当wikiは、高橋維新がこれまでに書いた/描いたものを格納する場です。

×
作評トップ

向日葵の咲かない夏

※完全にネタバレをします。ミステリー作品なので、本稿を読む場合は、作品の読了後をお勧めします。



 ヨビノリが動画内で勧めていたので読んでみました。
 ヨビノリは「伏線回収」がこの小説の魅力だという趣旨のことを言っていましたが、それが一番の強みではないと思います(ただ、ネタバレをせずに本作を薦めようとするとヨビノリみたいな回りくどい言い方しかできないだろうなというのは理解できます)。この小説の一番の強みは、叙述トリックです。この作品には、序盤から死んだはずのS君が蜘蛛になって再登場するというファンタジー的な展開があったり、3歳であるはずの妹の言動が妙に大人びていたりといった違和感が散りばめられています。確かにこれは全て最後に回収される伏線にはなっているのですが、やはり叙述トリックとしての見事さを強調しておきたいです。この叙述トリックは実に鮮やかです。本作の映像化は(実写化・アニメ化を問わず)よほどの技術とアイディア(と、度胸)のある作り手じゃない限り不可能でしょう。小説という制約の多い表現手法で、その制約をものともせずに、却って小説にしかできない表現をやってのけたことには素直に最大級の賛辞を贈りたいと思います。

 要は、一番おかしいのは主人公かつ語り手のミチオだったというオチなんですね。ミチオが、身の回りの生き物を死者に見立てて会話していた(つもりになっていた)だけだったのです。
 ただ、そのせいで肝腎のS君死亡事件の真相がよく分からないことになっているので、読了後にあまり気持ち良くなれません。終盤に語られるS君死亡事件の真相は、「一番おかしい」ミチオの独白でしかないので、客観的な真実として気持ち良く信じ切ることができません。作中でケースセオリー(事件のさしあたりの「真相」として作中で呈示される仮説)が二転三転することも相俟って(読了後に振り返って考えれば、そのケースセオリーも基本的には全てミチオが人に見立てた生き物が語っているものなので、ミチオが考えたことになるはずです)、ミチオが語る真相に全面的に「乗る」ことができないのです。結局、真相は深い藪の中です。ミチオがおかしいせいで、前述の「ミチオが、身の回りの生き物を死者に見立てて会話している」という設定さえも、本当に信用していいのか不安になってきます。「そのような荒涼たる不安が残る作品にしたかった」というのが作者の意図だというのであれば、私の好みに合わない作品であるということでしかありません。私は、ミステリーは「確固たる真相」に唸ることで楽しみたいタイプです。他方で、作者も本作の真相を確固たるものとして提示したかったということであれば、そのやり口はあまり褒められたものではなかったと思います。

作評トップ

管理人/副管理人のみ編集できます