入不二基義 - 2015年の身辺雑記(メモ)
◎ 2015年12月27日(日) 「今年最後の練習」
・ skレスリングの朝練習(8:30〜10:30、担当:今泉コーチ)に参加。
・ 何とか年内に、靱帯損傷のケガから復帰はできたけれども、年に2回もケガをしてしまって4ヶ月以上もブランクがあったので、今年は練習不足は否めない。
・ その練習不足を取り戻そうとして(試合までの1ヶ月に)練習しすぎると、ケガの箇所を悪化させて出場できなくなりそうで、加減が難しい。さらにこれに、減量の難しさも加わる。
・ 技術練習でのレクチャーでの、両足タックルに入るとき、(足よりも)頭で脇をくぐることへ意識を向けるという点や、片足タックルに入るとき、切ることのできない(居着く)足のタイミングを読むという指摘が興味深かった。
・ タックルでテイクダウンした状態からスタートする寝技の攻防練習のときに、このあいだの天皇杯での試合を観て気づいた或る技の入り方を試してみたら、うまく行ってフォールまで持って行けた。
・ 最後のスパーでは、相手に片足を取られたあと、耐えてテイクダウンを取られる前に逆転して、バックに回ることができたのが、今年最後の「収穫」。写真の3枚目は、ちょうどそのシーン。
・ 2枚目は、そのスパー中の、互いに離れて距離を取った一シーン。



【2015年12月27日記】

◎ 2015年12月25日(金) 「Kindle版」
・ 入不二 基義著 シリーズ・哲学のエッセンス『ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか 』(NHK出版)も、Kindle版が出ました(http://www.amazon.co.jp/ebook/dp/B019MG22HG/)。
・ 『相対主義の極北』(筑摩書房)のKindle版は、「http://www.amazon.co.jp/ebook/dp/B014FI1A9C/」に、
・ 『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』(講談社)のKindle版は、「http://www.amazon.co.jp/ebook/dp/B0142O1DYG/」に、あります。
・ そのうちに、『時間と絶対と相対と』(勁草書房)のKindle版も出るだろうと思います。
【2015年12月26日記】

◎ 2015年12月20日(日) 「朝練習」
・ skレスリングの朝練習(8:30〜10:30、担当:藪井コーチ)に参加。
・ 準備運動・アップ・柔軟のあと、ローリングの防御の確認とかけ合いからスタート。
・ 技術練習は、アンクル(の前回の続き)とがぶりからの振りがテーマ。
・ 今回は、アンクルへの防御として、相手が膝を体の下に畳み込んでくる場合(正座式と片胡座式)に対しての「変形アンクル」を2種類。
・ 畳み込んだ相手の足首を摑んで、足首どうしの交差なしにそのまま回転する。足が片胡座的に「く」の字に折り畳まれている場合には、四の字アンクルのようにして回転。
・ さらに、アンクルへの防御として、相手が腰を上げて後ろに下がってくるタイプを2種類。どちらもローリングで対処。足首が極まったままローリングするタイプは、けっこう危険。
・ がぶった状態から、フェイントも使いながら、(ソフトボールの投球の動作のような腕の振りによって)相手の頭を振って背けさせて、自分は相手の横へとつく攻撃法の練習。
・ そのあと、がぶりの攻防ドリルをへて、スパーへ。スパーは、「2分+20秒」で、最後の20秒はジャンケンで攻守(1点負けている側・勝っている側)を決めて、1点を取る/守り切るというルールの「クリスマス・バージョン」。私は、最後の20秒で、がぶって崩してフォールに持ち込めた。
・ スパー後の補強では、背筋運動をする姿勢のまま(肘と膝はマットにつけない)円になって、重りを左右に回していく運動。肩周りが痛くなる。動画参照(https://www.youtube.com/watch?v=Cm2OsSwzyTI)。私(青いTシャツ)も左横にちょこっと映っています。

【2015年12月20日記】

◎ 2015年12月18日(金)「忘年会」
・ 渋谷にて、足裏影の会メンバーの6人で恒例の忘年会。
・ 私の熊野旅行の話から始まり、一次会・二次会をまたいで話題になった哲学に関わる「性差」や、私の小学校時代の親友や高校時代の家庭環境の話、そしてネット上の「感情問題」等々まで。
・ 執筆を始めた「レスリング本」に絡んで、「なぜ哲学者がレスリングを?」と問うのではなくて、「なぜ元々プロレス好きの子どもが、(そっち系統へ進まずに)哲学の方向へ進んだのか?」と問うべきではないか、だから今の「老楽のレスリング」は文字通り「取り戻し」「回帰」ではないか、という意見あり。
・ それに関連する形で、小学校時代の私の「古層」を掘り起こすような話になり、ピタゴラス愛好・水木しげるへの耽溺・心霊・そして親友の宗教(信仰)などが話題に。
・ (二次会では話さなかったが)小学校時代の心霊的なものへの関わりはかなり深くて、心霊研究団体・菊花会を主催する故・小田秀人氏と(小学生にもかかわらず!)手紙のやり取りもあって、会のお手伝いをしないかというお誘いまで受けたことがあった。
・ 故・小田秀人氏との交流については、2013年8月3日(土)の「身辺雑記(メモ)」を参照。
【2015年12月19日記】

◎ 2015年12月18日(金) 「練習と本」
・ 日曜日に復帰2回目のskでのレスリング練習に参加し、火曜日にはBJJの練習にも2ヶ月ぶりに復帰(というか、またゼロからの再スタート)。昨日木曜日には、大学レスリング部の練習も復帰2回目の参加。
・ BJJと大学の練習で、再びあちこち痛い状態になる。動き方が違う格闘技なので、痛め方も違う感じ。

・ 本日発行の「週間読書人」の2015年回顧の「哲学」では、貫成人さん(専修大学教授・哲学専攻)が、拙著にも触れてくれている。

採り上げられている本は、以下のとおり。
・ 戸田山和久『科学的実在論を擁護する』(名古屋大学出版会)
・ 金森修『科学思想史の哲学』(岩波書店)
・ 美馬達哉『生を治める術としての近代医療─フーコー『監獄の誕生』を読み直す』(現代書館)
・ 森田真生『数学する身体』(新潮社)
・ 三上真司『レリギオ:<宗教>の起源と変容』(春風社)
・ 竹内誠一『やまと言葉で<日本>を思想する』(春秋社)
・ 檜垣立哉『日本哲学原論序説:拡散する京都学派』(人文書院)
・ 入不二基義『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』(講談社)
・ 國分功一郎『近代政治哲学:自然・主権・行政』(ちくま新書)
・ 納富信留『プラトンとの哲学─対話篇をよむ』(岩波新書)
・ P・トラヴニー、斎藤元紀『ハイデガー哲学は反ユダヤ主義か─「黒ノート」をめぐる討議』(水声社)

・ 評者の貫成人さんをはじめ、戸田山さん、三上さん、檜垣さん、納富さんとは、一緒の時期に東大の哲学研究室で過ごしました。
【2015年12月18日記】

◎ 2015年12月13日(日)「skにも復帰」
・ skアカデミーのレスリング練習(朝8:30~10:30 担当:藪井コーチ)にも本日復帰。
・ 総勢15名以上の参加者。新会員さんたちが増えていて、雰囲気も変わってきた感じあり。
・ ジョグやダッシュや柔軟運動のあと、アップを兼ねてのローリングのかけ合いから始めて身体を温めて、アンクルの基本と防御3種へ対応した取り方を3種類練習。
・ タックル(ダブルとハイクラッチ)へのディフェンスとして、しっかり腰を出して潰しながら切る練習。
・ 技術練習としては、2-on-1への相手の防御2種類に対応したカウンター攻撃を2種類。
・ 相手が肘をとって防御してきた場合の(首投げへの移行ではない)投げ方が、なかなか斬新。
・ 首投げへ移行すると2-on-1を解いてしまうことになりリスクもあるが、この投げ方は2-on-1状態を維持したまま投げられる点が長所。この技では、両腕が畳み込まれたまま投げられることになり、受け身が取れないので、お互いおっかなびっくり(ソフトに)試し合う。
・ この技は、UWWのコーチ・クリニックにて、藪井コーチがアゼルバイジャンのグレコ・コーチから直伝されたものだそうだ。
・ 最後のスパーも吉川さんと2本だけやって、テーピングで固めた右膝もなんとか悪くならずに無事終了。


【2015年12月13日記】

◎ 2015年12月11日(金)「ようやく復帰」
・ 大学レスリング部の練習(18:00〜20:00)に参加して、2ヶ月ぶりの復帰を果たす。
・ 今年は、2度もケガ(肘と膝の靱帯損傷)をしてしまって、実質半年分しか練習ができてい
ない。
・ 1ヶ月後に試合(全日本マスターズレスリング選手権試合)があるけれども、これから練習と減量もして、出られる所まで持って行けるかどうか・・・、微妙なところ。
・ エントリーだけはしておいて、これから1ヶ月頑張ってみるしかない。
・ 昨日の練習前に、同種のケガをしている学生チャンピオンの廣瀬さんに、テーピングの仕方を習いながら巻いてもらう。保護器具を付けていたときと似た感覚。
・ ジョグやダッシュ、マット運動やイラン体操、その後の打ち込みまではふつうに一緒にやる。
・ 16本のスパーのうち、金井君に頼んで打ち込みとスパーの中間くらいの程度でお願いして、4本だけ入る。
・ グラウンドは、ローリングとローリング以外を5本ずつ、その後は松田コーチのレクチャーのあと、アンクルの技術練習。
・ 翌日(今日)は、久しぶりに頸から背中にかけての裏側が筋肉痛。この箇所が酷使されるのは、レスリングならではのもの。
【2015年12月12日記】

◎ 2015年12月11日(金) 「週刊読書人・2015年の収穫」
・ 『週刊読書人』12月11日号の特集「2015年の収穫」で、堀千晶さん(仏文学者)が、拙著を採り上げてくれています。
・ 堀さんによる拙著へのコメント部分:
「アジア、南米、ヨーロッパの三冊を。入不二基義『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』(講談社)は、国木田独歩やディドロをとば口としつつ、議論を丁寧に腑分けし、精緻に積み重ねてゆく過程がそのまま、「運命論」を主人公とする冒険譚になっている、希有な魅力の哲学=小説。(・・・)」
・ ちなみに、堀さんが挙げているあと二冊は、エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ『食人の形而上学 ポスト構造主義的人類学への道』(洛北出版)とサンドロ・メッザードラ『逃走の権利 移民、シティズンシップ、グローバル化』(人文書院)です。

【2015年12月11日記】

◎ 2015年11月30日(月)〜12月2日(水) 「熊野旅行」
※ 休暇を利用して、夫婦で2泊3日の熊野旅行。
※ 一日目:新宮駅→熊野本宮大社(画像1・画像2)→大斎原(おおゆのはら=熊野本宮旧社地 画像3)→湯ノ峰温泉(画像4)/旅館あづまや(画像5)/つぼ湯(画像6・7)
※ 二日目:湯ノ峰温泉→新宮駅→熊野速玉大社(画像8・9)→紀伊勝浦駅→大門坂(画像10)〜熊野古道(画像11・12)〜那智大社(画像13・14・15・16)→那智山青岸渡寺→三重塔(画像17)→廃寺(画像18)→那智の滝(画像19)→紀伊勝浦駅→観光桟橋→ホテル中の島(画像20)
※ 三日目: 紀の松島巡り(画像21・22)→勝浦港周辺散策:まぐろの無人販売・ひと皿200円で食す(画像23・24・25)→新宮→神倉神社(画像26)→香梅堂で「鈴焼」→仲氷店でかき氷(画像27)→レスリング仲間の亀井さんと列車時刻までお茶(画像28)/亀井さんから、お土産に「めはり寿司」を頂く(画像29・30)。

※一日目
・ 熊野本宮大社の階段(画像1)

・ 本宮大社内の八咫烏(やたがらす)黒ポスト(画像2)

・ 大斎原の大鳥居(画像3)

・ 湯ノ峰温泉(画像4)

・ 旅館あづまや(画像5・出典:http://www.kumano-travel.com/img/contents/76_main....

・ つぼ湯・外(画像6)

・ つぼ湯・内(画像7・出典:http://www.panoramio.com/photo/104481866

※二日目
・ 熊野速玉大社(画像8)

・ 熊野速玉大社境内の樹齢千年のナギ(画像9)

・ 大門坂入り口(画像10)

・ 夫婦杉・樹齢800年(画像11)

・ 熊野古道(画像12)

・ 那智大社(画像13)

・ 熊野牛王神符(くまのごおうしんぷ)3種:熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社が揃った。カラス文字で書かれている。(画像14)

・ 「胎内くぐり」入り口(ご神木のクスノキの根元の「空洞」を、願い事と名前を書いた護摩木を手にしながらくぐり、向こう側へ出て護摩木を納める)(画像15)

・「胎内くぐり」木の内部 (画像16)

・ 那智山青岸渡寺・三重塔(画像17)

・ 那智山瀧見寺=廃寺(コンクリートの建物の屋上にある中国寺院風?の3棟の伽藍)(画像18)

・ 那智の滝(画像19)

動画(https://www.facebook.com/motoyoshi.irifuji/videos/...
・ 島の上に建つホテル中の島(画像20・ホテル内の案内より撮影)

・ 紀の松島巡り・くじら号(画像21)

・ 紀の松島巡り(画像22)

・ 勝浦港周辺(画像23)

・ 勝浦港周辺:まぐろの無人販売・ひと皿200円で食す(画像24・25)


・ 那智海岸(画像26)

・ 神倉神社(画像27)

・ 仲氷店(画像28)

・ レスリング仲間の亀井さん(新宮在住)とお茶 (画像29)

・ 亀井さんから、お土産に「めはり寿司」を頂く(画像30・31)



【2015年12月3日記】

2015年11月28日(土) 「吹越満」
・ 山内ケンジ監督・脚本の「友だちのパパが好き」(http://tomodachinopapa.com)を永山まで観に行く。
・ 「未だかつてないややこしさで送る、純粋でヘンタイな恋愛映画」 
・ ダメさとかっこよさの入り混じる吹越満は、主人公・霜崎恭介に最適役。彼の魅力が満喫できた。
・ 主人公の娘(妙子)は、友人の吉川マヤが自分の父親を「きょうすけさん」と呼ぶのを気持ち悪がっていたが、そういえば私も、息子の中学時代の或る同級生・女子から「もとよしさん」と呼ばれていたのであった。



【2015年11月28日記】

◎ 2015年11月23日(月・祝) 「散歩」
・ 散歩の途中に立派なイチョウの木。


・ このあと、日が落ちて薄暗くなる。
・ 通りがかりの公園で、小学生の子でもたちが野球(フライ取り)をやっていて、彼らは難なくフライを捕球しているが、57歳の私には暗くてもうボールの軌跡を追うことができない。
・ 私もあの子らの年頃には、たしかに暗くなるまで野球をしていて、ボールが見えないと感じたことはなかった。老眼だけではない目の衰えが、こういうところにも現れている。
【2015年11月23日記】

◎ 2015年11月22日(日) 「ワークショップ」
・ 日本科学哲学会第48回大会(首都大学東京)、ワークショップ「哲学的時間論と物理学における時間について」:オーガナイザ・提題者:森田邦久(九州大学)、提題者:小山虎(大阪大学)、青山拓央(山口大学)、平井靖史(福岡大学)を聴きに南大沢へ。
・ 各人の発表タイトル:
小山虎「分析哲学における時間論」/青山拓央「随伴現象と随伴現在 ─今が今だとなぜ分かるのか」/森田邦久「量子力学の解釈と時間論の立場」/平井靖史「因果・時間・同時性」
・ 青山さんへの質問で、因果的関係ではなくとも知識は成り立つのでは(ex.数学的対象)とか、「たまたま」ではなくて「それしかない」のではという質問があった辺りが、(わたし的には)面白くなりそうだったところ。
・ 終了後、提題者たちを含め10人ほどで、「東京ミートレア」内で食事。
・ ワークショップは、ぶっつけ本番ではなく「リハーサル」を一ヶ月前に森田さんの研究室でしたという話を聴いてビックリ。
・ 著作物で知っているだけだった(また拙著の書評を書いてくれたこともある)佐金武さん(京都大学)とも初めてお会いした。平井靖史さんの所属は福岡大学なので、学長の衛藤卓也は私の従兄弟なんですよと伝える。
【2015年11月22日記】

◎ 2015年11月21日(土) 「Podcastの公開」
・ 9月22日に、紀伊國屋本店で行われたトークイベント【文化系トークラジオLife】「“最強の運命論”の運命」(出演:佐々木敦、入不二基義、斎藤哲也、海猫沢めろん )がPodcastで公開されました。
・ 「http://www.tbsradio.jp/life/20150922/」で、MP3をダウンロードできます(Part1・Part2・Part3・Part4)。

2015年9月22日に紀伊國屋書店新宿本店で開かれたイベント
「"最強の運命論"の運命」の録音をPodcast配信します。
そもそも「運命」とは何なのか。「運命」は受け入れるものなのか、それとも切り開くものなのか――。
7月に新著『あるようにあり、なるようになる――運命論の運命』を上梓した哲学者の入不二基義さんと、『未知との遭遇』で「最強の運命論」を言挙げした佐々木敦さんの二人を中心に、2時間たっぷりと運命論トークを繰り広げました。はたして、「最強の運命論」の運命はいかに!?

・ 本日は、午後〜夕方「個別研究室訪問」なので研究室にいます。
【2015年11月21日記】

◎ 2015年11月15日(日) 「誕生日会」
・ 久しぶりに、拡大家族(義母・私と妻・長男夫妻・次男カップル・三男)で集まって、三男の就職内定のお祝いも兼ねて、私の57歳の誕生日会。
・ 「幽霊的な私」。誕生日ケーキのプレートには、書名「あるようにあり、なるようになる♥」も。

・ 各人の子どもの頃の「あだ名」を披露し合う。その中で、「・・・っち」の語尾起源や「かも」と「アヒル」の関係などにも話が及ぶ。
・ 語源に関しても関係に関しても、長男の妻が(他の者がそうかなぁ?と疑うなか)自説を述べ、それが正解。二本とも奪われる。
・ 夕食後、私と息子たち3人は、(一般的な水準を超えてさらに)奥まで踏み込んだやり取りができる友だち関係について、その感触や条件などを実体験を交えて語りつつ、「人間論談義」をしていた。私たち4人はいちおう男友達を念頭に話しをしていたが、女性陣から入るひとこで、男女関係の場面へも話が移行していく。
・ 息子三人が口裏を合わせたかのように一致して語っていたのが、転校を繰り返す中で身につけざるを得なかったという「俯瞰的な観察眼と対応力」。それは好きで身につけたものではないし、その力能を活用することは疲労へも繋がると彼らは語るが、その力能の発揮からやって来る快楽も知っている模様。
・ 私は息子たちに対して、その種の力能の発揮によって得られた知見を、先述の「奥まで踏み込んだやり取りができる友だち」と交換し合うと、互いのその力能は磨かれていくし、持てる力能の発揮それ自体が快楽になっていくよ、という話をする。
【2015年11月16日記】

◎ 2015年11月14日(土) 「東京堂書店・三浦さんの出品書目と解説」
・ 担当の三浦亮太さん作成の出品書目と解説も、全ページ(4ページ)画像化しておきます。




【2015年11月14日記】

◎ 2015年11月14日(土) 「東京堂書店・三浦さんのノート」
・ 9月から続いていた拙著『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』(講談社)の特集フェアは、本日で終了。
・ 担当の三浦亮太さんは、「出品書目と解説」の小冊子に加えて、「ノート(『あるようにあり、なるようになる』について)」を作成してくれた。
・ そのノートは12ページに及ぶ力作で、冒頭に提示されるエピグラフ(メガネは顔の一部じゃない/あなたはわたしの全てじゃない/・・・、「相対性理論 さわやか会社員」より)が、ノート最終段落へと見事に受け継がれていて、「非人間的な自由の実在を示すこと」で締め括られる。デカルトやスピノザと絡めて考察してもらっている点は、著者の私にも勉強になる。
・ ご本人の許可をいただいているので、画像でそのノートをここにも残しておきたい。












【2015年11月14日記】

◎ 2015年11月11日(水) 「女の子たち/こんど卒業」
・ 整形外科通いが続き、膝の保護器具はまだ外せない。自宅でできる自重トレーニングは続けているので、特に筋力の低下はないと思う。
・ 本日は、57歳の誕生日。

・ ランチ中の妻とのお喋りの中で、小学生の時のことで思い出したことがあった。
・ 私は、野球をしたり、缶蹴りをしたり、リレーや探検ごっこをしたり・・・というように男の子どうしで遊ぶのとはまた別に、女の子ばかりの集団に入って遊ぶことが、割合よくあった。
・ 同じ団地に住む同学年の女子の家に集まって、数人の女子たちといっしょに「お人形遊び」などに加わっていた。私が持って行ったのは、GIジョー的な関節の動く人形であったが。
・ 思い出すと、けっこう不思議な感じがする。だんだんと、男の子/女の子で分かれて遊ぶようになっていく時期に、そして他の男の子たちからは冷やさされてもおかしくないような中で、一人だけで女の子に混じって遊ぶことを、自ら進んで何の抵抗もなくやっていた。
・ 仲がよさそうに見える二人の女の子のそれぞれから、相手の「悪口」を(私とその子が二人になったときに)聞かされるというポジションのこともあったし、「秘密」を打ち明けられることもあった。
・ しかし、仲間に入れてもらっていると思っていたのは、私のほうだけだったのかもしれない。
・ 或る雪の日、上級生・同級生・下級生の女の子たちが集まって、そこに私も加わって、みんなで「かまくら」を作ったことがあった。
・ 完成後、お菓子を持ち寄って「かまくら」内で過ごすことになったとき、上級生の女の子から「君はダメ」「帰れ」と言われて追い返された。「僕も一緒に作ったのに・・・」と思ったが、寂しく退散したのを覚えている。女の子たちが持つ特有の「いじわるさ」の初体験だった。

・ 写真は、こんど大学を卒業する三男@伊豆の海。これで親業もようやく卒業できる。

【2015年11月11日記】

◎ 2015年11月1日(日) 「東大・哲学会2日目
・ シンポジウム「根拠・言語・存在 ─井上忠の哲学」、提題者:中畑正志(京都大学)・伊佐敷隆弘(日本大学)・納富信留(慶応大学)、司会:神崎繁(専修大学)を聴きに行く。
・ シンポジウム終了後は、本郷三丁目にて、提題者・司会者を含め10名ほどで中華料理店で食事。さらに2次会で11時くらいまで過ごす。1次会・2次会を通じて私は主に、鈴木泉さん・村瀬鋼さん・納富信留さん・古荘真敬さんたち哲学科の後輩たちとお喋り。シンポジウムの内容や「いのちゅう」のこと、さらに東大哲学科に連なる様々な人物評や出来事評、大学院生時代から留学時の話、それぞれが教えている現在の学生のこと・・・など盛りだくさん。
・ 村瀬鋼さんが私に伝えてくれた拙著へのコメントが、「中身(内容)」よりも、「文体」や「書き方」に敏感に反応してくれたことが分かって、とても嬉しかった。「文章もスポーツをするかのように書いてますよね」と言われた。
・ シンポジウムでは、伊佐敷さんの「井上哲学」のまとめ方が明快で風通しが良く、「いのちゅう」を知る世代に好評であるだけでなく、「いのちゅう」を知らない世代の興味を引くものになっていた。
・ 中畑さんの発表は、アリストテレス自身の「トデ・ティ」」と井上の理解する「ある<これ>」・個体指示とのあいだにある決定的な違いを明確にしてくれて、さらに(類種ではない)<種>の役割と個体化や個体の同一性という問題そのものへと誘ってくれた。また、「これ(この何か)」を、本質を述べるのでもなく、また個体指示を終えている(埋まっている)のでもなく、その中間であるかのような不定用法(ダミー)として捉える発想は、他にも応用できそうな気がする。
・ 納富さんの発表は、井上哲学に含まれる原体験への固着を指摘して、ディアレクティケーへの開かれが不十分であったと批判するもの。また、こころの言語への閉塞を脱することを試みて・・・という方向性そのものが端から間違っていると納富氏は述べて、言語(ロゴス)や書くことは、そもそも開かれているということを強調していた。いのちゅう特有のだじゃれ的な表現「出で遭い」には、イデアの複数形のみならず、「出先生との出会い」まで重ねられている?という指摘もあった。
・ 以下、伊佐敷氏の発表に触発されて思い浮かんだことのメモ。
・ いのちゅうの「ω言語」からは、(「こころ」から、のみならず)「個体」という縛りからの脱却まで感じ取れないだろうか。指示される出来事ではない(つまり個体ではない)<こと>のところに「出会いの現実性」を見ようとするわけだし、しかも唯一回性をその<こと>に対して言うのだとすれば、それは、非個別的で完結しようのない全進行そのものの現実性であり、万物流転全体の一回性であって、個々の出来事のそれぞれの一回性ではないということにはならないだろうか。つまり、唯一回性と個体のかけがえのなさは、(発表においては互換的に使われているが)異なるものになっていくのではないか。
・ 「経験の現実性」がキーワードになっていたが、実際には(発表内では)「経験の現在性」に変質しているように思えた。現在性と現実性は同じではない。「(言語の「持続」と対比されて)経験の消滅」が強調されるときにも、現実性が現在性へと置き換えられていることが影響していないか。経験が現在の経験ではなくなるという意味で「消滅」することはあっても、現実のものではなくなる(現実から消え去る)という意味で「消滅」することはありえない。しかも、生々しい現在の経験が過去のものになって生々しくなくなる(非力になる)という対比ができるためにも、すでに言語に特有の「持続性」がそこで働いていないといけないだろう。つまり、ハンドアウトの表における「経験と言語」の対比そのものが言語の圏域内にあって、その対比は一層的ではない。現実性が、経験の現実性というように「経験の」が付されたうえで、さらに経験の「現在性」へと読み換えられてしまうということと、言語と異なる経験の特徴付けが、言語を経由した後なるものにならざるを得ないこととは、双対的であろう。
【2015年11月2日記】

◎ 2015年10月31日(土) 「東大・哲学会1日目
・ 三つの研究発表とワークショップと懇親会に出席。
・ 加地大介さんの研究発表「様相と力能」と、ワークショップ「自由の形而上学─大西克智著『意志と自由』をめぐって─」を聴きながら、<できる>をめぐる形而上学的な問題において両者は通底しているなぁと思う。自分自身の関心事としての「潜在性」「現実性」との連関から言っても、大変勉強になった。
・ 懇親会では、(膝のケガのせいもあって)着席したままのことが多くなり、主に久しぶりに会った加地大介さんや今村健一郎さんとお喋り。
・ 納富信留さんとは、電話で1時間話し続けるエネルギッシュな加藤信朗先生!という話題も。
【2015年11月1日記】

◎ 2015年10月27日(火)「公明新聞書評」
・ 講談社学術図書第一出版部のツイッター(@kodansha_g)で、昨日(10月26日)の公明新聞にて、評論家・宇波彰さんが、拙著『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』の書評─「共感にいたる異色の運命論」─を書いてくれていることを知る。
・ 昨日のものだし公明新聞だと、簡単には読めないかなぁ、図書館に行ってさがすしかないかなぁ、と思いながら呟いたところ、フォロワーの方がさっそく画像を送ってくれた。こんなにすぐに読めるとは!
・ その画像がこちら。

・ また、公明新聞からは著者用に当日の新聞を一部送ってもらえるという連絡も、担当編集者の上田さんから入った。
【2015年10月27日記】

◎ 2015年10月25日(日) 「散歩」
・ 一日中(寝ているときも)靱帯を保護する金具入りの器具を右足につけたまま。
・ それでも、それ以外の動かせる 部位に関しては、毎日自宅で自重トレーニングは続けている。そうしないと、治ったあとの復帰が遅れるので。
・ さすがに走ることはできないが(というか、歩くのにも足を引きずっているが)、その代わりに今日はゆっくりと2時間かけて妻といっしょに散歩。
・ 帰りがけに、松陰神社で幕末維新祭をやっていたので、あんこ入りのそば粉まんじゅうを食しながら、お参りのための列に並ぶ。
【2015年10月26日記】

◎ 2015年10月19日(月) 「好事魔多し」
・ 先日やってしまった三度目の靱帯損傷(箇所は左膝・左肘・右膝と別であるが)について、複数の知人・友人から「好事魔多し」という言葉を使ってお見舞いの弁をいただいた。
・ 或る人は「『ある、なる』の出版とその好評」を好事として捉え、また別の人は「最近の私の体調のよさ」を好事として捉えている。
・ 実は、ケガ当日のスパーリングに視野を限定してみても、「好事」が「魔」を呼び込んでいる。
・ 1本目・2本目のスパーでは、私はいつもより積極的に前へ出て攻めており、相手の学生も私がそこまで積極的に攻めてくるとは思っていなかったのか、後手に回った感があった。
・ 離れてのスピード勝負になるとこっちはかないっこないので、組み合っての勝負に持ち込む。
・  捉まえてボディ・ロックして壁際まで押し込んだり、ボディ・ロックしたまま横に廻りつつ崩し倒したりできて、珍しく私が攻勢だった。
・ こうなると、スパーを壁際で見ている他の学生たちが、(はっきりそうは言わないまでも)「おまえ、なにやられてんの」「入不二先生なんかに攻め込まれて、どうすんの」という感じになる。
・ 私は、さらにいい気になって攻めようとするが、相手の学生もいつまでもやられているわけにはいかなくなり、本気度が高まって、密着してくる私を引き離し投げ飛ばすことになる。
・ この投げ飛ばされたときに、着地した右足の膝を捻って痛みが走り、「いてっ」という声も出てしまう。
・ ここでやめておくべきだったのだろうが、屈伸動作をしてみて大丈夫だったので、最後までそのスパーを続けたし、さらに休んだ後に、女子部員にスパーを申し込まれて受けてしまう。
・ 女子部員との1P目も、これまた私の調子がよくて、がぶって潰してバックへ回ることが成功するし、力で押さえつけるような攻めが有効に働いていた。
・ だからこそ、彼女もまた、これで終わらせるわけにはいかないと(当然)思っただろうし、周りからも発破を掛けられていた。
・ 2P目になると、彼女は攻め方を変えてきて、距離をとって素早くスイープで私の片足を取って後ろへ回る攻撃に出てきた。これで攻勢・守勢が逆転。
・ 2P目は私が疲れてきたせいもあるが、それよりも、痛みが走った右膝が気になって、ここで耐えたりするとまずいと思って、すぐにうつ伏せにならざるを得ず、もう勝負にならない。
・ 後から思えば、このケガ後の2本のスパーは、やめておくべきだったと分かるのだが、その時には(特に1P目では)「けっこうやれるぞ」感があって充実感を覚えていたので、いい気なものである。
・ どちらのスパーでも、いつもより自分が「やれる」という感触があったこと【好事】が、相手のいつも以上の本気度を引き出すことになり、その分いつもより激しくなった攻撃が自分へと「魔」として返ってきたという状況。或る意味での「好事魔多し」が、ここにも成立している。
【2015年10月19日記】

◎ 2015年10月16日(金) 「またもや」
・ 大学レスリング部の練習(18:00〜20:00)に参加。
・ 打ち込み2本のあとの3分スパーのときに、右膝の内側靱帯を痛めてしまう。
・ 投げられるところを踏ん張って耐えた後、倒れるときに捻った模様。
・ 翌日(土曜日)に整形外科へ行きレントゲンと診察。膝が緩んでいるのでギプスか装着器具かということになり、後者を選択。
・ またもや、しばらく練習はお休みしなければならない。

【2015年10月17日記】

◎ 2015年10月15日(木) 「紀伊國屋書店」
・ 新宿で免許更新手続きを済ませて「岸辺の旅」(黒沢清監督)を観たあと、紀伊國屋書店へ寄る。
・ 拙著『ある、なる』は、哲学コーナーとLife堂のコーナーの両方にあった。



【2015年10月15日記】

◎ 2015年10月13日(火) 「北海道新聞 書評」
・ 佐々木敦さん(批評家・早稲田大学教授)が、2015年10月11日(日)の北海道新聞「本の森」の書評で、拙著『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』を採り上げて下さいました。
・ 北海道新聞のウェブサイト「どうしん」のエンタメ>本の森(http://dd.hokkaido-np.co.jp/cont/books/)のページで、読むことができます。

・ 佐々木敦さんは、ツイートで「(・・・)短い文字数でこの瞠目すべき著作の魅力を紹介するのは大変でした」と呟いています。トークイベントに引き続き、どうもありがとうございました。
【2015年10月13日記】

◎ 2015年10月11日(日) 「或る感想」
・ 哲学関係の知人が聞かせてくれた拙著『ある、なる』への感想・コメントが、嬉しく的確なものだと思われたので、(差し支えない範囲で)その一部分である「自由」に関するところを、ここに引用しておきたい。

以下引用

・ 自由論も面白かったです。スピノザやニーチェに対抗して,「自由」や「自由意志」を一生懸命擁護する人たち(自由主義者?)があまり「自由」な感じがしない(どちらかというと「不自由」に映る)のはなぜだろうと思っていたのですが,自由から自由になれていないからなんですね(p.317)。
・ そう言えば,以前から,先生が書かれたものを読んだときの印象は一言で言えば,「自由」でした。なぜこんなに自由にものを考えられるのだろうとずっと思っていましたし,今回もその印象は同じです。先生の著作は,人間は思考によってどこまで自由になれるのかという飽くなき挑戦の賜物だと思います。そのためには,自らの「思考」に対する全幅の信頼が根底にあるはずです。私が信頼をおくことができるのも,自由を声高に論じ立てる人の硬直した思想ではなく,思索している人に実際に自由をもたらしている思索です。
・ それにしても「あるようにあり,なるようになる」って怖ろしい言葉ですね。あまりにも本当のこと過ぎて,到底日常で他人に向かって口にできないというか。アモラルの極致というか。人間の言葉ではないというか。「あーあ言っちゃった」という感じで,でも大好きです。こんなタイトルの本が平気で書店に並んでいること自体,シュールですよね。

引用終わり

・ 特にこの最後の「あるようにあり、なるようになる」という言葉への感じ方は、まさに私が感じで欲しいことがかなり正確に伝わっている気がして、励まされた。
【2015年10月11日記】


◎ 2015年10月11日(日) 「膝より下の脚部への技」
・ skレスリングの朝練習(8:30〜10:30、担当:藪井コーチ)に参加。
・  画像は、練習後の集合写真。正座しているのは俺だけで、何だか浮いているな。

・ アップでは、久しぶりにジャンプ系の運動(相手の足や、亀状態になった相手を左右に飛び越え続ける・・・)をやる。
・  ジャンプ系のアップは、歳をとってくると、とりわけキツい運動の一つだと思う。
・ 本日の技術練習のテーマは、アンクルピックとローシングルと寝技でのアンクル。
・ スタンド状態からのアンクルピックの説明から入って、がぶった相手が立ち上がろうとする所へのカウンターとしてのアンクルピックを繰り返し練習。
・ ローシングルの説明を分解的・段階的にしてもらいながら、その段階ごとに切りながら反復練習をして、最後に総合的に反復練習。
・ 2枚の画像はこのローシングルの練習中のもので、一つが私が受け側でくぐられた後で、もう一つが私がローシングルに入ったところ。


・ 寝技の技術練習でのアンクルでは、相手側が防御の一つとして「膝から下の部分」を上げて交差させにくくした場合の対処法。
・ 自分の身体を横倒しにすることで、 曲げ上げた相手の足を横倒しにして力を奪うと、逆側の手を下から回して交差へと向かうことができる。
・ これらの練習終了後に、打ち込み3本を経て、スパーリングと寝技のスパーリング。
・ 寝技のスパーリングでは、ローリングで回されるが、アンクルで回し返して同点。
【2015年10月11日記】

◎ 2015年10月10日(土) 「拙著タイトルの英訳」
・ 昨日のトークの中で、森岡正博さんから『あるようにあり、なるようになる』の英訳を求められたので、二つの候補を考えてみました。

(1) Everything is as it is, and everything will be as it will be.
(2) Whatever is, is, and whatever will be, will be.

・ (1) は『論考』6.41 の英訳を参考にしており、(2)は「ケセラセラ」の英訳を参考にしています。

・ とりあえず拙著『あるようにあり、なるようになる ─運命論の運命』のタイトルの英訳は、 "Everything is as it is, and everything will be as it will be. --- The fate of fatalism" ということにしておきましょう。
【2015年10月10日記】

◎ 2015年10月9日(金) 「現代哲学ラボ第1回」
・ 9時過ぎまで 早稲田大学戸山キャンパスにて、哲学ラボ第一回のイベント「運命論を哲学する あるようにあり、なるようになるとは?」 。
・  私の講演→森岡正博さんからのコメント→入不二×森岡のトーク→会場からの質問への応答と進んで、時間超過で終了。このところ続いてきた、新著『ある、なる』関連の「巡業」の最後を飾るに相応しい盛況ぶり。
・ 100名近く集まって教室は満席だし、森岡さんとの対談では哲学的に極めて重要な諸点のやり取りができたし、最後の質問コーナーでは私の「個人史」(7歳での出会い)にふれて「動機」を答えたら、会場はわいてこの日一番の盛り上がり。
・ 友人の霜栄さんが、今回も(先日の紀伊國屋のイベントに続き)聴きに来てくれていたので、終了後には高田馬場の「変わったお店(獣の肉系)」で終電まで会食。
・ 帰宅後、3時くらいまで眠れなかったので(興奮気味で)、本日土曜日は午後になってようやく始動可能状態。
・ その紀伊國屋でのイベントを一緒におこなった佐々木敦さんも聴きに来てくれていて、喋りつつ聴衆の中にその姿を発見したときには、気持ちが和んだ。
・ 今回お相手をしていただいた森岡さんのツイート、紀伊國屋のイベントでご一緒したその佐々木さんのツイート、また参加してくれた何人かの方々のツイート(私が見つけられたもの)が、この日の内容や雰囲気などをうまくフォローしてくれていると思ったので、まとめとして利用指させて頂いて、以下に残しておきたい。
・ 私の森岡さんへの今回リプライの内容を含めて、3回の「巡業」で私が答えたり補足した内容は、『ある、なる』への「補遺論文」というような形で文章化して、いずれどこかに掲載しようかなと思っているのですが、いかがでしょう。

以下引用

◎ 森岡正博さん(@Sukuitohananika)のツイートからの引用;
・ 第1回現代哲学ラボ、入不二さんの講演と森岡とのトーク、盛況のうちに終わりました。会場は満杯で100人近く来られてたのでは。容赦しない超ハードな内容で、私も疲れ切りました。濃い内容でとてもよかった。
・ 昨日の第1回現代哲学ラボの入不二さん講演と森岡のトーク、「現代哲学の先端の話題をそのレベルを落とすことなく」という企画趣旨におおむね沿うことができた。抽象的な空中戦だったかもしれないけれど、きっと哲学の営みの片鱗が体感できたのでは。今後も展開していきますのでどうぞよろしく。

◎ 佐々木敦さん(@sasakiatsushi)のツイートからの引用:
・ サンプルの予定をずらして、入不二基義さんの講演at早稲田に居ます。
・ 3階に降りていって現代哲学ラボ「運命論を哲学する − あるようにあり、なるようになるとは?」を拝聴してきた。入不二基義さんの講演と森岡正博さんのコメント、お二人の対談に質疑応答という盛り沢山な内容。先日の紀伊國屋の鼎談にも触れていただいた。その時の議論が、よりクリアに整理された。
・ 僕は『未知との遭遇』で、入不二さんの過去の著作を複数参照し、自分なりの「運命論」を提示した。入不二さんの今度の新著の註で拙著に触れていただいたことがきっかけで、こないだの鼎談が行なわれた。僕が本の中で「最強の運命論」と述べたものに入不二さんが「いやこっちが最強だ!」と述べる内容。
・ 『未知との遭遇』の分類だと「自然的ー全面的運命論」となる「この世の出来事は理由抜きに起こり、なおかつすべてが決まっている」が僕の「最強」だった。これに対して入不二さんは「論理的運命論」を打ち出す。今日の、特に森岡さんとのやりとりで、鼎談後にもやもやしていた疑問の一部が解消された。
・ 僕なりの理解だと、入不二さんの論理的運命論とは、この世のあらゆる物事は、起こるか起こらないかのいずれかであり(排中律)、起こった(起こる)なら「起こらない」はなかったし、起こらなかった(起こらない)なら「起こる」はなかった。どちらも確率(?)は100%。これが「現実」と呼ばれる。
・ それは、というかこれは「ベタな現実」である。今日も仰っていたが、僕も誤解してたのだけど入不二語の「ベタ」はネタとベタのそれではなくて、全面的な、ベタ塗りの、絵画でいうオールオーバー、という意味のベタである。が、これってやっぱりいわゆるベタのことでもいいんじゃないかと改めて思った。
・ 論理的運命論は、いうなれば「現実」=極限的、絶対的なホーリズムなのかなと思った。これは鼎談でも話したが、ここでは可能世界論方向の線がバッサリ切られている。これは入不二語の「無様相」という言い方にも表れている。様相実在論の完全なる否定。現在過去未来の区別さえない、反実仮想の退け。
・ 僕のアタマでは入不二さんがなぜそれほど「現実」を肯定(という言葉はちょっとミスリードだけど)出来るのか、というか僕も結論/主張には大賛成なのだけど、可能世界論との関係がどうなってるのか、よくわからない部分があったのだが、今日の絶対現実と相対現実のの話で、かなり見通しがよくなった。
・ 入不二運命論を理解するには、今日も仰っていたけれど、この運命論自体が入不二さんが語っているのではなく、極限的にホーリスティックであるがゆえにそう呼ぶ必要さえ実はない「現実」が語っているのだ、というかこの世のあらゆる物事が「現実」のベタな状態の一種の表現なのだ、と考える必要がある。
・ だから今日も、汎神論的、とか、神の名、という言葉が出て来た。ここにはいささかも神学的/宗教的な色はない。現実の現実性、という言い方を入不二さんはよく使う。僕もよく使う。これは「現実は現実である」というトートロジーをトートロジーとしてではなく言い表すためのレトリックである。
・ にかくすごく刺激的だった。一点だけ思ったのは、論理的運命論の「論理」のこと。出発点が排中律であることからもわかるように、入不二さんはその運命論/現実論を構築するにあたり論理を圧倒的に重要視している。Aか、でなければ非A。でもAでも非Aでもあるということは考えられないのだろうか?
・ 僕が自分の運命論を「自然的」としたのは、論理ではなく、人間とは完全に無関係にただそう決まっている、というか「そうである」と述べたかったからだ。それは或る意味で既に撮影され現像され編集され完成されたフィルムが上映されているようなものなのだ、ということである。自然とはそういう意味だ。
・ とか思いつつ、ふと足元にあった保坂和志『遠い触覚』のオビを見ると、そこにはこう書いてある。「私がしたのは、私はしなかったからだ」。
・ なぜ「論理」にあれほどまでに強力な権能を与えられるのか。論理こそ「運命=現実」のしもべ、ということだろうか。それともこんな問い自体、レトリカルな物言いを越えるものではないということだろうか。よくわからん。
・ 森岡さんのツッコミは、かくも手強い入不二運命論を、なんとかして「使える」ものとして理解出来ないか、たとえば「倫理」と接続することが可能か、ということをめぐって頑張ってらっしゃるように見えた。この意味で、最後に出て来た「自由」の話題は重要だ。僕も自分なりに考え続けようと思います。

◎ やながーさん(@paradentana)のツイートからの引用:
・ 講演会に向けて『ある、なる』の重要な部分を一気に読み返している。「あるようにある」と「なるようになる」の概念を理解出来れば、あとは流れで内容を理解出来そうですなー。
・ 入不二×森岡の運命論セッション最高過ぎた。詳しい感想は今日の夜か明日の朝に呟きます。
・ 昨日の入不二☓森岡の運命論セッションのメモ書きを見ながら昨日の内容を思い出してる。まず、最初の50分くらいで入不二先生が説明した「ある、なる」の「あるようにあり」「なるようになる」という現実と時間(未来)についての説明の手際が良すぎて感動した。→
・ 「ベタな現実」や「絶対現実と相対現実」の拮抗関係の話、「無としての未来」や”あらかじめ”の不成立を基にした運命論など、森岡先生が「入不二哲学」と呼んでいたような入不二読者からすればお馴染みであり、また、慣れていない人からすれば非常に独特な議論がわかりやすく紹介される。→
・ その次に森岡先生のコメント。森岡先生の疑問点はいくつかあったが、気になったのは「全一性の現実(絶対現実)」は一体、誰の視点なのかという話(人称性の問題)と、入不二哲学はカント哲学の良質な影響を受けているのではないかという話(絶対現実=物自体、的な枠組み)。→
・ この話に入不二先生は別々に答えていたが、ほとんど同様のリプライをしていたように思われた。つまり、「絶対現実」というのは「無内包・無様相」なものなのだから、”誰か”の視点や固定支持された(クリプキ的な)”現実”とはまったく関係ないものであり、その意味でむしろ反・カント的である。→
・ 「絶対現実」や「無としての未来」のような概念が持つ「非(脱)人間性」や「無関係性」は、カント哲学の「人間性」や「相関性」とまったく相容れないものなのではないか、と。その意味で入不二哲学はメイヤスーなどの「思弁的実在論」と親和性が高いのではないか、という話にもなる。→
・ 他にも「< >」というような指示出来ない対象の議論をするのであれば、かならず「一者」という概念に辿り着くし、それはウパニシャッドにおける「アートマン」のような”一である全”的な概念に辿り着く、という話や、「他人生不可能」という概念の話、入不二哲学の源泉にあるラブストーリーなど→
・ 盛りだくさんのトークセッションで本当に本当に楽しかった。最後の方でH.G.フランクファート的な「他行為可能性」に依らない「自由」を擁護するのが「解釈的運命論」だが、来るべき「形而上学的運命論」では「力としての自由」が論じられる、みたいな話をしてて個人的にくっそテンションあがった。

◎ うらしま左近さん(@urashimasakon)のツイートからの引用:
・ 入不二先生と森岡先生の運命論セッションだけど、講義が深まるにつれて私のなかでこれは運命論を追求することが追求者当人を救済することにつながっていくのではないかという直観が強くなっていった。ここら辺の直観を天才のやながーさんにうまくまとめてもらおうとしたけど私の言語力がアレでした。

◎ チベタンモフモフさん( ‏@90kichiii )のツイートからの引用;
・ 入不二先生と森岡先生のトーク、お二人の微妙かつ絶妙な相違を楽しめてよかった!!

◎ Banql さん(‏@_hkgn)のツイートからの引用;
・ 現代哲学ラボ「運命論を哲学する−あるようにあり、なるようになるとは?」 恐れながら、運命について考え始めたきっかけをお尋ねした。難解なあるなる本と苦闘していると、論理的運命論と現実とが地続きなのか不安になり挫けそうになるため(笑)結果、大変素敵なお話が聴けて感激。ありがたや……
・ 森岡正博氏からのリプライ: 今日のハイライトの一つでしたね。
【入不二注:これが、「最後の質問コーナーでは私の「個人史」(7歳での出会い)にふれて「動機」を答えたら・・・」の部分ですね】

◎ 哲学カフェwiki ‏さん(@philo_cafe_wiki)のツイートからの引用;
・ 哲学カフェじゃないけど、第1回現代哲学ラボよかった。入不二さんは存在論じゃなく現実論をやろうとしてるんですねっていう突っ込みがピークだったと思う。二人のパワポが早送りされてもったいない。

◎ CORE さん(‏@kojima2782)のツイートからの引用:
・ 第1回現代哲学ラボでの入不二×森岡トークセッションに行ってみた。入不二氏の新著は結局読了できず終い。久々に生で「入不二ワールド」を体験できたのは良かった。森岡氏のツッコミは、分かるんだけどあと一歩深いところを突いて欲しかったかも。書かれた質問への応答時間が少なかったのは残念。
・ そういえば、森岡氏の「語れていないんじゃないか」とのツッコミに対して入不二氏が、「語れないからこそ語り続けなくてはいけない」と野矢節を炸裂させていたのが印象的だった。

◎ 長島啓介 ‏さん(@Nagas_K)のツイートからの引用;
・ 今晩は現代哲学ラボ「運命論を哲学する − あるようにあり、なるようになるとは?」@戸山33号館 に参加。入不二基義×森岡正博 両先生のトークセッションを拝聴。帰りの電車の中で反芻しながら質問したいことが湧いてくる(^_^;)

◎ Chi cerca trova さん(‏@Chicercatrova5)のツイートからの引用:
・ 現代哲学ラボだん。やはり哲学者同士の対話というのはいろいろ勉強になるなあ。

◎ ぴよこ。うすけねさん( ‏@nagish)のツイートからの引用:
・「第1回現代哲学ラボ:運命論を哲学する‐あるようにあり、なるようになるとは?」 @ 早稲田大学戸山キャンパス に参加しました〜。ちょー濃密な時間を過ごし、知的好奇心が満たされた、というか、良い刺激になった!まだまだ私、考えたいことがたくさんあるっ、って実感。
【2015年10月10日記】

◎ 東京堂書店@神保町( ‏@books_tokyodo)のツイートからの引用:
・ 昨日休日だった人文書担当は、昼、図書館で勉強(カーリーのスピノザ論Behind the Geometrical Method、スピノザの書簡12とライプニッツによる同書簡への書き込み、松田毅さんの論文「二つの個体概念」を読む)。夜、入不二基義さんの講演を聴きに早稲田大学へ。
・ 入不二さんの講演は『ある、なる』にも書かれていない議論の敷衍があり興奮。森岡正博氏の質問への応答も感動的でした。存在論的証明の成功/失敗ではなく、成功/失敗の相即において副詞的につくしかない「現に」が概念化しきらず(内容規定に落ちず)はたらいていることこそが大事(いいぞ!)。
・ 自己関係的に経験される認識と、人称性を持たない現実そのものによる思考(!)を区別し、『ある、なる』は後者の思考によって書かれている、との発言にも興奮(正確な引用ではないけど)。『エチカ』の幾何学的方法もまさに、人称性によらない現実性そのものの思考だ!(スピノザへの言及なかったけど
・ 実は昼間、スピノザの書簡12(無限書簡)やカーリーを読みながら、入不二さんの絶対現実と相対現実をめぐる議論を、スピノザの実体―様態関係で考えられないか。この関係は因果的か、それとも内属的かというスピノザ研究史における論争を、入不二さんの議論から脱構築できないか、と考えていました。
【2015年10月10日追記】

◎ 2015年10月5日(月) 「打ち上げ」
・ 夕刻より「佐賀雑穀」(渋谷)にて、担当編集者の上田さん、デザイナーの古田さんと3人で、新著『ある、なる』(講談社)の打ち上げを行う。
・ このお店は、(選定の偶然で)2008年2月5日に上田さんからの依頼を受けて「運命論の本を書きます」と約束をしたときの会食場所。始めと終わりが一巡した感じ。
・ 上田さんは、古田デザインと私の文章とのコラボが成功したことを何より喜んでくれていて、いつも以上に上機嫌。そのせいか(?)、柔道部の話や「森進一とソクラテス」についての面白い話をたっぷり聴けた。
・ さらに、古田さんと私の「相性がいい」という話になって、古田さんにはいずれまた私の本のデザインを担当して頂くという「私的約束」も成立。
・ 帰り際には、今年50周年になる「佐賀雑穀」の女将さん(?)から、「切火」を切って(火打石で火花を起こして厄除け・お清をして)もらい、「行ってらっしゃいませ」と送り出される。
【2015年10月6日記】

◎ 2015年10月4日(日) 「気づきと感触」
・ skレスリングの朝練習(8:30〜10:30、担当:藪井コーチ)に参加。
・ 準備運動・アップ・柔軟運動のあとは、(いつもの「打ち込み→技術練習→スパーリング」とは違い)技術練習→打ち込み→スパーリングの順序で。
・ 「打ち込み」と「スパーリング」が連続している方が、いったん暖まった身体が(技術練習で)冷えないからいい、という考え方。
・ そういえば、大学での練習の基本的な順序も「打ち込み→スパーリング→技術練習など」であり、打ち込みとスパーリングは連続している。
・ 技術練習では、両足・片足タックルに対するディフェンスがテーマ。
・ 片足を取られて後ろに回り込まれた状況で、相手の上に膝を畳んで座り込み体重をかける防御体勢から、3パターンの切り返し方を練習する。
・ 実際に自分ができるかどうかとは別に、こういう動き方があるんだと知るのはとても興味深く、特に3パターン目の「マトリックス体勢→スパイダーマン体勢→相手の足を上げて取る」という一連の動きを見たときには参加者全員が唸る。
・ しかし私は、もっとずっと手前の基本的なところのレクチャーで、自分がちゃんとできていないことに気づかされて、今後もっと気をつけよう、あるいはその場面があったら試したい、と思いながら聴いていた。
・ その一つは、タックルを切ることだけを気にするあまり、腰を突き出し弓なりになって受け止める動作が疎かになること。
・ もう一つは、「相手の上に膝を畳んで座り込み体重をかける防御体勢」において、折り畳んだ膝頭へ相手から手を回されて、そこから肩で押し込まれて万事休す・・・というシーンが(特に大学生とやるときに)何度もあったことを思い出し、そもそもあの「手」を外して自分の膝を前へ出すべきだったことに思い至ったこと。
・ スパーの中で別の相手に対しての別の場面なのに、こちらの身体に残る感触が、とてもよく似ていたのが印象的だった。
・ それは、相手の一本背負いを腰を落として防ぎ、そこから相手を後ろ向きに投げ飛ばすというシーンと、ツーオンワンから小手投げ気味に相手を横転させるシーンの二つ。
・ 練習終了後に、野村コーチから、懸案だった「三枚刈り」を須藤さんを相手に実演してもらう。予想通りではあるが、もう片方の足も一緒に「刈る」と、もう「返す」というよりは「横にする」だけで相手は仰向けになることが分かった。

【2015年10月5日記】

◎ 2015年10月2日(金) 「練習」
・ このところ新著に関係した「巡業」が続いているせいもあり、運動不足。
・ さらに、左肘の状態が良くなくて、完全に伸ばしたり縮めたりができない。首から右肩・腕にかけては、また良くない症状が出ていて、ブリッジ等ができない。
・ そんな中、大学レスリング部の練習(18:00〜20:00)に参加。
・ うつ伏せに寝て、後ろに手を組んだ状態から、手を離さずに起き上がってダッシュするという動作を、学生達はなんであんなに素早くできるんだろう。
・ 打ち込み2本を猪口君、3分スパー14本のうちの4本を高木君・猪口君、1分スパー12本のうちの4本を佐々木さん・岩崎さんと。
・ 久しぶりにスパーの相手をしてもらった高木君のスピードと圧力に圧倒されて、タジタジ。それと比べたら、1分という時間にも助けられて、女子選手とはいい勝負。
・ スパー後の持ち上げタックル30秒間5本を、藤田君と。
・ 来週の金曜日は、早稲田大学にて講演+森岡正博さんとのトークがあるため、大学レスリング部での練習は一週お休み。
【2015年10月3日記】

◎ 2015年9月30日(水) 「コラム」
・ 本日発売の『Number Do』(文藝春秋) vol.23 the Do Voice Column に、短文ですが、私のレスリング体験の文章が載っています。
・ いずれ、この短文で触れた内容も含めて全面展開して、一冊の本(『哲学者、51歳でレスリングを始める』(仮題、ぷねうま舎)にします。

【2015年9月30日】

◎ 2015年9月29日(火) 「Number Do」
・NumberDo編集部 @NumberDo
明後日30日発売の『Number Do』、アマゾンで表紙&目次が公開です。特集は「ランの未来学」。走り続けるノーベル賞科学者・山中伸弥教授が表紙! http://www.amazon.co.jp/dp/4160083013/  『BORN TO RUN』クリストファー・マクドゥーガルのインタビューなど盛り沢山!

・入不二 基義 @irifuji
この号の小さなコラム欄ですが、私(入不二)もレスリングをやっていることについての短文を書いています。

・NumberDo編集部 @NumberDo
新刊『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』も好評の哲学者・入不二基義さんが『Number Do』に登場です。「the Do VOICE」にて“51歳からのレスリング”についてお書きいただいています。ありがとうございました!

【2015年9月29日記】

◎ 2015年9月27日(日) 「『ある、なる』合評会」
・ cogito研究会にて、荒武さん(東京大学博士課程)の「冥さと超越 ─世阿弥について」の発表のあと、午後3時〜6時の3時間を使って拙著『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』の合評会。
・ 特定質問者のお二人(植村恒一郎さん・壁谷彰慶さん)のレジュメに基づく質問・コメントが1時間半ほど、それに対する私の応答が1時間ほど、そのあと他の出席者の質疑応答。合評会終了後はいつもの中華料理店で夕食会、さらに場所を山の上ホテルに移動して、田島さん・永井さん・塩谷さん・壁谷さんと5人でお茶会。帰りの駅までの道でも、田島さんとのあいだで「内容がないことをのみを内容として、有意な内実を持ってしまうことを失敗とするようなパフォーマンス(行為遂行的な言語使用)」についての議論が続く。
・ 尊敬する同業者諸氏に拙著を高く評価していただき、さらに突っ込んで攻め立てられることは、著者としての至福の時間である。
・ 特定質問者の(合わせるとA4で8ページに及ぶ)質問・コメントが極めて適切かつ有益なものであるため、それに一つ一つ応答することがそのまま、本の「輪郭」をより際立たせることになって、満足感が大きい。
・ 備忘録として、あるいは読者の助けにもなるかもしれないので、私の応答のいくつか(部分)をメモしておきたい【以下長文】。

・ 『ある、なる』の叙述は、「論理」の側から迫って「現実」を導き出すという一方向なのではなく、天下り式に「現実」を導入する(せざるを得ない)という逆方向も使っているし、この両方向性(漸近・接近方式と天下り・独断方式)は「対」で働いていて、両者はギャップが残しつつも一致するはずであることを利用している。
・ 前者の方向性だけで捉えようとすると、「現実」は単なる「領域(一番外側の領域)」のようにも見えて、「力(働き・作用)」という重要な側面を失っているかのような印象を与えてしまうかもしれない。しかし、『ある、なる』における「現実」は、「力(働き・作用)」の側面を強調する意図を持っていて、「現実の現実性」を「巻き込み」「反対物包摂」「反対物浸透」等で特徴づけようとすることに、その意図は現れている。・ さらに、漸近・接近方式においても、「現に働いているが顕わにならない潜在的なものまで含む全体」という仕方で、「力(働き・作用)」としての現実の側面を叙述しようとしたつもりである。しかし、「顕わにならない潜在的なもの」という言い方は、アリストテレスの「可能態」を思い起こさせて、「可能性ー現実性」の枠組みで読まれることになって、「現実」ではなく「可能」なものとして受け取られてしまい、「力(働き・作用)」は「可能」なものからいかにして「現実」が出てくるかという「現実化」「実現」のところにこそ見られるべきでは?・・・ということになっていく。
・ ここは、「註」をつけて、私がアリストテレス的な枠組み(可能態と現実態)を共有していないこと、「潜在」は「可能」と異なることをもっと強調しておいてもよかったところ。
・ 潜在態はそのまま「現実」である。顕わになっていないだけで「現に働いている」ことに変わりはないのだから。顕在的なもの(現前するもの)だけでなく、潜在的なものまで含めて、「現実」である。アリストテレス的な枠組みでは、可能態(質料)に形相が与えられて現実態になることが運動・変化(キネシス)と捉えられるのだろうが、私の場合には、潜在的な現実が顕在的な現実になることはあっても、現実でないものが現実になることなどない。つまり、運動・変化を含めてすべてが現実の内にある。
・ アリストテレスには「純粋現実態(エンテレケイア)」という概念があり、「純粋形相」とも言い換えられる。しかし、私の場合には「純粋現実態」に相当するのは「絶対現実(無内包の現実)」であり、それは「形相」ではなくて、「真空状態」にも喩えられることのできる「力(エネルギー)」に等しい。
・ では、私の枠組みでは「可能性」はどこへ行ってしまうのか?これについては、二段階の応答になる。(1)可能性は言語が開くという意味において「言語以後」的であるが、 (2)いったん開かれた可能性は、潜在態(マイナス内包)にも遡行(回顧)的に適用されることを通して潜在態=可能態ということになる。その意味では「言語以前」的でもある。この(2)まで含んでの「可能性」が成立することによって、「可能態が現実化して現実態となる」かのようなアリストテレス的な表象も生まれる。結局、「可能性」とは、後から生じたのに始めにあるかのように働くことになる「言語的な分節」のこと。
・ 「現に」という現実(性)は「副詞的に(正確には文副詞的に)外的に働く」という点については、”I think that … .””I affirm that … .””It is true that … .””It is actual that … .”などの場合に見られるように、命題内容の外側に残る肯定の機能であって、それはあくまで言語的なものなのであり、論理(言語)の外部ではないのではないか?という疑問が呈された。
・ ここで重要なことは、次の点。そのような「外側の肯定表現」にさえも先だって(ということは、さらにもっと外側で透明に)、「現に」という現実が働いていることである。「思い」や「肯定」等の一般的な成立を一般的に述べていることを超え出て、実際に今思っている、実際に今肯定している・・・という仕方で、「現実」へと実際に巻き込まれねばならない。この現実の働きは、上記のような表記(「肯定する」「現実である」「実際に」等)に落とし込むことができるように見えつつも、けっして落とし込みは完了しない。結局、「副詞的に外的に働く」現実とは、論理(言語)の内部と外部に同時に登場し続ける。
・ 「空白」と「(空虚すなわち充実における)空虚」とは別物。「空白」は「または」等の言語的な宙づり装置であると同時に、「空白」についての「思考」は観念論側よりは実在論側へとはみ出しつつも、実在そのものにはなり得ないという<中間>性を帯びている。一方、「空虚」とは、ベタな現実の「無内包性」のことであり、現実の現実性には、内容・「何」性が無関与であることを表す。現実の現実性は、内容がないという点では形式と似ているかもしれないが、一切のαでありωであるほどの「力(働き・作用)」であるという点で形式ではない。
・ 「様相の潰れ」が運命論側の不完全さとして扱われているのは、現実を様相から解放して無様相(現実=運命の完全態)へと向かう「中途」だからであり、「整然とした様相のネットワーク→現実的な必然性という様相のネットワークの乱れ→様相の潰れ→無様相」という文脈の内に位置づけられているからである。一方、「様相の潰れ」を、むしろ現実性と可能性(等の様相)が渾然一体となった「原初のスープ」のように見なして、そこから現実性と可能性が生い立ってくるという方向で考えるならば、両者の紐帯(結びつき)を強いものとして考えるという逆の方向性(植村氏)も、ありうるだろう。
・ 「欠如」や「空白」においては、現実性と可能性が「込み」で利用されているという指摘は、その通りである。欠如においては「現実には、・・・などの可能性によって埋まっている」というように、空白においては「現実が可能的な現実であるかのように見なされることによって棚上げされる」という仕方で、現実性と可能性はそれぞれ違った仕方で「込み」になって働いている。
・ いくつかの理由があって、私の論では「時間推移」から「因果性」が削ぎ落とされているけれども、因果性を「二項の関係・連鎖」としてではなく、「汎通的因果性=存在そのもの全体としての流れ=(無数の運動ではない)宇宙全体としてのただ一つの運動」として考えて、時間推移を「存在の流れ」としての唯一の因果と見なすという植村氏の提案は、興味深いし、形而上学的な「時間推移」の自然学的なバックアップとして有望なように思える。
・ 「因果の充満」という方向性は、徹底するならば植村的な描像に繋がるのかもしれない。しかし、「因果の充満」が「因果の解除」と両極端のセットであるのと同様に、そしてベタな時間推移が優位となる時間原理 I (連続)と決定的なスカが優位となる時間原理 II (断絶)が「込み」であるように、植村的な世界像の内にも、「流れ」と「切断」の両方が入り込まざるを得ないのではないか。その「切断」の側面が、映画の比喩(静止画全体の交替)に入り込んでいるのではないだろうか。
・ 「自由=運命に(大波に乗るサーフィンのように)乗る」という比喩から、「自由とは自己の外部で自己を失わないこと」(ヘーゲル)や「運命を遊びに変える」(シェイクスピア)を読み取ってもらえたことは、この比喩が成功している証ではないか。

・ 「現実」が「今」「ここ」「私」と異なり指標詞ではないことは、日常的にそうであるだけでなく、私の「現実」論においても重要な意味を持つ。それは、無内包性の問題と繋がっている。指標詞の場合には、時制・空間・人称といった(あるいはそれに関わる)内包が残存せざるを得ないが、「現に」という現実だけは、それを免れている(と見なせる)。そこで、「現実」には、「われわれ(私)のあり方」や「現在の社会状況」などには含まれる「指標詞性」や「状態内容」が関与してこない。「現実」は「現状」ではない。
・ にもかかわらず、「現実」が指標詞性を持つかのように扱うこともできてしまう。それがもう一面のポイントである。それは、「現実」を様相実在論的に考えたり、あるいは「現実」を「われわれ(私)の現実」や「今のこの現実」などに置き換えて考えることによって、あるいは「現実」と「現状」を混同することによって。「現実」は、本来は様相と無関係であり、人称や時制とも無関係であるにもかかわらず、である。つまり、「現実」とは、絶対現実であると同時に相対現実でもあるのと同様に、「指標詞性」や「状態内容」を含んだものへと転落すると同時に、その転落を拒否するということ、その両方込みなのである。
・ この「転落(置換)」は「一性」が「二性」を帯びることでもあり、全一的な現実が無と対比的に扱われることによって「二性」を帯びて「原始偶然」と見なされる機序にもまた、その構図は反復されている。
・ 『ある、なる』における「現実」としては、「全一性」(それが全てでそれしかないこと)よりも「唯性・惟性」(ただそうあること)と言うほうが、相応しいのではないかという壁谷氏の指摘は正しいと思う。「全体」と言う必要もないくらい全てであり、わざわざ「一」と言う必要もないくらいに他(無)へ目配せをしないのが、「現実」なのだから。ただし、「全一性」という表現は「唯一性」との差においては有効であるし、たとえ「ただ」へと切り詰めたとしても、その「ただ」が「何らかの他(「ただ」ではない何か)」の放逐・排除を引きずってしまうことには変わりはない。また、「一」の多義性の方を生かすことで、「唯性・惟性」まで含むように考えることもできるだろう。いずれにしても、「現実の現実性」は、それらのスペクトラムすべてを貫き畳み込んで働いている。
・ 時間原理 I と時間原理 II との対立は、現実が時制的な時間を覆い尽くすか、時制的な時間が現実を超え出るかの対立と言うことができる。前者においては、過去・現在・未来はすべて同等に「現実」の内にあるが、後者においては、現実はむしろ現在へと局所化されて、未来や過去は現在的な現実からは隔絶した外部となる。ここでもまた(指標詞性を持たないが持つようにも扱われるのと同様に)、現実は全体としても局所としても働くし、時間は連続でも断絶でもある。
・ 壁谷氏は、「現実」の反対物包摂と浸透の箇所を重要視してくれていて、そこを「唯性・惟性」に結びつけたうえで、「浸透」からは(現実の重層性を含み込んだ)運命論を、「包摂」からは(何でもありうる現実の)自由論を導き出すような図式を考えているようであったが、時間切れのため十分に私の理解が及ばなかった。
【2015年9月28日記】

◎ 2015年9月26日(土) 「特定質問の資料届く」
・ 明日は、cogito研究会で、拙著『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』の合評会。
・ 先日のトークイベントが、華やかな会場での「哲学興行」だとすると、明日の合評会は同業者のみ(観客なし)による「道場マッチ」に相当するだろう。
・ お二人の特定質問者からの「資料」が先ほど(20時半〜23時前に)届く。
・ お二人とも、ガチの関節技や絞め技で攻めてきているような感じで、こちらも腕が鳴る。
【2015年9月26日記】

◎ 2015年9月25日(金) 「ほぼ女子」
・ 大学レスリング部の練習(18:00〜20:00)に参加。
・ マット運動中の「大飛び込み前転」で、長谷川コーチの高さと距離がもの凄く大きくて、飛び姿勢もきれいなので、一瞬空を飛んでいるようにも見えた。
・ 「三点倒立+α」の種目として、「三点倒立からの前転 → 後転して再び三点倒立を5回連続繰り返す」というのをやった。後転から三点倒立でピタッと静止するのが難しい。
・ 打ち込み2本を岩崎さんと。岩崎さんとは「喧嘩四つ」なので、頭を下げさせて左足にスイープシングルに入るという練習を繰り返してみる。
・ スパーリング12本のうち私は6本入って、境君・廣瀬さん・佐々木さんと2P×3で。
・ 境君は、ほとんど「受け状態」でいてくれて、あとは私をいなしているだけだが、結局は私は何もできないし、時間と共にへたばっていくだけ。
・ 廣瀬さんとの前回のスパーでは、なかなかいい勝負ができたが、今回はその状態も1Pまで。2Pでは、私の動きがどんどん悪くなり、何度もバックを取られて回される。
・ スパーリング終了後は、グループに分かれて寝技の攻防を20秒交代で回していく。私は、佐々木さんと岩崎さんとの3人のグループで。
・ 本日は、境君とのスパー2本を除けば、ずっと女子レスラーたちとの戦いだったことになる。
・ (男子学生が相手のときよりは)私の実力でも攻防が少しは有意味になる感じで、「レスリングができた」感が大きくなる。私も「ほぼ女子」として練習したわけだが、それでも性差を感じる場面が二度あった。
・ 一つは、佐々木さんとのスパーで、私が投げ飛ばしたときに「きゃー」と女子特有の高いかわいい声を発した時。おじさんレスラーにあんな風に投げ飛ばされることは、予想外だったのでは?
・ もう一つは、岩崎さんとの寝技の攻防のとき。フェイントをかけて腕をアームロックに取ることに成功し、極まり方も悪くなくて、体重移動をしつつ相手を表返し始めたところで、すっぽ抜ける感じで逃げられる。
・ この肩・腕関節の柔らかさは、女子特有のもの。たいていの男子レスラーならば、あそこまで極まっていれば、ああいう仕方では逃げることができないはず。
・ 女子部員がいてくれると、私のような「後発おじさんレスラー」にとっても、いい練習ができることが分かった。
【2015年9月26日記】

◎ 2015年9月25日(金) 「トークイベント<「最強の運命論」の運命>つぶやきまとめ」

sasakimichiyo ‏@michitea
まとめました / 「【文化系トークラジオLife】2015年9月トークイベント<「最強の運命論」の運命>つぶやきまとめ」
http://togetter.com/li/878298
#life954


【2015年9月25日記】

◎ 2015年9月24日(木) 「R25」
・ 先日のトークイベントでもお世話になった斎藤哲也さんが、フリーペーパー『R25』9月23日号で、拙著『ある、なる』を紹介してくれています。
・ ちなみに、紙の『R25』はこれが最終号。
・ Web版はこちらにあります。

【2015年9月24日記】

◎ 2015年9月22日(火) 「トークイベント」
・ 昨日18:00〜20:00は、紀伊國屋本店にて「文化系トークラジオLifeトークイベント「最強の運命論」の運命。


・ 佐々木敦さんと海猫沢めろんさんとは初対面・初会話なのに、こんなに楽しくトークができることが驚きだった。
・ 前半が主に私と佐々木さんのトークで、私からは「佐々木運命論と入不二運命論との相同と相違」についてコメントする。要するに、「最強の運命論」がいかに「最強」ではないか(ありえないか)というポイント。
・ 用意しておいたコメントの10分の1くらいしか話せなかったので、どこかに書く機会(場)でもあれば、いわゆる「書評論文」的に書きたいくらい。
・ しかし逆に、用意していなかった私の「非(脱)人間宣言」が飛び出してしまい、にわかにライブ感(会場のざわざわ感?)が増す。
・ もちろん、私も受肉していて、人間と非人間の<中間>なので「最強」たり得ないけれども、「最強」にチャレンジし続けることが<中間>の<中間>たる所以。
・ 後半は、めろんさんと斎藤さんも積極的に介入して、佐々木さんのパラフィクション論や入不二哲学における「無関係性」という話へも広がる。
・ めろんさんの「言葉使い師」という小説は、私の『相対主義の極北』にヒントを得て書かれているそうだが、『あるようにあり、なるようになる』の方は小説に落とし込むのが(やってみたいけれど)難しい・・・とめろんさんは言っていた。
・ 『極北』と『ある、なる』の比較論みたいな話は、読者諸氏からもちらほら聞こえてきているので、この「小説にできる/できない」という対比は興味深かった。
・ 終了後は、打ち上げへ。担当編集者の上田さんも聴きに来てくれていて、打ち上げにも参加してくれた。打ち上げでは、めろん先生のスピリチュアルな友達の話が面白すぎて、小説を読んでいるかのようだった。
・ バーに移動しての2次会では、斎藤さんと「駿台」話などなど。というのも、斎藤哲也さんは、私が大学院生・オーバードクターで駿台予備校で教えていた頃の「教え子」でもあるから。
・ とにかく愉快な一日でした。
【2015年9月23日記】

昨日のトークイベントのあと(本日)、佐々木さんを中心にツイートがなされているので、
時系列的に並べて紹介します。ご参考までに。

海猫沢めろん ‏@uminekozawa
きたく!本日は入不二先生、佐々木さん、斎藤さん、スタッフのみなさんありがとうございました。色々と理解が深まり面白かったです。

海猫沢めろん ‏@uminekozawa
前半もうちょいわかりやすい導入を作れれば良かったかな。とはいえ、やはり時間論や運命論は面白い……。
広島からこられていたお客さんもおられて、恐縮です(あ、すいません!手紙とどいておりました!まちがいないっす!)。

佐々木敦 ‏@sasakiatsushi
昨日の運命論トーク、大変楽しかったです。前半、入不二基義さんとの対談パートでは、自分はたまたまこの世界に受肉している存在で実は人間ではない、と仰る入不二さんに『未知との遭遇』の「最強の運命論」は最強ではないと鋭く論駁されました。自分は所詮ヒトなのだなあと思い知らされた次第です。

入不二 基義 ‏@irifuji
@sasakiatsushi 昨日は、初対面なのに楽しくトークできたことが嬉しかったです。もちろん、私も受肉していて、人間と非人間の<中間>ですので「最強」たり得ませんが、「最強」にチャレンジし続けることが<中間>の<中間>たる所以だと思います。

佐々木敦 ‏@sasakiatsushi
海猫沢めろんさん、斎藤哲也さんが加わった後半は、入不二さんの非人間宣言に引っ張られつつも、パラフィクションの話にも触れていただき恐縮でした。入不二哲学を貫く非力動としての「無関係性」という斎藤さんの説は腑に落ちました。三人との話で自分の考えもあらためて確認出来た気がします。

佐々木敦 ‏@sasakiatsushi
打ち上げも愉しかった。めろんさんの話が面白過ぎた。滅多に会わない方々とも話せてよかったです。

斎藤哲也 ‏@saitoshokai
昨日のLifeイベントに参加いただいたみなさん、どうもありがとうございました。「最強の運命論」トークから、入不二先生の「「非(脱)人間宣言」が飛び出したことにびっくり。僕は駿台予備校時代、入不二先生の教え子だったので、感慨深いイベントになりました。

佐々木敦 ‏@sasakiatsushi
昨日トークの中でも、入不二哲学といわゆる思弁的実在論、というかメイヤスー哲学との関連について質問させていただきましたが、打ち上げでも話してたけど入不二基義と千葉雅也のガチ対談をいつか読みたい。ある意味、入不二運命論は分析哲学における大陸哲学のSRにも似た境位に突破していると思う。

斎藤哲也 ‏@saitoshokai
佐々木敦さんもつぶやいていたけれど、入不二基義さんと千葉雅也さんの「無関係の哲学」対談は、ほんとにどこかで実現してほしい。対談構成ならいくらでもやります。

千葉雅也 Masaya CHIBA ‏@masayachiba
入不二さんとの対談はぜひやらせていただければと思うのですが、準備をしっかりしたいので、時間をとれる予定で考えたいところです。メイヤスー翻訳の刊行記念というのもありかもしれない。

入不二 基義 ‏@irifuji
@masayachiba じっくり対話するためにも、お互いに負担にならないペースでゆっくりと企画してもらいましょう。

千葉雅也 Masaya CHIBA ‏@masayachiba
@irifuji ぜひ、よろしくお願い致します。入不二さんのこれまでのお仕事もふまえたいので、じっくり考えたいと思っています。

入不二 基義 ‏@irifuji
@masayachiba こちらこそ、よろしくお願いします。

入不二 基義 ‏@irifuji
以前千葉雅也さんが「細マッチョ哲学者が考える「哲学」と「筋トレ」の共通点」を書いたそのコーナー(『Number Do』の"the Do Voice"というコラム欄)で、今度は私がレスリングのことを書いています。『Number Do』9月30日発売号。これも「接近遭遇」かな?

【2015年9月23日追記】

◎ 2015年9月21日(月) 「運命論とプロレス論」
・ 東京堂書店(神田神保町)の人文書担当者:三浦さんは、私の運命論とプロレス論まで比較して、次のようにツイートしてくれています。
・ そうか、「反復する<中間>」の淵源は、すでに私のプロレス論にあったんだ。

(1)
東京堂書店@神保町 ‏@books_tokyodo
『あるようにあり、なるようになる』を読了された方には、同じく入不二さん「「ほんとうの本物」の問題としてのプロレス」(『足の裏に影はあるか?ないか?』所収、朝日出版社)の一読をおすすめします。『ある、なる』で多様に展開する「反復する〈中間〉」の問題が、このプロレス論を駆動しています
(2)
東京堂書店@神保町 ‏@books_tokyodo
承前。冒頭近く、「プロレスには、「本物の強さ」の問題や「八百長−真剣勝負」の問題が運命のようにつきまとっている。」の一文も(運命!)。『ある、なる』以上に、「アダム」や「神」といった聖家族(永井均)における「父」の審級が露骨に活躍するところも見逃せないポイントです。
(3)
東京堂書店@神保町 ‏@books_tokyodo
承前。入不二さん、そろそろ『KAMINOGE』誌に登場されないかなあ?「プロレスにおける時間原理1と時間原理2の拮抗と現実性」など、伺いたい。『足の裏』204頁、図bは排中律と現実の全一性(『ある、なる』第3章)ですし。いろいろ新たな論点が出てきそうです。以上、失礼いたしました。

【2015年9月21日記】

◎ 2015年9月20日(日) 「技の伝授」
・ skレスリングの朝練習(8:30〜10:30、担当:人見コーチ)に参加。
・ アップでは、しばらくぶりに反復横跳びを3セット。これがけっこうキツい。
・ その後、崩しの練習(攻めと守りを1分間交代で)→普通の打ち込みを3本(両足と片足に分けて)→スタンドのみのスパー→寝技の打ち込み→寝技のスパー→スパーリング→補強(腹筋)というメニュー。
・ 寝技の打ち込みは、今井さんと組んで技研。私が「折り畳み式の股裂き」をかけたときに、今井さんがその強力な技に興味を持って、「どうやって(その技に)入ったの?」と訊かれて、私なりの理路とコツを説明。
・ お互いにその入り方でかけ合って練習をしてみると、今井さんはすぐに納得して、「さすが入不二さん!」と声を上げる。今井さんのように強い人から、そう言われると気恥ずかしいが、嬉しい。
・ この技は、レスリング部の屈強な大学生でも、うまい具合にかかかった時は耐えられずに「イテテッ」となる程で、練習時には思いっきりかけるのは危険なので、そっとやるようにしている。
【2015年9月20日夜記】

◎ 2015年9月20日(日) 「京都大学のアカデミックデイ2015のページ」
・ 京都大学のアカデミックデイ2015のページ(http://research.kyoto-u.ac.jp/academic-day/2015/52...)で、拙著『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』を、北村直彰さん(京都大学・日本学術振興会特別研究員PD)が、「今ハマっている本(誰かとこの本について話したい)」として紹介してくれています。


あるようにあり、なるようになる――運命論の運命
入不二基義 著/講談社、2015年
「すべてのことは必然的に起こっている」という主張(運命論)のまったく新たな姿を浮かび上がらせようとする本です。きわめて強靱でスリリングな思考の展開を味わうことができます。

【2015年9月20日朝記】

◎ 2015年9月18日(金)・19日(土) 「レスリング/相撲」
・ 金曜日18:00〜20:00は、大学レスリング部の練習に参加。
・ 久しぶりに、二人組になってのマット運動(互いに足首を持ち輪の形になって、二人で作った輪っかが転がるように前転・後転・横転・・・等々)をやる。
・ 打ち込み2本の後、3分スパーリング14本(私は6本入る)、長谷川コーチの指導での「さし(アンダーフック)」の入り方の技術練習、さし合いのスパーリングを18本、補強(膝90度で足を壁につけての腹筋を、100×3本)。
・ 私のスパー6本は、猪口君・廣瀬さん・佐々木さんに相手をしてもらって、それぞれ連続2本ずつ。
・ 前回(9月4日)の雪辱を期して女子インカレ・チャンピオンに挑んで、今回は1P目にシングルレッグからバックに回って2ポイントを取ることに成功!2P目にバックを取られて奪い返されたので(2−2)で終了。前回のやられっぱなしと比べると、我ながらよくやった。
・ 技術練習時に、浅い「さし」ではどのように相手を掴んでいるのかを、長谷川コーチに質問してみる。「掴む」のではなく「手のひらで相手の体表を捻るように圧迫」して「自分の肩を押しつけて挟みつけて」押し込んでいる。
・ さし合いのスパーでは、女子部員3人とも何度か対戦。「力」勝負だけなら、女子レスラーより男の私に分がある。しかし、さすがに廣瀬さんは、「力」もまた同程度の体重の男に負けないものを持っている。

・ 土曜日は、世田谷八幡宮の(江戸時代から続いている)奉納相撲を見学。
・ 5人抜きでは、すべて「居反り」で5人を投げていく場面があって、大いに湧いた。

【2015年9月19日記】

◎ 2015年9月13日(日) 「スクランブル好き」
・ この一週間は、火はBJJ、金は大学レスリング部、日はskレスリングと、週3日の格闘技練習。

・ BJJ練習では、最近繰り返して練習している5種類の所作(パスガードから抑え込みまで)のうち、最初の3種類の「根拠」となるような前段階のレクチャーを受けてから、打ち込みで反復。
・ フリースパーでは、パスガード後に横四方から袈裟固めへと移行して、絞り上げてタップを奪うことに成功(ちょっとだけJosh Barnett気分を味わう)。
・ 体格的に上の階級の人ともフリースパーをしたけれども、寝技での攻防のほうが(立ち技の攻防のときよりも)体重差の影響が小さくなるように感じる。

・ 大学レスリング部の練習での本日(11日)のアップは、マットの円(内外)を越えるときだけは前転で移動するというルールでの「鬼ごっこ」。鬼はチューブを持って追いかけて、叩かれた者(痛そう!)が次の鬼。あまりに激しそうなアップなので、私は見学しながらマット場の隅で身体をほぐすことにする。
・ 3分スパーと1分スパーという連続の20数本のうち、私は数本入らせてもらう。1分スパーで女子部員とやったときに、がぶり落として1回、タックル切りから1回、バックに回ってポイント取ることに成功。これが本日の収穫。
・ 最後にグラウンドの打ち込みと相手を変えていく20秒スパー。私はローリング・股裂き・アンクルを試みたが、成功したのはそれぞれ1回のみ。

・ skレスリングは、藪井コーチの担当で、ラスベガスで行われている世界選手権の中で藪井コーチが感心した「スゴ技」から、いくつかピックアップしての技術練習が興味深かった。高度な技で難しいけれど、試してみるのは面白い。
(1) 相手のアンダーフックに対するオーバーフックからの「振り崩し」。深く肘が入っていると危ないので、浅くして練習。(2) 同じアンダーフック・オーバーフックでのスクランブル状態から、側転して相手を乗り越え、さらに相手の上で回転してバックを取る技。(3) ローリングに行くと見せかけて股裂きに入り、股裂きに行きつつ相手の片腕を畳み込んでのローリングへという寝技。
・ さらに、スクランブル状態からの攻防練習も。スクランブル状態を(互いに相手の片足を取ったイーブンの状態を2種類─互いに亀状態・互いに仰向け状態─)を設定して、そこからの攻防ドリル。
・ スクランブルでごちゃごちゃ・グチャグチャになるような攻防が、私はけっこう好きなようで(こういう好みは、自分の嗜好であっても、やってみるまでは分からない)、最後のスパーリングでも、今回はスクランブル的な状態を制することができて、満足感が大きかった。
・ 画像は、skレスリング練習後の集合写真。

【2015年9月13日記】

◎ 2015年9月11日(金) 「読者のことば」
・ このような点に注目してくれる読者がいるのも、ありがたい。

かたやまみつや @koya_simpatica
『〈私〉の哲学を哲学する』とか『あるようにあり、なるようになる』とかの講談社の装丁すごく綺麗なのに安価ですごい

【2015年9月12日記】

◎ 2015年9月10日(木) 「東京堂書店」
・ 東京堂書店(神保町)に行って、拙著『あるようにあり、なるようになる』の特集コーナーを見て、小冊子をもらってきました。




【2015年9月10日記】

◎ 2015年9月7日(月) 「東京堂書店の特集コーナー」
・ 東京堂書店@神保町 ‏@books_tokyodo のツイートより

『あるようにあり、なるようになる』(講談社)特集コーナーが始まりました。
当店三階にて。同書の著者、入不二基義さんの著書の他、関連書籍を揃えました。小冊子も配布しております。ぜひお立ち寄りください。


・ この「小冊子」が、担当者による「すぐれものの労作」であることは、以前に上野修さんの『哲学者たちのワンダーランド 様相の十七世紀』(講談社)の特集コーナーでの小冊子を見て知っています。
・ 私も欲しい!
【2015年9月7日記】

◎ 2015年9月6日(日) 「明日から、東京堂書店で特集コーナーが始まります」
・ 東京堂書店@神保町 ‏@books_tokyodo
入不二基義さんの新刊『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』(講談社)の特集コーナー、明日から当店3階哲学書棚にて展開開始です。人文書担当が関連書籍を選書しておりますが、各タイトルへのコメントを載せた小冊子は夕方頃完成予定。間に合わず申し訳ございません!
【2015年9月6日記】

◎ 2015年9月4日(金) 「コスモロギア/インカレ・チャンピオン」
・ 山口大学で同僚だった林文孝氏(現・立教大学文学部教授)が、その著書『コスモロギア 天・化・時』(中島隆博・本間次彦との共著、法政大学出版局)の中(pp.200-201)で、山口大学時代の授業のことに言及していて、私のことや脇條靖弘氏(山口大学人文学部教授)のことがふれられていた【画像参照】。
・ その授業とは、複数担当者による共通教育科目「哲学的討論の現場」という授業で、毎回複数の教員が参加し、教員の一人がショート・レクチャーをしたあと、他の教員たちも登壇して、学生たちの前で教員どうしが(その日のレクチャーについて)議論を展開し、そのあと学生にも議論に加わってもらってやり取りをするという授業だった。
・ 林文孝氏の記述によって、その授業のことを思い出した。林氏も書いているとおり、かなり「意欲的な取り組み」であった。
・ 教員どうしが日常的に十分に議論し合う環境があってこそ成り立つような授業であり、議論を「する」だけでなく、議論を素人に対して「見せる」ことまで考慮して、複数人で連係プレーができないと成立しない授業だった。
・ つまり、道場で日常的に「スパーリング」をし合っている同志だからこそ、学生に向けた教育的な意味合いを持つ「授業としてのバトルロワイヤル」が成立していた。
・ 残念ながら、あのタイプの授業は、その後(山口大学でも)続けられていないし、私自身もやる環境がないしやっていない。



・ 金曜日の17:00〜19:20は、大学レスリング部の練習に参加。学生達は、9月に入って(解散を終えて)集合して練習を開始している。
・ スパーリングでは、先日(2015年8月18日〜21日)の「全日本学生選手権大会」(インカレ)で、女子58kgでインカレ・チャンピオンになった廣瀬瑠美さんに、2P連続で相手をしてもらう。
・ 画像の表彰台の一番高いところにいるのが、廣瀬瑠美さん。

・ 最初の1分くらいは、組み手争いでしのいで何とかなってはいたが、その後は(特に2P目は)悲惨 (T_T)。タックルで走られて壁まで押しつけられるし、バックを取られて回されるし。
・ 長谷川コーチも、「るみ!お前の得意技だろ!回せ!」と煽るし・・・。
・ スパー後は、「さし(アンダーフック)」と「2-on-1」からの展開の技術練習を、30分ほど。
【2015年9月5日記】

◎ 2015年9月2日(水) 「20年以上ぶり」
・ 夜は、渋谷にて旧友のY氏と会食。
・ Y氏とは、今回の新著『ある、なる』のデジタル関係のことでやり取りをすることになって、20年以上ぶりの再会につながった。
・ 私が彼よりも2歳年上だが、同じ地元の小学校・中学校に通い(私の弟と同学年)、大学でまた一緒になったため、古い記憶や友人・知人関係にも共有部分がかなりあって、20年以上の空白はあっても話題には事欠かない。
・ 「古い部分」の話だけでなく、最近の出版業界や大学業界の事情等をつき合わせながらの話も盛り上がって、あっという間に3時間ほど経っていた。
【2015年9月3日記】

◎ 2015年9月2日(水) 「CM」
・ 長崎のメトロ書店が、創立50周年のテレビCMを制作するそうで、「若い男女が偶然同じ本を手にする」という設定で、拙著『あるようにあり、なるようになる』を使いたいという連絡があった。
・ 背表紙がほんの一瞬映る程度らしいが、なかなか珍しい機会。完成したら、DVDを送ってくれるそうで楽しみ。
【2015年9月2日記】
・ メトロ書店さんから、編集者(上田さん)経由で連絡を頂きました。CM内容が変更になったそうで、この話は無くなってしまいました(T_T) 楽しみにしていただけに、残念です。
【2015年10月1日追記】

◎ 2015年9月1日(火) 「トークイベントの申し込みが始まりました」
・「https://www.kinokuniya.co.jp/c/store/Shinjuku-Main...」に、案内が出ています。

文化系トークラジオLifeトークイベント
「最強の運命論」の運命

文化系トークラジオLife、サブパーソナリティの斎藤哲也です。
長らく温めていた「哲学系トークイベントLife」の企画が、9月のイベントでようやく実現する運びとなりました。
今回のテーマはズバリ「運命論」。
そもそも「運命」とは何なのか。「運命」は受け入れるものなのか、それとも切り開くものなのか――。
7月に新著『あるようにあり、なるようになる――運命論の運命』を上梓した哲学者の入不二基義さんと、『未知との遭遇』で「最強の運命論」を言挙げした佐々木敦さんの二人をお迎えして、2時間たっぷりと運命論トークを繰り広げます。はたして、「最強の運命論」の運命はいかに!?
みなさんのご来場をお待ちしています!

日時:2015年9月22日(火) 18:00〜20:00 (開場17:30)
場所:紀伊國屋書店新宿本店8階イベントスペース
参加費:1500円(当日、入場時にお支払いいただきます)

ご予約:9月1日(火)〜
店頭およびお電話にてご予約を受け付けます。
※ご予約は新宿本店3Fカウンターにて受け付けます。
※3F直通電話番号03-3354-5703
定員:45名
※定員数に達しましたら受付を終了させていただきます。

出演:入不二基義、佐々木敦、海猫沢めろん、斎藤哲也


【2015年9月1日記】

◎ 2015年8月31日(月) 「東京堂書店・神田神保町での特集コーナー」
・ 東京堂書店・神田神保町が、私の新刊の特集コーナーを作ってくれることになりました。
・ 以下のようにツイートされています。

東京堂書店@神保町 @books_tokyodo
入不二基義さんの新刊『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』(講談社)の特集コーナーは9月7日月曜日から、当店3階思想・哲学書棚にて展開予定です。ご期待下さい。

【2015年8月31日記】

◎ 2015年8月31日(月) 「文化系トークラジオでの告知録画」
<「最強の運命論」の運命>
入不二基義・佐々木敦・海猫沢めろん・斎藤哲也 
日時:2015年9月22日(火・祝日) 
場所:紀伊國屋本店8Fイベントホール(今週中に申し込みが始まるようです)
http://twitcasting.tv/life954/movie/197145413
【2015年8月31日記】

◎ 2015年8月30日(日) 「野村コーチ」
・ 朝(8時30分〜10:30分)のskレスリングの練習に参加。転勤のため、本日が野村コーチの最後の指導。
・ 野村コーチは、(旧スポーツ会館時代以来のおつき合いだが)特に「skアカデミー」になってからの日曜日の朝練習で指導をして頂いた。
・ 野村コーチの指導は、理詰めで分かりやすいとと同時に、やんちゃな少年ぽい感じが滲み出る楽しいものだった。この何年かのご指導、ありがとうございました。
・ いつもより参加人数も多く、アップでは、三列のチームに分かれてのダッシュ+α(ジャンプ・バービー)での往復競争。おじさん達でも、リレー競技みたいになると燃えて真剣になる。
・ 相手を変えての打ち込み3本のあと、今日の技術練習は「がぶり」。スタンディング状態からかぶり落として、バックへ回るところまでの練習。
・ この5年間で、バックステップ・肩での体重のかけ方・相手の肘の引き延ばしなど、「がぶり」に関して私もだいぶ進歩したように思う。
・ 寝技は、自由に打ち込みとそのあとドリル。私は、普段やらない(やる機会のなかった)上半身技をいくつか試してみる。
・ いつもより長めのスパーでは、「餞別」のように多くの人が連続で野村コーチに挑み、野村コーチをへろへろ状態にしていた。
・ 練習後は、近くのお店で送別会。


【2015年8月31日記】

◎ 2015年8月28日(金) 「着筆」
・ ようやく、レスリングについての体験と考察を記す次作本、『哲学者、51歳でレスリングを始める』(仮題、ぷねうま舎)の執筆をスタート。
・ しばらく書き方に迷っていたが、chunk(大きな塊・まとまり)を設定してみて、その二つ分─「初日」と「なぜ?」─から書き始めてみた。
・ とりあえず、この書き方で続けてみよう。
【2015年8月28日記】

◎ 2015年8月28日(金) 「予告です」

文化系トークラジオLife トークイベント
<「最強の運命論」の運命>
入不二基義・佐々木敦・海猫沢めろん・斎藤哲也
日時:2015年9月22日(火・祝日)18:00〜20:00
場所:紀伊國屋書店本店8階のイベントスペース

【2015年8月28日記】

◎ 2015年8月26日(水) 「比較/opportune designのHP」
・ 昨晩はBJJの練習に参加。この2ヶ月間10回ほどの練習をしてみて、次のような比較が思い浮かんだ。
・ レスリングとBJJのどちらも「高い崖の上に登ろうとすること」だとすると、「レスリング:BJJ = ロープを使って(足の踏ん張りと引き付ける力で)登ること:ロッククライミングで(一つ一つ手順を踏んで)登ること」。これからも色々と比較してみたい。

・ 古田雅美さんのHPに、『ある、なる』の装幀も加わっている。
・ 以下、その一部分と『ある、なる』のところをクリックすると載っている画像。
・ 古田さん的には、黒バージョンのカバーではなくて、白バージョンの表紙のほうが「本体」ということが分かる(文字が小さいのが古田さんらしいし)。
・ HP(http://www.opportunedesign.com)では、古田さんの作品が一覧できます。



【2015年8月26日記】

◎ 2015年8月23日(日) 「久しぶりのsk」
・ 久しぶりにskアカデミーでのレスリング朝練習(8:30〜10:30/担当:藪井コーチ)に参加。
・ アップでは、タックル切りからの(カウンターの)タックル、前転・後転・側転、そしてダッシュ等を組み合わせたアップ。
・ 「横につく」ことを意識しての両足タックルの打ち込み。
・ 本日の技術練習は、スタンド:片足タックルから倒すまで、グラウンド:股裂き。
・ 膝をつかず、頭(耳辺り)を密着させる片足タックルを、まずは取り方(左右の手のクラッチの上下)と押し込むことを意識しての反復練習。
・ 続いて、押し込んで距離をとって足首を脇へ挟むところまで。さらに、踏み込んで足を刈って倒すところまで。
・ 足首を(脇下から)肩へ持ち上げるところまでと、肩上へ上げた後の(ネルソン状の)ロックの仕方。
・ 股裂きの「原理(腰への圧迫と短い距離での裏返す力)」と、股裂きの二種類(内側での足ロックと外側での足ロック)。
・ この原理は、レッグロックで裏返そうとする場合にも働くというコメントもあり。
・ 内側で足をロックするために、ローリングから移行する方法を反復。
・ 外側で足をロックするために、足首を取り肩を掴んで前へプレッシャーをかけて足を入れる方法を練習。
・ 返したあとに、相手の頭部と下半身を「弓状」に近づけるところまで。
・ 股裂きが極まらなかった場合の対処法を一つ練習。
・ 股裂きの足のロックを解き、相手がうつ伏せへと戻れないように阻害要因として使い、もう一方の足を相手の腰へと寄せて、上半身をたすき状にロックしたうえで、後ろへと引き上げて90度傾ける技。
・ スパーでは、がぶりからの引き落としや振ってバランスを崩させる技が何度か成功して優位だったけれども、フォールまでは行けず。
・ 画像は、片足を刈って倒す練習と、股裂きの練習と、練習後の集合写真。



【2015年8月23日記】

◎ 2015年8月18日(火) 「Kinde版」
・ 電子書籍新着情報 @amaebooknew
入不二基義著『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』 (講談社) が、20%OFFでKindle化されました。8/28(金)配信。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B0142O1DYG
・ この本の装幀・造本を楽しむためには紙の本が相応しいと思いますが、電子バージョンの手軽さも別の良さがあります。
【2018年8月18日記】

◎ 2015年8月18日(火) 「隔世の感」
・ 森岡正博さんから、ツイッター上で光栄にも「そういえば入不二さんは本格的な哲学的プロレス論を書いた方ですからねえ」と言われたことをきっかけに、このプロレス論(「「ほんとうの本物」の問題 としてのプロレス―プロレスの哲学的考察―」)を書いていた1990年頃のことを色々と思い出した。
・ その当時、私は博士課程の大学院生そしてオーバードクターで、(妻と子どもを養うためもあって)駿台予備校で英語を教えていた。その論文は、その予備校での友人達(大島保彦・霜栄)との共著に寄稿したものだった。
・ その頃の東大哲学科の雰囲気は保守的な「お堅い」ものであり、就職(大学の専任ポスト獲得)の準備段階にある大学院生以降の者たちは、従うべき「空気」のようなものを共有していた。
・ 私もそのような「空気」に従って、予備校で人気講師として「活躍」していることや、ましてやプロレス論を載せた本を出したことなどは、隠していた(つもりだった)。
・ しかし、その当の予備校で教授のお嬢さんを教えていたという偶然のために、その教授にぜんぶ筒抜けだった!「プロレス論は業績表には載せないこと。予備校で教えていることも、非常勤履歴に入れないこと」を指示された。その先生(黒田亘先生は亡くなっていたので別の先生が指導教官だった)は、「(就職活動を心配しての)親心」から、私に注意を与えたのだと思う(空気を読まずに、そういうことも全部履歴書や業績表に書いてしまう奴だと私のことを思っていたのかもしれない)。
・ たしかに、1993年の山口大学での最終面接時のことや、就職後の事務とのやり取りを思い返しても、その先生の判断は「正しかった」と思われる。そういう類いのことは、(今風に言えば?)黒歴史のような扱いだったのが、当時の「空気」。東大哲学科だけでなく、大学業界自体が、多かれ少なかれ「そういう空気」を共有していた。最大公約数的に言えば、「予備校やプロレスなんて、大学アカデミズムには相応しくない」という空気。

・ しかし、しかし、その10年後(2004年)に青山学院大学へ異動するときには、その「空気」が180度変化していた。
・ その10年間の「差」は、もちろん私自身の「成長」の証でもあるけれど、それ以上に時代の(そして大学業界内の雰囲気の)変化を感じさせるものだった。
・ 青山学院大学での公募時の面接において、私が予備校で教えていた経験があること、そしてかなりの人気講師であったことは、むしろ好ましい教育経験として面接委員の教授から言及された。
・ 私から公言したのではなく、ネットの検索によってすでに個人調査済みで、面接で「黒歴史」を持ち出されて評価されてビックリした(このネット検索の利用自体が、山口大学就職当時ではあり得なかった)。
・ そして、プロレス論文についても、私は隠すどころか、自分の論文の中でけっこう出来のいい作品であり、プロレス論の「古典」とまで自分からも言うようになっていた。いわゆる学術論文だけでなく、こういうものも書けることは、+の扱いに変わっていた。
・ 1993年と2004年の「差」は、そのような具合に、私には「隔世の感」として記憶されている。
【2015年8月18日記】

◎ 2015年8月16日(日) 「久しぶりの再会」
・ 大先輩であり友人である猪野修治さん宅を、妻といっしょに数年ぶりに訪問。
・ 猪野さんは「湘南科学史懇話会」を主催していて、古希を迎えた現在も『資本論』や『純粋理性批判』を原書で読み続ける「飽くなき探求者」である。
・ 出会いは、大学院生だった私が駿台で英語を教えていた頃(つまり30年前)に遡る。同じ駿台で物理を教えていた猪野さんと、講師室でいっしょになりお喋りをするようになったのが始まり。
・ 私が山口から東京へ戻ってからは、朝日カルチャーセンターでの私の講座を猪野さんが受講してくれたこともあった。
・ 今回は、拙著『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』(講談社)の感想・コメントなども含めて、猪野さんの回りに集う「面白き人たち」の話や初孫誕生の話などを聞かせてもらった。
・ これから書き始めようとしているレスリング本(『哲学者、51歳でレスリングを始める』(仮題、ぷねうま舎)について、私の現段階の思案についてお話しして、助言なども頂いた。

【2015年8月17日記】

◎ 2015年8月16日(日) 「読者の感想より」
・ https://youtopia-otama-blog.amebaownd.com/posts/13... より。
・ MS-06F KAZU @kazu_otama 読むのに一週間以上かかりました。

Ameba Own
入不二基義著『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』感想 口笛を吹きながら | YOUTOPIAを目指して。
この装丁、めちゃかっこよくないですか!?!?!?!?!? 黒地に白抜きのタイトルというシンプルなデザイン。しかしよく見ると「THE FATE OF FATALISM」ってあるわけです(・・・・・・)
【以後の文章は、https://youtopia-otama-blog.amebaownd.com/posts/13... でどうぞ。】

【2015年8月16日記】

◎ 2015年8月16日(日) 「Amazonレビュー」
・ 現在、拙著『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』(講談社)のAmazonレビューが、3件ついています。
「哲学の熱い議論」
「諦念と不屈のあいだ」
「入不二哲学の集大成にして到達点」
http://www.amazon.co.jp/dp/4062195755/
【2015年8月16日記】

◎ 2015年8月15日(土) 「畏友・阿部君の文章」
・ 阿部嘉昭君が、「じゃんけん関係」という文章をアップして(http://abecasio.blog108.fc2.com/blog-entry-2273.ht... など)拙著にコメントしてくれたので、こちらにも画像で残しておきます。
・ 画像はクリックすると、拡大して読めます。

・ この文章は、阿部君によると「入不二くんの口調をパロったものです。ただし精確さがなく、詭弁に陥っている可能性がある。つまり「運命論」論議は詭弁をみちびく危惧がいつもあるのですが、入不二くんはそれを綿密な論理性で突破したのではないか」だそうです。
・ 最初に読んだときに、なんだか自分と妻の関係性のようだと思ったのは、そのせいだったことが後で分かりました。
【2015年8月15日記】

◎ 2015年8月15日(土) 「身体能力か・・・」
・ 拙著『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』(講談社)への言及(コメント)─メールや手紙によるもの等─の中で、印象に残る表現がいくつもある。
・ たとえば、「相変わらずのエネルギッシュな形而上学魂」「哲学的身体能力の高さに感動」「運命論へと引き込む腕力」「劇薬まちがいなし」「達人の生を生きる」「横溢する自由闊達さ」「シャープさに柔らかさと射程の長さが兼ね備わった感じ」「息を飲む刺激とともにそれまでの概念や感覚を揺るがされる」・・・等々。どれも本の「帯」にも使えそうな表現である。
・ 「身体能力」という比喩を使う文言は、(「入不二節(ぶし)」などと並んで)私の論考への評言では定着した感もある。
・ 文庫版『相対主義の極北』(ちくま学芸文庫)の解説で、野矢茂樹さんが「(・・・)私が入不二の書くものに感じ入るひとつの理由は、いわば彼のもっている思考の「身体能力」とでも言うべきものにおいてである。例えば、私が体操選手だったとして、私にはできない動きを見せている選手がいれば、うらやましく、そしてくやしくもなるだろう、そんな感じである。」と書いてくれているのが嚆矢か?

・ たしかに、思考の「身体能力」にはそれなりの自信はあるけれども、しかし、文字通りの「身体能力」の”高くなさ”には、レスリングの練習をするたびに直面させられている。
・ もう少し正確に言えば、平均よりは少々高い(かもしれない)程度の身体能力では、身体能力エリートであるレスラー集団の中では、その劣等を如実に突きつけられっぱなし。
・ 昨日午後(16:00〜18:00)は、大学レスリング部の練習に参加。4本のスパーリング(猪口君・竹之内君と)においても、全く何もできずに、いいようにポイントを奪われて、弄ばれるばかりで終わる。
・ 寝技のスパーでも、守りの時にはさんざん回され、攻めでは取り切れないまま時間切れ。
・ 2週間ぶりのレスリングで、しかも蒸し暑いレスリング場の中で動き回って、疲労困憊で終了。
【2015年8月15日記】

・ ツイッター上で、若い読者(@paradentana)の方が、さらにうまい言い回しで『ある、なる』を褒めてくれていたので、こちらにも引用して保存。
・ そのあとのリツイートへの連携もイイ。

・ 入不二先生の運命論本がすごく面白いのは、一つの問題に対して真正面から非常に精密な形で取り組む姿を僕らにも追体験可能な形で提供してくれるからなんだろうなと。その取り組みの中で新たな概念が産まれ、その概念を手に新たな課題に進んでいく。入不二先生の問題意識が自身のものと→
・ 異なっていたとしても、どのようにすれば「問題」に対して正面から取り組む事が出来るのかを実際にやってみせてくれるので、励まされるしその圧倒的な哲学的身体能力に感動する。言ってみれば、哲学的概念だけの解説だけをしてる解説書が陸上競技の結果だけを→
・ 伝えるようなものだとすれば、入不二運命論はアスリートの身体感覚をそのまま追体験出来るようなVR装置のようなものなのかなと。わっちも学会員の在り方とその源泉となっている教理と、だーいけ先生の「指導」との関係性を的確に摘出する学会論を完成させたいお。


念仏bot ‏@namuamidabutz
どんなに深遠で切迫した哲学的課題もおっぱいの前には無力


【2015年8月15日追記】

◎ 2015年8月13日(木) 「グッドブックデザイン」
・ 拙著『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』のデザインは、講談社内でも評判がよいらしく、今月のグッドブックデザインに選ばれたようです。(講談社学術図書第一出版部のツイートからの情報)


【2015年8月13日記】

◎ 2015年8月11日(火) 「レビュー」
拙著『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』(講談社)を、未読の人にもうまく紹介してくれているレビューがAmazonにあったので、引用してこちらにも残しておきます。

入不二哲学の集大成にして到達点
投稿者 Tod 投稿日 2015/8/10
形式: 単行本 Amazonで購入

 本書は単独作としては6年ぶりとなる入不二基義の哲学書である。前作『足の裏に影はあるか? ないか?』が随想集であったことを思えば、『時間と絶対と相対と』以来実に8年ぶりの哲学書ということになる。しかし待った甲斐があり、入不二本人があとがきで「主著」と位置づけているくらい、量的にも質的にも入不二哲学の集大成とも言うべき内容に仕上がっている。
『時間と絶対と相対と』の最終章「運命論から何を読み取るべきか」をさらに展開し徹底したこの作品は、もともと講談社の月間情報誌『本』に連載されたものであったが、単行本化の過程で大幅な加筆・修正がなされており、入不二哲学初心者はもちろんのこと、連載を読んでいた読者にとっても買って損のない一冊となっている。
 冒頭のプロローグからして気合が入っている。「概念を動かしてみる」と題されたそれは、それだけで一篇の哲学論文とも呼べるほどクオリティーの高いものである。もっとも運命論とは関係ないようにも見えるその導入部に、読者は一瞬戸惑うかも知れない。しかし冒頭で入不二が宣言しているように、本書は単なる運命論の本ではない。運命という概念が覆されるほどの破壊力を持った、正に副題「運命論の運命」にふさわしい革新的な哲学書である。
「運命」とは不思議な言葉である。「運」とは偶然であり、「命」とは必然である。排他的とも思える二つの語が結合して一つの言葉を形成している。それゆえ「運命論」と「決定論」は似ているようで異なる。さらに運命論/決定論には「解釈的運命論」や「因果的決定論」があるが、本書で扱うのは「論理的運命論」である。それは感情的解釈や物理的法則とは無縁の、論理法則のみに基づいた運命論である。
 そんな論理的運命論においてキーワードとなるのが「現実」という概念である。排中律(「PまたはPの否定のどちらかである」)というツールを使って、現実の全一性と唯一性があぶり出され、論理と現実の複層的な対立が明らかにされる。入不二哲学独特の極めて抽象的な議論であるが、現実という得体の知れない怪物が、入不二言語によってからめ取られてゆく様は爽快ですらある。アリストテレス、ディオドロス・クロノス、リチャード・テイラー、マイケル・ダメットらの考察を踏み台にし、しかもいずれの哲学者にも与することなく、入不二は論理的運命論を超越した形而上学的運命論の高みへと飛翔してゆく。
「運命論を本書のような仕方で考察したものは、これまでには無かっただろうし、今後も現れることはないだろう」という自信に満ちたあとがきの言葉は、全力を出し切ってやるべきことをやったアスリートの勝利宣言のようにも聞こえる。『相対主義の極北』『時間は実在するか』と並び、入不二哲学の現時点での到達点ともいうべき名著である。

【2015年8月11日記】

◎ 2015年8月9日(日) 「セミナー」
・ システマ東京主催の「第2回中井祐樹のBJJ入門」(文京スポーツセンター・柔道場)に参加。
・ 中井さんの新作DVD「中井祐樹メソッド柔術トレーニング」上(ワーク編)・下(ムーブ編)に合わせての、13時〜17時までの4時間のあいだ「ワーク」と「ムーブ」を組み合わせたセミナー。
・ 第1回のときも申し込んでいたが、直前に左肘の内側靱帯損傷をやったためキャンセルせざるを得なかったので、今回は待望の第二回。始まる前に、中井さんにも挨拶。
・ 一つ一つのワーク・ムーブの説明のなかで入る中井さんの「ひとこと」が興味深かった(ex.匍匐前進一つをとっても、脇を締めることを重視する日本的なやり方とブラジル的なやり方の違いがあることや、手を重ね合わせて集中点を仮想すること等々)。
・ こんな場所(武道場)で、1990年に駿台(3号館・文1α)で私に教わったというIさんに話しかけられてビックリ。私よりも、Iさんの方がビックリだったかもしれない。
【2015年8月10日記】

◎ 2015年8月7日(金) 「永井さんとのやりとり」
・ 山口旅行期間中の8月3日〜4日に、Twitter上で私の新著(『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』講談社)に関連する永井均さんとの会話があったので、以下に画像で残しておきます。
・ メビウス氏(@mobius774 )のツイートを、私がリツイートしたことがきっかけとしてなされた会話でした。


【2015年8月7日記】

◎ 2015年8月5日(水) 「週間ベストセラー@神田神保町・東京堂書店」
・ 神田神保町・東京堂書店の8/4調べの週間ベストセラーの10位に、拙著『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』(講談社)が入っていることを知りました。
・ 購入して頂いた方々、どうもありがとうございます。

【2015年8月5日記】

◎ 2015年8月1日(土)〜8月5日(水) 「山口での夏休み」
・ 山口市(11年前まで10年間職場だった山口大学がある)に、4泊5日で夫婦で旅行。
・ 東京に戻って以降も、私は出張などで何度も訪れているが、妻は11年ぶりの山口訪問。
・ 今回は、妻の友人宅に泊めてもらって、旧交を温める。
・ 山口大学在職当時は、同僚の複数家族もいっしょにその友人宅を訪れて、バーベキュー・パーティなどをしていた。
・ 使わせて頂いたのが、その友人宅の築100年ほどの母屋で、古民家を紹介したこのページ→「http://yamakomi.com/cn14/cn22/pg191.html」にも載っていて、時間の堆積を感じさせる家屋。
・ そのページ(http://yamakomi.com/cn14/cn22/pg191.html)には、その家屋の写真がいくつも掲載されていて、一見の価値あり。
・ その中から、3つだけ引用させてもらいます。
・ ↓ まず、縁側から。

・ ↓ この部屋で寝起きしていました。夜と朝は窓を開けて網戸にしておけば涼しいくらいで、エアコンなど不要。

・ ↓ トイレへと通じる廊下。夜中に電気をつけずに歩いたとき、何かが出てこないかと期待したが、会えなかった。

・ 2日(日)は、午前中にYCAM、午後〜夕方まで同僚だった正宗さんと「むくの木」で二人でおしゃべり。夜は、正宗一家(奥さんと子ども達)と妻も合流してみんなで夕食。
・ 3日(月)は、私が運転して、妻と妻の友人の3人で、山口市内を観光。
・ まず、木戸神社へ。この神社は、2年前に亡くなった愛猫キドが、三男と出会った場所であり、彼の名前の由来でもある。
・ キドは、まだ生後一ヶ月くらいの頃に山口の木戸神社に捨てられていた。木戸神社で遊んでいた小学校二年生の三男の後に、必死で鳴きながら着いてきて(生き延びる術はこれしかないと思ったのだろう)、三男が家に連れ帰り飼うことになった。
:木戸神社
・ そのあと、瑠璃光寺・五重塔→錦鶏の滝→東天閣で昼食→川端市場→住んでいた白石地区散策→矢原のカフェ(SHIRO46)へ。
・ 錦鶏の滝は、途中で車を止めて、徒歩でないと入っていけない山奥のスポットで、息子達が小学生だった頃の夏によく遊びに来た場所。
・ ↓ 画像は、その滝と近くにある不動明王。


・ ↓ 県立山口高等学校は長男の卒業した高校で、正門から入って左手側に建つこの記念館は美しい。

・ ↓ 高校のすぐ近くの借家に住んでいたので、その家があった近辺の(裏の)水路も歩いてみる。

・ 4日(火)は、妻の友人の運転で津和野(島根県)へ。その友人のお姉さん宅を訪問し、太皷谷稲成神社→「明月」で昼食→メインストリート散策。
・ ↓ 画像は、太皷谷稲成神社の高台から眺めた津和野の町。

・ ↓ 女性陣3人(妻・友人・友人のお姉さん)は店の中でお喋りを続けているので、私は外に出て座り込んで待っていたところ、店の中から写真を撮られた。

・ ↓ 「鯉の里」の鯉は、よく肥えている。

・ 短期間ではありましたが、この11年間忘れていた田舎生活のおいしい「髄」の部分を思い出させてくれた4日間でした。
【2015年8月5日記】

◎ 2015年8月1日(土) 「夏休み前の最後の練習」
・ 新著『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』(講談社)も無事に発売され、今年の課題を一つ終えたことになる。
・ 装幀の評判がすこぶるよい。
・ 昨日(金)は、大学レスリング部の午後練習(16:00〜18:00過ぎ)に参加。
・ 学生達の前期試験も終了したので、当初の予定(18:00〜20:00)を2時間早めての練習開始。
・ 打ち込み2本の後、3分スパーを14本で、私はそのうちの6本(3分×2を3回)入る。
・ 竹之内君に2回、猪口君に1回相手をしてもらうが、全く何もできずに終わる(せいぜい、がぶるところまで)。
・ 寝技のスパー10本のあと、ローリングの守りの技術練習。最後に腕立て伏せの補強運動。
・ 練習翌日に、また左肘を深く曲げるのに痛みが出てきている。
・ 学生達は来週から草津合宿だし、しばらく私の練習参加はお休み。左肘を休めるのにも都合がいいかも。
【2015年8月1日記】

◎ 2015年7月28日(火) 「発売日」
・ 本日が、入不二基義『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』(講談社)の発売日。
・ 教え子のツイートによると、発売日だからということで新宿や池袋の書店に行ったが、まだ入荷していないと言われたそうだ。
・ 出版社としての「発売日」と、書店としての「入荷日」「販売日」とは、必ずしも一致しないということ。
・ そんな中で、神田神保町の東京堂書店さんは、以下のツイートで分かるように、発売日の今日すでに入荷して展示してくれている模様。
・ さすが、東京堂書店!

【2015年7月28日記】

◎ 2015年7月27日(月) 「案内」
・ 講談社BOOK俱楽部のページに、入不二基義『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』の案内が出ました。
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=978406...
【2015年7月27日記】

◎ 2015年7月24日(金) 「アクリル文字/ハイクラッチ」
・ 来週刊行の『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』(講談社)の装幀(カバーと表紙)撮影のために使われたアクリル文字たち。
 

・ 昨日18:00〜20:00は、大学レスリング部の練習に参加。
・ 豪雨のあとでもあり蒸し暑く、サウナ的な状況の中での練習で汗だく。すでに打ち込み段階でもう2枚のTシャツを着替えている。
・ 前ブリッジからハイブリッジへの移行でやる「三点倒立」時に、手を離して(=頭だけで倒立して)5回連続で手を叩くというのをやる。
・ 打ち込み2本、3分スパー14本のあと、いくつかのグループに分かれて技術練習。
・ 私と猪口君は、ハイクラッチの練習。
・ 松田コーチによる最初のレクチャーと境君の途中でのアドバイスを基に、横につく・引いての崩しを入れる、下半身を使う等を気をつけながら30分ほど反復。
・ 来週拙著が刊行されたら、レスリング部用に一冊謹呈することを、長谷川コーチに約束。「あとがき」でちょっとだけレスリングのことに触れている。
【2015年7月20日記】

◎ 2015年7月24日(金) 「見本落手」
・ 新著『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』(講談社)の見本が講談社より送られてきた。
・ デザイナーの古田さんからのプレゼント(?)として、装幀(カバーと表紙)に使用した「アクリル文字(黒と透明)」が同封されていた。いい記念品になる。
・ 結局、索引部分で1頁増えて、全体で409頁。




【2015年7月24日記】


◎ 2015年7月19日(日)/20日(月・祝) 「名前/東京堂書店さん」
・ 夕刻より義母の家に、私と妻・長男夫妻・次男と彼女・三男が集まって、夕食会。
・ 次男の彼女のダンス発表会を記録したDVDを、みんなで鑑賞するのがメイン・イベント。大勢のダンサーが出演する舞台全体の映像の中からでも、意外にはっきりと本人をidentifyできる。
・ 食事とDVD鑑賞の終了後、彼ら彼女たち5人は、(三男が就活中の大学生ということもあって)仕事のことなどを話題にしながら、居間でお喋りしていた。私は、しばらくそのお喋りを脇で聞いていた。
・ 外資系企業に勤める長男の嫁さんは、姉として先輩として、三男にアドバイスしたり、仕事についての三男の考えを聞き出していた。
・ 就活中も含めて、仕事上の関係者との話の中で、「入不二」という名字が珍しいために必ず話題になるということを、息子達は口をそろえて言っていた。
・ おしゃべりは、さらに(名字から)息子達の下の名前へと移っていき、私が彼らの名前をつけたときの「理念と事情」(入不二家における名前のルールや私と父親との間の確執とか)を語る。
・ 何のルールも脈略もない思いつきやひらめきだけの名前も嫌だし、かといって家のルールに従うだけでもつまらないので、いかに私なりの工夫をしたかという「自慢話」を披露。
・ また、実現できなかった女の子の命名について、私がつけたかった二つの名前(「とわ」と「杏寿」)の話もして、3人の誰かに娘が生まれたら、使ってくれないかなぁという希望も述べておく。

・ Twitterで、東京堂書店さん(東京堂書店@神保町 ‏@books_tokyodo )から嬉しいお申し出。
・ 「入不二基義さんの『あるようにあり、なるようになる』(講談社、近刊)。特集コーナーをつくりたいな。熟読して臨みたいので9月頃。連載を拝読していた印象では、言及される文献は多くなさそうなので、当方なりにいろいろ考えながらリストを作成しているところです。」
・ さらに続けて、「井上忠さん『モイラ言語』(東京大学出版会)とか。「モイラ」は運命の女神。『あるようにあり、なるようになる』、サブタイトルは「運命論の運命」です。イノチュウさんが研究されていたパルメニデスでは運命論はどうなるのかな?『モイラ言語』には田中実昌さんの書評がありましたね。読まないと。」とのツイート。
【2015年7月20日記】

◎ 2015年7月19日(日) 「週3」
・ 月曜日夜は、BJJの打ち込み練習クラスに参加。相手と練習したい技を決めて2時間みっちり繰り返す。
・ 三通りのシチュエーションからの腕十字、二種類の膝で割るパスガード、ハーフガードからのスイープ、下からの十字締め・・・等々。
・ 打ち込み相手の一人は、63歳のベテランの方で、寝ている私に対して複数の技を次々と流れるようにかける打ち込みをする場面もあって、私の方は次々とタップしていくという感じ。

・ 金曜日夕刻〜夜は、大学レスリング部の練習に参加。
・ 普通のマット運動の前に、二人組になって左右両方の投げ技(一本背負い→首投げ→飛行機投げ→腰投げ)をしながら前進し往復する、というマット運動も経験。
・ 打ち込み2本のあと、12本のスパーリング(私は4本入る)。打ち込みとスパーを猪口君に、もう一回のスパーを竹之内君に相手をしてもらう。
・ スパーリング後は技術練習を30分ほど。プレッシャーをかけて相手が押し返して来るのを感じたところで、相手の頭を落とす。そこからがぶりやタックルへという流れの反復練習。
・ あるいはそこから、相手の肘をコントロールして斜め下のほうに崩すという反復練習。こちらは、難易度が高い。

・ 日曜日朝は、skレスリリングの朝練習に参加。
・ 準備運動(ジョグ/体操/マット運動/アップ/ストレッチ/前ブリッジ・三点倒立・ハイブリッジまで)→打ち込み→技術練習→寝技の打ち込み→スパー→補強運動という流れ。
・ 本日の技術練習(1)は、相手にcollar tie をしてもらって、その肘を外して横についてプレッシャーをかけていくという反復を、相手を変えながら4セット。
・ 本日の技術練習(2)は、両足タックルに入った後(相手が尻餅をついている状態から)の処理とそれに対する防御の練習とドリル。
・ 寝技の打ち込みでは、上半身の腕取りと下半身のturkを組み合わせた複合技も試してみる。
・ 集合写真でも分かるように、本日は(連休中からか)最近にしては少なめの参加者。


・ このペース(週2レスリングと週1BJJ)で続けていけるのがベスト。
【2015年7月19日記】

◎ 2015年7月12日(日) 「左利き?」
・ skアカデミー・レスリングの朝練習(8:30〜10:30、担当:野村コーチ)に参加。
・ (スキップ・ジャンプ・腿上げ・踵上げ・サイドステップを含む)ジョグ→体操→マット運動→柔軟→アップ(横ジャンプで人越え→馬跳び→股くぐり)のあと、打ち込み3本。
・ 技術練習(1)は、立ちバックを取られた状態から、へそを前に出しつつ(腰を落としつつ前進する感じで)で相手の腕を解いて対峙するまでの練習と、立ちバックで確保した相手をマットに倒すまでの練習(3種)と、その攻防練習。
・ 相手の吉川さんの弁では、相手のお尻を真下へと落とすタイプの攻撃が、一番効果的だった模様。
・ バックから相手の胴に回した手のクラッチを、右上と左上で変えながら試していたときのこと、「左利きですか?」と訊かれる。
・ 私の右利きクラッチより左利きクラッチのほうが明らかに強力で、一方は切ることができるのに、もう一方はできなかったから。
・ いや右利きなので、無意識にクラッチを組むと右組みになる。しかし今回、「力(クラッチの結合力)」という点では、逆の方が強いことが判明した。
・ でも、この類いのことは、いくつかの場面で(右回り(右捻り)か左回り(左捻り)か等でも)経験しているように思う。
・ しかも、場面ごとに、右が強い(やりやすい)のか左が強い(やりやすい)のかが違っていて、統一されていないというのが特徴。自分の表面上の「右利き」とは違う「左利き」身体が、深層や部分部分に潜んでいるような感触がある。
・ 技術練習(2)は、がぶられた状態から、スイッチで腰を切って体を入れ替えてバックを取る練習。もう一つは、首(顎)に回された側の相手の手を(2-on-1気味に取って)外しつつ体をずらす練習。
・ 前者のスイッチで逆転する動きは、決まるとカッコいいし、とてもレスリング的。
・ その後は、二人組になってマッサージ→寝技の打ち込み(アンクルに入ってその後の回転の角度が悪かったので、吉川さんの指摘を受けて修正を試みる)→スパー。
・ 冨川さんとのスパーでは、組み手争いの膠着状態が長く、取れたポイントは2-on-1からの押し出しだけで、タックルに入ったが切られてバックに回られた(その後は守りきっている)ので、「1−2」で敗北というところ。
・ 最後の補強は「腹筋運動」で、みんなで円になり、V字腹筋の状態で「色々なもの」を左右に受け渡していく。
・ 集合写真では、その「色々なもの」を各自持って写っている(私はボール)。

【2015年7月12日記】

◎ 2015年7月11日(土) 「二重映し/趣味的な好奇心」
・ 昨日録画を見た「森本千絵×吉本ばなな」の対談についての付け加え。
・ 2人は、ジャンルや世代は違えど同種の「魔女性」というか「怪物性」を感じさせる。
・ 新垣結衣のCMのあとすぐに、吉本ばなながクローズドアップされたときには、表層の清楚な叙情性(新垣結衣)と深層の魔女性(森本千絵と吉本ばなな)が二重映し(二重底)になっているかのように感じて、w( ̄o ̄)w オオー! 。
・ 森本千絵による「(CM映像を裏支えしている)設定」の巧みさも、吉本ばななの表情から滲み出る存在感も、この場合の「魔女性」あるいは「怪物性」。

・ 昨日18:00〜20:00は、大学レスリング部の練習に参加。
・ ランニング(サイドステップやスキップを含む)→マット運動→アップ(起き上がりダッシュ等)→柔軟運動。そのあと打ち込み5分×2(猪口君と)。
・ 3分スパー×10本のうち、私は4本(3分連続2本×2)入り、猪口君と岩崎さんと。
・ 岩崎さんからは、2-on-1を取って接近したところで、Inside Tripで倒されるという同じ攻撃を2回もくらう。
・ スパーのあとは、さし合いの攻防を相手を変えながら6セット、そして30分間の技術練習。
・ 私は、猪口君に相手をしてもらって2-on-1からの展開を何種類か反復練習。また、猪口君がタックルに(打ち込みよりは強めに)入ってもらって、それを切る練習も加える(半分守れて、半分取られた感じ)。
・ 私が、2-on-1から猪口君を投げた(今日はこの技は岩崎さんとのスパーでも使ってみた)ときには、「先生はそんな技も知っているんですか!」と猪口君は驚いた様子。
・ 「私のように趣味でやっている人間は、(試合では実践できなくとも)色々な技を好奇心で試してみたいし、知っているだけなら君たちより知っているかもよ」。
【2015年7月11日記】

◎ 2015年7月10日(金) 「森本千絵×吉本ばなな」
・ 「SWITCHインタビュー達人たち 森本千絵×吉本ばなな」(Eテレ)を見たあとに、新垣結衣のCM(キヤノンEOSM2)をチェック。
・ 帰ってこない彼氏の部屋という設定であるからこその、雨だれ撮影とか、なるほど。

【2015年7月10日記】

◎ 2015年7月8日(水) 「適切な提示順序」
・ 帰りがけに、渋谷にて「ストレイヤーズ・クロニクル」を観てから帰宅。
・ SFライクなアクション映画を期待していたが、むしろヒューマンドラマ的あるいはテレビドラマ的な味付けが、「設定」の面白さを鈍化させているように感じられた。
・ そのわりに、「反原発」メッセージの挿入や既視感さえある「生きたままの火葬死」のシーンは突出感があって、効果的なのか否かがよく分からない戸惑いもあった。
・ 私が感心したのは、以下の提示順序が、「格闘技的に」理にかなっているように思えた点。
・ 「3秒先の未来が見えるという超視覚」の能力を持ち(銃弾もかわせる)主人公が、サブミッション系の格闘技を習得したあとに、「痛みを感じない身体を持つ」弟分と格闘するシーン、そして最後に死なせてやるシーン。
・ 腕十字固めによる腕の破壊 →(痛みを感じない相手には関節を破壊してもムダ) → バックからのチョークスリーパーで落とす → (血流の阻害は痛みの有無とは関係なく有効なので、落ちる。しかし蘇生可能) → 相手の顔(鼻と口)を自分の胸に強く押しつけることで、呼吸そのものを阻害して死に至らしめる。
・ 関節を破壊してもギブアップしないということは現実の試合でもあるし、生物的な構造を考慮しても、関節技よりも絞め技のほうが有効─ここでは「近死性」が大─という点が、このシークエンスには現れている。さらに「血流阻害」以上に「呼吸阻害」によるチョークの「近死性」が大きいことも、このシークエンスには暗示されている。
・ 映画の趣旨に合致した、適切な「技」使用の順序だったと思う。ただ、格闘シーンの質としては、もう1人の岡田君には及ばないのは仕方のないところ。
【2015年7月8日記】

◎ 2015年7月7日(火) 「相対的なベース」
・ レスリングを始めて以降(特にここ1,2年)痛感させられているのが、若い頃に形成された「ベース」のあるなし、ということ。
・ たとえレスリングを始めたのが30代や40代であっても、10代や20代の頃に(格闘技ではなくとも)種々の競技経験のある人は、初心者であってもレスリングのレベルが違うし上達が早い。
・ 私が「肌で感じた」例では、体操競技の経験者やラグビーの経験者たちの持つ「勁(つよ)さ」や「しなやかさ」。それが他の格闘技経験ならば尚更のことだし、10代や20代でレスリングに打ち込んだ人には、たとえその人がその後20年・30年やっていなくても、レスリングではかなわない。
・ 私のように、何の競技経験もなく(運動部経験ゼロ、中学では演劇部で高校では文芸部という典型的な「文化系」)で、突然50代になって「擬似部活」のようにレスリングを始めた人間にとっては、そのような「ベース」の無さに、途方に暮れることがある。それは、おそらく10代や20代の頃でないと形成できない「芯」で、圧倒的に「手遅れ」だから。
・ とはいえ、最近レスリングに加えてブラジリアン柔術の練習を経験することによって、私にも遅まきながら5年分の「ベース」は形成されているのだと感じることができて、ちょっと嬉しい。
・ あくまで「相対的に(比較の上で)」という話ではあるが、つまり私と同レベルのBJJ初心者とのスパーであるならばという限定付きだが、その場合にはたしかにフィジカルな部分で差を感じることができるし、それに依拠して極めてタップを奪うこともできる(昨日のBJJ練習でも、三角締め崩れからの腕十字と袈裟固めからの圧迫によって、5分のスパーの中で二回極めることができた)。
・ これは、5年間のレスリング実践が、(青年時代の無経験を補うかのように)「相対的なベース」を代替形成してくれたということだろう。
【2015年7月8日記】

◎ 2015年7月5日(日) 「1位/教授をローリング」
・ 7月4日付けの近刊検索βのアクセスランキングTOP100で、近刊『あるようにあり、なるようになる―運命論の運命』(講談社)が1位になっている!


・ 金曜日(7月3日)の18:00〜20:20は、大学レスリング部の練習に参加。
・ スキップ・サイドステップ等を含むランニング→マット運動→イラン体操→柔軟運動のあと、打ち込み→3分スパー×14本→片足を取ったところからの攻防→寝技の攻防→技研というメニュー。
・ 私が入った5本のスパーは、境君・廣瀬さん・猪口君に相手をしてもらう。廣瀬さんは、女子とは思えぬ圧力と腕力。なんとか2Pで2回バックをとったが。
・ 数人で寝技の攻防を回していきながら、私が防御の時に、攻撃をしている後輩に向かって「教授をローリングで回せる機会なんて、なかなかないよ!」と仲上君が発破(?)をかける。そのかけ声で、攻撃者からの肋骨への締め付けがいっそうきつくなる。
・ いつもより長めの練習で、帰宅後にどっと疲れが出る。
・ 治ったばかりの左肘が、微妙に疼くように痛むので、本日(日曜日)のレスリング練習はお休みする。
【2015年7月5日記】

◎ 2015年7月1日(水) 「告知/BJJ練習」
・ 「告知」欄に、「現代哲学ラボ」の立ち上げと、その第一回講演会「運命論を哲学する − あるようにあり、なるようになるとは?」(講演:入不二基義、トーク:入不二基義×森岡正博)のお知らせを掲載。
・ 「告知」欄に、7月末刊行予定の『あるようにあり、なるようになる ─運命論の運命』(講談社)の書影─カバー+オビの立体/カバーのみの立体/カバー+オビの平面/カバーのみの平面/表紙の平面─5種類を掲載。
・ 特に、黒ベースのカバーと、カバーを外した後の白ベースの表紙の対比に注目。
・ その白い表紙のガラス的な感触のあるアクリル文字(The Fate of Fatalism)が、カバーでは黒く浮き上がるようにデザインされている。

・ 昨晩(6月30日(火)19:00〜21:00)は、BJJの練習に参加。
・ マット運動・準備運動のあと、クローズド・ガードを外して膝で割って入り後ろ向きのスイッチをしてサイドポジションへ移行する練習と、クロスニーのポジションから膝で押さえてパスガードしてのサイドポジションへ移行する練習。
・ 練習でやったことの限定スパーが続き、そのあとフリースパー。同体格で同じ初心者である25歳の青年とやって、二度のタップを奪うことに成功。しかし、初心者どうしだと、膠着状態が長く続いて「動き」がなくBJJ的にならない。
【2015年7月1日記】

◎ 2015年6月30日(火) 「索引再校/束見本」
・ 今日で6月も終わり。昨晩届いた「索引再校」のチェックを、昨晩から続けていてようやく終了。
・ これで、私のほうの作業は完全に終了。あとは、7月末に見本が届くのを待つ。
・ 装幀(カバー・表紙・オビ)はすでに校了済みですが、アップするのは7月に入ってからにします。
・ そのかわり、束見本の画像をアップしておきます。
・ 一枚目でその嵩・厚みが、二枚目でオープンバック仕様と仮フランス装なのに天もカットされているのが、三枚目でページ紙が(よく使われているものと比べて)より白いことが分かります。



【2015年6月30日記】

◎ 2015年6月28日(日) 「スパーに勝って、疲労に負ける」
・ skレスリングの朝練習(8:30〜10:30)に参加。
・ アップの時の「アメンボ歩き」(両手・両足を大きく開いた四つん這い状態での歩き)が意外とキツい。
・ その「アメンボ歩き」と「手押し車」での競争は、まだ治りかけたばかりの左肘に負担がかかることが判明。
・ 打ち込みのあとは、バックステップして落とすタイプの崩しの練習、スタンドのみのスパー、クォーター・ネルソンの技研、寝技の打ち込み、スパーと続く。
・ 東大レスリング部の3年生と、久しぶりにスパーで対戦。
・ 今回は、1ポイントも取られることなく、3分間で2回のフォールも奪うことができた。先週金曜日に反復練習した2-on-1もうまく使えて、引き倒して潰すのにも成功。
・ という具合に、スパーリング自体は「圧勝」だったけれども、頑張りすぎたせいか、帰宅後の疲労度が大きく、昼食後に寝落ち。

・ 画像は、練習後の集合写真と、最後の補強のときのもの。

・ 霜栄・大島保彦の両氏を知る駿台生(?)が、共著『大学デビューのための哲学』を購入し、そこに並ぶ(もちろん知らない)私の名前を見て、そして(おそらく)検索して、つぶやいていた。
・ 「名前が強そう。この二人に並んでるし無能ではないと思われる(失礼)」「んんんw 東大文学部卒51歳レスラーとは大草原不可避」「東大文学部出て51歳でレスリングってfunkyすぎる ハイパー爺ちゃんやんけ」。
・ 「funkyすぎる ハイパー爺ちゃん」!!
・ 昔は、俺もこの2人と並び称される「若手」人気講師だったんだぜ、と言いたい。
・ <追記> さっきの駿台生、なかなかイイぞ。 「 ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ funkyなんて敬意のなき発言申し訳ないですexcellent ハイパーお兄さんの間違いでした… 無礼なことをしてしまった お詫びに本を購入して少しでも印税の足しに…」とツイートしていた。いい奴じゃん。
【2015年6月28日記】

◎ 2015年6月26日(金) 「打ち込みづくし/束見本」
・ 大学レスリング部の練習(18:00〜19:30)に参加。
・ 今日は、試合(全日本や新人戦)後ということで、その反省点を確認しつつ(自分で課題を決めての)「打ち込み」オンリーの練習。
・ ジョグの中でのマット運動・イラン体操・柔軟運動のあと、私は竹之内君(2年)に相手をしてもらう。
・ 徐々に強度を上げて行って、スパーリング未満の攻守を入れ替えながら繰り返し、最後はグラウンドでポイントを取るところまでを、(間に一回だけ休みを入れさせてもらって)50分間。
・ 打ち込みをこれほど続けて集中的にやるのは、初めてかも。
・ 途中、かける技を決めておいたうえで、守る方も8割くらいの力で阻止するという打ち込みもやってみる。
・ underhook側の手と首に回した手でクラッチして、頭をつけて確保した相手とのスペースを利用して腰を回し、首投げへという展開を習って試してみる。
・ 竹之内君は私と同程度の体格なので、body lockする系統の技の練習もやりやすくて、とても有意義な50分間だった。

・ 本日(土曜日)午前中、講談社・上田さんより近刊『ある、なる』の「束見本」が届く。400ページ超えなので、それなりの厚み・嵩が感じられる。
・ 仮フランス装なのに天もカット(ふつう仮フランス装は天アンカット)で、しかもオープンバック仕様。スピン(紐しおり)もつけてもらった。
・ 本日夜は、青学会館にて、大学レスリングのOB総会と懇親会。私も副部長として出席予定。
【2015年6月27日記】

◎ 2015年6月26日(金) 「近刊検索」
・ 『あるようにあり、なるようになる―運命論の運命』(講談社、7月末刊)が、近刊検索βのアクセスランキングTOP100で5位に入っている!

【2015年6月26日記】

◎ 2015年6月25日(木) 「2010年の2月の身辺雑記・メモより」
・ 近刊『ある、なる』の仕事が一段落したので、次作予定の『哲学者、51歳でレスリングを始める』(仮題、ぷねうま舎)に取りかかるための「準備作業」を模索中。
・ とりあえず、2010年2月にレスリングを始めて以降の「身辺雑記・メモ」を読み返しつつ、時系列にかつツリー構造に並べてみようとして、コピペ作業。
・ レスリングではなく、入試への拙文出題に関してだが、2010年3月19日のところに、こんなのがあった。忘れていたけど、面白いな。
・ (「足裏影」の話からの出題で)今回の設問の中には、「そうこうするうちに、次男と三男も「ある」とか「ない」と叫びながら、話に割って入ろうとして騒々しくなった」という一文に線が引いてあって、その一文が本文中でどのような機能を担っているかを問う設問があった。
・ 中心的な内容を担っていないこの箇所でも、いや担っていないからこそ、問題が作れるんだというのが、ちょっと新鮮。解答は、「「足の裏の影」の問題を提起する導入部を終え、問題点の分析へとつなぐ機能」という選択肢だろう。なるほど、その通りだ。
・ ちなみに、この一文を書いたとき、筆者の頭の片隅にあったのはどういうことか?「長男だけ登場させるのでは、この文章を読めるようになったときに文句を言うかもしれないので、次男と三男も登場させておこう」だったことを、よく覚えている。
【2015年6月25日記】

◎ 2015年6月24日(水) 「校了/対角線」
・ 索引の初校ゲラへの校閲部による書き込みを参考に精査する作業も終わり、編集者の上田哲之さんとのメールによる確認作業のやり取りも一段落。
・ やはり校閲部の人の仕事は、細かいところまで見てくれて素晴らしい。
・ これで私の作業は終了し、今月いっぱいで最終校了となる。来月には印刷や製本の段階へ。出版まで、あと一ヶ月だ。

・ 昨日夜は、BJJの初心者クラスに参加(19:00〜21:00)
・ レスリングとはまた一味違うマット運動から始まり、スイッチのエクササイズのときも、レスリングの力感のある動きとは違って、小さくその場で四角形の頂点移動をしていくコンパクトな動き。
・ 色々な場面で、右足と左手、左肩と右足のように「対角線」を利用する所作が出てくる。
・ 基本的なサイドポジションからの腕十字固めと、ちょっと難易度が高いバックからの腕十字固めを練習。
・ 2本だけスパーもやって、(上級者クラスはまだ続くが)私は終了。
【2015年6月24日記】

◎ 2015年6月21日(日) 「父の日/朝練習」
・ 土曜日の夜に、長男夫妻が、父の日+三男誕生日が近いということでお菓子を持って来訪。
・ 彼らに近刊の「カバー・表紙・オビ」の初校(色見本)を見せると、黒ベースの受けがよい。
・ 彼らも前日に、映画「海街diary」(是枝裕和監督)を観たということが分かり、その映画の話になる。
・ 「ホタルノヒカリ」の綾瀬はるかと長女役の綾瀬はるかとの比較、四女とボーイフレンドの自転車シーンと宮崎駿のアニメ、三世代の女たちの物語という構造(ex.「あまちゃん」)、リリー・フランキーのうまさ、「長女役の綾瀬はるかに叱られたい」・・・・・・等々が話題になる。
・ 長男と「三角締め」のかけ合いをやってみる。彼も柔術とかやってくれると、練習相手にできていいのだが。

・ 日曜日の朝はskのレスリング練習に参加(8:30〜10:30)。
・ アップは、馬跳びと股くぐりの連続を10分間。柔軟運動の後、打ち込みを2本。
・ 打ち込みのあとは、相手の腕の「つっかえ棒」に対処してのタックルと、相手を押し込んで押し返されるタイミングでのタックルを練習。
・ がぶりからバックを取るまでの練習。私は、アームピットに頭をねじ込んで(潰しつつ)回り込んで、足を取るタイプを反復練習。
・ 寝技の時間には、寝技の打ち込みの後、腰を十分に切ってローリングに対処する練習。
・ 30分ほどのスパーのあと、最後の補強は、全員で両手を繋ぎしゃがんで輪になっての「横歩き」と、しゃがんだ状態で前の人の肩に手をかけて蛇のように連なっての「前進」。
・ 復帰後の練習にも、徐々に慣れつつある。


【2015年6月21日記】

◎ 2015年6月19日(金) 「収穫/装幀の話の続き」
・ 索引の初校チェックを、きりのいいところで中断して、大学レスリング部の練習に参加(18:00〜20:00)。
・ ジョギングをしながらのマット運動、イラン体操、柔軟などのあと、打ち込みを5分×2本(金井君と)。
・ 3分スパー×16本のうち、復帰後ようやく、3分連続2本を2回だけ、なんとかこなす(竹之内君と)。これは、回復の兆し。
・ 一度だけ、相手をボディロックして足をかけて倒すことに成功。本日の「収穫」だった。
・ 寝技のスパーを攻守交代で10本のうち、私は6本入る。アンクル狙いからの足折り畳み式股裂きへの移行が何度か成功。これも本日の「収穫」。
・ 補強は、四股100回+股割りスクワット100回。これは、私も何とかやり遂げる。整理体操をして、練習終了。
・ 練習後、大山君(1年生)に話しかけられて、アニメとプロレスの話を少々。

・ 昨日の「装幀」の話の続き。
・ カバー・表紙・オビのトータルで、「黒・グレー・白」の三つの組み合わせをうまく利用していることになる。
・ デザイン文字として入っている透明の「THE FATE OF FATALISM」という文字は、白+グレー系の表紙ではクッキリと、黒+グレー+白系のカバーでは黒の闇の内からウッスラと、浮き上がるようになっている。
・ カバーを外したあとの表紙では、(古田雅美さんの特徴の?)タイトル・著者名・出版社名を極度に小さくデザインするという手法が使われていて、デザイン文字の「THE FATE OF FATALISM」が中心。
・ オビの表の宣伝文句は、<「すべては必然的に起こる」のだろうか?/人間の運命を哲学する!/アリストテレスからダメットまで、時間と論理の哲学世界を博捜し、新たな運命論の地平を切り開く快著!>となっている。
・ オビの裏には、プロローグからの私の文章が引用されている。以下の箇所 <運命論は、運命の存在を肯定しようとする議論である。その議論は、これまで、多くの批判に晒されてきたし、また多くの擁護者も生み出してきた。/私はこれから、その運命論を少しずつ移動させて、書き換えることを試みる。「移動」「書き換え」とは、運命論をただ単にそのまま擁護することではないし、運命論を論駁して葬り去ることでもない。むしろ、移動先や書き換えられた姿は、両者の<中間>に位置することになるだろう。運命論も反・運命論もどちらも勝たないし、どちらも負けない。しかも引き分け終了もない。そのような特別な<中間>へと運命論を移動させて、書き換えていく。>
・ あっ、そうだ。カバーの後ろには、著者紹介と価格が印刷されているので、これで値段は確定かな。「定価:本体 2500円(税別)」とあるから、アマゾンの2700円という数字は税込みのもので、予約段階のみ2592円扱いで安くなっているんだ。
・ 400ページ越えという分量だから、2500円設定も仕方がないな。高めになって済みませんm(_ _)m
【2015年6月20日記】

◎ 2015年6月19日(金) 「カバー・表紙・オビ」
・ 本日、『あるようにあり、なるようになる─運命論の運命』(講談社、7月末刊行予定)のカバー・表紙・オビの三点セットの初校が届く。
・ デザイナーの古田雅美さんの手によって、私が漠然と語ったイメージ等も生かしてもらって、高度な水準でそれらが具現化されている。これは嬉しいぞ。
・ まだ初校ということもあり、画像を公開するのはもう少し先にならないとできないが、カバーは「黒」ベースの素晴らしいものに仕上がっている。
・ そして、カバーをとった後の表紙は、反転して「白(グレー)」ベース。カバーも、表は「黒」ベースだが、背表紙と裏表紙は「グレー」ベース。
・ さらに、カバーにも表紙にも、"The Fate of Fatalism" の透明な文字がデザインとして入っている。
【2015年6月19日l記】

◎ 2015年6月18日(木) 「変化」
・ 『あるようにあり、なるようになるー運命論の運命』ですが、今だと予約価格保証で「2400円+税」で予約できますが(アマゾン)、最後の値段設定は上がるのでは?(推測)。
・ というのも、ページ数が360ページから408ページへと訂正され(これが正しい総ページ数)、参考価格「2700円」というのが載っているので。
・ 著者でも、最終価格の設定は知らないのです。アマゾン経由で、あれこれ推測中なだけです。
・ 値段設定は、まだ流動的なのかな?「近刊検索β」を見ると、「2400円+税」が「2500円+税」に訂正されている。
【2015年6月19日記】

◎ 2015年6月15日(月)・16日(火) 「あいま」
・ 『あるようにあり、なるようになる─運命論の運命』(講談社、7月刊行予定)の本文・註・あとがきの再校チェックを終了し、月曜日午前中に講談社へ送る。
・ あとは、索引のゲラ待ちで、そのチェックが残っている。「まだ完全終了していないのに、予約ができるというのは不思議です」という(予約をしてくれた)学生の弁あり。
・ 月・火はまだ索引のゲラが届きそうもなく、「あいま」の時間ができたので、月曜日の夜はBJJの練習に参加、そして火曜日は「海街diary」を新宿にて鑑賞。

・ 前回は「体験」だったが、今回から「入会」。BJJの練習も(レスリングに+αで)定期的に細々と続けていくつもり。
・ 前回の三角締めと(マウントやニーオンザベリーからの)腕十字の復習。新たに、キムラロック・ストレートアームバー・V1アームロック(アメリカーナ)・肩固めの4つの連携・コンビネーションを習う。その「流れ」がパズルのよう。
・ 抑え込みのときの体重のかけ方について教わったことを、レスリングの場合と比較してみることは、とても興味深い。
・ いわば、レスリングがchest-to-chest型で、柔術がwaist-to-waist or hip-to-hip型というような違い。もちろん、「フォール」の概念の有る無しが影響していると思うが。

・ 「海街diary」(是枝裕和監督)は、四姉妹のそれぞれの魅力を2時間見ているだけで大満足(もちろん、ストーリーもよいのだが)。
・ しだいに「四姉妹の父」の視点で、彼女らを天から見ているかのような感じすらあった。「四姉妹の父」は死亡しているだけでなく、(回想としても)まったく登場しないことと、私が娘を持つことに憧れていたせいもあるだろう。
・ 舞台が鎌倉であることも大きかった。たった3年間ほどしか住んでいなかった場所だが、当時の私や家族にとって、鎌倉での生活は「疾風怒濤」そのものだったから。

【2015年6月15日記】

◎ 2015年6月14日(日) 「再校作業」
・ 朝からずっと『あるようにあり、なるようになる─運命論の運命』(講談社、7月刊行予定)の再校チェック作業。
・ 不備を見つけようとする作業は疲れる。
・ 同時に、もう何度も読んでいるにもかかわらず、しかも自著であるにもかかわらず、感心や感動や納得が訪れる箇所がいくつもあって、多幸感もある。
・ これって、いいことなのかな?
・ 詩作者・評論家の阿部嘉昭君から、「それがないと、本は出せません。ナルシシズムとはちがう」と言ってもらえた。
・ 友人の上野修さんも、自分の書いたものを読んで「すごい」とか「こんなこと考えてたのか」とか「面白い」とか言っていることを、奥さんから教えてもらった!
・ ちなみに、「結論ありき、じゃなくて、本人もよく分からない問題を論証で進んでゆく、ってゆうタイプの書き手はそうじゃないでしょうか」というのが、奥さんの弁。
・ 一方、永井均さんは「自著であるからこそ。何しろ自分の問いに答えてくれているから。他人の本はいつも微妙に的外れ(笑)」という、とっても永井的なコメント。

・ まだ予約段階なのに、amazonで「9,322位」がついてる。予約してくれた方々、どうもありがとうございます。
・ 『あるようにあり、なるようになる─運命論の運命』(講談社、7月刊行予定)


・ さらに・・・ビックリだ。予約受付中のamazonで、『あるようにあり、なるようになる ─運命論の運命』(講談社、7月刊行予定)3446位まで上昇していた。
・ そんなに予約してくれた人がいるのか。有り難いことだ。

【2015年6月14日記】

◎ 2015年6月13日(土) 「週末」
・ 昨日金曜日の18:00〜20:00は、大学レスリング部の練習に参加。
・ アップの一つとしてやった、<手を後ろに組んだまま、うつ伏せに寝た状態から(合図と共に)起き上がってスタートダッシュ>というのが、予想以上に難しい(やりにくい)ことが分かった。あと、マット運動での「片手側転」がうまくできない。
・ 打ち込みを猪口君と、3分スパーと1分スパーを猪口君・高木君・仲上君・佐々木さんと。最後に10分の打ち込みをもう一度猪口君と。まだ本調子ではなく3分の連続スパーができていない。
・ 久しぶりに、レスリング部OBとなった仲上君とも会うことができたし相手をしてもらえた。格闘家の米田君も試合を控えての練習に来ていた。
・ 練習終了後に、金沢君(4年)と大山君(1年)が2-on-1の取り合いをしながら技研をしているのを、しばし見学。このような「遊びつつ研究する」という一時の重要さを強く感じることが多いし、また私も強く渇望している。

・ 本日(土曜日)は、朝から夕方まで法事だったため、仕事(『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』の再校チェック)ができなかった。
・ この再校のチェックを月曜日までに終わらせないといけないので、残念ながら明日のレスリング朝練習には参加できそうもない。
・ 明日の日曜日は、一日中仕事だ。
【2015年6月13日記】

◎ 2015年6月8日(月) 「体験」
・ skのレスリング練習仲間の有賀さんの紹介で、比較的プライベートな雰囲気でやっている柔術クラブ(自宅の地下が練習場という環境!)にお邪魔して、体験練習。
・ 有賀さんに相手をしていただいて、柔術特有の身体動作などをいくつか練習した後、杉浦さんから指導を受けつつ、マウントからの腕十字や、ガードポジションからの三角締めの打ち込みを反復練習。
・ 最後は会長に相手をしてもらって、6分ほどのスパーも体験。上下を入れ替えてひっくり返されるときの「転換」感が衝撃的。
・ ようやく肘の負傷も癒えたところなので、これからレスリングをメインにしつつ、週一回くらいのペースで柔術の練習(NO-Gi・グラップリングもやりたい)を加えてみようと思う。

・ 自分の文章が大学入試で出題されるのは、もうすでに体験済みだが、最近は中学入試と高校入試にも出題されている。
・ 『子どもの難問』(中央公論新社)所収の「なぜ生きてるんだろう?」が、名古屋国際中学校の2015年度国語のB入試で使われているし、『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)所収の「無関係という関係」が、桐光学園高等学校の2014年度・学力考査問題【国語】(高校第一回)で使われている。
・ 前者は、(http://www.nihs.ed.jp/entrance/entry-346.html)の2015年度入試・B入試・国語・問題(「第二問」)で閲覧可能。
【2015年6月9日記】

◎ 2015年6月8日(月) 「ページ数」
・ 7月刊行予定の『あうようにあり、なるようになる ─運命論の運命─』(講談社)は、もうアマゾンに予約可で出ている(http://www.amazon.co.jp/dp/4062195755/)。
・ ただ、ページ数が360ページになっているのは間違い。最終ページ数は、索引を作成中なので分からないけど、現在確定しているページだけでも392ページなので。
【2015年6月8日記】

◎ 2015年6月6日(土) 「日本時間学会」
・ 私は土曜日の発表のトップバッターで、「四重の現在(The Quadruple Present )」というタイトルで発表。
・ 「瞬間としての現在」「特異点としての現在(まさに今・この今)」「推移する現在(動く今)」「無時間的な現在」の四つの関係性についてのお話。
・ 案の定、時間が足りずに最後の方の話は端折る。哲学の専門学会ではないので、「瞬間」の話のみに限定した方が親切だったかもしれない。
・ お昼は、青山さんと京都大学の女子学生(4年生)と。懇親会では、植村さんと森野さんの3人でずっとお喋り。
・ 懇親会後は、湯田温泉へ移動して、よく利用していたお店の「にんじん」で、辻先生、正宗さんと夜中の1時過ぎまで話し込む(11時くらいまで、植村さんも入って4人で)。
・ 本日は、「E系列の時間の諸相」と「楽曲の諸要因と注意がテンポと感じられる時間の長さに及ぼす影響」は聴いていきたい。
【2015年6月7日記】

◎ 2015年6月5日(金) 「近刊検索βより」
・ ただ今、山口の滞在ホテルに到着。これから、ホテル内のジムで軽くトレーニングしてこようと思っているところ。
・ 「近刊検索β」には、もう『ある、なる』の案内が出ていて、びっくり
・ まだ私の知らない「定価」まで載っているし、なにより、本の説明が懇切丁寧に長文で載っている。
・ 画像ファイルで貼り付けておきます(拡大してご覧下さい)。

【2015年6月5日記】

◎ 2015年6月4日(木) 「再校」
・ 『あるようにあり、なるようになる ─運命論の運命─』(講談社)の再校ゲラがようやく届く。
・ しかし、日本時間学会での発表のため山口へ行くので、金・土・日の三日間は直し作業ができない・・・。
・ 『あるようにあり、なるようになる ─運命論の運命─』(講談社)の発売予定日は、7月28日に決定。
・ そのため、本日手にした再校ゲラのチェックを6月15日までに終えなくてはいけない。
・ 再校ゲラでノンブルが確定したので、索引参照ページが入れられる。よって、索引ゲラが出るのはこれから。

・ 日本時間学会のスケジュールの画像を添付します。
・ 私の発表は土曜日朝のトップバッターで、「四重の現在(The Quadruple Present)」というタイトル。

【2015年6月4日記】

◎ 2015年6月2日(火) 「あざ」
・ 大学レスリング部の練習(18:00〜20:00)に参加。
・ 打ち込みを高木君に相手をしてもらったあと、16本の3分スパーのうち私は4本のみ入る。かなりバテ気味で、休んでいる間はレスリング場内や外の廊下を歩いて回復を待つ。
・ そのあとの寝技スパーも、私は前半だけ入って、初めて2年生の廣瀬さんとも組む。
・ 最後の10分の打ち込みは、猪口君に相手をしてもらって、特にtwo on one (russian tie)からの攻撃を復習。
・ 補強はレスラー式(擦り上げ式)の腕立て伏せ150回。私には150回は無理なので、途中休みを入れながら50回だけ。
・ 左肘は、疲れてくると微妙な鈍痛が覆うのと、押すと痛い箇所があるという状態。
・ 帰宅後、左腕前腕部に、赤黒い痣が、5cm/3cmほどの大きさの楕円形でできているのに気づく。ぶつけてできるタイプの痣ではなく、強く握られたり締め付けられたりしてできるもの。
・ しばらくリタイアしていて忘れていた「痣」だが、これまでも練習後にあちこちについていることが多かったので、「懐かしい」感じさえある。二、三日で消えるだろうが。
【2015年6月3日記】

◎ 2015年5月31日(日) 「skにも復帰」
・ skレスリングの朝練習(8:30〜10:30)にも復帰。
・ 4月以降会員が増えているそうで、昨日土曜日の練習では20名という「大所帯」だったそうだ。
・ 「レスリング・ブーム来てるのか?」という声もあり。
・ 準備運動でのしばらくぶりの「熊歩き」とか「カニ歩き」や、「馬跳び」「股くぐり」の連続がきつい。
・ マット運動も含めて、こういう「前段階」としてやる運動のきつさに、2ヶ月半のブランクが如実に表れている。
・ 打ち込み、袈裟固めの攻めと守り、片足を取ったところからの攻防、寝技の打ち込み、スパーリング、補強と続く。
・ 袈裟固めで圧力をかけて抑え込むのは、好きな技の部類に入るが、こういう練習の時でないと、(実戦の中では)なかなか完璧な形になることは訪れない。
・ スパーは、肘のことも考えて、一本だけ。なんとか無事に終了。
【2015年5月31日記】

◎ 2015年5月26日(火) 「復帰」
・ 2ヶ月半ぶり(3月14日以来)のレスリング練習。夕方6時からの大学レスリング部の練習に参加。
・ まだ整形外科の電気治療を受けているので無理は禁物であるが、どこかで思い切って「飛び込む」ようにしにないと、いつまでも復帰できない。間があくと怖さもあるが、ここで決断。
・ とはいえ、だいたい当初の予定通りの経過を辿っていて、2ヶ月ほどでとりあえずの回復に至って、3週間ほどジムで筋トレをしての復帰。
・ 準備運動では、久しぶりのサーキットとマット運動。筋トレやランニングは自宅やジムでもできるが、マット運動だけは完全に2ヶ月半ぶりなので、クラクラする。
・ 猪口君に相手をしてもらって、打ち込みを5分×2本。そのあとのスパーリングでは猪口君・藤田君・難波君に相手をしてもらって、20本中の4本だけ入る。
・ 藤田君は、1年生ながら先日の東日本学生リーグ戦でも活躍した「期待の新鋭」。
・ スパーのあとは、日体大OBの菊地さんの指導で、リーグ戦で気づいた点を踏まえての「がぶり」の技術練習。
・ 相手の肘をとる・膝をつかないという基本から、顎にかけられた相手の手の処理の仕方や無双+回り込みながらがぶりを外す等の応用まで。
・ 最後にもう一度、打ち込みを5分間猪口君とやって、整理体操をして終了。
・ なんとか肘は悪くはならずに復帰第一回目練習を終えられたが、翌日朝になって、体中がバキバキ痛い。やはり、ジムでの筋トレとは体の使い方が違う。
・ このまま調子が悪くならなければ、日曜日からskの練習にも復帰しようと思う。

・ 実際の痛み以上に、やったときの「絵」の残像─腕の変な曲がり具合─に悩まされたため、もう復帰できないかと思っていました。でも、忘れっぽいところが発揮されて(笑)、残像も消えつつあります。
【2015年5月27日記】

◎ 2015年5月19日(火) 「真言ビーム」
・ 先日の「鳥獣戯画」展と共に観た「明恵上人」展も面白く、特に「光明真言功徳絵」の「真言ビーム」がいい。
・ 明恵の勧めで昼夜を問わず光明真言を唱えていた定円が、亡くなった後、地獄の鬼たちに向けて五色の真言ビームを発して、鬼たちを畏れさせる。
・ 弱り切った閻魔大王は「もう娑婆(現世)へ帰れ」と言い渡し、定円は蘇生する!


【2015年5月19日記】

◎ 2015年5月15日(金) 「上野へ」
・ 左肘の靱帯損傷の治り具合は90%くらいでしょうか。ようやくトレーニングを再開しました。鈍った身体を鍛え直してからでないと、レスリングは過酷な競技なので再開できません。
・ 『ある、なる』は再校のゲラが出るのを待っている状態。「あとがき」の原稿を書き終える。
・ 特別展「鳥獣戯画─京都 高山寺の至宝─」 を観るために、妻と東京国立博物館へ。外で2時間待ち。館内でも、甲巻だけはさらに2時間待ちなので、あきらめる。
・ 図録等のグッズを購入。自分用にはTシャツと扇子。


【2015年5月15日記】

◎ 2015年5月7日(木) 「連休中」
・ 『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』(講談社、7 月刊行予定)の初校をこの連休中に終了。この段階でもまだ、かなり修正加筆。
・  靱帯損傷の左肘の治りは、80%ぐらいだろうか。まだ完全とは言えず、トレーニングを再開できていない。
・ 最も伸ばした状態と最も縮めた状態において痛みが走るし、長い時間縮めておいて、その後に伸展すると痛い。当該箇所を指で押すと痛みがある。
・ 初校の読み直しへの超-集中と、レスリング練習やトレーニング完全無し状態が合わさると、一日中家から一歩も出ない状態が続く。まるで「引きこもり」みたい。
・ 生活パターンの変化が極端だ、と妻からも言われる。
・ 義父(83歳)が亡くなったため、連休の終わりは通夜・告別式。進行が急速の多形細胞癌(胃癌)で、自覚症状が出て入院してから3週間で死に至る。大きな苦痛も長い闘病生活もなく、最後まで意識もあって、5人の孫たちと会話をしていたし、冗談まで言っていた。
・ 私自身の父が亡くなったときにも強く自覚させられたが、私は葬式の慣例のほとんどに強く嫌悪を感じる。読経や戒名をはじめ、儀式的なルールの数々(49日で位牌の色を変える等々)に対して、その慣例の手順についての相談ごとや進行が苦痛でならない。
・ 普段はその仏教的な世界観を呼吸しているわけでもないのに、死に際してのみ浮上してくる「慣例」というやつ。その世界観を深く呼吸しているのでその慣例に従うということならば、まったく文句はない。たいていは、このときだけ何となくそういうやり方に従ってしまうというのが実情。まぁ、それもまだいい。一番嫌悪感を覚えるのは、その慣例やルールへの精通を盾にして「生き生きと?」場を取り仕切ろうとする「有能な」振る舞い。そういう人がいないと、万事進行していかないのは、(大学行政などの)他の場面でも同じことだが。
・ もちろん、こう感じるのは、私の「無能さ」の裏返しである。かといって、その「無能さ」を直したいとも思わない。いやむしろ、無能さを徹底したい。
・ ところで、 初校まで終わった『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』は、Kindle版もいっしょに出る模様。
【2015年5月7日記】

◎ 2015年4月24日(金)」 「2周目」
・ 『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』(講談社)のゲラ(初校)読み直しの2周目に入っています。
・ 自分で書いたものでありながら、これだけの量(400ページほど)を読み直すのは大変。と同時に、よく書けているなぁと(ひとのものを読むように)随所で感じるといった状態。
【2015年4月24日記】

◎ 2015年4月21日(火) 「小項目入り目次」
・ 現在修正中の『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』(講談社)ゲラ(初校)の目次(小項目入り)



【2015年4月21日記】

◎ 2015年4月18日(土) 「誕生日会」
・ 長男の嫁と次男が4月生まれなので、自宅にて、誕生日夕食会。
・ 私は、修正中の「ゲラ」や、デザイナーによる表紙の3案メモを見せながら、完成に向かいつつある自著の話をする。
・ 長男嫁の誘導で、その『ある、なる』表紙3案の多数決を採ってみることになり、なぜそれを選んだのかについての各自の意見を述べ合う。
・ 第一案選択:長男嫁、第二案選択:次男、第三案選択:その他全員(私・妻・長男・次男の彼女・三男)という結果に。ちょうど、4月生まれの二人だけが、異なる選択。
・ あとから参加した三男は、誰と誰が(他の5人と)違う選択をしたかを知らなかったが、それが誰の選択なのかを見事に当てた。
・ しかも、嫁がなぜ第一案を選択したかの理由まで「分析」してみせて、長男嫁は唖然。大学生にしては、なかなかの観察眼。
・ 画像は、長男嫁に贈った花束とデザートのケーキ。
 
【2015年4月19日記】

◎ 2015年4月16日(木) 「途中経過」
・ コデックス装は、コスト的な理由により断念。林望氏の『謹訳 源氏物語』(祥伝社)を購入して、その感触を楽しみつつ読んでいるところだったので、残念。
・ しかしその代わり、「仮フランス装でオープンバック」という(開きやすさも取り入れた)装幀を目指すことに。
・ 私が希望として伝えたのは、表紙カバーとカバーを外した後との反転関係と、キービジュアルに関することと、タイトル・サブタイトルのこと、そして「栞ひも」のこと。
・ あとは、お任せするのみ。

・ ケガ(左肘の靱帯損傷)のほうはかなり治ってきていて、もう少し良くなれば、腕立て伏せもできるようになりそう。そこから一ヶ月くらいトレーニングをしてから、レスリングに復帰したい。
【2015年4月17日記】

◎ 2015年4月13日(月) 「コデックス装」
・ 新宿京王プラザ「樹林」にて、講談社の上田哲之さんとopportune designの古田雅美さんと、『あるようにあり、なるようになる ー運命論の運命』の造本・デザインについての打ち合わせ。
・ 本のマテリアルな部分についても話し合いができるのは、本を作るプロセスにおける大きな楽しみの一つである。
・ 古田さんから提案された「コデックス装」という本の作り方に興味を持った。まだ実現できるかどうかは未定であるが、これで行けると面白い。
・ この方式で作られた洋書を見本として手にとって開いてみたが、その開き具合の感触がとても心地よかった。
・ その製本形態をとった日本の本としては、林望氏の『謹訳 源氏物語』(祥伝社)が有名だそうで、その説明によると以下のようなもの。

本書は「コデックス装」という新しい造本法を採用しました。背表紙のある通常の製本形態とはことなり、どのページもきれいに開いて読みやすく、
平安朝から中世にかけて日本の貴族の写本に用いられた「綴葉装(てつようそう)」という古式床しい装訂法を彷彿とさせる糸綴じの製本です。


・ 表紙デザイン案、および表紙カバーを外したあとの見え方についても、私の希望なども伝えることができた。
・ 浮き出し文字のサンプル画像に写っていた「Pの文字をピンセットで摘まんで置こうとしている」のがとてもいいと思ったので、この部分もそのまま残してキービジュアルにしたらどうでしょうか、という提案もしてみる。

・ その他、本文の書記法等についても、意見交換。7月始めの刊行を目指すことに。
・ やはり、メールのやり取りだけでなく、こうして顔をつき合わせて話し合った方がいいなと思う会合であった。
【2015年4月13日記】


◎ 2015年4月11日(土) 「装幀についての提案」
・ 左肘の靱帯損傷の状態は、だいぶよくなってきている。週二回整形外科に通って、診察とリハビリを受けている状況。
・ レスリングの練習ができないので、そのぶん時間があって、初校の読み直しと修正に集中できている。「不幸中の幸い」以上の「幸」かもしれない。
・ デザイナーの古田さんからの装幀についての案(メモ)が、上田さんを通じて届く。月曜日にお二人と会って、この件についての相談をする予定。
・ 古田さんの提案のなかにあった、浮き出し文字を写真にとって使うやつは好みだなぁ。

【2015年4月11日記】

◎ 2015年4月8日(水) 「初校ゲラ」
・ 『ある、なる』の初校ゲラが届く。連休明けくらいまでに、修正を終えるべしとのお達し。
・ 本文と註で392ページ(画像参照)になっている。
・ これに索引とあとがきが加わると、400ページを越える?
 

【2015年4月8日記】


◎ 2015年4月7日(火) 「重版7刷」
・『子どもの難問』(中央公論新社)が重版して7刷になったお知らせを編集者の松本さんからいただく。
・ 私は二つ書いている。「なぜ生きているんだろう?」(神崎繁/入不二基義)と「哲学者って、何をする人なの?」(戸田山和久/入不二基義)。
・ 執筆者紹介に、出身小学校・中学校が出ているのは珍しい。

【2015年4月7日記】

◎ 2015年4月3日(金) 「打ち合わせ」
・ ぷねうま舎の中川さんと、青学横・アイビー通り沿いの「蔦珈琲店」にて、レスリング本の打ち合わせ。
・ 『ある、なる』の索引作成や初校の直しが終わった辺りで、次のレスリング本の執筆に入って、夏辺りには書いたところまでの部分的な原稿を見てもらえるようにしたい。
・ ほとんどの時間、いま最終段階の『ある、なる』の話を私がしゃべっていた。ご自分の担当本でもないのに、中川さんは面白がって聴いてくれるので有り難い。
・ 店内から見える庭の桜も、もうすぐ終わりかなという感じだった。

【2015年4月3日記】

◎ 2015年3月31日(火) 「麻布」
・ 17時過ぎになって、青学の研究室から広尾駅まで歩いてみると、30分弱で到着。
・ 「麻布さ和長」にて、霜栄・石川巧の両友人と3人で夕食。
・ 夕食後、café bar à vin Des Présに場所を移して、彼ら二人はワイン、私は珈琲とケーキ。
・ 久々に私と霜さんの議論が白熱して(一語要約すれば「大衆」問題か)、石川さんが間に入って「中和」する場面も。
・ 気づいたら、すでに夜中の12時半。
 

【2015年4月1日】

◎ 2015年3月30日(月) 「哲學第66号」
・ 昨年度の第73回大会シンポジウムのまとめのコメントを、齊藤慶典さんと私が書いています。
・ 日本哲学会編『哲學』第66号(知泉書館)。主な内容は以下の通り(http://www.gov-book.or.jp/book/detail.php?product_...より)


●第74回大会シンポジウム「ケア――共に生きる」
シンポジウム趣旨(金山弥平)
目に見えぬものたちと生きる――日本列島におけるケアと共生の系譜(佐藤弘夫)
ケアの現場から見えてくる「人間共生=寄り添い」の意義と必要性(高木慶子)
生老病死と共に生きる――ケアの臨床哲学にむけて(浜渦辰二)
●学協会シンポジウム「教養教育――その歴史と課題」
学協会シンポジウム趣旨(金山弥平)
教養論の二つの系譜――パイデイアとレトリック・ヒューマニズム(加藤守通)
「教養教育」とは何か(松浦良充)
●第73回大会シンポジウム「未来という時間」総括(司会者 入不二基義・斎藤慶典)
●哲学教育ワークショップ「哲学教育と倫理・道徳教育」報告(司会者 眞嶋俊造)
●男女共同参画・若手研究者支援・ワーキンググループ主催ワークショップ「若手・非-常勤職研究者問題を考える」報告(司会者 河野哲也)
●応募論文
キーネーシスとロゴス――初期ハイデガーにおけるキーネーシス解釈(阿部将伸)
フッサールの反心理主義批判(植村玄輝)
テーテンスとカント――「超越的/超越論的」をめぐって(佐藤慶太)
ホワイトヘッド哲学における命題論――「理論負荷性」にもとづく命題概念の理解と命題にもとづく知覚論の考察(佐藤陽祐)
アリストテレスの完全な推論式とは何か(竹田浩一)
発達的観点から見た運動と思考との連関――運動の内面化説の検討(仲山佳秀)
●インターナショナルセッション総括 East Asia and Transnational Ethics(寺田俊郎)

【2015年3月30日記】

◎ 2015年3月29日(日)・30日(月) 「再度修正/研究会/リハビリ/桜」
・ このところ、『ある、なる』全体の再度の修正を行っている。もう入稿済みなので、今やっている修正は初校ゲラに加えることになる。何度見直しても切りがない。
・ レスリングができないと、仕事が捗る。悪いこともあれば、よいこともある。
・ 29日(日)はcogito研究会。
・ 山田有希子さん「ヘーゲル論理学の存在論としての可能性について ─『大論理学』における「矛盾」概念の考察から」と、植村恒一郎さん「ラカンにおける男性性と女性性」の発表。
・ 私は途中、所用のために一度退席し、研究会後の夕食会に再び参加。

・ 30日(月)は整形外科に行って、左肘のリハビリ(電気治療)と診察。
・ 緑道の桜を眺めつつ帰宅。

【2015年3月30日記】

◎ 2015年3月23日(月) 「一週間の諸事」
・ 16日(月) 「足裏影の会」(朝日カルチャーセンター講座の常連)のお茶会
・ 18日(水) 『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』(講談社)の原稿(630枚程度)の第一修正バージョンを送信。
・ 19日(木) 東工大社会人教育院講演「正反対の一致」: 腕を吊したまま、90分のところを延長して100分しゃべる。そのあと20分間質疑応答タイム。東工大のOB・OGを中心とする聴講者たちが積極的で、講演内容とは関係のない「安倍首相へ一言」というものまで飛び出した。
・ 20日(金) 心理学科卒業パーティと謝恩会。
・ 21日(土) レスリング「関東選抜クラブ選手権大会」にskアカデミー+横須賀navyの合同チームが出場するので、応援へ。7チームを二つのグループに分けてのリーグ戦+トーナメント戦の結果、なんと優勝!初代チャンピオンに輝く。単なる「観客」のほうが、落ち着いてじっくり観られるというよさはあるが、団体戦で盛り上がっているだけに、ケガで「蚊帳の外」なのは寂しさもある。
・ 23日(月) 研究室で昼食後、シアター・フォーラムでエドワード・ヤン監督・脚本の「恐怖分子」を観る。最後の「嘔吐」で、さらに連鎖が続く感じのままで断ち切られた。
 
・ ↓の画像は、20日(金) 心理学科卒業パーティと謝恩会での、教員挨拶シーン。

【2015年3月23日記】

◎ 2015年3月16日(月) 「ケガ等雑感」
・ 前日よりは少し腕全体の「不能感」が弱まった状態で、もう一度整形外科へ行って検査・診断。
・ 左肘内側靱帯損傷と内出血状態とのことで、思ったよりも酷い状態(要手術とか)ではなく、一安心。
・ 肘回り全体に痛みがあるのと、曲げ伸ばしできる範囲が限られるのと、押し引きに力を入れるのが痛くてできないというのが現状。使えるのは指先のタイピング程度の動き。
・ 今回は、やった瞬間の「絵」(曲がってはいけない方向・角度で曲がってしまった自分の腕を見たこと)が、とても気分に影響している。
・ 昔、小学校の高学年のときに、全速力で走っている最中に(足もとに張ってあった紐に)躓いて、ダイビングするかのようにコンクリートにエルボードロップする形になって、今回と同じ左肘を痛打して、骨折+脱臼したことがあった。
・ その時には、妙な形で骨が肘から突き出ているのを目にしたが、その時以上に、今回は「変な形」になった自分の腕を目にして、気分が悪くなる感じだったし、その残像がしばらく続いた。
・ 周りにいた人もその「絵」を見ていたために、これはヤバいということになって、土曜の夜に救急病院へとかけつけたのに、この程度で済んでいるのが不思議なくらい。

・ しばらく外出時は腕を三角巾で吊して「マーキング」しておかないと、危なくて混んだ電車などに乗れない感じ。
・ 夜(19:30〜22:00)は、「足裏影の会」のメンバー(朝日カルチャーセンター講座の常連)と新宿「樹林」でお茶会。
・ 私が持ち出した話題では、「財産相続を全廃して全て再分配したらどうなるか」や「種を越える性(獣姦)」など、いつもあまりしない系統の話もあった。
【2015年3月17日記】

◎ 2015年3月15日(日) 「レスリング部4年生の送別会」
・ 午後から、龍城赤坂店にて、大学レスリング部4年生の送別会に出席。
・ 私は、三角巾で左腕を吊した状態で何とも不自由。
・ 挨拶では、このケガも利用して、「昨日の昼間の段階では、この腕を吊った未来は全く想定すらしていなかった」「私がみんなの年の歳のときには、将来レスリングを50代で始める未来など想定すらしていなかった」という未来論を少々。
・ 写真は、太田監督から贈られた色紙を持ちTシャツを着た4年生の面々と、集合写真。
  
【2015年3月16日記】

◎ 2015年3月14日(土) 「またもや」
・ 夕方17:00からのskレスリングの練習に参加。
・ 最後の方の寝技のスパーで、相手のローリングを耐えたときに、左腕が巻き込まれてあらぬ方向に曲がって、左肘を負傷。
・ 私だけでなく、至近距離で見ていた人も、声を上げた(「痛ぇ」/「あ〜」「やべぇ」)。
・ 即座に氷を運んできてくれて、腕を固定。すぐに救急病院へ行った方がよいということになり、(左手は使えないので)みんながレスリングシューズを脱がせてくれて、荷物を詰めてくれる。
・ 二名に付き添われて、病院へ。最初に行った病院は、これから救急車で運ばれてくる急患が3名いて、その後になるので何時間か待つことになると言われ退散。
・ そのあと大久保病院まで行って、しばらく待って診察となる。
・ レントゲン撮影の結果、骨折はしていなかった。左肘内側の靱帯損傷だろうということで、ギブスで固めますか?と聞かれたがが、それは断って薬だけ出してもらう。
・ 会計にも時間がかかり、結局病院を出られたのは9時頃。
・ 帰宅して、腕は動かせるが、左肘の痛みが続いているのとは別に、左腕全体がどうも変。もしかしたら肘だけではなく、肩から上腕部も痛めているかもしれない。
・ せっかく、春休みになろうかというのに、またまたしばらくの間練習ができない。

【2015年3月14日記・15日画像追加】

◎ 2015年3月13日(金) 「岡崎京子展」
・ 夕方、車で「岡崎京子展」(世田谷文学館)に妻といっしょに出かける。
・ 『リバーズ・エッジ』が再読したくなったけれど、他の作品と違って、簡単に買えそうもない(amazonでも2万円以上の値段になっている)。
 
・ 世田谷文学館入り口にある池の鯉。

【2015年3月13日記】

◎ 2015年3月12日(木) 「解像度を上げた遡及的な説明/『ある、なる』の装幀」
・ 夕方18:00から、大学レスリング部の練習に参加。
・ ランニング・アップ・マット運動・柔軟のあと、打ち込み2本・スパー12本・技術練習・補強と続く。
・ 打ち込み・スパーでは金井君と難波君に、技術練習では金井君・竹之内君・高木君に相手をしてもらう。
・ 技術練習は、長谷川コーチのレクチャーのあと、ハイクラッチの攻防練習。
・ ハイクラッチで横につくためには、二歩目の足が十分に前へ出て相手に寄せていなければならないし、そのためには一歩目の踏み込みが深くないと遠くて入れない。
・ さらに、一歩目の踏み込みを駆動する後ろ足のけりを(レベルダウンと共に)準備するのは、相手を崩すのと同時がよくて・・・。
・ 長谷川コーチと松田君の解説を合わせると、上記のように一手前・二手前・・・という「遡及的な説明」になっていて、解像度が上がるような解説である。
・ 補強運動は、座った状態での足上げやV字腹筋や回転など。その座って足を上げた状態から、腹筋を使って身体を引き上げて連続的にジャンプジャンプ・・・30回(お尻でジャンプしているかのような感じ)というのは、私には無理だった。

・ 昨日本文と註の原稿を提出した『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』だが、その装幀の依頼を(私が希望した)古田雅美さんに快諾してもらえたことが、上田さんからのメールで分かった。
・ なぜ古田雅美さんを希望したかというと、『<私>の哲学 を哲学する』(講談社)の装幀を担当していただいたのが古田さんで、その装幀を私はとても気に入っているから。
・ 古田さんの作品群は、ここ(opportune design)で見ることができる。
・ そのページの下の方まで辿ってもらうと、『<私>の哲学 を哲学する』(講談社)も載っている。
・ いずれ『ある、なる』もここに載せてもらえるのかな?

【2015年3月11日記】

◎ 2015年3月11日(水) 「原稿送信」
・ 10日(火)は、今年度最後の会議日で、夜は「星のなる木(ラ・ポルト青山)」にて、心理学科の納会を同僚たちと。
・ 大きく二グループに分かれる着席だった。あちら側からは「社会構成主義、現象学、云々・・・」という声が聞こえてきたのに対して、私たちの側では「雅楽・競馬・料理・食人・進撃の巨人・・・」などの話題で盛り上がる。

・ 11日(水)は、朝から夜までまた家に籠もって、『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』(講談社)の原稿執筆。
・ まだ「索引」は完成にはほど遠いが、本文と註に関してはひとまず完成に至ったので、講談社の上田哲之さんに送信。
・ およそ、連載時の1.6倍くらいになり、原稿用紙換算で630枚程度になっている模様。
・ 最後の方に、「大波に乗る」というサーフィンの話を比喩として使用しているのだが、その原稿の完成が3月11日というのも、何とも符合的。
【2015年3月12日記】

◎ 2015年3月8日(日) 「再び後輩と」
・ skレスリングの朝練習(8:30〜10:30、担当:藪井コーチ)に参加。
・ 原稿執筆のため一日中家にこもってパソコンに向かう日が何日か続いたあとに、レスリングをするのは身体に負担が大きくてキツい。
・ 本日の技術練習では、1.カウンターでタックルに入るタイミングをつかむ練習 2.両足を取って相手が尻もちをついた状態から攻める練習 3.two-on-oneの練習。
・ 1.では、手だけでなく頭部で防御しつつ、相手のタックルに合わせてレベルダウン、相手が上がるところにタイミングを合わせてタックルに入ることを、ゆっくり繰り返す。
・ 2.では、相手の両足下部(膝よりも下)まで腕を絡めてクラッチを組むことで動けなくして、自分の頭側とは反対側へ足・身体を移動する。
・ さらに、相手が抱えて返そうとしてきた場合と、手を後ろについて背中をつかないようにした場合に分けて練習。
・ 手を後ろについて耐えてきた場合に対しては、クラッチしていた足を自分の大腿部付け根に乗せて挟んで固定した後、片方の手を離して相手の手へ。
・ 相手が諦めて腹這いになろうとするところを狙って、アンクルへという展開を練習。
・ 3.では、手首をつかませてから取りに行く場合と、collar tieから押し込んで相手が押し返してきたところから取りに行く場合を練習。
・ 引っ張り回すのではなく、肩の動きで少し崩した後、垂直に下へ身体を落として潰すやり方を練習。
・ 3分スパーリングでは、東大レスリング部の2年生とも対戦して、前半で私がフォールを奪い、後半でバテてきたところを逆にフォールを奪われる。けっこう楽しい戦いであった。
・ 集合写真の私の左右にいるのが、東大レスリン部の学生。35年の開きがある先輩と後輩ということになる。


・ 夜は妻の実家で、3日・5日・7日生まれをまとめて、義母・長男・妻の誕生日会。
・ 食後に、ケーキと桜餅の両方を食べて、おなかいっぱい。
【2015年3月8日記】

◎ 2015年3月6日(金) 「再会」
・ (山口大学を定年した後)保健医療経営大学で教えている辻先生が東京出張で滞在中なので、久しぶりに二人で夕食。
・ 新宿・小田急サザンタワー内の「響」で夕食、その後23時近くまでホテルの20階ラウンジでお茶。
・ 話のほとんどは、大学事情(山口大学の話も含む)とお互いの家族のこと。

・ BSフジの番組「原宿ブックカフェ」で、『子どもの難問』(中央公論新社)が採り上げられていた。
・ 「好きになるってどんなこと?」のところの、田島正樹さんの文章が読み上げられた。

【2015年3月7日記】

◎ 2015年3月3日(火) 「一週間」
・ 身体が鈍った感じがする中、大学レスリン部の練習(18:00〜20:20)に参加させてもらう。
・ この一週間は、人差し指のケガの回復待ちと原稿執筆専念のため、まったく身体を動かしていない。
・ 一週間空くと、練習開始前に自分で身体を動かしてほぐしておかないと、危ない感じ。
・ OBとなった仲上君も久しぶりの参加で、会うのは1月の試合のとき以来かな。
・ 打ち込みと技術練習は、金井君に相手をしてもらう。スパーでは、金井君・境君・仲上君と。
・ 仲上君からきれいに投げられた「飛行機投げ」が、ずいぶんと久しぶりで懐かしい感じ。
・ 技術練習では、さした状態(underhook)からの展開と攻防。
・ 最後の方では、佐々木さんにも相手をしてもらって、「いったん引き付けてから、腕を突き出した方がいい」というアドバイスを”かわいい声で”もらう。

・ 先週は、大学院関係の入試業務が続いていたのと、非常勤の先生たちをお迎えしてのスタッフ懇親会、さらに日大での特別講義などで、忙しい週だった。
・ 来週から予定されていた朝カル「哲学の読書会」は、人数が集まらずに中止。常連さんをがっかりさせてしまった。
・ 「今回はこれさえ知っておけばとりあえずブラジリアン柔術を始められるという「柔術のスターターキット」を伝授してもらいます。テクニックはもちろん、格闘技に向かう中井先生の哲学にもぜひ触れてみてください。」という案内に惹かれて、システマ東京勉強会の「中井祐樹のBJJ入門」に申し込んでみる。

・ 素晴らしい仕上がりだと思った映画「フォックスキャッチャー」の各国のチラシ画像が比較されていて、韓国版の出来が特に素晴らしいというコメントがあった。

本当にこの『フォックスキャッチャー』の韓国版ポスターは素晴らしい。主役3人の配置、表情、視線だけで映画の行方を物語ってる。最低限以外の情報を排したシンプルなデザインでここまで伝えられるのはすごい。

・ 以下、米国版・英国版・日本版・韓国版の順。


【2015年3月4日記】

◎ 2015年2月26日(木) 「大学院特別講義」
・ 日本大学文理学部の哲学科の「大学院特別講義」として、「運命論擁護と批判の間」というタイトルで二コマ連続分(180分)の講義を行う。
・ 執筆中の『ある、なる』から、第22章「ロンドン空襲」の議論と、第23章「族長の踊り」と「遡及的な祈り」の話を扱う。
・ 心配していた右人差し指は、黒板使用中も気にならないほど治ってきているので、あとは時間をかければ回復していきそう。
・ 懇親会の席で話したときに、格闘技経験者ではないけれど、映画「フォックスキャッチャー」と「レスラー」の両方を観ていて、とてもよい映画と評価している院生がいた(私も同感)。
・ 講義内での質疑応答と懇親会での質疑応答を含めて、いくつも興味深いコメントをもらったので、註でその一部に言及しておこうと思う。
・ メモとして残しておくと、以下のようになる。

  三つの挿話を、前章とこの章を合わせて包括的に扱ったことになるが、挿話間の差異に着目することも興味深い問題を含んでいる。たとえば、「ロンドン空襲」には神は登場しないのに対して、「遡及的な祈り」には(二つの現在を媒介する者として)神が登場するけれども、この神の在不在の差は本質的なのだろうか。「ロンドン空襲」の挿話(に対する私の読み方)からは、「全一性」から「唯一性」への転落が感じられ、「遡及的な祈り」の挿話(に対する私の読み方)からは、逆に「唯一性」から「全一性」への上昇が感じ取れるという違いがあるのではないか。また、「族長の踊り」の「踊り」は、「祈り」なのだろうか。「踊り」には、若者たちの勇敢さを引き起こそうとする「積極性」があるが、「祈り」はむしろ、そのような積極性の不能(ダメもと)にこそ基づいているのであり、「祈り」は単に「逆向き因果」の事例というのには尽きない特別さがあるのではないか。

【2015年2月27日記】

◎ 2015年2月24日(火)・25日(水) 「右人差し指第一関節ケガ」
・ 先週までが大学入試、今週は大学院入試関係の業務が続く。
・ 24日(火)・夕方6時からの大学レスリング部の練習に参加。職場のキャンパス内にあるレスリング場だから、研究室から徒歩3分!のありがたさ。
・ レスリング部OBで格闘家の米田奈央君が来ていて、翌日の試合のために仕上げられたその身体を間近で見る。色つやもキレも素晴らしい。
・ ランニング・ダッシュ・サーキット・イラン体操・マット運動・柔軟運動のあと、打ち込み2本を金井君と。
・ 12本のスパーリングのうち、私は5本入って、金井君と田中君と。田中君は強烈なtwo-on-oneの使い手なので、その技術を少しでも盗むつもりでやる。
・ 長谷川コーチのレクチャー+反復の技術練習は、本日は「四つ組み・さし」からの展開。
・ さした腕(かいな)を返して引きつけながらの押し。矛盾するような動き(上半身の引き付けと下半身の前進)の組み合わせ。そこから力を抜いてのいなし。両差しへの巻きかえ方。両差しになってからの相手の腰の折り方など。
・ 「かいな」や「もろ」という漢字ちゃんと書けるか?と学生に言いながら教えていたところは、長谷川コーチが教育学科卒で教員免許有りの人らしいところ。
・ スパーリング中に、右人差し指の第一関節をケガ。突き指っぽい感じだったが、帰宅後腫れてきて、内出血して青黒くなっている。大丈夫かな・・・。
・ 本日(25日)は、午前中に大学院入試業務。午後から修士論文発表会。明日は、日本大学文理学部の哲学科で、大学院特別講義。
・ 大学院特別講義では、「運命論擁護と批判の間」というタイトルで、執筆中の『ある、なる』から、ダメットの「ロンドン空襲」「族長の踊り」「遡及的な祈り」の3つの挿話を題材に話す予定。
・ この人差し指の状態では、チョークがちゃんと持てないので、黒板書きがつらそう。私は、けっこう黒板を使う方なので・・・。
【2015年2月25日記】

◎ 2015年2月22日(日)・23日(月) 「縦の動き/foxcatcher」
・ skレスリングの日曜日の朝練習(8:30〜10:30 担当:藪井コーチ)。
・ 藪井コーチの指導ということで、アップもマット運動も、いつもと微妙に違う動きがいくつもあって、新鮮。
・ sprawlで切る以前の段階でのタックル切り(手でマットを触り足を後ろに蹴り上げるように切る動き)にも、脇くぐりやタックルの練習にも含まれる、共通する「動き」に困難を感じる。
・ それは「上下の動き(レベルダウン)」であり、膝のスムーズな屈伸運動を利用した、身体全体を沈み込ませたあと上昇軌道を描くような<縦の動き>。
・ こういう動作の土台作りのために、スクワット運動があるのだろうが、スプリングのような「柔らかさ」と「スピード」を伴う縦の動きは、年寄りには身につけられない気がする。
・ がぶられた状態からの反撃として、振って頭を抜いてバックへ回る技と、外無双で転がす技の二種類。さらに、その二種類を組み合わせる練習も。
・ これらの技術練習を、私は新入会員の若者と。新入会員とはいってもレスリング経験者なので、その後のスパーリングを見ていても、強いし動きが違う。
 

・ 月曜日に新宿にて、『フォックスキャッチャー』を観る。
・ デュポンが「50歳以上の大会で復帰する」というシーンでは、(我が身に照らして)びっくり。しかし、そこでも勝利を金で買ってしまっている。
・ 母親への「抵抗」拠点がレスリングにあったのだし、回りにレスリング選手たちを集めたのだから、その中に入って肉体的にも「痛めつけられる」経験をしていた方が、デュポンはまだ救われていたのではないか。

【2015年2月23日記】

◎ 2015年2月17日(火) 「ぼろ雑巾」
・ 夕方からの大学レスリング部の練習に参加(18:00〜20:30)。
・ アップ・マット運動・イラン体操・柔軟・打ち込みのあと、十数本のスパーのうち私は6本入る(金井君・高木君・田中君に相手をしてもらう)。
・ いなしや崩しだけでマットに落とされたり、何度も同じ技でマットに這いつくばらされる私の姿は、「ぼろ雑巾」のようだなと思う。
・ two-on-oneを極められた状態でマットに落とされるとき、これ以上耐えようとすると腕が危ないという感じがして、自ら力を抜いて倒れ込むしかないというありさま。
・ スパー後は、長谷川コーチのレクチャーが入りつつ、ハイクラッチ気味に入って片足を取って潰れた状態からのスクランブル(攻防)。
・ 攻める側では、頭や肩の位置・身体の向き・足の処理などを、守る側では、両足への移行を防ぐための押さえ・(胴に回すのではなく)股間を通した手のクラッチ・そこからの返しなどを意識して反復。
・ さらに、そこから手前の状態へ「巻き戻し」て、取りに行く側と守る側の攻防練習。
・ いつもより長い練習だったこともあり、家に帰り着いて疲労困憊。
【2015年2月18日記】

◎ 2015年2月16日(月) 「よくある誤解」
・ 言われることがよくある「誤解」の事例を二つ。本日たまたま、この二つが両方ともあった。
・ 中島義道さんと私は哲学つながりで、大学の教員をやってますという話のあと、「アートスペース銀座ワン」に絵を観に来ていた人が、「大学の先生は、定年が遅くて長く働けていいですよね」と言う。
・ この「定年が(他の職より)遅い」→「長く働ける」というのが、よくある誤解。
・ 私「でも、そもそも大学教員として働き始めるのが遅いですから(私なんて、35歳で初めて専任の教員になったのだから)、定年が遅くても、長く働けることにはならないんですよ」。
・ そう私が言うと、相手の方は「そう言われれば、そうだなぁ」としきりと感心していた。

・ もう一つ。いま本の原稿を執筆中ですという話をすると、「ライターさんとか入るんですか?」「編集者の人が書き直しをするんでしょ?」「編集者ってうるさいでしょ」のような反応する人がけっこういて、びっくりする。
・ 他の人や他のジャンルの事情は知らないが、少なくとも私のこれまでの執筆体験においては、他人が介在したり、自分の文書が編集者から大幅に直されたことはなかった(もちろん、アドバイスを受けて、私自身が修正することはあるが)。
・ 「私の場合はそういうことはありませんよ。100%自分が書きますよ」と応えると、相手がびっくりすることがある。
・ 他人が手を入れなくては出版できないのだとしたら、私の場合「じゃ、やめる」という反応になると思う。
【2015年2月16日記】

◎ 2015年2月16日(月) 「銀座→京橋→日本橋」
・ 中島義道さんから、絵の展覧会(東京展初出品者有志によるグループ展)のお知らせをいただいたので、銀座の奥野ビル「アートスペース銀座ワン」まで観に行く。
・ 中島さんの二点は、「孤独な時1」と「孤独な時2」。その場にいた世話人の方(?)ともう一人のお客さん(?)と、しばしおしゃべり。
・ そのあと、京橋→日本橋と歩いて、丸善カフェで珈琲とケーキ。これから、kizuカイロプラクティックへ身体のメインテナンスに行くところ。

【2015年2月16日記】

◎ 【追記】
・ 先日の、オヤジレスラー系の話(朝日新聞記事・マスターズレスラーの飲み会・翌日の朝練習)についての、下記の身辺雑記を読んで、次のようにコメントしてくれた方がいた。
・ 引用します。「極めて真剣に本当の実質的なものとして、二度目三度目の青春を生きておられるかのように感じられます。演ずるというのではない、いま・正に、その時を実践するというか(イイネ!)」。とてもありがたいコメント。以下が、私のほうのリプライ。
・ ありがとう!20代のころは、身体的な可能性は大きいのに、それ以外の点で思うようにならなかったり、自由度が小さい。一方、今は、身体的には微々たる可能性しか残っていないけど、それ以外の点で好きなことが好きなようにできるし、自由度が大きい。なかなか、皮肉なものですね。

・ ディドロの『運命論者ジャックとその主人』独特の書き方と、私の「あるようにあり、なるようになる」という運命論とが、「運命に乗る」というポイントにおいて、ここまでシンクロできるとは思わなかった。エピローグをひととおり書いてみて驚いた。
【2015年2月16日記】

◎ 2015年2月14日(土)・15日(日) 「入試/飲み会/練習」
・ 土曜日は、朝から入試業務。同僚の先生から「朝日新聞の記事見たよ」と言われる。
・ 夜は、複数のレスリングクラブ合同の飲み会を、キラーカーンのお店(「居酒屋カンちゃん」)で。
・ 私は、高田道場の長久さんと隣に座って、色々なことをおしゃべり。

・ 飲み会翌日の朝(8:30~10:30)の練習(担当:野村コーチ)はきついが、飲み会の時にお互い「明日来るよね、ね!」と確認し合ったので、早起きして参加。
・ 打ち込みのあとは、崩しの練習。
・ 内側を取って押して(後ろ足で蹴ること重視)、押し返してきたところを崩して(円を描くようなバックステップを重視)・・・を繰り返す。
・ そのあと、崩しのみのスパーリング。
・ もう一つの技術練習は、がぶられたときのカウンター技。
・ 相手の肘を取っていることが大前提で、相手の膝がついている場合に(あるいは、動かして膝をつかせて)、肘を引きつけ・一歩踏み出し・外無双をかけながら、相手を転がす。
・ よく踏み出して転がすほうが、回転後に自分が上になりやすい。
・ スパーリング後の補強は、手を繋いで円になっての、スクワットとウサギ横歩き。

・ 帰宅後、昼寝をしてから執筆へ。エピローグ「運命に乗る」を一通り書き終えてみる。
・ まだ、プロローグの「全体通覧」の部分や、いくつかの章の補足修正、そして索引作成などが残っている。
【2015年2月15日記】

◎ 2015年2月14日(土) 「朝日新聞記事」
・ 本日の朝日新聞朝刊のスポーツ欄に、「オヤジレスラー続々参戦」という記事が写真入りで掲載されています。
・ 私の紹介とコメントも、「51歳で闘争心」という小見出しのあとに出てきます。
・ 「レスリングをしていると、原始記憶が自分の体内に戻ってくる新鮮さがあります。子どものころ、取っ組み合いをやりましたよね?」
・ 1月のマスターズ大会のときに受けたインタビューが、記事になったものです。

【2015年2月14日記】

◎ 2015年2月11日(水) 「エピローグ」
・ 執筆中の『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』のエピローグでは、ディドロの長編小説『運命論者ジャックとその主人』を扱う。
・ 第一章で国木田独歩の短編小説「運命論者」を使ったので、それに呼応する形で、小説を利用して閉じようという目論見です。
・ 果たしてうまく行くだろうか?
【2015年2月11日記】

◎ 2015年2月4日(水) 「朝練/卒業研究発表会/水木しげる漫画大全集第2期」
・ 大学レスリング部の朝練(7:00〜9:00)に参加。
・ アップでやった、正座からジャンプしてさらにバービーというサイクルを10回繰り返してダッシュというのが、キツかった。
・ 打ち込み2本を金井君と、そのあとスパー6本(14本中)を、金井君と佐々木さんと。
・ 技術練習では、松田君の指導で、さし(underhook)からの展開練習。さしを浅め(三頭筋あたり)に入れて距離をとるタイプ。
・ さし返し、さして落としてのがぶり、落とそうとして上がってきたところへタックルなどを練習。

・ 心理学科の卒業研究(卒論)発表会。私は、6本の卒論のコメントを担当。
・ 既定の小さな枠の中で、想定内の結果を(しかしちゃんとした手順を踏みながら)、導くというタイプが多い。
・ あるいは、着眼点(アイデア)は面白くとも、その面白さを生かし切れずに、既定路線や自分のこだわりに従って無理やり着地させようとする、というタイプもある。

・ 『水木しげる漫画大全集』の第2期の刊行が始まった。第1期は全部購入したので、今期も全巻購入したい。
・ 水木漫画は、私にとって「懐かしい」という言葉では足らない。「懐かしい」では、(時間的な)距離感が出てしまうから。
・ 読むと「あの時」そのものが戻ってきて、その気配の側が私を取り込んでしまう感じ。

【2015年2月5日記】

◎ 2015年2月2日(月) 「AGU NEWS 2015 No.75」
・ AGU NEWSで、レスリング部の記事が掲載されていた。
・ 太田監督・長谷川コーチ・松田前主将が並ぶ。

【2015年2月2日記】

◎ 2015年2月1日(日) 「振らずに落とす/realism」
・ skアカデミーで朝レスリング(8:30〜10:30、担当:野村コーチ)。
・ 新入会者or体験(?)の人がいて、マット運動までは一緒にやったのだが、気分が悪くなったのかリタイアして、最後まで見学していた。
・ それで、2010年2月にレスリングを始めたときのことを思い出した。初回の練習では、マット運動をやっただけで目が回り、足元がふらついていた。
・ 今では当たり前の準備運動としてやっているけれど、ふだん三半規管を刺激する回転系の運動をしなくなっている人にとっては、マット運動だけで「異文化体験」が味わえるだろう。レスリング特有の「変な」動きのマット運動もあるし。
・ 打ち込みの後、今日の技術練習では、片足を取ったところからのテイクダウンと、片足を取られたところからのタックル切り、及びクォーター・ネルソンを加えた切りと反撃。
・ 片足タックルに入った状態からのテイクダウンを、頭が外と内の両タイプで繰り返す。遠心力で振って倒すのではなく、自分の足を引く円運動の中で相手(の重心)を下へ落とすというポイントを意識して練習。
・ タックル切りでは、つま先を寝かせてsprawlする点や、腰骨を押しつけて切る感じを意識して練習。相手のクラッチが強くて切れなかった場合に、クォーター・ネルソンを使って切る、あるいはそのままひっくり返してフォールまで持って行く技も加えて練習。
・ 寝技の打ち込みのあと、スパー。
・ 柔術のチャンピオンの人とのスパーでは、バックを取られたが、そこからのローリングやネルソンは阻止できたし、こちらもタックルに入って足を持ち上げて抑え込むところまで持って行けたので、まあまあ善戦できたように思う。


・ レスリング練習後は、大阪から研究会のために出てきていた上野修さんと、「樹林」でランチとお茶をしながら哲学談義。
・ 『ある、なる』の最後部あたりで私がやっている議論(運命に「乗る」の「乗る」がどういう意味か)について聞いてもらって、なかなかいい感触が得られたので、この話で行けそう。
・ 山口大学在職当時(『相対主義の極北』なんかを書いていた頃)、上野さんと私が哲学談義をするとき、二人の共通認識の部分をよく「新実在論」などと呼んだりしていた。その考えと繋がるような最近の実在論的な潮流についての話になる。
・ 話題になったのは、Terence E. Horgan と Matjaž Potrčの"Austere Realism"やGraham Harmanの"Object-Oriented Ontology"や、或いは"Speculative Realism"など。
・ "Austere Realism"にはスピノザの「実体」を思わせるような“the blobject”という概念が出てくるが、Harmanのほうのobjectはライプニッツのモナド的か、というような話にもなる。
・ 久しぶりに会って、いきなりこういう哲学談義をしながら午後のひとときを過ごすところが、我々らしいところ。
【2015年2月1日記】

◎ 2015年1月30日(金) 「交錯配列」
・ 淵野辺の相模原キャンパスへ。安全のために(雪で滑らないように)長靴で出かけるが、これで教室に行って教壇に上がるのも抵抗があるなぁ。
・ 「あるようにあり、なるようになる」の交錯配列「あるようになり、なるようにある」から、「あるようになり、なるようにあり、あるようになり、なるようにあり、・・・」という反復や「あるように(なり、なるように)ある」「なるように(あり、あるように)なる」というショートカットも生まれる。
・ 「あるようにあり、なるようになる」は、前半部の「現実」と後半部の「時間」という二焦点の表現である。しかも、その焦点の一つとしての「現実」もまた絶対現実と相対現実という二焦点からなるし、もう一つの焦点としての「時間」もまた連続と断絶という二焦点からなる。楕円の焦点もまた楕円である。
・ さらに、前半部の「現実」と後半部の「時間」は、ただ単に並立するだけではないことを、交錯配列「あるようになり、なるようにある」と、その反復や短絡から読み取れる。「あるようにあり、なるようになる」は、その奥に、
・ 「・・・、あるように(なり、なるように)あり、あるように(なり、なるように)あり、・・・」という、垂直的な生成(瞬間の生成─あるようになる─)と水平的な生成(時間推移─なるようにある─)とのあいだの相互包含的な反復を畳み込んでいる。
【2015年1月30日記、31日追記】

◎ 2015年1月28日(水) 「がぶり研究」
・ 大学レスリング部の朝練(7:00〜9:00)に参加。
・ 試験期間に入ったので、参加者が少ないかなと思ったが、そうでもなかった。
・ 今日は、アップ・難波君との打ち込みの後は、長谷川コーチのレクチャー+反復練習で、ずっと「がぶり」に関わる技術練習。私はずっと高木君に相手をしてもらう。
・ 学生に上半身を脱がせて、その筋肉でできる「三角地帯」を示しておいて、がぶりで体重を乗せるポイントを教える説明は分かりやすく印象に残った。
・ がぶり落とした後、外無双の崩しからバックに回る反復練習をしているときに、右回り・左回りのどちらがいいか「論争」が、学生の間で起こる。
・ 長谷川コーチがやって来て、いっしょに検証してみたところ、「右回りするためにも、まず左回りをしてからの右回りがいい」ということが分かる。
・ これって「弁証法的な」総合だ。
・ がぶりは難しいが、バックステップとプレッシャーのかけ方に関しては、このところ、私も以前より進歩した感触がある。
・ 高木君とは、クラッチを組む方式や回り込むときに足で相手の手を押さえてしまう方式とかも試してみる。今日の練習は「がぶり研究」の日という感じ。
・ 最後に、高木君相手に再び打ち込みをして終了。
【2015年1月28日記】

◎ 2015年1月26日(月) 「『ある、なる』全体の目次」
・ 今のところ、こんな感じ。

【2015年1月26日記】

◎ 2015年1月25日(日) 「顔を背けると力が削がれる」
・ skレスリングの朝練習に参加(8:30〜10:30、担当:野村コーチ)
・ アップでは、二人組になって、馬跳び往復・馬跳び+股くぐり・股くぐりの8の字移動・ジャンプ越え+(身体を浮かせた相手の)下くぐり。
・ 打ち込みのあと、技術練習は(1)「頭を落とす+さし(underhook)」と(2)(1)からの「がぶり落とし+バックへ」と(3)(1)からの「がぶり落とし+牛殺し(pancake)」を練習。
・ (1)は左右ともできるが、その後のできる展開が私は左右では異なっているので、使い分けが必要。
・ (2)のときに相手に腕で回り込むのを防御させないために、「持ちかえて手取りバック」タイプと「まとめて畳んで引きつける」タイプの両方を練習。
・ (3)の「牛殺し(pancake)」では、相手の顎にかけた手で顔を背けさせると、相手は力が削がれて耐えられない。私は、踏み出す足が不十分だったので、威力が十分に出ていない。
・ 寝技の打ち込みでは、再びツイスター(ギロチン)にも挑戦してみた。
・ スパーは2Pともほぼやられっぱなしだったが、一回だけタイミングよくカウンター気味のタックル(というか突進)が入って、そのまま相手に覆い被さるように肩固め的な姿勢でフォール。いいところはこの一カ所のみ。

【2015年1月25日記】

◎ 2015年1月23日(金) 「mac/文章」
・ 自宅と研究室のデスクトップもノートブックもMacにして、iPadやiPhoneを含めて全部がAppleになった。次男と三男が使っているものも全てMacBookとIPhoneだし。この10年はWindowsメインでMac併用程度だったが、これで昔の環境に戻った。やっぱりMacイイ。
・ 明日の演習と関係があるので、拙著『哲学の誤読』(ちくま新書)の一部を読んでいる。その文章の感触がキツいし、怒っている感じがする。いや、実際かなり怒って書いていた部分なのだけど。いま『ある、なる』を書いているところだからこそ、(同じ自分の文章なのに)違いが大きいことがよく分かる。
【2015年1月23日記】

◎ 2015年1月21日(水) 「技/両価性」
・ 大学レスリング部の朝練(7:00〜)に参加。
・ アップの際、3人組みでやる「飛び越して、身体を投げ出して、転がって、また飛び越して・・・」に私も加わり、おっかなびっくりだったが何とかできた。
・ 私のように運動部とは無縁な学生時代を過ごした人間にとっては、レスリングのアップやマット運動の中には、斬新な身体の動かし方がいっぱいある。
・ 打ち込みもスパーも、金井君に相手をしてもらう。スパーは2本ずつ3回相手をしてもらうが、入ったタックルは全て切られるし、何度もがぶり落とされてバックへ回られる。
・ ほとんどの学生が授業へと向かう準備をする中で、松田君と難波君と私の3人で、寝技の打ち込みと最後にタックルに入る打ち込みをして練習終了。
・ 松田君がアンクルをかける時にやっていた、取った足に肩で体重をかけると同時に捻るようなやり方について、質問してみる。試しにやってみるが、高度で難しい。
・ 「足(脛)を交差させて固める」というのがアンクルの基本形だとすると、そのバリエーション・応用形、そこに至る経路が無数にあるような感じがする。
・ また、その一つ一つが、個人(各レスラー)の「職人技」的な持ち芸になっているような感じ。

・ 「"hostile"や"hostility"は"host(もてなす人)"が入っているのに、どうして「敵意のある」や「敵意」になるのですか?」と或る学生からきかれた。いい質問だ。
・ 「もてなす」ということには、もともと外部性が入り込んでいるというのがポイントだろう。つまり、<ある共同体に外部からよそ者がやってくる>というのが元にある。
・ そのうえで、その外部性(よそ者性)が両価的に迎えられることがもう一つのポイントだろう。つまり、「+」と受け取られると「歓待」の方へ、「−」と受け取られると「敵意」の方へという具合。
・ ついでに言えば、「いいかげん」や「てきとう」や「きさま」のように、もともと「+」の価値を持つはずの言葉が「下落」して「−」の価値を帯びたり、逆に「geek」や「おたく」のように、「−」から「+」へ転じる言葉もある。
【2015年1月21日記】

◎ 2015年1月20日(火) 「武田徹の新連載「メディアの命運」」
・ 『新潮45』2015年2月号に、旧友の武田徹(ジャーナリスト・評論家)の新連載「メディアの命運」が載っている。
・ その中で、彼と私が予備校で出会った頃のことがふれられていて、いっしょに同人誌を作ったことが書かれている。
・ 画像の赤線箇所。

・ その同人誌の名前は『破れ傘のノベラ』で、その発案者で中心人物だった湘南高校の友人・川村達彦はすでに故人である。
・ 武田徹の文章の中では、私はもう一度登場する。
・「・・・勉学に集中しない不良浪人生のことを受験の神様はお見通しだった。二人とも第一志望に進むことは出来ず・・・」と書かれているが、私に関しては、実態はもっと酷かった。
・ そもそも受験から降りてしまって、つき合っていた彼女との泥沼の同棲生活へとはまり込んでいくのだから。私がそこから抜け出して、もう一度勉強し直そうとしたのは、まだしばらく先であった。
【2015年1月20日記】

◎ 2015年1月17日(土)・18日(日) 「結婚式/ツイスター(ギロチン)」
・ 17日(土)夕刻より、長谷川恒平コーチの結婚式に、青山学院大学職員の方々(=新郎の上司)と共に、私もレスリング部副部長として出席(於:帝国ホテル)。
・ 当然のことながら、レスリング関係の有名人が多数出席していて、吉田沙保里選手と伊調馨選手は出席者の注目の的であった。日体大名物「エッサッサ」も見ることができた(「エッサッサ」は、中学時代の体育の先生が日体大出身で、私も運動会でやった経験あり)。
・ 画像は、新郎新婦と青学レスリング部関係者での撮影シーン。


・ 18日(日)朝はskのレスリング練習に参加(担当:野村コーチ)。
・ 「先週は、勝っていた試合なのに(最後でミスって)残念です」と何人かの人から言われる。
・ その先週の試合の反省も含めて、本日の技術練習では、両足・片足タックル切りを、野村コーチのレクチャーを受けつつ練習。
・ 重心の下方移動を伴うバックステップ、つま先を寝かせてマットとの間に隙間を作らない、頭の位置に気を付けることで互いの身体を一直線に重ねない等が、勉強になる。
・ 寝技では、股裂きを防御されたあとの腕取り(アームバー)を練習。
・ 私は、さらにそこからツイスター(ギロチン)を試みるが、相手の方が痛がって途中で断念。
・ だからというわけではないのだが、スパーリング中に、これまでとは違う前段階を経て、ツイスター(ギロチン)に近い技がかかる。
・ アンダーフックとオーバーフックでの互いに四つんばい的な「拮抗」状態から、私の方が相手の後ろに回り込んで、足をフックして擬似ツイスター(ギロチン)へ。
・ しばらく「拮抗」状態が続いたあとでの技への移行だったので、野村コーチからは「それを狙っていたんですか!」と声がかかる。いや、狙っていたわけではないのだけど、こういうシチュエーションからでもかかることがあるのだと分かった。
・ skレスリングのページ(http://skwrestilng.blog.fc2.com)にも、以下のようにマスターズ大会の報告が出てきます。


【2015年1月19日記】

◎ 2015年1月17日(土) 「プロローグ冒頭部分(案)」
・ 『あるようにあり、なるようになる ─運命論の運命』(仮題、講談社)のプロローグ冒頭部分(案)

 本書のテーマは運命論(fatalism)である。「運命論」と呼ばれてきた考え方を、「移動」させ「書き換える」ことを試みる。その「移動」「書き換え」とは、運命論をただ単にそのまま擁護(支持)することではないし、運命論を批判(論駁)して葬り去ることでもない。むしろ、「移動先」「書き換えられた姿」は、両者の<中間>に位置するだろう。運命論も反・運命論もどちらも勝たないし、どちらも負けない。しかも引き分け終了もない。そのような特別な<中間>に位置することになる「運命」は、両者の闘い(議論の応酬)の中へと実際に身を投じ、その渦中に巻き込まれることによってのみ、浮かび上がる。

 言い換えれば、「運命論」と呼ばれてきた(古代ギリシアから現代までの)議論─運命論批判と擁護の議論─を潜り抜けることを通して、運命論を捉え直し、運命論を改造し、運命という概念を書き換えていくこと、これが本書の課題である。その課題は、運命論批判に対しては、その批判の矢が運命論に届かないことを示すことによって、運命論擁護に対しては、その擁護が不完全なものにならざるを得ないことを示すことによって、つまり両面作戦によって展開される。その結果、当初の「運命論」は、その重心を移動させることになるし、その姿形を変えることになる。いわば、一点中心の円のように見えていた運命論は、二つの焦点を持つ楕円としての運命論へと変貌することになる。そして、「円」は、「楕円」の特殊な一形態として、その内に吸収されて終わる。本書のタイトル「あるようにあり、なるようになる」は、実はその「楕円」的な運命論を表現している。


・ センター試験の国語で、佐々木敦さんの『未知との遭遇』が出題された模様。この本では、私の運命論の議論がかなり紙幅をさいて扱われている。『ある、なる』の註では、佐々木さんの「最強の運命論」にもコメントを加える予定。『未知との遭遇』とても楽しく読みました。お薦めです。
【2015年1月17日記】

◎ 2015年1月14日(水) 「気持ちを新たに」
・ 試合が終わったことで区切りがついて、ようやく新年が始まった感じがある。
・ 気持ちを新たにして、大学レスリング部の朝練(7:00~9:00)に参加させてもらう。
・ 馬跳び→両足ジャンプ越え→ケンケン越え・・・で次々と進んで行って何周もするアップ(特に最後の方はスピードアップ)を、学生に混じってやってしまって次々進んでいくので抜けられなくなってしまったが、これは朝早い時間におじさんがやる運動ではない(笑)。
・ 打ち込み2本を金井君と、スパーリングでは、佐々木さんに3本、難波君に1本、相手をしてもらう。
・ 長谷川コーチのレクチャーのあと、片足をとってからのテイクダウンの練習。私は、澤田君と猪口君に相手をしてもらう。
・ 青山学院大学レスリング部のHPのNEWS欄にも、私の試合記事が載っています。

・ 1月10日(土)の夜つまり試合前日、早めに入ったベッドの中でうつらうつらしていた時のこと。
・ 翌日の試合のことを「妄想」しながら・・・となってもいいところだが、なぜか今執筆中の本(『ある、なる』)のいくつかの箇所の議論が頭に浮かんできた。
・ そして、なんと懸案中の或る問題が、解決されてしまった(探していた最後の「ピース」が見つかった)!「これで、最後まで行ける」という確信が得られるような閃きが、眠りに落ちつつ訪れた晩であった。
・ でも、なぜ試合前の晩なんだろう??
・ 早く、そこを含めて書きたいところであるが、まだ授業や試験やその他業務が残っているので、本格的に書けるのはもう少し先。「ひらめき」だけは、忘れないうちにメモをとりました。
【2015年1月14日記】

◎ 2015年1月11日(日) 「2回戦は不戦勝、準決勝は逆転フォール負け」
・ 昨日の全日本マスターズレスリング選手権大会の結果(戦況)報告です。
・ Aマット19試合目の2回戦スタートでしたが、相手の方がケガのため「不戦勝」となりました。
・ 実は、この初戦の相手の方は60歳ということで(この大会規定では今年度の年齢なので、私は57歳)、初めて自分より年上の人と対戦できるということで、楽しみにしていました。
・ それに、自分より年上ならば、(逆にもの凄く強い可能性もあるわけですが)もしかしたら勝てるかもしれないという「色気」もありましたので、残念でした。
・ ともあれ、公式戦の初勝利は「不戦勝」ということになり、マットの上で初めて手を挙げられる経験をしました。

・ 一試合目が流れて、次の試合(準決勝)が午後なので、それまでの空き時間を過ごすのにけっこう疲れました。
・ 準決勝は、39歳の山梨県の方と対戦。1Pと2Pの前半までは勝っていた試合で、そのあと相手のタックルを切るときに自分でバランスを崩してスリップしたところを、相手が見逃さずに攻めてきて、最後は逆転フォール負けを喫しました。
・ こんどは「青」のシングレットが私で、「赤」が対戦相手の方。
・ 1Pの始めの方で、私がまずバックを取ることで先取。

・ そのあと、相手に2-on-1で腕を取られたあとタックルに入られて、最初は切れそうだったが、さらに押し込まれて倒されて4点取られる。

・ さらにそのあと、今度は私がタックルに入り、倒して馬乗り直前まで行く。これでおそらく4点取り返している。

・ これで、わずかにリードして1P目を終えている。
・ 2P目も、最初にポイントを取ったのは私の方だった。片足タックルから倒して、バックを取っている。

・ 問題として残るのは、その後バックを取ってから、攻め切れていないこと。ここからさらに技へ連携させられないといけない。

・ そのあと、少々バテ気味でもあって、相手のタックルを切ろうとしたときに、スリップして自分から倒れてしまい、そこを相手が見逃さずにバックを取る。さらに腕取りからひっくり返されてフォールまで持って行かれてしまう。
・ 痛恨なのは、自分のスリップダウンがあったこと。そして、いつも自分が得意にしてる技でフォールされたこと。


・ 決勝は、私に勝利した39歳の山梨県の方と42歳の和歌山県の方。
・ 42歳の和歌山県の方は、亀井さんと同じクラブの方で大会前に挨拶を交わしていて、そのアップぶりも見ていたので、その動きからレベルが違うことは、実は始まる前から分かっていた。
・ なんというか、年齢は40歳過ぎでも、動きと身体は20歳代という感じで、力にあふれている。表彰式の写真を見てもらうと少しは伝わるかもしれない。
・ 39歳の山梨県の方は、上記のように振り返ってみても、私とそれほど差があるわけではないので、きっと決勝では苦戦するだろうなと思っていたが、案の定、レベルの差を見せつけられる試合であった。
・ その1位と2位の二人とも、もと体操選手という共通点あり。とくに、優勝者の動きや力感には、そのバックボーンが感じられた。
・ ということで、結局準決勝負けということで、規定上は第3位ということで、銅メダルをもらいました。


・ skアカデミーのメンバーの方や青山学院大学レスリング部のOB・監督・コーチ・学生の皆さんには、応援に来ていただいて、どうもありがとうございました。
・ うちの妻と3人の息子(と次男の彼女)たちも応援に来てくれていたので、いつもお世話になっている方に挨拶することができました。
・ その中で、同じ歳でもある三男と仲上君とのツーショットも撮れました。三男もガタイが良いので、まるでレスリング部員が二人並んでいるかのようです。

・ 表彰式終了後に、skアカデミーのメンバーたちと記念撮影もしました。

・ そう言えば、試合終了後に、朝日新聞の記者の方から取材を受けました。試合には負けているくせに、口先だけは強いので(^^)、喋りまくりました。記事になるのかな?
・ 以下は、準決勝の試合動画です。
1P

2P

【2015年1月12日記】 

◎ 2015年1月10日(土) 「大会パンフ」
・ 計量は、54.7kgで通過。
・ 今年度の大会パンフレットの表紙と、その次の見開きページには、昨年大会の写真が使われているが、その中に、私が対戦相手だった服部さんからタックルに入られている写真が!!
・ シングレットにAGUとIRIFUJIの文字があるから、かっこ悪いシーンだけど、誰だか分かってしまう(T_T)。
・ 今年は、その服部さん(昨年の優勝者・柔術家)は出場していないので、リベンジできない。機会があったら、新潟まで行って、スパーリングをお願いしようかな。
 

・ (追記)
午後4時に54.7kgで計量パス後、ラーメンとさらに夕食を(久しぶりに)腹一杯食べたら、56.3kgになった。この何時間かで1kg半は戻したわけだ。おもしろいね、体重はこの程度にはコントロールできてしまうものなんだ。この歳になって知る事実。
【2015年1月10日記】

◎ 2015年1月9日(金) 「試合前にもう一回練習」
・ 相模原キャンパスでの授業後、青山キャンパスへ戻って、大学レスリング部の夜練習(18:00〜20:00)に参加。
・ 授業後かつキャンパス移動後にレスリングをするのは、けっこうきついけれど、翌日が計量日、翌々日が試合なので参加させてもらう。
・ 打ち込み5分×2本は金沢君に相手をしてもらったが、金沢君の圧力が強烈なので、入ったり受けたりするだけでふだんのスパー以上に疲労度大。
・ 3分スパーリングは、佐々木さんと2本・境君・金沢君に相手をしてもらう。
・ 佐々木さんとは、長い勝負になると私のスタミナがもたないだろうが、3分限定でやれば、いちおう取ったり取られたりのスパーができる。その辺りが、私の現在のレベルのようだ。
・ (勝手ながら)「好敵手」なので、これからもスパーリングの相手をお願いしたいなと思った。
・ スパーリング後は、金井君に相手をしてもらって、組み手の練習を繰り返す。特に、金井君の突き出す右手にどう対処するかを考えながら、いろいろ試してみる。
・ 4月からは青山学院大学の職員になることが決まっている前主将の松田君が、フリーの学生たちにがぶり落としを指導していたので、私も一部分を教えてもらう。
(1)通常の利き手側で相手の頭を落とすのではなく、逆の手で落とすことによって、利き手は相手に入り込まれるのを防ぐ防御に使える。
(2)さらに、逆の手で上から、利き手で下から、相手の頭部を抱き込む形で挟み込んで、ボールを腹に抱き込むような仕方でバックステップでがぶり落とす。
(3)がぶり落とすときに、すでに少し横について、マットについた相手の手・腕を膝で踏みつけることで、バックへ回るのを防がれないようにする。
・ 長谷川コーチに続いて、松田君も大学の正職員になってくれるというのは、(レスリング部にとっては当然であるが)私個人にとっても、もの凄くありがたい。これから、すっと教えてもらえるのだから!

・ 本日は、これから計量へ。ただいま54.7kg。
【2015年1月10日記】

◎ 2015年1月7日(水) 「大学でも練習始め」
・ 大学レスリング部の朝練(7:00−9:00)に参加。
・ 日曜日のskアカデミーに続いて、大学レスリング部での(私の)今年最初の練習。
・ 試合直前なので身体をレスリングに慣らしておきたいし、前日計量のこともあるので、今週は金曜日の夕方の練習にも参加させてもらうつもり。
・ 打ち込みを金井君、スパーリングを金井君と仲上君に交互に相手をしてもらって(12本中の)6本。右組みと左組みの両方の練習ができた。
・ 「試合前なので、息をあげましょう」という仲上君の方針により、(いつもはもう少し穏やかに相手をしてくれるのだが)金井君も仲上君自身もいつもより激しく動き回って、私を翻弄するので、私はタジタジ。
・ スパーリング後は、組み手からタックルに入ってもらって、防御の練習。胴ねじりを加えながらのタックル切りも試す。でも、切る体勢になる前に、切れないほど入り込まれてしまうんだよね(反応遅い)。
・ 練習後に、難波君と竹之内君が二人で足の絡ませ方の技研をしているところを見学していて、よく考えているなぁと感心した。
・ 練習後に体重を計ってみたら、54.8 kg。1ヶ月で−5kgで、とりあえず、目標到達。
・ この年齢での減量中に困るのは、病気と間違われること。頬のこけた私の顔を見る視線に、「えっ?病気ですか?」という戸惑いを何度読み取ったことか。
【2015年1月7日記】

◎ 2015年1月4日(日) 「練習始め」
・ skレスリングの練習始め(8:30〜10:30、担当:今泉コーチ)。
・ 試合が近いので、いつもよりそれを意識した練習。
・ 残り30秒で2−0で負けているという状況設定で、2点を取りに行くという練習。
・ マット際での押し出し・押し出されの状況を設定して練習。
・ 手でプッシュするのは点にならないどころか反則で相手に点数がいく(タックルに入るように身体で押し出すのはOK)。注意!
・ 寝技では、時間が無いときの最後の手段的な技を2つ練習。
・ マスターズの試合は1P2分なので、スパーリングも2分でまわす。3分に慣れていると、2分は短い。
・ 体重を落としているせいでもないだろうが、何だか弱くなっている気がする。いや、相手が強くなっているだけか。


・ もう一枚の画像は、「青山スポーツ」。昨年12月の時点ではまだ「期待」だったのが、実現したわけだ。

【2014年1月4日記】

◎ 2015年1月2日(金)・3日(土) 「箱根駅伝」
・ 2日:箱根駅伝観戦中。青山学院大第5区・神野大地君、1位で快走中。往路優勝へ!
・ 2日:神野君は、高校時代に40kgなくて、今は筋トレして43kg・・・というレポートにも驚きました。期待感はありましたが、ここまでやってくれるとは、驚きでした。
・ 3日:箱根駅伝復路、青山学院大学トップを快走中。http://www.ntv.co.jp/hakone/91/map/ の地図が分かりやすい。
・ 3日:おめでとうございます!青山学院大学、箱根駅伝総合初優勝。しかも、10時間50分を切るとんでもない記録的なタイム。なんか、俺も試合頑張らねばという気にさせられた。
・ 総合タイムは10時間49分27秒で、第88回東洋大の記録を上回る史上最速タイム。
・ しかも、4区・田村和希君(1年)区間新記録、5区・神野大地君、7区・小椋裕介君(3年)、8区・高橋宗司君(4年)、9区・藤川拓也君(4年)が区間記録である。

【2015年1月3日記】

◎ 2015年1月1日(木) 「謹賀新年」
・ 今年(今年度)の目標3つ。
1.(もうすぐだけど)全国マスターズレスリング選手権大会での一勝。
2.『あるようにあり、なるようになる ─運命論の運命』(仮題、講談社)の出版。
3.『哲学者、51歳でレスリングをはじめる』(仮題、ぷねうま舎)の執筆。
・ これから3月までのあいだに予定されている2つのレクチャー。
1.日本大学文理学部・大学院での特別講義「運命論擁護と批判の間」。
2.東工大 社会人教育院主催/蔵前工業会共催講演会「 リベラルアーツ 〜輝く未来(あした)へ」での講演「正反対の一致」。
・ 『ある、なる』がうまく夏頃までに出版できればですが、植村恒一郎さんから年賀状にて、研究会での合評会のお誘いを受けています。
・ 本日は、例年通り、これから妻の実家にて新年会。長男の嫁さんが、会社の上司のマレーシア人女性を連れてくる予定(日本の一般家庭の正月を体験したいとのこと)。

・ (追記)長男の嫁さんが連れて来たマレーシア人女性が豪快で、話が面白い。英語と中国語と日本語が飛び交う、不思議な日本の正月。
【2015年1月1日】