1597年8月、左軍に属して南原城攻防戦に加わった藤堂高虎や加藤嘉明らは左軍を離れて、海上から陸の左軍の進撃に呼応するため、全羅道南岸を西進して漢江を目指した。8月28日には8隻の日本水軍が於蘭浦に侵入したが、戦わずして退いている。また、碧波津に停泊していた朝鮮水軍は西進する五十五隻の日本水軍による攻撃を受けたが、これを撃退した。夜になって再び襲撃を受けたが、これも撃退している。
9月16日、藤堂高虎、加藤嘉明、脇坂安治、来島通総、菅達長、波多信時、軍目付の毛利高政らは軍船133隻を以て、鳴梁海峡
*1に押し寄せた。なお、日本水軍は、狭い鳴梁海峡で大船の運用は困難だとして100隻以上の中型船に乗り換えている。