2016年4月16日放映のめちゃイケは、3週間の休みを挟んでからの2時間半スペシャルだった。
今年でめちゃイケが20周年を迎えるということで、「これまでお世話になった人」、すなわち過去の印象的な出演者に、メンバーが20周年パーティーの招待状を渡しに行き、その際に(ドキュメンタリー)コントをやるというのが企画の内容である。
ところが今回は2時間半スペシャルだというのにこの新規映像だけで尺が埋められていたわけではない。新規のコントの合間合間に、「20年間の印象的なシーン」という触れ込みで過去の企画の総集編が挟まれていたのである。
まずこの過去映像自体これまでのめちゃイケの総集編的な回で何度も見せられているものなので、少なくとも筆者は見飽きている。多くのめちゃイケファンもそうだろう。ところが問題はこれだけでは終わらない。この過去映像は、今回の新規コントにも弊害を与えていたのである。プラスマイナスゼロどころか、はっきり言ってマイナスだったのである。
まず、抽出された過去映像なのでスペシャル回の大がかりなシーンや、またおもしろいシーンが多い。そのためその映像をまず見せられると、その後に来る今回の新規コントが見劣りしてしまう。
中居がでっかいウォータースライダーで落とされる映像を見せられた後に、小さな穴に落とされる新規コントを見せられても、真顔になるだけである。過去映像が、「ハードルを上げる」というマイナスのフリになってしまっていたのである。
また、ここで尺を喰ったのか、新規のコントは全体的にテンポが急だった。
例えば光浦が19年前に番組で告白した俳優に再び会いに行くというコントでは、最後にその俳優の息子が出てきてオチになっていたが、息子が出てくるのがオチの直前も直前であり、かなりの唐突感は否めなかった。もっと前段階からしれっと登場させた方が、視聴者に「お前が息子だったのか」という驚きを与え、フリとして大きな役割を果たしてくれるだろう。
他のコントも、なんというか全体的にあまり間がなく、オチまで急降下過ぎた。複数のコントを入れ過ぎて一つに割ける尺が短くなったからこういう編集になったという点もあるかもしれないので、もう少し数を減らした方が良かったかもしれない。一つ一つのコントで場所や時間がコロコロ変わるので、腰を据えてみることが難しくもなっていた。
また、招待状を渡しに行くメンバーの人選も疑問が多い。福山雅治や菅田将暉はめちゃイケにこれまであまり絡んだことがなく、ただの番宣をしてもらうために会いに行っただけであった。哀川翔や小栗旬もこれまでめちゃイケにそこまで貢献してきたわけではない。哀川翔は前回のドッキリについて謝罪・和解をして視聴者も安堵させるという側面はあったろうが、これらの人物に会っても「20周年」と合間合間に見せられる過去映像というフリが全く活きてこない。それなら過去映像に出てきたさんまやたけしに会いに行った方がまだ良かっただろう。
CMのたびにその後の映像を短く入れて視聴者を引っ張るという演出も、これまでめちゃイケが徹底的に揶揄してきたテレビの嫌らしい部分が出ていて非常に鼻についた。「いよいよこのあと中居が登場」だとか「このあと哀川翔と偶然の再会」などとテロップを入れられると、番組が2人をブッキングして事前の打ち合わせのもとにコントを撮っているという感が丸出しになってしまう。めちゃイケが大事にしてきたドキュメンタリーコントの奇襲感が薄れてしまうのである。中居や哀川翔は、突然出てくるからこそ意外性が生まれ、その意外性から感動や笑いは生まれるものである。それを自ら放棄してしまうのは自殺行為に等しい。こういう演出に時間を割くぐらいなら、新規のコントをもっとじっくりと見せて欲しいのである。
なんというか、全盛期のめちゃイケが大事にしてきた「テレビの鼻につく嘘演出を排除・揶揄する」という職人魂が失われて、逆にその嘘演出にどんどん浸食されているのではないかと危惧せざるを得ない内容であった。回を追うごとに編集や演出が「嫌なテレビ」に寄っていっている。このままでは、めちゃイケも凡庸な一番組に堕してしまう。その先にあるのは、打ち切りである。
実際今回が総集編的な内容だったこともあって、めちゃイケの終焉(そして、めちゃイケ自身が自分の終焉を覚悟していること)をも予感させる内容だった。そうはなってほしくないが、この内容でしかできないのなら終わってもらっても構わないのは正直なところである。
今年でめちゃイケが20周年を迎えるということで、「これまでお世話になった人」、すなわち過去の印象的な出演者に、メンバーが20周年パーティーの招待状を渡しに行き、その際に(ドキュメンタリー)コントをやるというのが企画の内容である。
ところが今回は2時間半スペシャルだというのにこの新規映像だけで尺が埋められていたわけではない。新規のコントの合間合間に、「20年間の印象的なシーン」という触れ込みで過去の企画の総集編が挟まれていたのである。
まずこの過去映像自体これまでのめちゃイケの総集編的な回で何度も見せられているものなので、少なくとも筆者は見飽きている。多くのめちゃイケファンもそうだろう。ところが問題はこれだけでは終わらない。この過去映像は、今回の新規コントにも弊害を与えていたのである。プラスマイナスゼロどころか、はっきり言ってマイナスだったのである。
まず、抽出された過去映像なのでスペシャル回の大がかりなシーンや、またおもしろいシーンが多い。そのためその映像をまず見せられると、その後に来る今回の新規コントが見劣りしてしまう。
中居がでっかいウォータースライダーで落とされる映像を見せられた後に、小さな穴に落とされる新規コントを見せられても、真顔になるだけである。過去映像が、「ハードルを上げる」というマイナスのフリになってしまっていたのである。
また、ここで尺を喰ったのか、新規のコントは全体的にテンポが急だった。
例えば光浦が19年前に番組で告白した俳優に再び会いに行くというコントでは、最後にその俳優の息子が出てきてオチになっていたが、息子が出てくるのがオチの直前も直前であり、かなりの唐突感は否めなかった。もっと前段階からしれっと登場させた方が、視聴者に「お前が息子だったのか」という驚きを与え、フリとして大きな役割を果たしてくれるだろう。
他のコントも、なんというか全体的にあまり間がなく、オチまで急降下過ぎた。複数のコントを入れ過ぎて一つに割ける尺が短くなったからこういう編集になったという点もあるかもしれないので、もう少し数を減らした方が良かったかもしれない。一つ一つのコントで場所や時間がコロコロ変わるので、腰を据えてみることが難しくもなっていた。
また、招待状を渡しに行くメンバーの人選も疑問が多い。福山雅治や菅田将暉はめちゃイケにこれまであまり絡んだことがなく、ただの番宣をしてもらうために会いに行っただけであった。哀川翔や小栗旬もこれまでめちゃイケにそこまで貢献してきたわけではない。哀川翔は前回のドッキリについて謝罪・和解をして視聴者も安堵させるという側面はあったろうが、これらの人物に会っても「20周年」と合間合間に見せられる過去映像というフリが全く活きてこない。それなら過去映像に出てきたさんまやたけしに会いに行った方がまだ良かっただろう。
CMのたびにその後の映像を短く入れて視聴者を引っ張るという演出も、これまでめちゃイケが徹底的に揶揄してきたテレビの嫌らしい部分が出ていて非常に鼻についた。「いよいよこのあと中居が登場」だとか「このあと哀川翔と偶然の再会」などとテロップを入れられると、番組が2人をブッキングして事前の打ち合わせのもとにコントを撮っているという感が丸出しになってしまう。めちゃイケが大事にしてきたドキュメンタリーコントの奇襲感が薄れてしまうのである。中居や哀川翔は、突然出てくるからこそ意外性が生まれ、その意外性から感動や笑いは生まれるものである。それを自ら放棄してしまうのは自殺行為に等しい。こういう演出に時間を割くぐらいなら、新規のコントをもっとじっくりと見せて欲しいのである。
なんというか、全盛期のめちゃイケが大事にしてきた「テレビの鼻につく嘘演出を排除・揶揄する」という職人魂が失われて、逆にその嘘演出にどんどん浸食されているのではないかと危惧せざるを得ない内容であった。回を追うごとに編集や演出が「嫌なテレビ」に寄っていっている。このままでは、めちゃイケも凡庸な一番組に堕してしまう。その先にあるのは、打ち切りである。
実際今回が総集編的な内容だったこともあって、めちゃイケの終焉(そして、めちゃイケ自身が自分の終焉を覚悟していること)をも予感させる内容だった。そうはなってほしくないが、この内容でしかできないのなら終わってもらっても構わないのは正直なところである。
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