南京大虐殺に関する論争の解説と検証

東中野修道『「南京虐殺」の徹底検証』P243-244
 まず第一に、事件発生年月日は昭和十二年十二月十三日であったという。それから十四日が経過した十二月二十七日、老女性が近所に戻り、二人の子供を発見した。第一発見者の老女性が発見したその時、この事件が安全地帯中の噂となり、欧米人の耳に達していて当然であった。そして、ただちに聞き取り調査がなされていて当然であった。
 ところが、マギーの東京裁判における証言によれば、それから「約六週間」にマギーは初めて調査に出かけた。ラーベの日記によれば、十二月二十七日から一ヶ月以上も経過した一月二十九日に、初めてこの事件が日記に登場してくる。日記には、「ジョン・マギーが八歳と四歳の少女を見つけた。その親族十一人がきわめて残虐なやり方で殺されたのである」と記された。筆者が傍点を付したように、ラーベの日記では被害者が十二人から十一人に減少している。

東中野の疑問点は次のようにまとめることが出来る。
  1. このような残虐な事件が発覚すれば当然、安全区内で噂になるはずであり、その噂は当然、残留外国人の耳に届くはずである。そして、残留外国人の耳に届いたならば、当然、ただちに残留外国人による調査が行われたはずである。
  2. しかし、マギーが調査を行ったのは事件発生後「六週間」である。事件が発覚したのは12月13日に事件が起きて14日後であり、事件発覚してからマギーが調査するまでに4週間もの時間が開いている。
つまり、事件が発覚してから、すぐにマギーが調査に行かなかったことを、疑問だというのである。


この東中野の疑問は、次の3つの前提を必要としている。
(1)このような残虐な事件が発覚すれば、当然、安全区内で噂になる
(2)その噂は当然、残留外国人の耳に届くはずである
(3)残留外国人の耳に届いたならば、当然、ただちに残留外国人による調査が行われたはずである

しかし、なぜ、これら3点が前提とされなければならないのだろうか?東中野が前提としてる3点をそれぞれ検証してみよう。

「このような残虐な事件が発覚すれば、当然、安全区内で噂になる」
もちろん、噂になる可能性もあるだろうが、噂になる必然性はない。当時、日本軍による暴虐事件が多数頻発しており、多数の中の一つの事件として人々の関心が低くなった可能性は十分考えられる。いずれにせよ、噂になるべく必然性がない以上、この前提は成立しない。

「その噂は当然、残留外国人の耳に届くはずである」
もちろん、ここでも東中野の主張するような可能性があることは否定できない。しかし、そうではないという可能性も否定はできない。20数万人以上もの人が存在していた安全区内において、残留外国人たちがその全ての噂を把握するということはあり得ない。その噂が残留外国人の耳に届くという必然性がない以上、この見解も前提とすることはできない。

「残留外国人の耳に届いたならば、当然、ただちに残留外国人による調査が行われたはずである」
仮に残留外国人に噂が届いたとしても、それが直ちに調査に結びつくはずもない。噂を調査するかどうかは、その時の状況に大きく左右されるであろうことは、わざわざ説明するまでもないだろう。このようなことを前提にするのはナンセンスである。


以上のように、東中野は必然性のない前提に基づいて疑問を提示している。前提に誤りがある以上、疑問は疑問にならないのである。

このページへのコメント

未だに南京大虐殺等という明らかな捏造を本気で信じているとは、お前
ら反日ブサヨク共はどれだけ頭がお花畑な輩共なんだ?
お前ら反日ブサヨク共は南京大虐殺論争について、さも反日ブサヨク側
の勝利で決着が付いたように語っているが、そのような事実は当方が知
るかぎり存在しないんだが?

まず南京大虐殺があったかどうかについてだが、当時の資料で南京攻略
戦前に南京城内の安全区を管理していた「南京安全区国際委員会」が
食料配給の試算のために行った人口調査で、南京人口は約20万人と認識
されている。
そして、南京陥落の3ヶ月後に同じく「南京安全区国際委員会」の事務局
長であったルイス・S・C・スマイスが実施した戦争被害調査(スマイス
報告)では南京の人口は25万人とされている。

つまり、中国が唱える「犠牲者30万人説」が正しいとするなら、当時の
人口を超える人間が殺害され、且つ大量虐殺が行われている現場に、三
ヶ月で虐殺前よりも多くの人口が移り住んだことになる。

また、攻略戦終了後一ヶ月と経たない1938年1月1日、南京自治委員会の
発会式が挙行されている。式場には南京難民区に避難していた3万人の
市民も詰め掛け、新政権の出現を日の丸と五色旗を振って祝い、国民政
府の悪政を非難する主意書および同政府と絶縁して目指す政治を示す
宣言が発表されている。

ソース
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E6%94%BB%E7%95%A5%E6%88%A6

お前ら反日ブサヨク共はこういった歴史的事実を知らないのだろうか?
これらの事実からすれば、「戦闘が行われた都市だから当然死者はいた
だろうが、それが虐殺と言えるものではない」と考えるのが普通ではな
いだろうか?

更に言えば、1938年(南京陥落の翌年)には日本軍の進軍を遅らせる為、
中国軍(国民党)が黄河の堤防を決壊させ莫大な被害を出す事件があっ
たが、その際、日本軍は避難する民衆を救助し「中国軍により破壊され
た堤防の修復作業」まで行っている。
(因みに中国軍は民衆や民衆と協力して救助作業や防水作業を行う日本
軍を攻撃した)

ソース
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%B2%B3%E6%B1%BA%E5%A3%8A%E4%BA%8B%E4%BB%B6

こんな事をする軍隊が、都市1つの住人全てを殺すようなことをするだ
ろうか?

これだけの事実が有りながら、戦後半世紀経っても未だに増加を続ける
被害者数を言い張る中国の言が正しいと言い張るのであれば、まず被害
者の遺体、遺骨、遺品など何でも良いので被害者が存在するという証拠
の提示が第一なのではないだろうか?

お前ら反日ブサヨク共は日中戦争で南京問題は散々槍玉に挙げるくせに、
その半年後に起きた国民党軍による黄河決壊事件の際、日本軍が被害者
救助や堤防修復に尽力したのに対し、本来人々を守るべき中国側が日本
軍、及びそれに協力する市民や救出された被害者に対し航空機まで用い
た攻撃を行い、更に当初「洪水は日本軍の攻撃により発生した」と虚偽
の発表を行っていたという点を同等に取り上げない時点で、お前らの主
張は片手落ちどころか両手落ちと言わざるを得ない代物でしか無いだろ
う。

以上、反論できるなら反論してみろ。但し証拠付きでな。
尚、反論は↓此処でも受け付けて居るぞ。
ttp://jipangbito.blog93.fc2.com/blog-entry-54.html

0
Posted by ロン・セガン 2023年08月27日(日) 06:47:21 返信

夏叔琴氏自身が 犠牲殺戮家族生き残り少女本人であるか否か?よしや偽の役者?なれば、"名女優"でしょう。個人的には、証言内容が具体的にすぎると思います。奥の部屋に"初期の事件目撃してから 逃げ込んだのか。最初から最後奥の部屋に隠れていたのか"具体的(=CG動画像)に検証する必要あります。最初から奥部屋に隠れていたとすれば、目撃不可能。
1985以降名乗り出たとの由。何故?本多勝一氏の著作が影響したのか?その際に"事件詳細"を吹き込まれたのか?王芝如氏との関係は?王氏は、党の幹部、夏氏は一般党員?事件自体は当然ながら、戦後の新路口事件歴史認識"発展!?"自体も研究課題だと思います。

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Posted by 歴史認識修正学派 2020年05月29日(金) 11:12:30 返信

南京の新路口事件を俯瞰すれば、マギー供述・解説文・安全区報告書219案件が始まりです。案内したのは老女(=映像あり)。東京裁判証言者のごとく母方祖母ではありえない。殺されている(とされている)から。ゆえに東京裁判判決自体かなり 得体のしれない不分明証言者に依拠していたことになる。おそらく姓名も不分明。さらに後年1985年?以降”王芝如”なる婦人が 当該”老女”であり、義理叔母と主張。逆算すると当時24歳。別人でしょう。さらに生き残り夏証言では、”見ず知らず”老婦人です。親族ゆえに矛盾。マギーも親族夫妻と表現するだろ。東中野し枝葉末節拘泥しなくも、矛盾点満載です。

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Posted by 歴史認識修正学派 2020年05月26日(火) 13:57:56 返信

残虐な事件が多発してるならば個別の事件が埋もれてしまう、という主張は正しいと思います。
しかしその場合は、安全地帯に居た特派員の大多数が『残虐な事件が多発していた』ことに同意していないといけないのでは。

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Posted by ななっし 2015年10月26日(月) 17:23:59 返信

3つの前提の検証ですが、無理矢理否定している印象を受けました。東中野さんの言われていることの方が自然だと思います。

0
Posted by ichinisanda 2015年04月29日(水) 19:40:03 返信

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