてくださった。
博士は、心から感動しておられた。
ぜひ、皆さんにも、お聴かせしたい。
〈ここで、関西男声合唱団が「滝の詩」を力強く披露。会場に大感動が広がった〉
この歌は、私が詩をつくった翌年にできた。
 青森県出身で、草創の音楽隊で活躍した芸術部の桜田武男さんが、深い思いをこめて作曲した名曲である。桜田さんは現在、総神奈川の副芸術部長をされている。
 マンロー博士は、昨日(23日)も、関西創価学園で、この「滝」の詩を朗読された。
 学園生に、滝の如く「激しく」「撓まず」「恐れず」「朗らかに」そして「堂々と」前進するよう、心から呼びかけてくださった。
 ともあれ、“日本一”と讃えられる関西男声合唱団の皆さんの歌声を聴けてうれしい。
 本当にありがとう!(大拍手)

 一、私が皆様を代表して受けた世界の大学等からの「名誉博士」「名誉教授」等の称号は、まもなく「215」となる。
 決定通知が届いている大学も含めると「232」である。
 「名誉市民」の称号は、まもなく「530」。ちなみに妻は「166」である(大拍手)。
 世界の大学等での講演は、アメリカのハーバード大学をはじめ、モスクワ大学、北京大学、フランス学士院等々で、これまで32回行った。
 さらに、人類の議会・国連、そして、世界中の大学からも、講演をしてほしいと強い要請をいかだいている。
 また、世界の識者との対話は1600回。
 イギリスのチャールズ皇太子、アン王女、2度お会いしたサッチャー首相との語らいも懐かしい。
 南アフリカのマンデラ大統領とも2度。中国は、周恩来総理から先日の温家宝総理まで、歴代の指導者と会談している。
 すべて平和と文化を広げゆく連帯である。謹んで皆様方にご報告させていただきたい(大拍手)。

 一、私は、御聖訓通り、「三類の強敵」「三障四魔」と戦い、「猶多怨嫉」「悪口罵詈」の難を一身に受けてきた。
 しかし、皆様方のお力も借り、皆様方と一緒に、一切を乗り越え、見事に勝ち越えてきた。
 健康です。私は!
 勝ちました!(大拍手)

 一、文明と文明を結ぶ壮大な挑戦である対談集は、トインビー博士との『21世紀への対話』(英語版は『生への選択』)をはじめ、約50点に及ぶ(大拍手)。
 『池田大作全集』は、今月、101回目の配本が出版される。〈『法華経の智慧(下)』〉
 ありがたいことに、19年連続で年間ベストセラー・第1位を記録している(全集部門、出版科学研究所調べ)。
 全150巻が完成した暁には、ガンジー全集100巻(インド政府発行)、トルストイ全集90巻(1958年完成)、ゲーテ全集143巻(ワイマール版)などを超える、世界最大級の個人全集になると推定されている。

 一、創立77周年を迎え、「破邪顕正」の勝利は厳然である。“生命の勲章”は、わが創価の同志に光り輝いている。
 創価の三代の師弟は、すべてに勝ったという歴史を、皆さんと一緒に残してまいりたい(大拍手)。

 一、ここで、「社会的な肩書や学歴は、成仏や功徳に関係ない」ということを、申し上げておきたい。
 権威で傲(おご)った人間が、退転してしまう。そういう例を、私は見てきた。
 逆に、学歴や肩書がないからといって、卑屈になってはいけない。
 信心の世界は、すべて「人間」「生命」が中心である。「法」が根本である。
 地位で幸福になれるのなら、高い地位の人は、全員が幸福になっているはずだ。しかし現実は、そうではない。
 学歴や肩書がなくても、人間は人間である。
 生命が幸福になればいいのだ。それが仏法である。
 この考えが失われて、地位や学歴がなければ不幸だ、というような考えが蔓延したら、その組織は、おかしくなる。誤った人間をつくってしまう。
 生命が幸福になり、生命が永遠の福運をもつようになっていくのは、あくまでも仏法しかない。これが根本なのである。
 そのうえで、それぞれ、学歴や地位があることによって、得をする場合も、損をする場合もある。いずれにしても、決定的な問題ではない。
 絶対的幸福を確立するための仏法であり、信心である。
 まじめに信心をして、広宣流布のために戦いきった人が、成仏するのだ。創価学会とともに生き抜いた人が、永遠の幸福をつかめるのである。
 この一点を貫かれた、牧口先生、戸田先生の教えは厳然である。

 一、私は若き日、苦境の戸田先生を支えるために、夜学も断念した。そのかわりに、“戸田先生の大学”で学ばせていただいた。これが、私の無上の誉れである。
 学会のリーダーは、学歴や社会的地位などに、微塵も左右されてはならない。
 一番大切なのは、庶民である。また、さまざまな事情によって、学びたくても学べない人たちである。
 庶民の味方として立ち上がり、戦って、はじめて、広宣流布は成し遂げることができる。肩書だけの見栄っ張りに、広宣流布はできない。
 一番、折伏をしているのは、婦人部の皆さんである。ゆえに、婦人部が尊いのだ(大拍手)。
 学問の目的も、本来は、民衆の幸福である。それを、学歴を鼻にかけて道を外れ、落ちぶれていく。そういう人間が身につけている学問など、本物の学問ではない。自分のために、知識を利用しているだけである。
 地位に溺れ、信心を失い、堕落していった者には、「師弟」の精神がなかった。そして結局、団結を乱す「破和合僧」の動きになっていった。
 そんな人間は、清浄な学会の組織から追い出すことだ。役職は、あくまでも方便である。
 要するに結論は、社会的地位や学歴は、信心とは全く関係ない。
 信心のある人が、日蓮大聖人に、また釈尊に、一番、ほめられるのであり、幸福である。
 伝教大師は、正しい仏法を求める人が「国の宝」であると述べている。その通りである。
 〈伝教大師は「山家学生式(さんけがくしょうしき)」で「道心(どうしん=真実の道を求める心)ある人を名づけて国宝となす」
 「能く行い、能く言うは、国の宝なり」と記している〉
 信心だけが、永遠の福運を積める。幸福になれる。勝利者になれる。有意義で、楽しい最高の人生を送る原動力となるのである。
 それが、大聖人の教えである。きょうは、未来のために、これを明確にしておきたい。

 一、釈尊は説いた。
 「太陽が昇る前に、東の空が明るくなるのは、太陽が昇る兆(きざ)しである。同じように仏道を成就する場合、必ず兆しがある」
 仏になる兆しとは、何か。
 「その兆しとは善き友を持つことである。善き友を持てば、必ず仏道の成就に至る」と。
 よき同志を持つことだ。一人ぼっちでは、限界がある。ゆえに「和合僧」が大事であり、成仏の道を歩む方程式なのである。

 一、日蓮大聖人は、繰り返し、「善知識」の大切さを強調されている。
 「三三蔵祈雨事(さんさんぞうきうのこと)」には、「弱く不甲斐ない者であっても、助ける者が強ければ倒れない。少し壮健な者でも、独りであれば悪い道では倒れてしまう」(御書1468ページ、通解)と仰せである。
 また、「仏になる道は、善知識に勝るものはない」(同ページ、通解)ともある。
 だからこそ大聖人は、「悪知識」を厳しく戒められる。
 御書には、「国を滅ぼし、人を悪道に堕とすものは、悪知識に過ぎるものはない」(同8ページ、通解)と、明快に記されている。
 また、「謗法の者を防いでいきなさい。(法華経にある)『悪知識を捨てて、善友に親しみ近づきなさい』とは、このことである」(同1244ページ、通解)と戒められている。
 悪を追放し、戦い抜かなければ、悪知識とともに地獄に堕ちてしまう。
 どんなことがあっても、悪知識とは戦わねばならない。
 善知識であるべき幹部の存在も、慢心や堕落によって、悪知識になるおそれがある。気をつけることだ。
 善知識を守り、悪知識と戦う。これが、これから創価学会が発展できるか、できないかを決める。
 御書に照らして、明快な基準をもって進んでいかなければならない。

 一、牧口先生が牢で亡くなり、戸田先生が出獄されて、学会の再建が開始された。
 その戦いのまっただ中で、戸田先生に、横柄にも、「戸田君!」「よう!」などと声をかける古参の幹部がいた。
 私は、激怒した。
 そして、次のように言った。
 ──創価学会は、仏法の団体である。仏法の根本は「師弟」である。
 そして、最も師匠に仕えた人が、師匠になるべきである。
 逆に、そうならないのであれば、師弟など必要ない。
 戸田先生は、牧口先生にお供して、牢獄にまで行かれた。そして、牧口先生のお心のままに、広宣流布の指揮を執(と)っておられる。ならば、戸田先生が私たちの師匠ではないか。なぜ、師匠を敬えないのか──。
 そう真剣に訴えることによってはじめて、皆が「師弟」の重要性に気づいたのである。

 一、日蓮大聖人は仰せである。
 「須梨槃特(すりはんどく)は三年かかっても、十四文字を暗唱できなかったけれども、仏になった。提婆達多は、六万蔵という膨大な経典を暗記したけれども、無間地獄に堕ちた」(同1472ページ、通解)
 提婆達多は頭は良かったが、最後は釈尊に反逆し、和合僧を破壊しようとして地獄に堕ちた。
 その根底には、自分は勝れているのだとの増上慢があった。人々から尊敬されたいとの虚栄心があった。
 大聖人の時代も、華やかな都で公家に法を説き、自分は偉くなったと勘違いする、三位房(さんみぼう)のような愚かな弟子がいた。
 しかし大聖人は、当時の政治の中心地であった鎌倉で、幕府の権力と真っ向から戦いながら、妙法を弘めていかれた。
 あくまで現実に根を張って、民衆一人一人を救うための闘争を貫かれた。
 これが御本仏の御姿であられたのである。

 一、5月の25日は、アメリカ・ルネサンスの大詩人として名高い、エマソンの生誕204周年に当たる。
 その記念日を前に、エマソン協会会長のワイダー博士が、声を寄せてくださった。
 博士は、アメリカを代表するエマソン研究者であり、女性詩人である。光栄にも、名門コルゲート大学で、私の詩集を教材として、授業を行ってくださった。
 その声の中で、博士は、詩人の意義について述べておられる。
 「詩人は、真実を叫ぶ存在です。詩人は、社会に正義がもたらされるよう声を上げるのです。
 支配者たちは、そうした詩人の声を沈黙させようとしたり、迫害しようとします。
 しかし、エマソンは言いました。“詩人を黙らせることはできない。何があっても、語り続けるからだ”と」
 博士は、詩人とは先覚者であり、「声を発する人」であると述べておられる。そして光栄にも、私のことを、この伝統に連なる人物であると評価してくださった。
 さらに博士は、こう述べておられた。
 「私の心を最も深く打つのは、エマソンと池田SGI会長が、ともに民衆の支持者であるということです。特に池田会長は、民衆の代弁者です」
 「私は、池田会長は“民衆の詩人”であり、“民衆の哲学者”であると理解しております」
 そして博士は、詩人とは“価値の創造者”であると述べ、創価学会こそ、こうした人々の集いであり、団体であると高く評価してくださったのである。
 世界の識者は、正視眼で見る。
 それに対して、小さな日本で、偉大なものに嫉妬し、傲慢になるのは、これほど愚かなことはない──そう指摘する人もいる。
 大聖人は、傲り高ぶった日本の権力者に怨(あだ)まれ、命を狙われた。島流しにされた。厳然たる歴史の事実である。

 一、エマソンは述べている。
 「我々に必要なのは、鋼(はがね)のごとき強靱さをもって傲慢な人間に打ち勝つ正義である」
 戸田先生も、このことを私たちに教えてくださった。
 イタリアの大詩人ダンテは『神曲』で綴っている。
 「ああ自分の高慢のために滅びさった家々がかつてはなんと栄えていたことだろうか!」(平川祐弘訳『神曲』河出書房新社)
 傲慢は滅亡への道である。
 私は青年時代、この『神曲』を読んだ。難解だったが、何とか理解したいと何度も読み返したことが懐かしい。
 ダンテは、こうも綴っている。
 「賢者は、他の人の装飾に過ぎぬ衣装によって人を称えず智性とやさしき心とをたたえる」(中山昌樹訳「詩集」、『ダンテ全集第4巻』所収、日本図書センター。現代表記に改めた)
 服装や地位だけで、人を判断するのは愚かだ。人間性を見抜いていかねばならない。

 一、ワイダー博士は、こうも語っておられた。
 「私は昨年、神奈川で講演をさせていただきました。
 婦人部の皆さんは、私の話を心から受け入れ、支持してくださいました。行動的で、勇気を与えてくれる聴衆でした。
 このような聴衆を、私は見たことがありません。心と心で結ばれた共同体の強さに、深い感銘を受けたのです」
 また博士は、かつて、「創価の女性の皆様と一緒にいるだけで、幸福な気持ちになります」とも述べておられた。
 真実の言葉であると思う。心から感謝申し上げたい(大拍手)。
 こういう素晴らしい婦人部の皆様が、一生懸命、広宣流布を進めてくださっている。このことを、指導者の立場にいる人間は、絶対に忘れてはならない。健気な同志の皆様に、最敬礼して尽くしていかねばならない。
 6・10「婦人部の日」を、皆で心からお祝い申し上げたい(大拍手)。

 一、わが創価学会の元日ともいうべき「5月3日」を、日本をはじめ、世界190ヵ国・地域の同志とともに、大勝利で飾ることができた。偉大な歴史を残すことができた。
 あらためて、皆様に心から感謝申し上げたい。
 さらに広宣流布「第2幕」の勝利へ、堂々たる前進を開始したい(大拍手)。
 ただでさえ、忙しい世の中である。いろんなことが起こる。
 そのなかで、皆様は、自ら願って広宣流布のために励んでおられる。
 どれほど尊いか。どれほど福徳を積んでおられるか。
 広布の労苦に一切、無駄はない。すべてが「自分のため」である。
 それは御書に照らして絶対であることを確信していただきたい。

 一、未来の建設のために、私たちは「教育」にも一段と力を入れてまいりたい。
 山本英夫・新学長とともに、創価大学も新たな発展の歴史を刻み始めた。さらなる「学生第一」の伝統の構築をお願いしたい。
 「創価大学、万歳!」と心から期待したい。

 一、海外の同志の皆様、まことに、ご苦労さまです。遠方から来日してくださり、本当にありがとう!(大拍手)
 尊い研修でお越しくださった、ヨーロッパの皆様、香港の社会本部の皆様、シンガポールの皆様、韓国の皆様、そしてペルー壮年部の皆様、本当にようこそ!
 とくに、最も遠いペルーの皆様は、飛行機の事情もあり、3日間かかって到着された。本当にお疲れさまでした! (大拍手)
 大聖人は、佐渡の流罪の地まで勇み来った四条金吾の「志」を振り返られて、こう仰せである。
 「(あなたは)主君に仕えて、ひまのない身である。しかも法華経を信じることは、まれなことなのである。それなのに山河の険難を凌(しの)ぎ、蒼き海を越えて、はるばると訪ねて来てくださった。その志は、(仏法のために)香城(こうじょう)で自身の骨を砕き、雪山で身を投げた人たちにも、どうして劣るわけがあろうか」(御書l193ページ、通解)
 今、海外の皆様の深き「信心の志」を、大聖人が、どれほど讃嘆なさっておられるか。その功徳は計り知れない。
 とともに大聖人は、別の御手紙で、鎌倉で留守を守る金吾夫人の日眼女(にちげんにょ)に真心の励ましを綴っておられる。
 「このように乱れた世に、この殿(金吾)を佐渡まで遣わされたあなたの真心は、大地よりも厚い(中略)大空よりも高い」(同1115ページ、通解)と。
 夫を送り出し、しっかりと留守を守る夫人の信心を、大聖人は、最大に讃えていかれた。
 目に見える部分だけではない。
 目に見えないところで健気に頑張っている人が偉い。功徳も大きい。境涯も大きく開かれていく。
 それが仏法の世界である。
 どうか、帰国されましたら、皆様を送り出し、留守をがっちりと守ってくださった大切なご家族や同志に、くれぐれも宜しくお伝えしていただきたい。
 海外のすべての皆様のご健康とご多幸を祈りつつ、「海外の同志の方々、万歳!」と声高らかに宣言したいのである(大拍手)。

 一、ここで恩師の戸田先生の大切なご指導を学び合いたい。
 戸田先生は言われた。
 「幹部になれば、皆も一応は尊敬してくれる。それで、いい気になり、私利私欲のために、会員を利用したりするならば、即刻、解任せよ!」
 また「(恩知らずの幹部に対しては)厳しく、遠慮なく叱りなさい。どんどん、自分の真実の思いを言い切っていきなさい」とも厳命された。
 会員利用、学会利用の卑しい人間を絶対に幹部においてはならない。
 また、幹部になって威張る人間も必要ない。
 謙虚に、誠実に、同志に尽くしていける人が必要なのだ。
 学会の幹部は、「会員奉仕」が根本である。
 「会員への奉仕」が「広宣流布への奉仕」となるのだ。
 「会員は私の大切な命だ!」「広宣流布に走りゆく同志のために、労を惜しむな!」
 これが戸田先生の遺言であった。

 一、相手が坊主であれ、だれであれ、広布を破壊する仏敵とは容赦なく戦われた。
 「私は断固、戦うつもりだ! 君たちはついてくるか!」「最後まで師匠を裏切らないか!」
 命を揺さぶられるような先生の気迫であった。
 厳粛な空気のなかで、青年たちは、「師匠とともに戦います!」と心の底から叫んだのである。

 一、戦時中、軍部によって投獄された先生は、生涯、「権力の魔性」と対決し抜いていかれた。
 「元来は、民衆に奉仕すべき政治が、いつしか民衆を苦しめる魔力と化す──それが現実である」
 「この不幸な歴史の流転を、断じて変えていかねばならない。
 そのために、民衆が強くなるのだ! 学会が強くなるのだ!」
 この戸田先生のご指導の通りに私は学会をつくってきた。

 一、あるときは、牧口先生を偲(しの)ばれて、こう言われたこともあった。
 「牧口先生にかわいがられた弟子は、皆、退転し、先生に背いた。私は、牧口先生に、ただの一度もほめられたことはなかった。しかし、私は、こうして、たった一人残って、先生の後を継いで立っている」と。
 これが本当の弟子である。
 戸田先生は烈々と訴えられた。
 「我らの世界一の和合僧の学会から、裏切り、反逆の連中を叩き出すのだ。真っ向から教訓し、断固として、増上慢を打ち破っていき給え!」
 この遺言の叫びを後継の青年部に託したいのである。

 一、さらに、戸田先生の指導を確認しておきたい。
 「提婆達多は、一切の悪人を集めても、釈尊の仏法には敵わないという証拠を残して、仏罰を受けて死んだ」
 いかなる極悪も、正義の人には敵わない。絶対に敵わない──その厳然たる事実は、皆様がよくご存じの通りだ。
 先生は、不知恩の連中に対しても、それはそれは厳しかった。
 「恩を報ぜぬということは人間の特権を放棄し、禽獣(きんじゅう)に同ずることである」
 その通りだ。この先生の叫びを決して忘れてはならない。
 「若者は、いい思いばかりしようとしてはいけない。好きなことばかりやっていても、人間は大きく育たない。様々な経験を積んだことが、最後は、全部、生きてくる」
 苦労した分だけ勝てるのだ。
 続いては、女子部への指導である。
 「何といっても、帰宅する時間が遅くなってはいけない」
 女子部の皆さんは、お互いに注意し合いながら、賢明な行動をお願いしたい。リーダーは具体的に配慮していただきたい。

 一、大事な指導を、数多く残してくださった先生であった。
 「破折精神を忘れた者は生ける屍だ」
 とくに、悪と戦わない幹部は叩き出せ──恩師の遺言を、命に刻んでまいりたい。
 さらに、先生は「青年の強みは、燃ゆるがごとき情熱なり」とも言われた。
 一切は、大情熱で決まる。青年部の皆さんは、創価の新時代を堂々と開いていただきたい。
 「われわれの出世の因縁は、広宣流布の大旗(たいき)を掲げんがためである」
 これが恩師の大確信である。わが地域に、広宣流布の勝利の大旗を、高々と掲げよう! 

 一、関西の皆さん! そして、名古屋の皆さん!〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉
 戸田先生は1957年(昭和32年)、愛知の名古屋支部の発展、躍進の模様を聞かれ、大変に喜ばれた。
 〈名古屋支部は、その前年の1956年に、中部で最初の支部として結成された。誕生したばかりの同支部は翌57年の2月、前月の2・4倍の折伏を達成。全国20位から9位へと大躍進した。地区でも、愛知の豊橋が、2カ月連続で全国1位の弘教を成し遂げた〉
 先生は、この時、語っておられた。
 「関西は盤石な土台ができ上がってきたし、この中部も、先々は本当に明るい」
 「次は中部だ、愛知だ」
 先生の指導は、すべて記憶している。
 今や、先生のご期待通りの中部になってきた。
 広布の一番星と輝いている。
 あらゆる広宣流布の戦いを、自分のために、友のために、そして将来にわたる勝利の土台を築くために、朗らかに勝とう! 新しい金字塔を、ともにつくろう!

 一、ここ東京牧口記念会館には、創価学会常住の「大法弘通慈折広宣流布大願成就(だいほうぐつうじしゃくこうせんるふだいがんじょうじゅ)」の御本尊が御安置されている。
 〈ここで、名誉会長を導師に、参加者全員で厳粛に題目を唱えた〉
 一人一人の勝利、そして、ご家族の方々の健康と幸福を、真剣に祈念しました。
 きょうは本当にありがとう!
 長時間、ご苦労さま! とくに海外の皆様、ありがとうございました。
 皆さん、お元気で! また、お会いしましょう!(大拍手)

(2007・5・24)



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2007年08月13日(月) 10:04:08 Modified by hakata_dan




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