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完全にネタバレをします。ミステリーなので、本稿を読むのは作品の読了後をお勧めします。
『金田一少年の事件簿』は、小学生の頃に散々読んだんです。もう少し成長してから、同作2本目のエピソードである「異人館村殺人事件」で、本作のトリックが流用されているということを知ったのです。そんなことはすっかり忘れていたのですが、本作を呼んでいる途中でその事実をまた見聞してしまったのです。
読み終えて、本作の最もキモになるトリックが「異人館村殺人事件」で流用されているということがよく分かりました。要は、5体分の死体を切断し、ガチャガチャと入れ替えて、6体分に見せた(=被害者と思われていたうちの1人が実は生きていた)ということですね。現在はDNA鑑定というものがありますから、新鮮な死体があればこんなトリックはすぐ見破られてしまいます。本作はこの懸念点に対して、「事件が1936年に発生したものであった」「(一部の)死体は腐敗が進んでいた」という理由付けで対抗しています。だから、警察がトリックを見抜けなかったということになっているんですね。とはいえ、後発の「異人館村殺人事件」の方が、この「理由付け」の部分は洗練されていると思います。後発の作品と比較するのも可哀想なので、偉大な先人ということで本作を称えてあげたいと思います。このトリック自体は、初見であればあっと驚ける内容ではあると思います。
ただ、以下の箇条書きで記しているとおり問題点も少なくはなく、全体的に大トリック1本で勝負している作品という感は否めません。私みたいに若干ネタバレを受けている状態で本作を読むと、読後感もそれほどのものではありませんし、読んでいる途中も結構退屈です。
本作の問題点を箇条書きにしておきます。
・やっぱり動機が稀薄に感じてしまう。実父を含めて合計7人を殺し、その死体を切り刻み、更に別の1人を犯人に仕立て上げて長期服役させるほどのことを犯人がされたとは思えない。少なくとも、描写は稀薄である。とはいえ、ここは好みである。
・本作の探偵である御手洗は、「考える」以上のことをほぼ何もしていない。事件のあらましを友人の石岡(御手洗シリーズのワトソン役)から聞き、偶然同じころに別のお客が持ってきた死体運び役の人の自白手記を読んで、あとは自分の頭で考えただけである。中盤で京都に行くが、京都でも御手洗は考えていただけであり、やっていることはほぼほぼ安楽椅子探偵である。探偵が足で稼いだり危険な場所に潜入したりといった冒険活劇的な楽しみ方はできない。
・御手洗は、癖の強い人物であることは分かるが、彼の人物描写を見ても「頭がいい人物だなあ」という感じはあんまり受けない。弁は立つし厭味ったらしい物言いは得意であるが、本作ではその特技はもっぱら味方であるはずの石岡に向けられるので、嫌な気分ばかりが募っていく。ゆえに御手洗が、「40年誰も解けなかった」という触れ込みの本作の事件を簡単に説いてしまったことにさほど説得力がない。ホームズみたいに、怜悧で頭脳明晰な人物であるという描写をもう少しきちんとして欲しい。でないと、「40年誰も解けなかった」という事件の設定も説得力が落ちてしまう。
※とはいえホームズについても、私は小学生の頃に読んだだけの記憶で語っています。「細部から他者の人となりを推察する」という彼の技にどれほど説得力があるのかはちゃんと検証できていません。
・犯行の実現可能性はやはり疑問が残る。犯人が身一つで風呂場で5体もの死体をきちんと切断できたのか。竹越が時間通りに来ず、犯人と会えていなかったらどうなっていたのか。5人の被害者は一斉に亜ヒ酸を飲んでほぼ同時刻に死亡したようであるが、ちょっとでもずれが生じたらどうするつもりだったのか(例えば先に亜ヒ酸入りジュースを飲んでしまった被害者の様子がおかしくなり、他の被害者がジュースに手を付けなくなる、ということは当然に考えられる。亜ヒ酸自体は、そこまで即効性のある毒ではない)。竹越が5体もの死体を、誰にも見つからずに日本全国にばらけさせて埋めるのは本当に可能なのか。一応、計画が失敗したら自殺しようと思っていたというようなことは犯人自身が述べているが、作者本人の言い訳を代弁しているような響きになってしまっている。
・そもそも犯人がこんな大掛かりなトリックを使ってまで生き延びたかった理由もあんまりはっきりしない。母に遺産を入れるため、というのは伝わってくるが、成功したところで犯人は世間的には死者ということになるので、大っぴらに出歩くことも母と会うこともできなくなる。
・全体的にかなりの綱渡りが続く計画であり、犯人は「失敗したらしたでいいか」ぐらいに考えていたものの、結果的に全て成功してしまった、という印象である。ただ失敗して自分は自殺したとしても、「殺人犯の母」になってしまう母親には色々と迷惑がかかるはずである。母のために計画を立てたはずの犯人が、失敗した場合の母への迷惑をカジュアルに無視しているのには違和感が残る。全体的に、犯人の行動原理が一貫していないのである。
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『金田一少年の事件簿』は、小学生の頃に散々読んだんです。もう少し成長してから、同作2本目のエピソードである「異人館村殺人事件」で、本作のトリックが流用されているということを知ったのです。そんなことはすっかり忘れていたのですが、本作を呼んでいる途中でその事実をまた見聞してしまったのです。
読み終えて、本作の最もキモになるトリックが「異人館村殺人事件」で流用されているということがよく分かりました。要は、5体分の死体を切断し、ガチャガチャと入れ替えて、6体分に見せた(=被害者と思われていたうちの1人が実は生きていた)ということですね。現在はDNA鑑定というものがありますから、新鮮な死体があればこんなトリックはすぐ見破られてしまいます。本作はこの懸念点に対して、「事件が1936年に発生したものであった」「(一部の)死体は腐敗が進んでいた」という理由付けで対抗しています。だから、警察がトリックを見抜けなかったということになっているんですね。とはいえ、後発の「異人館村殺人事件」の方が、この「理由付け」の部分は洗練されていると思います。後発の作品と比較するのも可哀想なので、偉大な先人ということで本作を称えてあげたいと思います。このトリック自体は、初見であればあっと驚ける内容ではあると思います。
ただ、以下の箇条書きで記しているとおり問題点も少なくはなく、全体的に大トリック1本で勝負している作品という感は否めません。私みたいに若干ネタバレを受けている状態で本作を読むと、読後感もそれほどのものではありませんし、読んでいる途中も結構退屈です。
本作の問題点を箇条書きにしておきます。
・やっぱり動機が稀薄に感じてしまう。実父を含めて合計7人を殺し、その死体を切り刻み、更に別の1人を犯人に仕立て上げて長期服役させるほどのことを犯人がされたとは思えない。少なくとも、描写は稀薄である。とはいえ、ここは好みである。
・本作の探偵である御手洗は、「考える」以上のことをほぼ何もしていない。事件のあらましを友人の石岡(御手洗シリーズのワトソン役)から聞き、偶然同じころに別のお客が持ってきた死体運び役の人の自白手記を読んで、あとは自分の頭で考えただけである。中盤で京都に行くが、京都でも御手洗は考えていただけであり、やっていることはほぼほぼ安楽椅子探偵である。探偵が足で稼いだり危険な場所に潜入したりといった冒険活劇的な楽しみ方はできない。
・御手洗は、癖の強い人物であることは分かるが、彼の人物描写を見ても「頭がいい人物だなあ」という感じはあんまり受けない。弁は立つし厭味ったらしい物言いは得意であるが、本作ではその特技はもっぱら味方であるはずの石岡に向けられるので、嫌な気分ばかりが募っていく。ゆえに御手洗が、「40年誰も解けなかった」という触れ込みの本作の事件を簡単に説いてしまったことにさほど説得力がない。ホームズみたいに、怜悧で頭脳明晰な人物であるという描写をもう少しきちんとして欲しい。でないと、「40年誰も解けなかった」という事件の設定も説得力が落ちてしまう。
※とはいえホームズについても、私は小学生の頃に読んだだけの記憶で語っています。「細部から他者の人となりを推察する」という彼の技にどれほど説得力があるのかはちゃんと検証できていません。
・犯行の実現可能性はやはり疑問が残る。犯人が身一つで風呂場で5体もの死体をきちんと切断できたのか。竹越が時間通りに来ず、犯人と会えていなかったらどうなっていたのか。5人の被害者は一斉に亜ヒ酸を飲んでほぼ同時刻に死亡したようであるが、ちょっとでもずれが生じたらどうするつもりだったのか(例えば先に亜ヒ酸入りジュースを飲んでしまった被害者の様子がおかしくなり、他の被害者がジュースに手を付けなくなる、ということは当然に考えられる。亜ヒ酸自体は、そこまで即効性のある毒ではない)。竹越が5体もの死体を、誰にも見つからずに日本全国にばらけさせて埋めるのは本当に可能なのか。一応、計画が失敗したら自殺しようと思っていたというようなことは犯人自身が述べているが、作者本人の言い訳を代弁しているような響きになってしまっている。
・そもそも犯人がこんな大掛かりなトリックを使ってまで生き延びたかった理由もあんまりはっきりしない。母に遺産を入れるため、というのは伝わってくるが、成功したところで犯人は世間的には死者ということになるので、大っぴらに出歩くことも母と会うこともできなくなる。
・全体的にかなりの綱渡りが続く計画であり、犯人は「失敗したらしたでいいか」ぐらいに考えていたものの、結果的に全て成功してしまった、という印象である。ただ失敗して自分は自殺したとしても、「殺人犯の母」になってしまう母親には色々と迷惑がかかるはずである。母のために計画を立てたはずの犯人が、失敗した場合の母への迷惑をカジュアルに無視しているのには違和感が残る。全体的に、犯人の行動原理が一貫していないのである。
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