南京大虐殺に関する論争の解説と検証

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無裁判処罰 学説と実例の検証

3. ブラッセル宣言案

【グース氏記述】
(北の狼ファンクラブより引用)
「第一  軍隊の他左の条件を具備する民兵及び義勇兵は交戦者たるの資格を有す。(一)責任を負ふ者その頭にあり且本営よりの指揮の下に立つこと、(二)遠方より認識し得べき明瞭なる或徴章を有すること、(三)公然武器を携帯すること、(四)交戦の法規、慣例、及び手続に従つて行動すること。以上の条件を具備せざる武装隊は交戦者たるの資格を有さざるものとし、之を正規の敵兵と認めず、"捕へたる場合は裁判に依らずして処断するを得。"」(""は筆者注)
(『上海戦と国際法』信夫淳平、118頁)
 
 これは原典を確認していませんので引用先のURLを提示させていただきます。ブラッセル会議は1874年です。注目すべき点はホスト国であるロシア側から、便衣兵については「裁判を行わないで処刑」できるような提案がなされた事です。つまりロシアは、便衣兵は裁判を行わずに処刑するのが国際法規上望ましいと考えていた事になります。

このグース氏の主張を検討する前に、ブラッセル会議について確認しておきましょう。
ブラッセル宣言 英Declaration of Brussels ロシアの国際法学者マルテンス(Fyodor Fyodorovich Martens,1845〜1909)の勧めにより、ロシア政府の提唱で1874年に開催されたブラッセル会議で採択された宣言。会議には15ヵ国の軍人・外交官・国際法学者らが参加し、リーバー規則に類する戦争の法規慣例を成文化した条約の作成を意図するものであった。ロシア政府が最終案を回付する以前にヘルツェコビナで反乱が起こり、イギリスが熱意を失ったため、条約として発効しなかったが、ハーグ平和会議での戦争法法典化の先駆けとなった。
『国際法辞典』(有斐閣) p297
藤田久一『国際人道法』p14
 戦争法一般の法典化ないし条約化の企ては、一八七四年ブリュッセル宣言案として示された。これは、またロシアの招請により開催された会議に同国の付託した「戦争の法規慣例に関する国際条約案」に若干の修正を加えて採択されたもので、当時の陸戦においておこりうる多くの事項を網羅する五六ヵ条に及び条約案であった。

主要国と国際法学者の同意を得ていましたが、条約としては発効するまでには至らなかったこと、「当時の陸戦においておこりうる多くの事項を網羅」していることなど注目すべきところだと思われます。

グース氏は「ロシア側から…提案」と書かれていますが、おそらく、ロシアが同会議に付託した「戦争の法規慣例に関する国際条約案」を指すものと思われます。
このロシア側の当初案において、 「捕へたる場合は裁判に依らずして処断するを得」という記述があったことが、「裁判が義務である」という慣習法が存在しなかったというグース氏の主張の根拠の一つのようです。

確かに、当初、ロシアは 「捕へたる場合は裁判に依らずして処断するを得」という案を提示していたようですから、このような考えを持っていたと考えられます。

しかし、藤田久一氏の記述にもあるように、ブラッセル会議では、ロシア当初案は修正を加えられ、その上で採択されました。その修正案(ブラッセル会議における最終案)は以下の通りとなっています。
ブラッセル宣言第9条
戦規に基く権利及義務は独り軍隊に適用するのみならず又民兵及義勇兵団にして次の条件に合する者に適用す
(1) 固定にして遠方より認知すべき分明なる標章を有すること
(2) 公然に武器を携帯すること
(3) 作戦に於て戦争の法律慣例に遵ふこと
民兵を以て軍隊又は其の一部分と為す国に於ては民兵を軍勢の名目中に包含す

これが問題となっている条文の全部ですが、見ても解るように、ロシア当初案にあった「捕へたる場合は裁判に依らずして処断するを得」という部分は全て削除されています。つまり、その部分が修正されたわけです。

おそらく、この便衣兵無裁判処罰条項は、国際法上、不適当として否定されたものと考えられます。なぜならば、 このブラッセル会議後に行われた万国国際法学会(1888年)で決議されたオックスフォード提要では、次のような明文規定がなされているからです。
オックスフォード提要
第三部 罰則
(前数条に違反する者あるときは所轄の交戦国に於て審理の末之を処罰すべきものなり)
第八十四条 戦争の条規を犯す者は其の国の規定する所に依り処罰せらるべし

このように、その後に提示されたオックスフォード提要において、ロシア当初案にあった無裁判処罰規定とは正反対の規定がなされていることから考えれば、この規定がただ削除されただけではなく、当時の戦時国際法上、妥当性がないことから否定されたのだと考えられます。


このページへのコメント

未だに南京大虐殺等という明らかな捏造を本気で信じているとは、お前
ら反日ブサヨク共はどれだけ頭がお花畑な輩共なんだ?
お前ら反日ブサヨク共は南京大虐殺論争について、さも反日ブサヨク側
の勝利で決着が付いたように語っているが、そのような事実は当方が知
るかぎり存在しないんだが?

まず南京大虐殺があったかどうかについてだが、当時の資料で南京攻略
戦前に南京城内の安全区を管理していた「南京安全区国際委員会」が
食料配給の試算のために行った人口調査で、南京人口は約20万人と認識
されている。
そして、南京陥落の3ヶ月後に同じく「南京安全区国際委員会」の事務局
長であったルイス・S・C・スマイスが実施した戦争被害調査(スマイス
報告)では南京の人口は25万人とされている。

つまり、中国が唱える「犠牲者30万人説」が正しいとするなら、当時の
人口を超える人間が殺害され、且つ大量虐殺が行われている現場に、三
ヶ月で虐殺前よりも多くの人口が移り住んだことになる。

また、攻略戦終了後一ヶ月と経たない1938年1月1日、南京自治委員会の
発会式が挙行されている。式場には南京難民区に避難していた3万人の
市民も詰め掛け、新政権の出現を日の丸と五色旗を振って祝い、国民政
府の悪政を非難する主意書および同政府と絶縁して目指す政治を示す
宣言が発表されている。

ソース
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E6%94%BB%E7%95%A5%E6%88%A6

お前ら反日ブサヨク共はこういった歴史的事実を知らないのだろうか?
これらの事実からすれば、「戦闘が行われた都市だから当然死者はいた
だろうが、それが虐殺と言えるものではない」と考えるのが普通ではな
いだろうか?

更に言えば、1938年(南京陥落の翌年)には日本軍の進軍を遅らせる為、
中国軍(国民党)が黄河の堤防を決壊させ莫大な被害を出す事件があっ
たが、その際、日本軍は避難する民衆を救助し「中国軍により破壊され
た堤防の修復作業」まで行っている。
(因みに中国軍は民衆や民衆と協力して救助作業や防水作業を行う日本
軍を攻撃した)

ソース
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%B2%B3%E6%B1%BA%E5%A3%8A%E4%BA%8B%E4%BB%B6

こんな事をする軍隊が、都市1つの住人全てを殺すようなことをするだ
ろうか?

これだけの事実が有りながら、戦後半世紀経っても未だに増加を続ける
被害者数を言い張る中国の言が正しいと言い張るのであれば、まず被害
者の遺体、遺骨、遺品など何でも良いので被害者が存在するという証拠
の提示が第一なのではないだろうか?

お前ら反日ブサヨク共は日中戦争で南京問題は散々槍玉に挙げるくせに、
その半年後に起きた国民党軍による黄河決壊事件の際、日本軍が被害者
救助や堤防修復に尽力したのに対し、本来人々を守るべき中国側が日本
軍、及びそれに協力する市民や救出された被害者に対し航空機まで用い
た攻撃を行い、更に当初「洪水は日本軍の攻撃により発生した」と虚偽
の発表を行っていたという点を同等に取り上げない時点で、お前らの主
張は片手落ちどころか両手落ちと言わざるを得ない代物でしか無いだろ
う。

以上、反論できるなら反論してみろ。但し証拠付きでな。
尚、反論は↓此処でも受け付けて居るぞ。
ttp://jipangbito.blog93.fc2.com/blog-entry-54.html

0
Posted by ロン・セガン 2023年08月27日(日) 06:34:00 返信

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