Fate/XXI:14
Fate/XXI
ACT14 暗黒の『法皇』
「ハ!!」
深紅の槍が、ワンチェンの脳を貫いた。貫いたまま槍を振り抜き、ワンチェンの頭部は完全に千切れ跳び粉砕される。そして、残った首から下は、光の粒子となってこの世から消失した。
ワンチェンを倒し、ランサーはキャスターを睨む。
「ひっ!」
悲鳴をあげ、キャスターは霊体化してその場から逃げて行った。追うこともできたが、ランサーにはより優先すべき事柄があった。
「主よ!」
ランサーはウェイバーに呼び掛ける。一跳びで、タルカスとウェイバーの間に降り立ち、双槍を構えた。
槍を向けられたタルカスは、獲物を見つけた狩人のような笑みを浮かべ、ランサーの身長ほどもありそうな大剣を振りかざす。
「絶望の悲鳴を発せ!」
剣が振るわれただけで、大気がかき回されて突風が巻き起こる。しかし、馬鹿げていると言えるほどの膂力で振るわれる剣も、当たらなければ意味は無かった。必殺の破壊力を有り余るほど持った攻撃を、ランサーは自慢の俊敏さで軽々とかわしていた。
「くらえ【必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)】!」
そして決して癒えぬ傷を与える槍の切っ先を持って、タルカスの胸を切り裂いた。しかし、タルカスは動じない。屍生人である彼には、既に痛覚は無く、恐怖も無く、【必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)】による傷でなくても、そもそも傷が癒えることはない。
どれだけ傷つこうとも、体が崩壊していこうとも、ただただ人を殺し、喰らう。それが屍生人というものなのだ。
「むう、すばしこい小鼠めが」
しかし、ランサーの速度にはやや辟易した様子で、タルカスは吐き捨てた。しかし次に、彼はふと、ウェイバーへと視線を向ける。
「………よし、ではこうしよう」
呟くと、タルカスは鎧の腰に付けられていた鎖を手に取った。長く太い鎖の両端には、丸い輪が一つずつ付いている。そして、
「くらえぃ! 【双首竜の鎖(デスマッチ・チェーン)】!!」
その鎖をウェイバーに向けて放った。鎖は稲妻のような勢いで襲いかかる。
「! しまった!」
ランサーは迷わず、その鎖の前に立ち塞がり、ウェイバーが受けるはずであった鎖を、自ら受ける。
ガッシンンン!!
ランサーの首に、鎖の端に付いていた輪がかけられた。首が締めつけられ、ランサーは苦しさに唸る。
「ランサー!」
「ヌハハーッ! 弱い主人をかばうか! 健気で、律儀で、しかし愚かよなぁ! 騎士などと言う者は!」
ランサーの行動を嘲りながら、タルカスはもう一方の鎖の端に付いている首輪を、自らの首にかける。
「よぉし。これで『チェーン・ネック・デスマッチ』の準備は整った! いいか。これは中世騎士殺人修練場における競技の一つだ。生前、48人を葬った、わしの最も得意とするものよ。貴様の首輪を外すことのできる鍵は………」
タルカスは、己の首にかけられた首輪を指差し、
「ここに付いておるッ! つまりは、相手の首をふっ飛ばし、勝った者のみが………」
タルカスは鎖を掴み、
「自由と成れるルールよッ!」
その怪力で、無理矢理ランサーを引き寄せた。ランサーの体は木端の如く軽々と飛ばされる。
「こ、のぉっ!」
ランサーはその身の自由を奪われながらも、タルカスに槍を向ける。
「【破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)】!」
「甘いわ!」
引き寄せられた勢いも利用して放った突きを、タルカスはその巨体に似合わぬ機敏な動きで避ける。そして、手にした大剣を渾身の力で振り下ろした。ランサーは、その一撃をかわすか、受けるかの選択を迫られたが、気付いた時には本能的に回避を選んでいた。
ドガアッ!! ビシィイイイッ! バシバシバシィィィィィッ!!
地面に深く剣がめり込み、余剰の威力は大地に長い亀裂を生んでいく。別に宝具でもない、ただの剣であるにも関わらず、タルカスはただ腕力だけで、大地を割り裂いて見せた。もしランサーが槍で受けていたら、その衝撃だけでダメージを負っていただろう。
「なるほど………墜ちても英霊ということか」
ランサーは背筋を冷やしながらも、唇の端を吊り上げる。強敵と戦うことに、喜びこそすれ、恐れる必要は無い。騎士とはそういう人種であるゆえに。
セイバーの方は、切り裂きジャックの狂気じみた攻勢に、やや押されていた。戦闘技術に関しては、セイバーの方が遥かに上であるが、痛みも感じず、死も恐れない屍生人の無茶苦茶な攻撃は、最優のサーヴァントをして辟易させるものがあった。
「フー、フー、おのれちょこまか動きおってぇ」
しかし、ジャックは押してはいるものの、セイバーに一筋の傷も負わせてはいなかった。いかに野獣の速度と人外の怪力を有しているとはいえ、セイバーにしてみれば容易く見切れる粗暴な動きである。
今は勢いに押されているが、このままならばいずれはセイバーの切り返しを受けて、ジャックの魂は断たれるだろう。このままならば。
「ぬううおおおおおおおおおお!!」
ジャックが攻撃をやめ、唸りをあげる。全身の筋肉が蠢き、脈動を始めた。そして、一際激しく、その両腕が振り上げられた瞬間、ジャックの筋肉がこの上なく収縮し、
ブァボッ!!
ジャックの体内から、無数のメスがその皮膚を突き破り、血に濡れて発射された。ジャックの体には最初からメスが埋め込まれていたのだ。20を超える数のメスが、ジャックの凄まじい筋肉の収縮力によって弾き出され、弾丸もかくやという速度で、セイバーに浴びせかけられた。
「っ!!」
セイバーにしてみれば、決して防げない速さでも威力でも無かった。だが、あまりに異常な方法に意表を突かれたため、ほんの一瞬、反応が鈍ってしまった。聖剣が振るわれるより前に、メスの刃がセイバーの肉体に突き刺さり、貫いていた。
「ぐっ!」
「セイバー!」
負傷するセイバーを見て、ライダーは手綱を握り、戦車で加勢しようとした。そこに、四方から、元は人間であったとは思えない、異形の屍生人たちが寄り集まってきた。
「俺の名はペイジ」
「ジョーンズ」
「プラント」
「ボーンナム」
4体の屍生人たちは、頭部から先端の尖った触手を揺らめかせ、ライダーへと敵意を向けている。
「ふん、邪魔だのう。一気に蹴散らして……」
しかしその時、ライダーは魔力のパスを通じて、己がマスター、ケイネスの危機を感じ取っていた。
(返り討ちにあったか………このままではマスターが死ぬ。つまり余も消える。ここは、助けに行かぬわけにはいかないが………)
自分だけ戦線離脱するのは、征服王としての矜持を傷つける。そこで、せめて出来る限りのことはしていくことにした。
「「「「血管針攻撃!」」」」
パバァ〜〜〜〜!!
四方から、屍生人たちの触手が襲いかかるが、ライダーはそれを気にも留めず、
「おぬしら! 余はちと用が出来てしまった。ここを離れることになるが、雑魚どもだけでも片付けていくゆえ、勘弁してくれ!」
大音量で言い放つと、ライダーは戦車から稲妻を放たせ、今持てる全力で疾走を開始した。
「【遥かなる蹂躙制覇(ヴィア・エクスプグナティオ)】!! AAAAAALaLaLaLaLaie(アァァァァァララララライッ)!!」
「「「「アギャアアアアアア!!」」」」
まず、四方を取り囲んでいた屍生人を、あっという間に焼き尽くす。そして雄叫びと共に、戦車は大地を駆け巡り、セイバーやランサー、ウェイバー、ブチャラティたちを巻き込んで一緒に轢き倒さない位置にいる屍生人、十数体を薙ぎ倒し、叩き潰してから、空高く舞い上がっていった。
「また会おう! 武運を祈るぞ!」
そう言い残して去っていく姿を、ナランチャは呆れた表情で見送っていた。
「か、勝手なうえに偉そうな奴だなぁ」
「だが、数を減らして行ってくれたことは有り難い。ウェイバーと少女を襲いそうな奴も近くにはいないようだし、彼らを加勢するぞ」
「おう!」
ブチャラティの指示に、ナランチャは答える。フーゴも頷き、3人のギャングたちは、セイバーの援護に向かった。
◆
衛宮切嗣と、言峰綺礼は真っ直ぐに対峙していた。
切嗣はその脳内で、綺礼に関しての情報をリピートしていた。しかしその情報は、せいぜい代行者として戦闘能力に長け、時臣の下で魔術の基礎を学んだという程度。その戦術、戦力の詳細は不明のままだ。
実際、戦いながら探っていくしかない。しかし、
(こいつ………こんな眼をするような男だったのか?)
切嗣は綺礼がこちらを見る眼差しに違和感を覚える。切嗣がプロファイリングした綺礼は、どのような物事にも関心、執着を抱かない空虚な男のはず。しかし今、切嗣を見つめる綺礼はどうだ? まるで仇を見る様な、燃える憎悪と殺意は何だ?
疑問を切り裂くように、綺礼から黒鍵が放たれる。際どい所でそれをかわし、背後の樹に刃が深く突き立つ音を聞きながら、切嗣は銃口を定めた。
「ッ!」
呼気を一つ、綺礼はアイリスギールを手から放し、一瞬にして五歩の距離を跳び退る。だが弾丸は放たれなかったことに気付き、綺礼は歯を噛み締めた。引き金が引かれなかった理由は、アイリスフィールを犠牲にすることを、切嗣がためらったからだと悟ったためだ。
(衛宮切嗣………貴様にはやはり、その女を大切に思う感情があるのか)
そして、黒鍵を倒れたアイリスフィールに投げつけた。
「うっ!? か、はっ!!」
鳩尾を貫いた刃が、背中から突き出る。彼女は口から血を吐き、身を震わせた。綺礼は切嗣の表情を見る。一瞬であるが、その暗く冷たい石のような無表情に、驚き、怒り、憎しみ、焦り、そういった感情の色がよぎったのを確認し、綺礼は彼らに背を向けて走り出す。
追う気配は無い。綺礼を倒すことより、アイリスフィールたちの治療を優先させているのだろう。
「衛宮………切嗣!」
綺礼の胸の内に、沸々と熱く黒い、重い感情が湧き上がってくる。裏切られた想いだった。勝手なことだと言う自覚はあったが、それでも感情が抑えきれない。
衛宮切嗣は自分と同じ男だと思っていた。だが違った。むしろ全くの逆だった。切嗣は、綺礼が求め続けたものの全てを、どうしようもなく愚かな夢のために、捨て去り続けてきた男だった。人として容易くつかめる幸せを、綺礼がどこまでも望んだものを、投げ出し続けてきた男だった。
(この私が………欲する物を、手に入れられていたというのに! お前は、そんなにも恵まれていると言うのに!! お前は!!)
そんな自分に、同時に驚きを感じる。このような怒りも、憎悪も、嫉妬も、綺礼は抱いたことはなかったのだ。
「『出会い』は『運命』………はは、アサシンよ。お前は正しい。思っていたものとは違ったが、衛宮切嗣との出会いは、確かに私に変化をもたらした」
綺礼の切嗣への執着は、別の形に歪みながら、以前よりも強く残った。今までよりもずっとはっきりと、色濃く、そして、感情の昂ぶりを伴いながら。
「衛宮切嗣………お前を殺す。必ず殺す」
その時、綺礼自身は気付いていなかったが、その顔はとても愉快そうに嗤っていた。
◆
「ぬおおおおおおお!!」
負傷し、動きが止まったセイバーに、切り裂きジャックは覆いかぶさるようにナイフを振り下ろす。避けることはできないと判断したセイバーは、剣に宿った風の加護、【風王結界(インビジブル・エア)】の解放を決意する。【風王結界(インビジブル・エア)】は剣を透明にする宝具だが、解き放てば衝撃波に等しい凄まじい風を巻き起こせる。切り裂きジャックを吹き飛ばすくらいは簡単だ。
だが、それを成す前に、ジャックの攻撃は阻まれた。
「ボラボラボラボラボラ!!」
少年の声を伴い、【エアロスミス】の機銃がジャックを撃ち抜く。傷自体は屍生人にとって微々たるものだが、ジャックの動きは一瞬止まる。それを見逃すセイバーではない。
「はああ!!」
先ほどのお返しとばかりに、稲妻のように鋭く激しい剣撃が、ジャックがナイフを握る右腕を斬り落とした。
「くるゃああ―――ッ!!」
ジャックが悲鳴をあげる。更なる追い打ちをかけようとしたセイバーだったが、
『令呪を以て我が傀儡に命ず! 今ここに馳せ参じよ!』
「!? 切嗣!?」
令呪によって呼ばれたセイバーは、瞬時のうちにその場から引き剥がされ、強制的に移動させられた。残されたのは、手負いの屍生人と、それと向かい合う、3人のスタンド使いだった。
「ぐ、ぬう、あの女、逃げやがったかぁ………まあいい、とりあえず、残りの鼠を切り裂いて喰らってから、あの女の血を舐めすすってやる」
怪物らしく残忍なことを呟くジャックに、ブチャラティは微塵の恐れも無く、平静な面持ちで言葉を返す。
「どう考えても、あのままならやられていたのはお前の方だったと思うが、まあいい。どうせお前が彼女と会うことはもうない。ここで、俺たちが終わらせてやるからな」
ブチャラティはスタンドを出し、拳を握る。女性に見紛う端正な顔立ちは、極めて静かだった。怒りや憎しみ、敵意といったものは浮かんでいない。彼らの世界では、『殺す』ということは日常なのだ。昼食を口に運ぶのと同じように、レコードをかけるのと同じように、ただ当然のように、戦い、殺す。それだけだ。
必要なものは、ただ覚悟のみ。そして覚悟など、とっくに済ませている。12歳の頃、初めて人を殺した時に、既に。
「【スティッキー・フィンガーズ】!!」
◆
形兆の前で、一人の男が床に伏し倒れ、悶えている。全身から血を流し、制御を放棄し、ただの水銀となった『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』にまみれた男の姿は、『神童』と謳われた当代最高位の魔術師とは到底思えなかった。
「割としぶといな。死んだかと思ったが、まだ生きているとは。だがここは、きっちりと殺されてくれなきゃ困る場面なんだぜ………【バッド・カンパニー】!!」
小人の歩兵たちが、数百の弾丸を撃ち放つ。しかし、ここでケイネスは、天才魔術師の面目をかろうじて保つ行動をとった。
「――――――ッ!」
声にならないような声で、詠唱を行う。ほとんど奇跡的と言えるぎりぎりのラインで、魔術は行使された。
ゾワッ!
水銀に再び力が宿り、『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』は、球状になってケイネスの体を包み込み、銃弾から守護した。そして、水銀の鞭が球体から伸びて振るわれた。それは、虹村兄弟相手ではなく、床に対してであった。
床をすっぱりと切り裂き、開いた穴へと、『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』は転がりこむ。
「ほう逃げるか。案外馬鹿でもなかったようだな」
形兆は、ケイネスの選択を正しいと判断した。いくら魔術を使えても、負った傷が深すぎる。戦いを続けていたら、虹村兄弟は逃げ回ってケイネスの消耗を待つだけで、大した時間はかからずに、魔術師は力尽きていただろう。
「まだどうにか力が残っている内に逃げる。プライドの馬鹿高い魔術師様にしては、良くできた判断だが………みすみす逃す気も無い。行くぞ億泰!」
「お、おお!」
二人は転がる『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』を追って、下の階へ直通する穴に跳び込む。下の階の部屋に、着地した形兆の眼は、鋭く水銀球を捕らえる。
「【バッド・カンパニー】!!」
スタンド軍隊を走らせ、水銀球を取り囲む配置を取る。
「全軍攻撃せよ! 動きを止めて、魔術が使えなくなるまで時間を稼げば、それだけで勝利だ! 億泰、お前はもしもの攻撃に備えて準備しておけ。もし攻撃が来たら、【ザ・ハンド】で攻撃を削り取ってしまえ」
「わかったよ、兄貴!」
そして、『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』に攻撃が降り注ぐ。絶え間なく続く攻撃に、『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』は転がって動くこともできず、静止を余儀無くされた。
全ては形兆の思い通り。しかし、1分も経った頃、形兆の脳裏に疑問がよぎる。
(はて、いくらなんでも、こんなに無抵抗なものか?)
あまりに思い通り過ぎる展開に、逆に形兆はおかしく思う。丁度その時、
VAVAVAVAVAVAVAVAVAVAVA―――ッッ!!!
耳を破るような爆音が、建物を打ち崩す破壊音が、形兆たちのいる部屋とは別の場所から聞こえてきた。
「!? まさか!!」
瞬間、『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』の球が形を失い、ただの水銀となって周囲に飛び散った。そして、その球体の内部に、ケイネスは、いなかった。
「な! あ、兄貴、こいつは一体!」
「ち!」
状況がつかめず、慌てふためく億泰に対し、状況をつかんだ形兆は、すぐさま走り出す。部屋を出て、先ほど轟音が起きた方向へ向かうと、すぐに音の原因となった破壊の跡を、目にすることができた。
壁は砕け、床は焼け焦げ、わだちと、蹄の跡があった。壁はいくつも穴を開けられ、外へと一直線の道が出来上がっていた。
「おわわわわ!? あ、兄貴、こいつは!」
「ライダーだな。ケイネスめ、逃げおおせやがった」
形兆は、ケイネスの狙いをようやく理解した。
階下に落ちた時、ケイネスは水銀球の中から出ていたのだろう。そして、形兆が空っぽの水銀球に目を奪われている内に、這いずって部屋を出て、逃げ続けていたのだ。『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』を遠隔操作して、そっちに注意を向けさせ続けながら。そして、ライダーが助けに来るのを待っていた。
その狙いは当たり、まんまと自分をライダーに回収させて、逃げ去ったということだ。
(直接ライダーを令呪で呼ばなかったのは、いきなり呼ばれれば、いくらサーヴァントとはいえ状況把握に数瞬の時間を要する。その数瞬の間に、殺されてしまっては意味が無いからだろう。『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』の中であっても、【ザ・ハンド】の力がある限り、絶対安全な場所じゃない。俺の眼の届かぬ、安全地帯に逃げてからでなければ、使えなかったということか。フン、あの重傷で、中々頭を回せたじゃないか)
今度は、自分がケイネスを侮って、油断してしまったようだと、形兆は反省する。かなりの傷は負わせたが、ケイネスの魔術の腕を持ってすれば、戦える程度に動くまでには、回復できるだろう。こちらの手の内を見せた以上、次はこう上手くはいくまい。
(まあ、奴も『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』を失った。魔術礼装を造り直す時間は無いだろうし、多少の戦力は殺げたと考えるとしよう)
ケイネスを殺す最高のチャンスを逃したことを悔やみながらも、思考を前向きに変更する。スタンドパワーは精神力に比例する。後ろ向きな思いでは、スタンドパワーも下がってしまうというものだ。
「今回の動きは中々良かったぜ。次もその調子でやれよ、億泰」
「お、おう! 任せといてくれって兄貴!!」
喜色満面で頷く億泰。弟がどうも指示通りにしか上手く動けないことに、少々心配しながらも、形兆は心構えを正し、次の戦いへ備える。自分たち兄弟の、自分たち家族の願いのために、気落ちしている暇など無いのだから。
◆
槍騎士の体が、激しく大地に叩きつけられる。
「がはっ!」
戦況は、ランサーに不利だった。鎖で首を繋がれている今、ランサー最大の武器である敏捷性が発揮できない。その上、タルカスはその怪力でランサーを簡単に振り回せるのだ。
「ぬはははは! どうした? そこまでかぁ」
「ぬかせ………!」
ランサーは立ち上がり、紅い長槍を強く握る。その穂先をタルカスに真っ直ぐ向け、大地を蹴った。矢のように、弾丸のように、一直線にタルカスを貫かんと疾走する。
「来ォい! てめえ、その槍でわしを貫きたいか!」
タルカスは手にした大剣を放った。剣は切っ先を下にして、大地に突き刺さる。開いた二つの手で、ランサーを迎え撃つ構えをとる。
「ふぬけにゃあ――指一本とて」
ランサーの槍が、タルカスに触れようとした一瞬前に、タルカスはその巨体をして、軽々と宙に跳んだ。
「上からか!」
槍をかわされたランサーは、再び地を蹴り、敵を撃墜するために跳躍する。タルカスは左手を牽制するように前に突き出し、そして右手で鎖を握り締めた。
「わしに触れることはできん!!」
右手で引かれた鎖が、生きた蛇のように、複雑にくねり、跳ねた。
「ランサー! 下からだ!」
ウェイバーの声に、ランサーはハッとして振りかえる。背後から、鎖がランサーへと向かって来ていた。上からはタルカス。下からは鎖。飛行能力の無いランサーに、回避はできない。
上と下からの同時攻撃。
「必殺技! 『天地来蛇殺(ヘルヘブン・スネーキル)』!!」
かつて、多くの対戦者を殺し、最後には凄腕の波紋使いを惨殺したタルカスの技に、ランサーは迅速に対応した。
「【必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)】!!」
迫る鎖に対し、ランサーは黄色の短槍を投擲した。黄槍の穂先は鎖の輪の一つに引っ掛かり、鎖を引っ張って地に向かって飛ぶ。そして、大地に突き刺さり、鎖を縫い止めた。
「URYYYYYYY!!」
下からの鎖をしのいだランサーだったが、上からはまだタルカスが左拳を振り下ろしてくる。槍を投げた体勢で、ランサーはその攻撃を対処しきれない。
だから、ランサーは頭部と心臓部、サーヴァントにとっての急所だけをガードする。
「UOHHHHHH!!」
ドン!!
「ぐはっ!」
大型ハンマーで殴られたような重い衝撃に、ランサーは叩き落とされる。打ちすえられ、倒れるランサーを、落下してきたタルカスは更に踏みつけ、その左足を圧し折った。そして次なる攻撃を、否、とどめを与えようとした。
「う、うううう………」
「止めを刺してくれる!!」
ザザザン!!
複数の、斬撃の音。それは、タルカスの背中から聞こえた。タルカスは攻撃を止めて振り向くと、そこにはこちらを震えながらも見据える少年の姿があった。背後の地面に少女を寝かせておいて、いつの間にかタルカスに接近していた。距離はおよそ2メートル程度。
「貴様………!!」
「主よ!」
少年ウェイバーの手には、一振りの剣が握られていた。鍛えられていない少年の細腕には不釣り合いな、美しい装飾を施され、ルーン文字を刻まれた長剣。その白く輝く剣身からは、古い時代を経た神秘と魔力が立ち昇っているのがわかる。
「………【他が為の憤怒(モラルタ)】」
ウェイバーは呟く。それは、彼がランサー、ディルムッド・オディナが携えていた二振りの魔剣の一つ。護身用の剣【己が為の怒声(ベガルタ)】と対をなす魔剣。一振りで全てを倒すと言われた、戦闘用の剣。騎士として他の誰かの為に戦う剣。それさえ持っていれば、ディルムッド・オディナは魔猪に殺されずにすんだとされた名剣。
そして、ウェイバーがランサーを呼び出すために使った遺物。ウェイバーの切り札。
「おおおおお!!」
ウェイバーが【他が為の憤怒(モラルタ)】を振るう。一振りで全てを倒すと語られた、その剣の力は、一振りしただけで複数の斬撃を同時に放つ、いわゆる『多重次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)』を引き起こす。
ウェイバーの魔力によって起こされた斬撃は5振り。それがウェイバーの限界であった。生み出された斬撃は、タルカスを襲うが、肌を薄く傷つけ、それだけだった。
「URYYY!! 決闘の邪魔は許さん!」
岩よりも強靭な肉体を持つタルカスにとって、いかに強力な魔剣のものであっても、剣を習ったこともないウェイバーの剣撃など、子猫に引っ掻かれたようなものだった。ものともせずに、わずらわしい邪魔者に向かって走る。
「ひ………!!」
短い悲鳴をあげたのと、タルカスがウェイバーの小さな体を蹴り飛ばすのは、ほぼ同時だった。
「主!!」
自動車にはねられたような衝撃だった。実際、はねられたこともあるウェイバーは、そんな感想を持った。宙を舞うウェイバーの体は、ランサーが投げたままだった【必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)】に背中から叩きつけられて止まり、地に倒れた。【必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)】も、ウェイバーがぶつかった衝撃で倒れる。
「ぐ、が、はっ!」
腕や肋骨に罅が入ったことを、ウェイバーが自覚する。だが魔剣を手放しはしなかった。ヨロヨロと立ち上がり、歯を食いしばって剣を構えた。
「お、おやめください主よ! 貴方では………」
「黙ってろ! どうせこのままじゃお前も僕も殺されるんだ! 治るまでは持たせる!」
言いながら、ウェイバーはサラミを二つ取り出し、一つを自分が頬張り、もう一つをランサーに投げた。傷を癒す効力があるとはいえ、骨折を治癒しきるには時間がかかる。それまで持たせなくてはならない。
「僕はな、お前に守ってもらってばかりのマスターじゃあ、無いんだ!!」
「主………」
ランサーは一瞬、自分の不甲斐なさに顔を歪めるが、すぐにサラミを口に含んだ。ウェイバーからの魔力と、サラミの効果。合わせれば1分足らずで治るだろう。問題は、タルカスにしてみれば、いくら宝具を持っていようとウェイバーを殺すのに、1秒はかからないだろうということだ。
「フン、騎士と主か。馬鹿馬鹿しい。所詮、弱き身では何も出来ぬことを知るがいい。槍使いよ。お前は目の前で主が殺されるのを見せつけた後で、骨ごとミンチにしてくれる」
「き、っさまぁ………貴様も騎士であったのだろう! その誇りはどうした!」
敵として向かい合う以上、タルカスがランサーやウェイバーを殺すのは当然である。戦い、競い合うことに心を高揚させるのも当然。だが、タルカスはただ敵として戦うのではなく、弄び殺すことを楽しんでいた。騎士として、敵に払う敬意というもののない、外道の所業だ。ランサーにとって、それは黙っていられることでなかった。
「誇り? 誇りならあるとも! この戦う力、この暴力! 殺戮のエリートとしての誇りがな!! だが無価値な弱者へ、生温い主従の絆へ向ける誇りなど………持ち合わせておらんわ!!」
タルカスの宣言に、ウェイバーは哀しげに表情を歪めた。そして、恐怖を押し殺して剣を握り締める。
「ああ………そうかい。だったら尚更、ここは僕が戦わなくちゃならないな!!」
「わけのわからんことを!! 血の詰まった革袋がァ!」
雄叫びと共に、握りしめられた右拳が振り上げられる。対するウェイバーは、タルカスの前で、右方向へと回転(スピン)する。
(脇腹狙いか? だがあの程度の剣で、この腹筋を斬れるものか!!)
タルカスはウェイバーの行動を無視し、構わず腕を振りおろそうとした。ウェイバーの剣撃では、たとえ5回分の剣を一度に受けたとしても、切れて皮まで、筋肉までは断てない。ウェイバーの攻撃の方が先に当たるだろうが、タルカスは殺せない。次の瞬間には、タルカスの拳がウェイバーを叩き潰しているだろうと考えていた。
しかし、タルカスは次の瞬間、驚くべきものを見た。
「な!?」
ウェイバーの攻撃。それは【他が為の憤怒(モラルタ)】によるものではなかった。剣は、タルカスの眼を引き付ける囮。
「こ、これは!」
タルカスは見た。剣を振るうと見せかけ、本命として、自分の眼前に穂先を向ける、【必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)】を!!
そして、転がっていた【必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)】を拾い、掴み、支える、それこそは、回転するウェイバーの頭部から伸び、揺らめいている、それこそは、
「『死髪舞剣(ダンス・マカブヘアー)』!!」
意外! それは髪の毛ッ!!
ドズッ!!
髪の毛によって投げ放たれた呪いの黄槍は、タルカスの右眼を貫いた。
「ば、馬鹿な! それは、その技は!!」
タルカスは動揺していた。それは傷を受けたことによるものではない。ウェイバーが、その技を使ったことによるもの。髪の毛を操るその技は、かつて、タルカスと肩を並べ、同じ主人に仕えて戦った男の技だった。
「僕はウェイバー・ベルベット………黒騎士ブラフォードは、僕の先祖だ!!」
◆
いきなり転移させられ、一瞬戸惑ったセイバーだったが、すぐに切嗣と、倒れ伏すアイリと舞弥の姿を見て、駆け寄る。
「アイリスフィール!!」
「う………セ、セイバー?」
セイバーがアイリスフィールの傷口付近に手を当てる。傷の具合を良く見る為だ。血に濡れたアイリスフィールが身を起こそうとするが、それをセイバーは慌てて止める。
「動かないで! 切嗣! 早く治癒を………」
「だい、じょうぶよ、セイバー。ホムンクルスの傷は治しやすいの。それより舞弥さんを」
出血量から、相当な重傷と判断し焦るセイバーだったが、アイリスフィールは微笑んで立ち上がる。既にアイリスフィールの血は止まり、体力も回復していた。
それはアイリスフィールの体に埋め込まれた宝具【遥か遠き理想郷(アヴァロン)】の力。傷を癒し、廊下を止める、聖剣の鞘。それが本来の持ち主であるセイバーが触れたことで、力を発揮し、一瞬にしてアイリスフィールを癒したのだ。
そしてアイリスフィールは舞弥の傍によって、治癒を開始する。もう少し遅ければ、あるいは切嗣が気休めでも各種薬剤を投与しておいてくればければ、間に合わなかったかもしれない。
(でも、間に合った。これなら助かる………)
共に同じ人を愛し、同じ敵に立ち向かった戦友が助かることに、アイリスフィールは安堵する。しかし結局、切嗣は綺礼と遭遇してしまった。
アイリスフィールは顔を曇らせ、切嗣の方を見る。見たところはいつも通りのようだったが、内面を隠すのは得意な男であるだけに、直接聞く必要がある。
「大丈夫? 切嗣」
切嗣は一度目を瞑り、次に目を開いたと同時に、口を開いた。
「ああ………今のあいつは脅威であっても恐怖ではない。何故はわからないが、彼は僕に対して憎悪を持っている。今まで、言峰綺礼を恐れていたのは、彼の行動理由がわからなかったからだ。だが、僕への憎悪という理由があれば、ある程度は読み定めることができる。戦う覚悟も、できる。だから、もう君がそこまで体を張らなくてもいい」
その目には、確かに綺礼への恐れは無かった。ただ、乾いた殺意だけがあった。
それを見て、アイリスフィールの心は沈む。自分のしたことは、無意味だったのだろうか。切嗣の重荷を共に背負うどころか、更なる戦いの道へ導いてしまっただけなのではないか。
そんなアイリスフィールの感情に気付いているのかいないのか、切嗣は冷静に声を出す。
「形兆から連絡があった。ケイネス・エルメロイ・アーチボルトを撃退したが、取り逃がしたそうだ。アイリ、キャスターと戦っていた方は、今どうなっている?」
問われ、結界から感知できる情報を確認する。水晶球などで遠視することはできないので、確かではないが、
「まだ戦闘は続いているみたいよ、切嗣」
答えを受けて切嗣は頷く。
「その戦いに介入することはない。今はこちらの被害もある。僕は一度城に戻って、体勢を立て直す。舞弥は任せたよ」
そう言うと、切嗣はアインツベルン城へ足を進める。セイバーもいる以上、アイリスフィールたちへの心配をする必要は無いということだろう。彼は、既に次の戦いのことを考えている。
(………それでも、私は貴方を護る。そうよね、舞弥さん。二人で、彼を護り抜こうね)
アイリスフィールは揺るがない。ここで折れるくらいなら、初めから、彼と共に戦おうなどと思いはしない。彼女の眼は、傷つき敗れてもなお、未来を見つめていた。
◆
タルカスは、少年の言葉に目を見開いた。そして、その英国の血統、その黒い髪、その女性的な風貌に、タルカスは戦友の面影を見た。
「ば、馬鹿な………」
「本当のことを言うと、真実かどうかはわからない。ただ我が家に言い伝えられてるって、母さんから聞いただけだ。けど、その様子からすると、僕も似てないわけじゃないのかな」
実際、証拠があるわけじゃない。髪の毛を操っているのも生まれつきではなく、言い伝えに残っていたブラフォードの技を模して、髪の毛を動かす魔術『死髪舞剣(ダンス・マカブヘアー)』を組み上げただけのことだ。
しかし、タルカスは奇妙な信憑性を感じた。確かに、自分もブラフォードも、家族を持っていたわけではない。だが、女を抱いたことが無いとは言わない。もしかしたら、その中で子を成した者がいた可能性が無いとは言い切れない。
(いや、そんなことはどうでもいいではないか!! たとえこの小僧が本当にブラフォードの末裔であったとしても、わしが手心を加える理由にはならん!!)
ではなぜ、こうして手を止めているのか。こんな槍の傷程度、どうということはない。髪の毛による奇策など、タルカスの腕力を持ってすれば捩じ伏せることも容易い。にも関わらず、実際のところ、タルカスは攻められなかった。
攻めたくなかった。なぜなら、目の前の少年には、かつて自分が大切に思っていたものが三人も重なっていたのだから。戦友ブラフォードと、そしてあと二人。
「まあ、あれだ。本当か嘘かわからなくても、騎士の血をひくと言われてきた身としては、あんたがそんな、怪物になっているところを見ていられないんだよ。だから」
言いながら、ウェイバーは足を動かし、横にどいた。そして、タルカスと槍騎士は、今また、正面から向かい合う。槍騎士の傷は、既に癒えていた。
「僕たちはあんたに、勝つ!! そうだろランサー!!」
「はっ! お任せください、主よ!! 我が槍に賭けて、この者の憎悪は私が止めて見せましょうぞ!!」
紅い長槍を両手で掴み、ランサーは走った。この戦闘の中で、最も速く、力強く、主の言葉を、力に変えたかのように、鋭く。
「はあああああああああああ!!」
「う、おおおおおおおおおお!!」
タルカスもまた吠える。渾身の力を振り絞った、今までに無く本気の右拳が、唸りをあげて放たれた。
ギャゴッ!!
骨が砕ける音が響く。その音はタルカスの頭蓋が割れた音だった。
「ぬ、う、おお………」
タルカスの巨体がよろめき、2歩、3歩と後ずさる。額を貫かれた衝撃で、左目に刺さったままだった黄槍が抜けて落ちた。
「わしの………負けか」
どこか呆然と、タルカスが呟いた。一瞬に満たない交差の中で、彼は確かに感じた。懐かしい輝きを。主の為に戦う、騎士の在り方を。それは、かつて彼も持っていたものだった。
「そうだ。だが、私の勝利とも言い難いがな。主の助けが無ければ、負けていたのは私だったのだから。1対1でなら、貴殿の勝ちだった」
ランサーの悔しげな言葉に、タルカスは苦笑した。
「フッ………いいや。互いに支え合い、信じあい、足りないところを補い、共に道を歩む。それが騎士と主の在り方だ。何も恥じることはない。本物の騎士と、本物の主を、お前たちは見せてくれた。あの波紋使いでさえ照らすことのできなかった、我が心の闇を、お前たちは晴らしてくれた」
槍が刺さった額の傷口が広がっていく。タルカスの体が徐々に解れていき、光の粒子となって散っていく。だが彼の心に悔いは無い。かつて失ったものを、取り戻せたのだから。
「我が友の末裔よ。お前の持つ友の面影に、わしはブラフォードを思い出していた。主としてのお前に、我が女王、メアリー・スチュアート様のことを思い出していた。更にもう一人、かつて確かに、誇り高き騎士であったこのわし自身のことを思い出していた。だから、わしは手を止めてしまったのだ。思い出に手をあげることなど、そうそうできることではない」
タルカスは微笑む。先ほどまでの狂戦士とは思えぬ、ほろ苦くも優しい笑みだった。旅人が遠い故郷を思い出すような、哀しくも汚れない笑顔だった。
「ランサーよ。主を守り抜くがいい。わしは、守り抜けなかった。女王を無惨に死なせ、人を恨み、世を呪い、運命と世界に対する憎悪と復讐心だけを胸に、死んでいった。どうかわしのようにはなるな。お前はわしを倒すほどの騎士なのだから」
「ああ、言われるまでも無い」
ランサーは力強く頷く。
「ならばよい………ブラフォードより随分遅れてしまったが、ようやくわしも、我が女王のもとへ旅立てる………」
そして、タルカスは全身を光に変えて、消滅した。最後の最後に、怪物ではなく、本物の騎士の心を取り戻して。
「せめてもの礼だ………役に立つかわからぬが、我が宝具をお前に与えよう。この【双首竜の鎖(デスマッチ・チェーン)】を!」
その言葉を最後に、タルカスの肉体は完全に光となって、現世から消え去った。しかし、ランサーとタルカスの首を繋いでいた鎖、【双首竜の鎖(デスマッチ・チェーン)】だけは消えず、ジャラリと音を立てて地に落ちた。
ランサーはタルカスの首に嵌っていた方の首輪から、鍵を取り外すとそれで自分の首輪を外す。残された鎖が、確かに自分と繋がっているのをランサーは感じた。タルカスの宝具は、今やランサーの宝具となっていた。
ドサリ
後方で、何かが地に転がり落ちる音がした。そちらの方を向くと、切り裂きジャックの首が切断され、転がっていた。その首は切断されてなお獣じみた唸りをあげていたが、すぐさま機銃によってズタズタにされ、消滅していった。
「そっちも終わったのか」
「ああ。まあ俺の【スティッキー・フィンガーズ】の方が、奴のナイフよりも、よく切れたということだな」
そして主従二人と、三人のスタンド使いは対峙する。忘れてはいけない。いくら同じ敵を相手に戦ったとはいえ、本来違う陣営にある、敵同士だということを。
「………どうする?」
「そうだな………たとえ俺たち三人が束になってかかっても、サーヴァントの出鱈目な戦闘力の前に正面からでは、勝てる可能性は低いだろう。絶対に無理とは言わないがな」
ウェイバーの問いに、ブチャラティは答える。
「しかし、だ。完全敗北を回避することは確実に可能だ。最悪でも共倒れに持ち込める」
そう言って、ブチャラティはフーゴを見る。フーゴは、すぐさま【パープル・ヘイズ】を傍らに出した。その拳には禍々しい威力を秘めたカプセルが、まだ存在していた。
「サーヴァントに効かなくてもマスターには効く。俺たちが死ぬとしても、その前にこいつをばら撒いてからだ」
「そうなったら感染して、結局は僕も死ぬ。相討ちの形になると言う訳か」
「そうだ………だからここは、お互いに退くというのはどうだろう」
ウェイバーはランサーを見る。そして、まだ気絶したまま横たわっている少女を見る。
「………わかった。その提案を飲もう。いいな、ランサー」
「御意のままに」
ウェイバーは、ブチャラティの提案を了承した。既に自分の魔力も尽きている。ランサーに十分な魔力補給ができない今、相討ちどころか負けもありうる。付け加えて言えば、キャスターとの戦いで加勢してくれた彼らと、今すぐに争うことはしたくなかった。
「グラッツェ(ありがとう)。行くぞ、フーゴ、ナランチャ」
礼儀正しく頭を下げた後、ブチャラティは二人の仲間を連れ、いまだ明けることのない夜闇の森を後にした。
「僕たちも帰るぞ。【他が為の憤怒(モラルタ)】や『死髪舞剣(ダンス・マカブヘアー)』を使ったせいで、もう魔力は空っぽだ。とっとと寝たい。ランサー、この娘をおぶっていってやってくれ」
「わかりました」
ランサーはコトネを背負い、【双首竜の鎖(デスマッチ・チェーン)】を腰に巻きつけて身につける。
そして、ウェイバーたちもアインツベルンの森を後にする。こうして、アインツベルン以外の陣営全てが、この森から退去した。
ある者は勝者として、ある者は敗者として。
◆
「………終わったようだね」
アサシンは、水晶球に絡んでいた茨を消し、映像も終了させる。
チラリと隣のソラウを見ると、彼女の視線は、ランサーたちを映していた水晶球に、名残惜しそうな視線を送っていた。
彼女は水晶球に映されていた、ケイネスや切嗣、綺礼たちのことをほとんど見ず、ランサーの戦いを見つめていた。ランサーの戦う姿を、頬を赤らめて眺め、ウェイバーがランサーと共にあることに、嫉妬の眼差しを向けていた。
「君の婚約者は負けてしまったようだね。それも酷い傷を負ってしまった。心配だね?」
そう問いかけられ、ソラウはきょとんとした表情で瞬きをする。その仕草は、ケイネスへの心配など一欠片もない、いやそれどころか、興味さえ抱いていないことを意味していた。
「これはこれは、生きようと死のうとどうでもいいか。流石にここまで無関心だと同情するな」
大して同情してそうもない、笑いを含んだ声で言い、アサシンはソラウの目を真っ直ぐに見る。その視線が蜘蛛の糸となって、絡みつきソラウを捕らえるかのように、アサシンの眼は邪悪な魅力を放っていた。
「そんなにも、ランサーのことを愛するか? 他の何もかもを、投げ出してもいいというほどに?」
その言葉はソラウに沁み通るようによく響き、彼女は素直に頷いた。そう、ソラウには、もはや家の事情も、魔術師としての血も、どうでもいい。ただ、ランサーだけが欲しかった。彼さえ手に入れば、他の何もいらなかった。他の全てを捨ててもよかった。
「そうか………なら、私は君に協力してあげよう。君がランサーを手に入れられるように。だから………君も私に協力してくれると嬉しいな」
アサシンは、ソラウに手を伸ばす。そして、ソラウから手を伸ばさない限り、触れ得ない位置で、手を止めた。
「私と友達になろうじゃないか。ソラウ・ヌァザ・ソフィアリ」
そう語りかけるアサシンの姿からは、法皇の如き神聖ささえ感じられた。
ソラウはしばらく、恐れるようにその手を見ていたが、アサシンの微笑みを見つめるうちに、心が奇妙に落ちついていく。
やがて震えながらも、自らの手を伸ばし、アサシンの手を、握った。その手は冷たく、凍るようだったが、強い力を感じさせた。だんだんと恐れが消え、胸の奥から、熱い何かがせり上がり、全身に満ちて行く。
その熱い衝動のまま、どんなことでもできそうな気分になってくる。ソラウは自分から、悪を抑える、理性や良心といったブレーキが、外されたことを自覚した。
そしてそれでいいと思えた。ランサーを手に入れるためならば、悪魔に魂を売ることなど、容易いことだ。いや、彼こそは法皇だ。道を教え、導く者。ただそれが、悪の道だというだけだ。正義では得られぬものを与えてくれる、暗黒の法皇。
(私は、彼を信じよう)
こうして、ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリの破滅は、始まった。
……To Be Continued
【CLASS】バーサーカー
【真名】タルカス
【性別】男性
【属性】混沌・狂
【ステータス】筋力A 耐久B 敏捷B 魔力D 幸運D 宝具B
【クラス別能力】
【固有スキル】
心技体の完全な合一により、いかなる精神的制約の影響下にあっても十全の戦闘能力を発揮できる。
【宝具】
【双首竜の鎖(チェーン・デスマッチ)】
ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:2〜4 最大捕捉:1人
両端に首輪のついた鎖。二人の人間が、互いに首輪をつけ、鎖に繋がったまま闘う、チェーン・デスマッチを行うためのもの。首輪をはずす鍵は、相手側の首輪についており、相手の首を取らなければ、自由になることはできない。ただそれだけの道具であるが、宝具化しているため、その頑丈さは対城宝具レベルの攻撃でなければ、破壊できないほどである。
◆
【他が為の憤怒(モラルタ)】
ランク:B+ 種別:対軍宝具 レンジ:1〜20 最大捕捉:1〜100人
ディルムッド・オディナが、『ベガルタ(小怒、小なる激情)』と共に持っていた魔剣。『大怒、大なる激情』の意味を持つ。
一振りしただけで複数の斬撃を同時に放つ、いわゆる『多重次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)』を引き起こす。
斬撃の数、届く範囲は、持ち主の実力に比例し、ランサーが使えば最大で半径20メートル圏内に、100振りの斬撃を一度に生み出せる。ただし、斬撃の威力、速度、精度などの質は、『燕返し』に比べると格段に劣る。
ウェイバーの魔力では、生み出せる刃の数は5本まで。範囲は半径2メートル強である。【他が為の憤怒(モラルタ)】を装備したウェイバーの力は、第一部スピードワゴンと互角程度になる。
◆
『死髪舞剣(ダンス・マカブヘアー)』
ウェイバーが創ったオリジナルの魔術。髪の毛を操作し、動かしたり、伸び縮みさせたりできる。自分の体を使っている為、アイリスフィールが使う針金の操作などよりはずっと簡単。出せる力は並みの成人男性の腕力程度。
ACT14 暗黒の『法皇』
「ハ!!」
深紅の槍が、ワンチェンの脳を貫いた。貫いたまま槍を振り抜き、ワンチェンの頭部は完全に千切れ跳び粉砕される。そして、残った首から下は、光の粒子となってこの世から消失した。
ワンチェンを倒し、ランサーはキャスターを睨む。
「ひっ!」
悲鳴をあげ、キャスターは霊体化してその場から逃げて行った。追うこともできたが、ランサーにはより優先すべき事柄があった。
「主よ!」
ランサーはウェイバーに呼び掛ける。一跳びで、タルカスとウェイバーの間に降り立ち、双槍を構えた。
槍を向けられたタルカスは、獲物を見つけた狩人のような笑みを浮かべ、ランサーの身長ほどもありそうな大剣を振りかざす。
「絶望の悲鳴を発せ!」
剣が振るわれただけで、大気がかき回されて突風が巻き起こる。しかし、馬鹿げていると言えるほどの膂力で振るわれる剣も、当たらなければ意味は無かった。必殺の破壊力を有り余るほど持った攻撃を、ランサーは自慢の俊敏さで軽々とかわしていた。
「くらえ【必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)】!」
そして決して癒えぬ傷を与える槍の切っ先を持って、タルカスの胸を切り裂いた。しかし、タルカスは動じない。屍生人である彼には、既に痛覚は無く、恐怖も無く、【必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)】による傷でなくても、そもそも傷が癒えることはない。
どれだけ傷つこうとも、体が崩壊していこうとも、ただただ人を殺し、喰らう。それが屍生人というものなのだ。
「むう、すばしこい小鼠めが」
しかし、ランサーの速度にはやや辟易した様子で、タルカスは吐き捨てた。しかし次に、彼はふと、ウェイバーへと視線を向ける。
「………よし、ではこうしよう」
呟くと、タルカスは鎧の腰に付けられていた鎖を手に取った。長く太い鎖の両端には、丸い輪が一つずつ付いている。そして、
「くらえぃ! 【双首竜の鎖(デスマッチ・チェーン)】!!」
その鎖をウェイバーに向けて放った。鎖は稲妻のような勢いで襲いかかる。
「! しまった!」
ランサーは迷わず、その鎖の前に立ち塞がり、ウェイバーが受けるはずであった鎖を、自ら受ける。
ガッシンンン!!
ランサーの首に、鎖の端に付いていた輪がかけられた。首が締めつけられ、ランサーは苦しさに唸る。
「ランサー!」
「ヌハハーッ! 弱い主人をかばうか! 健気で、律儀で、しかし愚かよなぁ! 騎士などと言う者は!」
ランサーの行動を嘲りながら、タルカスはもう一方の鎖の端に付いている首輪を、自らの首にかける。
「よぉし。これで『チェーン・ネック・デスマッチ』の準備は整った! いいか。これは中世騎士殺人修練場における競技の一つだ。生前、48人を葬った、わしの最も得意とするものよ。貴様の首輪を外すことのできる鍵は………」
タルカスは、己の首にかけられた首輪を指差し、
「ここに付いておるッ! つまりは、相手の首をふっ飛ばし、勝った者のみが………」
タルカスは鎖を掴み、
「自由と成れるルールよッ!」
その怪力で、無理矢理ランサーを引き寄せた。ランサーの体は木端の如く軽々と飛ばされる。
「こ、のぉっ!」
ランサーはその身の自由を奪われながらも、タルカスに槍を向ける。
「【破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)】!」
「甘いわ!」
引き寄せられた勢いも利用して放った突きを、タルカスはその巨体に似合わぬ機敏な動きで避ける。そして、手にした大剣を渾身の力で振り下ろした。ランサーは、その一撃をかわすか、受けるかの選択を迫られたが、気付いた時には本能的に回避を選んでいた。
ドガアッ!! ビシィイイイッ! バシバシバシィィィィィッ!!
地面に深く剣がめり込み、余剰の威力は大地に長い亀裂を生んでいく。別に宝具でもない、ただの剣であるにも関わらず、タルカスはただ腕力だけで、大地を割り裂いて見せた。もしランサーが槍で受けていたら、その衝撃だけでダメージを負っていただろう。
「なるほど………墜ちても英霊ということか」
ランサーは背筋を冷やしながらも、唇の端を吊り上げる。強敵と戦うことに、喜びこそすれ、恐れる必要は無い。騎士とはそういう人種であるゆえに。
セイバーの方は、切り裂きジャックの狂気じみた攻勢に、やや押されていた。戦闘技術に関しては、セイバーの方が遥かに上であるが、痛みも感じず、死も恐れない屍生人の無茶苦茶な攻撃は、最優のサーヴァントをして辟易させるものがあった。
「フー、フー、おのれちょこまか動きおってぇ」
しかし、ジャックは押してはいるものの、セイバーに一筋の傷も負わせてはいなかった。いかに野獣の速度と人外の怪力を有しているとはいえ、セイバーにしてみれば容易く見切れる粗暴な動きである。
今は勢いに押されているが、このままならばいずれはセイバーの切り返しを受けて、ジャックの魂は断たれるだろう。このままならば。
「ぬううおおおおおおおおおお!!」
ジャックが攻撃をやめ、唸りをあげる。全身の筋肉が蠢き、脈動を始めた。そして、一際激しく、その両腕が振り上げられた瞬間、ジャックの筋肉がこの上なく収縮し、
ブァボッ!!
ジャックの体内から、無数のメスがその皮膚を突き破り、血に濡れて発射された。ジャックの体には最初からメスが埋め込まれていたのだ。20を超える数のメスが、ジャックの凄まじい筋肉の収縮力によって弾き出され、弾丸もかくやという速度で、セイバーに浴びせかけられた。
「っ!!」
セイバーにしてみれば、決して防げない速さでも威力でも無かった。だが、あまりに異常な方法に意表を突かれたため、ほんの一瞬、反応が鈍ってしまった。聖剣が振るわれるより前に、メスの刃がセイバーの肉体に突き刺さり、貫いていた。
「ぐっ!」
「セイバー!」
負傷するセイバーを見て、ライダーは手綱を握り、戦車で加勢しようとした。そこに、四方から、元は人間であったとは思えない、異形の屍生人たちが寄り集まってきた。
「俺の名はペイジ」
「ジョーンズ」
「プラント」
「ボーンナム」
4体の屍生人たちは、頭部から先端の尖った触手を揺らめかせ、ライダーへと敵意を向けている。
「ふん、邪魔だのう。一気に蹴散らして……」
しかしその時、ライダーは魔力のパスを通じて、己がマスター、ケイネスの危機を感じ取っていた。
(返り討ちにあったか………このままではマスターが死ぬ。つまり余も消える。ここは、助けに行かぬわけにはいかないが………)
自分だけ戦線離脱するのは、征服王としての矜持を傷つける。そこで、せめて出来る限りのことはしていくことにした。
「「「「血管針攻撃!」」」」
パバァ〜〜〜〜!!
四方から、屍生人たちの触手が襲いかかるが、ライダーはそれを気にも留めず、
「おぬしら! 余はちと用が出来てしまった。ここを離れることになるが、雑魚どもだけでも片付けていくゆえ、勘弁してくれ!」
大音量で言い放つと、ライダーは戦車から稲妻を放たせ、今持てる全力で疾走を開始した。
「【遥かなる蹂躙制覇(ヴィア・エクスプグナティオ)】!! AAAAAALaLaLaLaLaie(アァァァァァララララライッ)!!」
「「「「アギャアアアアアア!!」」」」
まず、四方を取り囲んでいた屍生人を、あっという間に焼き尽くす。そして雄叫びと共に、戦車は大地を駆け巡り、セイバーやランサー、ウェイバー、ブチャラティたちを巻き込んで一緒に轢き倒さない位置にいる屍生人、十数体を薙ぎ倒し、叩き潰してから、空高く舞い上がっていった。
「また会おう! 武運を祈るぞ!」
そう言い残して去っていく姿を、ナランチャは呆れた表情で見送っていた。
「か、勝手なうえに偉そうな奴だなぁ」
「だが、数を減らして行ってくれたことは有り難い。ウェイバーと少女を襲いそうな奴も近くにはいないようだし、彼らを加勢するぞ」
「おう!」
ブチャラティの指示に、ナランチャは答える。フーゴも頷き、3人のギャングたちは、セイバーの援護に向かった。
◆
衛宮切嗣と、言峰綺礼は真っ直ぐに対峙していた。
切嗣はその脳内で、綺礼に関しての情報をリピートしていた。しかしその情報は、せいぜい代行者として戦闘能力に長け、時臣の下で魔術の基礎を学んだという程度。その戦術、戦力の詳細は不明のままだ。
実際、戦いながら探っていくしかない。しかし、
(こいつ………こんな眼をするような男だったのか?)
切嗣は綺礼がこちらを見る眼差しに違和感を覚える。切嗣がプロファイリングした綺礼は、どのような物事にも関心、執着を抱かない空虚な男のはず。しかし今、切嗣を見つめる綺礼はどうだ? まるで仇を見る様な、燃える憎悪と殺意は何だ?
疑問を切り裂くように、綺礼から黒鍵が放たれる。際どい所でそれをかわし、背後の樹に刃が深く突き立つ音を聞きながら、切嗣は銃口を定めた。
「ッ!」
呼気を一つ、綺礼はアイリスギールを手から放し、一瞬にして五歩の距離を跳び退る。だが弾丸は放たれなかったことに気付き、綺礼は歯を噛み締めた。引き金が引かれなかった理由は、アイリスフィールを犠牲にすることを、切嗣がためらったからだと悟ったためだ。
(衛宮切嗣………貴様にはやはり、その女を大切に思う感情があるのか)
そして、黒鍵を倒れたアイリスフィールに投げつけた。
「うっ!? か、はっ!!」
鳩尾を貫いた刃が、背中から突き出る。彼女は口から血を吐き、身を震わせた。綺礼は切嗣の表情を見る。一瞬であるが、その暗く冷たい石のような無表情に、驚き、怒り、憎しみ、焦り、そういった感情の色がよぎったのを確認し、綺礼は彼らに背を向けて走り出す。
追う気配は無い。綺礼を倒すことより、アイリスフィールたちの治療を優先させているのだろう。
「衛宮………切嗣!」
綺礼の胸の内に、沸々と熱く黒い、重い感情が湧き上がってくる。裏切られた想いだった。勝手なことだと言う自覚はあったが、それでも感情が抑えきれない。
衛宮切嗣は自分と同じ男だと思っていた。だが違った。むしろ全くの逆だった。切嗣は、綺礼が求め続けたものの全てを、どうしようもなく愚かな夢のために、捨て去り続けてきた男だった。人として容易くつかめる幸せを、綺礼がどこまでも望んだものを、投げ出し続けてきた男だった。
(この私が………欲する物を、手に入れられていたというのに! お前は、そんなにも恵まれていると言うのに!! お前は!!)
そんな自分に、同時に驚きを感じる。このような怒りも、憎悪も、嫉妬も、綺礼は抱いたことはなかったのだ。
「『出会い』は『運命』………はは、アサシンよ。お前は正しい。思っていたものとは違ったが、衛宮切嗣との出会いは、確かに私に変化をもたらした」
綺礼の切嗣への執着は、別の形に歪みながら、以前よりも強く残った。今までよりもずっとはっきりと、色濃く、そして、感情の昂ぶりを伴いながら。
「衛宮切嗣………お前を殺す。必ず殺す」
その時、綺礼自身は気付いていなかったが、その顔はとても愉快そうに嗤っていた。
◆
「ぬおおおおおおお!!」
負傷し、動きが止まったセイバーに、切り裂きジャックは覆いかぶさるようにナイフを振り下ろす。避けることはできないと判断したセイバーは、剣に宿った風の加護、【風王結界(インビジブル・エア)】の解放を決意する。【風王結界(インビジブル・エア)】は剣を透明にする宝具だが、解き放てば衝撃波に等しい凄まじい風を巻き起こせる。切り裂きジャックを吹き飛ばすくらいは簡単だ。
だが、それを成す前に、ジャックの攻撃は阻まれた。
「ボラボラボラボラボラ!!」
少年の声を伴い、【エアロスミス】の機銃がジャックを撃ち抜く。傷自体は屍生人にとって微々たるものだが、ジャックの動きは一瞬止まる。それを見逃すセイバーではない。
「はああ!!」
先ほどのお返しとばかりに、稲妻のように鋭く激しい剣撃が、ジャックがナイフを握る右腕を斬り落とした。
「くるゃああ―――ッ!!」
ジャックが悲鳴をあげる。更なる追い打ちをかけようとしたセイバーだったが、
『令呪を以て我が傀儡に命ず! 今ここに馳せ参じよ!』
「!? 切嗣!?」
令呪によって呼ばれたセイバーは、瞬時のうちにその場から引き剥がされ、強制的に移動させられた。残されたのは、手負いの屍生人と、それと向かい合う、3人のスタンド使いだった。
「ぐ、ぬう、あの女、逃げやがったかぁ………まあいい、とりあえず、残りの鼠を切り裂いて喰らってから、あの女の血を舐めすすってやる」
怪物らしく残忍なことを呟くジャックに、ブチャラティは微塵の恐れも無く、平静な面持ちで言葉を返す。
「どう考えても、あのままならやられていたのはお前の方だったと思うが、まあいい。どうせお前が彼女と会うことはもうない。ここで、俺たちが終わらせてやるからな」
ブチャラティはスタンドを出し、拳を握る。女性に見紛う端正な顔立ちは、極めて静かだった。怒りや憎しみ、敵意といったものは浮かんでいない。彼らの世界では、『殺す』ということは日常なのだ。昼食を口に運ぶのと同じように、レコードをかけるのと同じように、ただ当然のように、戦い、殺す。それだけだ。
必要なものは、ただ覚悟のみ。そして覚悟など、とっくに済ませている。12歳の頃、初めて人を殺した時に、既に。
「【スティッキー・フィンガーズ】!!」
◆
形兆の前で、一人の男が床に伏し倒れ、悶えている。全身から血を流し、制御を放棄し、ただの水銀となった『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』にまみれた男の姿は、『神童』と謳われた当代最高位の魔術師とは到底思えなかった。
「割としぶといな。死んだかと思ったが、まだ生きているとは。だがここは、きっちりと殺されてくれなきゃ困る場面なんだぜ………【バッド・カンパニー】!!」
小人の歩兵たちが、数百の弾丸を撃ち放つ。しかし、ここでケイネスは、天才魔術師の面目をかろうじて保つ行動をとった。
「――――――ッ!」
声にならないような声で、詠唱を行う。ほとんど奇跡的と言えるぎりぎりのラインで、魔術は行使された。
ゾワッ!
水銀に再び力が宿り、『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』は、球状になってケイネスの体を包み込み、銃弾から守護した。そして、水銀の鞭が球体から伸びて振るわれた。それは、虹村兄弟相手ではなく、床に対してであった。
床をすっぱりと切り裂き、開いた穴へと、『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』は転がりこむ。
「ほう逃げるか。案外馬鹿でもなかったようだな」
形兆は、ケイネスの選択を正しいと判断した。いくら魔術を使えても、負った傷が深すぎる。戦いを続けていたら、虹村兄弟は逃げ回ってケイネスの消耗を待つだけで、大した時間はかからずに、魔術師は力尽きていただろう。
「まだどうにか力が残っている内に逃げる。プライドの馬鹿高い魔術師様にしては、良くできた判断だが………みすみす逃す気も無い。行くぞ億泰!」
「お、おお!」
二人は転がる『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』を追って、下の階へ直通する穴に跳び込む。下の階の部屋に、着地した形兆の眼は、鋭く水銀球を捕らえる。
「【バッド・カンパニー】!!」
スタンド軍隊を走らせ、水銀球を取り囲む配置を取る。
「全軍攻撃せよ! 動きを止めて、魔術が使えなくなるまで時間を稼げば、それだけで勝利だ! 億泰、お前はもしもの攻撃に備えて準備しておけ。もし攻撃が来たら、【ザ・ハンド】で攻撃を削り取ってしまえ」
「わかったよ、兄貴!」
そして、『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』に攻撃が降り注ぐ。絶え間なく続く攻撃に、『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』は転がって動くこともできず、静止を余儀無くされた。
全ては形兆の思い通り。しかし、1分も経った頃、形兆の脳裏に疑問がよぎる。
(はて、いくらなんでも、こんなに無抵抗なものか?)
あまりに思い通り過ぎる展開に、逆に形兆はおかしく思う。丁度その時、
VAVAVAVAVAVAVAVAVAVAVA―――ッッ!!!
耳を破るような爆音が、建物を打ち崩す破壊音が、形兆たちのいる部屋とは別の場所から聞こえてきた。
「!? まさか!!」
瞬間、『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』の球が形を失い、ただの水銀となって周囲に飛び散った。そして、その球体の内部に、ケイネスは、いなかった。
「な! あ、兄貴、こいつは一体!」
「ち!」
状況がつかめず、慌てふためく億泰に対し、状況をつかんだ形兆は、すぐさま走り出す。部屋を出て、先ほど轟音が起きた方向へ向かうと、すぐに音の原因となった破壊の跡を、目にすることができた。
壁は砕け、床は焼け焦げ、わだちと、蹄の跡があった。壁はいくつも穴を開けられ、外へと一直線の道が出来上がっていた。
「おわわわわ!? あ、兄貴、こいつは!」
「ライダーだな。ケイネスめ、逃げおおせやがった」
形兆は、ケイネスの狙いをようやく理解した。
階下に落ちた時、ケイネスは水銀球の中から出ていたのだろう。そして、形兆が空っぽの水銀球に目を奪われている内に、這いずって部屋を出て、逃げ続けていたのだ。『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』を遠隔操作して、そっちに注意を向けさせ続けながら。そして、ライダーが助けに来るのを待っていた。
その狙いは当たり、まんまと自分をライダーに回収させて、逃げ去ったということだ。
(直接ライダーを令呪で呼ばなかったのは、いきなり呼ばれれば、いくらサーヴァントとはいえ状況把握に数瞬の時間を要する。その数瞬の間に、殺されてしまっては意味が無いからだろう。『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』の中であっても、【ザ・ハンド】の力がある限り、絶対安全な場所じゃない。俺の眼の届かぬ、安全地帯に逃げてからでなければ、使えなかったということか。フン、あの重傷で、中々頭を回せたじゃないか)
今度は、自分がケイネスを侮って、油断してしまったようだと、形兆は反省する。かなりの傷は負わせたが、ケイネスの魔術の腕を持ってすれば、戦える程度に動くまでには、回復できるだろう。こちらの手の内を見せた以上、次はこう上手くはいくまい。
(まあ、奴も『月霊髄液(ヴォールメン・ハイドラグラム)』を失った。魔術礼装を造り直す時間は無いだろうし、多少の戦力は殺げたと考えるとしよう)
ケイネスを殺す最高のチャンスを逃したことを悔やみながらも、思考を前向きに変更する。スタンドパワーは精神力に比例する。後ろ向きな思いでは、スタンドパワーも下がってしまうというものだ。
「今回の動きは中々良かったぜ。次もその調子でやれよ、億泰」
「お、おう! 任せといてくれって兄貴!!」
喜色満面で頷く億泰。弟がどうも指示通りにしか上手く動けないことに、少々心配しながらも、形兆は心構えを正し、次の戦いへ備える。自分たち兄弟の、自分たち家族の願いのために、気落ちしている暇など無いのだから。
◆
槍騎士の体が、激しく大地に叩きつけられる。
「がはっ!」
戦況は、ランサーに不利だった。鎖で首を繋がれている今、ランサー最大の武器である敏捷性が発揮できない。その上、タルカスはその怪力でランサーを簡単に振り回せるのだ。
「ぬはははは! どうした? そこまでかぁ」
「ぬかせ………!」
ランサーは立ち上がり、紅い長槍を強く握る。その穂先をタルカスに真っ直ぐ向け、大地を蹴った。矢のように、弾丸のように、一直線にタルカスを貫かんと疾走する。
「来ォい! てめえ、その槍でわしを貫きたいか!」
タルカスは手にした大剣を放った。剣は切っ先を下にして、大地に突き刺さる。開いた二つの手で、ランサーを迎え撃つ構えをとる。
「ふぬけにゃあ――指一本とて」
ランサーの槍が、タルカスに触れようとした一瞬前に、タルカスはその巨体をして、軽々と宙に跳んだ。
「上からか!」
槍をかわされたランサーは、再び地を蹴り、敵を撃墜するために跳躍する。タルカスは左手を牽制するように前に突き出し、そして右手で鎖を握り締めた。
「わしに触れることはできん!!」
右手で引かれた鎖が、生きた蛇のように、複雑にくねり、跳ねた。
「ランサー! 下からだ!」
ウェイバーの声に、ランサーはハッとして振りかえる。背後から、鎖がランサーへと向かって来ていた。上からはタルカス。下からは鎖。飛行能力の無いランサーに、回避はできない。
上と下からの同時攻撃。
「必殺技! 『天地来蛇殺(ヘルヘブン・スネーキル)』!!」
かつて、多くの対戦者を殺し、最後には凄腕の波紋使いを惨殺したタルカスの技に、ランサーは迅速に対応した。
「【必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)】!!」
迫る鎖に対し、ランサーは黄色の短槍を投擲した。黄槍の穂先は鎖の輪の一つに引っ掛かり、鎖を引っ張って地に向かって飛ぶ。そして、大地に突き刺さり、鎖を縫い止めた。
「URYYYYYYY!!」
下からの鎖をしのいだランサーだったが、上からはまだタルカスが左拳を振り下ろしてくる。槍を投げた体勢で、ランサーはその攻撃を対処しきれない。
だから、ランサーは頭部と心臓部、サーヴァントにとっての急所だけをガードする。
「UOHHHHHH!!」
ドン!!
「ぐはっ!」
大型ハンマーで殴られたような重い衝撃に、ランサーは叩き落とされる。打ちすえられ、倒れるランサーを、落下してきたタルカスは更に踏みつけ、その左足を圧し折った。そして次なる攻撃を、否、とどめを与えようとした。
「う、うううう………」
「止めを刺してくれる!!」
ザザザン!!
複数の、斬撃の音。それは、タルカスの背中から聞こえた。タルカスは攻撃を止めて振り向くと、そこにはこちらを震えながらも見据える少年の姿があった。背後の地面に少女を寝かせておいて、いつの間にかタルカスに接近していた。距離はおよそ2メートル程度。
「貴様………!!」
「主よ!」
少年ウェイバーの手には、一振りの剣が握られていた。鍛えられていない少年の細腕には不釣り合いな、美しい装飾を施され、ルーン文字を刻まれた長剣。その白く輝く剣身からは、古い時代を経た神秘と魔力が立ち昇っているのがわかる。
「………【他が為の憤怒(モラルタ)】」
ウェイバーは呟く。それは、彼がランサー、ディルムッド・オディナが携えていた二振りの魔剣の一つ。護身用の剣【己が為の怒声(ベガルタ)】と対をなす魔剣。一振りで全てを倒すと言われた、戦闘用の剣。騎士として他の誰かの為に戦う剣。それさえ持っていれば、ディルムッド・オディナは魔猪に殺されずにすんだとされた名剣。
そして、ウェイバーがランサーを呼び出すために使った遺物。ウェイバーの切り札。
「おおおおお!!」
ウェイバーが【他が為の憤怒(モラルタ)】を振るう。一振りで全てを倒すと語られた、その剣の力は、一振りしただけで複数の斬撃を同時に放つ、いわゆる『多重次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)』を引き起こす。
ウェイバーの魔力によって起こされた斬撃は5振り。それがウェイバーの限界であった。生み出された斬撃は、タルカスを襲うが、肌を薄く傷つけ、それだけだった。
「URYYY!! 決闘の邪魔は許さん!」
岩よりも強靭な肉体を持つタルカスにとって、いかに強力な魔剣のものであっても、剣を習ったこともないウェイバーの剣撃など、子猫に引っ掻かれたようなものだった。ものともせずに、わずらわしい邪魔者に向かって走る。
「ひ………!!」
短い悲鳴をあげたのと、タルカスがウェイバーの小さな体を蹴り飛ばすのは、ほぼ同時だった。
「主!!」
自動車にはねられたような衝撃だった。実際、はねられたこともあるウェイバーは、そんな感想を持った。宙を舞うウェイバーの体は、ランサーが投げたままだった【必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)】に背中から叩きつけられて止まり、地に倒れた。【必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)】も、ウェイバーがぶつかった衝撃で倒れる。
「ぐ、が、はっ!」
腕や肋骨に罅が入ったことを、ウェイバーが自覚する。だが魔剣を手放しはしなかった。ヨロヨロと立ち上がり、歯を食いしばって剣を構えた。
「お、おやめください主よ! 貴方では………」
「黙ってろ! どうせこのままじゃお前も僕も殺されるんだ! 治るまでは持たせる!」
言いながら、ウェイバーはサラミを二つ取り出し、一つを自分が頬張り、もう一つをランサーに投げた。傷を癒す効力があるとはいえ、骨折を治癒しきるには時間がかかる。それまで持たせなくてはならない。
「僕はな、お前に守ってもらってばかりのマスターじゃあ、無いんだ!!」
「主………」
ランサーは一瞬、自分の不甲斐なさに顔を歪めるが、すぐにサラミを口に含んだ。ウェイバーからの魔力と、サラミの効果。合わせれば1分足らずで治るだろう。問題は、タルカスにしてみれば、いくら宝具を持っていようとウェイバーを殺すのに、1秒はかからないだろうということだ。
「フン、騎士と主か。馬鹿馬鹿しい。所詮、弱き身では何も出来ぬことを知るがいい。槍使いよ。お前は目の前で主が殺されるのを見せつけた後で、骨ごとミンチにしてくれる」
「き、っさまぁ………貴様も騎士であったのだろう! その誇りはどうした!」
敵として向かい合う以上、タルカスがランサーやウェイバーを殺すのは当然である。戦い、競い合うことに心を高揚させるのも当然。だが、タルカスはただ敵として戦うのではなく、弄び殺すことを楽しんでいた。騎士として、敵に払う敬意というもののない、外道の所業だ。ランサーにとって、それは黙っていられることでなかった。
「誇り? 誇りならあるとも! この戦う力、この暴力! 殺戮のエリートとしての誇りがな!! だが無価値な弱者へ、生温い主従の絆へ向ける誇りなど………持ち合わせておらんわ!!」
タルカスの宣言に、ウェイバーは哀しげに表情を歪めた。そして、恐怖を押し殺して剣を握り締める。
「ああ………そうかい。だったら尚更、ここは僕が戦わなくちゃならないな!!」
「わけのわからんことを!! 血の詰まった革袋がァ!」
雄叫びと共に、握りしめられた右拳が振り上げられる。対するウェイバーは、タルカスの前で、右方向へと回転(スピン)する。
(脇腹狙いか? だがあの程度の剣で、この腹筋を斬れるものか!!)
タルカスはウェイバーの行動を無視し、構わず腕を振りおろそうとした。ウェイバーの剣撃では、たとえ5回分の剣を一度に受けたとしても、切れて皮まで、筋肉までは断てない。ウェイバーの攻撃の方が先に当たるだろうが、タルカスは殺せない。次の瞬間には、タルカスの拳がウェイバーを叩き潰しているだろうと考えていた。
しかし、タルカスは次の瞬間、驚くべきものを見た。
「な!?」
ウェイバーの攻撃。それは【他が為の憤怒(モラルタ)】によるものではなかった。剣は、タルカスの眼を引き付ける囮。
「こ、これは!」
タルカスは見た。剣を振るうと見せかけ、本命として、自分の眼前に穂先を向ける、【必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)】を!!
そして、転がっていた【必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)】を拾い、掴み、支える、それこそは、回転するウェイバーの頭部から伸び、揺らめいている、それこそは、
「『死髪舞剣(ダンス・マカブヘアー)』!!」
意外! それは髪の毛ッ!!
ドズッ!!
髪の毛によって投げ放たれた呪いの黄槍は、タルカスの右眼を貫いた。
「ば、馬鹿な! それは、その技は!!」
タルカスは動揺していた。それは傷を受けたことによるものではない。ウェイバーが、その技を使ったことによるもの。髪の毛を操るその技は、かつて、タルカスと肩を並べ、同じ主人に仕えて戦った男の技だった。
「僕はウェイバー・ベルベット………黒騎士ブラフォードは、僕の先祖だ!!」
◆
いきなり転移させられ、一瞬戸惑ったセイバーだったが、すぐに切嗣と、倒れ伏すアイリと舞弥の姿を見て、駆け寄る。
「アイリスフィール!!」
「う………セ、セイバー?」
セイバーがアイリスフィールの傷口付近に手を当てる。傷の具合を良く見る為だ。血に濡れたアイリスフィールが身を起こそうとするが、それをセイバーは慌てて止める。
「動かないで! 切嗣! 早く治癒を………」
「だい、じょうぶよ、セイバー。ホムンクルスの傷は治しやすいの。それより舞弥さんを」
出血量から、相当な重傷と判断し焦るセイバーだったが、アイリスフィールは微笑んで立ち上がる。既にアイリスフィールの血は止まり、体力も回復していた。
それはアイリスフィールの体に埋め込まれた宝具【遥か遠き理想郷(アヴァロン)】の力。傷を癒し、廊下を止める、聖剣の鞘。それが本来の持ち主であるセイバーが触れたことで、力を発揮し、一瞬にしてアイリスフィールを癒したのだ。
そしてアイリスフィールは舞弥の傍によって、治癒を開始する。もう少し遅ければ、あるいは切嗣が気休めでも各種薬剤を投与しておいてくればければ、間に合わなかったかもしれない。
(でも、間に合った。これなら助かる………)
共に同じ人を愛し、同じ敵に立ち向かった戦友が助かることに、アイリスフィールは安堵する。しかし結局、切嗣は綺礼と遭遇してしまった。
アイリスフィールは顔を曇らせ、切嗣の方を見る。見たところはいつも通りのようだったが、内面を隠すのは得意な男であるだけに、直接聞く必要がある。
「大丈夫? 切嗣」
切嗣は一度目を瞑り、次に目を開いたと同時に、口を開いた。
「ああ………今のあいつは脅威であっても恐怖ではない。何故はわからないが、彼は僕に対して憎悪を持っている。今まで、言峰綺礼を恐れていたのは、彼の行動理由がわからなかったからだ。だが、僕への憎悪という理由があれば、ある程度は読み定めることができる。戦う覚悟も、できる。だから、もう君がそこまで体を張らなくてもいい」
その目には、確かに綺礼への恐れは無かった。ただ、乾いた殺意だけがあった。
それを見て、アイリスフィールの心は沈む。自分のしたことは、無意味だったのだろうか。切嗣の重荷を共に背負うどころか、更なる戦いの道へ導いてしまっただけなのではないか。
そんなアイリスフィールの感情に気付いているのかいないのか、切嗣は冷静に声を出す。
「形兆から連絡があった。ケイネス・エルメロイ・アーチボルトを撃退したが、取り逃がしたそうだ。アイリ、キャスターと戦っていた方は、今どうなっている?」
問われ、結界から感知できる情報を確認する。水晶球などで遠視することはできないので、確かではないが、
「まだ戦闘は続いているみたいよ、切嗣」
答えを受けて切嗣は頷く。
「その戦いに介入することはない。今はこちらの被害もある。僕は一度城に戻って、体勢を立て直す。舞弥は任せたよ」
そう言うと、切嗣はアインツベルン城へ足を進める。セイバーもいる以上、アイリスフィールたちへの心配をする必要は無いということだろう。彼は、既に次の戦いのことを考えている。
(………それでも、私は貴方を護る。そうよね、舞弥さん。二人で、彼を護り抜こうね)
アイリスフィールは揺るがない。ここで折れるくらいなら、初めから、彼と共に戦おうなどと思いはしない。彼女の眼は、傷つき敗れてもなお、未来を見つめていた。
◆
タルカスは、少年の言葉に目を見開いた。そして、その英国の血統、その黒い髪、その女性的な風貌に、タルカスは戦友の面影を見た。
「ば、馬鹿な………」
「本当のことを言うと、真実かどうかはわからない。ただ我が家に言い伝えられてるって、母さんから聞いただけだ。けど、その様子からすると、僕も似てないわけじゃないのかな」
実際、証拠があるわけじゃない。髪の毛を操っているのも生まれつきではなく、言い伝えに残っていたブラフォードの技を模して、髪の毛を動かす魔術『死髪舞剣(ダンス・マカブヘアー)』を組み上げただけのことだ。
しかし、タルカスは奇妙な信憑性を感じた。確かに、自分もブラフォードも、家族を持っていたわけではない。だが、女を抱いたことが無いとは言わない。もしかしたら、その中で子を成した者がいた可能性が無いとは言い切れない。
(いや、そんなことはどうでもいいではないか!! たとえこの小僧が本当にブラフォードの末裔であったとしても、わしが手心を加える理由にはならん!!)
ではなぜ、こうして手を止めているのか。こんな槍の傷程度、どうということはない。髪の毛による奇策など、タルカスの腕力を持ってすれば捩じ伏せることも容易い。にも関わらず、実際のところ、タルカスは攻められなかった。
攻めたくなかった。なぜなら、目の前の少年には、かつて自分が大切に思っていたものが三人も重なっていたのだから。戦友ブラフォードと、そしてあと二人。
「まあ、あれだ。本当か嘘かわからなくても、騎士の血をひくと言われてきた身としては、あんたがそんな、怪物になっているところを見ていられないんだよ。だから」
言いながら、ウェイバーは足を動かし、横にどいた。そして、タルカスと槍騎士は、今また、正面から向かい合う。槍騎士の傷は、既に癒えていた。
「僕たちはあんたに、勝つ!! そうだろランサー!!」
「はっ! お任せください、主よ!! 我が槍に賭けて、この者の憎悪は私が止めて見せましょうぞ!!」
紅い長槍を両手で掴み、ランサーは走った。この戦闘の中で、最も速く、力強く、主の言葉を、力に変えたかのように、鋭く。
「はあああああああああああ!!」
「う、おおおおおおおおおお!!」
タルカスもまた吠える。渾身の力を振り絞った、今までに無く本気の右拳が、唸りをあげて放たれた。
ギャゴッ!!
骨が砕ける音が響く。その音はタルカスの頭蓋が割れた音だった。
「ぬ、う、おお………」
タルカスの巨体がよろめき、2歩、3歩と後ずさる。額を貫かれた衝撃で、左目に刺さったままだった黄槍が抜けて落ちた。
「わしの………負けか」
どこか呆然と、タルカスが呟いた。一瞬に満たない交差の中で、彼は確かに感じた。懐かしい輝きを。主の為に戦う、騎士の在り方を。それは、かつて彼も持っていたものだった。
「そうだ。だが、私の勝利とも言い難いがな。主の助けが無ければ、負けていたのは私だったのだから。1対1でなら、貴殿の勝ちだった」
ランサーの悔しげな言葉に、タルカスは苦笑した。
「フッ………いいや。互いに支え合い、信じあい、足りないところを補い、共に道を歩む。それが騎士と主の在り方だ。何も恥じることはない。本物の騎士と、本物の主を、お前たちは見せてくれた。あの波紋使いでさえ照らすことのできなかった、我が心の闇を、お前たちは晴らしてくれた」
槍が刺さった額の傷口が広がっていく。タルカスの体が徐々に解れていき、光の粒子となって散っていく。だが彼の心に悔いは無い。かつて失ったものを、取り戻せたのだから。
「我が友の末裔よ。お前の持つ友の面影に、わしはブラフォードを思い出していた。主としてのお前に、我が女王、メアリー・スチュアート様のことを思い出していた。更にもう一人、かつて確かに、誇り高き騎士であったこのわし自身のことを思い出していた。だから、わしは手を止めてしまったのだ。思い出に手をあげることなど、そうそうできることではない」
タルカスは微笑む。先ほどまでの狂戦士とは思えぬ、ほろ苦くも優しい笑みだった。旅人が遠い故郷を思い出すような、哀しくも汚れない笑顔だった。
「ランサーよ。主を守り抜くがいい。わしは、守り抜けなかった。女王を無惨に死なせ、人を恨み、世を呪い、運命と世界に対する憎悪と復讐心だけを胸に、死んでいった。どうかわしのようにはなるな。お前はわしを倒すほどの騎士なのだから」
「ああ、言われるまでも無い」
ランサーは力強く頷く。
「ならばよい………ブラフォードより随分遅れてしまったが、ようやくわしも、我が女王のもとへ旅立てる………」
そして、タルカスは全身を光に変えて、消滅した。最後の最後に、怪物ではなく、本物の騎士の心を取り戻して。
「せめてもの礼だ………役に立つかわからぬが、我が宝具をお前に与えよう。この【双首竜の鎖(デスマッチ・チェーン)】を!」
その言葉を最後に、タルカスの肉体は完全に光となって、現世から消え去った。しかし、ランサーとタルカスの首を繋いでいた鎖、【双首竜の鎖(デスマッチ・チェーン)】だけは消えず、ジャラリと音を立てて地に落ちた。
ランサーはタルカスの首に嵌っていた方の首輪から、鍵を取り外すとそれで自分の首輪を外す。残された鎖が、確かに自分と繋がっているのをランサーは感じた。タルカスの宝具は、今やランサーの宝具となっていた。
ドサリ
後方で、何かが地に転がり落ちる音がした。そちらの方を向くと、切り裂きジャックの首が切断され、転がっていた。その首は切断されてなお獣じみた唸りをあげていたが、すぐさま機銃によってズタズタにされ、消滅していった。
「そっちも終わったのか」
「ああ。まあ俺の【スティッキー・フィンガーズ】の方が、奴のナイフよりも、よく切れたということだな」
そして主従二人と、三人のスタンド使いは対峙する。忘れてはいけない。いくら同じ敵を相手に戦ったとはいえ、本来違う陣営にある、敵同士だということを。
「………どうする?」
「そうだな………たとえ俺たち三人が束になってかかっても、サーヴァントの出鱈目な戦闘力の前に正面からでは、勝てる可能性は低いだろう。絶対に無理とは言わないがな」
ウェイバーの問いに、ブチャラティは答える。
「しかし、だ。完全敗北を回避することは確実に可能だ。最悪でも共倒れに持ち込める」
そう言って、ブチャラティはフーゴを見る。フーゴは、すぐさま【パープル・ヘイズ】を傍らに出した。その拳には禍々しい威力を秘めたカプセルが、まだ存在していた。
「サーヴァントに効かなくてもマスターには効く。俺たちが死ぬとしても、その前にこいつをばら撒いてからだ」
「そうなったら感染して、結局は僕も死ぬ。相討ちの形になると言う訳か」
「そうだ………だからここは、お互いに退くというのはどうだろう」
ウェイバーはランサーを見る。そして、まだ気絶したまま横たわっている少女を見る。
「………わかった。その提案を飲もう。いいな、ランサー」
「御意のままに」
ウェイバーは、ブチャラティの提案を了承した。既に自分の魔力も尽きている。ランサーに十分な魔力補給ができない今、相討ちどころか負けもありうる。付け加えて言えば、キャスターとの戦いで加勢してくれた彼らと、今すぐに争うことはしたくなかった。
「グラッツェ(ありがとう)。行くぞ、フーゴ、ナランチャ」
礼儀正しく頭を下げた後、ブチャラティは二人の仲間を連れ、いまだ明けることのない夜闇の森を後にした。
「僕たちも帰るぞ。【他が為の憤怒(モラルタ)】や『死髪舞剣(ダンス・マカブヘアー)』を使ったせいで、もう魔力は空っぽだ。とっとと寝たい。ランサー、この娘をおぶっていってやってくれ」
「わかりました」
ランサーはコトネを背負い、【双首竜の鎖(デスマッチ・チェーン)】を腰に巻きつけて身につける。
そして、ウェイバーたちもアインツベルンの森を後にする。こうして、アインツベルン以外の陣営全てが、この森から退去した。
ある者は勝者として、ある者は敗者として。
◆
「………終わったようだね」
アサシンは、水晶球に絡んでいた茨を消し、映像も終了させる。
チラリと隣のソラウを見ると、彼女の視線は、ランサーたちを映していた水晶球に、名残惜しそうな視線を送っていた。
彼女は水晶球に映されていた、ケイネスや切嗣、綺礼たちのことをほとんど見ず、ランサーの戦いを見つめていた。ランサーの戦う姿を、頬を赤らめて眺め、ウェイバーがランサーと共にあることに、嫉妬の眼差しを向けていた。
「君の婚約者は負けてしまったようだね。それも酷い傷を負ってしまった。心配だね?」
そう問いかけられ、ソラウはきょとんとした表情で瞬きをする。その仕草は、ケイネスへの心配など一欠片もない、いやそれどころか、興味さえ抱いていないことを意味していた。
「これはこれは、生きようと死のうとどうでもいいか。流石にここまで無関心だと同情するな」
大して同情してそうもない、笑いを含んだ声で言い、アサシンはソラウの目を真っ直ぐに見る。その視線が蜘蛛の糸となって、絡みつきソラウを捕らえるかのように、アサシンの眼は邪悪な魅力を放っていた。
「そんなにも、ランサーのことを愛するか? 他の何もかもを、投げ出してもいいというほどに?」
その言葉はソラウに沁み通るようによく響き、彼女は素直に頷いた。そう、ソラウには、もはや家の事情も、魔術師としての血も、どうでもいい。ただ、ランサーだけが欲しかった。彼さえ手に入れば、他の何もいらなかった。他の全てを捨ててもよかった。
「そうか………なら、私は君に協力してあげよう。君がランサーを手に入れられるように。だから………君も私に協力してくれると嬉しいな」
アサシンは、ソラウに手を伸ばす。そして、ソラウから手を伸ばさない限り、触れ得ない位置で、手を止めた。
「私と友達になろうじゃないか。ソラウ・ヌァザ・ソフィアリ」
そう語りかけるアサシンの姿からは、法皇の如き神聖ささえ感じられた。
ソラウはしばらく、恐れるようにその手を見ていたが、アサシンの微笑みを見つめるうちに、心が奇妙に落ちついていく。
やがて震えながらも、自らの手を伸ばし、アサシンの手を、握った。その手は冷たく、凍るようだったが、強い力を感じさせた。だんだんと恐れが消え、胸の奥から、熱い何かがせり上がり、全身に満ちて行く。
その熱い衝動のまま、どんなことでもできそうな気分になってくる。ソラウは自分から、悪を抑える、理性や良心といったブレーキが、外されたことを自覚した。
そしてそれでいいと思えた。ランサーを手に入れるためならば、悪魔に魂を売ることなど、容易いことだ。いや、彼こそは法皇だ。道を教え、導く者。ただそれが、悪の道だというだけだ。正義では得られぬものを与えてくれる、暗黒の法皇。
(私は、彼を信じよう)
こうして、ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリの破滅は、始まった。
……To Be Continued
- タルカスのステータス
【CLASS】バーサーカー
【真名】タルカス
【性別】男性
【属性】混沌・狂
【ステータス】筋力A 耐久B 敏捷B 魔力D 幸運D 宝具B
【クラス別能力】
- 狂化:D
【固有スキル】
- 無窮の武練:A
心技体の完全な合一により、いかなる精神的制約の影響下にあっても十全の戦闘能力を発揮できる。
- 戦闘続行:A
【宝具】
【双首竜の鎖(チェーン・デスマッチ)】
ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:2〜4 最大捕捉:1人
両端に首輪のついた鎖。二人の人間が、互いに首輪をつけ、鎖に繋がったまま闘う、チェーン・デスマッチを行うためのもの。首輪をはずす鍵は、相手側の首輪についており、相手の首を取らなければ、自由になることはできない。ただそれだけの道具であるが、宝具化しているため、その頑丈さは対城宝具レベルの攻撃でなければ、破壊できないほどである。
◆
【他が為の憤怒(モラルタ)】
ランク:B+ 種別:対軍宝具 レンジ:1〜20 最大捕捉:1〜100人
ディルムッド・オディナが、『ベガルタ(小怒、小なる激情)』と共に持っていた魔剣。『大怒、大なる激情』の意味を持つ。
一振りしただけで複数の斬撃を同時に放つ、いわゆる『多重次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)』を引き起こす。
斬撃の数、届く範囲は、持ち主の実力に比例し、ランサーが使えば最大で半径20メートル圏内に、100振りの斬撃を一度に生み出せる。ただし、斬撃の威力、速度、精度などの質は、『燕返し』に比べると格段に劣る。
ウェイバーの魔力では、生み出せる刃の数は5本まで。範囲は半径2メートル強である。【他が為の憤怒(モラルタ)】を装備したウェイバーの力は、第一部スピードワゴンと互角程度になる。
◆
『死髪舞剣(ダンス・マカブヘアー)』
ウェイバーが創ったオリジナルの魔術。髪の毛を操作し、動かしたり、伸び縮みさせたりできる。自分の体を使っている為、アイリスフィールが使う針金の操作などよりはずっと簡単。出せる力は並みの成人男性の腕力程度。
2012年07月23日(月) 19:12:15 Modified by ID:/PDlBpNmXg