大乗仏教の起源に関する最近の説

1. 佐々木閑のカルマベーダ起源説

『インド仏教変移論 なぜ仏教は多用化したのか』(2000)
 アショーカ王の分裂法勅 (Schism Edict) と漢訳『摩訶僧祇律』とを比較して、破僧定義に二種類があることを発見した。一つはデーヴァダッタの釈尊の教団に対する教義的な分裂チャクラベーダ(破輪) であり、他は教団の布薩 その他の儀式には他の比丘たちと共に出席するという点で教団の成員として認められながら、教義の上では自由に異義を唱え得るというカルマベーダ(破羯磨) である。この後者のカルマベーダは『摩訶僧祇律』から始まってやがてパーリ律、『四分律』、『五分律』のも採用された。説一切有部系の『十誦律』、『根本説一切有部律』では、正式にはチャクラベーダを主張しながら、釈尊の滅後にはその教団もすでにないのであるから、チャクラベーダも実際にはあり得ないとして、事実上、カルマベーダを容認するようになった。
 この破僧の第二の定義カルマベーダを採用すれば、同じ教団のなかにとどまりながら、一部の比丘たちが、空思想を強調したり、一方で具足戒を守りながら、在家の善男子・善女人を考慮して十善業という在家戒をも戒律と認めたり、変成男子を介して女人成仏を認めたりしても、教団の分裂を犯さないで小乗的な比丘たちと共住することもできる。佐々木はノーマンやベッフェルトなどの、破僧について大きな関心をもちながら、パーリ語には堪能であっても漢訳律典を十分に読まなかった西洋の学者達を批判して、カルマベーダによる大乗仏教教義の成立を説明することができた。
 この書物の付論のなかには「大乗仏教在家起源説の問題点」という小論が含まれていて、平川仮説批判がなされていて、平川説を支える4つの根拠を挙げ、そのいずれもが極めてあやふやな論証の上に成り立っていることを見せる。・大乗の菩薩は波羅提木叉ではなく十善戒を戒として用いる。・多くの大乗経典が比丘を非難している。という根拠に対しては、僧団は比丘=声聞乗の声聞のみで成り立っており、出家菩薩の集団はこの外部に存在するという平川の考える状況にたいして、声聞乗に属さない比丘(=出家菩薩)と声聞乗の比丘が共住する可能性を示唆して、伝統的部派僧団の内部で、従来の解脱道に逆らって新たに菩薩乗なる修行体系を考えた比丘たちがいて、彼らが中心となって大乗仏教運動が興隆したという、平川説とは全く違うアイデアを提示する。また、・漢訳経典のなかで大乗的な比丘たちの住居として現れる僧廟・僧坊・仏寺・精舎・伽藍などの語を平川はみな仏塔に帰しているのだが、佐々木は、これは平川が始めから在家仏教徒の住居を仏塔と考えていた先入観にもとづくものとして不滿を表明している。さらに、・平川によれば、「異なる教義を主張する者が同一僧団の中で共住することは不可能であるから、小乗教団の中から大乗が発生したと考えることはできない」という理由から、大乗仏教は仏塔を中心に生活していた在家者の集団から発生したことになるという結論を導くのであるが、「破僧定義の変更によって異なる教義を有する者同士でも僧団行事(羯磨)を一緒に行っている限り、破僧にはならない」と破僧定義がアショーカ王時代に変更されたとすれば、この平川の根拠は脆くも崩れ去ってしまう。

2. 袴谷憲昭の大乗仏教出家教団起源説

 大乗仏教は伝統的仏教教団そのものの中で起り展開してきたとする「大乗仏教出家教団起源説」を、ほぼ十年ほどまえから主張してきた「悪業払拭の儀式関連経典雑考」をまとめて、現時点での書き下ろしを加えて発表したもの。
 その主張のポイントを簡単に示すと、インドにおける伝統的仏教教団の確立拡大と共に出家者の分業も進み、そこに通インド的なヒンドゥー的通念が浸透することによって、出家者の中の後々「出家菩薩」と称せられて信仰の対象となるような人が重んじられるようになり、伝統的仏教教団に「在家菩薩」も大勢集まるようになったが、その後者の前者に対する布施を筆頭とする宗教的行為が「作善主義」の宗教儀礼として確立したものこそ大乗仏教にほかならないとする説。
 しかも、その局面において、当の「作善主義」を賛美すべく出家者によって創作されたものが大乗経典であり、かかる経典創作に従事する出家者や苦行に打ち込んで崇拝の対象となる出家者などを含む「出家菩薩」たちを、伝統的仏教教団の中にあって世話し、管理したのが、「管理人の比丘に代表されるような職種の出家者たちである、というこの最後の点だけは袴谷によってしか主張されていないかもしれないが、この職種の出家者があってこそ「出家菩薩」とそれに寄進をなす「在家菩薩」との差別的役割分担の関係も成り立ちうるとみなければならない、とする。

3. 大乗仏教林住比丘起源説
  • Reginald Ray, Buddhist Saints in India, A Study in Buddhist Values and Orientations, Oxford University Press, New York. (1994)

 レイの『インド仏教の聖者達』は、インドおよび周辺諸国における仏教修行者たちの実態を文献資料に即して綿密に考察した好著である。中でも目を惹くのは、アランや (ara・a) で瞑想修行に專念して暮らすという形態を、菩薩たちの生活の特色としてとりあげ、そこに大乗仏教の起源を見出そうという独特の視点である。
2007年02月01日(木) 22:16:58 Modified by kyoseidb




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