「『働く』ということ Part2」

2007/1/27放送「『働く』ということ Part2」


出演:鈴木謙介、柳瀬博一、斉藤哲也、津田大介、本田由紀(ゲスト)

※以下の発言まとめは、正確な番組での発言とは異なる場合があります。

MP3その4


鈴木:スタジオには喋り足りないとほっぺたふくらましていた本田先生、そして津田さんも参加です。津田さん、話聞いててどうですか。

津田:本田先生の話で一番響いたのは、就職の時に全部さらけ出さなければいけないって奴ですよね。それは辛いんじゃないかっていうとき、僕も大学時代に出版社を受けて、全部筆記は通るんだけど、面接で落ちたとき、俺の人間性が悪いんじゃないのかってすごい落ち込んだことがあって。なんかその話をすごい思い出して、なるほどなーと。

斎藤:筆記の時点から、自己分析シートっていうのがあるよね。

鈴木:あれっていつからあるんでしたっけ、SPIとかって。

柳瀬:僕が現役の時はもうありましたね。自己分析とはまだ違う、形が整ってない頃のものですけれど。

本田:自己分析について、いいですか。私の院生が、自己分析について面白い研究をしてて、自己分析の内容が90年代に変化したって言ってるんですよ。最初はいわゆる自己アピール的なもので、売りになるようなものを自分の中に探してみようっていう軽いノリだったのが、だんだん「自分は誰なんだ」「将来何を目指すんだ」っていう、宗教チックになっていったプロセスを、就職情報誌の変遷から描き出してるんです。

津田:本来、就職試験って、職能、働くための能力を見るためのものだったのに、いつの間にかその人のパーソナリティまで評価される場にすり替わっているのかなあと。

鈴木:そこはね、門が狭くなったっていう話は番組中も出てましたけど、あとは「人生設計」ですよね。「13歳のハローワーク」もそうだけど、早い段階から決めなさい決めなさいっていう圧力が強くなっている。本当は柳瀬さんがおっしゃったことっていうのも、その反対のことを言おうとしているはずで、ハタチそこらで人生なんか決められないんだから「とりあえず働け」なのに、今の若い子はそれを逆に受け取って、ハタチで人生決めろ、って受け取っちゃうと思うんですよ。そこもミスマッチを生じているんだと思うんですけど。

本田:やってみないと分からない、って柳瀬さんはおっしゃるんだけど、やってみてダメだったときのこともちゃんとアドバイスしてあげないと、あまりにも無責任なんじゃないかって思うんですよ。やってみてダメだったとき、そこで何がよすがになるのかってことまで言ってあげるのが、年上のものの責任じゃないかと。

鈴木:年上のって話がありましたけど、大人の側に余裕がなくなってる感じしますよね。

柳瀬:僕らの時もそんな大人はいなかったですよ。

津田:柳瀬さんにお伺いしたいのは、企業の中でOJTっていうのが、どんどんやる余裕がなくなってるじゃないですか。

柳瀬:じゃあ企業側の問題を言いますと、10年の間にちゃんと社員を採らなかったツケが、すごく回ってきてるんですよ。皮肉な話で、経済がダメなときっていうのはベンチャーが出てくる時期。ロストジェネレーションもそうで、彼らがベンチャーの旗手になった。戦後のドタバタの時に、まさに大企業の大半が出てきたのと同じ。でもそれは既存の企業から言うと、そのくらいの能力がある人間を取り損ねたって話なんです。結局どうなるかって言うと、上に教える人たちがいなくなっている。30前半の、課長・係長クラスの兄貴分・姉貴分クラスが抜けていて、彼らの仕事をいきなりやらされる。そこはあって、給料は大して上がらないのに、また職能もないのに、前より大変な仕事をやらされるって話は、個別の企業というより、マクロで見たときには確かにあるんですよ。

鈴木:メール、28歳再就職活動中。映画監督を夢見て、映画関係の仕事もして、退職。待遇を第一条件に就職を探しているが、見つからない。働くというのは自己実現なのか、生活のためにいやでもやること、という超両極端な選択肢しかない。その中間というのがなくて困っている。
僕の周りでも28くらいで、限界を感じて安定の方に行こうとしたら、そんな場所はない、みたいになってますよね。
メール、いらいらしている。プライドと自己満足と、顧客とバランスをとること。ないものをないなんて言わずに働いて、人に必要とされるものを作って売れ。楽しくないのを会社のせいにするな。
言いたいことは色々あるけど、この人が怒る理由も分かる。
メール、働くことと聞いて思い出すのは、駿台予備校の奥井潔先生の言葉。これを捨ててもいいというものを探すために大学に行く。それを生業にする人のことをWorkerと呼ぶ。働く人でもLaborerとは違う。後者は賃金奴隷。これに感銘を受けた。Workerを目指すのは働くこと。
奥井先生って、斎藤さんご存じですか。

斎藤:駿台の英語の名物講師ですね。人格者で有名な方でした。

鈴木:ちょっと卒業シーズンには響く言葉ですよね。

斎藤:授業がずっと人生論なんですよ。英語なのに。

本田:でもそれって私、すごくやばいと思いますよ、これやるためだったら他のことを捨ててもいいっていうものを探せっていうのは。13歳のハローワーク的ですけど、感動しちゃって、そんなすごいものを見つけなきゃいけないとか、見つけられないのは自分のせいなんじゃないのかって思いこんじゃう。そういう話じゃないと思うんですよ。二つめのメールのプライド、自己満足っていうのも分かるんだけど、それを個人で見つけろっていうのは、分かるんだけどやっぱりきついなーって思う人もいると思うんですよ。作り替えて他のものを探すって姿勢よりは大事だと思うんですけど、それを一人でではなく、仲間を見つけながらやることが大事なんじゃないか。
私が一番近いのは、やりがいか生活かの両極端になっているっていうところ、同じような感覚を持っているんですけど、やはり「真ん中へん」くらいのものが減っていると思う。さっきの「やりがいの搾取」って、今度2月の初めに出る『世界』の論文にも書いたことなんですけど、やりがいが充実しているから給料が安くても我慢しろ、か、給料が安定しているから、やりがいがなくても我慢しろ、という究極の選択みたいになってるんですよ。正社員かそれ以外かみたいな。まともだと思えるような真ん中くらいの仕事がなくなっていて、そういうものをくれ、みたいな話を、個人の問題じゃなくて、みんなで声を上げて、マクロな部分を変えていく必要があるんじゃないかと。

鈴木:難しいなーと思うのは、さっきの柳瀬さんの話から繋げちゃうと、真ん中くらいの仕事が欲しいって気づくまでに、10年くらいかかっちゃうってことなんですよね。

柳瀬:じゃあ僕は今度、本田先生の話を、全面賛成という形で受けます。

本田:何ー?!

柳瀬:いや、違うんですよ、さっきのは個人ベースの話で、マクロで見ると話は別。60年代の植木等のサラリーマン映画ですよね。「サラリーマンは気楽な稼業」だった。確実にそうで、割とぬるかった。そこをみんなで変えるってところに落とし込めない現実は、グローバリゼーションで国際競争に晒されているという現実があり、そこでどの立場で企業を見るか、ステイクホルダー、つまり会社も従業員も利害が一致しているときはやりやすいですよね。でも今は、株主と従業員の利害が、逆方向を向くことが多くなっている。それがだから、どんどん労働をアウトソースして、そもそも国内にも求めなくなっている。これはアメリカが90年代にやったことで、ロジャー&ミーでマイケル・ムーアも描いている、ジャック・ウェルチがやったGEの経営改革ですよね。これは製造部門をどんどん切り捨てていったんですよ。で、M&Aと金融部門を残していった。それが一番に会社に見えるという現実と、それと対決しなきゃならないっていうのがあるんですよね。

鈴木:グローバル化の話が出たのでしょうがないから話すと、グローバル化に伴って、なんらかの競争が生じる。それは正しいんだけど、キャッチアップしなきゃしなきゃってかけ声は大きかったんだけど、実際の改革は進まなかったという現実があって。さっきの話でいうと、10年くらいかけてようやく気がつく、その間モラトリアムを経て、ジョブホッピングができる環境が整えばよかった。両者はセットにしなきゃいけなかったのに、景気が回復してきたら、終身雇用を復活させようみたいな話になっている。それで途中、18とかで間違えたらリカバー不可能な制度を作るのが、日本は好きすぎると思うんですよ。グローバル化の中で雇用環境が変わってくるっていうのは、雇用環境が流動的であることとセットですよね。ジョブホッピングしたいときにできる、っていうのがセットにならずに、雇用する会社の側は変わってなかったんだけれども、学生に対しては、これからは一人で生きていかなきゃならないんだ、だから13歳で自分の人生を決めて責任とってね、って話になっている。制度を弄らずに中途半端に学生の意識だけ変えてしまったのが一番の問題だったんじゃないかって、僕は思ってるんですよ。
そこでミスマッチになるような意識を作っておいて、若い奴の意識が変わったからよくなくなったっていわれても、お前らがそうしろって最初にいったじゃん、って。

柳瀬:あれって結局不景気の時にやった対処療法なんですよね。

鈴木:それも不景気の時には一番やっちゃいけない類のね。

柳瀬:もうひとつは、不景気が10年以上も続くなんて、政府も企業もまったく考えてなかったんだよね。この番組でも最初、バブルを扱ったときに、ずーっと来年、再来年には復活するぞと思っていた。実際には金融マーケットの崩壊、IT・新しい金融の台頭という、彼らが想像もしてなかったような形で復活した。それが分かってれば、大蔵省のごたごただってなかったわけだし。

鈴木:やっぱそこの政策的なちぐはぐさは指摘した方がいいですよね。で、意識の問題として、じゃあここにいる人たち、みんな30代40代なので、若い奴と向き合わなきゃならない。津田さん、さっき割と本田先生よりでしたけど、同時に経営者として若い人たちをなんとかしないといけない立場にありますよね。

津田:小さい会社ですけどね。どうなんですかね、僕、さっきの「中間の仕事」って話に戻っちゃうと、ちょっと出典は分からないんですけど、人が満足するときって、ひとつはやりがい、ひとつはお金、最後、職場の人間関係。そのうち二つが満たされている人は、満足して働いている人が多いという話を聞いたことがあるんです。自分の周りでも、二つ満たされている人は楽しそうなんですよね。それを意識していると割といいんじゃないかな。ただ、現実問題として、お金を取りに行くっていうのは難しいと思うんですよ。お金は最初からチャンスに恵まれてなくてっていう人が、いきなり高給を取ることはできない。でもさっきのメールみたいに、やりがいかお金かで悩んでいる人は、もしかしたら「人間関係」とかだったら見つけやすいのかなと。

鈴木:じゃあ人間関係の話は外伝パート2でしたいんですけど、僕、たまに自殺の統計とか見るんですよ。それを見ると、自殺の原因として人間関係って急上昇してて。30代の鬱の問題とかもそうですけど。じゃあ人間関係がなんで問題になるのかって話をこの後に。

MP3その5


鈴木:上山和樹さんからのメールが来ています。働く上で必要とされているのは「大切なトラブル」。トラブルを選ぶということが仕事を選ぶということ。どんなトラブルだったら耐えられそうか選ぶのがいいと思うよ、というと、学生が反応する。人間関係を続ける理由は、精神論ではないもの。今は人間関係がひどい阻害要因になっている。そのトラブルには大切なものがかけられているという、口にできないようなものが大事。やめてしまえばいい、というのの果てがひきこもり。がらくたの中でのトラブルには耐えられない。大切なトラブルが大事。
感動した。「この関係に居続ける」ことを選べるかってことですよね。あ、じゃあここでどこでもしてない話をしよう。僕、ニックネームがチャーリーっていうんですけど、なんの由来かっていうのはたいしたことはないんだけど、何故名乗り続けているのかっていうと、色んな職場を移ったんですけど、僕のことを初対面からチャーリーって呼んでくれる人がいる職場は、長く続く、ただそれだけのことなんですよ。でもそれって僕の中では一番大事なスクリーニングツールになっていて、それを受け容れてくれる人とは、長く続くんですよ。そういうフラグじゃないけど、そういうのを、24、5くらいで気づいて実践してますけど、若いうちは辛いですよね。トラブルに遭わないとトラブルを選ぶ力は身に付かないものね。

柳瀬:すごい鋭い話ですよね。実際仕事って、チャンドラーじゃないけど、トラブル・イズ・マイ・ビジネス。仕事を長く続けていると、何度かトラブルにあって、逃げ出したくなるんですよね。仕事だけじゃなくて、あらゆる人間関係のトラブルっていうのが、ある日突然怖くなるっていうのは、僕だってある。どのあたりなら耐えられるかっていう、でもその先に、体の中から出てくるような喜びっていうのが得られると、すっと抜けられるのかなあって。

鈴木:ああ、いま他局の放送ですけど、演歌の女王が流れてて、「逃げる」「逃げない」の二者択一になってる。それしかないのもねえ。

本田:たとえトラブルに満ちた人間関係であっても耐えられる何かっていうのは、私は外から来るんだと思うんですよ。人間関係がトラブルかトラブルじゃないかっていうのは偶発的な部分で選べない。今いる場のぐちゃぐちゃに流されないようなものだと思うんですよ。ウツボスキーさんって人のメールにもあるんですけど、、、

鈴木:じゃあそれ読みましょうか。メール、会社や社会の進むべき目標を縦軸とするなら、今は人間関係という横軸ばかり見ているきがします。息苦しいったらありゃしないというメールですね。

本田:ここでは会社にとっての縦軸っていう話になってるんですけど、私は個人にとっての縦軸が大事なんじゃないかと。それがあれば、その場その場の、誰が出てくる変わらないテレビゲームみたいな、打ち落とすか挨拶するか決めなきゃいけないっていうのに対処できるんじゃないか。

鈴木:斎藤さん、今の話ってもしかして、正月にしたキャラの話、つまり横の人間関係で相対的にしか位置を決められないって話が出てましたけど、それに関わってるんじゃないですか。人間関係が横軸だけになると、いじめも含めていじめも含めて辛くなってない?

斎藤:昔は会社だったら、社員はみんな同じような人たちだったんですよ。でも今は「ハケンの品格」って番組やってますけど、色んな人たちがいるわけですよね。そこでの気遣いの精神的負担って相当高いだろうなと。キャラの話に結びつくかは分からないけど、気遣いしないといけないというのは、演じないといけないっていうのはありますよね。

鈴木:じゃあちょっとだけ真面目な話をするとですね、演じるっていうのは、昔からそうだったんですよ。社会学には「役割」という言葉がありましてですね、役割っていうのは、状況に応じて何を演じるかっていう話。エリクソンっていう人がアイデンティティって概念を定義するわけですが、いろいろ演じている中で、これが私なんだっていう確信を持っていることをアイデンティティって呼んでいて、だから何を演じても安定しているっていう前提なんですよね。それが正しいかそうじゃないか、現代社会において当てはまるか当てはまらないかって話は横に置いておくとしても、多分、専門性なり、「横軸じゃなくて縦軸」なり、キャラじゃなくてもっと大切なものっていうのは、どっかで昔のアイデンティティ論、足場作ろうぜ、って話に繋がってきますよね。
津田さん、経営者でライターでフリーランスで、って立場ですけど、どうもITの世界、そういうのなくてもその場その場で対応できる人って増えている気がしません?

津田:あー。まさに仕事とトラブルっていうので、なんで僕がライターやったり小さな会社を経営してたりするかっていうと、まさに仕事上のトラブルってすごく不条理じゃないですか。相手が絶対間違ってるのに、それをやらなきゃいけなくて、で、そこで鬱になっていく人も多くて。僕もやっぱりいやだったんですよ。働いてたときに上司と喧嘩したりして。それがイヤで辞めたんですけど、でもフリーランスだって不条理なトラブルはある。ただ、その仕事は自分で選んで決断したものだから、その仕事を受けたのは自分の責任だから、しょうがないよねって納得できるようになって、精神的にすごく楽になった。もう次から受けるのやめようとか思えるし。でもフリーになるのは、仕事なくなることも含めた大きなリスクを伴う。みんながフリーになるなんてムリだけど、その中間くらいがあればいいのかなあと。

斎藤:それが「専門性」の話に近いんじゃないですか。

本田:ある場にいて降りかかってくる不条理なトラブルがあったとき、それに飲み込まれないように幽体離脱した自分が、上から見ているのでやりすごせるというのがあると楽かなあと。それが私の場合は専門性だったんですよね。この職場でうまくいかないとか、ごちゃごちゃしている。私の場合はそれは学問的な領域なので、幽体離脱ができた。

鈴木:あのー幽体離脱という言葉が誤解を招くかもしれないので捕捉をしておくと、キャラ問題も含めて若い人たちの間で問題になるのは「乖離」ですよね。いま、命令をされて仕事をしている自分は、ホントの自分じゃないんだって、淡々と仕事をこなしていくうちにどんどん心の健康を病んでいくって話があるので、それと混同されるとまずいですよね。幽体離脱したらまずいんだけど、なんらかの足場、具体的なものが仕事の外側にある。自分の全人格を職場にかけている状態がまずいから、外に相対化できる足場を持っておこう、って話ですよね。

津田:そういうときのツールとして、ネットっていいですよね。

鈴木:SNSとかね。ただSNSももちろん微妙なところはあって。僕SNSで76生まれの同世代とたくさん友達ができたので、色々知ることができた。同世代がどういう風に働いているのかとか、人って29から30の間に、こんなにばたばたと結婚するのか(笑)とか。大学の中で育ってきたから、普通の人たちの生き方を知ることができたのはすごく勉強になったんだけど、その反面、冬になるとIT業界もそうだけど、鬱病で倒れる人が増えるんですよ。で、そういうのも連鎖しちゃう。そこは一長一短。就職活動でいうと「みん就」がそうですよね。就職活動しながらお互い励まし合うためにも使えるけれども、お互いを痛くしていくこともありうる。負の側面はあるよね。

津田:人間関係が近すぎるのがいけないのかな。

本田:SNSっていうか、人間関係自体が横軸になっちゃってるんですよ。

鈴木:SNSに何の可能性があるかを考えたときに、縦軸になるようなものを得られるように、リアルで会ったりとか、あるいは安心感というか。流動性と流動性期待って言ってるんですけど、この関係はいつかなくなっちゃうだろうなーって思ってると、ホントになくなってしまうということが起こる。だから流動性期待が高まらないように、ひょっとしたら年に1、2回くらいしか会わないかもしれないけど、俺の帰る場所はちゃんとここにあるって思えるような、そういうものとしてSNSが機能する可能性はあるし。高校生くらいの子が、ジモトのおな中の子とメールで繋がってたりするのを見ると、ジモトっていうテーマに関する限り、あるんじゃないかと思うんですよね。うーん、やっぱり個人の話になっちゃうか。あんまり実存の話にしない方がいいと思うんだけど。どうすか柳瀬さん。

柳瀬:本田先生の比喩、僕も同じことを考えてて。僕、転校生だったんですよ。で、ぼくはたまたま合いまして、転校大好きだったんですよ。僕ら世代の銀行員、電電公社、NHKとかの転校生組って必ずいて、同じような人生を歩むんですけど、そういう人ってすぐ分かるんですよ。ひとつはいじめられっ子になっちゃう、居場所がなくなっちゃう子、そしてもう一つは、ある種の社会性を早めに身につけて、誰とでもうまくやれるんだけど、どこか退いた目線で、もう一つの自分を持っている。
最初にキャラを作って、そのキャラを自分で操作しちゃうってスキルが、何度か転校してると、洗練されてきて。その時のスキルが今でも社会で生きていく上で役に立ってますね。

鈴木:あー。僕は転校していじめられっ子になった方だったので、高校デビューでキャラ作り直したんですよ。昔はクラス替えとかもあったけど、中学から高校で、いじめの件数って激減するわけで。やっぱキャラの作り直しって大事。ただ、教育の時もやったように、それって同じような奴が集まっただけって場合もあるから、その辺はなんとも言えないんだけどね。
本田先生、さっき最後を柳瀬さんで締めてしまって、ちょっと不公平感が漂ったので、なんか最後におっしゃりたいことがあれば。

本田:転校の話が面白くて、私のよく知ってる人も、転校で人間力を身につけちゃった人で。でもそのおかげでその人は、ある種の無常観みたいなものを身につけちゃって。そういう感覚を持った人もいるなあと。
あと、横軸の話で言うと、SNSでも、有象無象が集まってるだけで、横軸の平面が並んでるだけなんですよ。どっちかっていうと縦軸って言うのは抽象的なものなんです。人の繋がりが入れ替わっても受け継がれていくような抽象性の高いもの、それが縦軸なんです。だからそれはちょっと理解してもらってるのかなあと。

鈴木:僕は多分そこでいつもすれ違ってて、社会学者として、その縦軸は「自分一人では作れない」って、そこだけなんですよ、僕が拘ってるのは。

津田:あと本田先生の話って、アウトプットが必要になると思うんですよ。内向的に自分だけ自信を持っているんじゃなくて、人前で披露したり、評価されたりして、ようやく自分が身につけているんだって実感できる。精神の平静が保てる。

鈴木:形になるっていうのは大事だよね。やり方は分からないけど、自己満足は自己満足だけではできないので。
こういう話をするといつも話は二方向に行きがちで、片方は「働くこと」とか「アイデンティティ」とか。もう一方は「労働者はこんなに辛いんです!」みたいな話。で、最近はこの二つは両方流行ってて、抽象的な話とかせずに、労働者がこんなに辛いんだからもっとルポルタージュしろよ、か、もっと働くということの哲学を追求しろよ、みたいになってる。でも、マルクスを読めば分かるように、近代社会において労働は、いつもこの二つの側面を持っていた。それが離れたことはない。でもそれが今離れているのだとすると、もしかしたら労働論がひとつの曲がり角に来ているのかもしれない。僕なんかはその間のことをやろうとして両方から叩かれるんですけど、僕はそういうスタンスは手放したくないし、本田先生の実証と理論をちゃんと押さえているのも、そういう東大教育の伝統があるはず。少なくとも、教育再生会議に教育の専門家がひとりもいなくて、みんなで根性論を話すよりは全然大事なことがあるっていうのは、押さえておきたいと思います。

本田:あ、その種のことを月曜の朝日で書いてます。

鈴木:Podcastingが出る頃にはもう月曜は過ぎてますけど、29日ですね。本田先生、新著も世界、論座にも出られるということで。来週の東京、先週の不良から、労働、格差を経て、テーマが繋がってきてるので次回も是非。
2007年02月06日(火) 10:37:07 Modified by ID:od2UZIaWgg




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