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食5 「大雑把」な好き嫌い
食7 酒との相性
食5 「大雑把」な好き嫌い
食7 酒との相性
昨今(※本稿を書いたのは2025年6月29日である)は飲食店の裏側に密着するYouTubeチャンネルも山のようにあるが、繁盛店における作り手の包丁さばき・鍋さばきはどれも大変に手際が良く、見ていて気持ちがよい。ただ、「ある所に目を瞑れば」という条件を付けないとこの感想は出てこない。
私は2022年ころから料理が趣味になり、自分で色々と作るようになったのであるが、そのおかげで改めて認識したことがある。私は、貧乏性なのである。貧乏性であるがゆえに、材料は使い切らないと気が済まない。鍋の料理も器に盛り切らないと気が済まない。器に盛った料理も綺麗に食べ切らないと気が済まない。ところがどの作業も、残量が少なくなるにつれて加速度的に効率が落ちていく。
例えば、容器に少しだけ残った油が全て垂れるまで待っていると日が暮れてしまう。卵の白身も同様である。しかし、私の貧乏性は、ちょっとでも容器に油が残っていればそれをゴミに出すことを阻止してくる。卵の殻だって、ちょっとでも白身が残っていれば捨てたくない。溶き卵を作った場合なら、ちょっとでも溶き卵が残っている器は洗いたくない。このような例は、枚挙に暇がない。
特に厄介なのはおろし器である。おろし器に残った大根やらニンニクやらしょうがやらのすりおろしを、一切残さずに別の器に移すのは至難の業である。不可能と言い切ってよい。全部使い切ろうと思うと、結局液体でまとめて流すしかない。水を使う料理であればその水でおろし器を洗えばいいのであるが、そういう料理ばかりではない。結局別の鍋を用意してその中でおろし器を真水で洗い、その鍋で適当な汁物でも作らなければ使い切れない。
冒頭に記したYouTubeの動画を見ていて気付いたことであるが、職人たちの手際の良さは、こういった細かい残りを思い切って無視することで実現されている。卵を割るときにひとつひとつ白身を垂らし切るまで待っている人は、私が見た中にはいなかった。鍋からチャーハンを盛るときも大体のところで切り上げている。少々こぼしたりしてもピークタイム中は無視である。これは、皮肉でも何でもなく、ある種の才能である。私にはない才能である。細かい部分を無視して全体的な効率の向上を志向できる才能なのである。誤解を招きそうなので今一度念を押しておくが、本当に皮肉ではなく衷心からそのように思っている。
私の貧乏性の起源を探っていくと、頑是ない時分に父から「米には1粒に7人の神様が云々」という説教をしつこく喰らって綺麗に食べるよう説教されていた原体験に行き着く。他方でその父はといえば、茶碗に10粒は飯粒を残したまま膳を下げるのが通常であった。幼心でも釈然としなかったものである。
こういった点からも、私には飲食店の経営はできない。尤もそれ以前に、腕も愛想もコスト感覚もほとんど欠如しているという問題はある。
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私は2022年ころから料理が趣味になり、自分で色々と作るようになったのであるが、そのおかげで改めて認識したことがある。私は、貧乏性なのである。貧乏性であるがゆえに、材料は使い切らないと気が済まない。鍋の料理も器に盛り切らないと気が済まない。器に盛った料理も綺麗に食べ切らないと気が済まない。ところがどの作業も、残量が少なくなるにつれて加速度的に効率が落ちていく。
例えば、容器に少しだけ残った油が全て垂れるまで待っていると日が暮れてしまう。卵の白身も同様である。しかし、私の貧乏性は、ちょっとでも容器に油が残っていればそれをゴミに出すことを阻止してくる。卵の殻だって、ちょっとでも白身が残っていれば捨てたくない。溶き卵を作った場合なら、ちょっとでも溶き卵が残っている器は洗いたくない。このような例は、枚挙に暇がない。
特に厄介なのはおろし器である。おろし器に残った大根やらニンニクやらしょうがやらのすりおろしを、一切残さずに別の器に移すのは至難の業である。不可能と言い切ってよい。全部使い切ろうと思うと、結局液体でまとめて流すしかない。水を使う料理であればその水でおろし器を洗えばいいのであるが、そういう料理ばかりではない。結局別の鍋を用意してその中でおろし器を真水で洗い、その鍋で適当な汁物でも作らなければ使い切れない。
冒頭に記したYouTubeの動画を見ていて気付いたことであるが、職人たちの手際の良さは、こういった細かい残りを思い切って無視することで実現されている。卵を割るときにひとつひとつ白身を垂らし切るまで待っている人は、私が見た中にはいなかった。鍋からチャーハンを盛るときも大体のところで切り上げている。少々こぼしたりしてもピークタイム中は無視である。これは、皮肉でも何でもなく、ある種の才能である。私にはない才能である。細かい部分を無視して全体的な効率の向上を志向できる才能なのである。誤解を招きそうなので今一度念を押しておくが、本当に皮肉ではなく衷心からそのように思っている。
私の貧乏性の起源を探っていくと、頑是ない時分に父から「米には1粒に7人の神様が云々」という説教をしつこく喰らって綺麗に食べるよう説教されていた原体験に行き着く。他方でその父はといえば、茶碗に10粒は飯粒を残したまま膳を下げるのが通常であった。幼心でも釈然としなかったものである。
こういった点からも、私には飲食店の経営はできない。尤もそれ以前に、腕も愛想もコスト感覚もほとんど欠如しているという問題はある。
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