07/08/15 各部代表研修会

各部代表研修会でのスピーチ


 一、かつて、「王の中の王」と呼ばれた指導者がいた。
 彼は、仏法の思想を基調として、平和と福祉の政治改革を行い、人類史に名を留(とど)めた。
 その名は、インドのアショカ大王である。
 アショカ大王については、これまでも幾たびとなく語ってきた。
 東京富士美術館の創立者として、「アショカ、ガンジー、ネルー展」を開催したこともある。
 〈1994年10月から95年3月まで、東京・仙台・福岡・名古屋で行われた〉
 アショカ大王は、今から約2300年前、マウリヤ朝の王子として誕生した。
 イギリスの著名な作家H・G・ウェルズは、アショカ大王を「これまでに世界に現れた最も偉大な帝王の一人」と讃えていた。
 私が対談した、「ヨーロッパ統合の父」クーデンホーフ・カレルギー伯爵も、「世界で最高に尊敬したい大王だ」と強調された。
 イギリスの歴史学者トインビー博士も、大王を讃嘆してやまなかった。
 また、フランスのアンドレ・マルロー氏、美学者のルネ・ユイグ氏、アメリカのポーリング博士とも、アショカ大王をめぐって語り合ってきた。
 大王は、自身の信念を直接、民衆に訴えるために、岩石や石柱に「法勅」を刻んで残した。この法勅文は、欧州の諸言語に翻訳されている。
 一地域にとどまらず、世界が、アショカ大王を理想の指導者として敬愛しているのである。

 一、アショカ大王の生涯は波乱に満ちていた。
 当初、彼は暴虐を極め、人々から恐れられる悪王であった。
 その大王の転機となったのは、カリンガ国(現在のオリッサ地方)との戦争である。
 カリンガ国では10万人の命が奪われ、15万人が捕虜になったといわれる。
 無数の民衆が家を焼かれ、親を失い、子どもを失った。嘆き、悲しみ、絶望、怒りが満ちた。
 まことに、戦争ほど残酷なものはない。
 アショカ大王は、こうした民衆の苦しむ姿を目の当たりにした。そして、痛切な悔恨にさいなまれた。
 そして、「軍事力による征服」から、「法(ダルマ)による統治」へと、大転換をしていったのである。
 この点をめぐって私は、インドのラジブ・ガンジー現代問題研究所の招聘(しょうへい)で、講演も行った。
 〈池田名誉会長は1997年10月、ニューデリーのラジブ・ガンジー財団本部で「『ニュー・ヒューマニズム』の世紀へ」と題して講演を行った〉
 また、インドの哲学者ラダクリシュナン博士との対談でも、大いに論じ合った。
 ラダクリシュナン博士は語っておられた。
 「ガンジーはアショカ大王に、理想的な国家の統治者としての姿を見いだしました。
 大王が、戦争が無益であることを深く理解していたこと、そして彼がのちに国家政策として戦争を放棄したことに、ガンジーは強く惹(ひ)きつけられたのです」
 「最初は暴君と恐れられたアショカ大王でさえ、平和の指導者へと変わることができた。自己を変革することができた。
 つまり“アショカ”は、一人ひとりの心の中にいる。だれもが自分を変えることができる――そうガンジーは見たのです」
 「ガンジーは、『征服王』が『平和の使者』に変わったことは、仏教の教えの偉大な勝利であると言っています。
 アショカ大王の偉大さは、彼が仏教の教えのなかに、変革、啓発、能力の強化のための、合理的で倫理的な原理を見いだしたことにあります」

 一、アショカ大王が自らの過ちを悔い、改心するうえで、彼の甥(おい)ニグローダに大きな影響を受けたという伝承がある。
 はつらつと修行に励む若い生命が、王の胸を揺さぶり、暴虐の心に慈悲の光を灯(とも)したというのである。
 ニグローダは、今でいえば、ちょうど青年部か未来部の年代だったであろう。
 正しい信仰に励む「一人」が、どれほど大きな存在であるか。
 真面目に、希望をもって生きる青年の凛々しい姿は、人々にどれほどの感動を広げるものか。
 一、戸田先生は、「一人の青年が命を捨てれば、広宣流布は必ずできる」と断言された。
 戸田先生にお会いしてより、60年。私は、その「一人」となることを深く誓願し、命を賭して戦い抜いてきた。
 今、本門の青年部の諸君に、私は「時代を変えゆく『一人』たれ」と呼びかけたい。
 君たちこそ、「法華経の命を継ぐ人」(御書1169ページ)だからである(大拍手)。

 一、アショカ大王は、自らの信念を現実の政治に反映していった。
 とくに、公共事業の発達は目覚ましかった。
 病院を充実させ、各地に薬草を植えた。暑さを防ぐため、道ばたに井戸を掘り、樹木を植えた。「女性のための奉仕者」という役職も新設。無料の宿泊所を作って、旅行者の便もはかっている。
 インドの歴史上、このように民衆のための公共事業を行ったのは、アショカ大王が初めてだったと考えられている。

 一、インド哲学研究の大家・中村元(はじめ)博士は、アショカ大王の政治姿勢についてまとめておられる。
 「独裁的あるいは専制的傾向は排除され、大官(たいかん)のあいだではつねに会議を開いて事を決した。
 しかし、その会議において論争がおこり、あるいは修正動議が提出されてまとまらなかった場合には、王自身がこれを決裁した」
 合議を重んじ、自らの責任において決断する。名指導者の采配であったようだ。
 大王の法勅には、次のようにある。
 「わたしはみずからその精励(せいれい)に関しても、いまだかつて満足を感じたことがない」
 独善を排して、常に向上、常に前進、常に変革――この大王の姿勢は、すべてのリーダーにとって、重要な手本であろう。
 大王は仏教に基づくダルマ(法)を広めるために、自ら各地に赴いた。また、遠くシリアやエジプト、マケドニアなどにも使節を派遣している。
 しかし、他の宗教を排斥することはなかったようだ。
 「一切の宗派のものが、一切処(=あらゆる場所)において住せんことを希(ねが)う」との寛容の心で、宗教間の平等を重んじたのである。

 一、アショカ大王の法勅には、次の文言(もんごん)が刻まれている。
 「実にわたしがなしたいかなる善いことも、すべて世人(せじん)がすでにこれを遵奉(じゅんぽう)実行し、また今これに随順している」
 この法勅について中村元博士は、「(アショカ大王は)帝王は人民一般の師範となり、世人が彼を模倣するであろうことを要求していたのである。
 そうして、帝王が自ら模範となりうる道徳的実践者であるべきことを、未来のすべての国王に要求している」と論じている。
 あらゆる指導者の条件は、自らが民衆の模範となることだ。そして、自身と同じ、否、それ以上の後継者を育てることだ。

 一、アショカ大王は、大勢の人に分け隔てなく接する姿勢であった。
 ある時、仏教の修行者のだれに対しても差別なく礼拝(らいはい)する大王を、家臣が見咎(とが)めた。
 ――王よ、一切の階級からの出家者に礼拝するのはよくありません――
 大王は答えた。
 ――仏教の修行者たちの間では、生まれの区別は滅び去っているが、徳の区別は滅んではいない――
 すなわち、修行者の尊さは、身分で決まるのではなく、「徳」で決まる。これが大王の確信であった。
 広宣流布においても、まったく同じである。
 役職ではない。社会的な肩書でもない。
 「信心」が、どれだけ強盛であるか。「人格」が、どれだけ誠実であるか。そして、「広宣流布」のために、どれだけ苦労し、汗を流して戦っているか。これが絶対の基準なのである。
 さらに、法勅には刻まれている。
 「どのような時にも、どこにおいても、上奏官(報告する役人)は人民に関することを私に奏聞(そうもん)しなければならない」
 いつ、いかなる時も、民衆の幸福のためには、わが身を惜しまない。これが、真の指導者の一念である。
 あの友は、元気だろうか。病気は治っただろうか。あの青年は、生活は大丈夫だろうか。悩んでいることはないか。ご家族の様子は、どうだろうか――。
 本当の指導者は、同志のことが、片時も心から離れないものである。

 一、法華経の寿量品には、「毎自作是念」〈毎(つね)に自ら是(こ)の念を作(な)す〉とある。
 仏は衆生の成仏のために、常に心を砕いている、という意味である。
 日蓮大聖人は、「日蓮は、生まれた時から今にいたるまで、一日片時も心の休まることはなかった。ただ、この法華経の題目を弘めようと思うばかりであった」と仰せである(御書1558ページ、通解)。
 この御心に、まっすぐにつながって、広宣流布のため、「死身弘法」を貫いてこられたのが、初代・牧口先生であり、2代・戸田先生であられた。3代の私も、まったく同じ「不惜身命」の決心で、60年間、戦い抜いてきた。
 仏法の「慈悲」と「正義」の精神に目覚めて立ち上がったアショカ大王の生涯は、壮大なる「人間革命」の劇であったといえよう。
 大王の人徳と業績は、あらゆるリーダーの模範として、21世紀の指標として、ますます輝いている。
 私たちの「立正安国」の前進も、アショカ大王のような優れた指導者を輩出する「指導者革命」が重要な側面となる。
 今、私は何も欲しいものはない。欲しいのは、ただ「人」である。
 平和、文化、教育、ありとあらゆる分野で、正義と人間愛に燃える指導者よ育て!
 命を注いで民衆を守り、民衆の幸福のために戦い抜く大指導者よ、陸続と育て!
 これが私の祈りである。

 一、日蓮大聖人の仏法は、「立正安国」から出発し、「立正安国」に帰着する。
 60年前、私が戸田先生と初めてお会いした座談会で、先生が講義されていたのも「立正安国論」であった。
 「立正」――正しきを立てて、「安国」――国を安んずる。
 この「国」は、何を指しているのか。
 日寛上人は「安国」の両字について、「文(もん)は唯(ただ)日本及び現世に在(あ)り、意は閻浮(えんぶ)及び未来に通ずべし」と記されている(「安国論愚記」)。
 文の上では、日本および現在を指しているが、その真の意義は全世界、そして未来に通じている、との仰せである。
 創価の「立正安国」の行動は、日本一国にとどまらない。
 私たちの舞台は全世界だ。全人類が、私たちの友人である。
 「世界広宣流布」の雄大なスケールから見れば、島国の毀誉褒貶(きよほうへん)の風など、小さなことだ。
 広宣流布は「末法万年尽未来際」を目指す、長い長い、永遠の戦いなのである。目先の変転などに、一喜一憂する必要はない。
 アショカ大王は、自身の信念を法勅に刻んだ。
 「われわれは人びとの信頼を得なければならない。すべての人は私の子である。私は王子のためと同様に、〔かれらが〕現世と来世の、すべての利益と安楽を得ることを願う」
 創価の精神も同じである。
 3年後の2010年は、「立正安国論」の国主諌暁から満750年の佳節である。
 また、学会創立80周年、私が会長に就任してより50周年となる。
 悠然と前へ向かって、正義と平和の信念の行動を、一段と朗らかに進めてまいりたい。
 アショカ大王のごとき大指導者を育成しながら、威風も堂々と(大拍手)。

 一、今年の夏は、例年にもまして暑い日が続く。これだけ暑さが厳しいと、何の話を聞いても、すぐに忘れてしまうかもしれないが(笑い)、次の勝利のために、広宣流布の未来のために、少々、お話ししておきたい。
 東京牧口記念会館の顕彰室には、初代会長の牧口先生が生前に使っておられた御書が、大切に保管されている。
 牧口先生の御書には、たくさんの書き込みがある。
 有名な「声仏事を為す」(御書708ページ)の一節にも、傍線が引かれていた。この一節のままに言論戦を貫いた、尊いご生涯であられた。
 私たちも大いに「声」を使い、「声」を惜しまず進んでいきたい。
 「声を出すこと」は、健康にもよい影響を与える。
 声を出して話す時、空気の使用量は、ふだんの3〜5倍にもなるそうだ。
 そして、取り込まれた多くの酸素が、体内の細胞呼吸を、より活性化させる。
 活発に声を出し、人々を励ます。手を使い、足を使い、心をくだいて、広布を進める。「仏の仕事」を行う私たちは、自他ともに「生命の健康」を増し、威光勢力をいよいよ増していくのだ。

 一、戸田先生は、昭和28年(1953年)、学会本部が信濃町に移転した折、会長室よりも立派な一室を「牧口先生のための部屋」と定め、そこに、牧口先生のお写真を大切に置かれた。
 戸田先生は言われた。
 「ここには、牧口先生の生命が、おられる」
 「ここで私は、常に牧口先生とご一緒に、指揮をとっているんだよ」
 「『法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し』である。
 学会の創始者であられる牧口先生の精神を、学会本部にとどめ、讃嘆し、宣揚し、敬愛していくのは、当然ではないか。
 広宣流布の団体として発展していくための、基本中の基本である」
 そして戸田先生は厳命なされた。
 「将来、日本は当然のこと、全世界にも多くの会館をつくるであろう。
 その際に、『師とともに』という学会精神を根幹としゆく『恩師記念室』を設(もう)け、創始者である牧口先生を偲(しの)び、顕彰していくべきだ」
 これが、各地の会館に設置されている「恩師記念室」の淵源である。
 「恩師記念室」は、創価三代の師弟の魂魄を留める、学会永遠の記念室である。代々の会長は、この恩師記念室を大切にし、責任をもって厳護することだ。
 特別の会合の時には、恩師記念室に代表が集い、師弟の精神を受け継ぐ信心を厳粛に確認し、勤行をする。「広宣流布」と「死身弘法」を誓い合う、深き魂の儀式の場である。
 あらためて、こうした意義を確認しておきたい。

 一、イギリスの劇作家シェークスピアは綴った。
 「最大の逆境によって、真に精神が試されるのだ」(「コリオレーナス」)
 戦後の混乱期、戸田先生のもとで、襲いかかる苦難を乗り切っていった私の実感も、まさに、そうであった。
 先生は、学会の本格的な復興に取り組んでおられた。敗戦を経て、「いよいよ日本の宿命転換の時だ」という思いであられた。
 私の一生は、戸田先生のため、広宣流布のために捧げてきた。
 陰に陽に、重要な仕事を成し遂げてきた。20代、30代のころから、民衆の城である創価学会を守るために、全身全霊を傾けてきた。私の妻が、すべて知っている。
 フランスの女性作家ジョルジュ・サンドは、「あらゆる中傷は迫害」であり、「あらゆる侮蔑的な言葉は侵害」であると述べている(加藤節子訳『我が生涯の記』水声社)。
 その通りだ。
 哲学者の内村鑑三は、ある女性記者を励まして、手紙を送っている。
 “滅亡に瀕している日本の社会では、何か他人の悪いところはないかとつけねらっており、ささいなことも、すぐに大げさに吹聴(ふいちょう)されます。
 お互いに、このような腐敗極まる社会で生きていくためには、十分な注意が必要です”と。
 もちろん、今とは時代が違う。しかし、日本の「島国根性」は相変わらずであると指摘する声は多い。
 正しいものを正しいと評価できない。優れたものに嫉妬する。そうした心の狭さは、海外から見ると、よくわかる。
 また、焼きもちを焼かれた当人が、どれだけひどい実情か、一番、よくわかっている。
 学会の前進も、一面から見れば、嫉妬との戦いであった。
 私は、大変な時も、苦しい顔など一切、見せなかった。難こそ仏法者の誉れであるからだ。
 あらゆる嵐を乗り越えて、今、学会は立派な広布の基盤ができた。しかし、それに甘えて、幹部が愚かになってはならない。一生懸命戦った人が損をしてしまう。恐ろしいことだ。
 「日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し」(御書1337ページ)と仰せである。
 最高幹部でありながら、口ばかりで、現実に難と戦わない。難と戦う師匠を、さも当たり前のように傍観し、自分は安楽に生きる――そうした人間もいた。これほど卑怯なものはない。
 戸田先生が事実無根の中傷を受けたなら、私は、すべて抗議に行った。
 医者から“30歳までしか生きられない”と言われた体であった。命がけで戦った。裸一貫で、口先でなく、学会のために戦ってきた。わが師と会員に仕えてきた。
 この心がなくなると、師弟を忘れた、情けない学会になってしまう。ゆえに、私は何度も言っておくのである。

 一、『論語』に、政治の要諦に触れた一節がある。
 弟子の子路(しろ)が、政治の道について問う。
 孔子は「之に先んじ之を労す」と答えた。
 ――まずなさねばならぬことを、人民に先立ってせよ。そして人民を愛情を以(もっ)ていたわれ。これが政治の根本だ――こういう意味である(吉田賢抗著、明治書院)。
 ポルトガルの大詩人カモンイスは綴った。
 「およそ手にする権力を利用して/人によしなき侮辱を加えるものは/勝者ではない、なぜなら/真の勝利は/正義の実行を知ることだからだ」(小林英夫・池上岑夫・岡村多希子訳『ウズ・ルジアダス』岩波書店)
 権力は、自分のためや強者のためにあるのではない。人のため、弱い立場の人のためにある。この一点に徹してこそ、政治における「正義」は実現する。
 指導者がこの原理を忘れた時、国は滅びる。そうならないために、賢明な庶民の監視が必要なのだ。
 戸田先生は語られた。
 「さまざまな世情に、学会幹部は一喜一憂して紛動されては断じてならない。そんな心弱い、惰弱なことでは、広宣流布の大業(たいぎょう)を遂行することは、決してできない」
 大事なのは、この巌(いわお)の信念である。
 広宣流布の大道は、いささかも世情に左右されない。また、左右されてはならない。

 一、日蓮大聖人は、題目の力用を讃えて、「太陽が東方の空に昇ったならば、南閻浮提(なんえんぶだい=世界)の空は皆、明るくなる。太陽が大光を備えておられるからである」と仰せである(御書883ページ、通解)。
 題目は、無限の力を引き出す。どんな戦いであれ、真剣に題目をあげることだ。
 誰にでも、自分にしか果たせない使命がある。その使命を堂々と果たすための舞台を、御本尊からいただくのである。そして、断固勝つのだ。
 会合等で人が集まったら、幹部は皆を「喜ばす」のが使命である。決して「動かす」のではない。
 また、同志に対して、師弟の心を伝えようとせず、自分本位の意見を押しつけようとする。そんな話は駄目だ。真剣勝負で、人の心を打つ。その努力がなければ、新鮮味もなくなってしまう。
 討議では、頭を使い、知恵を出し尽くさねばならない。そして、決めたことは絶対に守るのだ。それが「信義」である。それを、他人にやらせて自分がやらなくなると、組織は潰(つぶ)れる。
 この点、戸田先生は実に厳しかった。
 その戸田先生に、私は仕え抜いた。先生の苦境を救うために奮闘した。「おれは大作という弟子をもった。それだけで満足だ」――そう言っていただけたことが、私の無上の誇りである。

 一、ノーベル平和賞の受賞者である、ケニアのマータイ博士と語り合った際、博士は仰(おっしゃ)った。
 「これから“何かを変えたい”と思うのであれば、まず“自分自身から”変えなければならない。そして、自分自身が先頭に立って変えなければいけない」
 「行動の人」の一言は重い。私も、博士の言葉に完全に同意する。
 学会の幹部は、心が遊んではいけない。陰日向(かげひなた)があってはいけない。
 だれが見ていなくても、御本尊は厳しく御覧になっている。
 最高幹部は、皆が「あんなに働いてくれて、申し訳ない」と思うくらいに、飛び回って、いろいろな戦いをやるのだ。
 まだまだ暑さが続く。熱中症などにくれぐれも気をつけて、体を頑健にして、戦ってまいりたい(大拍手)。

(2007・8・15)

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2007年08月26日(日) 16:20:44 Modified by hakata_dan




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