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病気とは

 まあ、あんまり深い議論はできませんが。
 病気とは何か、ということを少し考えたわけです。多分、「健康状態のマイナス方向への変更」を全て指す言葉のことを病気と言うと思います。
 「障害」は違うのか、という話が出てきますが、日常的な理解では、「健康状態のマイナス方向への変更」のうち治療可能なもの(可逆的なもの)を「病気」と言い、治療不可能なもの(不可逆的なもの)を「障害」と言う、ことでいいと思います。でもこれもそれぞれ反例があるわけで、病気にも治療方法が全然確立していなくて今は治療不可能なものもあれば、障害にも精神障害や記憶障害みたいに症状が改善したりするものもあるわけです。
 両者の違いをあんまり突き詰めて議論してもしょうがないので、本稿では「健康状態のマイナス方向への変更」を広く「ビョーキ」と言うことにしてみます。
 ここにおいても「ビョーキ」の正体はつかめません。「健康状態」というのは何でしょうか。多分、人間も生物である以上、子孫を産み育てるべく生きているわけですが、この目的を達成するためには、個体が生存することと、子孫を産み育てるための機能がきちんと稼働するという二条件が満足される必要があります。ビョーキには、前者に悪影響を及ぼすもの(インフルエンザとか)と、後者に悪影響を及ぼすもの(無精子症、みたいなやつ)の二種類があるという考え方はできるでしょう。無論、両方に悪影響があるものもあると思います。後者については、自分の子孫を残すことを諦めれば、個体の保存自体には特に悪影響がないという点に特徴があります。
 前者を見ても、生体組織の機能の異常だとか、そういうところに異常はないけど社会生活上支障を生じるもの(コミュニケーション能力の異常、みたいなやつ)に分けられると思います。まあ、後者も生体組織の機能の異常に還元できる可能性はあるわけですが、まだよく脳やら心やらのことがよく分かっていない、ということだと思います。で、後者については、異常かどうかはその当時の社会のあり方によっても決まってくるわけです。現代はコミュニケーション能力に問題があると個体保存に悪影響がかなりあるでしょうが、例えば一人で狩りをして生きていけばいい時代であれば、それは個体保存に悪影響を及ぼさないわけです。翻って考えてみれば、人間は色々な能力を持っていて、それには個人差があるわけで、個体保存の能力にも(ちなみに自分の子孫を残す能力にも)多かれ少なかれ影響を及ぼします。狩りの時代だったら、視力はいい奴の方が悪い奴より獲物を見つけやすいでしょう。今でも、視力は良ければ良いほど個体保存に有利かと思われます。でも、視力が0.3しかないことを直ちにビョーキとは言わないわけで、一定範囲を超えた異常のみを「ビョーキ」としているわけです。ここの線引きは、非常に微妙です。

 何が言いたいかと言うと、ビョーキなんてほとんど「ビョーキと定義されたもの」と同義でしかないわけです。これを、トートロジーと言います。時代や社会状況によっても個体保存や種の保存の悪影響を及ぼすかどうかは分からないわけで、周りから見れば何とかした方がいいようなことも本人は全然気にしていないというような場合もあるわけです。
 あと多分、一定数以上の個体群に同様の集団的な症状が見られないと、ビョーキとは定義されない気がします。


 ホラ全然深い議論にならなかった。こんなこと多分医学部がとうの昔に議論していることですよ。この程度のことでドヤ顔をされるのを防ぐために、「先行研究をまず参照しろ」と学問の世界では言われるわけです。私は、「それは面倒くさいからイヤだ」「私はラマヌジャンだ」とずっと言っているわけですが、これを、ワガママと言います。多分、見る人が見ればひどく滑稽なのでしょう。


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