南京大虐殺に関する論争の解説と検証

 歩兵第45連隊(以下、歩45とする)は第6師団に所属している連隊である。南京攻略戦では南京城南部地域から北上したが、南京城壁の攻撃には参加せず、城外西部地域を北上し部隊主力は南京城外北部の下関まで進出した。その後、城外西部にある江東門や上河鎮に駐屯し、警備にあたった。
 歩45は、この進攻途中や下関などで捕虜を捕獲している。『南京戦史』ではその数を5500名としており、その後すべての捕虜を解放したが、解放された捕虜のうち一部は別の部隊に捕獲されトラブルにより殺害されたという。また、解放された捕虜の一部は揚子江の中州「江心洲」へ渡った者もあったという。
 "歩45は下関で捕獲した捕虜をすべて解放した、一部がトラブルで殺害された"という『南京戦史』による結論は、検証過程に不適当な部分があり、また、その後の資料発見により当時の実態を表すには不十分であると思われる。以下、歩45の部隊行動を確認しつつ、『南京戦史』の考察の問題点を指摘するとともに、『南京戦史』が記述された以降に発見された資料を踏まえて事実関係を再考察してみたいと思う。
 なお、本稿で使用した資料は『南京事件資料集』において掲載しているので、併せて参照して戴きたい。

▼水西門


▼莫愁湖

『南京風景帖』(大正写真工芸所、昭和15)より





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