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第二回レッスンのクライマックス2

各レッスンのクライマックス、文字数がオーバーしましたので新しいページを作成しました。5人ずつで分けています。(dolly)

多治川さん

第一回 F.ソル/もしも私が羊歯ならばによる変奏曲op.26

  • ソルの曲を弾いているとき、ある変奏の曲の低音部の動きの説明で、グロンドーナが突然パーセルの歌曲を歌いだした!『この曲知っているか?』『最高に美しい曲なんだ』っていいながらかなり長いことずーっと歌っていた。なんか誰かが死んでしまう曲じゃなかったかな??(つっき)
  • 途中でたじさんが反応して、グロンドーナの歌に合わせて、ソルの曲の低音部を一緒に弾いたとき、グロンドーナは『yes!!』と言ってものすごーく嬉しそうにしていた。(つっき)

第二回 F.タレガ/アラビア風奇想曲

  • ギタリストが普段、音楽表現をする為にギターという楽器を用いるだけでありギタリストが歌うという方法でも音楽ができる。その自分の中にある音楽をどの様にギターを通して伝えることができるかがギターを練習するということだと感じました。(たじ 転載)

築岡大輔さん

第一回 武満徹/すべては薄明のなかで 第一楽章

  • 最初、予想通り3+2の音形と、スクエアーではなくサークル的な発想で曲が作られている構造についての説明。2.5拍子と3拍子の違いはサークルの形を拡大収縮(もしくは、楕円状に引き伸ばしたり縮め)させて、対応する。印象的だったのは2小節目のドレ♭ラ♭レ♭ミ♭ファ♯の音形の後の3小節目のダウンビートを響きに身を浸しながら、いかに意識するかの説明。何度も何度も弾かせる(つっき)
  • 1小節目。ミの3+2を何度も弾かす。3のダウンビートかつメゾフォルテのミのハーモニックスと2のアップビートかつピアノの開放弦のミと6弦ハーモニクスのミにつづいて、ダウンビートかつメゾフォルテの5弦上のドのハーモニクス。しつこいぐらい何度も繰り返さす。メゾフォルテじゃないとか、3+2じゃないとか。アップビートじゃないとか。この場面の感覚は、ギターを弾く以前の問題だったと、反省しきりだった。(つっき)
  • 3+2の部分は3の不協和音に対して2は、恥ずかしくて顔をさっと隠すような表現で、グロンドーナが弾くと本当に、恥ずかしそうに顔を隠しているように聴こえた!すごー。
  • つづいて、その後に出てくる4・5小節の音形は、すべてアップビートでそれが表現されていないとのこと。楕円を描くようなイメージを説明したかったんだろうと思う。(つっき)
  • この曲の一見無意味そうにも思えるフレーズを、つながりあるものとして説明していた中で、一番目から鱗の説明だったのは、単語は忘れたけど『ある舞踏家の踊りの動き』を例としてあげていたこと。(これ誰か、説明して)(つっき)
  • あと、何小節目かは忘れたけど、三拍目ではいるミ♭ミシミファ♯ラレファ♯の音形について、これも出だしの前のアップビートからの意識をはっきりと打ち出すようにと、そして最後の二音、レファ♯のポコレテヌートの後味の感覚について、この音形はもっともウォームな響きでとのこと。これもしつこいぐらい弾かされる。フライの単語も出たかも。冒頭以来、あまり言葉で説明するより、ギターを弾きながら教えてくれたので、非常に感覚的なレッスンだった。(つっき)
  • 色々と運指を変えられた。ブリームがなぜこの運指なのかという説明も非常に説得力があった。響きを残すことと、小指でダウンビートを感じながら弾ける、その両方から考えられた運指だと説明。(ウーン、手元に楽譜がないから何小節目かわからん)(つっき)
  • 特にハーモニックスの音形に関しては、かなり運指と右手の出し方を変えられる。これは全てchoreography(振付、振付術)というダンス譜のような動きに体がなるようにする為の変更であるか、ジュリアン・ブリーム的な音程のエネルギーを肉体的にリンクさせるための運指である。改めて、前回のピアソラのレッスンでもそうだったように、音楽的アイデアから出てくる要請に答える、それに連動したリンクした体の動きが、レッスンの核となっていた。今回はそれにアップビート・ダウンビートへの意識が以前以上に指示が出ていた。ヒクソン・グレイシーのような統合された体術が必要となってくる。
  • いくつかの場面でポコレテヌートになっていないとの、指摘。そのとおりだ。ポコアッチェレやポコ・・・、のような武満の非常に肌理の細かい指示をしっかりと意識しろとのこと。(つっき)
  • 終結部、武満お得意のスライトリーファーストの部分、スライトリーファーストになってないとの指摘。このAM7から部分は、フライという言葉を使い、和音の緊張の階段を、空飛ぶようにイメージしていた。『今のじゃフライできないよー』などの注意も。シ♭ミのポコリテヌートが歌えていないと指摘。このミのハーモニックスがテクニック上ダウンビートで弾いていると指摘。ミはアップビートに表現するようにとのこと。これも繰り返し弾き、駄目だしが続く。(つっき)
  • テンポはだいぶ横に伸びてはいるが、しっかりと3+2を意識して、3の部分と2の部分は違う表情で最後の4小節演奏しろとのことだった。(つっき)
  • レッスンの印象。非常に楽譜に忠実だった。演奏不可能に近いところも妥協せず楽譜どおりにアプローチしていた。色々なアプローチの可能性も十分考えた上で、楽譜の肌理細かい指示に意味を見出していたように思った。この曲の本質をサークルという単語で見事に説明してくれた。松尾君も言っていたが、統合感を出す例えとして『舞踏家の踊りの動き』を例に出したのは、わかり易かった。
  • また、5拍子の感じ方については、オンテンポを大切にするように。フェルマータ等の感じてから弾きにかかる類のものとは違う意識で。武満自身も発言しているone by one的な発想は、グロンドーナは全く逆のすべてone element的な統一感を重視する考えで捕らえていたように感じる。けどこれは作曲家を無視しているのではなく、限りなく逆な意味である愛情であるように感じた。武満は歌を表現したかった。これはairだと言っていた。武満が生きていたらどんなに喜んだだろうか。(つっき)

第二回 武満徹/すべては薄明のなかで 第一楽章 第二楽章

  • 一楽章のおさらい。終結部に近いスライトリーファーストの調性の部分、低音のドが鳴らされる音形の部分で、ブリームの運指の意味についての説明。イージーにならすことの出来る運指を使わず、ラファ♯の音程(インターバル)間にあるエネルギーを、指の動き(体の動き)と連動する運指に変えられる。ラファ♯ドの音程(インターバル)のエネルギーを感じろ、右手がそうなっているか?との指摘があった。前日のように、ラファ♯ドシ♭ミのシ♭ミについては、なかなか納得しない。この曲の繊細なノーテンションを表現ができるまでは、全くokを出してくれない。けど、このグロンドーナのしつこさのおかげで頭には音形がこびり付く。
  • 5拍子の説明でヘンツェのコンチェルトを指揮していた、日本人の話題が出る。そのときの指揮棒の振り方で様々な可能性で取れる5拍子の説明。
  • 第二楽章。冒頭の3+2の和音を、『あーギターってなんて美しい和音が出るんだー』って感じで弾くのではないと言う。ここは人間がものを言っているのではない。人ではない何か。それは例えば『運命や・宿命のようなもの』がものを言っているのだ。この曲は、運命・宿命がもの言うのと、そこにたたずむ人が物を言う部分を分けて捕らえ、そして同時に進行させていかなければならないと言う。(つっき)
  • 非常に仰天した。がものすごく納得できた。ストンと落ちてきた。この説明でこの曲のプロポーションと捕らえ所ががいっきにはっきりした。(つっき)
  • 3のド♯から2のレへ行った後の、冒頭の和音(ソレ♯ラレ)に戻るところについて。ド♯そしてレそして…冒頭和音のレ♯への意識が途切れたとの事。運指上、実際なる音としては切れてしまうが、意識があればきちんと繋がるだろと言うこと。(つっき)
  • 二楽章の曲のアイデアにある、『抗いがたい死の存在』というキーワード。予想していたとはいえ、その死のあり方そのものに明確な焦点を投げかけてくれた。その中で人の葛藤がものを言うときのエネルギーは凄まじい物があった。
  • 冒頭の和音に帰ってくる箇所。さらに近いところに死があると言う。この部分も人がものを言っているのではないという言葉で、かなり納得ができた。
  • スナップこのたった一音で、すべてがつながる。本当に恐ろしい曲だ。
  • 5拍子について、色々な説明が入る。3楽章の最初部分。
  • 5拍子のどこからリズムはやってくるの説明。すべては薄明のなかでの第3楽章で最初の下降音形の1小節目の1拍目でややアポジャトーラ気味で、なだれるように歌い5拍目辺りでややリットし、2小節目もこの1小節目の流れを受け継ぎながら、同音形で歌う。このまったくメトロノーム的でない5拍子音形の発想は、非常に新鮮でこの曲全体に強いインスピレーションを与えた。
  • もう一度、一楽章を弾かす。2.5拍子が体に落ちていないとの事。3+2や、5拍子について、三楽章に行きかけるが時間が無いので一楽章の復習へ、後で三楽章は今度しようと言われる。
  • 終結部のグリッサンドの部分について、雨の後に虹がかかってそこに雲がかかって行くような場所であると説明。黒澤明の『夢』と言う映画を例として示す。非常に面白い箇所。レ〜ソ♯のグリッサンドからレ♯への色彩についての部分。
  • 3+2のこの箇所この箇所はきいつけろ。そしてここのポコリテヌートの所もだ。と、冒険に出る前、年季の入った酒場の親父に念を入れた注意されるように注意事項を言っていただく。
  • 彼がこの様な事を言ったわけではないが…。このような一見捕らえ所の無い様な曲でも(曲だからこそ)、一音の音価の意味(楽譜に書かれているすべての音に対して)を明確に捉えさせてくれるようなレッスンだった。一音たりとも、というか無音の場所にも、本当にすべて意味ある音を出すような事をはっきりと意識させてくれた。本当に感謝。改めて一分の隙も無い曲だったと、深く納得する事が出来ました。本当に有難うございます。必ず音楽で恩返しします。(つっき)
  • DVDを観て、5拍子(正確には2.5拍子)の3の部分と2の部分が違うもの(違う表情)なのだと改めて確認できた。
  • あとリテヌートの意味を少し違う風に捕らえていた。DVD観て気づいた。
  • 6音の主音形をなぜか、リタルダント気味に弾いている。他の部分でも、同じようにやっている、変な癖がいっぱいあった。DVD観て気づく。そのときなんで気づかんのやろ。このリタルダントの癖は、自分の人間性そのものの現在直面している重要な課題であるような気がした(こんな事グロンドーナは言ってないが、自分で勝手にそう思った)。(つっき)

徳永さん

第一回 D.スカルラッティ/ソナタK.11

グロンドーナがリサイタルでまったく同じ曲を弾いていたので、とくくんレッスン前、かなり不安そうな様子だった。(つっき)

第二回 H.ヴィラ=ロボス/5つのプレリュードより 2番

  • 低音の動きのレッスン、面白い。また書く。(つっき)

等々力さん

第一回 M.M.ポンセ/プレリュード ホ長調

  • dollyは英語力・理解力に乏しいので、不備も多いと思います。補足・訂正などあればどうぞよろしくお願いします。(dolly)
  • 根本的な演奏姿勢についてアドバイスされた。自分は最初の演奏中、ここはこう弾こう等とあらかじめ決めておいたことを実行するのに必死だったので、もっと心を開くように(?)と言われた。その空間でリアルタイムに音楽を感じる(feel)ことの大切さを実感できたのが今回のレッスンでの一番の収穫。(dolly)
  • 曲の第一音目の6弦開放のミが浮ついている(floating?)と指摘された。地面(ground)と重力(gravity)を感じて、しっかりした音を出すよう求められた。また、次のフレーズが入るspaceを想定してミを出すよう言われた。音に立体的・空間的な意味づけができることを実感できた。(dolly)

第二回 M.M.ポンセ/プレリュード ホ長調

  • 上昇スケールの上昇感(up)が表現できていない箇所があると指摘された。また同じ音型が何度も出てくるが、それぞれ意味が違うのでもっと感じるように言われた。(dolly)
  • 第一音目はミだが、この時点ではホ短調かも知れないし、ハ長調かも知れない。そういった次に何が来るんだろう?という好奇心を持って(curious)演奏することが大事だと教えられた。全くその通りだと思った。彼のようにいつも新鮮な感性を持っているともっと音楽が楽しくなりそうだ。(dolly)
  • 最初のミの次のフレーズは上から来るように(?)弾くよう言われた。バッハのプレリュードbwv998を演奏してもらって、音程感覚のすばらしさを感じるとともに、音に階層があるように感じられた。(dolly)
  • 和声学を学ぶことの意味についての議論があった。詳しくはステファノ的単語集pistonの(から)さんのコメントをどうぞ。(dolly)
  • 分析と音楽。
  • 分析することによって音楽の構造を知る事はできる。しかし構造を解析する事はできても、音楽とは何かということを知る事は出来ない。音楽とはその瞬間瞬間にわき上がってくるものを感じ取り、その瞬間にもっとも相応しい音を自分の経験、体験の中から選びとって表現しないとならない物だからだ。

  • このpistonにおける、グロンドーナの考えは非常に強い印象を残した。ここで感じたのは、どうしても音楽という目に見えないもの、『えもいわれぬもの』を何とかつかみたいという欲求の前に、人はついつい分析をして手に入れたような錯覚に陥り、他者に対しては理論武装の手がかりのように分析を使ってしまう。とうこと事がありえる。正しいことをしているから、それでいい念的発想、解っているで的発想。そして、それがあればあとはとにかく自分を出せばいい的発想…。ついついしてしまう。自分もいつも反省している。『音楽とはその瞬間瞬間にわき上がってくるものを感じ取る』そのとおりだ…(つっき)

全くそのとおりだと思います。自分も気をつけているつもりでしたがやってしまっていました。出来るだけ謙虚でいることと、他人のアドバイスを受ける(岡目八目)ことによって誤った方向に進まないように気をつけます。(dolly)

  • 等々力君は、自分がこの様に弾こうと事前に考えて、その通りに演奏しようとしていた。しかし、そうしてしまうことにより即興性が損なわれてしまっていた。そこでSGは部分部分を細かく分けてつなげていく練習を薦めていた。弾く前にわずかに時間を空けて、次の瞬間に必要な音を感じ取ってから演奏すること。同じ音型の中からでも全く異なる響き、意味合いを表現することの出来る彼の音楽的な語彙の豊富さがそのまま彼の表現力の多彩さに直結している。(わたゆう 転載)

渡辺悠也

第一回 ソル/魔笛の6つのアリアより1〜4

  • 一週間経ったら結構記憶が曖昧に、みなさんのヘルプをお願いします。(わたゆう)
  • アリアの1から4までを通す。そして4→3→1→2の順番で攫い直していった。
  • 4「なんと素敵な響き」 まず運指を徹底的に洗い直す。S.Gはこれを弾いた事なかったのか、とっても楽しそうにあらゆる運指を試していた。ソプラノでの軽快な歌から低音に歌が移って行く際、高い歌はより高く、低い歌はより低く、ギターという楽器の制約にcompromiseするなとこれは絶えず言われ続けた。(わたゆう)
  • 「O dolce harmonia.What is harmonia?」「いっつ、はーもにー」「Yes! それじゃなんでハーモニーを楽しまないねん!」冒頭の三度の音程をなんとも楽しそうに弾いていた。(わたゆう)
  • グロッケンと歌が交錯するポイントで、ハーモニクスに気取られ過ぎて本来その裏で歌われ続けている歌が寸断されてしまう点を指摘され、ハーモニクスを取り外して練習した。(わたゆう)
  • 3「ようこそ、再会を祝して」 装飾音の後にかすかな静寂を入れるようにとの指示、スラーをかけた次の音に対する配慮が欠けてる点への指摘だと思うが非常にしっくりときた。ここでも運指への探求がすごい。そしてこの辺りで君はちょっとtoo much anticipatie(準備し過ぎ)だね、みたいなニュアンスで言われる、最初はなんのこっちゃ分からなかったけど後に行くと次第に意味が分かってくる。(わたゆう)
  • 1「宗教的な行進曲」 やっぱり運指の洗い直し、どこからそんな運指のアイデアが出てくるんだと唖然とする。自分で運指を付ける場合ついついギターで弾きやすいというのが最優先されてしまうけれど、運指のアイデアの多彩さはそのまま音楽のアイデアに直結しているんだなということを実感した。(わたゆう)
  • 内声部での動きが多いため、ついついその内声部を強く弾いてしまい、「そうじゃないだろ、ここは高音で歌が続いてるんだからこれはinsideの音だ!」発音した後の音の処置が無頓着な点をバッシバシと指摘される。(わたゆう)
  • 2「女の奸計にご用心」 ラスト一小節で、特訓開始!「ワン、トゥー、スリー」「ダウン!アップ!アップ!」「この音はダウンビート、その後はアップビートだから同じ様に弾くな!」ここまで来るとこっちも多少アップアップになっていてハッキリと分からない点があって、ここで何が起きていたのかぜひとも皆さんの感想をお聞かせ願いたいです。(わたゆう)
  • 全体的に右手も左手も固く、次の音への意識があり過ぎてそれが音楽の流れを妨げている。特に左手が早く準備をしすぎる点を指摘され、練習法としてソルのエチュードop31-20を勧められる。(わたゆう)
  • 最後に気になって聞いてみた「準備の中に次の音がないのだったら、だったらどこから次の音がでてくるのですか?」「それは自分の中からやってくる。」とのことでした。自分なりにまとめると、まず自分の発音した音に「stay」してその瞬間を「enjoy」する。次の音を出そうと焦らずに、必然性のある「瞬間」を待ちなさい。ということだろうか。早くボケに突っ込んでやろうと焦るツッコミにはなるなということか?巧く表現できないなあ、、(わたゆう)

第二回 ソル/魔笛の6つのアリアより5・6

 さーて、何を書いたものやら、、、(誰か3点リーダーの出し方を教えて下さい。)正直、レッスンの途中で自分のイメージする音と実際に出している音とのあまりのギャップに絶望してしまった。目の前でS.Gの高密度の音を聞かされてるとなればなおさらだ。

 そうなると残りの時間で出来る事っていうとなんだろうかと思った時に「実際に歌う」という事くらいしか選択肢はなかった気がする。「歌え」とはよく言われることだし、自分でも無責任に言ってるけれど実際に歌えているのか?歌うということはどういう事なのか?という疑問はいつでも頭の片隅にあったので、少しでもそのヒントを掴んで帰りたかった。

 終曲の冒頭のDの和音をS.Gと歌っているとき、自然発生的に会場から沸き上がってきたあの和音の感動は生涯忘れられないと思う。年齢も性別も経験も思想も哲学もなにもかもが全く異なる人達が、確かにあの瞬間に同じ方向を向いて同じ感情を共有していたように感じた。それは「祈り」という感情に近かった気がする、個人という存在を越えた「なにか」に対する言葉にならない感情。

 歌われたのはD、F#、Aのたった三つの音。だけどその三つの音が形作った空間のなんという広大さ!地に響くようなバスに支えられて天を翔るソプラノ。その音響に包まれた瞬間に本当に空を飛ぶような感覚を覚えた。異なる声、異なる個性があるからこそ、この素晴らしい空間が作られるという事実に本当に驚かされた。
 
 みんなと一緒に歌いながらはじめて心の底からこの音楽を美しいと思えた。そしてこの素晴らしい瞬間がもうすぐ終ってしまうんだなと思うと同時に堪えられずに涙が溢れてしまった。音楽って本当に素晴らしいです。

 ソルが(音楽がというべきか)なんと途方もない事を表現しようといるのかと思うと思わず笑ってしまいそうになるが、「感じるだけではなく、それを表現できなければ駄目だ」と情け容赦なくS.Gに言われたことが本当に印象的です(笑)(わたゆう)

  • まず、自分が一番リラックスしてギターを持つ事が出来る姿勢を探しださなければいけないと指摘された。体の緊張はそのまま音楽の固さになって出て来てしまう。例えば足を椅子の側に畳み込んでしまうことにより固さが産まれてしまうので前方に投げ出して見る様に薦められた。実際にそうやることによりそれまでよりもずっとリラックスしてギターを持つ事が出来る様になった。

  • そして自分の場合、左手が常に早く準備をしてしまうという癖があって、そのために音楽が常に分断されてしまっていた。その点を直すためにSGはソルのエチュードop31-20を薦めていた(実は前回のマスタークラスでもこれを薦めてたんだけど。)和音を素早く切り替えるこの練習曲をゆっくりと練習しながら右手と左手をシンクロさせる、どんなにゆっくりと弾いていても右手と左手を完全にシンクロさせる事はかなり難しい。なおかつ右手と左手を完全に脱力させて、音楽を感じ取った瞬間に指を瞬間的に準備しないといけない。

  • これはそのレッスンを受けている時は技術的な練習だと思っていたけど、実はそれは音楽の即興性の練習でもあるんだということに他人のレッスンを聞いているうちに気付かされた。音楽は準備されたものではなくその瞬間に生まれでてくるもの、身体的な「準備」ということですら音楽を感じ取ってからしなければ、音楽を損なってしまうということだ。(わたゆう 転載)

わたゆうさんのレッスンをDVDで見た。やっぱり感動した!グロンドーナはそうとう『ソル』をやり込んでいるわ。おそらく、パリに留学している同じ同門の『藤村良君』がひたすら月一のペースでグロンドーナに『ソル』をレッスンしてもらっているんじゃないかと思う。ソルを弾いてる時のグロンドーナの表情、まるで子供やなー。運指がうまく言ったときのあのうれしそうな表情!(つっき)
2008年08月30日(土) 02:15:05 Modified by kzkara




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