「Jの時代」Part1

2007/3/24放送「Jの時代」Part1


出演:鈴木謙介、柳瀬博一、仲俣暁生、佐々木敦、津田大介、森山裕之、高原基彰(ゲスト)

※以下の発言まとめは、正確な番組での発言とは異なる場合があります。

MP3その1


鈴木:「J-POP」って言葉がありますけれども、これ日本の音楽全部をさす言葉ですけれど、そんななか最近は邦楽とも洋楽とも区別つかない音楽も出てきて、「J-POP」って括りもしっくりこないなーなんて思うこともあります。一方、邦楽が洋楽みたいになっちゃったせいか、「洋楽聴かないな」って人も結構まわりにいます。
この番組で「青春ベストソング」って回やったときも、ほとんどが邦楽のリクエストだったんですね。
そもそもこの「Jナントカ」って言い方、90年代頭のJリーグとかJ-POPあたりからでてきたんでしょうか?
一部は残ってますが、最近はJナントカってネーミングあまりしませんね。
今日はこの「J」をめぐって話をしようと思います。
ホントに洋楽と邦楽の垣根は崩壊したのか?「Jという自意識」が定着したのは若者の右傾化といわれている現象と関係あるのか?日本文化の海外進出とJという言い方と関係があるのか?
今日もひとつのテーマを深く掘り下げていきます。
まずは一曲目、羅針盤『永遠のうた』

鈴木:まずは日経BP、柳瀬さん、あまりJとかぶらないかもしれませんが、経済方面からの解説お願いします。

柳瀬:よろしくお願いします。

鈴木:次は批評家の佐々木敦さん、「J文学」という言葉ありますけど、あれ作ったのは佐々木さんですねw。

佐々木:まあ、作ったといえば作ったのは僕ですw

鈴木:じゃあ今日は戦犯としてw。なにがあそこにあったのかと言う話、後でよろしくお願いします。

佐々木:よろしくお願いします。

鈴木:続いて仲俣暁生さん。仲俣さんはJ文学以降の日本の小説を批評対象としてやってこられたと思いますので、その話お願いします。

仲俣:よろしくお願いします。

鈴木:続いて津田大介さん。J-POPが出てくる時代がちょうど青春期というか。

津田:そうですね。ちょうど大学生ぐらいですかね。J-POPって単語が分かりやすく出てきた頃って。よろしくお願いします。

鈴木:あー僕なんか気がついたらJ-POPだったって世代だから、その辺の世代の違いも話してください。
久しぶり、『QUICK JAPAN』編集長、森山裕之さん、お忙しいようで。

森山:えーちょうど校了中で。「QUICK‘JAPAN'」という雑誌なんで。

鈴木:あーそうだそうだ。Jというからにはね。ついでにQJの宣伝もしてくださいw。
さらにゲストで『不安型ナショナリズムの時代―日韓中のネット世代が憎みあう本当の理由』の著者、日中韓の若者文化に詳しい社会学者の高原基彰さん。東アジアの状況なんかも話してください。

高原:よろしくお願いします。

メール:J問題?わからなーい?まず論点がわかりません。
Jビーフは米国産牛との区別?J-POPもニューミュージックが古い言葉になったから言い換えてる程度のことじゃないんですか?

鈴木:このひと、さすがなのはJ-POPとニューミュージック両方知ってる世代の方なので、「だから別にJって何?」って感じなんですね。
逆に気になるのは、「最初っからJ」っていう人たちがその後から出てきてることで、この人たちとは意識が違うんじゃないかな。

メール:自分にとってはJリーグがJの象徴です。Jリーグ発足時の三浦カズ選手がステージ上にあらわれるシーンが印象的
ですね。あのいかにも広告代理店的なイベント仕掛け方を見て、あーJリーグ要らんわ、と一瞬で結論がでました。
以来、Jとは自分にとっては胡散臭くて信用ならないものという確固たるイメージができあがりました。
J〜という新しい商品、団体があると自分にとってあっち側のものと思って近寄らなくなりました。
J-POPはよく聴くけど、J-POPという言い方は大嫌いで自分は使いません。

メール:Jは海外から見た日本という立ち位置だと思います。ドメスティックな視点からグローバルな視点へ移ったとき「J」という言葉がでてくるんじゃないか。海外から見たらJという視点は意味を持たない。日本国内でしか通用しない言い方。

鈴木:Jという言い方がでてきたのはいつ頃から?

柳瀬:リアルタイムなのでよく覚えていますけど、1987年12月のJRが一番初め。若い方のために説明しますと、もともと国鉄というのがありましてw 赤字になって民営化して、JAPAN RAILWAY、愛称としてJRが出てきたのがメジャーなものとしては一番初めですね。その翌年にJ−WAVEが開局。当時の中曽根首相が民活で、三公社五現業なんていわれてた国営企業を民営化しようとした。そのときに古臭い名前、国鉄をJR、日本たばこ専売公社を日本たばこ産業にした。JRが定着したので、後になって89年にJTという呼称を付けたんです。その後90年代頭に農協がJA、日本中央競馬会の略称JRA、そのあと93年に決め打ちとしてJリーグ。ポイントは、当時、大学生から社会人になる頃でしたけど、「JRなんてダサい」と感じたこと。国電の山手線なんかはE電と呼称付けられたけど残らなかった。JRは他に呼びようがなかったせいか、いまのJナントカに繋がるものとしてか、残ったんですね。

鈴木:80年代の規制緩和で先にできたNTT(1985年)なんかは、「J」にはならなかったわけですね。

柳瀬:NTTとJRの間、80年代の後半に「川」がある。名前の付け方としては分かりやすくて、「ダサい感じの名前をオシャレなアルファベットに直しましょう」という、いかにもお役所が考えそうなイモくさいマーケティングだったのだけど、Jナントカのスタートがそこから始まってることは見逃してはいけない。

鈴木:その後広告代理店的に、みな「J」「J」と呼ぶ時代になるわけですね。佐々木さん、仲俣さん、その頃どうでした?まさに佐々木さんはその後「J文学」を名付けられるわけですがw

佐々木:何回も言わないでw

鈴木:だって今日は話題の一番真ん中にいるじゃないですかw

仲俣:「国鉄」って口ではあまり言わないけど、「国電」は言ってたからね。「国電の駅」とか。JRになってからも5年ぐらいは「国電」って言ってました。

佐々木:言ってたよね。

柳瀬:言ってましたw

仲俣:口に出して言えなかった、JRって言葉は。「ジェ」って言葉、日本語にないじゃないですか?まず。

鈴木:ないですけどw

佐々木:だから、っていう理由が分からないw

仲俣:柳瀬さんのまとめでよかったのは、「Jリーグは仕上げだった」ってことですよね。

鈴木:あーなるほどね。

柳瀬:一連の「J化」のw

鈴木:僕らからすると「始め」だったような気がしますけど。

柳瀬:仕上げだったw

鈴木:アルファベットにしようという動きは2000年代に入ってからも、eナントカとか颯淵鵐肇とか流行りましたけど、これは全部潰れるわけですけどw、Jリーグが仕上げだったとしても、一番定着したのはJ-POPだったと思うわけですが。J-POPって言葉、烏賀陽弘道さんの『Jポップとは何か―巨大化する音楽産業』という本で、J−WAVEと一緒に組になって出てきた言葉だったとありましたけど。「洋楽っぽい邦楽」として出てきたという説明だったと思いますが、僕イメージとして全然分からないんですが。

津田:日本の音楽業界はちょっと特殊で、タイアップの手法が強かった。放送局が音楽出版社を持って権利を持つ、で権利を持った楽曲をラジオで流すと売れるという構図。アメリカなどは明確に禁止されてますけど。広告代理店、CMがあるなかで、ある種の一大キャンペーンだったと思うんですね。渋谷系なんかの流れもあって。これは新しいものだと。今までの日本の音楽とは違うだろうと印象付けるために、J-POPという言葉が曖昧であったからこそ、利用された。音楽業界ではムーヴメントに近かった。60年代の日本の音楽は職業作曲家が作っていて、洋楽をそのまま引用して作っていた部分もあったじゃないですか。その後、フォークが出てきて、自作自演するロックバンドが出てきた。で、バンドブームがあって、渋谷系なんかが出てきて、アイデンティティを獲得していくというミュージシャン側の気分があったと思う。「今までのニューミュージックとは違うよね」というミュージシャン側の気分と、広告代理店、タイアップの手法、新しいラジオ局J−WAVE、渋谷のタワーレコード、HMVなんかが上手くマッチして、J-POPというネーミングが定着していったんじゃないかな。

鈴木:たぶんそこで最初に起きた「Jの仕掛け」みたいなのものが、津田さんにとってはタワーレコード、HMVで売られる「オシャレなJ-POP」というイメージだったと思うのですが、僕にとっては90年代頭のビーイング的なものがJ-POPなんですよ。

メール:J-POPといえばカラオケです。90年代頭は第何次だかのカラオケブームでした。当時通ってた中学のそばにラブホテル改装したカラオケボックスがあって、イケナイ気分味わいながら暇さえあれば歌ってました。歌ってたのはB'z 、T-BOLAN、ミスチル、サザン。持ちネタが必要なので、自分が聞きたいというより歌いやすい曲を聞いていた気がします。

鈴木:J-POPというと90年代前半のカラオケで歌いやすい曲を指してた。

佐々木:あー。J-POPって何かってみんなで話すとワリにみんなイメージが違ってるのが面白くて。全部広げたものがJ-POPといわれているものの総体。なんで「N-POP」と名付けられなかったかというと、さっき仲俣くんが「ジェイって言いにくい」って言ったけど、逆に言いにくいから、横文字っぽいからキャッチフレーズとして使いやすかったという面があると思うんですよ。だから名付けられるものはみんなJと名付けた。もともと日本って、「NIPPON」と「JAPAN」と両方あって、海外から見たら「JAPAN」だったという。だから英語にした場合はJナントカになるわけですよ、日本ナントカカントカってのは。メールにもあったように、海外からの視点を逆に取り込む形で、Jナントカという言葉になってる。J-POPに関していえば、洋楽的要素―――洋楽的要素ってのは必ずしも洋楽的な方法論が入ってなくてもよくて―――ある意味「洋楽とマーケットのなかで共存しうるような邦楽」としてJ-POPと名付けられたわけですよね。

津田:僕が覚えてるのはJ-POPという言葉が出てきた92、93年頃のタワーレコードとかHMVは、J-POPという枠でCDを並べてたわけですね。ところが新星堂とか昔ながらのCDショップは、J-POPって使ってなかったんですね。まだ4、5年ぐらいはロック、ポップスって言い方してて、90年代後半になってJ-POPという枠を使うようになっていった。それは明確に覚えてる。どういうことかっていうと、J-POPって、まずタワーレコード・HMVみたいな先鋭的な店がそういうものを消費したいユーザーに向けた「仕掛けとしての特殊名詞」だったってこと。それが97年ごろ新星堂なんかも使うようになって一般名詞化したってこと。

佐々木:うんうん。拡散したんだ。

柳瀬:もともとJ−WAVEが名付けたんだよね。

佐々木:そうですね。

鈴木:烏賀陽さんの本では、そうなってますね。

柳瀬:J−WAVEって、もともとシームレスで洋楽しか流さないって方針だったときに、邦楽を流す対策として、「洋楽にマッチングする、彼らが選んだ邦楽」として出てきたもの。まさに佐々木さんが言われたようなところからJ-POPって雰囲気が出てきたんですね。

鈴木:今までの話は、Jナントカはただのマーケティングから出てきたオシャレ記号だったんじゃないの、という話から、J-POPは洋楽と拮抗しうるものとして出てきたという話。その後どうなったかというときに、洋楽・邦楽問題は大きいなと思う。洋楽に特別な意味があった時代というのは「日本の音楽がダサい」という前提があったからじゃないですか。それがあるところで「拮抗しうるぞ」というものになり、どこかの時点で「もう海外なんか関係ないよ」というものになってくる。Jナントカが若者の右傾化だと言いたがる人たちがいるわけですがw、面白いメールがあって。

メール:Jの時代の象徴的なシーンは、1999年の天皇即位10周年記念式典です。YOSHIKI、GLAY、安室奈美恵がズラリと並んで何じゃこりゃーって感じでした。伝統的な右翼の人から見ればけしからんということだし、左翼から見れば体制が若い人を取り込もうとしたと映ったかもしれませんが、右とも左ともいえないあの奇妙な居心地の悪さこそがJなのだと思います。

鈴木:何でもアリな感じがJ、JAPANであるということは間違いないっていう。その辺と洋楽・邦楽問題と絡めたいのですが、高原さんがよく言及されてる中国韓国のサブカルチャーでも―――たとえば「K-POP」なんて言葉日本ではよく聞きますが―――僕らがJというときの自意識と同じものがあるんじゃないか、という気がしてて。その話伺う前に、高原さんが持ってきた曲を紹介してください。

高原:No Brainという僕のよく知ってる韓国のロックバンドなんですが、2001年にフジロックに出演して日本の旗を破って一部で話題になったというバンドでですねw。それとは関係なく、最近『ラジオスター』という映画に出て、すごく売れて、韓国人だったら名前ぐらいはみんな知ってるという人たちです。彼らの最新シングル『ミッチン・ドゥン・ノルジャ(狂ったように遊ぼう)』です。
2007年04月09日(月) 03:13:52 Modified by ID:1N1DAc8iBA




スマートフォン版で見る

×

この広告は60日間更新がないwikiに表示されております。