(読みかた: ゆきのひのよく/みいっしいっしあいし)

この句は多佳子様が詠まれた遺句二つの一つです。
この句について、私の感じたそのままを述べます。
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雪が天から降ってくる…僅かの穢れもない純白・純粋な雪。
幼い頃、人は雪とひとつの心になって無心に戯れたものね。
貴女は降る雪に飛びかかっては、無邪気に走り回ったかも。
雪は貴女を少しも恐れることなく、纏いつき・包みこんだ。
雪は貴女を少しも分けへだてせず、やさしく接してくれた。
雪は貴女の指に停まって、それからゆっくり解けたのだわ。
貴女の裸の趾に停まって、キュッキュッと啼いて解けたわ。

降る雪に、貴女の幼い日の佳い想い出が解け出してきたの?
湯浴みしていた貴女の心に愉しかった想い出が蘇えったの?
愛され愛した、可愛がられ可愛がった、慕われ慕った記憶。
気の毒に思ったり、いとしく感じたり、憐れんでもみたり。
しみじみ心惹かれて、互いを慈しみ合い、仲よく過ごした。
それに、大切な方との二人だけの思い出も大事な記憶よね。
貴女の身体・貴女の手足の指の一つひとつが記憶している。

次から次と走馬灯の絵のように浮かんでくる素敵な想い出。
振り返るに、貴女の生はいろんな愛で埋め尽くされてきた。
みんなに愛されたのは貴女が素敵な心で生きたからだけど…
誰も貴女の心を見えないし、じっさい・誰にも判らなかった。
貴女の想いを世界に届けてくれたのは愛すべき身・指・趾ね!

(通解)
雪の降る日のお風呂で多くの懐かしい想い出が次々と蘇える。
身も指も趾も、素敵な日々をありがとう。心から愛しているよ。


【愛し】を「いとし」「かなし」と読む人がほとんどですが、私は「あいし」と読む。

多佳子氏の想いを酌めば「いとし」「かなし」「うるわし」「いつくし」の読みも分る。

私は、多佳子氏がご自分の永遠の行動を誓った句と理解し「あいし」とした。

即ち、
【愛し】(あいし)愛する人の行動には「いとし」「かなし」「うるわし」「いつくし」の想いが含まれるのです。

(記.2008年8月19日)
{〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜}

(補足)
【愛し】の読み方について、誤解のないように付け加えます。

あなたが多佳子氏を写生なさるお気持でこの句をお読みになるのでしたら、
「いとし」「かなし」あるいは、「うるわし」「いつくし」の読みで好いと思います。
現に多佳子氏の師匠の山口誓子氏は「いとし」と読んでいます。
同じ理由で「かなし」も好いと思うし、「うるわし」「いつくし」も好いと思う。
山口誓子氏は弟子・多佳子氏を心底から「愛おしく」思ったのでしょう。
いっぽう、私が「あいし」と読んだのは、多佳子氏の「直弟子志願者」としてです。

【即ち】
雪の日に湯浴みしている多佳子様。
彼女は希望を以って明日に向きあって生きている。
時に、感傷に浸ることはあっても、現実の行動は積極的です。
身体の隅々までていねいに洗い清めます。
手の指を一本一本ていねいに磨きあげます。
趾(足指・くるぶし)も一つ一つ磨きあげます。
多佳子様は御自分の身体を一生懸命に「愛し」てあげたのです。
どこに出しても恥ずかしくないようにピカピカになるまで愛したのです。
「愛」は、積極的な「愛」の行動が伴わなければ意味がありません。
多佳子様は「愛」の実践者だった。
観念の愛でなく、人や自然や真実を「愛して」生きた一生でした。

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