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方舟

 完全にネタバレをします。ミステリーなので、本稿を読むのは作品の読了後をお勧めします。


















 これはおもしろかったです。ほとんど文句はありません。
 物語は、「方舟」という謎の地下施設に遊び半分で探検に来た若者7人(大学を卒業したての社会人、という設定です)と、偶然居合わせた父母+高1息子の3人家族が閉じ込められてしまうところから始まります。主人公兼語り手は、若者グループの1人である柊一です。
 方舟の出入口は、通常の出入口と非常口の2ヶ所(いずれもハシゴの昇降によって往来するマンホールのような出入口)しかありません。しかし、通常出入口に通じる方の扉に巨岩が転げ落ちて、塞がれてしまいます。一方非常口の方は、完全に水没している方舟の地下3階を潜り抜けないと辿り着けません。岩を方舟内の地下2階にあった巻き上げ機でどかすことはできますが、この方法を実行すると巻き上げ機を操作する小部屋に操作者が閉じ込められてしまいます(なぜそうなるかの詳しい説明は作中でちゃんと為されていますが、本稿では省略します)。
 この状況で、なんと若者グループの1人である裕哉が何者かに殺されます。しかも、地下の水位がだんだん上がっていることが判明します。タイムリミットは、1週間ほどと見積もられます。生き残った9人は、みんななんとなく「殺人犯に巻き上げ機を操作させればいいんじゃないか」と思い始めます。

 その後追加で2人の犠牲者を出しつつ、最終的にタイムリミットギリギリの最終日に探偵役の翔太郎(柊一の従兄)が犯人を突き止め、その犯人にその時点ではほぼほぼ水没していた操作部屋から巻き上げ機を作動させます。これで犯人以外の生き残りは脱出してビターエンド、かと思いきや、本作はここから急転直下の展開を迎えます。何と犯人の目的は自分1人だけ地下3階を通って非常口から脱出することでした。実は、通常出入口側のマンホールが地震で倒れた木やら転がってきた土砂やらで埋まっており、大岩をどけたところで脱出は不可能になっていたのです。犯人だけはこの事実にものすごく早い段階で気付いており、それが他の9人にバレないように色々な工作をしました。殺人も、その事実をバレないようにするための工作の一環でした。なおかつ、この殺人にはもう1つの目的がありました。殺人事件が起きれば、「犯人に巻き上げ機を操作させる」という流れになることも犯人は読んでいました。方舟の中で見つかった酸素ボンベを背中に固定するための手作りハーネスをバレないようにせっせと組み立てていた犯人は、柊一ただ一人に自分の真意をトランシーバーアプリで告げ、悠々と脱出します。

 本作の犯人こそ、本物のサイコパスだと思います。酸素ボンベは、2つしかありませんでした。加えて、前述の通り通常出入口側のマンホールが塞がっていることも即座に気が付き、「助かるのは最大2人」だという結論にいち早く達しました。とにかく「助かるのは最大2人」であり、「それ以外はどうせ死ぬのだから自分が殺そうが同じ」という結論に達した犯人は、酸素ボンベを巡っての骨肉の争いが起きないように、犯人だけが自然に酸素ボンベを使える状況が訪れるよう、冷徹に人殺しを完遂していったのです。酸素ボンベは2つあったので、犯人は柊一だけは一緒に助けるつもりもありましたが、結局柊一も犯人のお眼鏡にはかないませんでした。
 どういった行動が自分の利益になるかを刹那に見抜き、それを最大化するための導線を瞬時に組み立て、その組立に必要であればたとえ人殺しであろうと躊躇なくこなす、これこそが本物のサイコパスです。安くて陳腐なエログロスプラッタ描写でサイコパスを描いている場合ではありません。私のような動機にこだわるタイプの読者は、本作で死人が出た時点で「なんでこんな極限状況でわざわざ人殺しを!?」という疑問が生じ、「こんなシチュエーションで人を殺すからにはよっぽど深遠なる動機があるのだろうなあ」と期待します。しかし実際の動機は前述の通りであり、ある意味では無茶苦茶浅いです。この結末は、いい意味で私の期待を裏切ってくれました。「いっつも動機をきちんと考えろと言っているくせになぜ本作に限って浅い動機でも許すのか。それはダブルスタンダードではないか」という声があるかもしれませんが、本作に限って浅い動機でも許せるのは犯人のサイコパス描写が徹底的かつ一貫しており、納得度合いが高いからです。本作以外の作品で私が出会った動機の浅い犯人たちは、みな一様にサイコパスとしての描写が足りませんでした。だから、犯行に及んだこと自体が腑に落ちなくなるのです。
 とにかく、鬱屈としたクローズドサークルで巻き起こる連続殺人の緊張感、最後のどんでん返しで味わえる身も凍るような戦慄、何より非常に説得力のある冷徹なサイコパスの描写は、本作でしか摂取できません。本作をこの世に産み落としてくれた夕木先生に感謝します。

 唯一の不満は、「酸素ボンベで非常口から脱出した人が外に助けを求めに行く」という手段を封殺する論理が犯人の口から語られないことです。作中の情報から「方舟から脱出したところで人里に辿り着ける可能性は高くはない」というところまでは分かるので、犯人は「自分が気付いたことを全て語って他者に非常口からの脱出役を託すより、自分が脱出した方が可能性が高い」と判断したんだろうと思われます。考えれば分かる点ではありますが、犯人の口に語らせて欲しかったです。

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