当wikiは、高橋維新がこれまでに書いた/描いたものを格納する場です。

 2016年3月24日放映のフジテレビ「とんねるずのみなさんのおかげでした」は、3時間半スペシャルだった。内容は、「とんねるずは突然に」と「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」の2本立てである。以下、一つ一つ感想を記す。

1.とんねるずは突然に
 番組に応募のあった「とんねるずに会いたい」という一般の方に、アポなしで会いに行くという企画である。過去に1回だけ放映する想定で一般に応募を募ったところ、たいへん多くの応募が集まったうえにオンエア自体も好評だったため、その後も続けて同趣旨の企画を放映するようになったというのが番組の説明である。
 この企画の肝は、素人の素のリアクションである。彼らは、おそらくとんねるずの大のファンで、とんねるずに本気で会いたがっている人たちばかりなので、本物のとんねるずを目の当たりにすると、感動のあまり絶句したり、狂喜乱舞したり、泣き出したりする。その新鮮なリアクションを楽しむのがこの企画の眼目である。
 とはいえ、それ以上にとんねるずとの有機的な絡みが見られないのは確かである。以前も書いたことがあるが、とんねるずの持ち味は越えてはいけない一線を土足で軽々と踏み越える芸風である。ひとの家に行くときは、家の中を荒らしたり、落書きをしたり、蛇を放ったり、物を壊したり、暴力を振るったり無茶ブリを繰り返したりしてとことんまで苛め抜き、笑いを呼び起こす。
 そこにあるのは、「本来越えてはいけないラインを踏み越えている」という一段階メタなズレなのである。
 芸(能)人が相手であれば、この芸風は成立するのだが、一般人にこれをやると、(その一般人はとんねるずのファンなので笑って受け流すかもしれないが)少なくとも見ているこちらが引いてしまう。一般の方にここまでひどいことをやるとズレの程度が大きくなりすぎるからである。感動して咽び泣いている素人を引っぱたいたり、「ブス」だのなんのといった暴言を浴びせたりしても、空気が凍るだけだろう。また彼らは、芸能人のようにとんねるずの横暴に抵抗する素振りを見せたり、キレたりして笑いをとることもできない。
 結果、とんねるずの芸風は完全に封殺されてしまう。なので、映像もそこまでおもしろくならない。とんねるずは、素人と絡んでおもしろくなる芸人ではないのである。
 一番おもしろい一般人のリアクションも、回数を重ねることでそろそろパターンが見えてきたので、企画自体は潮時だろう。特に今回は、リアクションが薄くてあまりおもしろくない方もいたのが事実である。

2.細かすぎて伝わらないモノマネ選手権
 開始当初は、文字通り「細かすぎて伝わらないモノマネ」、すなわちそれのみでは笑いを呼び起こさない(=ウケない)モノマネを、穴に落とすことで無理矢理オトすというスベリ芸の企画だった。
 回数を重ねることで、だんだんとモノマネ自体のクオリティが上がっていき、今は単体でおもしろいモノマネをテンポよく重ねていく企画になっている。最近の感想だが、見た目自体が本物と似ている出場者がかなり増えている印象である。本来モノマネがきちんとおもしろければ、博多華丸や、キンタローや、エハラマサヒロや山本高広のように、見た目は本物に似てなくてもウケはとれるのだが、全体のクオリティが上がり過ぎたせいで、見た目も本物に似ていないと視聴者が満足できないレベルに達してしまっている気がする。
 さて、ここで言う「見た目が似ている」というのは、本人に似ていればいるほどいいわけではない。それを突き詰めると本物にしか見えなくなってしまうので、本物の動きを見せられることになり、笑いは起きない。ここで求められているのは、「本物に似てはいるんだけどどことなく全体的なクオリティが本物より低い」という絶妙な偽者感である。この偽者感については、メイクや衣装である程度何とかできる部分もあるのだろうが、演者の見てくれである以上持って生まれた部分が果たす役割大きいだろうから、後天的な稽古等ではどうしようもないところがある。
 この偽者たちは、普段はテレビで見ないような単品モノマネ芸人(リトル清原や哀小出翔といった、特定の有名人のモノマネしかせず、芸名もその人に寄せている芸人を筆者はこう呼んでいる)であることも多い。そして、単品のモノマネしかやっていないということは、おそらくそれしか芸がないのである。なので、テレビに出続けることはできない。しかし、その持って生まれた見た目が醸し出す絶妙な偽者感は、うまくハマればその人にしか出せないハイクオリティのモノマネを生み出せる。
 そのハイクオリティの部分だけを寄せ集めてつまみ食いをできるのが、この「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」という企画なのである。そこには、ほとんど芸がない彼らが唯一爆笑をとれる何秒か何十秒間かの瞬間だけを、一人一人から寄せ集めるというシャトーブリアンのような贅沢さがある。
 彼らは、美味しい部位を吸い尽くされたあとは、テレビから捨てられることになる。そういう意味では、テレビの残酷さも見出すことができる深い企画である。あとは、この企画がこういった単品モノマネ芸人を一堂に寄せ集めた結果、芸人たちのネットワークが構築され、コラボレーションが盛んに行われるようになったのもこの企画の意義深い点である。例えばサッカー選手の単品モノマネ芸人を集めれば、絶妙なクオリティの偽日本代表ができる。それは、1+1を10にも20にもする可能性を秘めている。
 放送作家やディレクターとしても、出場者たちを俯瞰しておもしろそうなコラボレーションを考えるのは楽しい作業だろう。

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