作家・堀辰雄についての資料室

1916年 大正5年 12歳

1917年 大正6年 13歳
3月 牛島小学校を卒業。
4月 東京府立第3中学校(現 両国高校)に入学。新小梅の自宅より通学。
中学時代の好きな学課は数学。蘆花・藤村・鏡花などを少々読む。近所の国文学者
内海弘蔵の家族と親しむ。

1918年 大正7年 14歳

1919年 大正8年 15歳

1920年 大正9年 16歳

1921年 大正10年 17歳
4月 中学4年終了のまま、第一高等学校理科乙類(独語)に入学。入寮後、神西清を
知り、終生相親しんだ。同期には小林秀雄・深田久弥・笠原健治郎等がいた。この頃から
ツルケーネフ・ハウプトマン・シュニツレルをはじめ、漸次フランス象徴派の詩人の作品に親し
みはじめ、ショウペンハウエルやニイチェ等の哲学書も読んだ。
8月 千葉県君津郡竹岡村(現 天羽町)に滞在中の内海弘蔵の一家のもとで過ごす。
11月 神西清の雑誌「蒼穹」に『清く寂しく』を発表。

1922年 大正11年 18歳

1923年 大正12年 19歳
1月 萩原朔太郎の詩集「青猫」が出版され、寮の二階寝室で耽読する。
3月 鎌倉へ行く。
5月 三中校長広瀬雄に伴われて田端の室生犀星を初めて訪れる。
7月 詩「仏蘭西人形」を「橄欖の森」第3号に発表。
8月 室生犀星に連れられて初めて軽井沢に10日ほど滞在。
9月 関東大震災、隅田川に避難したが、母が水死(50歳)。
葛飾の四ツ木村に父と仮寓。
10月 罹災後金沢にひきあげる室生犀星によって芥川龍之介を紹介される。
−冬 肋膜炎のため休学。

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