(読み方:さびしければあめふるふきにひをむくる)

家族とともに多佳子が7月から11月の期間を過した野尻湖畔でこの句は詠まれています。

この旅は如何なる意味があったのか…この年、多佳子は第1句集「海燕」を刊行していた。

句集『海燕』の題名は、多佳子が信頼する夫と最後の旅を過ごした上海の風景からとった。

霧で停船した船にたくさんの海燕(つばめ)が羽を休めていて、多佳子もその一羽でしょう。

夫・豊次郎にいつも支えられて何の気兼ねも心配もなしに飛び回ってこられた多佳子でした。

霧が晴れて燕は飛び立ち・飛び去る。それは多佳子も同じでした。順調に旅立った筈でした。

思えば何もかも夫の作った世界。無心に「楽園」に遊ぶイヴのような多佳子に違いなかった。

その多佳子も今は全ての庇護を失くしてしまい、人生の荒波に揉まれる不安感で一杯です。

山口誓子に師事して未だ6年の多佳子なら、己の俳句の先行きを見通せる筈もありません。

頼るべき夫・豊次郎は既に世を去って、多佳子42歳。ノイローゼから心臓疾患にも罹った。

祖父から伝えられた琴「山田流家元」の看板を背負っている意識も時折、目覚めたがります。


寂しくて堪らなく、外は雨がふる。雨が降ってふって晴れる間なくて、湿り勝ちの心です。

田舎家の裏手の山陰の土は湧き水で濡れて乾く間もなく、いつもいつもいつも湿っている。

初夏の暖かな日差しが強まる頃になると、その湿った日陰の土に青々とした蕗が群生する。

その蕗も真夏の7月頃ともなると濃緑に育ちますから、塩漬け用にアク抜きして使えます。

日陰で雨に打たれても尚、健気に生きる蕗に己を重ねて、多佳子は何を想ったでしょうか。

そんな蕗に深い関心を寄せる多佳子なら、悲嘆に引きずられる事なく、強く強く生きよう。



寂しさ・儚さを知る母の、幸せを子に伝えんとする愛(かな)しさ・嬉しさ・有難く思う!

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

編集にはIDが必要です