Fate/XXI:11
Fate/XXI
ACT11 『女教皇』の影を追い
一つの戦争が終わりを告げた。勝者は喜びに沸きかえり、歓声をあげる。敗者は我先に船に乗り込み、祖国へと逃げ帰っていく。
逃げていく軍は、外国勢。かつてエリンに攻め入り返り討ちにあったノルウェー王、『堅固な武器』のコルガの息子ミダックが、復讐のために呼び寄せた者たち。北方世界の王である『軍神』シンサーと、その息子『偉丈夫』ボーバ、そしてトレント島の三王の軍だ。
勝利した軍は、フィオナ騎士団。アイルランド王、コーマック・マック・アートに仕える、誉れ高き精鋭たちだ。
騎士団を率いるは、クーアルの息子フィン・マックール。知恵の鮭フィンタンの油を指に受けて知恵を授かり、癒しの水を司る大英雄。
率いられるフィオナ騎士団の団員も、誰もが一騎当千の豪傑ばかり。
騎士団で最も詩と歌に長けた、フィンの息子オシーン。オシーンの息子であり『軍神』シンサーを倒した、英雄オスカー。
目が片方しかない豪傑は、『偉丈夫』ボーバを討ち取った、騎士団の副団長。かつてはフィンの父クーアルを殺した仇敵であるが、一度膝を折ってからは忠誠を曲げること無き武人の中の武人。『戦場の戦慄』『戦の鬼』ゴル・マック・モーナ。
剥がれた背中の皮の代わりに、黒い羊の毛を張り付けた男は、コナン・マウル。性格悪く、卑怯な行いもするけれど、時に的確な助言を行えるため、常にフィンの傍にいる。
音楽の才と俊足を持つキールタ・マック・ロナン。
ドバー・オバスキンの息子、ドルイド僧にして医者、見えぬ未来や遠い地の出来事を見通すジャリング。
そして、ナナカマドの宮殿に誘き寄せられ、魔術で宮殿の床に張り付けられ、閉じ込められたフィンたちを助けるため、トレントの三王の首を落とし、その血をまいて魔術を解いた男。解放した後も、フィンたちの弱った体が活力を取り戻すまで、軍と対峙し護った者。
彼こそは『輝く貌』のディルムッド・オディナ。父はドン。義父はボイン川の河畔の妖精宮ブラフに住む、デダナーン族の王子、ダグダの息子、若さと愛の神、エリン最高の魔術師であるアンガス。そして妖精王マナナン・マック・リール。二人の里親から送られた武器を手に、最も多くの活躍を果たしてきた。
エリンの15人の騎士たちをさらったギラ・ダッカーを追って、井戸を護る騎士と戦った。
アイルランド王コーマックの息子、リフィーのカーブリが、タラやブレギア、ミース、カームナの部下と共に、宴をしていたフィンたちを殺そうとした時、一人で敵勢を打ち倒した。
その武勲、その勇名、その忠誠、フィオナ騎士団においてもなお並ぶ者はない。
敬愛する主のために身を捧げ、剣と槍と命を尽くす。それこそが武人の本懐。騎士の名誉。
その道に憧れて。
その道を貫いて。
いつか我が身は誇り高く戦場に果てるものと、そう信じて疑わなかった。
あの日までは―――。
◆
ジリリリリリリリリリリ!!
「む、うう」
目覚まし時計の音に、ウェイバーは重い瞼を上げて、身を起こす。
「今のは………」
夢を見た。夢と言うには酷くハッキリと脳に残っていて、とても忘れられそうにない。あれはおそらくランサーの記憶。ディルムッド・オディナの英雄譚の、本物。
ウェイバーはまだ混濁した意識を覚ますため、枕元に置いておいた水筒に手を伸ばし、中の水を一杯飲む。
「うう、う、おぉぉおおおぉぉぉ」
すると、物凄い勢いで涙が流れ出す。眼球がしぼんで皺くちゃになるほどの量だ。タオルで涙を吸い取りながら、止まるのを待つ。やがて涙が止まった時、ウェイバーの眠気は吹き飛び、思考も冴えわたっていた。
サラミと同じく、知人の料理人に貰った、『キリマンジャロの5万年前の雪解け水』である。昨夜は3時間程度しか寝ていないが、今は10時間眠った後のようにすっきりしている。
「よし………ランサー」
「はっ、ここに」
ウェイバーの傍らに、霊体化していたランサーが姿を現す。
あの後、帰ったウェイバーとランサーは、マッケンジー夫妻に見つかってしまった。ウェイバーは慌てながらも、ランサーのことをイギリスの友人と紹介し、服装の奇抜さは、役者として働いているので、その衣装だと説明した。
ランサーの端正な顔立ちから、その嘘を信じさせることも難しくはなかった。マッケンジー夫妻は、客人の来訪を教えなかったウェイバーを軽く叱りながらも、ランサーに出来る限りの歓待をしてくれた。
そのさい、ランサーは余興として見事な詩歌を詠ってみせた。
フィオナ騎士団に入団する資格として、12冊の詩歌に精通していること。優れた詩をつくれること。この二つが必要とされるのだ。
他の資格としては、地中に体半分埋められたままで、ハシバミの盾と棒を持ち、9人の騎士が投げる槍を防ぐこと。髪の毛を紐で結び、追ってくる騎士に追いつかれないで、髪の紐もほどけず、森の枝を一本も折らずに逃げること。自分の額の高さの枝を跳び越えること。膝の高さに身をかがめて、坂を全力で駆け下り、駆けながら足のとげを抜くこと。といったものがある。
ともかく、そのことでランサーの嘘も更に信頼度を増し、このまま誤魔化し通せそうだとウェイバーは胸をなでおろした。
同時に、ランサーの知識を学ぶことを思いつく。ランサーの時代の詩歌は、同時に呪歌。口伝される世界の秘密であり、心に響く魔術なのである。ましてランサーの師は、当時最高の魔術師であるアンガスとマナナン・マック・リール。
その知識の片鱗でも手にできれば、魔術師として成長できると考えたウェイバーは、その日は徹夜でランサーから詩歌を学んだ。結果として、ウェイバーが理解したのは、詩歌は一朝一夕で学べるほど、底の浅いものではないこと。自分には詩歌の才能が無いことだった。
(詩歌の善し悪しはそこそこわかるけど、創作するとなると………とりあえずランサーの知っている詩歌のめぼしいものは書き写したが)
他の魔術知識も教わるには教わったが、どれもウェイバーには使いこなせそうにない。
(僕にすぐ使えそうなのは、恐怖や混乱を抑えて士気を高める歌くらいか。まあ無いよりマシだ)
ノートに書き写された詩歌を読み直すウェイバーを見ながら、ランサーは自分の主人の向上心を好ましく思う。
「詩歌のもっと詳しいことは後で聞くとして………今のところ使い魔にも変化無しか。さて今日はどうするか」
今後の方針について考えを移すウェイバーの感覚に、魔術の波動が響いた。この時、ケイネスの工房が爆破された直後であった。
「聖堂教会からの狼煙………何の用件だ?」
冬木教会から立ち昇る魔術的な狼煙を見て、ウェイバーは首を傾げながらも使い魔を送った。
◆
言峰綺礼は、使い魔の目と耳を介して、父・璃正神父による教会からの報告を見聞きしていた。無論、教会と通じている綺令は、その内容を綺礼は既に知っている。
『キャスターのマスター。この男は昨今の冬木市を騒がせている連続殺人および連続誘拐事件の下手人であることが判明した。彼は犯行に及んでサーヴァントを使役し、しかもその痕跡を平然と放置している』
今の綺礼の拠点は、地下2階にある、大して客も来ない、店主一人が趣味でやっているような小さなバーであり、今座っている所は、他に人のいないカウンター席である。
アサシンの生存が他のマスターたちに知られてから、すぐに綺礼は教会から追い出された。
脱落マスターではなかったとわかったのだから、そうするしかない。匿い続けていては、教会が贔屓をしていることがわかってしまう。他のマスターたちの中にも、綺礼と時臣、そして教会が全てグルであると感づいて者もいるだろうが、建前は守る必要がある。
しかし、アーチャーがアサシンに殺意を抱いている以上、遠坂の家に入れるわけにもいかない。あのアーチャーのことだから、アサシンと対面したら最後、マスターの都合などお構いなしに戦闘を始めるだろう。
そこでアサシンからの提案で、この目立たないバーを乗っ取り、拠点とすることにした。
アサシンがアインツベルン勢の調査を終えて帰還した後、午前3時ごろにこの店を見つけ、霊体化したアサシンに店内に入り込ませた。そしてアサシンはバーの店主に対し、催眠術をかけて、1週間ほど旅行に行かせた。かつてアサシンが、宿敵を誘い込むために少年ポコにしたのと同じように。
今は臨時休業の札が貼られたシャッターが降りている。
その後、綺礼はアサシンから受けた報告を、それを璃正と、遠坂時臣にも伝えた。キャスターとそのマスターが完全に錯乱した状態で、魔術を隠すつもりもなく、騒動を巻き起こしていることを知った時臣たちは相談し、キャスターを聖杯戦争から排除することを決定した。
『彼とそのサーヴァントは、聖杯の招来そのものを脅かす危険因子である。よって私は、非常時における監督権限をここに発動し、聖杯戦争に暫定的ルール変更を設定する』
璃正のカソックの右袖が捲り上げられると、露わになった右腕を覆う令呪が、その場にいる使い魔と、使い魔の眼を通してこの場を見ているマスターに、視認された。
その多くの令呪は、過去の聖杯戦争における使い残しである。そして、聖杯戦争の監督である璃正は、彼個人の判断で、それらの令呪を他者に分け与えることができる。それを聴衆に知らしめた上で、彼はルール変更の内容を口にした。
『全てのマスターは直ちに互いの戦闘行動を中断し、各々、キャスター殲滅に尽力せよ。キャスターとそのマスターを討ち取った者には、特別措置として、追加の令呪を寄贈する。単独で成し遂げたのであれば達成者に一つ。他者と共闘しての成果であれば、事に当たった全員に一つずつ、我が腕の令呪が贈られる。そしてキャスターの消滅が確認された時点で、改めて従来通りの聖杯戦争を再開するものとする』
聞きながら綺令は、他のマスターたちが素直に言うことを聞くことは無いだろうと考えていた。令呪は聖杯戦争において切り札となる、誰もが生唾ゴクリもので欲しがるものだが、同時に他者には絶対に渡したくない物だ。
だからちゃんとした共闘の形で、他のマスターとサーヴァントがキャスターに対抗することはまずない。自分たちだけが令呪を得るために、足の引っ張り合いが起こるだろう。
そしてその足の引っ張り合いの中で、アーチャーが周囲を出しぬき、漁夫の利を得るというのが、時臣たちの狙いだ。
その中で綺礼とアサシンは、他のマスターとサーヴァントの動向を観察し、アーチャーをフォローすることに尽力することになる。
「………教会からのお知らせは、終わったのかな?」
使い魔から得られる音以外の声が、綺礼自身の耳に届く。アサシンの声だった。
「ああ………これで4組の猟犬がキャスターたちを追うだろう」
「そう上手くいくといいがな。私の経験上、どんな策を練ったところで、不確定要素は常にあり、策は失敗する可能性をはらんでいる。そして、敗れた策は、むしろ策士自身を縛るものだ」
「………私たちの方針に口を出すことを許可した憶えは無いぞ。アサシン。お前がかつてどれほどの存在であったとしても、今は私のサーヴァント――私のしもべだ。この際はっきり言っておくが、聖杯を得るのは時臣師だ。私はその手伝いに過ぎん。お前は聖杯を欲しているのだろうが、私にその気は無い。運が悪かったと思って諦めるのだな。大方、最後の最後で聖杯を奪い取ろうとでも考えているのだろうが、私が目を光らせている」
綺礼は手の甲に刻まれた令呪をかざして、恫喝する。対するアサシンは怯えた様子も、気を悪くした様子もなく、余裕の微笑みを浮かべていた。
「そう怖い顔をしないでくれ綺礼。ただ、油断は禁物だと言いたいだけだ。しかし………君はどうなのかな? 君は聖杯を欲しくは無いのか? 聖杯は、聖杯を手にしたいと望む者に令呪を与え、マスターとして承認するのだから、時臣が『根源の渦』に至ろうとしているように、君にも大なり小なり願いがあるはずだ」
「そのはずだ。が………私にも解らない。成就すべき理想も、遂げるべき悲願もない私が、なぜこの戦いに選ばれたのか」
言峰綺令の人生には、『目的意識』がない。人生の基盤となるべき核がない。いかなる学問も武術も、哲学も信仰も、それを行うことに愉悦を感じたことも、やりがいを覚えたこともない。
どんな芸術にも心動かされることはなく、どんな美味にも心躍ることはない。様々な学問にも修練にも全力で取り組み、そうしている中でいつか人生を費やすに足る目的が見つかるのではないかと足掻き続けてきたが、未だそれは見つからない。
自分が何をしたいのか、自分にとって価値あるものは何か。それさえわかっていない綺令が、一体聖杯に何を願えというのか。
「自分の成すべきことがわからない。自分が何者かわからない。何だ、やはりちゃんと願いがあるんじゃないか」
「何?」
アサシンは何でこんな簡単なことがわからないのかと、大人が子供に対して教え聞かせるような、呆れと慈しみを含んだ声音で言った。
「それが君の願いじゃないか。自分自身を知りたい。立派な願い、聖杯に叶えてもらうべき願望じゃあないか」
綺礼は沈黙する。それは確かに確実な方法だ。間違いなく、綺礼の求める答えは手に入るだろう。しかしそれは、師である時臣を、時臣の友人である父を、裏切る行為である。
「そんなことは望めない。信頼を裏切ってまで、私は聖杯を欲する気はない」
「ふむ………君がそう言うのなら、無理強いはするまい。ただ、君が焦がれている衛宮切嗣だが………彼に期待しない方がいいと思うね」
綺礼はアサシンの忠告に、眉をひそめる。綺礼は切嗣の遍歴を読み解き、彼を自分の同類であると考えた。切嗣の戦いは、あまりにも常軌を逸している。戦いの危険度に比べ、手に入れられたものはあまりに小さい。これは自分同様、見えざる自分自身を探しての、無目的な戦いの日々だったとしか、綺礼には思えなかった。
そして、その戦いはアインツベルンとの邂逅した時に終わった。そこで切嗣は答えを得たのだと綺礼は推測し、その答えを自分も知りたいと願った。そのために、切嗣の動向を調べ、いずれ来る切嗣との対面を待ち望んでいた。
それを、このサーヴァントは否定した。
「私は昨夜の戦いの場で、切嗣と対面はしないまでも、その気配を感じた。そして受けた印象からして、少なくともあれは君の同類ではない。君ほどではないにせよ、心に空虚を抱えた者たちを、私は知っているから比べればわかる」
「………では、奴の人生は何だと言うのだ。この見返り無き戦いに、一体何の意味があると?」
「さてそこまでは………直接聞くしかないだろうな。どのような形であれ、『出会い』とは互いの『引力』によってなされる、『運命』であると私は考えている。君と切嗣の『出会い』は、きっと何かしらの『運命』になるだろう」
本当に答えを知らないのか、はぐらかしているだけなのか、綺礼にはアサシンの真意は掴めなかった。だが、振り返ってみると、確かに綺礼による切嗣の内面の洞察は、綺礼の願望が多く混入しているものだと言わざるをえなかった。
行動が綺礼とよく似ているからと言って、行動理由も綺礼と同じであるという根拠など無い。しかし切嗣への興味関心が失せたわけではない。重要度が下がったことは確かだが、綺礼にとって、切嗣が今までに出会ったことの無い種類の人間なのは確かだ。切嗣の在り方を知ることで、自分の在り方を見つめることができるかもしれない。
「お前の意見はわかった。しかし、だからといって私は聖杯を取るつもりはないぞ」
「ああ、そんなつもりで言ったんじゃあないよ。ただ、君の渇望を癒してあげたかっただけさ。そう身構えず、楽にしてくれないか? できれば君とは友達になりたいんだ。君とはとてもいい友になれそうな気がするんだがね。『出会い』は『運命』………君が私を召喚したことには、きっと何かしらの意味がある」
言いながら、アサシンは右手を差し出す。その言葉が真実かどうかわからないが、その声はさながら歌うようだった。言葉の響きそのものに何らかの力があるかのように、アサシンの語りは綺礼の心に沁み入ってくる。ふと気がつくと、アサシンへの警戒心が薄れている事実に、綺礼は背筋が寒くなった。
よりいっそうの警戒心を胸に、綺礼はアサシンの右手からその身を遠ざける。
「やはり……本物の魔性だな、お前は。だが私はお前の誘いに乗る気はない。さあ、本来の仕事に戻るがいい」
厳しい口調で命じる綺礼に、アサシンは笑みを残して奥の部屋に去っていく。日光が照りつける昼間は、アサシンは外に出られない。屋内で念写を行い、情報を集めることに専念させている。
夜は、念写によって居場所のわかった相手の所に直接忍び寄り、更に情報を集める。戦闘は禁止している。実際、アサシンの技能は大したもので、多くの情報が集まっている。しかし、報告している情報が真実であるか否か、また、全てを話しているかどうかはわからない。アサシンの行動は、マスターである綺礼にも把握しきれない。
(昼間は行動できないというのが救いだな………あれが自由に行動できていたら、どうなることか)
そう考えながら、綺礼は自分で気付いていない。令呪によってアサシンの行動を縛ろうとしない自分を。縛りたくないと思う自分を。拒絶しながらも、アサシンに惹かれている自分を。惹かれているからこそ、拒絶している自分を。
綺礼がアサシンの手を取らなかったのは、アサシンに対する恐れや嫌悪などではない。アサシンの手を取った時、自分がもうどうしようもなく、取り返しのつかない領域に足を踏み入れてしまうことを、本能的に察したがゆえ。
綺礼は無意識のうちに逃避し続ける。本当の自分から。だが、いつまでも逃げ続けることはできないだろう。たとえどんな人間だろうと、自分自身の『運命』から逃れられる者などいないのだから。
◆
虹村形兆は、黙して切嗣とセイバーの、意思のぶつかり合いを見ていた。決して交わらないそれを、ぶつかり合いと言っていいのかは疑問だが。
セイバーは、無辜の人々に害を成すキャスターたちを、一刻も早く撃ち滅ぼすため、積極的にこちらから動くべきだと主張する。
切嗣は、キャスターがセイバーに執着している以上、待っていればキャスターはやって来るから、待ち構えているだけでいい。むしろ、キャスターを狙っている別のマスターたちを、横合いから討ち取っていくのが良策だと断じた。
セイバーには、切嗣のやり方は卑怯卑劣に過ぎるものに見えるらしい。
(俺としては切嗣の方に賛成だな。戦いは楽な方がいい。どうせ敵は敵だ。正々堂々にこだわることはない)
アイリスフィールはおろおろと切嗣とセイバーを見ている。より多く見ているのは、夫である切嗣の方だ。今まで夫として、父としての切嗣を多く見てきたアイリスフィールにとって、戦士としての冷酷な切嗣は受け入れにくい存在だ。
その戦士としての切嗣と共に行動する、久宇舞弥もまたアイリスフィールは苦手とする相手だ。夫の愛人であるというだけで、十分相容れない相手とはなるのだが、自分より戦える久宇の方が、今の切嗣には相応しいのではないかという不安が、より苦手意識を強めていた。
億康もまた、居心地悪そうに縮こまり、黙り込んでいる。彼はセイバーの方に賛成であった。切嗣のやり方に抵抗があるということもあるが、何より策を弄するのは彼に向かない。出向いてぶちのめす方がわかりやすくて、いい。
意思の統一は結局できぬまま、切嗣が我意を押し通して、解散となった。指示を与えてサロンを後にする切嗣を追い、アイリスフィールもサロンを出ていく。
そんな彼らを、形兆は【バッド・カンパニー】のグリーンベレーに追わせた。特殊工作員は、切嗣にも気取られることなく、尾行を成功させ、切嗣とアイリスフィールの会話を、主人に伝えた。
主人たちの不和を警戒したゆえのことだったが、グリーンベレーが形兆に伝えるのは、セイバーには決して見せぬ、恐怖に震える切嗣の姿だった。妻たるアイリスフィールにのみ見せられる、泣く幼子のような切嗣の姿だった。
切嗣は吐露する。己の恐怖を。アイリスフィールの命を散らし、イリヤスフィールを残し、犬死にするかもしれないと、泣き震える。そんな切嗣を、アイリスフィールは抱きとめる。
切嗣がこうなったのは自分のせいだと。自分が愛されてしまったせいだと。愛する者を喪う恐怖を、与えてしまったせいだと。
そして言う。自分も戦うと。貴方は一人ではないと。
「………美しい光景だ。だが、危うい」
形兆は、自分が危惧したものとはまた別の危険に、顔をしかめる。
単に、恐怖心が切嗣を弱くするというだけではない。あの邪悪なアサシンに、あの魅惑と誘惑の化身のような男に、不覚悟なままで戦うというのがまずいのだ。
「おそらく精神的にはアイリスフィールの方がむしろ強い。彼女が支えてくれることを祈るしかないか」
形兆が呟きを漏らしたのと、アインツベルンの陣地たる森に、侵入者が足を踏み入れたのは、ほぼ同時だった。
◆
教会からの知らせがあった後、ウェイバーもキャスターを探していた。とはいえ今のところ、ただ何体かの使い魔を放ち、探し回らせているだけだ。
「占術はあまり得意ではないし………何か手掛かりになりそうなものがあればな」
「申し訳ありません。私はこういったことはあまり得意とは言えず、お役に立てませぬ」
正確には『占術も』というべき呟きを口にし、ウェイバーは頭を悩ませる。その横で、ランサーは叱られた犬のようにシュンと落ち込んでいた。
「別にお前の責任じゃない。そんなに気に病むな。けど、今回の報酬は絶対手に入れておきたい。何とかならないか……」
「は………そこまで報酬は必要ですか?」
ランサーは少し悲しげな表情になる。教会からの報酬は令呪。サーヴァントに対する、絶対的な命令権。言うことを聞かないサーヴァントであっても服従させられる。しかし、ランサーは最初から、よほど酷い物でない限り、マスターの命令に異を唱えるつもりはない。
令呪を是が非でも欲しいというウェイバーに、自分はまだ信頼されていないのかと、気を落ち込ませていた。
「何言ってんだよ。令呪を使えば、お前の力を普段以上に跳ね上げられるんだぞ。到底勝てないような敵をも上回ることができる。瞬間移動や魔力の回復までできる万能アイテムだ。欲しいに決まってる。お前だって欲しいだろ。それとも自分の力でだけ戦いたいとか言うんだったら、それは敵を舐めてるぞ。どいつもこいつも呆れるほどの怪物ぞろいだ。いくらお前が正々堂々戦いたいと言ってもだな……」
しかし、どうもウェイバーの考えていることは、ランサーの考えていることとズレがあるようだった。本来、令呪とはサーヴァントを支配するためのものだが、ウェイバーはサーヴァントを強化させる用途についてしか語っていない。ランサーは、やや恐る恐ると訊ねる。
「………あの、私を従わせるために令呪が欲しいのでは?」
「何? なんだそれ?」
ウェイバーはランサーの言っていることが、本当に分からないらしく首を傾げ、数秒沈黙して考える。そして、ランサーの考えが分かった途端、顔を真っ赤にして首を左右に振った。
「ち、違う! 別に令呪の効力を忘れていたわけじゃあないぞ!! ただ、別にお前に命令するのに令呪は必要ないと思って、いや、別にそこまでお前を信頼しているってわけじゃなくてだな! サーヴァントがマスターに従うのは当然の、ああでもお前を便利な奴隷扱いしているってわけでも………!!」
あたふたと色々なことを口走るマスターに、ランサーは呆気にとられ、それから表情を緩め、優雅に一礼する。
「はい。もちろん、令呪などなくとも、私は主の命令を遵守いたしますとも。どうか頼りにしていただきだい」
ウェイバーは限界まで顔を赤くし、口を引き結んで黙り込む。今、口を開いたら、もっとまずい、恥ずかしいことを言ってしまいそうだったので、拳を握り込んで羞恥に耐え、そのままキャスター探しの作業に戻った。
「ったく………ん? これは………見つけたぞ! キャスターだ!!」
その時、使い魔の鼠が、たまたまキャスターを発見した。キャスターは適当な自動車の運転手を操り、何人もの子供たちを引きつれて乗り込み、冬木の近隣にあるアインツベルンの領土へ向かっているところであった。
ウェイバーは鼠を自動車が止まっている間に隙間に潜り込ませ、位置がわかるようにし、ランサーに自分を抱えさせ、追跡させた。
ランサーは人間一人を抱えながらも、風のように走っている。サーヴァント最速であるランサーの足ならば、タクシーなどを使うよりも早く追いつけるだろう。
しかし、彼らが追いつく前に、キャスターの乗る自動車はアインツベルンの森に到着し、キャスターは子供を連れて、森へと入り込んでいった。もちろんその後を更に鼠に追わせる。やがて、キャスターと子供たちは、アインツベルンの森の中心にある城から、2キロほど離れた場所で止まった。
『昨夜の約定通り、ジル・ド・レェまかり越してございます。我が麗しの聖処女ジャンヌに、今一度、お目通り願いたい。まぁ取り次ぎはごゆるりと。私も気長に待たせてもらうつもりで、それなりの準備をして参りましたからね』
慇懃に一礼して挨拶した後、パチリと指を鳴らす。すると、今まで虚ろだった子供たちの表情に生気が宿り、周囲を見回して混乱し始める。
『さぁさぁ坊やたち、鬼ごっこを始めますよ。ルールは簡単。この私から逃げ切ればいいのです。さもなくば』
にこやかに笑うと、キャスターは手近な所にいた子供の頭に、手を載せる。
「!! ま、まさか!」
ウェイバーは、キャスターの行動を見て、酷く嫌な未来を予見し、顔を蒼褪めさせる。
「マスター?」
ちょうど森についたところで声をあげたマスターに、彼が見ている光景を知らぬランサーは訝しげに言う。
ウェイバーの方はランサーに応えている余裕はなく、使い魔から得られる光景を、祈る様な気持で見つめるしかなかった。だが、その誰にかけられたとも知れぬ祈りは、届かない。
子供の頭は、生卵のようにグジャリと、潰された。
「―――っ!!」
ウェイバー自身でも驚くほど大きな怒りが、胸の奥からこみ上げてくる。キャスターの真名がわかったことも、気にかけることができないほどに、ウェイバーは怒りに満たされていた。
『さぁお逃げなさい。100を数えたら追いかけますよ? ああ、そうだ。そういえば、先ほどから不躾な覗き魔がいましたね』
そこでウェイバーの使い魔と、キャスターの目が合った。次の瞬間、使い魔とのラインが途絶える。使い魔の鼠が殺されたのだ。
「使い魔に気付いていたのに、ほっといたのか。あの悪趣味な演出を見せたかったのか?自己顕示欲の強い………いや、んなことはどうでもいい………行くぞランサー!!」
「ハ、ハッ」
ランサーはウェイバーを抱え直し、森へと飛び込んだ。
事情を知らないランサーは、ウェイバーの剣幕に戸惑っていたが、森に深く入り込んでいくうちに、ランサーにもウェイバーの様子がおかしかった理由がわかる。無残に殺され、打ち捨てられた幼子の死体が散らばっているのを見れば。
(なんということを………ッ!)
ランサーもまた、まだ見ぬキャスターへの怒りと憎しみを燃やす。そのうえでそれらの負の感情を押し殺す。怒りなどに身を任せては、槍筋がぶれる。外道に怒り狂いながらも、冷静で無くてはいけない。
やがて、ランサーの目は人影をとらえた。ローブをまとった男、キャスターと、昨日、その武威を競った相手、セイバー。そしてキャスターの手には、おそらく最後の生き残りであろう少女が掴まれ、泣いている。
ランサーがそこに辿り着く前に、少女は解放され、セイバーに向かって駆け出した。ランサーが一人だけでも助かってよかったと、安堵した時、ウェイバーの声が響いた。
「ランサー!! 【破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)】であの子の背中を刺せ!!」
「―――は?」
意味がわからず、ランサーはウェイバーの顔を見る。ウェイバーの顔は、酷く切羽詰まった必死の形相だった。ウェイバーの鋭い観察眼には、少女の背中に刻まれた、得体の知れない魔力がしっかりと見えていたのだ。
「急げッ! あの子には術がかけられている!!」
「!! 御意!!」
ランサーは赤い魔槍を構え、突進する。セイバーもキャスターも、いきなり横合いから乱入してくる者が現れるとは思いもよらず、接近を許した。
「【破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)】!!」
そして、ランサーはブレーキを考えることなく突き進み、最高速度でセイバーの下へと走る少女に、すれ違いざま槍を向け、その背中を浅く、肌一枚だけ傷つけた。極限状態に痛みを受けた少女は、恐怖のあまりスイッチが切れたように気絶してしまう。
「な、ラ、ランサー!?」
どういうことかわからず、叫ぶセイバーに構う余裕無く、ウェイバーはランサーの腕から離れて少女の様子を見る。
短めの髪の、大人しく気弱そうな感じのする、まだ小学生低学年程度の少女。服の裾にローマ字の縫い取りがある。『Kotone』――『コトネ』、それがこの子の名前だろうか。
槍による傷に薬を塗る。効果はそんなに大したものではないが、一応魔術的な軟膏であり、血ぐらいはすぐに止められる。さすがにランサーの腕は見事で、傷は1mmの深さも無い。傷痕が残ることも無く治るだろう。
「主よ。どうですか?」
「ああ、さっき見えた魔力は消えている。呼吸や脈も、うん、問題無い。助けられたぞ!」
二人の会話で、微かながら事情を察したセイバーは、キャスターをより強く睨みつける。
「キャスター、貴様………その子に何か呪いを!?」
問われたキャスターは、とっておきの芸を潰された役者のように、憤怒に顔を赤く染め、ウェイバーたちに怒声を浴びせかけた。
「き、ききき、貴様らぁ!! 何者だ!? 誰の赦しを得てこの私を邪魔立てするか!!」
「それはこちらの台詞だ。外道。貴様、この子供に何をしようとしていた」
ランサーは激昂するキャスターを氷よりも冷たく見据え、同じくらいに冷たい槍の切っ先を、キャスターに向ける。
「何を、だと? それはな、こうする筈だったのだ………イア・イア・クトゥルフ・フングルイ・ムグルウナフ!!」
奇怪な呪文が唱えられたと同時に、周囲に散乱する子供たちの亡骸から、異様な触手が噴き出した。人間ほどの大きさの、ウゾウゾと蠢く怪生物。オニヒトデのような、イソギンチャクのような、少なくともこの世界のものではないであろう、魔物。
それが数十体も同時に召喚され、セイバーたちを取り囲んでいる。
「そういうことかキャスター。貴様、子供を生贄として海魔を召喚したのか。ランサーたちが邪魔をしなければ、私の目の前で、その子をも………!」
ランサーが消去した魔力は、キャスターが子供に施した『生贄の印』だったのだろう。セイバーは更なる怒りに燃えてキャスターに剣を向けるが、ようやく自分の力を見せつけられたキャスターは機嫌を良くし、むしろ誇らしげに胸を張る。
「我が盟友プレラーティの遺したこの魔書により、私は悪魔の軍勢を従える術を得たのです。如何ですかジャンヌ? かつてオルレアンに集ったいかなる兵団も、これほど豪壮ではありますまい?」
「――いいだろう。もはや貴様と聖杯を競おうとは思わない。何も求めず、何も勝ち取らず、ただキャスターよ。貴様を滅ぼすためだけに剣を執る」
その剣気と殺気を浴びながら、むしろキャスターは恍惚に打ち震えていた。
「何と気高い、何と雄々しい……ああ聖処女よ。我が女司祭(ハイプリエステス)。我が女教皇(ハイプリエステス)。貴女の前には神すら霞む!! 我が愛にて穢れよ!! ラ・ピュセルよ!!」
そして怪物たちは一斉にセイバーたちに向かい進軍を開始した。
「ラ、ランサー」
「ご心配なく、主よ」
数の暴力を前にして蒼褪めるウェイバーを、安心させるようにランサーが立ちはだかる。そのランサーに向かい、化け物の1体が触手を伸ばして絡め取ろうとするが、眼にも映らぬ速度でその触手は切り飛ばされた。次の瞬間には激烈な槍に貫かれて、化け物は動かなくなる。
「この程度の相手、我が槍の前には何のことはありませぬ。こ奴らを全て打ち払うまで、しばしの御猶予を」
「………ランサー」
ウェイバーは、まだ気絶している少女の顔を見て、その顔に残る涙の跡を見て、言葉を口にする。
「命令だ。あのゲス野郎の首をとれ………必ずだ!」
「もちろんです。我が主よ!」
ランサーは奮い立ち、双槍を掲げる。そんなランサーに、セイバーが話しかけた。
「ランサー、まずは礼を言おう。私だけでは、あの子を助けられなかった」
「気付いたのは我がマスターだ。礼はマスターに言ってくれ。それよりも、今はまずあの外道を討つ。お前との決着はそれからだ」
「そうだな。騎士として決着をつける約束は、果たさねばな。後れをとるなよランサー!」
「誰に物を言っているセイバー!」
二人の伝説の騎士が、覇気を放ち、怪物の群れを迎え撃つ。ここに、今宵の戦いの幕が上がる。
……To Be Continued
ACT11 『女教皇』の影を追い
一つの戦争が終わりを告げた。勝者は喜びに沸きかえり、歓声をあげる。敗者は我先に船に乗り込み、祖国へと逃げ帰っていく。
逃げていく軍は、外国勢。かつてエリンに攻め入り返り討ちにあったノルウェー王、『堅固な武器』のコルガの息子ミダックが、復讐のために呼び寄せた者たち。北方世界の王である『軍神』シンサーと、その息子『偉丈夫』ボーバ、そしてトレント島の三王の軍だ。
勝利した軍は、フィオナ騎士団。アイルランド王、コーマック・マック・アートに仕える、誉れ高き精鋭たちだ。
騎士団を率いるは、クーアルの息子フィン・マックール。知恵の鮭フィンタンの油を指に受けて知恵を授かり、癒しの水を司る大英雄。
率いられるフィオナ騎士団の団員も、誰もが一騎当千の豪傑ばかり。
騎士団で最も詩と歌に長けた、フィンの息子オシーン。オシーンの息子であり『軍神』シンサーを倒した、英雄オスカー。
目が片方しかない豪傑は、『偉丈夫』ボーバを討ち取った、騎士団の副団長。かつてはフィンの父クーアルを殺した仇敵であるが、一度膝を折ってからは忠誠を曲げること無き武人の中の武人。『戦場の戦慄』『戦の鬼』ゴル・マック・モーナ。
剥がれた背中の皮の代わりに、黒い羊の毛を張り付けた男は、コナン・マウル。性格悪く、卑怯な行いもするけれど、時に的確な助言を行えるため、常にフィンの傍にいる。
音楽の才と俊足を持つキールタ・マック・ロナン。
ドバー・オバスキンの息子、ドルイド僧にして医者、見えぬ未来や遠い地の出来事を見通すジャリング。
そして、ナナカマドの宮殿に誘き寄せられ、魔術で宮殿の床に張り付けられ、閉じ込められたフィンたちを助けるため、トレントの三王の首を落とし、その血をまいて魔術を解いた男。解放した後も、フィンたちの弱った体が活力を取り戻すまで、軍と対峙し護った者。
彼こそは『輝く貌』のディルムッド・オディナ。父はドン。義父はボイン川の河畔の妖精宮ブラフに住む、デダナーン族の王子、ダグダの息子、若さと愛の神、エリン最高の魔術師であるアンガス。そして妖精王マナナン・マック・リール。二人の里親から送られた武器を手に、最も多くの活躍を果たしてきた。
エリンの15人の騎士たちをさらったギラ・ダッカーを追って、井戸を護る騎士と戦った。
アイルランド王コーマックの息子、リフィーのカーブリが、タラやブレギア、ミース、カームナの部下と共に、宴をしていたフィンたちを殺そうとした時、一人で敵勢を打ち倒した。
その武勲、その勇名、その忠誠、フィオナ騎士団においてもなお並ぶ者はない。
敬愛する主のために身を捧げ、剣と槍と命を尽くす。それこそが武人の本懐。騎士の名誉。
その道に憧れて。
その道を貫いて。
いつか我が身は誇り高く戦場に果てるものと、そう信じて疑わなかった。
あの日までは―――。
◆
ジリリリリリリリリリリ!!
「む、うう」
目覚まし時計の音に、ウェイバーは重い瞼を上げて、身を起こす。
「今のは………」
夢を見た。夢と言うには酷くハッキリと脳に残っていて、とても忘れられそうにない。あれはおそらくランサーの記憶。ディルムッド・オディナの英雄譚の、本物。
ウェイバーはまだ混濁した意識を覚ますため、枕元に置いておいた水筒に手を伸ばし、中の水を一杯飲む。
「うう、う、おぉぉおおおぉぉぉ」
すると、物凄い勢いで涙が流れ出す。眼球がしぼんで皺くちゃになるほどの量だ。タオルで涙を吸い取りながら、止まるのを待つ。やがて涙が止まった時、ウェイバーの眠気は吹き飛び、思考も冴えわたっていた。
サラミと同じく、知人の料理人に貰った、『キリマンジャロの5万年前の雪解け水』である。昨夜は3時間程度しか寝ていないが、今は10時間眠った後のようにすっきりしている。
「よし………ランサー」
「はっ、ここに」
ウェイバーの傍らに、霊体化していたランサーが姿を現す。
あの後、帰ったウェイバーとランサーは、マッケンジー夫妻に見つかってしまった。ウェイバーは慌てながらも、ランサーのことをイギリスの友人と紹介し、服装の奇抜さは、役者として働いているので、その衣装だと説明した。
ランサーの端正な顔立ちから、その嘘を信じさせることも難しくはなかった。マッケンジー夫妻は、客人の来訪を教えなかったウェイバーを軽く叱りながらも、ランサーに出来る限りの歓待をしてくれた。
そのさい、ランサーは余興として見事な詩歌を詠ってみせた。
フィオナ騎士団に入団する資格として、12冊の詩歌に精通していること。優れた詩をつくれること。この二つが必要とされるのだ。
他の資格としては、地中に体半分埋められたままで、ハシバミの盾と棒を持ち、9人の騎士が投げる槍を防ぐこと。髪の毛を紐で結び、追ってくる騎士に追いつかれないで、髪の紐もほどけず、森の枝を一本も折らずに逃げること。自分の額の高さの枝を跳び越えること。膝の高さに身をかがめて、坂を全力で駆け下り、駆けながら足のとげを抜くこと。といったものがある。
ともかく、そのことでランサーの嘘も更に信頼度を増し、このまま誤魔化し通せそうだとウェイバーは胸をなでおろした。
同時に、ランサーの知識を学ぶことを思いつく。ランサーの時代の詩歌は、同時に呪歌。口伝される世界の秘密であり、心に響く魔術なのである。ましてランサーの師は、当時最高の魔術師であるアンガスとマナナン・マック・リール。
その知識の片鱗でも手にできれば、魔術師として成長できると考えたウェイバーは、その日は徹夜でランサーから詩歌を学んだ。結果として、ウェイバーが理解したのは、詩歌は一朝一夕で学べるほど、底の浅いものではないこと。自分には詩歌の才能が無いことだった。
(詩歌の善し悪しはそこそこわかるけど、創作するとなると………とりあえずランサーの知っている詩歌のめぼしいものは書き写したが)
他の魔術知識も教わるには教わったが、どれもウェイバーには使いこなせそうにない。
(僕にすぐ使えそうなのは、恐怖や混乱を抑えて士気を高める歌くらいか。まあ無いよりマシだ)
ノートに書き写された詩歌を読み直すウェイバーを見ながら、ランサーは自分の主人の向上心を好ましく思う。
「詩歌のもっと詳しいことは後で聞くとして………今のところ使い魔にも変化無しか。さて今日はどうするか」
今後の方針について考えを移すウェイバーの感覚に、魔術の波動が響いた。この時、ケイネスの工房が爆破された直後であった。
「聖堂教会からの狼煙………何の用件だ?」
冬木教会から立ち昇る魔術的な狼煙を見て、ウェイバーは首を傾げながらも使い魔を送った。
◆
言峰綺礼は、使い魔の目と耳を介して、父・璃正神父による教会からの報告を見聞きしていた。無論、教会と通じている綺令は、その内容を綺礼は既に知っている。
『キャスターのマスター。この男は昨今の冬木市を騒がせている連続殺人および連続誘拐事件の下手人であることが判明した。彼は犯行に及んでサーヴァントを使役し、しかもその痕跡を平然と放置している』
今の綺礼の拠点は、地下2階にある、大して客も来ない、店主一人が趣味でやっているような小さなバーであり、今座っている所は、他に人のいないカウンター席である。
アサシンの生存が他のマスターたちに知られてから、すぐに綺礼は教会から追い出された。
脱落マスターではなかったとわかったのだから、そうするしかない。匿い続けていては、教会が贔屓をしていることがわかってしまう。他のマスターたちの中にも、綺礼と時臣、そして教会が全てグルであると感づいて者もいるだろうが、建前は守る必要がある。
しかし、アーチャーがアサシンに殺意を抱いている以上、遠坂の家に入れるわけにもいかない。あのアーチャーのことだから、アサシンと対面したら最後、マスターの都合などお構いなしに戦闘を始めるだろう。
そこでアサシンからの提案で、この目立たないバーを乗っ取り、拠点とすることにした。
アサシンがアインツベルン勢の調査を終えて帰還した後、午前3時ごろにこの店を見つけ、霊体化したアサシンに店内に入り込ませた。そしてアサシンはバーの店主に対し、催眠術をかけて、1週間ほど旅行に行かせた。かつてアサシンが、宿敵を誘い込むために少年ポコにしたのと同じように。
今は臨時休業の札が貼られたシャッターが降りている。
その後、綺礼はアサシンから受けた報告を、それを璃正と、遠坂時臣にも伝えた。キャスターとそのマスターが完全に錯乱した状態で、魔術を隠すつもりもなく、騒動を巻き起こしていることを知った時臣たちは相談し、キャスターを聖杯戦争から排除することを決定した。
『彼とそのサーヴァントは、聖杯の招来そのものを脅かす危険因子である。よって私は、非常時における監督権限をここに発動し、聖杯戦争に暫定的ルール変更を設定する』
璃正のカソックの右袖が捲り上げられると、露わになった右腕を覆う令呪が、その場にいる使い魔と、使い魔の眼を通してこの場を見ているマスターに、視認された。
その多くの令呪は、過去の聖杯戦争における使い残しである。そして、聖杯戦争の監督である璃正は、彼個人の判断で、それらの令呪を他者に分け与えることができる。それを聴衆に知らしめた上で、彼はルール変更の内容を口にした。
『全てのマスターは直ちに互いの戦闘行動を中断し、各々、キャスター殲滅に尽力せよ。キャスターとそのマスターを討ち取った者には、特別措置として、追加の令呪を寄贈する。単独で成し遂げたのであれば達成者に一つ。他者と共闘しての成果であれば、事に当たった全員に一つずつ、我が腕の令呪が贈られる。そしてキャスターの消滅が確認された時点で、改めて従来通りの聖杯戦争を再開するものとする』
聞きながら綺令は、他のマスターたちが素直に言うことを聞くことは無いだろうと考えていた。令呪は聖杯戦争において切り札となる、誰もが生唾ゴクリもので欲しがるものだが、同時に他者には絶対に渡したくない物だ。
だからちゃんとした共闘の形で、他のマスターとサーヴァントがキャスターに対抗することはまずない。自分たちだけが令呪を得るために、足の引っ張り合いが起こるだろう。
そしてその足の引っ張り合いの中で、アーチャーが周囲を出しぬき、漁夫の利を得るというのが、時臣たちの狙いだ。
その中で綺礼とアサシンは、他のマスターとサーヴァントの動向を観察し、アーチャーをフォローすることに尽力することになる。
「………教会からのお知らせは、終わったのかな?」
使い魔から得られる音以外の声が、綺礼自身の耳に届く。アサシンの声だった。
「ああ………これで4組の猟犬がキャスターたちを追うだろう」
「そう上手くいくといいがな。私の経験上、どんな策を練ったところで、不確定要素は常にあり、策は失敗する可能性をはらんでいる。そして、敗れた策は、むしろ策士自身を縛るものだ」
「………私たちの方針に口を出すことを許可した憶えは無いぞ。アサシン。お前がかつてどれほどの存在であったとしても、今は私のサーヴァント――私のしもべだ。この際はっきり言っておくが、聖杯を得るのは時臣師だ。私はその手伝いに過ぎん。お前は聖杯を欲しているのだろうが、私にその気は無い。運が悪かったと思って諦めるのだな。大方、最後の最後で聖杯を奪い取ろうとでも考えているのだろうが、私が目を光らせている」
綺礼は手の甲に刻まれた令呪をかざして、恫喝する。対するアサシンは怯えた様子も、気を悪くした様子もなく、余裕の微笑みを浮かべていた。
「そう怖い顔をしないでくれ綺礼。ただ、油断は禁物だと言いたいだけだ。しかし………君はどうなのかな? 君は聖杯を欲しくは無いのか? 聖杯は、聖杯を手にしたいと望む者に令呪を与え、マスターとして承認するのだから、時臣が『根源の渦』に至ろうとしているように、君にも大なり小なり願いがあるはずだ」
「そのはずだ。が………私にも解らない。成就すべき理想も、遂げるべき悲願もない私が、なぜこの戦いに選ばれたのか」
言峰綺令の人生には、『目的意識』がない。人生の基盤となるべき核がない。いかなる学問も武術も、哲学も信仰も、それを行うことに愉悦を感じたことも、やりがいを覚えたこともない。
どんな芸術にも心動かされることはなく、どんな美味にも心躍ることはない。様々な学問にも修練にも全力で取り組み、そうしている中でいつか人生を費やすに足る目的が見つかるのではないかと足掻き続けてきたが、未だそれは見つからない。
自分が何をしたいのか、自分にとって価値あるものは何か。それさえわかっていない綺令が、一体聖杯に何を願えというのか。
「自分の成すべきことがわからない。自分が何者かわからない。何だ、やはりちゃんと願いがあるんじゃないか」
「何?」
アサシンは何でこんな簡単なことがわからないのかと、大人が子供に対して教え聞かせるような、呆れと慈しみを含んだ声音で言った。
「それが君の願いじゃないか。自分自身を知りたい。立派な願い、聖杯に叶えてもらうべき願望じゃあないか」
綺礼は沈黙する。それは確かに確実な方法だ。間違いなく、綺礼の求める答えは手に入るだろう。しかしそれは、師である時臣を、時臣の友人である父を、裏切る行為である。
「そんなことは望めない。信頼を裏切ってまで、私は聖杯を欲する気はない」
「ふむ………君がそう言うのなら、無理強いはするまい。ただ、君が焦がれている衛宮切嗣だが………彼に期待しない方がいいと思うね」
綺礼はアサシンの忠告に、眉をひそめる。綺礼は切嗣の遍歴を読み解き、彼を自分の同類であると考えた。切嗣の戦いは、あまりにも常軌を逸している。戦いの危険度に比べ、手に入れられたものはあまりに小さい。これは自分同様、見えざる自分自身を探しての、無目的な戦いの日々だったとしか、綺礼には思えなかった。
そして、その戦いはアインツベルンとの邂逅した時に終わった。そこで切嗣は答えを得たのだと綺礼は推測し、その答えを自分も知りたいと願った。そのために、切嗣の動向を調べ、いずれ来る切嗣との対面を待ち望んでいた。
それを、このサーヴァントは否定した。
「私は昨夜の戦いの場で、切嗣と対面はしないまでも、その気配を感じた。そして受けた印象からして、少なくともあれは君の同類ではない。君ほどではないにせよ、心に空虚を抱えた者たちを、私は知っているから比べればわかる」
「………では、奴の人生は何だと言うのだ。この見返り無き戦いに、一体何の意味があると?」
「さてそこまでは………直接聞くしかないだろうな。どのような形であれ、『出会い』とは互いの『引力』によってなされる、『運命』であると私は考えている。君と切嗣の『出会い』は、きっと何かしらの『運命』になるだろう」
本当に答えを知らないのか、はぐらかしているだけなのか、綺礼にはアサシンの真意は掴めなかった。だが、振り返ってみると、確かに綺礼による切嗣の内面の洞察は、綺礼の願望が多く混入しているものだと言わざるをえなかった。
行動が綺礼とよく似ているからと言って、行動理由も綺礼と同じであるという根拠など無い。しかし切嗣への興味関心が失せたわけではない。重要度が下がったことは確かだが、綺礼にとって、切嗣が今までに出会ったことの無い種類の人間なのは確かだ。切嗣の在り方を知ることで、自分の在り方を見つめることができるかもしれない。
「お前の意見はわかった。しかし、だからといって私は聖杯を取るつもりはないぞ」
「ああ、そんなつもりで言ったんじゃあないよ。ただ、君の渇望を癒してあげたかっただけさ。そう身構えず、楽にしてくれないか? できれば君とは友達になりたいんだ。君とはとてもいい友になれそうな気がするんだがね。『出会い』は『運命』………君が私を召喚したことには、きっと何かしらの意味がある」
言いながら、アサシンは右手を差し出す。その言葉が真実かどうかわからないが、その声はさながら歌うようだった。言葉の響きそのものに何らかの力があるかのように、アサシンの語りは綺礼の心に沁み入ってくる。ふと気がつくと、アサシンへの警戒心が薄れている事実に、綺礼は背筋が寒くなった。
よりいっそうの警戒心を胸に、綺礼はアサシンの右手からその身を遠ざける。
「やはり……本物の魔性だな、お前は。だが私はお前の誘いに乗る気はない。さあ、本来の仕事に戻るがいい」
厳しい口調で命じる綺礼に、アサシンは笑みを残して奥の部屋に去っていく。日光が照りつける昼間は、アサシンは外に出られない。屋内で念写を行い、情報を集めることに専念させている。
夜は、念写によって居場所のわかった相手の所に直接忍び寄り、更に情報を集める。戦闘は禁止している。実際、アサシンの技能は大したもので、多くの情報が集まっている。しかし、報告している情報が真実であるか否か、また、全てを話しているかどうかはわからない。アサシンの行動は、マスターである綺礼にも把握しきれない。
(昼間は行動できないというのが救いだな………あれが自由に行動できていたら、どうなることか)
そう考えながら、綺礼は自分で気付いていない。令呪によってアサシンの行動を縛ろうとしない自分を。縛りたくないと思う自分を。拒絶しながらも、アサシンに惹かれている自分を。惹かれているからこそ、拒絶している自分を。
綺礼がアサシンの手を取らなかったのは、アサシンに対する恐れや嫌悪などではない。アサシンの手を取った時、自分がもうどうしようもなく、取り返しのつかない領域に足を踏み入れてしまうことを、本能的に察したがゆえ。
綺礼は無意識のうちに逃避し続ける。本当の自分から。だが、いつまでも逃げ続けることはできないだろう。たとえどんな人間だろうと、自分自身の『運命』から逃れられる者などいないのだから。
◆
虹村形兆は、黙して切嗣とセイバーの、意思のぶつかり合いを見ていた。決して交わらないそれを、ぶつかり合いと言っていいのかは疑問だが。
セイバーは、無辜の人々に害を成すキャスターたちを、一刻も早く撃ち滅ぼすため、積極的にこちらから動くべきだと主張する。
切嗣は、キャスターがセイバーに執着している以上、待っていればキャスターはやって来るから、待ち構えているだけでいい。むしろ、キャスターを狙っている別のマスターたちを、横合いから討ち取っていくのが良策だと断じた。
セイバーには、切嗣のやり方は卑怯卑劣に過ぎるものに見えるらしい。
(俺としては切嗣の方に賛成だな。戦いは楽な方がいい。どうせ敵は敵だ。正々堂々にこだわることはない)
アイリスフィールはおろおろと切嗣とセイバーを見ている。より多く見ているのは、夫である切嗣の方だ。今まで夫として、父としての切嗣を多く見てきたアイリスフィールにとって、戦士としての冷酷な切嗣は受け入れにくい存在だ。
その戦士としての切嗣と共に行動する、久宇舞弥もまたアイリスフィールは苦手とする相手だ。夫の愛人であるというだけで、十分相容れない相手とはなるのだが、自分より戦える久宇の方が、今の切嗣には相応しいのではないかという不安が、より苦手意識を強めていた。
億康もまた、居心地悪そうに縮こまり、黙り込んでいる。彼はセイバーの方に賛成であった。切嗣のやり方に抵抗があるということもあるが、何より策を弄するのは彼に向かない。出向いてぶちのめす方がわかりやすくて、いい。
意思の統一は結局できぬまま、切嗣が我意を押し通して、解散となった。指示を与えてサロンを後にする切嗣を追い、アイリスフィールもサロンを出ていく。
そんな彼らを、形兆は【バッド・カンパニー】のグリーンベレーに追わせた。特殊工作員は、切嗣にも気取られることなく、尾行を成功させ、切嗣とアイリスフィールの会話を、主人に伝えた。
主人たちの不和を警戒したゆえのことだったが、グリーンベレーが形兆に伝えるのは、セイバーには決して見せぬ、恐怖に震える切嗣の姿だった。妻たるアイリスフィールにのみ見せられる、泣く幼子のような切嗣の姿だった。
切嗣は吐露する。己の恐怖を。アイリスフィールの命を散らし、イリヤスフィールを残し、犬死にするかもしれないと、泣き震える。そんな切嗣を、アイリスフィールは抱きとめる。
切嗣がこうなったのは自分のせいだと。自分が愛されてしまったせいだと。愛する者を喪う恐怖を、与えてしまったせいだと。
そして言う。自分も戦うと。貴方は一人ではないと。
「………美しい光景だ。だが、危うい」
形兆は、自分が危惧したものとはまた別の危険に、顔をしかめる。
単に、恐怖心が切嗣を弱くするというだけではない。あの邪悪なアサシンに、あの魅惑と誘惑の化身のような男に、不覚悟なままで戦うというのがまずいのだ。
「おそらく精神的にはアイリスフィールの方がむしろ強い。彼女が支えてくれることを祈るしかないか」
形兆が呟きを漏らしたのと、アインツベルンの陣地たる森に、侵入者が足を踏み入れたのは、ほぼ同時だった。
◆
教会からの知らせがあった後、ウェイバーもキャスターを探していた。とはいえ今のところ、ただ何体かの使い魔を放ち、探し回らせているだけだ。
「占術はあまり得意ではないし………何か手掛かりになりそうなものがあればな」
「申し訳ありません。私はこういったことはあまり得意とは言えず、お役に立てませぬ」
正確には『占術も』というべき呟きを口にし、ウェイバーは頭を悩ませる。その横で、ランサーは叱られた犬のようにシュンと落ち込んでいた。
「別にお前の責任じゃない。そんなに気に病むな。けど、今回の報酬は絶対手に入れておきたい。何とかならないか……」
「は………そこまで報酬は必要ですか?」
ランサーは少し悲しげな表情になる。教会からの報酬は令呪。サーヴァントに対する、絶対的な命令権。言うことを聞かないサーヴァントであっても服従させられる。しかし、ランサーは最初から、よほど酷い物でない限り、マスターの命令に異を唱えるつもりはない。
令呪を是が非でも欲しいというウェイバーに、自分はまだ信頼されていないのかと、気を落ち込ませていた。
「何言ってんだよ。令呪を使えば、お前の力を普段以上に跳ね上げられるんだぞ。到底勝てないような敵をも上回ることができる。瞬間移動や魔力の回復までできる万能アイテムだ。欲しいに決まってる。お前だって欲しいだろ。それとも自分の力でだけ戦いたいとか言うんだったら、それは敵を舐めてるぞ。どいつもこいつも呆れるほどの怪物ぞろいだ。いくらお前が正々堂々戦いたいと言ってもだな……」
しかし、どうもウェイバーの考えていることは、ランサーの考えていることとズレがあるようだった。本来、令呪とはサーヴァントを支配するためのものだが、ウェイバーはサーヴァントを強化させる用途についてしか語っていない。ランサーは、やや恐る恐ると訊ねる。
「………あの、私を従わせるために令呪が欲しいのでは?」
「何? なんだそれ?」
ウェイバーはランサーの言っていることが、本当に分からないらしく首を傾げ、数秒沈黙して考える。そして、ランサーの考えが分かった途端、顔を真っ赤にして首を左右に振った。
「ち、違う! 別に令呪の効力を忘れていたわけじゃあないぞ!! ただ、別にお前に命令するのに令呪は必要ないと思って、いや、別にそこまでお前を信頼しているってわけじゃなくてだな! サーヴァントがマスターに従うのは当然の、ああでもお前を便利な奴隷扱いしているってわけでも………!!」
あたふたと色々なことを口走るマスターに、ランサーは呆気にとられ、それから表情を緩め、優雅に一礼する。
「はい。もちろん、令呪などなくとも、私は主の命令を遵守いたしますとも。どうか頼りにしていただきだい」
ウェイバーは限界まで顔を赤くし、口を引き結んで黙り込む。今、口を開いたら、もっとまずい、恥ずかしいことを言ってしまいそうだったので、拳を握り込んで羞恥に耐え、そのままキャスター探しの作業に戻った。
「ったく………ん? これは………見つけたぞ! キャスターだ!!」
その時、使い魔の鼠が、たまたまキャスターを発見した。キャスターは適当な自動車の運転手を操り、何人もの子供たちを引きつれて乗り込み、冬木の近隣にあるアインツベルンの領土へ向かっているところであった。
ウェイバーは鼠を自動車が止まっている間に隙間に潜り込ませ、位置がわかるようにし、ランサーに自分を抱えさせ、追跡させた。
ランサーは人間一人を抱えながらも、風のように走っている。サーヴァント最速であるランサーの足ならば、タクシーなどを使うよりも早く追いつけるだろう。
しかし、彼らが追いつく前に、キャスターの乗る自動車はアインツベルンの森に到着し、キャスターは子供を連れて、森へと入り込んでいった。もちろんその後を更に鼠に追わせる。やがて、キャスターと子供たちは、アインツベルンの森の中心にある城から、2キロほど離れた場所で止まった。
『昨夜の約定通り、ジル・ド・レェまかり越してございます。我が麗しの聖処女ジャンヌに、今一度、お目通り願いたい。まぁ取り次ぎはごゆるりと。私も気長に待たせてもらうつもりで、それなりの準備をして参りましたからね』
慇懃に一礼して挨拶した後、パチリと指を鳴らす。すると、今まで虚ろだった子供たちの表情に生気が宿り、周囲を見回して混乱し始める。
『さぁさぁ坊やたち、鬼ごっこを始めますよ。ルールは簡単。この私から逃げ切ればいいのです。さもなくば』
にこやかに笑うと、キャスターは手近な所にいた子供の頭に、手を載せる。
「!! ま、まさか!」
ウェイバーは、キャスターの行動を見て、酷く嫌な未来を予見し、顔を蒼褪めさせる。
「マスター?」
ちょうど森についたところで声をあげたマスターに、彼が見ている光景を知らぬランサーは訝しげに言う。
ウェイバーの方はランサーに応えている余裕はなく、使い魔から得られる光景を、祈る様な気持で見つめるしかなかった。だが、その誰にかけられたとも知れぬ祈りは、届かない。
子供の頭は、生卵のようにグジャリと、潰された。
「―――っ!!」
ウェイバー自身でも驚くほど大きな怒りが、胸の奥からこみ上げてくる。キャスターの真名がわかったことも、気にかけることができないほどに、ウェイバーは怒りに満たされていた。
『さぁお逃げなさい。100を数えたら追いかけますよ? ああ、そうだ。そういえば、先ほどから不躾な覗き魔がいましたね』
そこでウェイバーの使い魔と、キャスターの目が合った。次の瞬間、使い魔とのラインが途絶える。使い魔の鼠が殺されたのだ。
「使い魔に気付いていたのに、ほっといたのか。あの悪趣味な演出を見せたかったのか?自己顕示欲の強い………いや、んなことはどうでもいい………行くぞランサー!!」
「ハ、ハッ」
ランサーはウェイバーを抱え直し、森へと飛び込んだ。
事情を知らないランサーは、ウェイバーの剣幕に戸惑っていたが、森に深く入り込んでいくうちに、ランサーにもウェイバーの様子がおかしかった理由がわかる。無残に殺され、打ち捨てられた幼子の死体が散らばっているのを見れば。
(なんということを………ッ!)
ランサーもまた、まだ見ぬキャスターへの怒りと憎しみを燃やす。そのうえでそれらの負の感情を押し殺す。怒りなどに身を任せては、槍筋がぶれる。外道に怒り狂いながらも、冷静で無くてはいけない。
やがて、ランサーの目は人影をとらえた。ローブをまとった男、キャスターと、昨日、その武威を競った相手、セイバー。そしてキャスターの手には、おそらく最後の生き残りであろう少女が掴まれ、泣いている。
ランサーがそこに辿り着く前に、少女は解放され、セイバーに向かって駆け出した。ランサーが一人だけでも助かってよかったと、安堵した時、ウェイバーの声が響いた。
「ランサー!! 【破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)】であの子の背中を刺せ!!」
「―――は?」
意味がわからず、ランサーはウェイバーの顔を見る。ウェイバーの顔は、酷く切羽詰まった必死の形相だった。ウェイバーの鋭い観察眼には、少女の背中に刻まれた、得体の知れない魔力がしっかりと見えていたのだ。
「急げッ! あの子には術がかけられている!!」
「!! 御意!!」
ランサーは赤い魔槍を構え、突進する。セイバーもキャスターも、いきなり横合いから乱入してくる者が現れるとは思いもよらず、接近を許した。
「【破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)】!!」
そして、ランサーはブレーキを考えることなく突き進み、最高速度でセイバーの下へと走る少女に、すれ違いざま槍を向け、その背中を浅く、肌一枚だけ傷つけた。極限状態に痛みを受けた少女は、恐怖のあまりスイッチが切れたように気絶してしまう。
「な、ラ、ランサー!?」
どういうことかわからず、叫ぶセイバーに構う余裕無く、ウェイバーはランサーの腕から離れて少女の様子を見る。
短めの髪の、大人しく気弱そうな感じのする、まだ小学生低学年程度の少女。服の裾にローマ字の縫い取りがある。『Kotone』――『コトネ』、それがこの子の名前だろうか。
槍による傷に薬を塗る。効果はそんなに大したものではないが、一応魔術的な軟膏であり、血ぐらいはすぐに止められる。さすがにランサーの腕は見事で、傷は1mmの深さも無い。傷痕が残ることも無く治るだろう。
「主よ。どうですか?」
「ああ、さっき見えた魔力は消えている。呼吸や脈も、うん、問題無い。助けられたぞ!」
二人の会話で、微かながら事情を察したセイバーは、キャスターをより強く睨みつける。
「キャスター、貴様………その子に何か呪いを!?」
問われたキャスターは、とっておきの芸を潰された役者のように、憤怒に顔を赤く染め、ウェイバーたちに怒声を浴びせかけた。
「き、ききき、貴様らぁ!! 何者だ!? 誰の赦しを得てこの私を邪魔立てするか!!」
「それはこちらの台詞だ。外道。貴様、この子供に何をしようとしていた」
ランサーは激昂するキャスターを氷よりも冷たく見据え、同じくらいに冷たい槍の切っ先を、キャスターに向ける。
「何を、だと? それはな、こうする筈だったのだ………イア・イア・クトゥルフ・フングルイ・ムグルウナフ!!」
奇怪な呪文が唱えられたと同時に、周囲に散乱する子供たちの亡骸から、異様な触手が噴き出した。人間ほどの大きさの、ウゾウゾと蠢く怪生物。オニヒトデのような、イソギンチャクのような、少なくともこの世界のものではないであろう、魔物。
それが数十体も同時に召喚され、セイバーたちを取り囲んでいる。
「そういうことかキャスター。貴様、子供を生贄として海魔を召喚したのか。ランサーたちが邪魔をしなければ、私の目の前で、その子をも………!」
ランサーが消去した魔力は、キャスターが子供に施した『生贄の印』だったのだろう。セイバーは更なる怒りに燃えてキャスターに剣を向けるが、ようやく自分の力を見せつけられたキャスターは機嫌を良くし、むしろ誇らしげに胸を張る。
「我が盟友プレラーティの遺したこの魔書により、私は悪魔の軍勢を従える術を得たのです。如何ですかジャンヌ? かつてオルレアンに集ったいかなる兵団も、これほど豪壮ではありますまい?」
「――いいだろう。もはや貴様と聖杯を競おうとは思わない。何も求めず、何も勝ち取らず、ただキャスターよ。貴様を滅ぼすためだけに剣を執る」
その剣気と殺気を浴びながら、むしろキャスターは恍惚に打ち震えていた。
「何と気高い、何と雄々しい……ああ聖処女よ。我が女司祭(ハイプリエステス)。我が女教皇(ハイプリエステス)。貴女の前には神すら霞む!! 我が愛にて穢れよ!! ラ・ピュセルよ!!」
そして怪物たちは一斉にセイバーたちに向かい進軍を開始した。
「ラ、ランサー」
「ご心配なく、主よ」
数の暴力を前にして蒼褪めるウェイバーを、安心させるようにランサーが立ちはだかる。そのランサーに向かい、化け物の1体が触手を伸ばして絡め取ろうとするが、眼にも映らぬ速度でその触手は切り飛ばされた。次の瞬間には激烈な槍に貫かれて、化け物は動かなくなる。
「この程度の相手、我が槍の前には何のことはありませぬ。こ奴らを全て打ち払うまで、しばしの御猶予を」
「………ランサー」
ウェイバーは、まだ気絶している少女の顔を見て、その顔に残る涙の跡を見て、言葉を口にする。
「命令だ。あのゲス野郎の首をとれ………必ずだ!」
「もちろんです。我が主よ!」
ランサーは奮い立ち、双槍を掲げる。そんなランサーに、セイバーが話しかけた。
「ランサー、まずは礼を言おう。私だけでは、あの子を助けられなかった」
「気付いたのは我がマスターだ。礼はマスターに言ってくれ。それよりも、今はまずあの外道を討つ。お前との決着はそれからだ」
「そうだな。騎士として決着をつける約束は、果たさねばな。後れをとるなよランサー!」
「誰に物を言っているセイバー!」
二人の伝説の騎士が、覇気を放ち、怪物の群れを迎え撃つ。ここに、今宵の戦いの幕が上がる。
……To Be Continued
2012年05月10日(木) 02:43:04 Modified by ID:/PDlBpNmXg