三遊亭圓生

さんゆうてい・えんしょう

柏木の師匠のこと。
出囃子?は「つくま祭」だったが、三代目三木助?と同じであったためか「正札附」に変えた。

豊竹豆仮名太夫の名で子供義太夫として初舞台をふむ。
落語家への転向したのは1909年(明治42年)。
1965年から1972年まで落語協会?の第六代会長を務める。この間、NHKの連続ドラマ「おはなはん」をはじめ、役者としてテレビにも出演していた。
落語家として初めて昭和天皇の前で落語を演じたのも圓生である(演目はお神酒徳利?)。

落語協会の真打乱造騒動で協会を脱退。
多くの脱退者が協会に戻ったが、一門で落語三遊協会を結成した。
1979年9月3日、79歳の誕生日に後援会の集りで小噺「桜鯛」を演じた直後心筋梗塞で急死。
(この集り、場所は習志野文化ホールである)

同日パンダのランランも死んだ為に翌朝の主要全国紙のトップ記事は全てパンダだった。
2006年02月05日(日) 11:29:47 Modified by patrusche




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