Welcome!
欧州サッカー小百科

European soccer
Amazon.co.jp








【バルセロナ】歴史

歴史
1899年にスイス人実業家ハンス・カンパーら11名により創立。チームカラーは、FCチューリッヒから由来する。初代会長は英国人のウォルター・ワイルド。リーガ・エスパニョーラのプリメーラ・ディビシオンに所属している。リーガ創立以来2部以下に落ちたことがなく、これは他にレアルマドリービルバオのみである。また、同じバルセロナを本拠地とするエスパニョールとの試合は、カタルーニャ・ダービーと呼ばれる。ホームスタジアムはカンプ・ノウ。

リーガエスパニョーラ屈指の名門クラブであり、1929年から続くリーガエスパニョーラの初代王者。レアルマドリーとの対戦は「エル・クラシコ」と呼ばれ、1902年の第1回スペイン国王杯から因縁の対決(3-1でバルセロナの勝利)を続けている。その背景には、プリモ・デ・リベラ将軍による独裁政権時代(1923年-1930年)とフランコ独裁政権時代(1939年-1975年)のカタルーニャ弾圧がある。当時、カタルーニャの人々は自分たちの言葉・カタルーニャ語を話す事が許されず、カンプ・ノウの中でだけそれが許された。これによりスペインサッカー界の軸は、バルセロナビルバオからフランコの支援をうけたレアルマドリーへと移った。この時代、主力のホセ・サミティエール がレアルマドリーに移籍したが、これは後にミカエル・ラウドルップ、ルイス・フィーゴ、ロナウドと続く“裏切り”と呼ばれる最初の移籍である。選手の引き抜きにおいてもレアルマドリーとは因縁があり、アルフレッド・ディ・ステファノ、ヨハン・クライフらを巡って争奪戦を繰り広げた。1988年から1996年にかけて、ヨハン・クライフ監督時代にチームは、その豪華なメンバーと強さからエル・ドリーム・チームと呼ばれ、リーガ4連覇・UEFAチャンピオンズリーグ初制覇を果たす。その後、1990年代末から2000年代初頭にかけては成績が低下。タイトルから遠ざかる時期が続いた。2000年には、チームの主力であるルイス・フィーゴがバルセロナからレアルマドリーに移籍した際に激しい反発を呼び、カンプ・ノウでの試合では激しいブーイングと物の投げ込みにより、一時試合が中断されるほどの騒ぎとなった。2003年、フランク・ライカールトが監督に就任し、世界最高峰の実力を持つロナウジーニョなどの活躍で2005年にリーグ優勝。2006年にリーグ連覇。さらには2度目のUEFAチャンピオンズリーグ制覇を達成し、往年の輝きを取り戻しつつある。
2006年10月14日(土) 19:56:57 Modified by kmasaya1816




スマートフォン版で見る