編集日時:2009年06月08日(月) 23:43:34履歴
NHKの回答 |
番組では
「日本は会場内にパイワンの人々の家を造り、その暮らしぶりを見せ物としたのです」、
「当時イギリスやフランスは、博覧会などで、植民地の人々を盛んに見せ物にしていました。
人を展示する『人間動物園』と呼ばれました
日本は、それを真似たのです」
とコメントしています。
日英博覧会についての日本政府の公式報告書「日英博覧会事務局事務報告」によれば、
会場内でパイワンの人々が暮らした場所は「台湾土人村」と名付けられ、
「蕃社に摸して生蕃の住家を造り、生蕃此の所に生活し、時に相集りて舞踏したり」
と記されています。
相撲などほかの余興と異なる点は、パイワンの人びとを「土人村」で寝泊まり、
生活させ、その暮らしぶりを見せたことにあります。
イギリスやフランスは、博覧会などで被統治者の日常の起居動作を見せ物にすることを
「人間動物園」と呼んでいました。
日本は、植民地統治の成果を世界に示すために、
イギリスやフランスのこうしたやり方を真似てパイワン族の生活を見せました。
日本国内では、日英博覧会の7年前、1903年、大阪で開催された第5回内国勧業博覧会において
「台湾生蕃」や「北海道アイヌ」を一定の区画内に生活させ、その日常生活を見せ物としました。
この博覧会の趣意書に、「欧米の文明国で実施していた施設を初めて設ける」とあります。
植民地研究の権威であるフランスのブランシャール氏は、
「人間動物園は、野蛮で劣った人間を文明化していることを宣伝する場である」と指摘しています。
日英博覧会の公式文書にも、
「台湾が日本の影響下で、人民生活のレベルは原始段階から進んで、一歩一歩近代に近づいてきた」
と記されています。
番組では、上記のような資料や研究者への取材により、
日英博覧会のパイワンの人びとの集合写真に「人間動物園」という表示をしています。
日英博覧会事務局事務報告より |
「明治四十ニ年三月三十一日付ノ契約書ニ依レハ本邦出品物ハ我政府任意ニ之ヲ選択ノ上陳列スルモノナレトモ日本余興ハ我当局者ハ其ノ選択監督上単ニ是ヲ拒否スルノ権利ヲ保留シ其ノ実行方法ハ博覧会当事者ノ講スル所ニ任セタリ」
「博覧会当事者ハ本邦人間ニ余興経営者ヲ得ムコトヲ切望セルモ右ハ巨資ヲ要スルノミナラス彼地ニ於ケル欺業ノ経験ニ乏キ本邦出資者ニシテ進テ自ヲ収支ノ責任ヲ負ヒ該経営ニ従事セムトスルモノヲ見出スコト頗困難ナリシヲ以テ我事務局ハ博覧会当事者ニ対シ英国人中ニ該経営者ヲ得ムコトヲ望ミ当事者百方尽力ノ末英人間ニ英貨五万磅ヲ出資シ一ノシンヂケートヲ組織シ右経営に当ラムトスル者ヲ得ルニ至レリ」
「台湾生蕃及アイヌニ関シテハ事務局ハ照会斡旋ノ労ヲ執リ而テ余興ノ各種類ヲ通シ芸人及職人ノ員数給料等ハヒツクスト余興当事者ト直接ノ交渉ニ因テ之ヲ決定シ東京事務局之ニ承認ヲ与ヘタル末結局ニ月ニ入リテ彼我当事者間ノ契約締結ヲ見且興行ニ要スル器具及諸般材料ノ購入等ヲ了シ三月ニ日出帆ノ熱田丸ニテ左ノ芸人及職人ヲ渡英セシムルコトトナレリ」
「右ノ外台湾生蕃ニ就テハ総督府民政長官及ヒツクス間ニ契約締結セラレ両社ノ生蕃ニ十四人警部一名巡査一名監督ノ下ニ二月十六日門司ヨリ乗船シテ渡英セリ」
「シンヂケートノ組織ハヒツクル出発後種々ノ事情アリテ用意ニ成立ヲ見ス出資希望者屡変更シ遂ニ三月ニ至ルモ尚確定ニ至ラス而テ余興従業者既ニ本邦ヲ出発シ開会期切迫シ来リ建物ノ建築其ノ他ノ準備上最早猶予スルコト能ハサルニ至リタルオ以テ己ヲ得ス日本余興ノ全部ハ博覧会会社ニテシンヂケートニ代リ一切出資ノ上自ラ其ノ経営ニ当ルコトトナレリ」
「アイヌ村落(約九百坪)及台湾村落(約千三百坪)ニシテ一はアイヌ部落ヨリ齎シ来リタル数個ノ茅屋ヲ以テ部落ヲ構ヘアイヌ人之ニ分居シテ其ノ日常ノ生活ヲ営ムカ如ク設備シ一ハ蕃社ニ模シテ生蕃ノ住家ヲ造リ蕃社ノ情況ニ擬シ生蕃此ノ処ニ生活シ時ニ相集リテ舞踏シタリ」
「余興従業者ノ住家ハ其ノ便宜ヲ図リ博覧会会社ト交渉ノ上契約中ニ従業者ノ負担トナリ居ルニ拘ハラス会社の負担ヲ以テ会場付近ノ住家ヲ借入シメ之ニ居住セシメタルカ後各本人等ノ望ニ依リ余興場ノ建物内ニ便宜ノ施設ヲ為シテ居住セシムルコトトナレリ」
「閉会後余興従業者ノ後始末ニ付テハ従来ノ海外博覧会ニ於ケル弊ニ鑑ミ我事務局ハ日本余興者ノ全部ヲニ回ニ分チ第一回ハ製作実演職工ノ一部及アイヌ生蕃ノ全部ヲ閉会当日出帆ノ便船ニテ直ニ帰国セシメ残余ノ者ヲハ十一月十二日出帆ノ汽船ニテ帰国セシメタリ」
「我余興従業者トノ金銭関係一切円満ニ完結シタルヲ以テ先ニ我駐英大使ニ供託シタル金五千磅ハ十一月三十日博覧会会社ニ還付シタリ」
黄色い仮面のオイディプス アイヌと日英博覧会より |
「博覧会前年の明治42年9月6日に、陸奥廣吉から日英博覧会事務官長和田彦次郎に宛てた「余興に関する件」という報告には、当初日本側が計画していた余興の企画案と具体的な展示計画が示されている。この報告で「余興の種類」として挙げられているのは、パノラマ、相撲、田園模型、各種の見世物芸、台湾生蕃村落の模景、活動写真、奈良大仏の模造などで、そこにはまだアイヌや台湾先住民の展示は含まれて居ない。」
「英国人のシンジケートを中心に企画された展示内容は、どのようなものだったのだろうか。準備段階の資料には、すでに展示内容として「アイヌ村落」や台湾屋外余興が含まれていた。」
「日英博覧会におけるアイヌや台湾先住民の「ヒトの展示」が、博覧会経営上重要な要素であり、興行による利益を目的として、英国人シンジケートによって企画され実現したことが理解できる。それは、植民地経営と結びついて植民地統治の成果と正当性を示すための、台湾館や朝鮮館の植民地展示としては対照的に、観客を集めるために経営上重要な、見世物や余興の一部として明確に位置づけられていたといってよい。」
「博覧会で展示されたアイヌの人々は、余興の演者にとどまらない、高い意識と使命感を持った社会的成功者だった。それらの人々は、帰国を拒否したり行方不明になる心配のない、日本の行政機関が安心して推薦することが出来る社会的地位を持った人々であり、海外でも恥ずかしくない「日本国民」でもあった。また、近代国家日本が「文明化」に成功しつつある、アイヌ社会を象徴する人々として選ばれたとも考えられるだろう。」
資料 |
近代デジタルライブラリー「日英博覧会事務局事務報告」で検索
http://kindai.ndl.go.jp/index.html
日英博覧会事務局事務報告 下巻 第17章 日本余興 295-300ページ
http://www1.axfc.net/uploader/He/so/229232.pdf&key...
日英博覧会事務局事務報告 下巻 第17章 日本余興 295-300ページ 現代漢字置き換え&カタカナ
http://www1.axfc.net/uploader/Sc/so/6986.doc&key=n...
「黄色い仮面のオイディプス アイヌと日英博覧会」 宮武公夫
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/211...