→作評トップ
完全にネタバレをします。ミステリーなので、本稿を読むのは作品の読了後をお勧めします。
西村京太郎作品はひとつも呼んだことがなかったので、何かしら読んでおこうと決心した末に手に取ったのが本書でした。西村京太郎といえば十津川警部シリーズの時刻表トリックが高名ですが、何となく時刻表トリックは嫌でした。
これは、本当に「何となく」の先入観でしかありません。「●●駅で何時何分の電車に乗って◆◆駅で何時何分の電車に乗り換えてから目的地に行けば犯行は可能です」とネタバラシをされると、私個人の心理としては本当に犯行を可能にするような電車があるのかを確かめたくなります。ところが十津川警部シリーズは1970年代から発表された作品群であるため、私の疑問を解消するには何十年も前の時刻表を確かめる必要があるわけです。そうなると、そもそもどうやって調べたらいいかが分かりません。それに、頑張って確かめたところで「おお。本当にあるぞ」だけで終わりそうで、もらいが少なそうなのです。また、仮に作者がトリックが成り立つような架空の時刻表を自分で考え出していたとすれば、それこそ興ざめしてしまいます。それなら、ほとんど何でもありになってしまいそうだからです。繰り返しておきますが、これは西村作品を一作も読んだことのなかった私が持っていた先入観に過ぎません。時刻表トリックだけであんな長寿シリーズができるとは思えないので、他にも色々なエンタメ要素が盛り込まれているんだと思います。きっと、そうだと思います。
さて、時刻表トリックが嫌だった私は、十津川警部が有名になる前に執筆されたという本作を読んでみました。本作の特徴は、冒頭で本作のトリックには双生児が使われていると宣言されていることでしょう。これは作者なりにフェアを期したということみたいです。ただ、だからといって本作がつまらなくなっているわけではありません。そもそも冒頭に犯行を決意した双子の心境が描かれていますし、序盤では双子の小柴兄弟によって東京で繰り返される強盗事件が描かれます。冒頭の宣言がなくとも、双子が本作に登場することは最初に分かるのです。
双子の登場が分かる以上、読者が期待するのはその双子をどうやってトリックに使うか、であります。この点本作は、読ませる作りにはなっていると思います。本作は、前述の小柴兄弟による強盗事件(東京)と、とある山奥のホテル(クローズド・サークル)で巻き起こる殺人事件(宮城)が並行して交互に描かれる作りになっています。両事件は、ある年の年末から年始にかけてという同時期に起きています。一見、それ以上の関係がなさそうな両事件ですが、同じ小説に描かれている以上全く関係がないわけはないので、読者は「両事件は最後にどうやって結びつくのか」「ホテルにいない小柴兄弟には殺人はやりようがないが、すなわち別の双子が登場するのか、それとも小柴兄弟が何らかの方法で殺人の方もやっているのか」といった疑問を浮かべながら本作を読み進めていくことになります。冒頭の宣言で読者のハードルを上げておきながら、きちんとそれを上回る謎を提示する手腕は見事かと思います。
それでなんやかやあってオチにはなるわけですが、オチは色々解消されないものが残り、さほどの満足感はありませんでした。最後まで読ませる力はあるけど、読後感はそれほどでもない、というタイプの作品です。ダメな時の『龍が如く』みたいな感じです。
私がスッキリしなかった部分を箇条書きにしておきます。
・小柴兄弟は殺人犯の方から強盗の手法を教示されていたのであるが、結局は殺人犯からハメられていただけであった。終盤で、小柴兄弟もホテルで殺された被害者たちと同じく、ある件で犯人から恨みを持たれていたことが明らかになる(そういう意味では、兄弟も被害者グループの方に属する)。そして、結局のところ強盗事件と殺人事件にそれ以上の関係はない。殺人とは全然関係の無さそうな小柴兄弟の強盗事件が、より大きな目的であるはずの殺人事件の完遂に欠かせないものであった(例えば殺人行為それ自体や、あるいは逃亡・証拠隠滅・犯人偽装といった目的の実現のために不可欠であった)という展開を期待していたのであるが、肩透かしを食らった。
・被害者の1人である田島信夫はタクシー運転手であるが、タクシー強盗に遭って死亡しており、その強盗犯が田島に成りすましてホテルに来ていたことが明らかになる。ただ偽田島も他の被害者と一緒に殺されているため、この不測の事態がホテル殺人の計画に変更をもたらしたとか、その変更から生じた綻びに探偵が気付いて犯人を暴き出したとか、そういう展開はない。読者にそういう展開を期待させるためのフレーバーにしかなっていない。
・ホテルで犯人の遺体として偽装されていた松村進太郎がどうやってホテルに来て、(生体または遺体を)どこにどう隠していたか等の描写が一切ない。
・犯人の動機となった過去の一件は、「普通の人はそんなことで殺人まで実行しない」という程度のものである。その程度のことで殺人にまで至ってしまうサイコパスだと理解しようにも、そもそも「些細なことで人を殺してしまう」というフレーバーは、サイコパス描写としては安くて薄っぺらい。そのうえこの犯人については、「小柴兄弟の逮捕の際に無関係の子どもが巻き込まれて犠牲になった」という話を刑事から聞かされてぐらつく描写が最後にある。自分の目的の実行のためであれば人の命をとことんまで軽んじられるサイコパスであれば、そんな話を聞かされたところでぐらつくとは思われない。結局、犯人がどんな人間なのかを深いところまで考え抜いていないので、締まりがない気の抜けた人物造形になっている。
・西崎記者は、ちょび髭という冗談みたいな風貌(本作の作中時間は1970年ころと思われるが、当時としても珍妙だったと思われる)で終盤に唐突に登場し、伏線だとしか思えない派手な行動(伏線じゃなかったとすれば展開上特に必要ない描写)を色々と実行していくのでかなり正体が予想できてしまう。もっと前々から登場させて、探偵役的な役割を担わせておけば、意外性が生じたと思う。
→作評トップ
西村京太郎作品はひとつも呼んだことがなかったので、何かしら読んでおこうと決心した末に手に取ったのが本書でした。西村京太郎といえば十津川警部シリーズの時刻表トリックが高名ですが、何となく時刻表トリックは嫌でした。
これは、本当に「何となく」の先入観でしかありません。「●●駅で何時何分の電車に乗って◆◆駅で何時何分の電車に乗り換えてから目的地に行けば犯行は可能です」とネタバラシをされると、私個人の心理としては本当に犯行を可能にするような電車があるのかを確かめたくなります。ところが十津川警部シリーズは1970年代から発表された作品群であるため、私の疑問を解消するには何十年も前の時刻表を確かめる必要があるわけです。そうなると、そもそもどうやって調べたらいいかが分かりません。それに、頑張って確かめたところで「おお。本当にあるぞ」だけで終わりそうで、もらいが少なそうなのです。また、仮に作者がトリックが成り立つような架空の時刻表を自分で考え出していたとすれば、それこそ興ざめしてしまいます。それなら、ほとんど何でもありになってしまいそうだからです。繰り返しておきますが、これは西村作品を一作も読んだことのなかった私が持っていた先入観に過ぎません。時刻表トリックだけであんな長寿シリーズができるとは思えないので、他にも色々なエンタメ要素が盛り込まれているんだと思います。きっと、そうだと思います。
さて、時刻表トリックが嫌だった私は、十津川警部が有名になる前に執筆されたという本作を読んでみました。本作の特徴は、冒頭で本作のトリックには双生児が使われていると宣言されていることでしょう。これは作者なりにフェアを期したということみたいです。ただ、だからといって本作がつまらなくなっているわけではありません。そもそも冒頭に犯行を決意した双子の心境が描かれていますし、序盤では双子の小柴兄弟によって東京で繰り返される強盗事件が描かれます。冒頭の宣言がなくとも、双子が本作に登場することは最初に分かるのです。
双子の登場が分かる以上、読者が期待するのはその双子をどうやってトリックに使うか、であります。この点本作は、読ませる作りにはなっていると思います。本作は、前述の小柴兄弟による強盗事件(東京)と、とある山奥のホテル(クローズド・サークル)で巻き起こる殺人事件(宮城)が並行して交互に描かれる作りになっています。両事件は、ある年の年末から年始にかけてという同時期に起きています。一見、それ以上の関係がなさそうな両事件ですが、同じ小説に描かれている以上全く関係がないわけはないので、読者は「両事件は最後にどうやって結びつくのか」「ホテルにいない小柴兄弟には殺人はやりようがないが、すなわち別の双子が登場するのか、それとも小柴兄弟が何らかの方法で殺人の方もやっているのか」といった疑問を浮かべながら本作を読み進めていくことになります。冒頭の宣言で読者のハードルを上げておきながら、きちんとそれを上回る謎を提示する手腕は見事かと思います。
それでなんやかやあってオチにはなるわけですが、オチは色々解消されないものが残り、さほどの満足感はありませんでした。最後まで読ませる力はあるけど、読後感はそれほどでもない、というタイプの作品です。ダメな時の『龍が如く』みたいな感じです。
私がスッキリしなかった部分を箇条書きにしておきます。
・小柴兄弟は殺人犯の方から強盗の手法を教示されていたのであるが、結局は殺人犯からハメられていただけであった。終盤で、小柴兄弟もホテルで殺された被害者たちと同じく、ある件で犯人から恨みを持たれていたことが明らかになる(そういう意味では、兄弟も被害者グループの方に属する)。そして、結局のところ強盗事件と殺人事件にそれ以上の関係はない。殺人とは全然関係の無さそうな小柴兄弟の強盗事件が、より大きな目的であるはずの殺人事件の完遂に欠かせないものであった(例えば殺人行為それ自体や、あるいは逃亡・証拠隠滅・犯人偽装といった目的の実現のために不可欠であった)という展開を期待していたのであるが、肩透かしを食らった。
・被害者の1人である田島信夫はタクシー運転手であるが、タクシー強盗に遭って死亡しており、その強盗犯が田島に成りすましてホテルに来ていたことが明らかになる。ただ偽田島も他の被害者と一緒に殺されているため、この不測の事態がホテル殺人の計画に変更をもたらしたとか、その変更から生じた綻びに探偵が気付いて犯人を暴き出したとか、そういう展開はない。読者にそういう展開を期待させるためのフレーバーにしかなっていない。
・ホテルで犯人の遺体として偽装されていた松村進太郎がどうやってホテルに来て、(生体または遺体を)どこにどう隠していたか等の描写が一切ない。
・犯人の動機となった過去の一件は、「普通の人はそんなことで殺人まで実行しない」という程度のものである。その程度のことで殺人にまで至ってしまうサイコパスだと理解しようにも、そもそも「些細なことで人を殺してしまう」というフレーバーは、サイコパス描写としては安くて薄っぺらい。そのうえこの犯人については、「小柴兄弟の逮捕の際に無関係の子どもが巻き込まれて犠牲になった」という話を刑事から聞かされてぐらつく描写が最後にある。自分の目的の実行のためであれば人の命をとことんまで軽んじられるサイコパスであれば、そんな話を聞かされたところでぐらつくとは思われない。結局、犯人がどんな人間なのかを深いところまで考え抜いていないので、締まりがない気の抜けた人物造形になっている。
・西崎記者は、ちょび髭という冗談みたいな風貌(本作の作中時間は1970年ころと思われるが、当時としても珍妙だったと思われる)で終盤に唐突に登場し、伏線だとしか思えない派手な行動(伏線じゃなかったとすれば展開上特に必要ない描写)を色々と実行していくのでかなり正体が予想できてしまう。もっと前々から登場させて、探偵役的な役割を担わせておけば、意外性が生じたと思う。
→作評トップ
最新コメント