Fate/XXI 23
Fate/XXI
ACT23 折れる『杖』
ただ微笑んでいてほしかった。
ただ幸せであってほしかった。
そのためであれば何でもした。どんな敵とも戦った。どんな汚れも請け負った。
親友の兄弟すべてを斬り殺したのは、ただ一人の女性のために。
円卓の結束を断ち斬り穢したのは、ただ一途な愛のために。
そして国は破滅した。
そして王は世を去った。
彼女へ愛を捧げながら、彼女が愛する全てのものを滅ぼした。
彼女は泣いている。全ては自分のせいなのだと泣き続ける。
彼女は泣きながら生き、自分が幸せになることを遠ざけた。
彼女は死ぬ間際に神に祈ったと聞いた。自分に幸せを与えないで下さいと。死ぬ前に、愛する男ともう一度、『出会えない』ようにと。
どうすればよかったのか。
愛したことが間違いであったのか。
この世の誰よりも、幸せにしたかったはずなのに。この世のあらゆる悪から、守ると決めたはずなのに。
騎士がしたことは、彼女に永遠の汚名と、罪悪の重みを背負わせただけ。
償えない罪を背負い、彼女は泣いている。
『完璧な騎士』の名を穢した罪に、彼女は涙を流し続ける。
そう、この罪は永遠だ。
誰に許されようと、その許しを受け入れられない。
償いようもない。罪を裁き、償いの道を示せる人は、そうしてくれずに、いなくなってしまった。
どうすればよかったのか。
どうすればよいのか。
どうすれば………
◆
間桐雁夜が目を覚ますと、そこは忌々しい間桐の蟲蔵であった。体を這いずる虫どもを煩わしく思うものの、嫌悪感は大分鈍っており、適当に手で払い落していく。
(また、バーサーカーの夢か)
騎士の中の騎士と歌われた、サー・ランスロットの過去。
王妃を愛し、守ろうとしながら、その意志そのものが原因で、王と国を滅ぼした罪。
誰が悪かったのか。何が悪かったのか。
全員がただ、人を愛しただけなのに。そこには汚いものなど、全くありはしなかったのに。
事実だけを言えば、愛は最悪の事態を引き起こした。
(遠坂時臣………奴もまた、葵さんを、桜ちゃんを愛しただけだったっていうのか? けれど……)
それで、彼女たちを苦しませた罪が許せると言うのか。それで、時臣の行為を認めろと言うのか。
思い悩みながら居間に向かうと、そこでは椅子に座ったブチャラティが、何らかの資料をテーブルの上に並べて読み込んでいた。
ブチャラティは雁夜に気付くと、
「おはよう。目を覚ましてそうそう悪いんだが、敵の位置がわかった。昨日、アバッキオたちが手に入れた、不動産関係の情報だ。魔術師というものは、チンピラが使うような情報屋を使うなど思いもよらないようだが、割と役立つこともある」
ブチャラティから手渡された紙に書かれているのは、最近売り渡された家屋の情報だった。
「深山町か。間桐の家からも近いな」
「広大な土地でありながら、長期間にわたって放置され続けていた日本家屋だ。一括で買い取った者がいる。それも業者でも無い個人でだ。怪しいと思い少し突っ込んでみたが、既に人が住んでいた。アインツベルンのマスターたちだ」
家屋のすぐ近くまで行くと怪しまれるので、ナランチャのスタンドを先行させて人がいることを確かめた後、家屋へ続く道においてアバッキオの【ムーディー・ブルース】によるリプレイを行うと、アイリスフィールの姿が再生されたのだ。
「衛宮切嗣………アインツベルンの協力者という話だが、あれは危険だ。早めに倒しておきたい。今夜……いや、意表を突くならば正午にでも襲撃をかけようと思うが、どうだ?」
「………向こうもこうも早く、拠点がばれるとは予想していないだろうしな。ルール違反に関しては、ここまで無茶苦茶になってるんだ。今更か。その提案、呑もう」
雁夜の了解にブチャラティは頷くが、更に続けて今後の行動を示してきた。
「ああ。それで邪魔者と言えるような連中が排除されたところで、もう一度時臣と話し合う場をセッティングしよう」
「………ッ! そ、それは」
雁夜が表情を歪めると、ブチャラティは静かな眼差しを送り、
「あんたが納得いかない気持ちはわかる。悪気が無ければいいって問題じゃあないと、俺も思う。だがな、桜ちゃんのことを考えろ。彼女がこれから一生、親は自分を切り捨てたと、自分はいらない子供だったと、そう思いこんで生きていくことは、良いことか?」
「そ、そんなわけ、だが、しかし………」
「別に、今すぐ時臣への感情に決着をつけろなんて無茶は言わない。だからこその話し合いだ。今度は向こうも多少は聞く耳を持つだろう。それでも許せないというのなら、俺もギャングらしく、容赦なくやってやるさ」
一瞬、ブチャラティは冷たい刃物を思わせる殺気を、その言葉に刺し込むように表した。それに身を一度震わせて、雁夜は心を落ちつけるために数度呼吸をし、
「………わかったよ、ブチャラティ。桜ちゃんのことは一番に優先すべきことだ。あいつともう一度話してみるよ」
雁夜とブチャラティはあずかり知らぬことだったが、彼らが話している、ちょうどその頃、聖杯戦争は新たな動きを見せていたのだった。
◆
言峰綺礼のもとに、遠坂時臣からの連絡が届いたのは、午前7時ごろのことだった。雲ひとつない空に太陽が輝き、暗黙のルールとして聖杯戦争が行われない時間帯である。
連絡の内容は、
「『アサシンを自害させよ』か………」
キャスターを死徒化させたのがアサシンである疑いがあり、そもそもアサシンを保持しておいた理由であるライダーの存在もなくなった今、自害させることに遠慮はいらないとのことだ。
「ついにというべきか、ようやくというべきか、何にせよ、もはや仕方あるまい」
綺礼は魔術による通信機で書かれた書面に目を通し、それをアサシンに手渡す。
「ふむ。問題は、時臣がこの命令を実行すると信じているか、あるいは君の裏切りに気が付いているかの、どちらであるかということだが?」
「時臣師だけならば気が付いていないということはありうる。自分に自信があるあまり、落とし穴の存在など思いもかけない御仁だ。だが、あのアーチャーが何か口出しをするとすれば………」
命令の内容を要約すると、
この命令が下されてから、ちょうど1時間後に時臣邸に来ること。
時臣とアーチャーの目の前に、アサシンを連れてきて実体化させること。
しかる後、時臣が確認している中で、アサシンを自害させること。
ということになる。
「目の前で自害したことを確認したいということは、ただ『自害させた』という報告では信頼してもらえないということ。やはり向こうはこちらを疑っているな」
「ああ、こうなっては取る道は一つだ」
アサシンの意見に同意し、綺礼は速やかに間桐臓硯へと連絡を飛ばす準備を始める。
「御三家最初の退場者は、遠坂家ということになる」
◆
ウェイバー・ベルベットは、コンビニで目についた栄養ドリンクを買い物かごに入れていた。
昨夜、ミトリネスから宝具と勝利を託された後、ウェイバーはケイネスの遺体を森に埋め、人避けと防腐処理の魔術を施した。防腐処理に関してはウェイバーの魔術よりも、デパートで買った防腐剤の方が優れているとわかり、落ち込んだりもしたが、それはともかく、ウェイバーは今後について想いを馳せる。
(残る敵は、セイバー、アーチャー、バーサーカー、そして………アサシン)
正確にはキャスターが消滅前に召喚したらしき、新たなサーヴァントもいるが、ステータスは低いし、宝具もわかっている。まず問題はない。ただ、彼らがアサシンに協力しているらしいのが問題だ。
(アサシンはその能力もよくわかっていない………承太郎に連絡しても繋がらないし)
アサシンについて知っているはずの友人たちに電話してみたが、どうやら彼らも忙しいらしい。彼らが命がけの冒険を潜り抜けているのはいつものことだが、よりによってこの時にと、会計を済ませながら、ウェイバーはため息をつく。
情報は乏しく、準備してきたアイテムの残りも少ない。サラミは重傷を2回治せる程度。化粧用具も2、3回が限界だ。
ランサーの魔力も随分減っている。いくらランサーが燃費のいいクラスであるといっても、こうも連戦していては流石に厳しい。
無論、ウェイバーなりに工夫はしている。本来、サーヴァントに食事は必要ないが、微弱ながらも魔力消費を抑えられるため、ウェイバーはランサーにきちんと食事を与えている。主神ダーザを始め、大食いを誇る逸話の多いケルト出身の英雄だけあり、細身である彼も相当な健啖家であった。
しかしそれでも、これからの戦いを考えると足りない。よって、今日は一日、ランサーを召喚した森に寝袋を敷いて眠り、ランサーの魔力回復に努めることにした。
「今日一日は、ここで何もせずに寝ているから、死なない程度に魔力を持って行ってくれ」
「わかりました。お手を煩わせてしまい、申し訳ありません」
殊勝な態度のランサーに、ウェイバーはため息をつく。魔力の補給が滞っているのは、未熟な自分が原因なのだ。それを謝られると、余計に情けなくなってくる。
「………謝る必要はない。っていうか、お前はむしろ責めるべきだろ。正直に言っていいんだぞ。結局、僕は大してお前のフォローもできてない。お荷物になったり人質になったりで、足を引っ張るだけなんだから」
「責めるなど、まさか。貴方は立派にやっています」
「精神的な意味でだの、心の支えとしてだの、なんてのは聞かないぞ。僕が欲しいのは結果だ。形のある成果だ。証明したいんだ。僕でも出来ることがあることを。この手で掴み取れる物が、僕にもあるってことを」
ウェイバー・ベルベットは勝利者になりたいのだ。強者になりたいのだ。
ただ相棒に恵まれただけのラッキーマンやマスコットなんてものじゃない。戦える男になりたいのだ。
「ならば僭越ながら言わせてもらいますが……貴方には確かに、自力で成果を掴むだけの実力には不足していると、断じざるをえません。他の参加者と尋常に戦えば、誰に対しても惨敗するでしょう。この戦場に飛びこむには、あまりに未熟です。今も五体満足であるのは一つの奇跡でしょう」
「………結構はっきり言うんだな」
「それが主の御希望なのでしょう?」
「………まあそうなんだけどさ」
「そう、確かに主には結果を勝ち取るための力は無い。けれど、貴方は口でどう言おうと、結果だけを求めはしなかった。橋から落ちそうな青年を助け、呪いにかかった少女を救い、怪物に襲われた町を守るために駆けまわった。結果だけを求めるのなら、それは必要のない行為だったはずです。貴方はね、本当に大切なことをちゃんとわかっているのですよ。人間として自分を見失わず、正しく進み続ける意志を持つことだと。いつか貴方も言っていた、『友達に自慢できるやり方』というものです。ですが、それを理解できていない者は意外と多いのです。特にこのような戦争の中では」
「……………」
「そして、『目的のために手段を選ばない者』というのは、大抵の場合、一時の勝利を得ることはできても、最後には全てを失うものなのです。だから、私は断言できます。貴方は最も掴み取るべきものを、既に掴んでいると。貴方は勝利者であると。何より、貴方こそ私にとって最高のマスターであると。それだけはどうか否定しないでいただきたい」
「………慰めはいらないさ。力が無いことに変わりは無いんだ」
ウェイバーはぶっきらぼうに言葉を放つ。
「だから………僕は力を得る。そのために……そうだな、ケルト魔術の呪詩について、もっと教えろ。また定型句からだ」
「ええ。何度でもお付き合いします。主よ。私もオシーンの失われた詩を、もっと知ってほしいですしね」
そしてウェイバーは眠りに着く。ランサーもまた、口を噤み魔力の補給に務める。二人は一心不乱に休息を行っていた。同じ時に、別の場所で生死を賭けて戦いが繰り広げられている中、彼らは静かに、しかし間違いなく彼らにとっての戦いを行っていた。
◆
時臣から指定された時間に、綺礼は遠坂邸の前に来ていた。太陽の輝く下に出られないアサシンはいまだに霊体化しており、それに代わるように、矮躯の老婆が杖をついて立っていた。
「始めろ、エンヤ婆」
「貴様にわしへ命令する権利はないが、DIO様のためじゃ。よかろう」
綺礼の命令に渋々ながらも応え、キャスター・エンヤ婆は自らの宝具を展開する。
「――【妖霧嘲笑・幽街結界(ジャスティス)】」
エンヤ婆の体から霧が浮かび上がり、嵐のような勢いで辺り一帯に広がっていった。一寸先も見えぬほどに濃い霧は、数秒で遠坂邸を丸ごと包み込んでしまう。
それはライダーとの戦いで使った宝具に酷似していたが、質においては全く異なっていた。ライダーとの戦いで見せた【屍人舞踏・暗黒正義(ジャスティス)】は、空間を満たす霧のスタンド。【妖霧嘲笑・幽街結界(ジャスティス)】は逆に、霧のスタンドで満たされた空間を造り出す『固有結界』である。
かつて霧の中に街を一つ造り上げてジョースター一行を待ち構えていたように、今、彼女は遠坂時臣とアーチャーを、亡霊の街に引きずり込んだのだ。
古風な外国の建物が建ち並ぶ奇怪な街に、二人の英霊はあらかじめ対峙する形で立っていた。大通りらしい立地だが、他に人はいない。屍生人(ゾンビ)を徘徊させることもできたが、アーチャー相手にはエンヤ婆の魔力を消耗するだけで、大した意味はないとして、していない。
「この我をこのような汚らしい場所に連れ込むとはな………よかろう。『蚤』ごときには勿体ないことだが、この我じきじきに潰してやろう」
「無駄無駄無駄………『猿』が人間に追いつけないのと同様、所詮貴様もこのDIOにとっては猿山の王に過ぎん」
英雄王が、マントをなびかせて笑う。
世界王が、指を振って笑う。
どちらもが、全てを見下し、自らを頂点にいると確信している二人。
この聖杯戦争の火ぶたを切った二人が、今、再戦を開始する。
一方、彼らのマスターたちもまた対峙していた。
「………なぜ裏切ったんだい綺礼。君も聖杯が欲しくなったのかい?」
「間違ってはいませんが、絶対に聖杯がなくてはならないというわけではないですね」
残念そうに、しかし十分に殺意を固めた面持ちで、時臣はルビーを嵌めた杖を構えていた。
綺礼の方は今まで通り、感情の読みとれない冷淡な表情で答える。
「答えは得た。まだ求めているものはありますが、それはまた別の方法で問うこともできます。結局のところ、私が貴方を裏切るのはアサシンの為なのでしょうな。彼が聖杯を欲している。だから協力しているにすぎない。私は私の目的とは別に、彼がすることを共にしていきたいと思っているのですよ」
綺礼は答えながら、自分でもらしからぬことを言っていると思えた。らしくはないが、それが本音であった。綺礼は心から、自分ではなくDIOのために戦っているのだ。
もし組んだ相手がアーチャーであったなら、場合によっては裏切ったことだろう。アーチャー・ギルガメッシュは破壊も殺戮も躊躇わないが、基本として善性の存在だ。互いに利用し合い、愉しみながらも、根本のところでは信頼しあえるものではない。
だがアサシンに対しては、綺礼は心から忠誠を誓っていた。言峰綺礼は、悪を求める人間だ。悪の化身であるアサシンに惹かれるのは節理とさえ言えた。
「なるほど。ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリが夢中になるのもわかる。『愛』とは、こうも熱く、麗しく、深く、楽しく………そして冷たく、醜く、浅ましく、邪悪なものだったのか」
綺礼は笑った。これから神(DIO)へと供物を捧げることへの、誇りと悦びを表すために。
◆
午前8時過ぎ、アインツベルンの陣営へと襲撃を仕掛けることを決定したブチャラティが、不動産から得た資料から、相手側の家屋の配置を頭に入れていると、
「ブチャラティ、少し話したいんですが、いいですか?」
パンナコッタ・フーゴから声がかけられた。
「……何だ?」
答えながら、ブチャラティはある程度、話の内容は予想がついていた。
「単刀直入に言うと、いつまで雁夜と関わるつもりですか?」
フーゴの話とは、間桐雁夜との協力関係の破棄の提案だった。
「そもそも僕らの目的は、うちのメンバーを殺した雨生龍之介を始末することです。雁夜と手を組んだのも、その目的に協力してもらうため。そして、目的は果たされた。龍之介は殺した。なら、これ以上雁夜に協力して、僕らに、貴方に、何のメリットがありますか? 危険に身をさらすだけです。もう早く日本を離れて帰国した方がいい。余計に長居をしていると、それだけで組織から迅速に仕事ができない無能と思われるか、下手すれば良からぬことを考えていると思われます」
冷静な意見であり、何より正論だった。パッショーネのチームとしては、これ以上、雁夜に協力する意味は何も無い。
「………気を悪くするかもしれませんが、それでも僕は」
「気を悪くなどしないさ。そんな冷静な判断を見込んで、俺はお前をチームに引きいれたんだからな。しかし」
ブチャラティはかぶりを振り、
「今、雁夜と手を切ることは、雁夜への裏切りだと俺は判断する。雁夜が俺を信頼している以上、それはしてはならないことだ。無論、実際これは俺の我儘だ。お前の方が正しいんだろう。だからお前たちが協力したくないというのなら、強制的に協力させる権利は俺にはない」
「やりたくないなら、やらなくていいって? それは随分卑怯な言い草じゃないですか。そんなことあんたに言われて、やらないと言える奴が、このチームにいるとでも?」
眉をひそめ、フーゴは機嫌の悪そうなやや低い声音を出す。しかし、本当に機嫌を悪くしているというわけでないのを、ブチャラティはわかっていた。機嫌が最悪に達した時、フーゴは突発的にキレるのだ。見境なしに破壊衝動に出る。それがないのは、まだ致命的な精神状態にはないということだ。
「ナランチャは喜んで協力するだろうし、アバッキオだってなんだかんだ文句垂れながら手を貸すだろう。そして僕があんたを見捨てられるわけがない……。だから、落とし所を考えてみた」
フーゴは己が発案を口にした。
「全てが終わったら、雁夜をうちのチームに入れるというのはどうでしょう?」
「………何?」
それはブチャラティには意外過ぎるものだった。フーゴにせよ、他のメンバーにせよ、新入りにそれほど優しい方じゃない。そんな彼が、そんな提案をするとは。
「スタンド使いになれるかはわからないが、命を賭けて矢の試験に挑まずとも、魔術を使えば、入団試験突破もそう難しくはないだろう。魔術という武器は、僕らがのし上がっていくのに有用だろうし、価値はある」
つまり、これ以上見返り無しに雁夜に協力することはできない。ならば逆に、見返りがあれば協力できるということだ。今後も協力する代わりに、パッショーネに入団し、その力をチームのために振るってもらうという取引だ。
(無理をさせてしまったな………)
雁夜にギャングが向いているとは思えないし、魔術にしてもそこまで上等のものではない。リスク以上のリターンを期待できるとは言い切れないにも関わらず、フーゴはそれを落とし所としてくれるというのだ。
「すまないな、フーゴ」
「謝罪などいりませんよ。それより、貴方は雁夜にギャングになることを納得させることです。雁夜が受け入れないのなら、この案もお流れです」
結果から述べると、雁夜はフーゴの案を呑むことを許諾する。これからもブチャラティたちの協力は必要であったし、ギャングという暗黒の社会であっても、魔術師の世界に比べればマシだというのが雁夜の価値観であった。少なくとも、ギャングたちは犯罪者であっても、まだ人間の範疇にあるのだから。
◆
アサシンは文字通り、時間をかける気はなかった。いかにアサシンが高い戦闘能力を持っているとはいえ、英雄王ギルガメッシュの持つ無限に近い宝具の力に無警戒であることはできなかった。
故に、
「【王の世界(ザ・ワールド)】!!」
すぐさま切り札を切る。
森羅万象を停止させ、時の流れを超越する、『世界を支配する能力』が、解き放たれた。
「さて………それではその首を貰うとしようか」
地を一蹴りして跳び、アーチャーの眼前に降り立つ。
「1秒経過………」
拳を握りしめ、
「2秒経過………ふん、他愛……無し!!」
アーチャーの顔面めがけて、振り抜いた。
ガイィィィィィンッ!!
「な、なにぃ!?」
アサシンの拳が、虚空から現れた漆黒の円盾によって阻まれた。岩を砕き鉄板をも貫く吸血鬼の拳を持ってしても、傷一つつけることのできぬ高度な神秘の籠った盾に守られ、アーチャーは薄く笑った。
そう、止まった時の中で、アーチャーは動き、笑って見せたのだ。
「無駄無駄無駄、だったか?」
そう呟き、アーチャーは一本の槍を撃ち放つ。槍は、盾にはじかれたアサシンの右腕を貫き、出血を強いる。槍はすぐさま引き抜かれ、投げ捨てられるが、アサシンの再生力を持ってしても、宝具の槍による傷はすぐには癒えなかった。
「ぐうぅぅぅぅ、こ、これはッ! アーチャー貴様ァ!」
「くははははははっ!! どうした『蚤』よ。まさかこのギルガメッシュの眼力が、貴様の卑小な力を見破れぬと思っていたのか? そして予想していなかったのか? この英雄王の宝物庫に………『時間の干渉に対抗する宝具』があることを!」
アーチャーがその背にしているマント、それこそが宝具であった。
―――【時さえ侵せぬ愛の加護(タムレイン・マント)】
そう呼ぶべきものの原形である。
西洋において、人間が妖精に連れ去られるという民話は多くあるが、そういった人間は大抵、妖精界から人間界には戻れない。戻れたとしても、妖精の世界で3年過ごしたはずが、人間界では300年が過ぎており、人間界に帰った途端、300年の年月の重みが押し寄せ、老い、朽ち、塵となって消えてしまうというオチがつきものだ。
だが、幸運にも無事に帰ることができた者もいる。
スコットランドの民話に語られるタムレインという青年は、妖精に攫われ妖精界で女王に仕える妖精騎士となっていたが、ある森で、ジャネットという王女と恋に落ちる。
タムレインはジャネットに頼み、自分を妖精界から人間界に戻る手助けをしてもらうのだった。
妖精たちが馬で遠乗りにでかける万聖節の夜、ジャネットはタムレインの乗る馬に飛び乗り、タムレイン諸共に馬から落ちた。ジャネットが掴んでいたタムレインの体は、氷の塊や炎、蛇や鳥といった姿に変えたが、これはタムレインの逃亡を防ごうとする妖精の魔術だった。最後に燃える鉄の塊になったところで、ジャネットはタムレインを井戸に落とす。そこでようやくタムレインは妖精から、一人の裸の男と戻つことができ、最後にジャネットからマントを掛けてもらうのだった。
こうして、タムレインは無事、人間界へ帰還し、ジャネットと結婚して幸せに暮らしたという。
「この宝具は、身にまとった者を時間の干渉から防ぐことができる。貴様の時間停止も、この宝具をまとう我を止めることはできない。もちろん………」
アーチャーが指揮者のように右腕をスイッとあげると、背後の空間が波紋を起こし、幾度となく見た、無数の宝具の一斉射撃の準備が整う。その数は百を超えるだろう。以前のように、ビリヤードのように宝具同士をぶつけ合わせて防ぐには、大量すぎる。
「我の宝具を止めることも、できぬ」
今までの比ではない、数えきれない宝具が、アサシンへと降り注いだ。
「む………無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァァァァァァッ!!」
アサシンは『世界(ザ・ワールド)』を出現させ、自分の腕とスタンドの腕、計4本の腕によって拳打を放つ。
その拳は強力であり、同時に精密であった。さすがに宝具を正面から殴れば、拳の方が砕けただろうが、アサシンは宝具の側面に軽い衝撃を与え、軌道を逸らして攻撃を弾いていった。
だが、すべてを逸らし、やり過ごせたわけではない。直撃は避けられても、逸れた剣が足をかすめ、逸れた刀が肩を抉る。矢が右耳をちぎり、矛が腹を割いていった。
「ぐぁああぁ………!!」
最後にDIOの右足を槍が貫き、筋を破り、骨を砕いた。たまらずその場に膝をつく。
百ほどの宝具が放たれた後、アサシンの体は五体満足ではあったが、大小無数の傷に覆われ、歩くこともできないという状態になっていた。
「これまでだな。この我が貴様の能力について考察していなかったと思ったのが敗因よ。汚らしい暗殺者らしく暗がりでコソコソとしていればよかったものを、明るみに出るからそうなる。後悔し、消えるがいい」
アーチャーの手に、一振りの西洋剣が出現する。ヴォルスング・サガに登場する英雄シグルドが手にしていた、【約束された勝利の剣(エクスカリバー)】に勝るとも劣らぬ魔剣、【太陽剣(グラム)】――その原型。
人型一つなど、消し滅ぼして余りある一撃が、今、振り下ろされた。
◆
言峰綺礼の手から、一度に6本の黒鍵の刃が放たれる。黒鍵は令呪の魔力によって暴走状態に近いほどの強化をかけられており、一流の魔術師であっても短時間の詠唱による魔術では防げない代物であった。それらは狙い過たず、それは遠坂時臣に向かって突き進む。が、
「掻き消せ【魔女破る浄化の神草(モーリュ)】」
時臣の手から、不思議な植物の葉が投げられる。形はシダ植物のそれだが、ガラスのように半透明で、柔らかな虹色の光が灯っていた。その葉は物理を無視した動きで宙を舞い、黒鍵にぶつかり、そして黒鍵を消滅させた。
ギリシア神話において、英雄オデュッセウスがヘルメスより授かり、魔女キルケの魔力を打ち消した薬草、【魔女破る浄化の神草(モーリュ)】の原形。時臣がギルガメッシュから特別に与えられた宝具であった。
「もう無意味であることはわかっただろう綺礼。いかに代行者お得意の概念武装である黒鍵でも、宝具であるこの【魔女破る浄化の神草(モーリュ)】の守りを突破することはできない。そして、魔術を使わぬ八極拳だけでは、さすがに我が炎の魔術による結界を突破することはできない」
時臣が、ルビーを嵌め込んだステッキで床を突くと同時に、炎が空間を舞い踊る。鉄をも熔かす、時臣自慢の魔術である。
「正面からの戦いでアーチャーを倒せるような英霊はいない。ならば君たちが勝利する方法は、マスターである私を倒して令呪を奪い、アーチャーを自害に追い込むことくらいだろう。そのくらいのことは誰でも予想がつくからね。アーチャーも特別に、この宝具を渡してくれたわけだよ」
あの慢心の塊のような英雄王が自らの所有物を他者に委ねるほどには、アサシンたちを警戒していたということか。光栄と言えるかもしれないが、もはや綺礼になすすべはない。
せいぜい逃げ回り、敗北までの時間を先延ばしにするくらいか。
「ではそろそろこちらから攻撃するとしよう。マスターとサーヴァント、どちらの方が早く勝負がつくかな?」
◆
間桐臓硯――かつての名はマキリ・ゾォルケン。その身を蟲と化し、500年以上の時を生きる老魔術師、否、もはや妖怪。
「この霊脈の加減から逆に探るに……聖杯は順調に完成に近付いているようじゃなぁ」
円蔵山付近の霊脈が流れる大地に、使役する蟲たちを這わせ、調査を行う。英霊の魂は確かに聖杯にくべられているらしい。数はキャスターとライダーの二つ。タルカスや切り裂きジャックの魂は聖杯には取り込まれなかったようだ。
「聖杯が直接呼んだサーヴァントでなければ、吸収されることはないということか。しかし、こいつはやはり、相当おかしくなっておるなぁ」
臓硯は聖杯の異常を再確認する。前回の第3次聖杯戦争において行われた、アインツベルンの『反則』の影響があることは予想されており、キャスターとアサシン、英霊とはとても言えぬ怨霊の召喚によって、その異常は確信できるものとなった。
「アサシンか………クク、このわしとしたことが、魅了されそうになったわ。悪でありながら輝いていると錯覚しそうになるほどの強大さ、『世界王』を名乗るは伊達ではないか」
悪とは拒絶されるもの。それは悪同士であっても例外ではない。悪と悪は拒絶し合う。だが、アサシンは悪を受け入れ、取り込んでしまう。臓硯はそれを受け、実感した。認められ受け入れられる感触が、孤独でなくなるという環境が、とても安心できてしまうものだった。
「まさに麻薬よ。用心せねばな………だが、確かに手を組むにはこれ以上の者はない。共に絢爛たる永遠を夢見ようではないか」
臓硯の手の中で、『友情の証』として譲り受けた『DIOの骨』が蠢く。骨に宝具を侵食されたキャスターの末路を知っていても、捨てる気にはならない。間違い様が無く危険であれど、同時に運命を呼び込むと確信できる『力』がある。
「もっとも、おぬしにとっては永遠さえも通過点に過ぎぬのであろうが………クカカカ、本当になんと、欲深い」
アサシンが、史上最古にして最強の英霊と戦っていることを知っていながら、アサシンの勝利を疑っていないようだった。彼には確信があったのだ。
確かにアーチャーは誰より強いが、他者を踏み躙ることにおいては、アサシンの足元にも及ばないと。
◆
轟音と共に、大地が一直線に切り裂かれた。斬撃の痕は30メートル以上に及び、家屋までも4、5軒にわたって切断した。
それだけだった。
「かわしただと!?」
アーチャーの振り下ろした剣を、アサシンはかわしていた。だが、それは足で動いたのではなく、腕で這ったわけでもない。アサシンが自分で動いたのではなく、外側から力を加えられ、引きずられたような動きだった。
回避した後も動きは止まらず、アーチャーが意表を突かれている隙に、その側面に回り込んでいた。アサシンはもはや動けないと確信していたアーチャーは、その動きに対応できず接近を許してしまう。
動くアサシンの体は立ち上がっているように見えたが、その実、足は大地から離れ、空に浮かんでいた。
不可解であった。アサシンに飛行能力は無い。スタンドパワーである程度の移動は可能だが、今はスタンドも使っておらず、その全身は弛緩し、棒立ちとなった体勢は、あらゆる力と呼べるべきものが、入っていないように見えた。
さながら『操り人形が、糸によって上から吊り下げられているだけ』のように。
だが、その両眼にだけはギラついた殺意と、ドス黒い悪意とが、混然となった力を宿して、アーチャーを睨みつけていた。
そしてアサシンは、スタンドを出現させる。
「URYYY!」
「この雑種がぁ!」
アーチャーは自身の背丈よりも大きな盾を取り出し、身を守る。黄金に輝くその盾の硬度は、対城宝具を防ぐほどのものであり、『世界(ザ・ワールド)』の拳で破壊できるレベルのものではなかった。
だが、次の瞬間アーチャーの目には、盾を突き抜けてアーチャーへと伸びる、『世界(ザ・ワールド)』の右手が映っていた。
「―――ッ!?」
戦慄するアーチャーの思考を無視し、『世界(ザ・ワールド)』の右手は無操作にアーチャーの左胸部に触れ、黄金の鎧を『素通り』し、直接に霊核を掴むと、有無を言わさず握り潰した。
「ガ、ハッ………!?」
アーチャーは口から血を噴き出し、3歩ほどよろめきながら後退すると、ぐらりと倒れ込み、そして大地に倒れきるよりも前に、光の粒子となって消滅した。
「ハァ、ハァ……さすがに、一筋縄ではいかなかったが、英雄王。まだまだ、慢心が抜けていなかったようだな。これが1対1であると思い込んだこと、エンヤ婆の存在を無視したことが、貴様の敗因よ」
アサシンの体には、幾つか綺麗な丸い穴が開いていた。それは紛れもなく、キャスター・エンヤ婆の宝具、【屍人舞踏・暗黒正義(ジャスティス)】によるものであった。
アーチャーの宝具の雨によって傷ついたアサシンは、もう自分の力では動けなかった。故に、エンヤ婆の能力によって動かしてもらっていたのだ。どう動かすかのタイミングは、スタンド同士の会話で完璧に合わせられる。
「よくやったぞ、エンヤ婆」
「勿体ないお言葉でございます、DIO様。御身を我がスタンドで侵し、動かしてしまった無礼にも関わらず」
「私の命令によるものだ。かしこまる必要はない。では……綺礼を安心させてやるとするか」
アーチャー・ギルガメッシュの敗因は、やはり油断と慢心にあったと言えるだろう。
アサシン・DIOの切り札が時間停止であると、見破ったまでは良かったが、エンヤ婆という存在のことを度外視したこと。スタンドは、ある程度以下の厚さの物体は、素通りできるということを知らず、防御を完璧だと思ったこと。
敵に対する知識は万全であり、用意は万端であると思い込み、まだ知らないことや見落としがあるのではないか、という意識を持てなかったゆえに、ギルガメッシュは敗北したのだ。
対するアサシンは、覚悟ができていた。生前の戦いと同じく、時間停止に対抗される可能性を考えていた。ゆえに、『自身も傷を負う』覚悟は決めていた。その覚悟が、勝敗を分けたと言っていいだろう。
そしてエンヤ婆の固有結界が閉じていく。古い街並みは歪んで消えていき、結界内から本来の世界に戻る。日差しを閉ざす霧だけは健在であったが。
結界が消失した後、アサシンは遠坂邸のロビーに既に入った状態で、時臣、綺礼、エンヤ婆の全員が同じ場所で顔を合わせていた。
「馬鹿……な……」
アサシンの耳に、遠坂時臣の打ちひしがれた声が届く。絶対なる勝利が崩れ落ち、現実を認めきれないようだった。
時臣は、綺礼の目的は令呪を奪うことだと思い込んでいたようだが、アサシンはもとより、令呪によりアーチャーを自害させて倒す気はなかった。時臣たちもそれは警戒しているだろうし、本当に令呪を奪われそうになれば、令呪でアーチャーを呼ぶことだろう。結局アーチャーとの戦いは避けられない。
ならば、時臣はアーチャーへと支援させないため、遠ざけ分断しておく方がよい。そう判断し、綺礼に足止めさせていたにすぎない。最初から綺礼の仕事は時間稼ぎであり、彼はそれを完璧にこなしたのである。
「さて……こちらとしては貴様にもはや用は無い」
周囲には炎が燃え上がっていたが、アサシンは意に介することなく、
「【王の世界(ザ・ワールド)】」
宝具を発動させた後、時臣は自分が胸板を貫かれ、壁が壊れるほどの勢いで叩きつけられているのを発見した。時臣の礼装である紅玉をあしらった杖は、衝撃で折れ砕け、転がっていた。
(こ、これは、アーチャーの言葉は本当に、時間停止を………)
時臣は魔法の域にある力の片鱗を感じながら、口から血を吐き出していた。もはや立ち上がることもできないその姿を、アサシンは見下ろし、
「特別サービスというやつだ。我が最強の能力でとどめを刺してやった。よく味わって死ぬがいい。何、そう長くはない」
そう言い捨てると、時臣に背を向け、遠坂邸を後にする。これにて、第4次聖杯戦争最強のサーヴァント、アーチャー・ギルガメッシュは敗退した。
残りの正式なサーヴァントの数は、4体。
……To Be Continued
ACT23 折れる『杖』
ただ微笑んでいてほしかった。
ただ幸せであってほしかった。
そのためであれば何でもした。どんな敵とも戦った。どんな汚れも請け負った。
親友の兄弟すべてを斬り殺したのは、ただ一人の女性のために。
円卓の結束を断ち斬り穢したのは、ただ一途な愛のために。
そして国は破滅した。
そして王は世を去った。
彼女へ愛を捧げながら、彼女が愛する全てのものを滅ぼした。
彼女は泣いている。全ては自分のせいなのだと泣き続ける。
彼女は泣きながら生き、自分が幸せになることを遠ざけた。
彼女は死ぬ間際に神に祈ったと聞いた。自分に幸せを与えないで下さいと。死ぬ前に、愛する男ともう一度、『出会えない』ようにと。
どうすればよかったのか。
愛したことが間違いであったのか。
この世の誰よりも、幸せにしたかったはずなのに。この世のあらゆる悪から、守ると決めたはずなのに。
騎士がしたことは、彼女に永遠の汚名と、罪悪の重みを背負わせただけ。
償えない罪を背負い、彼女は泣いている。
『完璧な騎士』の名を穢した罪に、彼女は涙を流し続ける。
そう、この罪は永遠だ。
誰に許されようと、その許しを受け入れられない。
償いようもない。罪を裁き、償いの道を示せる人は、そうしてくれずに、いなくなってしまった。
どうすればよかったのか。
どうすればよいのか。
どうすれば………
◆
間桐雁夜が目を覚ますと、そこは忌々しい間桐の蟲蔵であった。体を這いずる虫どもを煩わしく思うものの、嫌悪感は大分鈍っており、適当に手で払い落していく。
(また、バーサーカーの夢か)
騎士の中の騎士と歌われた、サー・ランスロットの過去。
王妃を愛し、守ろうとしながら、その意志そのものが原因で、王と国を滅ぼした罪。
誰が悪かったのか。何が悪かったのか。
全員がただ、人を愛しただけなのに。そこには汚いものなど、全くありはしなかったのに。
事実だけを言えば、愛は最悪の事態を引き起こした。
(遠坂時臣………奴もまた、葵さんを、桜ちゃんを愛しただけだったっていうのか? けれど……)
それで、彼女たちを苦しませた罪が許せると言うのか。それで、時臣の行為を認めろと言うのか。
思い悩みながら居間に向かうと、そこでは椅子に座ったブチャラティが、何らかの資料をテーブルの上に並べて読み込んでいた。
ブチャラティは雁夜に気付くと、
「おはよう。目を覚ましてそうそう悪いんだが、敵の位置がわかった。昨日、アバッキオたちが手に入れた、不動産関係の情報だ。魔術師というものは、チンピラが使うような情報屋を使うなど思いもよらないようだが、割と役立つこともある」
ブチャラティから手渡された紙に書かれているのは、最近売り渡された家屋の情報だった。
「深山町か。間桐の家からも近いな」
「広大な土地でありながら、長期間にわたって放置され続けていた日本家屋だ。一括で買い取った者がいる。それも業者でも無い個人でだ。怪しいと思い少し突っ込んでみたが、既に人が住んでいた。アインツベルンのマスターたちだ」
家屋のすぐ近くまで行くと怪しまれるので、ナランチャのスタンドを先行させて人がいることを確かめた後、家屋へ続く道においてアバッキオの【ムーディー・ブルース】によるリプレイを行うと、アイリスフィールの姿が再生されたのだ。
「衛宮切嗣………アインツベルンの協力者という話だが、あれは危険だ。早めに倒しておきたい。今夜……いや、意表を突くならば正午にでも襲撃をかけようと思うが、どうだ?」
「………向こうもこうも早く、拠点がばれるとは予想していないだろうしな。ルール違反に関しては、ここまで無茶苦茶になってるんだ。今更か。その提案、呑もう」
雁夜の了解にブチャラティは頷くが、更に続けて今後の行動を示してきた。
「ああ。それで邪魔者と言えるような連中が排除されたところで、もう一度時臣と話し合う場をセッティングしよう」
「………ッ! そ、それは」
雁夜が表情を歪めると、ブチャラティは静かな眼差しを送り、
「あんたが納得いかない気持ちはわかる。悪気が無ければいいって問題じゃあないと、俺も思う。だがな、桜ちゃんのことを考えろ。彼女がこれから一生、親は自分を切り捨てたと、自分はいらない子供だったと、そう思いこんで生きていくことは、良いことか?」
「そ、そんなわけ、だが、しかし………」
「別に、今すぐ時臣への感情に決着をつけろなんて無茶は言わない。だからこその話し合いだ。今度は向こうも多少は聞く耳を持つだろう。それでも許せないというのなら、俺もギャングらしく、容赦なくやってやるさ」
一瞬、ブチャラティは冷たい刃物を思わせる殺気を、その言葉に刺し込むように表した。それに身を一度震わせて、雁夜は心を落ちつけるために数度呼吸をし、
「………わかったよ、ブチャラティ。桜ちゃんのことは一番に優先すべきことだ。あいつともう一度話してみるよ」
雁夜とブチャラティはあずかり知らぬことだったが、彼らが話している、ちょうどその頃、聖杯戦争は新たな動きを見せていたのだった。
◆
言峰綺礼のもとに、遠坂時臣からの連絡が届いたのは、午前7時ごろのことだった。雲ひとつない空に太陽が輝き、暗黙のルールとして聖杯戦争が行われない時間帯である。
連絡の内容は、
「『アサシンを自害させよ』か………」
キャスターを死徒化させたのがアサシンである疑いがあり、そもそもアサシンを保持しておいた理由であるライダーの存在もなくなった今、自害させることに遠慮はいらないとのことだ。
「ついにというべきか、ようやくというべきか、何にせよ、もはや仕方あるまい」
綺礼は魔術による通信機で書かれた書面に目を通し、それをアサシンに手渡す。
「ふむ。問題は、時臣がこの命令を実行すると信じているか、あるいは君の裏切りに気が付いているかの、どちらであるかということだが?」
「時臣師だけならば気が付いていないということはありうる。自分に自信があるあまり、落とし穴の存在など思いもかけない御仁だ。だが、あのアーチャーが何か口出しをするとすれば………」
命令の内容を要約すると、
この命令が下されてから、ちょうど1時間後に時臣邸に来ること。
時臣とアーチャーの目の前に、アサシンを連れてきて実体化させること。
しかる後、時臣が確認している中で、アサシンを自害させること。
ということになる。
「目の前で自害したことを確認したいということは、ただ『自害させた』という報告では信頼してもらえないということ。やはり向こうはこちらを疑っているな」
「ああ、こうなっては取る道は一つだ」
アサシンの意見に同意し、綺礼は速やかに間桐臓硯へと連絡を飛ばす準備を始める。
「御三家最初の退場者は、遠坂家ということになる」
◆
ウェイバー・ベルベットは、コンビニで目についた栄養ドリンクを買い物かごに入れていた。
昨夜、ミトリネスから宝具と勝利を託された後、ウェイバーはケイネスの遺体を森に埋め、人避けと防腐処理の魔術を施した。防腐処理に関してはウェイバーの魔術よりも、デパートで買った防腐剤の方が優れているとわかり、落ち込んだりもしたが、それはともかく、ウェイバーは今後について想いを馳せる。
(残る敵は、セイバー、アーチャー、バーサーカー、そして………アサシン)
正確にはキャスターが消滅前に召喚したらしき、新たなサーヴァントもいるが、ステータスは低いし、宝具もわかっている。まず問題はない。ただ、彼らがアサシンに協力しているらしいのが問題だ。
(アサシンはその能力もよくわかっていない………承太郎に連絡しても繋がらないし)
アサシンについて知っているはずの友人たちに電話してみたが、どうやら彼らも忙しいらしい。彼らが命がけの冒険を潜り抜けているのはいつものことだが、よりによってこの時にと、会計を済ませながら、ウェイバーはため息をつく。
情報は乏しく、準備してきたアイテムの残りも少ない。サラミは重傷を2回治せる程度。化粧用具も2、3回が限界だ。
ランサーの魔力も随分減っている。いくらランサーが燃費のいいクラスであるといっても、こうも連戦していては流石に厳しい。
無論、ウェイバーなりに工夫はしている。本来、サーヴァントに食事は必要ないが、微弱ながらも魔力消費を抑えられるため、ウェイバーはランサーにきちんと食事を与えている。主神ダーザを始め、大食いを誇る逸話の多いケルト出身の英雄だけあり、細身である彼も相当な健啖家であった。
しかしそれでも、これからの戦いを考えると足りない。よって、今日は一日、ランサーを召喚した森に寝袋を敷いて眠り、ランサーの魔力回復に努めることにした。
「今日一日は、ここで何もせずに寝ているから、死なない程度に魔力を持って行ってくれ」
「わかりました。お手を煩わせてしまい、申し訳ありません」
殊勝な態度のランサーに、ウェイバーはため息をつく。魔力の補給が滞っているのは、未熟な自分が原因なのだ。それを謝られると、余計に情けなくなってくる。
「………謝る必要はない。っていうか、お前はむしろ責めるべきだろ。正直に言っていいんだぞ。結局、僕は大してお前のフォローもできてない。お荷物になったり人質になったりで、足を引っ張るだけなんだから」
「責めるなど、まさか。貴方は立派にやっています」
「精神的な意味でだの、心の支えとしてだの、なんてのは聞かないぞ。僕が欲しいのは結果だ。形のある成果だ。証明したいんだ。僕でも出来ることがあることを。この手で掴み取れる物が、僕にもあるってことを」
ウェイバー・ベルベットは勝利者になりたいのだ。強者になりたいのだ。
ただ相棒に恵まれただけのラッキーマンやマスコットなんてものじゃない。戦える男になりたいのだ。
「ならば僭越ながら言わせてもらいますが……貴方には確かに、自力で成果を掴むだけの実力には不足していると、断じざるをえません。他の参加者と尋常に戦えば、誰に対しても惨敗するでしょう。この戦場に飛びこむには、あまりに未熟です。今も五体満足であるのは一つの奇跡でしょう」
「………結構はっきり言うんだな」
「それが主の御希望なのでしょう?」
「………まあそうなんだけどさ」
「そう、確かに主には結果を勝ち取るための力は無い。けれど、貴方は口でどう言おうと、結果だけを求めはしなかった。橋から落ちそうな青年を助け、呪いにかかった少女を救い、怪物に襲われた町を守るために駆けまわった。結果だけを求めるのなら、それは必要のない行為だったはずです。貴方はね、本当に大切なことをちゃんとわかっているのですよ。人間として自分を見失わず、正しく進み続ける意志を持つことだと。いつか貴方も言っていた、『友達に自慢できるやり方』というものです。ですが、それを理解できていない者は意外と多いのです。特にこのような戦争の中では」
「……………」
「そして、『目的のために手段を選ばない者』というのは、大抵の場合、一時の勝利を得ることはできても、最後には全てを失うものなのです。だから、私は断言できます。貴方は最も掴み取るべきものを、既に掴んでいると。貴方は勝利者であると。何より、貴方こそ私にとって最高のマスターであると。それだけはどうか否定しないでいただきたい」
「………慰めはいらないさ。力が無いことに変わりは無いんだ」
ウェイバーはぶっきらぼうに言葉を放つ。
「だから………僕は力を得る。そのために……そうだな、ケルト魔術の呪詩について、もっと教えろ。また定型句からだ」
「ええ。何度でもお付き合いします。主よ。私もオシーンの失われた詩を、もっと知ってほしいですしね」
そしてウェイバーは眠りに着く。ランサーもまた、口を噤み魔力の補給に務める。二人は一心不乱に休息を行っていた。同じ時に、別の場所で生死を賭けて戦いが繰り広げられている中、彼らは静かに、しかし間違いなく彼らにとっての戦いを行っていた。
◆
時臣から指定された時間に、綺礼は遠坂邸の前に来ていた。太陽の輝く下に出られないアサシンはいまだに霊体化しており、それに代わるように、矮躯の老婆が杖をついて立っていた。
「始めろ、エンヤ婆」
「貴様にわしへ命令する権利はないが、DIO様のためじゃ。よかろう」
綺礼の命令に渋々ながらも応え、キャスター・エンヤ婆は自らの宝具を展開する。
「――【妖霧嘲笑・幽街結界(ジャスティス)】」
エンヤ婆の体から霧が浮かび上がり、嵐のような勢いで辺り一帯に広がっていった。一寸先も見えぬほどに濃い霧は、数秒で遠坂邸を丸ごと包み込んでしまう。
それはライダーとの戦いで使った宝具に酷似していたが、質においては全く異なっていた。ライダーとの戦いで見せた【屍人舞踏・暗黒正義(ジャスティス)】は、空間を満たす霧のスタンド。【妖霧嘲笑・幽街結界(ジャスティス)】は逆に、霧のスタンドで満たされた空間を造り出す『固有結界』である。
かつて霧の中に街を一つ造り上げてジョースター一行を待ち構えていたように、今、彼女は遠坂時臣とアーチャーを、亡霊の街に引きずり込んだのだ。
古風な外国の建物が建ち並ぶ奇怪な街に、二人の英霊はあらかじめ対峙する形で立っていた。大通りらしい立地だが、他に人はいない。屍生人(ゾンビ)を徘徊させることもできたが、アーチャー相手にはエンヤ婆の魔力を消耗するだけで、大した意味はないとして、していない。
「この我をこのような汚らしい場所に連れ込むとはな………よかろう。『蚤』ごときには勿体ないことだが、この我じきじきに潰してやろう」
「無駄無駄無駄………『猿』が人間に追いつけないのと同様、所詮貴様もこのDIOにとっては猿山の王に過ぎん」
英雄王が、マントをなびかせて笑う。
世界王が、指を振って笑う。
どちらもが、全てを見下し、自らを頂点にいると確信している二人。
この聖杯戦争の火ぶたを切った二人が、今、再戦を開始する。
一方、彼らのマスターたちもまた対峙していた。
「………なぜ裏切ったんだい綺礼。君も聖杯が欲しくなったのかい?」
「間違ってはいませんが、絶対に聖杯がなくてはならないというわけではないですね」
残念そうに、しかし十分に殺意を固めた面持ちで、時臣はルビーを嵌めた杖を構えていた。
綺礼の方は今まで通り、感情の読みとれない冷淡な表情で答える。
「答えは得た。まだ求めているものはありますが、それはまた別の方法で問うこともできます。結局のところ、私が貴方を裏切るのはアサシンの為なのでしょうな。彼が聖杯を欲している。だから協力しているにすぎない。私は私の目的とは別に、彼がすることを共にしていきたいと思っているのですよ」
綺礼は答えながら、自分でもらしからぬことを言っていると思えた。らしくはないが、それが本音であった。綺礼は心から、自分ではなくDIOのために戦っているのだ。
もし組んだ相手がアーチャーであったなら、場合によっては裏切ったことだろう。アーチャー・ギルガメッシュは破壊も殺戮も躊躇わないが、基本として善性の存在だ。互いに利用し合い、愉しみながらも、根本のところでは信頼しあえるものではない。
だがアサシンに対しては、綺礼は心から忠誠を誓っていた。言峰綺礼は、悪を求める人間だ。悪の化身であるアサシンに惹かれるのは節理とさえ言えた。
「なるほど。ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリが夢中になるのもわかる。『愛』とは、こうも熱く、麗しく、深く、楽しく………そして冷たく、醜く、浅ましく、邪悪なものだったのか」
綺礼は笑った。これから神(DIO)へと供物を捧げることへの、誇りと悦びを表すために。
◆
午前8時過ぎ、アインツベルンの陣営へと襲撃を仕掛けることを決定したブチャラティが、不動産から得た資料から、相手側の家屋の配置を頭に入れていると、
「ブチャラティ、少し話したいんですが、いいですか?」
パンナコッタ・フーゴから声がかけられた。
「……何だ?」
答えながら、ブチャラティはある程度、話の内容は予想がついていた。
「単刀直入に言うと、いつまで雁夜と関わるつもりですか?」
フーゴの話とは、間桐雁夜との協力関係の破棄の提案だった。
「そもそも僕らの目的は、うちのメンバーを殺した雨生龍之介を始末することです。雁夜と手を組んだのも、その目的に協力してもらうため。そして、目的は果たされた。龍之介は殺した。なら、これ以上雁夜に協力して、僕らに、貴方に、何のメリットがありますか? 危険に身をさらすだけです。もう早く日本を離れて帰国した方がいい。余計に長居をしていると、それだけで組織から迅速に仕事ができない無能と思われるか、下手すれば良からぬことを考えていると思われます」
冷静な意見であり、何より正論だった。パッショーネのチームとしては、これ以上、雁夜に協力する意味は何も無い。
「………気を悪くするかもしれませんが、それでも僕は」
「気を悪くなどしないさ。そんな冷静な判断を見込んで、俺はお前をチームに引きいれたんだからな。しかし」
ブチャラティはかぶりを振り、
「今、雁夜と手を切ることは、雁夜への裏切りだと俺は判断する。雁夜が俺を信頼している以上、それはしてはならないことだ。無論、実際これは俺の我儘だ。お前の方が正しいんだろう。だからお前たちが協力したくないというのなら、強制的に協力させる権利は俺にはない」
「やりたくないなら、やらなくていいって? それは随分卑怯な言い草じゃないですか。そんなことあんたに言われて、やらないと言える奴が、このチームにいるとでも?」
眉をひそめ、フーゴは機嫌の悪そうなやや低い声音を出す。しかし、本当に機嫌を悪くしているというわけでないのを、ブチャラティはわかっていた。機嫌が最悪に達した時、フーゴは突発的にキレるのだ。見境なしに破壊衝動に出る。それがないのは、まだ致命的な精神状態にはないということだ。
「ナランチャは喜んで協力するだろうし、アバッキオだってなんだかんだ文句垂れながら手を貸すだろう。そして僕があんたを見捨てられるわけがない……。だから、落とし所を考えてみた」
フーゴは己が発案を口にした。
「全てが終わったら、雁夜をうちのチームに入れるというのはどうでしょう?」
「………何?」
それはブチャラティには意外過ぎるものだった。フーゴにせよ、他のメンバーにせよ、新入りにそれほど優しい方じゃない。そんな彼が、そんな提案をするとは。
「スタンド使いになれるかはわからないが、命を賭けて矢の試験に挑まずとも、魔術を使えば、入団試験突破もそう難しくはないだろう。魔術という武器は、僕らがのし上がっていくのに有用だろうし、価値はある」
つまり、これ以上見返り無しに雁夜に協力することはできない。ならば逆に、見返りがあれば協力できるということだ。今後も協力する代わりに、パッショーネに入団し、その力をチームのために振るってもらうという取引だ。
(無理をさせてしまったな………)
雁夜にギャングが向いているとは思えないし、魔術にしてもそこまで上等のものではない。リスク以上のリターンを期待できるとは言い切れないにも関わらず、フーゴはそれを落とし所としてくれるというのだ。
「すまないな、フーゴ」
「謝罪などいりませんよ。それより、貴方は雁夜にギャングになることを納得させることです。雁夜が受け入れないのなら、この案もお流れです」
結果から述べると、雁夜はフーゴの案を呑むことを許諾する。これからもブチャラティたちの協力は必要であったし、ギャングという暗黒の社会であっても、魔術師の世界に比べればマシだというのが雁夜の価値観であった。少なくとも、ギャングたちは犯罪者であっても、まだ人間の範疇にあるのだから。
◆
アサシンは文字通り、時間をかける気はなかった。いかにアサシンが高い戦闘能力を持っているとはいえ、英雄王ギルガメッシュの持つ無限に近い宝具の力に無警戒であることはできなかった。
故に、
「【王の世界(ザ・ワールド)】!!」
すぐさま切り札を切る。
森羅万象を停止させ、時の流れを超越する、『世界を支配する能力』が、解き放たれた。
「さて………それではその首を貰うとしようか」
地を一蹴りして跳び、アーチャーの眼前に降り立つ。
「1秒経過………」
拳を握りしめ、
「2秒経過………ふん、他愛……無し!!」
アーチャーの顔面めがけて、振り抜いた。
ガイィィィィィンッ!!
「な、なにぃ!?」
アサシンの拳が、虚空から現れた漆黒の円盾によって阻まれた。岩を砕き鉄板をも貫く吸血鬼の拳を持ってしても、傷一つつけることのできぬ高度な神秘の籠った盾に守られ、アーチャーは薄く笑った。
そう、止まった時の中で、アーチャーは動き、笑って見せたのだ。
「無駄無駄無駄、だったか?」
そう呟き、アーチャーは一本の槍を撃ち放つ。槍は、盾にはじかれたアサシンの右腕を貫き、出血を強いる。槍はすぐさま引き抜かれ、投げ捨てられるが、アサシンの再生力を持ってしても、宝具の槍による傷はすぐには癒えなかった。
「ぐうぅぅぅぅ、こ、これはッ! アーチャー貴様ァ!」
「くははははははっ!! どうした『蚤』よ。まさかこのギルガメッシュの眼力が、貴様の卑小な力を見破れぬと思っていたのか? そして予想していなかったのか? この英雄王の宝物庫に………『時間の干渉に対抗する宝具』があることを!」
アーチャーがその背にしているマント、それこそが宝具であった。
―――【時さえ侵せぬ愛の加護(タムレイン・マント)】
そう呼ぶべきものの原形である。
西洋において、人間が妖精に連れ去られるという民話は多くあるが、そういった人間は大抵、妖精界から人間界には戻れない。戻れたとしても、妖精の世界で3年過ごしたはずが、人間界では300年が過ぎており、人間界に帰った途端、300年の年月の重みが押し寄せ、老い、朽ち、塵となって消えてしまうというオチがつきものだ。
だが、幸運にも無事に帰ることができた者もいる。
スコットランドの民話に語られるタムレインという青年は、妖精に攫われ妖精界で女王に仕える妖精騎士となっていたが、ある森で、ジャネットという王女と恋に落ちる。
タムレインはジャネットに頼み、自分を妖精界から人間界に戻る手助けをしてもらうのだった。
妖精たちが馬で遠乗りにでかける万聖節の夜、ジャネットはタムレインの乗る馬に飛び乗り、タムレイン諸共に馬から落ちた。ジャネットが掴んでいたタムレインの体は、氷の塊や炎、蛇や鳥といった姿に変えたが、これはタムレインの逃亡を防ごうとする妖精の魔術だった。最後に燃える鉄の塊になったところで、ジャネットはタムレインを井戸に落とす。そこでようやくタムレインは妖精から、一人の裸の男と戻つことができ、最後にジャネットからマントを掛けてもらうのだった。
こうして、タムレインは無事、人間界へ帰還し、ジャネットと結婚して幸せに暮らしたという。
「この宝具は、身にまとった者を時間の干渉から防ぐことができる。貴様の時間停止も、この宝具をまとう我を止めることはできない。もちろん………」
アーチャーが指揮者のように右腕をスイッとあげると、背後の空間が波紋を起こし、幾度となく見た、無数の宝具の一斉射撃の準備が整う。その数は百を超えるだろう。以前のように、ビリヤードのように宝具同士をぶつけ合わせて防ぐには、大量すぎる。
「我の宝具を止めることも、できぬ」
今までの比ではない、数えきれない宝具が、アサシンへと降り注いだ。
「む………無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァァァァァァッ!!」
アサシンは『世界(ザ・ワールド)』を出現させ、自分の腕とスタンドの腕、計4本の腕によって拳打を放つ。
その拳は強力であり、同時に精密であった。さすがに宝具を正面から殴れば、拳の方が砕けただろうが、アサシンは宝具の側面に軽い衝撃を与え、軌道を逸らして攻撃を弾いていった。
だが、すべてを逸らし、やり過ごせたわけではない。直撃は避けられても、逸れた剣が足をかすめ、逸れた刀が肩を抉る。矢が右耳をちぎり、矛が腹を割いていった。
「ぐぁああぁ………!!」
最後にDIOの右足を槍が貫き、筋を破り、骨を砕いた。たまらずその場に膝をつく。
百ほどの宝具が放たれた後、アサシンの体は五体満足ではあったが、大小無数の傷に覆われ、歩くこともできないという状態になっていた。
「これまでだな。この我が貴様の能力について考察していなかったと思ったのが敗因よ。汚らしい暗殺者らしく暗がりでコソコソとしていればよかったものを、明るみに出るからそうなる。後悔し、消えるがいい」
アーチャーの手に、一振りの西洋剣が出現する。ヴォルスング・サガに登場する英雄シグルドが手にしていた、【約束された勝利の剣(エクスカリバー)】に勝るとも劣らぬ魔剣、【太陽剣(グラム)】――その原型。
人型一つなど、消し滅ぼして余りある一撃が、今、振り下ろされた。
◆
言峰綺礼の手から、一度に6本の黒鍵の刃が放たれる。黒鍵は令呪の魔力によって暴走状態に近いほどの強化をかけられており、一流の魔術師であっても短時間の詠唱による魔術では防げない代物であった。それらは狙い過たず、それは遠坂時臣に向かって突き進む。が、
「掻き消せ【魔女破る浄化の神草(モーリュ)】」
時臣の手から、不思議な植物の葉が投げられる。形はシダ植物のそれだが、ガラスのように半透明で、柔らかな虹色の光が灯っていた。その葉は物理を無視した動きで宙を舞い、黒鍵にぶつかり、そして黒鍵を消滅させた。
ギリシア神話において、英雄オデュッセウスがヘルメスより授かり、魔女キルケの魔力を打ち消した薬草、【魔女破る浄化の神草(モーリュ)】の原形。時臣がギルガメッシュから特別に与えられた宝具であった。
「もう無意味であることはわかっただろう綺礼。いかに代行者お得意の概念武装である黒鍵でも、宝具であるこの【魔女破る浄化の神草(モーリュ)】の守りを突破することはできない。そして、魔術を使わぬ八極拳だけでは、さすがに我が炎の魔術による結界を突破することはできない」
時臣が、ルビーを嵌め込んだステッキで床を突くと同時に、炎が空間を舞い踊る。鉄をも熔かす、時臣自慢の魔術である。
「正面からの戦いでアーチャーを倒せるような英霊はいない。ならば君たちが勝利する方法は、マスターである私を倒して令呪を奪い、アーチャーを自害に追い込むことくらいだろう。そのくらいのことは誰でも予想がつくからね。アーチャーも特別に、この宝具を渡してくれたわけだよ」
あの慢心の塊のような英雄王が自らの所有物を他者に委ねるほどには、アサシンたちを警戒していたということか。光栄と言えるかもしれないが、もはや綺礼になすすべはない。
せいぜい逃げ回り、敗北までの時間を先延ばしにするくらいか。
「ではそろそろこちらから攻撃するとしよう。マスターとサーヴァント、どちらの方が早く勝負がつくかな?」
◆
間桐臓硯――かつての名はマキリ・ゾォルケン。その身を蟲と化し、500年以上の時を生きる老魔術師、否、もはや妖怪。
「この霊脈の加減から逆に探るに……聖杯は順調に完成に近付いているようじゃなぁ」
円蔵山付近の霊脈が流れる大地に、使役する蟲たちを這わせ、調査を行う。英霊の魂は確かに聖杯にくべられているらしい。数はキャスターとライダーの二つ。タルカスや切り裂きジャックの魂は聖杯には取り込まれなかったようだ。
「聖杯が直接呼んだサーヴァントでなければ、吸収されることはないということか。しかし、こいつはやはり、相当おかしくなっておるなぁ」
臓硯は聖杯の異常を再確認する。前回の第3次聖杯戦争において行われた、アインツベルンの『反則』の影響があることは予想されており、キャスターとアサシン、英霊とはとても言えぬ怨霊の召喚によって、その異常は確信できるものとなった。
「アサシンか………クク、このわしとしたことが、魅了されそうになったわ。悪でありながら輝いていると錯覚しそうになるほどの強大さ、『世界王』を名乗るは伊達ではないか」
悪とは拒絶されるもの。それは悪同士であっても例外ではない。悪と悪は拒絶し合う。だが、アサシンは悪を受け入れ、取り込んでしまう。臓硯はそれを受け、実感した。認められ受け入れられる感触が、孤独でなくなるという環境が、とても安心できてしまうものだった。
「まさに麻薬よ。用心せねばな………だが、確かに手を組むにはこれ以上の者はない。共に絢爛たる永遠を夢見ようではないか」
臓硯の手の中で、『友情の証』として譲り受けた『DIOの骨』が蠢く。骨に宝具を侵食されたキャスターの末路を知っていても、捨てる気にはならない。間違い様が無く危険であれど、同時に運命を呼び込むと確信できる『力』がある。
「もっとも、おぬしにとっては永遠さえも通過点に過ぎぬのであろうが………クカカカ、本当になんと、欲深い」
アサシンが、史上最古にして最強の英霊と戦っていることを知っていながら、アサシンの勝利を疑っていないようだった。彼には確信があったのだ。
確かにアーチャーは誰より強いが、他者を踏み躙ることにおいては、アサシンの足元にも及ばないと。
◆
轟音と共に、大地が一直線に切り裂かれた。斬撃の痕は30メートル以上に及び、家屋までも4、5軒にわたって切断した。
それだけだった。
「かわしただと!?」
アーチャーの振り下ろした剣を、アサシンはかわしていた。だが、それは足で動いたのではなく、腕で這ったわけでもない。アサシンが自分で動いたのではなく、外側から力を加えられ、引きずられたような動きだった。
回避した後も動きは止まらず、アーチャーが意表を突かれている隙に、その側面に回り込んでいた。アサシンはもはや動けないと確信していたアーチャーは、その動きに対応できず接近を許してしまう。
動くアサシンの体は立ち上がっているように見えたが、その実、足は大地から離れ、空に浮かんでいた。
不可解であった。アサシンに飛行能力は無い。スタンドパワーである程度の移動は可能だが、今はスタンドも使っておらず、その全身は弛緩し、棒立ちとなった体勢は、あらゆる力と呼べるべきものが、入っていないように見えた。
さながら『操り人形が、糸によって上から吊り下げられているだけ』のように。
だが、その両眼にだけはギラついた殺意と、ドス黒い悪意とが、混然となった力を宿して、アーチャーを睨みつけていた。
そしてアサシンは、スタンドを出現させる。
「URYYY!」
「この雑種がぁ!」
アーチャーは自身の背丈よりも大きな盾を取り出し、身を守る。黄金に輝くその盾の硬度は、対城宝具を防ぐほどのものであり、『世界(ザ・ワールド)』の拳で破壊できるレベルのものではなかった。
だが、次の瞬間アーチャーの目には、盾を突き抜けてアーチャーへと伸びる、『世界(ザ・ワールド)』の右手が映っていた。
「―――ッ!?」
戦慄するアーチャーの思考を無視し、『世界(ザ・ワールド)』の右手は無操作にアーチャーの左胸部に触れ、黄金の鎧を『素通り』し、直接に霊核を掴むと、有無を言わさず握り潰した。
「ガ、ハッ………!?」
アーチャーは口から血を噴き出し、3歩ほどよろめきながら後退すると、ぐらりと倒れ込み、そして大地に倒れきるよりも前に、光の粒子となって消滅した。
「ハァ、ハァ……さすがに、一筋縄ではいかなかったが、英雄王。まだまだ、慢心が抜けていなかったようだな。これが1対1であると思い込んだこと、エンヤ婆の存在を無視したことが、貴様の敗因よ」
アサシンの体には、幾つか綺麗な丸い穴が開いていた。それは紛れもなく、キャスター・エンヤ婆の宝具、【屍人舞踏・暗黒正義(ジャスティス)】によるものであった。
アーチャーの宝具の雨によって傷ついたアサシンは、もう自分の力では動けなかった。故に、エンヤ婆の能力によって動かしてもらっていたのだ。どう動かすかのタイミングは、スタンド同士の会話で完璧に合わせられる。
「よくやったぞ、エンヤ婆」
「勿体ないお言葉でございます、DIO様。御身を我がスタンドで侵し、動かしてしまった無礼にも関わらず」
「私の命令によるものだ。かしこまる必要はない。では……綺礼を安心させてやるとするか」
アーチャー・ギルガメッシュの敗因は、やはり油断と慢心にあったと言えるだろう。
アサシン・DIOの切り札が時間停止であると、見破ったまでは良かったが、エンヤ婆という存在のことを度外視したこと。スタンドは、ある程度以下の厚さの物体は、素通りできるということを知らず、防御を完璧だと思ったこと。
敵に対する知識は万全であり、用意は万端であると思い込み、まだ知らないことや見落としがあるのではないか、という意識を持てなかったゆえに、ギルガメッシュは敗北したのだ。
対するアサシンは、覚悟ができていた。生前の戦いと同じく、時間停止に対抗される可能性を考えていた。ゆえに、『自身も傷を負う』覚悟は決めていた。その覚悟が、勝敗を分けたと言っていいだろう。
そしてエンヤ婆の固有結界が閉じていく。古い街並みは歪んで消えていき、結界内から本来の世界に戻る。日差しを閉ざす霧だけは健在であったが。
結界が消失した後、アサシンは遠坂邸のロビーに既に入った状態で、時臣、綺礼、エンヤ婆の全員が同じ場所で顔を合わせていた。
「馬鹿……な……」
アサシンの耳に、遠坂時臣の打ちひしがれた声が届く。絶対なる勝利が崩れ落ち、現実を認めきれないようだった。
時臣は、綺礼の目的は令呪を奪うことだと思い込んでいたようだが、アサシンはもとより、令呪によりアーチャーを自害させて倒す気はなかった。時臣たちもそれは警戒しているだろうし、本当に令呪を奪われそうになれば、令呪でアーチャーを呼ぶことだろう。結局アーチャーとの戦いは避けられない。
ならば、時臣はアーチャーへと支援させないため、遠ざけ分断しておく方がよい。そう判断し、綺礼に足止めさせていたにすぎない。最初から綺礼の仕事は時間稼ぎであり、彼はそれを完璧にこなしたのである。
「さて……こちらとしては貴様にもはや用は無い」
周囲には炎が燃え上がっていたが、アサシンは意に介することなく、
「【王の世界(ザ・ワールド)】」
宝具を発動させた後、時臣は自分が胸板を貫かれ、壁が壊れるほどの勢いで叩きつけられているのを発見した。時臣の礼装である紅玉をあしらった杖は、衝撃で折れ砕け、転がっていた。
(こ、これは、アーチャーの言葉は本当に、時間停止を………)
時臣は魔法の域にある力の片鱗を感じながら、口から血を吐き出していた。もはや立ち上がることもできないその姿を、アサシンは見下ろし、
「特別サービスというやつだ。我が最強の能力でとどめを刺してやった。よく味わって死ぬがいい。何、そう長くはない」
そう言い捨てると、時臣に背を向け、遠坂邸を後にする。これにて、第4次聖杯戦争最強のサーヴァント、アーチャー・ギルガメッシュは敗退した。
残りの正式なサーヴァントの数は、4体。
……To Be Continued
2015年06月28日(日) 22:58:35 Modified by ID:U2AS0iGpzg