アイフラワー社との仕事も終了した私、サルバトーレ・メイヨーは、アメリカ大陸よりロンドンに戻り、文学の研究に没頭していた。
 アメリカ大陸からロンドンに移動する時に乗った、(公的には、発表されていない)VTOLは、すごい経験だった。
 USAの未発表テクノロジーは、30年ほど進んでいるようだ。
 私は、その外観のみ、写真を撮る事を許されたが、1枚のみだった。
 やがて、私は、ロンドン大学を卒業し、その後、ロンドン大学のグラデュエート・コースで、MASTER’S DEGREEを取得した。専攻は、文学であった。
 2003年より、私は、自分の研究の地をロンドン郊外のルートンに置いた。
 アイフラワー社とは、もう、10年、音沙汰なかった。
 私にとっては、アイフラワー社の事は、記憶の彼方になっていた。

 ルートンは、小さな町だが、おもしろい町である。フィルムストック国際映画祭(FILMSTOCK INTERNATIONAL FILM FESTIVAL)が開催される事で有名なこの町だが、昔風のマナーハウスが残っていたり、のんびりしている。ロンドンとは、時間の進むスピードが違うようだ。ヨーロッパでは、昔から、「アジア趣味」が時々流行するが、2000年代も、アジア趣味が流行している。かつては、日本趣味が流行していた所に、2000年代は、タイ趣味が広がっている。ルートンにも、美味しいタイフードを出す店があり、店員の人々は、タイ・スマイルで、迎えてくれる。ランチにタイフードを好むビジネスマンたちが多く、ストリートは、タイフード屋台が繁盛している。

 私は、このような地で、文学の研究をつづけていた。


 2年が経ち、私、サルバトーレ・メイヨーは、フランスの、とある田舎町に住んでいた。

 私は、イタリア出身としては、まあ、当然な事かも知れないが、ローマン・カソリックの教えを小さい頃から受けていた。
 その日、私は、フランスの、その田舎町にある、とあるカソリック教会のミサに出席し、その後、教会を出ようとしていた。

 あれは、2005年の春だったろうか。

 教会の門の近くで、白いスーツの男が私に声をかけた。
「ムッシュー・メイヨー?」
 私は、答えた、「そうですが、貴方は、どなたですか?」
 彼は、「私は、アイフラワー社から来た者です」と答えた。

 私は、久しぶりに『アイフラワー』の名を聞き、少し動揺した。アイフラワーから連絡が来たのは、ほぼ、12年ぶりだったからだ。

 私は、その時、いまだ私が関わっていた、アイフラワーの宇宙開発プロジェクトに於いて、何が製造されていたのか知らなかった。

 彼(その白いスーツの男)は、その後の事について(つまり、アイフラワー・ユニットの、その後について)、私に語ってくれる、という。

 教会の門の前には、赤い車が停車していた。それは、アイフラワー社の車のようだった。白いスーツの男は、その車のドアを開け、私に搭乗するように言った。
「さあ、レッドカーの中にお入りください」

 その車は、アイフラワー社では、通称『レッドカー』と呼ばれているようだった。

 レッドカーに搭乗した私は、約2時間くらい、ドライブに付き合わされた。
 レッドカーは、かなり山奥の天文台に到着した。
 白いスーツの男は、天文台の中に私を案内した。
 中に、テーブルと、豪華なフランス料理が用意されていた。
 白いスーツの男は、「私は、ホワイトマンです。ムッシュー・メイヨー、会えて光栄です」と、改めて挨拶した。
 私は、彼の名が『ホワイトマン』だと分かった時、服装と名前がピッタリだなあ、と思ったが、まあ、そんなことは、どうでもよかった。

 以下が、アイフラワー・ユニットについてである。

 アイフラワー社は、多くの点で、この12年の間に変化していた。

 まず、アイフラワーと、宇宙開発で提携関係であった、VALDAT(日本・熊本県に位置していた多国籍企業)が、地球環境問題を今後の深刻に取り組むべき課題と考え、宇宙開発関連事業の方のSTOCKを、全て、アイフラワーに売却し、CO2削減開発に移行したという事だった。

 アイフラワー社は、その後、VALDATの技術を取り入れ、アイフラワー・ユニットに、宇宙空間に於いて、多くの改造を行っていた。

 アイフラワー・ユニットは、何だったのか、私は、ついに、その真相を知る事になった。それは、ワームホール発生装置だったのである。
 ワームホールとは、つまり、ワープ航法の1つの形である。
 1990年代には、いくつかのハリウッド映画(またはTV)で、『ワームホール』が映像的に描かれた。(例:『スタートレックDS9』『スターゲート』『コンタクト』)

『ワームホール』とは、時空構造に生じる現象、または、(SFでは)人為的に発生させうる時空を超えた通路だ。
 時空のある1点から、別の離れた1点へと直結するトンネルである。
 それは、光を超えるスピードで空間移動を可能にし、もしワームホールを人類が使えるような時代になれば、時間旅行も可能と言われる。
 以上、そう、つまり、それがワームホールなのである。
 アイフラワー・ユニットは、ワームホールを発生させながら、広大な宇宙旅行を実現可能にする乗り物の駆動機関だったのである。
 その一種の宇宙船は、多くの改造のあと、完成し、現在は、『アイフラワー・クルーザー』と名づけられた。
 技術的な事は、難しすぎて、私にはうまく説明できないが、つまり、アイフラワー社は、およそ、500万光年を旅することが可能な宇宙船『アイフラワー・クルーザー』を完成させたのだった。


 結局、私は、またもや、LONDONに戻ることになった。AIFLOORE CORPORATIONのHEADQUARTERSが、LONDONにOPENしたからだ。私は、AIFLOORE CORPORATIONが用意した、(またもやハイテクの)VTOLで、ヒースローまで送られた。 ヒースローの(なつかしい)特別滑走路からENGLAND入りする事になったが、しばらくぶりのENGLANDは、それ以前の、もっと若い時期に感じたENGLANDとは、違って見えた。私が少しは、成長したせいかもしれない。私は、AIFLOORE CORPORATIONが手配してくれたサリードームという滞在施設に入った。それは、LONDONのTATEギャラリーの近くであった。
 LONDONは、相変わらず、LONDONであったはずだ。
 テムズの流れは、これまでのように流れ、ビッグベンは、やはりそこに在った。
 私が、今回、AIFLOORE CORPORATION LONDON HEADQUARTERSに招聘された理由は、1つ。あの、MSモアーナ・アイフラワー(MS MOANA AIFLOORE)の独断であった。
 MSモアーナ・アイフラワー、そう、彼女は、1992年、メキシコで初めて会った時、7歳だった、アイフラワー・ファミリーの令嬢だ。
 それから、考えると、20歳になっているはずだ。
 あのとき、52歳だった、アイフラワー創業者は、65歳になっているはずだった・・。
 元気にしていらっしゃるだろうか・・。

 今回は、ビッグベンで再会することになっていた・・。

 モアーナ・アイフラワーは、やってきた・・・アポイントメントどおりだ・・。

 どんな話が聞けるのだろうか・・?


 2005年、5月15日。
 私、サルバトーレ・メイヨー、
 モアナ・アイフラワーに再会す。

 テムズ川は、静かに流れていた・・・。

 時は、静かに過ぎ行く様を見せていた・・・。

 ロンドン・アイは、ゆっくり回っていた・・・。

 私と、モアナ・アイフラワーは、シャーロック・ホウムズの時代から在るかとさえ思えるようなブリティッシュ・パブに入り、そこで、レッド・ヴィーネとFISH&CHIPSをオーダーした。これは、ロンドンの定番である。
 ロンドンのウナギ料理もよい。

 私は、モアナ・アイフラワーの写真を撮ったのだが、それは、デジタル・フィルターが入り込み、撮影出来ていなかった。

 それで、彼女のイラストを後で、思い出して描いた。

 アイフラワー家の人間たちは、多くの国際機関を動かしているため、写真が撮れないのである。彼らは、大抵、エレクトロマグネティックFIELDを発生させるバックルを身につけていて、写真を相手に撮らせないように防衛している。

 モアナ・アイフラワーの話は、ある意味、奇妙であった。

 アイフラワー社が開発した新時代宇宙航行システムを搭載したスペースシップは、今まで人類が足を踏み入れたことがない外宇宙への航行を可能にしたのだそうだ。

 しかし、その新時代スペースシップに乗って、遥かかなたの惑星QXQに降り立った探査ロボットが撮影し、地球に伝送した写真に写っていた生命体は、巨大な怪物だった。

 その怪物と同じ形態の怪物の壁画が、死海の古代遺跡で見つかったのだ、という・・。


 それは、突然のSFファンタジーの幕開けだった。いや、そもそも、私は、そんな話が嫌いではない。むしろ、好きなほうだ。ここに来るまで、ロンドンのチャリングクロスあたりの古本屋をうろつき、そんな本を物色していた。ロンドンの古本屋には、けっこう掘り出し物がある。今日は、1977年に公開されたSF映画『スター・ウォーズ』のコミック版の古本を見つけた。これ、なんと、スパイダーマンのオーサーであり、コミック・アーティストの、STAN LEEが、PRODUCEしているのだ。モアナ・アイフラワーと会う約束の時間まで、私は、とあるカフェで、チャイ・ティーを飲みながら、そのコミックを読んでいたのだ。コミックは、1978年の4月19日に発売されたものだった。映画のHITを受けて作られたコミックであることは明らかだ。この回は、レベル・アライアンスのスター・ファイターが、デススターに攻撃を仕掛ける、という部分がコミック化されていた。映画のクライマックスである、ルークのフォースを使った一撃の寸前で、コミックは「次回に続く」となっていた。私は、うー・・ん、いいとこで終わるな、と感じながら、残っていたチョコレート・チップ・ソフトクッキーを、さっと食べると、マイルス・デイビスの曲が流れていたカフェを出て、同じストリートにあったPCショップの方に入った。さっきのチャイ・ティーの味を思い出して、やはり、チャイは、インド系のお店の方がうまいな、と感じた。次回、チャイを飲むときは、インド系の喫茶に行こう。
 さっきのカフェは、アメリカ系で、コスタリカ産のコーヒー豆を使った美味しいコーヒーを入れてくれることでは有名だった。私は、前述の通り、イタリアの地方の田舎町出身だったので、・・・その町には、何軒かのカフェしかなく、選択の余地は無かったので、カフェの楽しみは、ロンドンに来てから知った。それでも、私の出身の町では、少ない軒数ながらも、その店独自のオリジナルなテイストを作り出している、素晴らしいカフェがあったのだ・・・。
 Pcショップの商品を見ていると、2000年代は、随分、パーソナル・コンピュータが進歩した、と感じた。いや、事実、進歩したのだ。私は、研究の関係で、多くの考古学・文学データを映像として保存したり、多くのヘビー・ドキュメントを作成し、学会に向かわねばならなかったので、ハードディスクが急速に安価になり、個人のデータ・ストレッジが増大になったことに、多くの意味で恩恵を受けていた。私は、その日、増設HDDを購入し、IEEEの付いていないラップトップPCのためにカード型の増設IEEEポートも手に入れた。
 コンピュータの処理速度や、OSの使い勝手も驚異的によくなった。私の父が仕事でWINDOWS95やMAC−OS以前のコンピュータを使用していたので、私は、そのコンピュータで、よく初期のウルティマなどのロールプレイングGAMEで遊んだのだが、その頃のコンピュータは、同時に2つのソフトウェアを走らせるなどという芸は出来なかったのを記憶している。グラフィック処理も、今のような写真レヴェルの表示は、出来なかったし、かろうじて可能だったモトローラの68000系CPUを搭載したコンピュータでも、おそろしく表示に時間がかかっていたものだ。今では、民生用のコンピュータで、グラフィックソフトウェアも、ワードプロセッサも、インターネットブラウザも同時に走る、・・・これは、驚異的なことだ。

 そんな時間を過ごした後、モアナ・アイフラワーに会ったのだ。

 FISH&CHIPSのブリティッシュ・パブを出ると、・・・店の傍らには、白いリムジンが待機していた。運転手は、もちろん、アイフラワーの人間だ。
 私は、それに乗せられた。
 車の中で、モアナ・アイフラワーは、言った。
「ミスター・メイヨー、あなた、今日から、正式にアイフラワーの人間よ」
 モアナ・アイフラワーが、差し出したICスキャン付のカードには、私の名前が刻まれていた、「サルバトーレ・メイヨー」と・・・。
 私は、正式に、アイフラワー社に迎え入れられる事になっているようだ・・。

 私は尋ねた、「その、・・・つまり、その根拠は何? 私は、まあ、英語、日本語、イタリア語を使え、文学を専攻し研究したが、私ぐらいの人物は、他に大勢居る。アイフラワー社ほどのグローバル・カンパニーが、私を必要とする理由が不明瞭なのです。どうして?」

「それは、だた、1点のことなの。あっ、私のものの言い方が、大柄だったら、許して頂戴ね。私は、知っての通り、19歳でアイフラワー社のシンクタンクでブレインの役職をもらって、学業と共に、多くの判断を下す立場を強いられてしまったから、時々、人を不愉快にさせてしまう言い方をしてしまうの。ごめんなさい。・・・そう、つまり、あなたのその質問に対する答えは、ただ、1点のことなのよ。それは、・・・私があなたを選んだのよ。理由はあなたが気に入ったから。いえ、つまり、信頼できる心ある人間か、という点よ。別の意味ではないわ。アイフラワーのINFOMENルームでは、すでにあなたの事は、調べてあって、あなたに素敵な恋人がいることも知っている。ミスター・メイヨー、私は、あなたを信頼できる心ある人間だと判断して、あなたに人類のフロンティアを見せることにしたのよ」モアナ・アイフラワーは、そのステイタスと裏腹に、ひどく無邪気に笑った。

 アイフラワーのロンドンのオフィスの1つは、ピカデリーサーカスに在った。ピカデリーサーカスは、ロンドン・エンターテインメントのオフィスの中心街だが、その一画のビルディングの最上階に、オフィスは位置していた。私には無縁だと思われた、ピカデリーサーカスのビッグ・ビルディングの最上階に私は招きいれられた。アイフラワーは、多くのクリエイティブ関連事業にも資金を提供していたようだ。それで、ピカデリーサーカスにオフィスがあるのだ。エンターテインメント・ディビジョンでは、映画製作にも投資しているようだ。
 アイフラワーは、さながら、現代のハワード・ヒューズだと言っていい。ハワード・ヒューズは、航空機産業と映画産業に、そのパワーを君臨させたが、アイフラワーは、宇宙航空産業と映画エンターテインメント産業に力を入れているフロンティアメイカーだと分かった。アイフラワーのオフィスに掛けられた、薄型TVパネルに映っているのは、おそらく、アイフラワーが製作に関係している映画作品だ。そこには、私が大好きなGX(FBIに勤務する未来のヒーローのキャラクター)を主人公にした映画のプロモーションが流れていた。

 サウンドは、JBLのサウンド・スピーカーから、心地よく聴こえていた。
 モアナ・アイフラワーの仕事部屋に案内され、モアナ・アイフラワーとともに、中に入ると、モアナの秘書は、大友克洋のコミックを読んでいた。秘書は、我々に気付き、ふと顔を上げ、「あ、・・・おかえりなさい、ミズ・アイフラワー」と言って、コミックをたたんだ。

 大友克洋のコミックを読む秘書・・・。見回してみると、モアナの仕事部屋の周囲のデスクには、今流行のアニメーション・キャラクターのフィギュア群が並んでいる・・・。ヨーダの等身大のオブジェまである・・。彼らは、スターウォーズの大FANらしいぞ・・。(まあ、私もそうだが。)
 ははー・・・ん、私は、ふと、思った。
「ミズ・アイフラワー」と私。
「モアナと呼んで」モアナは、そう言うと、私をじっと見た。
「モアナ、君たちは、オモチャを開発する事業に参入するみたいだね、そうだろう?」私は、モアナの話した、これまでのストーリーに、どこか疑いを持っていたのだ。
 たしかに、私は、かつて、アイフラワー・ユニットの開発に於いて、デザイン室に居た。しかし、あのアイフラワー・ユニットが太陽系を遥かに越える宇宙船だったなんて、理解できないのだ。
 公式には、NASAが70年代に打ち上げたボイジャーが、地球から最も遠くに離れた所に在る人工物であるという常識が吹き飛ばされてしまうのだ・・。
 モアナは、言った。
「この世界には、あなたが、まだ全く知らない英知があるのよ・・・、サルバトーレ・・・」

 ロンドンは、全てを飲み込んでしまう街だ。限りなく人類の英知を吸収し、その栄養でさらに加速度的に肥大するのだ。
 だからこそ、このようなモアナ・アイフラワーのような人間が闊歩するのだ。
 
 私のようなイタリア半島の地方からやって来た者には、知るよしもないナレッジをすでに自分のものとしている団体やカンパニー、そして人物が存在しているのだ。
 モアナは、すでに、ビルディングの屋上に英国空軍のハリアーが迎えに来ていると言う。
 私は、運よく、計り知れぬナレッジとフロンティアを見ることが許された。それならば、乗るしかないのだ、そのハリアーに。
 ハリアーの行き先は、日本列島の南海・・・。
 そこに、小型宇宙シャトルを艦上で打ち上げるためのユニットを設置しているという、アメリカ合衆国の空母アイゼンハウアーが待っている。

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