当wikiは、高橋維新がこれまでに書いた/描いたものを格納する場です。

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最強のふたり

 泣いた。

 自分の無力さに泣いた。

 事故で頸髄を損傷し,首から下が一切動かなくなった大富豪フィリップと,その介護のためにやとわれた黒人ドリスの交流の話。
 フィリップみたいな障碍者を前にすると,多くの人は身構えてしまって,意味もなく気を遣ったりするのでしょうが,その気遣いの一つとして,冗談が言いにくくなります。障碍を,介護が必要なことを,彼のシモの世話までしなければならないことを,イジっていいものかどうかが分からないからです。そのために,障碍者とは変に浮ついた付き合い方しかできなくなり,彼らは孤独を感じてしまうのです。
 ところがドリスはここが違ったのです。フィリップを普通の人間として扱ったのです。ガツガツイジっていったのです。だから,フィリップも心を開いた。

 なんか普通の感想なのですが,ギャグに生きる身としては,とても身につまされたお話でした。「とりあえずやってみて,怒られてから考えよう」という普段やっていることが障碍者を前にするとできなくなってしまうのです。ハゲには「やーいゆで卵」と言うのに,車椅子の人に「やーい恐竜戦車」ということができないのです。そういうイジられ方をされてこそ普通の人間だと思っている人もいるだろうに,できないのです。当然こういうイジられ方を嫌がる方もいるのですが,それはハゲも一緒です。問題は,こういうイジられ方をされたい障碍者の方もいるだろうに,「障碍者はすべからくそういうイジられ方を嫌がるもんだから敬遠すべきだ」という観念が蔓延していることです。結果,こういうイジり方をして,障碍者自身がそれを喜んでも,周りの健常者が「そんなことを言うと嫌がるだろう」と心配したり憤慨したりして,あまり笑う空気にならないのです。ゆえに笑えないのです。これが「不謹慎」の暴力です。だから,障碍者はハゲやデブと違って道化という生き方が選択できなくなるわけです。
 バリバラは一つの画期でしたが,不謹慎の暴力に勝てていなかった気がします。筆者自身,バリバラを見ていても自分の中に働いてくる不謹慎の暴力に勝てませんでした。あまり笑えませんでした。単なる演者の力量の問題のような気もしましたが。
 バリバラに関してはもうちょっとちゃんと見てからもうちょっとちゃんと書きます。見ることができれば。


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