プリンセス・プラスティック管理用用語集(β版) - 和永戦闘機問題
和永甲乙丙戦問題

 日本およびアジアはロシアとの日本会戦の復興時代、和永時代に入り、カタナなどのSC機関搭載機の陳腐化をさきどりし、3種の戦闘機カテゴリを作ってカタナではできなかった航空任務を分担し、航空作戦の幅を広げることで22世紀国際社会での国連制圧任務への対応を可能にしようという案が策定された。
 それにはカタナが主役となった第2次日露戦争(日本会戦)の後の欧州・西ロシア共和国との対立があり、互いに国連機能の拡張を言いながらその実国連での発言権を錦の御旗にしようという外務省の策定した『外交戦略の大綱』に連携したものでもあった。
 『和永防衛計画の大綱』(和永大綱)でこの3種の戦闘機について、甲戦・乙戦・丙戦の要求仕様が公表された。
  圧倒的機動力で全ての任務に使用可能な戦闘機。調達数は少ないが、国連任務などでの遠征にも対応可能な柔軟な任務能力を持ち、高度な低発見性を発揮して堅固に防御された高価値目標への確実な打撃を行いうること。
  甲戦とは別に、機動力に置いては確保可能な段階とし、無人機の母機として航空制圧をおこない、なおかつ搭載能力を拡大し、単独大圏往還と戦術戦闘哨戒を主任務とし、哨戒機でありながら戦闘機としての戦闘能力を持つこと。
  甲戦・乙戦の任務対象である高価値目標以外の目標を攻撃することを主任務とする。
  高度な汎用性をもち、甲戦・乙戦を補完するFS任務を行うこと。
  軽量化・調達コストの低減をはかり、なおかつアジア共同体の汎用任務機として広く展開させること。
 
 
 この和永大綱の策定によって、まずはじめに開発が始まったのが丙戦であった。
 甲戦・乙戦は技術的な野心があるため、確実にカタナの後継機として効力を維持する戦闘機の開発が急がれたのである。
 そこで丙戦は並列復座とタンデム復座の2案を検討しつつ、概念研究としての難易度の低さにより、はやばやと試作、先行量産型の進空に向かった。
 
 しかし、全てが狂ったのが量子工学の進歩である。
 甲戦・乙戦の開発は量子工学を取り入れた最新鋭機とするはずが、甲戦については当時極秘であったが連合艦隊のBN−X計画と統合され、戦闘機よりも小さな戦艦として予算面で統合が財務委員会から命令され、甲戦の開発は技術研究本部の中の第1研究所からBN−X開発委員会へと移管され、秘密のベールの向こうへと消えることになった。
 乙戦についても、丙戦に乙戦の大気圏再突入防護用に開発された量子工学の結果のピクセルユニットシールドを使用することで空力的制限が緩和されることが判明し、丙戦に従来の戦闘機の概念を超える搭載能力を付与することが可能になった。
 つまり、甲戦は秘密兵器、丙戦は簡易型のはずが予想以上の能力の獲得によって主力となり、乙戦の優先順位が下がりすぎてしまったのだ。
 そこで乙戦の調達数を大幅に減らすこととなり、乙戦を艦上運用する重空中空母も4隻が2隻に削減されてしまった。
 しかも、そのあとで秘密扱いの甲戦・BN−Xが話題になる中、乙戦は『粛々と進める』という程度に開発現場の士気低下を招いてしまい、いくつかのトラブルによってさらに計画が遅延した。
 しかし乙戦の起死回生の策が、その搭載力を応用してビジネスSSTOとして民生型を開発する計画が浮かんだ。
 高度戦闘機を民生化する計画は荒唐無稽と考える向きもあったが、しかし乙戦計画での技術的な蓄積は確実に宇宙航空交通の進化をもたらし、その結果『シルフストリーム』としての民生型と、その拡大版としてのV−999などへの技術移転を実現し、宇宙と地球がさらに近づくこととなった。
 そして、秘密扱いの甲戦が進空し、対抗戦で圧倒的な戦闘力から戦術戦闘機の開発とされていた和永大綱の枠を超えていることが実証され、和永大綱は見直しをせまられることになった。
 ちなみにその甲戦、BN−Xこそ、シファ級である。