作家・堀辰雄についての資料室

1936年 昭和11年 32歳
1月 『聖家族』80部限定版を野田書房より刊行。
3月 萩原朔太郎と一緒に版画荘に赴き「青猫」を貰う。
随筆集「狐の手套」を野田書房より刊行。
5月 「更級日記など」(のち「問に答へて」)を「文芸懇話会」に発表。
6月 「緑葉歌」を「セルパン」に発表。
「ヴェランダにて」を「新潮」に発表。
アポリネール翻訳集「アムステルダムの水夫」を山本書店より刊行。
7月 信濃追分に滞在。野村英夫と知り合う。
8月 リルケ「鎮魂歌」、モーリヤック「蝮のからみ合い」、レンブラント画集に親しむ。
9月 堀野隆、鈴木信太郎との共訳「贋救世主アンフィオン」(アポリネール)を野田書房より刊行。
「風立ちぬ」12月頃まで執筆。
10月 「聖家族」を野田書房より刊行。
11月 「冬」を執筆。
12月 追分で冬を越す。
「風立ちぬ」(「序曲」「風立ちぬ」)を「改造」に発表。
「山中雑記」(のち「山の宿にて」「鎮魂曲」)を「文芸懇話会」に発表。
暮に2,3日上京。

1937年 昭和12年 33歳
1月 野村英夫と空気銃を持って雪の森の中を歩く。
立原道造が訪れる。
「冬」を「文芸春秋」に発表。
「雉子日記」を「都新聞」(25−27日)に発表。
2月 「ミュゾオの館」(のち「続雉子日記」)を「帝国大学新聞」に発表。
3月 「クロオデルの『能』」を「文芸復興」に発表。
−春 日本の古い美しさに向けはじめ、王朝文学に親しんだ。
4月 「婚約」を「新女苑」に発表。
6月 はじめて京都へ旅。百万辺の竜見院の一室で一ヶ月ほど暮らす。
「春日遅々」を「文芸」に発表。・・・ホフマンスタールの「文集」を読んで書く。
短編集「風立ちぬ」を新潮社より刊行。
7月 帰京後、信濃追分へ。
加藤多恵と知り合う。
モオリアックの日記を読む。
8月 「雉子日記」を野田書房より刊行。
三好達治、田中克巳たちが遊ぶに来る。
9月 新しい仕事のために「蜻蛉日記」を選ぶ。
「郭公」(のち「閑古鳥」)を「新女苑」に発表。
「夏の手紙」を「新潮」に発表。
10月 「牧歌」を「書窓」に発表。
11月 小谷恒に案内され国学院大学で折口信夫の講義を聴く。
川端康成の家で一泊、次の日、追分の油屋焼失。ノオトなどを失う。
幸福の谷の上にある川端康成の別荘に移る。
12月 クロオデル「マリアへのお告げ」、タクジス公爵夫人「リルケの思い出」を読む。
「死のかげの谷」を脱稿。
「かげろふの日記」を「改造」に発表。

1938年 昭和13年 34歳
1月 帰京。
「山茶花など」(のち「閑古鳥」と併せ「生者と死者」)を「新女苑」に発表。
2月 鎌倉で喀血、鎌倉額田保養院に入院。
3月 「死のかげの谷」を「新潮」に発表。「風立ちぬ」完結。
退院。
4月 室生犀星夫妻の媒酌で加藤多恵子と結婚。
「風立ちぬ」を野田書房より刊行。
5月 軽井沢愛宕山の水源池近くに新居。
父松吉が脳溢血で倒れ、一ヶ月ほど向島へ行く。
6月 片山広子が訪ねる。
−夏 折口信夫が軽井沢に滞在。
8月 カロッサの「幼年時代」を読み、「幼年時代」を「むらさき」に発表。
「山村雑記」(のち「七つの手紙」)を「新潮」に発表。
10月 川端康成が来る。
「山日記」を「文学界」に発表。
ユウジュウニイ・ド・ゲランの日記を夫人と訳しはじめるが、「文体」に半年掲載して中絶。
逗子桜山切通坂下の山下三郎の別荘にしばらく滞在。
12月 父松吉危篤のため向島に帰るが死去。

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