南京大虐殺に関する論争の解説と検証

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無裁判処罰 学説と実例の検証

5. アイルランド独立戦争

【グース氏記述】
『20世紀の戦争』朝日ソノラマP196
「アイルランド共和国軍(IRA)と呼ばれる反乱軍は軍服を着ていなかった為一般市民と区別できず、イギリス軍は男と見ればすべて銃撃した。また装甲車でビルに接近して突入、地下室に隠れていた者すべてを射殺した。
 
 これも軍事的必要原則からゲリラ(便衣兵)については強行的とも思える手段をとっています。戦時国際法でゲリラ(便衣兵)が違法交戦者として扱われた背景には、制服を着用しないゲリラを認めると、交戦国は敵対行為従事者と一般市民の判断ができなくなり、全ての者を敵対行為従事者とみなして攻撃対象にせざる得なくなるなるからです。
 
 当時の国際法では摘発する側に厳格な軍民分離を課したのではなく、私服での敵対行為(便衣兵)を規制しました。つまり軍民の区別をする義務は、相手側にあるのではなく、ゲリラ行為を行う側にあると言えます。便衣兵行為を行った結果として、民間人に犠牲が出た場合、当然ですが国際法上違法な手段をとされる行為を行った側に、より多くの責任が発生する事になります。
 
(攻撃する側も便衣兵相手なら何をやってもいいという事ではなく、一般的な人道原則や慣習法を守る必要はあります。この点を確認したマルテンス条項については次ページで解説します)

『20世紀の戦争』によれば、引用されている記述は1916年のイースター蜂起のものです。この蜂起は、アイルランドがイギリスから独立を求めたもので、1916年4月24日(イースター)に一斉に蜂起するというものでしたが、5日後の4月29日には、戦闘を主導していたIRB(アイルランド共和主義同盟)・ピアーズの戦闘中止命令により敗北が決定しました。

アイルランドがイギリスから独立するのは、このイースター蜂起の3年後の1919年から始った独立戦争であり、1921年の休戦の成立、1922年のイギリスとの条約成立によるアイルランド自由国の建国まで待たねばなりませんでした。

これらの歴史から考えて、一連の蜂起は、アイルランドから見れば独立【戦争】であると言えますが、イギリスから見れば植民地の【反乱】であり【内乱】ということになるでしょう。


当時の戦時国際法上の解釈では、このような内乱・反乱に関して、戦時法規の適用は想定されていませんでした。
藤田久一『国際人道法』p17
植民地戦争についても、近代国際法形成期のアメリカ独立戦争や一九世紀はじめの南米諸国のスペインからの独立闘争(一八一〇−一二年)に際しては敵対行為に対する当時の戦争法規の適用が認められた形跡はあるが、一九世紀後半以降のアフリカなどでの植民地闘争においては植民地本国は相手の法的存在さえ認めず、せいぜい内戦とみなし一般に戦争法の適用を拒否する態度を示した。

藤田久一氏は、内乱を起こした側に対しては、「相手の法的存在さえ認めず、せいぜい内戦とみなし一般に戦争法の適用を拒否する態度を示した」と記しています。内戦である場合は、戦時法規の適用を行わないというのが、当時の一般的な考え方であったということです。
足立純夫『現代戦争法規論』p321
従って国際法、内乱団体が「交戦団体」として承認された場合を除いて、法律上は全く内乱国のみの事件とし、内乱国は自国の法令に従って内乱を抑圧する権利を有するものとし、僅かに内乱国に対する外国の不干渉義務を定めていた。

足立純夫氏によれば、内乱は「法律上は全く内乱国のみの事件」であるので国際法の適用がなされず、「内乱国は自国の法令に従って内乱を抑圧する権利を有する」、つまり、内乱の発生した国の国内法によって処理する権利を持っていたということになります。


イギリスから見れば、アイルランド独立戦争は反乱でしかありません。軍隊を出し、相当惨い行為を行いましたが、その行為は、国内法による治安維持行為であり、その行動は、国際法規範を想定したものではなかったと考えられます。


このページへのコメント

未だに南京大虐殺等という明らかな捏造を本気で信じているとは、お前
ら反日ブサヨク共はどれだけ頭がお花畑な輩共なんだ?
お前ら反日ブサヨク共は南京大虐殺論争について、さも反日ブサヨク側
の勝利で決着が付いたように語っているが、そのような事実は当方が知
るかぎり存在しないんだが?

まず南京大虐殺があったかどうかについてだが、当時の資料で南京攻略
戦前に南京城内の安全区を管理していた「南京安全区国際委員会」が
食料配給の試算のために行った人口調査で、南京人口は約20万人と認識
されている。
そして、南京陥落の3ヶ月後に同じく「南京安全区国際委員会」の事務局
長であったルイス・S・C・スマイスが実施した戦争被害調査(スマイス
報告)では南京の人口は25万人とされている。

つまり、中国が唱える「犠牲者30万人説」が正しいとするなら、当時の
人口を超える人間が殺害され、且つ大量虐殺が行われている現場に、三
ヶ月で虐殺前よりも多くの人口が移り住んだことになる。

また、攻略戦終了後一ヶ月と経たない1938年1月1日、南京自治委員会の
発会式が挙行されている。式場には南京難民区に避難していた3万人の
市民も詰め掛け、新政権の出現を日の丸と五色旗を振って祝い、国民政
府の悪政を非難する主意書および同政府と絶縁して目指す政治を示す
宣言が発表されている。

ソース
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E6%94%BB%E7%95%A5%E6%88%A6

お前ら反日ブサヨク共はこういった歴史的事実を知らないのだろうか?
これらの事実からすれば、「戦闘が行われた都市だから当然死者はいた
だろうが、それが虐殺と言えるものではない」と考えるのが普通ではな
いだろうか?

更に言えば、1938年(南京陥落の翌年)には日本軍の進軍を遅らせる為、
中国軍(国民党)が黄河の堤防を決壊させ莫大な被害を出す事件があっ
たが、その際、日本軍は避難する民衆を救助し「中国軍により破壊され
た堤防の修復作業」まで行っている。
(因みに中国軍は民衆や民衆と協力して救助作業や防水作業を行う日本
軍を攻撃した)

ソース
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%B2%B3%E6%B1%BA%E5%A3%8A%E4%BA%8B%E4%BB%B6

こんな事をする軍隊が、都市1つの住人全てを殺すようなことをするだ
ろうか?

これだけの事実が有りながら、戦後半世紀経っても未だに増加を続ける
被害者数を言い張る中国の言が正しいと言い張るのであれば、まず被害
者の遺体、遺骨、遺品など何でも良いので被害者が存在するという証拠
の提示が第一なのではないだろうか?

お前ら反日ブサヨク共は日中戦争で南京問題は散々槍玉に挙げるくせに、
その半年後に起きた国民党軍による黄河決壊事件の際、日本軍が被害者
救助や堤防修復に尽力したのに対し、本来人々を守るべき中国側が日本
軍、及びそれに協力する市民や救出された被害者に対し航空機まで用い
た攻撃を行い、更に当初「洪水は日本軍の攻撃により発生した」と虚偽
の発表を行っていたという点を同等に取り上げない時点で、お前らの主
張は片手落ちどころか両手落ちと言わざるを得ない代物でしか無いだろ
う。

以上、反論できるなら反論してみろ。但し証拠付きでな。
尚、反論は↓此処でも受け付けて居るぞ。
ttp://jipangbito.blog93.fc2.com/blog-entry-54.html

0
Posted by ロン・セガン 2023年08月27日(日) 06:34:59 返信

aa7OLU Great blog article.Really thank you! Awesome.

0
Posted by watch for this 2013年12月19日(木) 20:52:46 返信

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