07/08/16 各部代表研修会

各部代表研修会でのスピーチ


 一、いよいよ、新しい広布の戦が始まる。
 牧口先生は「われわれは、これからのことを考えて生きていくのだ」と語られていた。
 戦いの急所は何か。その一つが「責任者を明確にする」ことだ。
 そして最高の祈りと最高の作戦である。
 戸田先生は「想定されるあらゆる事態に備えて、的確な対策を立てよ」と教えられた。
 勝利を呼び込む風がなければ、新しい風を起こすのだ。
 何より、皆をほめ讃えることである。同志がほっとして前進していけるよう、名指揮をお願いしたい。
 さらに、皆への話は、スカッとして明快でなければならない。くどい話は、だめだ。格好をつけた、偉ぶった話は、最低である。
 皆の胸に、自分の命が入るように、魂が響くように語るのだ。
 皆が「そうだ!」「やるぞ!」と奮い立つ。心と心が合致して、すっきりと戦える。そこに勝利への第一歩がある。

 一、8月になると、思い出す。
 恩師・戸田先生の事業が行き詰まり、最大の苦境に陥ったのが、暑い8月であった。
 昭和25年(1950年)のことである。
 先生は、学会の財政的基盤のために事業に取り組まれた。しかし、前年の政府の緊縮財政が不況を呼び、窮地に追い込まれていく。
 戸田先生の信用組合に、大蔵省から業務停止命令が出されたのが、8月22日であった。
 この日、22歳の私は、日記に記した。
 「私は再び、次の建設に、先生と共に進む。唯(ただ)これだけだ。前へ、前へ、永遠に前へ」
 8月24日。戸田先生は創価学会の理事長を辞任される。
 この秋から昭和26年の初頭が、最も厳しい絶体絶命の時期であった。
 多くの社員が去っていった。私は一人、先生をお護りし抜いた。
 耐えに耐え、時をつくった。一切を打開するために、駆け回った。
 どれほどの苦闘であったか。言語に絶する。
 そのなかで、ひたすらに題目を唱え抜いた。
 御義口伝には「一念に億劫の辛労を尽(つく)せば本来無作の三身念念に起るなり所謂(いわゆる)南無妙法蓮華経は精進行なり」(御書790ページ)と仰せである。
 私の思いは、何としても戸田先生に会長になっていただきたい――ただそれだけであった。
 そして翌26年の3月11日、組合員の総意により信用組合が解散。思いもよらなかった希望の活路が開かれたのである。
 この日、戸田先生は学会の総会に出席された。
 私は日記に記した。
 「吾れは泣く。吾れは嬉し。先生の師子吼に」
 晴れわたる5月3日、戸田先生は、ついに第2代会長に就任された。

 一、私の胸には、戸田先生の烈々たる叫びが響いてくる。
 「民衆のため――この一点を忘れれば、必ず慢心となり、堕落する。そういう人間を絶対に許してはならない」
 指導者は民衆のためにいる。この思想を確立しなければ、愚かな歴史が繰り返されるだけだ。
 私も語り合った、シンガポールのナザン大統領が述べておられる。
 「人生で最も尊敬する人は、母です。母から学んだことは民衆の強さです。
 そして社会の指導者は、民衆の苦しみが分かる人でなければなりません。なぜなら、社会の力、国家の原動力は民衆です。この点を見失ってはならないのです。
 民衆に同苦し、常に民衆の味方として、民衆の幸福に尽していくリーダーこそが大切なのです。
 これが国家を、永遠に繁栄に導いていく最大の秘訣です。民衆の力を信じきることです」
 庶民のため、不幸な人のため、名もない人のため――そのために、指導者はいる。一心不乱に人々に尽くすことだ。
 私と対談集を発刊した欧州統合の父、クーデンホーフ・カレルギー伯爵は記している。
 「国家は人間の為(た)めに存在するが、人間は国家の為(た)めに存在するのではない」「人間は目的であって、手段ではない。国家は手段であって、目的ではない。国家の価値は、正確にその人類に対する効能の如何に関する。即ちその人間の発達に貢献することが大なれば大なるほど善であるが――その人間の発達を妨碍(ぼうがい)するに至れば、直ちに悪となる」(鳩山一郎訳『自由と人生』鹿島研究所出版会)
 国家主義の悪に対しては、厳しく声をあげていかねばならない。
 戸田先生も愛読された作家に、山本周五郎氏がいる。
 庶民を愛した氏は「政治は必らず庶民を使役し、庶民から奪い、庶民に服従を強要する。いかなる時代、いかなる国、いかなる人物によっても、政治はつねにそういったものである」(『山彦乙女』朝日新聞社、現代表記に改めた)と警告した。
 民主主義の世の中で、これほど、おかしなことはない。この転倒(てんどう)を、根本的に正していくのが、私たちの戦いである。

 一、創価の前進は、国家主義から人間主義へ、大いなる潮流を各界に巻き起こしていく。
 戸田先生が、「学会の革命は、広さは随一である。あらゆる部門にわたり、全民衆から盛り上がる力である」と言われた通りである。
 新しき広宣流布の歴史を開くには、まずリーダーが動くことだ。
 戸田先生は、こう振り返っておられた。
 「牧口先生は、寒くとも暑くとも、毎日、折伏にお出かけになる。どんな裏町までも、どんな家庭までも、折伏の陣頭に立って進んで行かれる」
 青年は、この先師のごとくに行動すべきだ。
 戸田先生は叫ばれた。
 「本陣のリーダーは、会員に尽くす先兵である。全責任をもって、広宣流布の人材と組織を護り、発展させゆく使命の人である。賢明で、力ある、模範の存在として選ばれた、広宣流布の闘士なのである」
 気迫みなぎる素晴らしい言葉である。
 さらに先生は「闘争の体験を生かし、より以上の信力・行力を奮い起こせ。仏力・法力は必ずこれに応えてくださる」と訴えられた。
 大闘争が人格を磨く。王者の風格をもつのだ。
 本当の誠実と責任感が響きわたるリーダーであってもらいたい。
 あの人に会えば、力が出る。話を聞けば、元気になる。そう言われる、力あるリーダーになっていただきたい。

 一、さらに戸田先生の指導を紹介したい。
 「果たすべきことが重大であればあるほど、気ままな選択は許されない」
 「予想もしない大きな難にも遭遇するであろう。そのときこそ固い団結で、乗り越え、乗り越えて進まなければならない」
 「変毒為薬と口では簡単にいうが、よほどの信心と勇気と誠実がなければできないことだ」「本当の戦いはこれからだと立ち上がり、敢然と突き進もうではないか」
 我らは凡夫だ。いかなる戦いも、真剣でなければ、勝てるわけがない。
 勝利への先陣を切るのは青年部である。
 恩師の言葉を後継の若き友に贈りたい。
 「今日の人のそしり、笑い、眼中になし。最後の目的を達せんのみ。ただ信仰の力に生きんと心掛けんのみ」
 「どんな人間が立ちはだかろうと、青年は勇気で戦っていくことだ。攻撃精神でいくことだ」
 戦う心を失えば、もはや青年とはいえない。
 きら星のごとき指導者群へと、自らを鍛え上げていただきたい。
 戸田先生は「観心本尊抄」を拝され、こう述べられた。
「さらにさらに広宣流布の仏意仏勅のままに日夜闘争する宿運(=宿命)を深く感じて、感謝と感激を新たにすべきである」
 感謝の心を忘れてはならない。創価学会員となって、最高の仏法を教わり、それを広めていける。子孫末代まで仏になる道を開くことができる――それが、どれほど素晴らしいことか。

 一、戸田先生もお好きだったフランスの常勝将軍ナポレオン。
 「前進しようではないか」。彼は呼びかけた。「我々にはまだ行かなければならない道」があるのだと(井上一馬編著『後世に伝える言葉』小学館)。
 我らの道は、「正義の道」「幸福の道」「平和の道」である。
 牧口先生が「善人の団結ほど、強いものはなし!」と言われたように、この道を「心を一つ」に進みたい。
 そして、徹して同志を大切にすることだ。
 ドイツの哲学者ライプニッツは言う。
 「慈悲心のないところに信仰心はない。親切心も情け深さもなくして誠実な信仰心などあろうはずがない」(佐々木能章訳『ライプニッツ著作集6』工作舎)
 慈悲こそ信仰者の魂である。

 一、戸田先生は、尊き婦人部を、それはそれは大切にされた。
 新たな出発に際し、先生の婦人部への指針を、皆さまに贈りたい。
 「信心をすれば、苦しい時期が短くなり、苦しみ自体が、だんだんと浅くなる。そして、最後にぷつりと苦しみが断ち切れる。そのために、うんと、広宣流布のために戦って幸せになりなさい」
 深い慈愛にあふれた言葉である。
 また先生は、蓮の花を通して指導された。
 「泥沼が深ければ深いほど、大きな美しい花が咲く。人間もそうだよ。苦労が多ければ多いほど、幸福の大きな美しい花が咲くのだ」
 学会活動をやり抜くなかに、本当の女性の美と幸福が生まれる。
 また、「若草物語」で有名な女性の作家オルコットは綴っている。
 「美しくて善良な生活の生きたお手本を与えてくれる友をもったということはしあわせなことだった、それはことばにつくせないほど雄弁で力のあるものである」(吉田勝江訳『昔気質一少女 下』角川書店)
 よき友、よき同志は、かけがえのない人生の宝である。
 「広布の同志を仏のごとく敬え! この姿勢がリーダーにあれば、世界広布は自然のうちに進んでいく」――この恩師の言葉を胸に刻みたい。
 今この時に歴史をつくれる。その深き喜びを胸に、壮大なる勝利の栄冠を晴れ晴れとつかんでいただきたい(大拍手)。

 一、まだまだ暑い日が続く。
 インドの詩聖タゴールは綴った。
 「ひたむきに急ぐそよ風のように、生命と若さをもって世界のなかに飛び出していきたい」(森本素世子訳「ベンガル瞥見」、『タゴール著作集11巻』所収、第三文明社)
 風は止まらない。
 風は動き続ける。
 広布に生きる我々は、あるときは爽やかにそよぐ涼風のように、あるときは鮮やかな旋風のように、生き生きと、人々の心に希望を広げてまいりたい(大拍手)。

 一、ロシアは、偉大な文学者を数多く生んだ大地である。なかでも私が愛読したのが、トルストイだ。創価大学の記念講堂には、トルストイのブロンズ像がそびえている。
 『戦争と平和』は、昨年、新しい翻訳が発刊された(岩波文庫、全6巻)。トルストイ人気は衰えない。
 この訳業を成し遂げられたのは、創価大学名誉教授の藤沼貴(たかし)博士である。藤沼博士は、日本トルストイ協会の会長も務めてこられた。
 創価大学は、立派な先生方に集っていただき、学生を薫陶していただいている。創立者として、これほどうれしいことはない。
 トルストイは、「あなたに起こる全ての出来事は、真実の精神的な幸福へとあなたを導くものであることを知り、信じよ」と訴えた。
 精神の巨人トルストイのごとく、すべてを自身の糧としていく原動力こそ、我々の信心である。
 ロシアの文豪ショーロホフ氏との出会いについては、これまでも何度か語ってきた。ロシアのロシュコフ前大使、ベールィ大使など、多くの方々とも、氏の文学の魅力について語り合ってきた。
 氏は私に言われた。
 「運命とは何か? 大事なのは、その人の信念です」
 ショーロホフ氏が代表作の一つ『人間の運命』を発表されたのは、1956年(昭和31年)。
 この年、私は大阪の天地に立っていた。

 一、昭和31年の大阪の戦いは、「“まさか”が実現」と日本中を驚かせた。勝てるはずがないといわれた関西が勝ったのである。そして、負けるはずのない東京が敗北した。
 決戦の日の朝、5時ごろ。関西本部の電話が鳴った。受話器を取ると、それは東京の戸田先生からの電話であった。
 「大作、起きていたのか」
 先生は、驚かれたご様子であった。
 「関西はどうだい?」
 「こちらは勝ちます!」
 私は、即座に答えた。戸田先生は、「東京はダメだよ」と、残念そうに言われた。
 当時、私が負けることを望み、苦しむことを望む、嫉妬の人間もいた。
 しかし、東京が負け、関西が勝った。あのとき、私が負けていたら、戸田先生は敗北の将となっていた。関西での勝利によって初めて、創価学会という名が通ったのである。
 当時の関西本部は、小さい建物だったが、まるで広宣流布の軍艦のように、勢いよく揺れていた。

 一、広布の戦いは、観念ではない。計算でもない。
 努力、また努力だ。
 「絶対に勝つ」という祈りだ。
 真剣な祈りは、必然的に、行動を伴う。行動しない祈りは遊びである。
 ここを間違えては、絶対にならない。「動く」のだ。「ぶつかる」のだ。だから大阪は勝ったのである。
 あの戦いに、全部、要約されている。
 容量や計算ではない。真剣勝負で、だれが見ようが見まいが、人の何百倍、何千倍も戦う決心で動くのだ。

 一、翌年の4月、再び大阪で、参院選の補欠選挙があった。
 東京の幹部が、戸田先生に進言して、急に支援が決まった。
 私も、関西の同志も、疲れ切っていた。
 しかも、東京から応援に来た幹部の何人かは、遊び半分だった。そのために歩調が乱れた。皆の心が合わなくなた。戸田先生は、無責任な幹部を厳しく叱られた。
 私が負けた戦いは、この、ただ一度である。
 この時の悔しさを忘れずに、関西は、私とともに、常勝の歴史をつくりあげてきた。
 私は、その後、幾千万の友と、日蓮大聖人の仏法を根本に、平和・文化・教育の大波を世界に広げてきた。
 今でも私は、あの日々を、ともどもに大阪で戦い抜いたすべての方々に、題目を送っている。

 一、傲(おご)る心は、人を腐らせる。この、傲慢と戦う心について、御書と箴言(しんげん)を通して学びたい。
 若き日の愛読書であった『プルターク英雄伝』には、数多くの人生訓がちりばめられている。そのなかに、アレキサンダー大王を描いた、次の一節がある。
 「アレクサンドロスは自分で鍛錬したばかりでなく他の人々にも勇気を養うための激しい練習をさせるに当たって危険を冒した。
 しかし友人たちは富と尊大のためにその頃は既に遊惰(ゆうだ)で閑(ひま)な生活を欲していたから、彷徨や行軍を億劫がり、そのうち次第に大王を誹謗し悪口を言うようにさえなった」(河野与一訳、岩波文庫。現代表記に改めた)

(2007・8・16)

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2007年08月27日(月) 00:12:57 Modified by hakata_dan




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