七夕を私が一歩深く詠む切っ掛けになったのは貴女のこの句のお陰でした。
彦星に逢うためならば織姫は雨も旱(ひでり)も嵐さえ、少しも厭わない。
貴女も素敵な方との出逢いのためなら、波乱なんか苦にしないでしょうね。
そしてそれは私にしても同じ…人生最高の御褒美は「真実の愛」ですもの。

詩の心に宇宙をも収める広さを感じます。

仕合わせは傍から干渉されずに暮すことにあるのでしょうか?

互いの幸せを願って「仕え合う」ことに仕合わせはあると思うのです。

織女の幸せは牛飼いの幸せ、牛飼いの幸せは織女の幸せ。

仲好し夫婦を世界中の人々が祝福するのが七夕でしょうね。


(読み方:たなばたやかみぬれしままひとにあう))



**新・七夕

七夕の伝説は中国から奈良時代に伝わってきました。
七夕伝説は中国で儒教の影響をつよく受けています。
ここでは儒教色を排して「新・七夕」として編集します。


新・七夕は豊かな水が流れる美しくて広い大地を舞台にしたお話です。

川には清浄な水が滔々と流れて、周りには肥沃な土地が広がります。

その川の西の岸辺には働き者の織女がいつでも機を織っていました。

彼女は絹糸や鳥の羽毛などを美しく織り上げる機織りの名手でした。

その織物は天人たちのお召し物として、とっても喜ばれていました。

当時、織女のお父さまは天帝として世を治めていらっしゃいました。

天帝は年頃の織姫にお似合いのお婿さんを見つけて差しあげました。

その男の人は川の東の岸辺で牛飼いをしている真面目な牧夫でした。

織姫と牧夫はたちまちお互いの誠実さに強く惹かれて愛し合います。

こうして二人はいつまでも仲良く平和に正直に暮らし始めるのです。

ただ、人も生き物ですし、亡くなる運命はどうしようも有りません。

天帝は、仲良く・正直に・誠実に生きた二人に永遠の命を与えます。

だけど、人間の夫婦は永遠にいっしょに暮らすことは許されません。

天帝は星空に天の川を浮かべて、東西の岸に二人を住まわせました。

天帝のこの粋な計らいによって、いつでも二人はお互いを偲べます。

そして二人が願うなら、一年ごとに再会を果すことが出来るのです。

心底から愛しあう二人にとって再会の一日は人の一生にも匹敵する。

雨降る七夕の日のような一生でも二人は元気に乗り越えるでしょう。

旱(ひでり)の七夕が一生続いたとしても、二人に悔いはないと思う。

苦難だらけの一生も、何も起きない退屈な一生も、二人は幸せです。

天帝の娘でありながら一介の織女としての一生を送った織姫でした。

貧しい牛飼いを夫として幸せを手に入れた可愛い織姫がいたのです。

そんな織姫から離れられずに天に輝いている牽牛星(彦星)なんです。

天の川が流れているかぎり、織姫と牧夫の夫婦愛は今に続いている。


・銀河をば胎に収める多佳子の句
・七夕や多佳子が席は七曜に  於多福姉

特異な才能と類稀なる努力と夫・豊次郎の理解で花開いた俳句です。
『七曜』とは太陽・月・火星・水星・木星・金星・土星です。
私たちの地球の一番近くにあって、互いに影響を強く及ぼしあう。
詩集『七曜』が興されて二年、橋本多佳子はその主宰に着いた。

彼女は地球の仲間に17文字のメッセージを発信し続けたのです。

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