◆小説二巻第一章「扉をこじあけて」

「どれどれ、なんです?」
「十文字に『鋼』の一字………」
「えーと、待ってください。むむ、これはまさか。いえ、そんなはずは………」
「や、やっぱりこれはぁぁぁ!」
「この真鍮の重み、全体的にわざと処理を甘くしたエッジ、厚く大きい十文字にわざと歪ませたゴシック体の『鋼』の一字、この年期の入りよう、
 全ての特徴があります!」
「こ、これは鋼鉄番長さんの鋼鉄バッチですよ! 本物ですよ!」
「知らないんですか?
 かつて全国高校の頂点に立つ真の番長となるべく魔法番長、ピストル番長と熱き戦いを繰り広げ、
 破滅的な最終決戦を止めるために劇的な最期を遂げた伝説の番長さんです!
 鋼鉄番長・荒木三郎太さんですよ!」
「実在の人物です! 四十年以上前、まだ学生達が熱かった時代の人達ですよ!」
「これは三十年前の初版なんですけど、二週間ほど前増補改訂版が出て再読しましたから鋼鉄バッチのこともすぐわかったんです!
 ほら、見てください!」
「鋼鉄番長さんは当時珍しく、百九十センチに達する身長に百キロ以上の体重をしていたといいます。
 この鋼鉄番長さんがトレードマークとして作って胸につけたのが鋼鉄バッチです。
 まさか本物が見られるなんて、ああ、かっこいいですよねー」
「ありますよ。鋼鉄バッチは鋼鉄番長さんの分身みたいなものですからね。
 今でも熱い青春時代の思い出に欲しがる人が多くて、市場があるんですよ」
「何しろ鋼鉄番長世代は六十歳過ぎで、お金をたっぷり持ってるんです。
 ついでに歳をとると昔のことばかり大事にしますから出費を惜しんだりしませんよ。
 同じトレードマークとして有名なピストル番長の六連発リボルバー『ハヤブサ』や魔法番長の『鷹の杖』より高値になるのは必至ですね」
「鋼鉄番長さんの死後、どこに行ったかはっきりしてなかったものですよ、どうやって手に入れたんです?」
「バッチ見つめてなに考え込んでるんです?」
「隠し事ですか? 私に話せないこずるい悪事でも働いて手に入れたんですか?」
「あ、ノックもなしにいきなりなんですか!」
「えーと、私の記憶が確かなら、あなたは三年の牧野千景さんですね?」
「それは規定の料金を支払ってもらえるならやりますけど、ノックくらいしてください」
「新聞部の重要な部活です。
 私の持ってるデータを使って、人探しから物探し、気になる人の素行調査、資料収集といったことをやってるんです。
 これでお客さんが多いんですよ。
 たまに弱味を握って脅迫してくれって依頼もありますけど、犯罪はしてませんよ?」
「じゃあ先に人探しの方を。どなたをお探しです?
 名前でも身体的な特徴でも、わかってるだけのことを教えてください。ちょっとしたデータでも検索できますから」
「それは変な人ですね」
「リジー・ボーデンさんってどなたか知ってます?」
「せ、せめて顔や体の特徴を教えてもらえませんか?」
「あのー、それはお探しの人がまさにこの人だからじゃないですか?」
「こんなかわいい娘つかまえて根性曲がりとはなんですか」
「残念なことに事実ですから。正義はなかなか理解されませんねー」
「ですね。捨て値でさばいても三ヶ月くらい遊んで暮らせますよ。
 私に任せてもらえればもっと高値でさばいてみせます。ひとつどうです、鳴海さん? 稼ぎは山分けで」
「な、鳴海さん! もう刺激しちゃダメですって!」
「わ、ち、血が出てますよ! ばんそうこう、絆創膏!」
「いったい真夜中に牛乳片手に何してたんです?
 もしや『お嬢さん、僕のミルクを飲まないかい』、とか趣味の悪いナンパをしてたんじゃないでしょうね?」
「はい、おしまいです。で、ホントのところどうなんです?」
「はー、それはお優しいことですね」
「私が忙しいのわかってて、どうしてお弁当を食べようとしますか!」
「せめて『手伝ってあげようか、おしゃまなひよのちゃん』くらい言えないんですか!」
「依頼人は牧野千景さんです。休み時間にいきなり教室に来られて頼まれたんですよ、びっくりしました。
 ほら昨日、人探しと調べ物を頼みたいって言ってましたよね、その調べ物の方です。
 断ろうかと思ったんですけど、ふっかけた依頼料を払うって言われたものですからもったいなくて。お金ってこわいです」
「鋼鉄番長さんの死に関する情報をできるかぎり集めてくれって」
「千景さん、今さらながら鋼鉄番長さんを殺した犯人見つけようとしてるんですって。これって無茶なんですけどねー」
「いいえ、公式には自殺として処理されています。
 男らしい立派な動機もありますし、自筆と鑑定された遺書もありますし、遺書から鋼鉄番長さんの指紋も出てます。
 現場の状況にも解剖結果にも殺人を匂わす要素はありません」
「でも鋼鉄番長さんの自殺はタイミング、遺書の内容とも誰にとっても都合が良すぎるものだったんです。
 鋼鉄番長さんにそういう形で自殺してもらいたがってた人間が少なくとも三人はいましたからね、自殺を偽装した殺人と考えられないわけじゃありません。
 当時から鋼鉄番長謀殺説は割と根強くあって、机にある類の本でいろいろ検証されています。それも十年以上前の本ですけど」
「今ネットで関連情報を検索して、ついでに警察の捜査資料を掘り出せないか挑戦中です。
 ここ二、三年の事件ならすぐ揃えられるんですけど、四十五年も前の自殺事件となると難しくて………」
「全然おいしそうに聞こえませんよ」
「双璧は当時鋼鉄番長さんと熾烈な勢力争いを繰り広げた二大番長ですね。宿敵ともいえる関係でしたから死んでほしかったのは当然です。
 ひとりは小酒井商業高校三年、ピストル番長こと相沢竜馬さん。
 もうひとりは一番ヶ瀬高校三年、魔法番長こと京谷淑子さん」
「鋼鉄番長さんの生前はその右腕として活躍し、死後は実質的に全国高校番長の指導者となって星影番長と呼ばれた左右田工業高校二年、稲葉弘志さんです。
 この人は鋼鉄番長さんの親友なんですけど、結果的に漁夫の利を得た感じなんで容疑者にされてるんです」
「鳴海さん、今番長さん達を小バカにした感想を抱きましたね?」
「その昔、独自の称号を名乗った番長さん達を甘く見ちゃいけません。今と違って番長時代の高校生はめっぽう熱かったんです」
「まぁ聞いてください。
 当時、魔法、ピストル、鋼鉄の三番長は全国規模の勢力争いを繰り広げ、それぞれひと声で配下一万以上の学生を動かせたといいます。
 これだけの学生が衝突すれば関ヶ原の合戦なんか目じゃない戦いになったでしょう。
 そして実際、四十五年前にこの三者による総力をあげた天下分け目の決戦が起ころうとしていたんです」
「もしその決戦が現実のものとなっていれば多数の死傷者を出しただけでなく、
 その狂乱にあおられて全国の高校生が一種の躁状態に陥り、各地で暴動が起こることも十分予想されました。
 最終的な死傷者数、総被害額はきっと悪夢的な数字になったでしょう。
 あまりに大きな戦いだけに、誰も勝者と言えないほどの犠牲を強いられたかもしれません。
 警察も日々高まる緊張感に警戒を強めながら止める手だてが浮かばず、決戦の時は迫りくるだけでした」
「そんな時に鋼鉄番長さんは戦いのむなしさに気づき、敵対する二人の番長さんに遺書を送って自らの命を絶ったんです。
 そもそも決戦の原因は鋼鉄番長さんの抜きんでた力にあったので、その死によって戦う意味が消失したんです。
 こうして全国をパニックに陥れると思われた満身創痍の大決戦は回避され、全国高校の平和が保たれました。
 身を挺して大地の平穏を守る、男らしい選択です。これぞ多くの学生の命を預かる番長の死に様です。
 だからこそ伝説の番長として同時代の人達から永遠の尊敬を持たれてるんです!」
「いいですか、パニックを恐れた国家権力が鋼鉄番長さんを暗殺したって噂もあるんですよ!
 鋼鉄番長さんの死にはそれくらい大きな意味があったんです!」
「フィクションじゃありません。この『番長の王国』にも詳しい経緯が書いてあります」
「『番長の王国』をバカにしないで下さい。
 日本の番長時代を熱く描きつつ、その時代的、風俗的、社会的な意味にさえ踏み込んだノンフィクションの傑作です!
 菅村軍平先生は鋼鉄番長さんと同世代の人で、今は国立大の社会学教授ですよ、信用たっぷりです!」
「それを理解してもらうには抜刀番長・永森新吾さんにより恐怖統治時代を説明しなければいけないんです!」
「実在の人物なんですから仕方ないじゃありませんか!」
「そこまでは教えてくれませんでした。ただあの人、鋼鉄番長さんにかなり詳しいですよ。
 依頼の時にどれくらい本気なのか探りを入れたんですけど、抜刀番長登場から鋼鉄番長さんの自殺まで、時代をちゃんと把握してました。
 相当『番長の王国』を読み込んでます」
「鳴海さん、千景さんに関わるつもりですか? よくない予感がしますよ?」
「鳴海さんこそ、こんなこといつもは面倒だって逃げ回るじゃないですか。千景さんにかぎって積極的ですね、あやしいですね」
「別に鳴海さんが何をしようと私は構いませんけどねー」
「でも鋼鉄番長さんの事件はけっこう難題ですよ?」
「もし殺人とするなら、密室殺人になります」
「死体は鋼鉄番長さんが一時の住まいとしていた小屋で発見されたんですけど、
 二枚ある窓は両方ともねじ込み式の錠がかかっていた上に、その錠も錆びついてほとんど動かない状態でした。
 警察が現場検証で錠を外したんですけど、何年も触れた形跡がなかったそうです。
 それどころか小屋が粗末で窓枠が歪んじゃったせいか、窓そのものがスライドしなかったそうですよ」
「出入り口は引き戸で、錠や掛け金、かんぬきといったものはなかったんですけど、内側からつっかい棒をはめて閉じていました。
 つっかい棒は敷居より少し長めのもので、斜めにがっちりはめこまないと戸が動いてしまいますから、遠隔操作でこれを戸にはめるのは無理です」
「青酸カリによる中毒死です」
「遺書があるんです。自殺の前にポストに投函されたと思われ、ピストル番長さんと魔法番長さんに郵送された二通の遺書が。
 宛名、宛先、本文の筆跡は鋼鉄番長さんのものと判断されています。
 筆跡の偽造はそれほど難しくありませんし、参考にできる文書もあったので大きな障害になりませんけど、
 遺書には鋼鉄番長さんの指紋が自然について、本分の最後に拇印まで押されています」
「もちろん鋼鉄番長さんが生きている間に遺書に使う封筒や便箋に指紋をうまくつけさせ、さらに拇印も押させたって可能性も考えられはしますけど」
2006年06月25日(日) 23:09:51 Modified by hiyono_serifu




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