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ゴールデンに移ってきてから、スタジオで観覧している有名人がうっとうしいという話はよく聞きます。あれギャラ払ってんのかな? 局側にはどんなメリットがあるのだろうか。
人には好き嫌いがあるので、本当に「すべらない話」なんてのはそうたくさんはない、なんていうのはこの番組をずっと追いかけている人ほど共感していただけるのではないかと思っています。
だから、この番組のフォーマットのダメなところは、すべってしまったときのフォローが用意されていない(用意できない)ことなんですね。すべったらすべったで、「すべってるよ」とか「なんでその話をしようと思ったの」とかツッコミを入れられれば、それはそれで笑いに変えられるんです。しかもそれは話がすべらなかった時の笑いとは種類が違う笑いなので、アクセントになって、視聴者の「飽き」を防止することができる、という副次的な効果を生みます。このへんは「お笑い論」も見てください。
ところが、番組名からして「すべらない話」と銘打っている以上、演者たちも「すべってるよ」というツッコミは入れにくい。あの場にはそのツッコミを入れられるぐらいの実力者が揃っているにもかかわらず、です。結果、せめて連鎖力を引き出すために愛想笑いをするしかない。あ、連鎖力の意味も「お笑い論」を読んでください。
だから話者は、自分の話がすべってると感じたら、基本的には自分でなんとかするしかないわけです。代表的なのは、オチを言った後に、(それがすべった空気を出すために一呼吸置いてから)「っつう話です」と言う、というものです。ただこれだけだと今度はすべった時のフォローがワンパターンになってしまうわけです。やっぱり、すべった時のフォローは用意しておくべきだと思うのです。笑点だと座布団を取り上げればいいわけです。「細かすぎて」なら落とせばいいわけです(全部落とされますが)。「トークダービー」だったら、不正解にすればいいわけです。これらは、全て非言語的な手段による「すべってるよ」というツッコミです。非言語的な手段があるから、言語的な手段と合わせて多角的なフォローが可能になるわけです。
だからやっぱりすべった時のフォローまで用意しておいた笑点って偉大な番組だなと思うわけです。この手のトークだったら,すべらない話よりトークダービーの方が明らかに面白いと思うけどなあ。もう1回見たいなあトークダービー。
まあだからこういう逃げ道を番組名からして自ら封殺してしまったのがこの番組の致命的な欠陥ということです。ただ今回大会は,村本さんの4本目の話とかが明らかにすべってる扱いを受けていたので、今後何らかの対抗策を考えていくのかもしれません。前はこんな感じはありませんでしたから。第19弾の桂雀々さんの話とかすごいもんがありましたよ。そもそもオチという概念がない世界から来た人の話みたいだったから。
でも、こういうすべるパターンが好きだっていうのは、すべらない普通のパターンに飽きてるってことでもあるんですよね。筆者がスレてしまったということなんでしょうか。でも筆者ほどスレてなくてもたまにすべるパターンもあってもいいと思うんだけどなあ。どうだろうなあ。
何度か出ていますが、このへんの議論の土台になる一般論は、全てこのwikiの「お笑い論」に書いてあります。本稿はこの「一般論」の具体的適用の一場面にすぎません。だから、お笑い論も読んでみてください。
追記
村本さんは、あのしゃべり方はわざとなんでしょうか。わざとだとしたら別に固執する必要はないと思いますが。素でも違うしゃべり方身に着けた方がいいと思うし。
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人には好き嫌いがあるので、本当に「すべらない話」なんてのはそうたくさんはない、なんていうのはこの番組をずっと追いかけている人ほど共感していただけるのではないかと思っています。
だから、この番組のフォーマットのダメなところは、すべってしまったときのフォローが用意されていない(用意できない)ことなんですね。すべったらすべったで、「すべってるよ」とか「なんでその話をしようと思ったの」とかツッコミを入れられれば、それはそれで笑いに変えられるんです。しかもそれは話がすべらなかった時の笑いとは種類が違う笑いなので、アクセントになって、視聴者の「飽き」を防止することができる、という副次的な効果を生みます。このへんは「お笑い論」も見てください。
ところが、番組名からして「すべらない話」と銘打っている以上、演者たちも「すべってるよ」というツッコミは入れにくい。あの場にはそのツッコミを入れられるぐらいの実力者が揃っているにもかかわらず、です。結果、せめて連鎖力を引き出すために愛想笑いをするしかない。あ、連鎖力の意味も「お笑い論」を読んでください。
だから話者は、自分の話がすべってると感じたら、基本的には自分でなんとかするしかないわけです。代表的なのは、オチを言った後に、(それがすべった空気を出すために一呼吸置いてから)「っつう話です」と言う、というものです。ただこれだけだと今度はすべった時のフォローがワンパターンになってしまうわけです。やっぱり、すべった時のフォローは用意しておくべきだと思うのです。笑点だと座布団を取り上げればいいわけです。「細かすぎて」なら落とせばいいわけです(全部落とされますが)。「トークダービー」だったら、不正解にすればいいわけです。これらは、全て非言語的な手段による「すべってるよ」というツッコミです。非言語的な手段があるから、言語的な手段と合わせて多角的なフォローが可能になるわけです。
だからやっぱりすべった時のフォローまで用意しておいた笑点って偉大な番組だなと思うわけです。この手のトークだったら,すべらない話よりトークダービーの方が明らかに面白いと思うけどなあ。もう1回見たいなあトークダービー。
まあだからこういう逃げ道を番組名からして自ら封殺してしまったのがこの番組の致命的な欠陥ということです。ただ今回大会は,村本さんの4本目の話とかが明らかにすべってる扱いを受けていたので、今後何らかの対抗策を考えていくのかもしれません。前はこんな感じはありませんでしたから。第19弾の桂雀々さんの話とかすごいもんがありましたよ。そもそもオチという概念がない世界から来た人の話みたいだったから。
でも、こういうすべるパターンが好きだっていうのは、すべらない普通のパターンに飽きてるってことでもあるんですよね。筆者がスレてしまったということなんでしょうか。でも筆者ほどスレてなくてもたまにすべるパターンもあってもいいと思うんだけどなあ。どうだろうなあ。
何度か出ていますが、このへんの議論の土台になる一般論は、全てこのwikiの「お笑い論」に書いてあります。本稿はこの「一般論」の具体的適用の一場面にすぎません。だから、お笑い論も読んでみてください。
追記
村本さんは、あのしゃべり方はわざとなんでしょうか。わざとだとしたら別に固執する必要はないと思いますが。素でも違うしゃべり方身に着けた方がいいと思うし。
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