法然上人の歌

元祖大師御法語収録の歌とその和訳・解説です。

伊藤真宏著『法然上人のお歌』(浄土宗)のほとんどパクリです!!


●障られぬ 光もあるを おしなべて 隔て顔なる 朝霞かな

遮ることのできない光というものがあるものなのに、朝霞が一様に太陽の光を遮って、すべての光を遮っているようにたなびいていることよ。

悪業煩悩に覆われ尽くしている我々凡夫は、遮るもののない阿弥陀仏の光明によってのみ、照らし出されてゆくことを詠まれた歌である。

●我はただ 仏にいつか 葵草 心の端に 掛けぬ日ぞなき

私はただひたすら、いつの日か阿弥陀仏にお会いするのだということを、葵をものの端に掛けて飾ったりするように、心の端に掛けて、思わない日などないことよ。

ひたすら阿弥陀仏に会うことを願い、それを忘れることになかった法然上人の、御心が表現された歌である。

●阿弥陀仏に 染むる心の 色に出でば 秋の梢の 類いならまし

阿弥陀仏に染まっていく心が、色に表れるということがあるならば、まるで秋の紅葉で木々の梢が紅く染まっていくようなものだろう。

この歌は、お念仏によって、信心が深まりゆく実感を詠まれたものである。

●雪のうちに 仏の御名を 称ふれば 積もれる罪ぞ やがて消えぬる

雪の降る如く罪業を重ねている間でも、阿弥陀仏の名をとなえるならば、雪のように積もる我が罪も、すぐに消えてしまうことよ。

雪が積もっていることと、凡夫が無始より今日まで犯した罪が積もっていることを掛けたもの。阿弥陀仏の光明は、私達の積もった罪をたちまち消し去る働きを持っていることを詠んでおられる。

●仮初めの 色の緑の 恋にだに 逢うには身をも 惜しみやはする

かりそめの一時的な感情の恋愛においてさえ、相手に逢おうとするのにこの身を惜しむだろうか。(いや惜しまない)。

自分の命を惜しまず、教えを求めようという、不惜身命の強い決意の歌である。

●柴の戸に 明け暮れかかる 白雲を いつ紫の 色に見なさむ

粗末な草庵に、明けても暮れてもたなびいている白い雲であるが、いつ、仏の来迎の紫雲と見届けられることであろう。

この歌は、『勅伝』によると、法然上人が流罪から戻られたが入洛を許されず、箕面の勝尾寺にて詠まれた歌となっている。阿弥陀仏の来迎を待ちわびておられる法然上人の心情が、強く表された歌である。

●阿弥陀仏と 言うより外は 津の国の 難波のことも 悪しかりぬべし

南無阿弥陀仏、ととなえる以外は、どのようなことも往生のためには悪いことであろう。

この歌は、法然上人が配流の刑に服され、讃岐に赴かれる途中、高階保遠入道西忍に歓待された時に、詠まれた歌である。急ぐべき往生のための行は、お念仏以外にないことが確認されている。

●極楽へ つとめて早く 出で発たば 身の終わりには 参り着きなん

極楽への旅に、早朝より出立して、精進の念仏者となり、そしてこの身が尽きるときには往生できることであろう。

早朝の意の「つとめて」と、精進する「努めて」を掛け、娑婆世界での念仏生活が精勤であるべきことを詠み込んでおり、お念仏に勇みあることを勧めておられる。

●阿弥陀仏と 心は西に 空蝉の もぬけ果てたる 声ぞ涼しき

心は、もう阿弥陀仏の西方浄土にあり、それはまるでセミが殻から抜け出したようで、一心に念仏する心はすがすがしいことよ。

信心が進んでくると、凡夫ではあるけれども常に、阿弥陀仏や極楽のことが心に掛けられ、妄想余念雑念などが入り込む余地がなくなる。という状態を歌に詠まれたもの。

●月影の 至らぬ里は 無けれども 眺むる人の 心にぞ澄む

月の光が照らさないところはないが、月を眺める人の心にこそ月は澄み渡るのである。

この歌は、浄土宗の宗として知られているもので、法然上人が「光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨」の心を詠まれた歌である。

●往生は 世に易けれど 皆人の 誠の心 無くてこそせぬ 

往生することは世にもた易いことであるのに、往生できない人は皆、誠の心がないから、しないのである。

念仏者が具えるべき心持ちである三心の一つである、至誠心を詠んだ歌。至誠心は真実心と言い換えられるが、真実の心でもって往生を願うことが求められる。

●阿弥陀仏と 十声称へて まどろまむ 永き眠りに なりもこそすれ

南無阿弥陀仏とお十念をとなえて、まどろむのがよい。永遠の眠りになるかも知れないので。

この歌は、法然上人が寝る時に十念を唱えるべきことを詠まれた歌である。

●千歳経る 小松の元を 棲家にて 無量寿仏の 迎へをぞ待つ

長い年月を経た立派な老松のある、小松殿を住房として、無量寿仏のお迎えを待っていることよ。

この歌は、おそらく、晩年に小松殿で静にお念仏されているご自身を詠まれたものである。

●覚束な 誰か言ひけん 小松とは 雲を支ふる 高松の枝

よくわからないことだ、誰が言ったのであろう、小松などと。あたかも大空の雲を支えているような高松の枝であるのに。

この歌は、法然上人が小松殿(現在の小松谷正林寺)におられた時に、詠まれた歌である。「松」を念仏と見て、お念仏を「小松」のような低劣な行法だと見ている人に対して、阿弥陀仏の救いの対象は一切の衆生であり、お念仏は、「大空の雲を支えているような立派な高松の枝」のように、万徳がこめられた、優れた修行方法である、ということを詠まれたものである。

●池の水 人の心に 似たりけり 濁り澄むこと 定め無ければ

池の水は、人の心に似ているものだ。濁ったり澄んだりして定まることがないことよ。

心揺れ動く、思いの乱れっぱなしな凡夫を詠んだもので、私たちの心が見事に表現されている。

●生まれては まず思い出ん ふるさとに 契りし友の 深き誠を

私が浄土に往生したならば、まずは思い出すことであろうよ。故郷である娑婆世界にて、ともに極楽浄土に参ろうと約束した同行の深い真実の心を。

互いにこの世での念仏行を助け、励みとなり、往生の確信をもたせる、法然上人の約束を詠まれた歌である。

●阿弥陀仏と 申すばかりを 勤めにて 浄土の荘厳 見るぞうれしき

南無阿弥陀仏とおとなえすることのみを日々の勤めとして、お浄土のありさまを見ることができるのはうれしいことよ。

法然上人が日々のお念仏の中で、まさに往生を確信され、喜んでおられる様子が溢れに溢れている歌である。

●露の身は ここ彼処にて 消えぬとも 心は同じ 花の台ぞ

はかない露のようなこの身が、こちらやあちらや、どこで亡くなってしまったとしても、心は同じ蓮台、きっとお浄土でお会いできることでしょう。

法然上人が配流の刑で土佐国に流される時、九条兼実が名残惜しさに手紙を送り、
「振り捨てて 行くは別れの はしなれと ふみ渡すへき 事をしそ思ふ(私を振り捨てて行ってしまわれるのは、これから始まる長いお別れの端緒となりましょう。どうにかしてお手紙を渡したいとも思いますし、お帰りのための架け橋を踏み渡られるように尽力したいとも思います)」と詠んだ歌の返歌として、記されている。お念仏をとなえ阿弥陀仏の慈悲にすがるものは、皆極楽での再会が間違いなく、娑婆世界での距離など取るにたらない、ということを詠んだもの。

●これを見ん 折々ごとに 思い出て 南無阿弥陀仏と 常にとなえよ

これを見ましょう。そして見るたびたびに思い出しては、南無阿弥陀仏と常にとなえなさい。

この歌は、「十二箇条問答」の最後に付されるもので、「十二箇条問答」の一部として扱うべきものである。 「十二箇条問答」の内容をしっかりと確認して、教えを学び、同時にお念仏すべきであることが詠まれている。

●いけらば念仏の功つもり、しなば浄土へまいりなん。とてもかくても、此の身には、思いわずろう事ぞなきと思いぬれば、死生ともにわずらいなし。
(「つねに仰せられける御詞」)

生きている間はお念仏を称えてその功徳が積もり、命尽きたなたらばお浄土に参らせていただきます。「いずれにしてもこの身にはあれこれと思い悩むことないのだ」と思ってならば、生きるにも死ぬにも、なにごとにも悩みなどなくなるのです。


【未収録】

●極楽も かくやあるらむ あら楽し 疾く参りばや 南無阿弥陀仏

極楽というところも、このようなところなのであろう。ああ、楽しいことだなあ。急いで参りたいなあ。南無阿弥陀仏。

●如何にして 我極楽に 生まるべき 弥陀の誓いの 無き世なりせば

どのようにして、私は極楽に往生したらよいのであろう。もし、阿弥陀仏の本願がない世であったならば。

この歌は、法然上人が讃岐に滞在中、「讃岐の松山」を見に行かれた際に、詠まれた歌である。

●不浄にて 申す念仏 咎あらば 召し籠めよかし 弥陀の浄土へ

トイレで申す念仏に、何か罪科があるというなら、どうぞ閉じこめてくださいな。阿弥陀仏のお浄土へ。

この歌は、法然上人がトイレでお念仏されていたのを、あるお弟子が、ご忠告申し上げた際に、詠まれた歌である。
2007年07月13日(金) 19:20:10 Modified by kyoseidb




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