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食6 貧乏性と作業効率のトレードオフ性
食8 ナヨナヨケーキ
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食8 ナヨナヨケーキ
牛乳とマドレーヌは合う。これは私にも分かる。マドレーヌを牛乳に浸しても美味い。
酒も、色々な食べ物との相性が云々される。麻婆豆腐にはビールだとか、肉料理には赤ワインだとか言われる。でも、「そんなに合うならビールを麻婆豆腐にかけて食べたらどうですか?」と言うと、大抵の場合地獄のような空気になる。ワインでも同様である。そんな食べ方をしても負のシナジーしか生まないことは、私にも分かる。かけてしまえば、ビールも麻婆豆腐も台無しになるのである。どうやら、「牛乳とマドレーヌは合う」と言ったときと、「ビールと麻婆豆腐は合う」と言ったときの「合う」は違う意味のようである。
しかし私は、酒がある食べ物や料理に「合う」と言うときの「合う」の意味を未だに把握できていない。私の舌や鼻の問題かもしれないが、酒と料理とのシナジーを感じた経験がまだないのである。負のシナジーなら、感じたことがある。例えば、『美味しんぼ』でも指摘されていたことであるが、白ワインと生の魚介は合わない。一緒に口の中に入れると魚介の生臭さが増幅される。これは紛うことなき負のシナジーである。他方で、正のシナジーについては具体的な経験もなければ具体的な説明を見聞したこともない。そもそも、かけたら料理をまずくしてしまう飲み物にシナジーもくそもあるのだろうかという根本的な疑問がある。
ひょっとして、単に酒を飲む口実に、特に合ってもいない料理を無理矢理「合う」と言っているのではないだろうか。本当は酒が飲みたいだけなのであるが、それをストレートに言うのは格好悪いので、「●●と◆◆酒は合う」などと理屈を付け、●●の喫食に託けて◆◆酒を飲む、という寸法である。「一月は正月で酒が飲めるぞ」と同じ理屈である。
そんな回りくどいことをせずに、最初から◆◆酒を飲みたいと宣明して、堂々と飲めばいいのに、と思う。私は酒の味はほとんど分からない。一仕事終えた後のビールは美味いと思うが、あとの酒はほとんど美味しさが分からない。はっきりと砂糖甘い酒は好きであるが(ワインでも、貴腐ワインやアイスワインといったデザートワインが一番好きである)、それはジュースとして好きなだけであって、アルコールが入っている必要性はない。すなわち、私にとって酒とは、「一仕事終えた後のビール」という例外を除けば、健康を害するだけの特に美味しくもない飲料である。ストロング系の缶酒を短時間に大量摂取した際の気持ち良さは今も記憶に残っているが、これは薬物としての気持ち良さであり、飲食物としての美味しさではない。あの気持ち良さを感じたときは、酩酊してフラフラになりながらも「この快感をもっと尖鋭にしたのが覚醒剤なのだろうな」ということだけは明確に想像でき、「これ以上はあかん」と危機感を覚えた。崖下を覗き込んだかのようなその時の危機感は、今でも鮮明に我が中枢神経に刻まれている。爾来私は、よっぽど自分を祝ってやりたい時でなければストロング系に手を出さないようにしている。
このように酒には、飲食物としての側面と、薬物としての側面がある。前者を後者の隠れ蓑にするのは、やめて欲しい。「気持ち良くなれる」を「美味しい」と言い換えたり、「一緒に気持ち良くなりたい」を「高い肉をもらったから花見がてらバーベキューでもしないか?」と言い換えたりするのはやめて欲しい。それは、嘘である。
酒が飲みたいのであれば、変に理屈をつけずに、堂々と飲んでくれということである。
もしかしたら、私が「一仕事終えた後のビール」に感じている美味しさも、本当は単なる薬理作用としての快感であって、それを私が勘違いしているだけかもしれない。
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酒も、色々な食べ物との相性が云々される。麻婆豆腐にはビールだとか、肉料理には赤ワインだとか言われる。でも、「そんなに合うならビールを麻婆豆腐にかけて食べたらどうですか?」と言うと、大抵の場合地獄のような空気になる。ワインでも同様である。そんな食べ方をしても負のシナジーしか生まないことは、私にも分かる。かけてしまえば、ビールも麻婆豆腐も台無しになるのである。どうやら、「牛乳とマドレーヌは合う」と言ったときと、「ビールと麻婆豆腐は合う」と言ったときの「合う」は違う意味のようである。
しかし私は、酒がある食べ物や料理に「合う」と言うときの「合う」の意味を未だに把握できていない。私の舌や鼻の問題かもしれないが、酒と料理とのシナジーを感じた経験がまだないのである。負のシナジーなら、感じたことがある。例えば、『美味しんぼ』でも指摘されていたことであるが、白ワインと生の魚介は合わない。一緒に口の中に入れると魚介の生臭さが増幅される。これは紛うことなき負のシナジーである。他方で、正のシナジーについては具体的な経験もなければ具体的な説明を見聞したこともない。そもそも、かけたら料理をまずくしてしまう飲み物にシナジーもくそもあるのだろうかという根本的な疑問がある。
ひょっとして、単に酒を飲む口実に、特に合ってもいない料理を無理矢理「合う」と言っているのではないだろうか。本当は酒が飲みたいだけなのであるが、それをストレートに言うのは格好悪いので、「●●と◆◆酒は合う」などと理屈を付け、●●の喫食に託けて◆◆酒を飲む、という寸法である。「一月は正月で酒が飲めるぞ」と同じ理屈である。
そんな回りくどいことをせずに、最初から◆◆酒を飲みたいと宣明して、堂々と飲めばいいのに、と思う。私は酒の味はほとんど分からない。一仕事終えた後のビールは美味いと思うが、あとの酒はほとんど美味しさが分からない。はっきりと砂糖甘い酒は好きであるが(ワインでも、貴腐ワインやアイスワインといったデザートワインが一番好きである)、それはジュースとして好きなだけであって、アルコールが入っている必要性はない。すなわち、私にとって酒とは、「一仕事終えた後のビール」という例外を除けば、健康を害するだけの特に美味しくもない飲料である。ストロング系の缶酒を短時間に大量摂取した際の気持ち良さは今も記憶に残っているが、これは薬物としての気持ち良さであり、飲食物としての美味しさではない。あの気持ち良さを感じたときは、酩酊してフラフラになりながらも「この快感をもっと尖鋭にしたのが覚醒剤なのだろうな」ということだけは明確に想像でき、「これ以上はあかん」と危機感を覚えた。崖下を覗き込んだかのようなその時の危機感は、今でも鮮明に我が中枢神経に刻まれている。爾来私は、よっぽど自分を祝ってやりたい時でなければストロング系に手を出さないようにしている。
このように酒には、飲食物としての側面と、薬物としての側面がある。前者を後者の隠れ蓑にするのは、やめて欲しい。「気持ち良くなれる」を「美味しい」と言い換えたり、「一緒に気持ち良くなりたい」を「高い肉をもらったから花見がてらバーベキューでもしないか?」と言い換えたりするのはやめて欲しい。それは、嘘である。
酒が飲みたいのであれば、変に理屈をつけずに、堂々と飲んでくれということである。
もしかしたら、私が「一仕事終えた後のビール」に感じている美味しさも、本当は単なる薬理作用としての快感であって、それを私が勘違いしているだけかもしれない。
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