イリヤの奇妙な冒険7
【Fate/kaleid ocean ☆ イリヤの奇妙な冒険】
『7:Game――勝負』
【偉人伝・第23代合衆国大統領ファニー・ヴァレンタイン】
ヴァレンタイン大統領が行った最後の事業は、『スティール・ボール・ラン』レースの開催である。
1890年9月25日、午前10時00分、『スティール・ボール・ラン』レースはスタートした。太平洋『サンディエゴ』をスタートとし、ゴールを『ニューヨーク』とする、人類史上初の乗馬による北米大陸横断レースである。
大会プロモーター、スティーブン・スティール氏によって企画され、イースト・アンド・ウェスト新聞社、ハーウェイ財団、ウィンチェスター連発銃製造会社、ヴァン=フェム財閥などのスポンサーの協力で実現したもので、総距離約6000キロメートル。優勝賞金5千万ドル(60億円)。参加者3600名以上。まさしく空前絶後の大レースと言えた。
華やかで壮大なレースの影には多数の死亡者が出ており、その中にはムジーク家やアイスコル家、フォルヴェッジ家といった外国の名家の関係者も多く、レースに批判の声をあげる者も多かったが、レースによる経済効果が7兆円と発表されたこと、スティーブン・スティール氏が個人的利益の全額を寄付すると発表したことから、批判の声は止んだ。
しかし、このレースの閉幕式スピーチを行うはずのヴァレンタイン大統領は現れず、代わりにニューヨーク市長がスピーチをした。この後、ヴァレンタイン大統領は誰の前にも姿を見せることなく、後日、心臓発作により死亡したことが発表される。
この突然の出来事から、ヴァレンタイン大統領の病死は、ケネディ大統領暗殺に並ぶ、アメリカ大統領にまつわるミステリーや陰謀論の代表格となっている。
また、ヴァレンタイン大統領にはオカルト趣味があり、魔術師を自称する《エインズワース》なる人物との交流があったという記録が、メモの一部から見られることが、彼にまつわるミステリーに拍車をかけている。
◆
イリヤは、いきなり激怒し始めた、目の前の眼鏡メイドにビビりながらも、ルビーの柄を握る。
「な、なんかわかんないけど、行くよルビー!」
《気をつけてくださいイリヤさん! おそらく彼女は、この聖杯戦争のマスター! きっと近くにサーヴァントがいます!》
光が弾け、イリヤは瞬時に多元転身(プリズムトランス)し、セレニケと睨みあう。
「ふぅん、意外と素早いわね。ステッキを使う前に殺さなかったのはまずかったかしら………けど性分なのよねぇ」
セレニケの蛇のような眼が、ヌラリと不気味な輝きを増したようだった。
「弄んで、殺すのは」
「―――ッ!!」
背筋を凍りついた指で撫でられたような、おぞましい恐怖を抱いたイリヤは、相手が人間であるということも忘れて魔力弾を放とうと、両手でステッキを振りかぶった。
しかし、
ドッ……
鈍い音が、首の後ろで鳴る。針で刺されたような痛みを覚えたのは、その直後であった。
「!?」
反射的に右手をステッキから離し、首筋をさする。ほんの少しの液体の感触。右手を戻して、指先を見ると、ほんの少しながら赤色が付着していた。
「な、なぁ!」
《落ち着いてくださいイリヤさん! 物理保護が効きました! 薄皮一枚です!》
ルビーの声を聞き、パニックになろうとしていたイリヤの精神が、どうにか保つ。
「い、一体、誰が……」
イリヤは周囲を見回す。
その結果、発見したのは、さきほどイリヤを傷つけた凶器とおぼしき、地に落ちた、黒い短剣。
そして、
「…………ッ!!」
イリヤの思考が吹き飛び、顔から血の気が引いていく。
彼女が見つけたのは、周囲を完全に取り囲み、公園を埋め尽くす、白い髑髏の仮面と黒衣をまとった、怪人の群れ。
その数、少なくとも50以上。
「あら素敵。幼女趣味や同性愛趣味はないつもりなんだけど、今の表情は中々いいわね。『この後』が楽しみになってくるじゃない」
セレニケが鋭く長い針を取り出す。赤黒い血の浸み込んだ、年期の入った拷問用の針だ。
「その魔術礼装、カレイドステッキを頂いてから、じっくり愉しんであげましょう。まずは、指と爪の間に、一本ずつ針を刺し込むところから……」
冗談ではない。と言いたいイリヤだが、相手が本気なのが不幸にも伝わってきてしまった。いくら多勢に無勢とはいえ、諦めてはいられない。せめて、全力で魔力弾を叩き込もうとしたところで、
「あ、あれ………?」
体が、思うように動かない。
足から力が抜けて行き、立っていることさえできなくなる。
《魔力循環に澱みが……!? 物理保護が維持できません!! げ、解毒が……間に合いません!》
大地に崩れ落ちる少女を、セレニケと多数の怪人は、冷酷に見つめていた。
最初にイリヤを傷つけた短剣には、『毒』が仕込まれていたのだ。
そして、数十体の髑髏の仮面たちは、更に無数の『毒』を塗られた短剣を取り出し、イリヤへと狙いを定める。
サーヴァント・アサシン。
サーヴァントの中では弱小と見られる暗殺者。確かに、力も速さも持たないが、殺すことにかけては、他のサーヴァントにもひけはとらない。
そして、動くことも守ることもできないイリヤは、もはや獲物ですらない。食卓に置かれた、料理だ。
(あ……ああ………)
絶望に染まる、イリヤの表情。目じりに浮かぶ涙。
その有様に、セレニケの胸中が、幸福感で満たされようとしたとき、
ズガァァッ!!
セレニケに向けて、鮮烈な魔力弾が撃ち込まれた。
「がっ!? な、なにぃ!?」
盛大に吹き飛ばされ、公園内に立つ木に叩きつけられながらも、魔術による肉体強化と防御に助けられたか、痛みを堪えて立ち上がるセレニケ。そんな彼女に更なる魔力弾が、今度はアサシンの群体全てにも降り注ぐような、散弾として、放たれる。
「チィッ! アサシン!!」
セレニケの声にアサシンが動き、短剣が放たれ、魔力弾が撃ち落とされる。
「いったい、何………?」
突然の事態に、イリヤも混乱する。ただ、どうやら魔力弾がイリヤの倒れている位置周辺に放たれていないことから、イリヤを傷つけることは避けているとうかがえた。
《とりあえずは、味方の救援と思っていいんじゃないですかねー。あ、毒の除去が終わりました! とにかくサーヴァントの包囲網から脱出しましょう!》
「うん!! えーい!! シュートッ!!」
振り絞った巨大な一撃が、アサシンの壁の一部を突き破る。
吹き散らされた髑髏の仮面の穴を駆け抜け、イリヤはまだ重く感じる体を必死に動かし、公園の外へと消えて行った。
「くっ! あのクソガキめ………」
悪態をつくも、セレニケにイリヤを追う意思はない。走れば自動車並みの速度を出せる魔法少女に、そう簡単に追い付けるものではないし、公園の外には、人払いの結界も張っていない。人目のつくところで戦闘はできなかった。
イリヤが脱出してからしばらくすると、散弾の雨もやむ。
(イリヤスフィールが助かったと見て、攻撃をやめた………あの攻撃は、おそらくもう一本のステッキによるもの。ここで畳みかけてこないということは、遠坂凛ら、他の戦力はいないと見える。ここで戦うつもりはないということね)
状況を分析後、敵は完全に離脱したと判断し、セレニケもまた、撤退することにした。
(サーヴァントを戦闘で使ったのは初めてだけど、命令以外の行動はほとんど期待できないようね。気配を操ることには最も長けているはずのアサシンが、不意打ちに気付かないなんて。次からは新手への対応を、あらかじめ命じておかないと……)
理性を失った黒化英霊の使い方について考えながら、メイド服の魔女は公園を出るのだった。
◆
かつて間桐家であった場所の地下から、黒衣の人影が這い出てくる。
全身を黒で装った怪人は、沈みゆく太陽を眺め、自分たちの時間が来る事を実感していた。
「行クゾ、セイバー。狩リノ時間ダ」
黒衣の呼びかけに、背後にいた女性が付き従う。
女性は黒い鎧を身につけ、バイザーのようなもので目元を隠している為、顔の詳細はわからないが、輪郭は非常に形のいい、美しいものであった。
その手には黒く唸る魔剣を握り、ただそこにいるだけで、周囲に圧迫を与えるような存在感があった。
サーヴァント・セイバー。
高い戦闘力と魔力を誇る、サーヴァントの中でも最優とされる剣騎士のクラス。
「生憎、ソノ剣ヲ振ルウホドノ相手デハナイガナ。ダガ、今回ノ相手ハ、言ウナレバ『馬』ダ。『馬』ヲ射レバ『将』ガ怒ラナイハズガナナイ。『将』ガ出テカラガ、貴様ノ出番ダ」
黒いローブの怪人はその手に、黒い布で包まれた細長い物を握っていた。
それは、怪人にとっての『魔法使いの杖』。怪人の『象徴』。
「勿論、『馬』ダケデナク『将』ヲ射ル機会ガアレバ、ソノ時ハ貴様ガ出ルマデモナイコトデアルガ」
黒い布が剥ぎ取られた中身は、更にまた、黒い鋼によってできていた。
かつて、新大陸と呼ばれた地で、無数の先住民を虐殺し、南北がぶつかり合った内乱の中で数えきれぬ命を消し去った『魔法使いの杖』。
その名は、『ウインチェスター・ライフル』。
数多の救われぬ魂を怨霊へと成り果てさせた、呪われた武器。
かつてそれを製造した者の家系は、ほとんどが死に絶え、最後の一人となった未亡人、サラ・パーディ・ウィンチェスターも、悪霊の崇りに怯えて生きたという。
「今ノ私ハ『ミセス・ウィンチェスター』。悪霊ニ呪ワレタ者。呪ワレルベキ悪ニ相違ナイ。ソレデモナオ、私ハ生キテ行ク………コノ手デ殺シタ悪霊ニ呪ワレナガラモ、己ノ意思ノママニ、生キ続ケテ見セル……!」
それは歌うような、祈るような、挑むような、嘲るような、いずれともつかぬ、不思議な決意表明であった。
◆
公園から多少離れた、大声を出せば誰かの耳に届くだろう大きめの街道に出て、イリヤはほっと息をつく。
「はぁ〜、た、助かったみたいだね」
《はい! いやぁ、昨夜といい、今といい、九死に一生続きで困りますねぇ。こういうサツバツとしたものはルビーちゃん好みません。日常ドタバタコメディで充分です》
イリヤは、首筋に手を伸ばす。もう傷は再生しているが、本当に危ないところだったのだ。思い出しても背筋が凍る。
「それにしても、助けてくれたのは誰だろう?」
《そうですね〜、攻撃の手段についてはわかるんですが……》
ルビーが心当たりを話しだす前に、
「………」
《大丈夫ですか?》
答えの方から自ら現れた。
頭上からかけられた声に顔を上げると、塀の上に立つ、一人の少女の姿があった。
少女の姿は、イリヤのまとうものとは異なるが、本質としては同じ――魔法少女という名称のイメージと一致する類のものであった。
そして、イリヤはその少女のことを知っていた。その硬質な可憐さを知っていた。
「美、美遊ちゃん?」
《ああ、やっぱりサファイアちゃんでしたか! なんというグッドタイミング!! お姉ちゃん感激です!!》
美遊・エーデルフェルト、今日転校してきたばかりの同級生は、塀の上から飛び降り、イリヤの前にスタリと降り立つ。
《はじめまして、イリヤ様。私はサファイアと申します。姉がお世話になっております》
美遊の手の中の青いステッキがクニャリと曲がる。イリヤにおじぎをしたということなのだろう。
「は、はい、どうも……」
以前、ルビーから同時につくられた姉妹のステッキがあることは聞いていたが、どうやらルビーよりは真面目で礼儀正しそうであると、声の調子や態度から感じ取った。
一方、美遊の方は、いまだに喋ることもなく、イリヤの方をじっと見つめるばかりだった。
「美遊ちゃんも……魔法少女だったんだ」
急な転校生という展開から、なんとなくそうではないかと予想はしていたが、実際そうであったという事実を前に、イリヤは結局当惑してしまう。
イリヤはおそるおそる声をかける。
「え、えーと、さっきはありがとう。間一髪のところで……」
「なんで?」
「え?」
突然、美遊から放たれた疑問の言葉に、ついイリヤも疑問符つきの言葉で返してしまう。
イリヤの表情を見て、美遊は少し黙って、言葉を変える。
「………貴方も、巻き込まれてカードの回収を?」
「え? ああ、うん。なりゆきというか、無理矢理騙されてというか……」
「………そう」
そしてまた沈黙する。この会話が続かず、途切れ途切れになるテンポに、イリヤは微妙な居心地の悪さを覚える。
「え、え〜と」
「………それじゃあ、貴方は」
今度はイリヤが自分から何かを言おうとしていると、再度、美遊の質問が投げかけられた。
「どうして、戦うの?」
「え……? どうして……って?」
イリヤはぽかんとした表情で聞き返す。
「ただ巻き込まれただけなんでしょう? 貴方には、戦う義務も責任もない」
「だ…だってルビーが……」
「本気で拒否すればルビーだって諦めるはず」
「う……」
確かに、ルビーは性悪ではあるが邪悪ではない。心から無理であると告げれば、しつこく勧誘はするだろうが、最終的には渋々諦めるであろう。
けれど、イリヤは拒否しなかった。迷い、恐れながらも、戦いに乗った。
「ホントのこと言うとね……ちょっとだけこういうのに憧れてたんだ」
何も隠さずに正直に言えば、それが理由であった。
「ホラ、これっていかにもアニメとかゲームみたいな状況じゃない?」
「ゲーム……?」
アニメや特撮では、変身ヒーローや超能力者といった、超人に、ある日突然なってしまった登場人物が描写されることがあるが、そういった人物は、大抵、特殊な力を持ってしまったことに恐怖し、苦悩するように描かれている。
けれど、実際に常人以上の能力を得たら、普通の人間ならラッキーと思うのではないだろうか。特殊な状況に置かれることに恐怖もあるだろうが、未知の興奮を抱くことを否定できるだろうか。
「うん。まほーを使って戦うとか……伝説の英雄が現代に召喚された敵とか……冗談みたいな話しだけど、ちょっとワクワクしちゃうって言うか……」
少なくとも、イリヤスフィールという人間は、2度に渡る敗北と、命の危険を実感しながらも、照れ笑いを浮かべながらこのように言えるほどには、強く前向きで、平穏な日々を外れた特別を望む、夢見る少女であった。
「せっかくだから、このカード回収ゲームも楽しんじゃおーかなーって……」
「もういいよ」
「………え?」
しかし、美遊はそんなイリヤの言葉を、冷たい声音で遮った。変身を解き、学校の制服姿に戻った美遊は、イリヤの脇を抜けて、道を歩み去っていく。
「その程度? そんな理由で戦うの?」
「え……な、なに?」
今までよりも更に冷たい表情で、急に突き放したような態度をとる美遊に、イリヤは慌てる。イリヤの目に映る美遊の背中は、硬い拒絶の意志を宿しているように見えた。
「遊び半分の気持ちで英霊を打倒できるとでも?」
美遊の顔が、少しだけ背後のイリヤへと向けられる。その眼は、庭木の伸び過ぎた邪魔な枝を見るような、煩わしげな眼だった。『もう少し伸びたら切り落とさなくちゃな』という感じの。
「貴方は戦わなくていい。カードの回収は全部私がやる。せめて、私の邪魔だけはしないで」
◆
「………まったく、私は何をやっているのかしらね」
ランサーは、愚痴を抑えられない心境であった。
彼女は現在、アインツベルン家の正面玄関が見える位置に生えている木の上にいた。体を糸状に解した彼女は、枝や葉の影に身を隠すことができ、ちょっと見たくらいでは、ばれることはない。
サーヴァントである以上、空腹や疲労は無いといえど、ストーカーのように半日の間、他人の家を見続けることは精神的にいいものではない。
「あのクソマスター………こんなことやらせやがって」
ランサーのマスターはまず典型的な魔術師と言っていいだろう。それも悪い方向に典型的な魔術師だ。常識の枠外の術理を操るという誇りを、驕りの域にまで肥大化させ、他者を見下し、自分の目的のために何をしてもいいと考えている。
確かに魔術の腕は並み以上であるし、頭の切れもいい、優秀な魔術師であるが、一般人を何人傷つけ、殺すこともいとわない姿勢は、ランサーとは相容れなかった。
(向こうもこっちを嫌ってるでしょうけど。能力は『体を糸に変えられる』ってことしか言っていないし、攻撃力の無い弱いサーヴァントだと思われている………切り捨てられるのも時間の問題でしょうね)
あのマスターに召喚されてしまった以上、自分の聖杯戦争は詰んでいる。
もともとこんな歪んだ特殊すぎる聖杯戦争、まともに願いを叶えてくれるかわかったものではないが、それでも僅かにはあった期待も、もはや無い。
(せめて………あの子たちに迷惑かけない形で終わりたいわね………)
既に充分迷惑をかけたところではあるが、ランサーはそう思わずにいられない。
イリヤスフィール。多くの愛を受けて、健やかに育った少女。それでいて、勝ち目のない敵を相手に、ランサーを護ろうとする、勇気のある少女。
(生前も、結局は子供に全部おしつけちゃったしね………)
イルカに乗せて逃がした少年の泣き顔を思い出し、ランサーは決意を固める。
たとえ何があろうと、マスターから令呪を使われようと、イリヤたちを傷つけるような真似はすまいと。
(しっかし……それはそれとして………何なのかしらね。あの向かいのアレは………)
ランサーが、アインツベルン家の向かいに建つそれに目を向けた時、ちょうど、イリヤが帰宅してきた。
◆
「何よ全く……大体、巻き込まれただけっていうんなら、あの子も一緒じゃない……なんであんなこと言われなきゃ………」
美遊の事情がどんなものかは知らないが、理屈ではなく上から目線でものを言われるとカチンとくるものである。
イリヤが苛立ちながら帰宅すると、門の外に、メイドのセラが立っていた。その表情は、何か困っているようであった。
「ただいまー、セラ。どうしたの? 何で外に?」
「あ、おかえりなさいイリヤさん。ええとですね……あれを……」
セラは、アインツベルン家の真向かいに向かって、白く細い指を向けた。
その指の示す方を見たイリヤは、目を丸くする。
「なっ、なにこの豪邸!?」
そこに建っていたのは、並みの一戸建ての10倍以上はあろう、まさに豪邸であった。
ただ大きいだけでなく、細部までしっかりと美しく整えられた西洋風の建築。庭の手入れも行き届いているようだった。
「こんなのウチの目の前に建ってたっけ!?」
「今朝から工事が始まったと思ったら……あっという間にお屋敷ができあがったんです」
イリヤの疑問に、現実を認めきれない様子のセラが、乾いた声で答える。時間にして半日以下で、どのように建てたのか、さっぱりわからない。
「昨日まで普通の民家が建ち並んでいたはずなのに……」
「いったいどんな人が住むの……」
あらゆる意味で謎のお屋敷を前に、二人が恐々としていると、
「あ」
「ん?」
背後からの声を聞き、イリヤが振り返る。
そこには、さっき手酷く突き放してきた相手、美遊・エーデルフェルトが立っていた。
「………」
「………」
しばし、無言で顔を合わせた後、美遊はフッとイリヤから視線を逸らし、せかせかとした素早い動作で、目の前の『豪邸』へと入っていった。
「あ! ちょっと!! え? 入っていくってことは……この豪邸、美遊さんの家……?」
その言葉に、美遊はやや気まずげに、やや気恥ずかしげに眼だけを動かし、視線をイリヤに向け、
「………まぁ、そんな感じ」
やはり無表情のままそう言って、門を閉め、姿を消した。
「なんだか、おかしなコトになってきたね?」
《しかし、ついさっきケンカ別れしたばかりだと言うのに……なんとも間が悪いというか、カッコつかないですねー》
「うーん、でも、ま、どっちにしろ……」
イリヤはポケットから折り畳まれた紙を取り出し、広げる。その紙には、昨日と同様に定規で書かれた字と、地図が記されていた。
『今夜0時、地図で示した場所まで来るべし』
「今夜、また会うだろうしね」
……To Be Continued
『7:Game――勝負』
【偉人伝・第23代合衆国大統領ファニー・ヴァレンタイン】
ヴァレンタイン大統領が行った最後の事業は、『スティール・ボール・ラン』レースの開催である。
1890年9月25日、午前10時00分、『スティール・ボール・ラン』レースはスタートした。太平洋『サンディエゴ』をスタートとし、ゴールを『ニューヨーク』とする、人類史上初の乗馬による北米大陸横断レースである。
大会プロモーター、スティーブン・スティール氏によって企画され、イースト・アンド・ウェスト新聞社、ハーウェイ財団、ウィンチェスター連発銃製造会社、ヴァン=フェム財閥などのスポンサーの協力で実現したもので、総距離約6000キロメートル。優勝賞金5千万ドル(60億円)。参加者3600名以上。まさしく空前絶後の大レースと言えた。
華やかで壮大なレースの影には多数の死亡者が出ており、その中にはムジーク家やアイスコル家、フォルヴェッジ家といった外国の名家の関係者も多く、レースに批判の声をあげる者も多かったが、レースによる経済効果が7兆円と発表されたこと、スティーブン・スティール氏が個人的利益の全額を寄付すると発表したことから、批判の声は止んだ。
しかし、このレースの閉幕式スピーチを行うはずのヴァレンタイン大統領は現れず、代わりにニューヨーク市長がスピーチをした。この後、ヴァレンタイン大統領は誰の前にも姿を見せることなく、後日、心臓発作により死亡したことが発表される。
この突然の出来事から、ヴァレンタイン大統領の病死は、ケネディ大統領暗殺に並ぶ、アメリカ大統領にまつわるミステリーや陰謀論の代表格となっている。
また、ヴァレンタイン大統領にはオカルト趣味があり、魔術師を自称する《エインズワース》なる人物との交流があったという記録が、メモの一部から見られることが、彼にまつわるミステリーに拍車をかけている。
◆
イリヤは、いきなり激怒し始めた、目の前の眼鏡メイドにビビりながらも、ルビーの柄を握る。
「な、なんかわかんないけど、行くよルビー!」
《気をつけてくださいイリヤさん! おそらく彼女は、この聖杯戦争のマスター! きっと近くにサーヴァントがいます!》
光が弾け、イリヤは瞬時に多元転身(プリズムトランス)し、セレニケと睨みあう。
「ふぅん、意外と素早いわね。ステッキを使う前に殺さなかったのはまずかったかしら………けど性分なのよねぇ」
セレニケの蛇のような眼が、ヌラリと不気味な輝きを増したようだった。
「弄んで、殺すのは」
「―――ッ!!」
背筋を凍りついた指で撫でられたような、おぞましい恐怖を抱いたイリヤは、相手が人間であるということも忘れて魔力弾を放とうと、両手でステッキを振りかぶった。
しかし、
ドッ……
鈍い音が、首の後ろで鳴る。針で刺されたような痛みを覚えたのは、その直後であった。
「!?」
反射的に右手をステッキから離し、首筋をさする。ほんの少しの液体の感触。右手を戻して、指先を見ると、ほんの少しながら赤色が付着していた。
「な、なぁ!」
《落ち着いてくださいイリヤさん! 物理保護が効きました! 薄皮一枚です!》
ルビーの声を聞き、パニックになろうとしていたイリヤの精神が、どうにか保つ。
「い、一体、誰が……」
イリヤは周囲を見回す。
その結果、発見したのは、さきほどイリヤを傷つけた凶器とおぼしき、地に落ちた、黒い短剣。
そして、
「…………ッ!!」
イリヤの思考が吹き飛び、顔から血の気が引いていく。
彼女が見つけたのは、周囲を完全に取り囲み、公園を埋め尽くす、白い髑髏の仮面と黒衣をまとった、怪人の群れ。
その数、少なくとも50以上。
「あら素敵。幼女趣味や同性愛趣味はないつもりなんだけど、今の表情は中々いいわね。『この後』が楽しみになってくるじゃない」
セレニケが鋭く長い針を取り出す。赤黒い血の浸み込んだ、年期の入った拷問用の針だ。
「その魔術礼装、カレイドステッキを頂いてから、じっくり愉しんであげましょう。まずは、指と爪の間に、一本ずつ針を刺し込むところから……」
冗談ではない。と言いたいイリヤだが、相手が本気なのが不幸にも伝わってきてしまった。いくら多勢に無勢とはいえ、諦めてはいられない。せめて、全力で魔力弾を叩き込もうとしたところで、
「あ、あれ………?」
体が、思うように動かない。
足から力が抜けて行き、立っていることさえできなくなる。
《魔力循環に澱みが……!? 物理保護が維持できません!! げ、解毒が……間に合いません!》
大地に崩れ落ちる少女を、セレニケと多数の怪人は、冷酷に見つめていた。
最初にイリヤを傷つけた短剣には、『毒』が仕込まれていたのだ。
そして、数十体の髑髏の仮面たちは、更に無数の『毒』を塗られた短剣を取り出し、イリヤへと狙いを定める。
サーヴァント・アサシン。
サーヴァントの中では弱小と見られる暗殺者。確かに、力も速さも持たないが、殺すことにかけては、他のサーヴァントにもひけはとらない。
そして、動くことも守ることもできないイリヤは、もはや獲物ですらない。食卓に置かれた、料理だ。
(あ……ああ………)
絶望に染まる、イリヤの表情。目じりに浮かぶ涙。
その有様に、セレニケの胸中が、幸福感で満たされようとしたとき、
ズガァァッ!!
セレニケに向けて、鮮烈な魔力弾が撃ち込まれた。
「がっ!? な、なにぃ!?」
盛大に吹き飛ばされ、公園内に立つ木に叩きつけられながらも、魔術による肉体強化と防御に助けられたか、痛みを堪えて立ち上がるセレニケ。そんな彼女に更なる魔力弾が、今度はアサシンの群体全てにも降り注ぐような、散弾として、放たれる。
「チィッ! アサシン!!」
セレニケの声にアサシンが動き、短剣が放たれ、魔力弾が撃ち落とされる。
「いったい、何………?」
突然の事態に、イリヤも混乱する。ただ、どうやら魔力弾がイリヤの倒れている位置周辺に放たれていないことから、イリヤを傷つけることは避けているとうかがえた。
《とりあえずは、味方の救援と思っていいんじゃないですかねー。あ、毒の除去が終わりました! とにかくサーヴァントの包囲網から脱出しましょう!》
「うん!! えーい!! シュートッ!!」
振り絞った巨大な一撃が、アサシンの壁の一部を突き破る。
吹き散らされた髑髏の仮面の穴を駆け抜け、イリヤはまだ重く感じる体を必死に動かし、公園の外へと消えて行った。
「くっ! あのクソガキめ………」
悪態をつくも、セレニケにイリヤを追う意思はない。走れば自動車並みの速度を出せる魔法少女に、そう簡単に追い付けるものではないし、公園の外には、人払いの結界も張っていない。人目のつくところで戦闘はできなかった。
イリヤが脱出してからしばらくすると、散弾の雨もやむ。
(イリヤスフィールが助かったと見て、攻撃をやめた………あの攻撃は、おそらくもう一本のステッキによるもの。ここで畳みかけてこないということは、遠坂凛ら、他の戦力はいないと見える。ここで戦うつもりはないということね)
状況を分析後、敵は完全に離脱したと判断し、セレニケもまた、撤退することにした。
(サーヴァントを戦闘で使ったのは初めてだけど、命令以外の行動はほとんど期待できないようね。気配を操ることには最も長けているはずのアサシンが、不意打ちに気付かないなんて。次からは新手への対応を、あらかじめ命じておかないと……)
理性を失った黒化英霊の使い方について考えながら、メイド服の魔女は公園を出るのだった。
◆
かつて間桐家であった場所の地下から、黒衣の人影が這い出てくる。
全身を黒で装った怪人は、沈みゆく太陽を眺め、自分たちの時間が来る事を実感していた。
「行クゾ、セイバー。狩リノ時間ダ」
黒衣の呼びかけに、背後にいた女性が付き従う。
女性は黒い鎧を身につけ、バイザーのようなもので目元を隠している為、顔の詳細はわからないが、輪郭は非常に形のいい、美しいものであった。
その手には黒く唸る魔剣を握り、ただそこにいるだけで、周囲に圧迫を与えるような存在感があった。
サーヴァント・セイバー。
高い戦闘力と魔力を誇る、サーヴァントの中でも最優とされる剣騎士のクラス。
「生憎、ソノ剣ヲ振ルウホドノ相手デハナイガナ。ダガ、今回ノ相手ハ、言ウナレバ『馬』ダ。『馬』ヲ射レバ『将』ガ怒ラナイハズガナナイ。『将』ガ出テカラガ、貴様ノ出番ダ」
黒いローブの怪人はその手に、黒い布で包まれた細長い物を握っていた。
それは、怪人にとっての『魔法使いの杖』。怪人の『象徴』。
「勿論、『馬』ダケデナク『将』ヲ射ル機会ガアレバ、ソノ時ハ貴様ガ出ルマデモナイコトデアルガ」
黒い布が剥ぎ取られた中身は、更にまた、黒い鋼によってできていた。
かつて、新大陸と呼ばれた地で、無数の先住民を虐殺し、南北がぶつかり合った内乱の中で数えきれぬ命を消し去った『魔法使いの杖』。
その名は、『ウインチェスター・ライフル』。
数多の救われぬ魂を怨霊へと成り果てさせた、呪われた武器。
かつてそれを製造した者の家系は、ほとんどが死に絶え、最後の一人となった未亡人、サラ・パーディ・ウィンチェスターも、悪霊の崇りに怯えて生きたという。
「今ノ私ハ『ミセス・ウィンチェスター』。悪霊ニ呪ワレタ者。呪ワレルベキ悪ニ相違ナイ。ソレデモナオ、私ハ生キテ行ク………コノ手デ殺シタ悪霊ニ呪ワレナガラモ、己ノ意思ノママニ、生キ続ケテ見セル……!」
それは歌うような、祈るような、挑むような、嘲るような、いずれともつかぬ、不思議な決意表明であった。
◆
公園から多少離れた、大声を出せば誰かの耳に届くだろう大きめの街道に出て、イリヤはほっと息をつく。
「はぁ〜、た、助かったみたいだね」
《はい! いやぁ、昨夜といい、今といい、九死に一生続きで困りますねぇ。こういうサツバツとしたものはルビーちゃん好みません。日常ドタバタコメディで充分です》
イリヤは、首筋に手を伸ばす。もう傷は再生しているが、本当に危ないところだったのだ。思い出しても背筋が凍る。
「それにしても、助けてくれたのは誰だろう?」
《そうですね〜、攻撃の手段についてはわかるんですが……》
ルビーが心当たりを話しだす前に、
「………」
《大丈夫ですか?》
答えの方から自ら現れた。
頭上からかけられた声に顔を上げると、塀の上に立つ、一人の少女の姿があった。
少女の姿は、イリヤのまとうものとは異なるが、本質としては同じ――魔法少女という名称のイメージと一致する類のものであった。
そして、イリヤはその少女のことを知っていた。その硬質な可憐さを知っていた。
「美、美遊ちゃん?」
《ああ、やっぱりサファイアちゃんでしたか! なんというグッドタイミング!! お姉ちゃん感激です!!》
美遊・エーデルフェルト、今日転校してきたばかりの同級生は、塀の上から飛び降り、イリヤの前にスタリと降り立つ。
《はじめまして、イリヤ様。私はサファイアと申します。姉がお世話になっております》
美遊の手の中の青いステッキがクニャリと曲がる。イリヤにおじぎをしたということなのだろう。
「は、はい、どうも……」
以前、ルビーから同時につくられた姉妹のステッキがあることは聞いていたが、どうやらルビーよりは真面目で礼儀正しそうであると、声の調子や態度から感じ取った。
一方、美遊の方は、いまだに喋ることもなく、イリヤの方をじっと見つめるばかりだった。
「美遊ちゃんも……魔法少女だったんだ」
急な転校生という展開から、なんとなくそうではないかと予想はしていたが、実際そうであったという事実を前に、イリヤは結局当惑してしまう。
イリヤはおそるおそる声をかける。
「え、えーと、さっきはありがとう。間一髪のところで……」
「なんで?」
「え?」
突然、美遊から放たれた疑問の言葉に、ついイリヤも疑問符つきの言葉で返してしまう。
イリヤの表情を見て、美遊は少し黙って、言葉を変える。
「………貴方も、巻き込まれてカードの回収を?」
「え? ああ、うん。なりゆきというか、無理矢理騙されてというか……」
「………そう」
そしてまた沈黙する。この会話が続かず、途切れ途切れになるテンポに、イリヤは微妙な居心地の悪さを覚える。
「え、え〜と」
「………それじゃあ、貴方は」
今度はイリヤが自分から何かを言おうとしていると、再度、美遊の質問が投げかけられた。
「どうして、戦うの?」
「え……? どうして……って?」
イリヤはぽかんとした表情で聞き返す。
「ただ巻き込まれただけなんでしょう? 貴方には、戦う義務も責任もない」
「だ…だってルビーが……」
「本気で拒否すればルビーだって諦めるはず」
「う……」
確かに、ルビーは性悪ではあるが邪悪ではない。心から無理であると告げれば、しつこく勧誘はするだろうが、最終的には渋々諦めるであろう。
けれど、イリヤは拒否しなかった。迷い、恐れながらも、戦いに乗った。
「ホントのこと言うとね……ちょっとだけこういうのに憧れてたんだ」
何も隠さずに正直に言えば、それが理由であった。
「ホラ、これっていかにもアニメとかゲームみたいな状況じゃない?」
「ゲーム……?」
アニメや特撮では、変身ヒーローや超能力者といった、超人に、ある日突然なってしまった登場人物が描写されることがあるが、そういった人物は、大抵、特殊な力を持ってしまったことに恐怖し、苦悩するように描かれている。
けれど、実際に常人以上の能力を得たら、普通の人間ならラッキーと思うのではないだろうか。特殊な状況に置かれることに恐怖もあるだろうが、未知の興奮を抱くことを否定できるだろうか。
「うん。まほーを使って戦うとか……伝説の英雄が現代に召喚された敵とか……冗談みたいな話しだけど、ちょっとワクワクしちゃうって言うか……」
少なくとも、イリヤスフィールという人間は、2度に渡る敗北と、命の危険を実感しながらも、照れ笑いを浮かべながらこのように言えるほどには、強く前向きで、平穏な日々を外れた特別を望む、夢見る少女であった。
「せっかくだから、このカード回収ゲームも楽しんじゃおーかなーって……」
「もういいよ」
「………え?」
しかし、美遊はそんなイリヤの言葉を、冷たい声音で遮った。変身を解き、学校の制服姿に戻った美遊は、イリヤの脇を抜けて、道を歩み去っていく。
「その程度? そんな理由で戦うの?」
「え……な、なに?」
今までよりも更に冷たい表情で、急に突き放したような態度をとる美遊に、イリヤは慌てる。イリヤの目に映る美遊の背中は、硬い拒絶の意志を宿しているように見えた。
「遊び半分の気持ちで英霊を打倒できるとでも?」
美遊の顔が、少しだけ背後のイリヤへと向けられる。その眼は、庭木の伸び過ぎた邪魔な枝を見るような、煩わしげな眼だった。『もう少し伸びたら切り落とさなくちゃな』という感じの。
「貴方は戦わなくていい。カードの回収は全部私がやる。せめて、私の邪魔だけはしないで」
◆
「………まったく、私は何をやっているのかしらね」
ランサーは、愚痴を抑えられない心境であった。
彼女は現在、アインツベルン家の正面玄関が見える位置に生えている木の上にいた。体を糸状に解した彼女は、枝や葉の影に身を隠すことができ、ちょっと見たくらいでは、ばれることはない。
サーヴァントである以上、空腹や疲労は無いといえど、ストーカーのように半日の間、他人の家を見続けることは精神的にいいものではない。
「あのクソマスター………こんなことやらせやがって」
ランサーのマスターはまず典型的な魔術師と言っていいだろう。それも悪い方向に典型的な魔術師だ。常識の枠外の術理を操るという誇りを、驕りの域にまで肥大化させ、他者を見下し、自分の目的のために何をしてもいいと考えている。
確かに魔術の腕は並み以上であるし、頭の切れもいい、優秀な魔術師であるが、一般人を何人傷つけ、殺すこともいとわない姿勢は、ランサーとは相容れなかった。
(向こうもこっちを嫌ってるでしょうけど。能力は『体を糸に変えられる』ってことしか言っていないし、攻撃力の無い弱いサーヴァントだと思われている………切り捨てられるのも時間の問題でしょうね)
あのマスターに召喚されてしまった以上、自分の聖杯戦争は詰んでいる。
もともとこんな歪んだ特殊すぎる聖杯戦争、まともに願いを叶えてくれるかわかったものではないが、それでも僅かにはあった期待も、もはや無い。
(せめて………あの子たちに迷惑かけない形で終わりたいわね………)
既に充分迷惑をかけたところではあるが、ランサーはそう思わずにいられない。
イリヤスフィール。多くの愛を受けて、健やかに育った少女。それでいて、勝ち目のない敵を相手に、ランサーを護ろうとする、勇気のある少女。
(生前も、結局は子供に全部おしつけちゃったしね………)
イルカに乗せて逃がした少年の泣き顔を思い出し、ランサーは決意を固める。
たとえ何があろうと、マスターから令呪を使われようと、イリヤたちを傷つけるような真似はすまいと。
(しっかし……それはそれとして………何なのかしらね。あの向かいのアレは………)
ランサーが、アインツベルン家の向かいに建つそれに目を向けた時、ちょうど、イリヤが帰宅してきた。
◆
「何よ全く……大体、巻き込まれただけっていうんなら、あの子も一緒じゃない……なんであんなこと言われなきゃ………」
美遊の事情がどんなものかは知らないが、理屈ではなく上から目線でものを言われるとカチンとくるものである。
イリヤが苛立ちながら帰宅すると、門の外に、メイドのセラが立っていた。その表情は、何か困っているようであった。
「ただいまー、セラ。どうしたの? 何で外に?」
「あ、おかえりなさいイリヤさん。ええとですね……あれを……」
セラは、アインツベルン家の真向かいに向かって、白く細い指を向けた。
その指の示す方を見たイリヤは、目を丸くする。
「なっ、なにこの豪邸!?」
そこに建っていたのは、並みの一戸建ての10倍以上はあろう、まさに豪邸であった。
ただ大きいだけでなく、細部までしっかりと美しく整えられた西洋風の建築。庭の手入れも行き届いているようだった。
「こんなのウチの目の前に建ってたっけ!?」
「今朝から工事が始まったと思ったら……あっという間にお屋敷ができあがったんです」
イリヤの疑問に、現実を認めきれない様子のセラが、乾いた声で答える。時間にして半日以下で、どのように建てたのか、さっぱりわからない。
「昨日まで普通の民家が建ち並んでいたはずなのに……」
「いったいどんな人が住むの……」
あらゆる意味で謎のお屋敷を前に、二人が恐々としていると、
「あ」
「ん?」
背後からの声を聞き、イリヤが振り返る。
そこには、さっき手酷く突き放してきた相手、美遊・エーデルフェルトが立っていた。
「………」
「………」
しばし、無言で顔を合わせた後、美遊はフッとイリヤから視線を逸らし、せかせかとした素早い動作で、目の前の『豪邸』へと入っていった。
「あ! ちょっと!! え? 入っていくってことは……この豪邸、美遊さんの家……?」
その言葉に、美遊はやや気まずげに、やや気恥ずかしげに眼だけを動かし、視線をイリヤに向け、
「………まぁ、そんな感じ」
やはり無表情のままそう言って、門を閉め、姿を消した。
「なんだか、おかしなコトになってきたね?」
《しかし、ついさっきケンカ別れしたばかりだと言うのに……なんとも間が悪いというか、カッコつかないですねー》
「うーん、でも、ま、どっちにしろ……」
イリヤはポケットから折り畳まれた紙を取り出し、広げる。その紙には、昨日と同様に定規で書かれた字と、地図が記されていた。
『今夜0時、地図で示した場所まで来るべし』
「今夜、また会うだろうしね」
……To Be Continued
2016年02月24日(水) 02:07:13 Modified by ID:nVSnsjwXdg