2016年4月8日に放映されたロンドンハーツとアメトーークの合体4時間スペシャルを見た。
前半がアメトーーク、後半がロンドンハーツという構成であり、アメトーークは人気企画の「芸人体当たりシミュレーション」と「ビビリ-1グランプリ」の2本立て、ロンドンハーツは狩野英孝に対するドッキリ企画だった。
合体スペシャルとはいっても両番組間につながりはほとんどなく、2つの番組を続けて放送しただけだった(唯一、芸人体当たりシミュレーションの一種目である「足つぼ」がロンドンハーツでもわずかながらに取り上げられていたが、それだけである)。単に告知宣伝がまとめてできるから「合体4時間スペシャル」という言い方をしていたものと考えられるが、どうせやるならもっと両番組を絡ませた構成にしてほしかったところである。
なので、単純に両番組の感想をここに記していく。
1.アメトーーク
芸人体当たりシミュレーションもビビり-1グランプリも、芸人たちの無様なリアクションを楽しむ企画であり、トーク自体にそれほど重要性はない。どうせアメトーークなのだからもう少しトークしやすい番組作りをしたほうがいいと思うということは以前別の記事で書いたが、問題点として挙げられるのはその程度である。今回も両企画とも手堅い作りだった。
ただ基本的にリアクションをする芸人たちの面子がそれほど変わらないため、筆者はもう飽きている。そろそろ潮時だろう。
2.ロンドンハーツ
ちゃんとロンドンハーツを見るのは久しぶりである。
筆者がロンドンハーツを見ていたのは、いわゆる「格付け」企画が始まる前、「ブラックメール」や「トライアングル」みたいな色恋系のゲスい企画をやっていた2000年代初頭から、「格付け」の全盛期ぐらいまでである。
今は、様々なバラエティ企画をやっており、めちゃイケ的な総合バラエティになっているようである。
今回放送されたのは、冒頭に述べた通り狩野英孝に対するドッキリである。狩野は、「50TA」という名義で歌手活動もしている(らしい)のだが、その50TAに嘘の台湾ライブを持ちかけ、道中様々なドッキリを狩野に仕掛けるという企画である。前述のめちゃイケとの比較ということで言えば、「天然芸人に対するドッキリ」という意味で、「濱口ダマシ」との類似が色濃く印象付けられる。
例えば今回北京語で(=狩野には分からないように)ドッキリだとネタばらしをするというくだりがいくつもあったが、これなんて濱口ダマシシリーズの「株価大暴落! どぜうモンショック大作戦」でもあった手法である。
さて、この手の大がかりなドッキリ企画では、まず視聴者が「騙されている方がかわいそうだ」と感じてしまって笑えなくなるという危険があるため、冒頭に「こいつはドッキリを仕掛けられても仕方のないような奴だ」ということを説明するシーンを入れることがある。初期の濱口ダマシでは、岡村がめちゃイケメンバーを集めて濱口の行状の悪さに対して怒りをぶちまけるシーンから始まるのが恒例であり、このフリが視聴者を安堵させる役割を担っていたのだが、今回のロンドンハーツには一切これがなかった。せっかく狩野が「6股騒動」の渦中にいたのだから、この手のシーンを入れてもよかったのではないだろうか。それをやるのだとしたら、色恋系のドッキリにしてもよかっただろう。相手は芸人なのだから、それぐらい強めの演出でイジってもいいはずである。番組側も、ここで遠慮してはダメである。
次にドッキリの映像が「綺麗」すぎたのではないかということを指摘したい。今回狩野は「台湾で嘘のライブに出る」というドッキリを仕掛けられており、ライブに至る前に台湾のテレビ番組に出演するだとか、台湾のメディアから取材を受けるだとかいった様々な小ドッキリを仕掛けられることになる。ライブにしても、テレビ出演にしても取材にしても、その場にちゃんとしたカメラがあって全然おかしくないシチュエーションであるため、オンエアの映像も綺麗なものになっていたのだが、そのことが逆にドッキリ感を損なっていた。ドッキリ企画の魅力の一つは、本来カメラがないようなところに隠しカメラを仕掛けて、騙され役の「カメラを意識していない自然な様子」を映像に収められるという点である。狩野の魅力もそのド天然の部分にあるのだが、ドッキリのシチュエーションのほとんどに普通のカメラが入っており、当然狩野もそれは認識しているため、視聴者も狩野の「カメラを意識した動き」ばかりを見せられている状態であった。狩野の天然っぷりは常軌を逸しているので、それでもいくつもおもしろい天然が出るのだが、それは普段我々が見ている「テレビカメラの前の狩野英孝」であって、カメラを意識していない状態の狩野ではない。せっかくドッキリなのだから、もっと後者を見せて欲しかったところである。また、隠しカメラで撮ったような映像の不鮮明さがないことで、「そもそもドッキリ自体が仕込みで、狩野にも事前に話が伝わっているのではないか」という余計な疑念まで生まれてしまったところである。ドッキリの真実味を増すために、敢えて映像を不鮮明に加工するとか、性能の悪いカメラを使うとかいった演出を考えてもいいだろう。
ライブそれ自体も色々な問題がある。
まず、狩野の前座で出てきた渡辺直美は登場が唐突で存在意義がよく分からなかった。
またライブ自体に尺をとりすぎである。狩野が作った歌は、詞に天然がいくつか出てはいるが、それっぽいメロディに乗ってしまうとそれなりにそれっぽく聞こえてしまう。狩野の歌唱力も申し分ないため、ライブそれ自体の映像を見せられるとただの歌番組になってしまうのである。こちらはドッキリとそれに対する狩野の天然のリアクションが見たいので、狩野が気持ち良く歌っている様を見せられても白けるだけである。それこそ、ただ単に彼の歌の告知がしたいだけではないかと疑ってしまう(現に番組の最後に狩野の歌の配信が告知されていた)。もっと歌それ自体の映像は編集で短くまとめて、ライブ中に仕掛けたドッキリを前面に押し出していくべきだろう。
落とし穴というオチも唐突過ぎる上に古臭い。めちゃイケ全盛期の濱口ダマシであれば、冒頭の岡村の怒りが伏線となって、きちんとそれに関連のあるオチでドッキリのネタばらしをしていたが、今回そのような一貫したストーリーは一切なかった。台湾に連れていかれた狩野に、単発のドッキリを小出しに仕掛けただけである。始まりから終わりまで一貫したストーリーのもとにひとつながりのドッキリを仕掛けれれば、この企画も一皮むけると思う。
まあ、そういうことである。放送枠を移動したことで打ち切り説もささやかれるロンドンハーツだが、今回の出来を続けていればいずれ緩やかに墜落してしまうだろう。
前半がアメトーーク、後半がロンドンハーツという構成であり、アメトーークは人気企画の「芸人体当たりシミュレーション」と「ビビリ-1グランプリ」の2本立て、ロンドンハーツは狩野英孝に対するドッキリ企画だった。
合体スペシャルとはいっても両番組間につながりはほとんどなく、2つの番組を続けて放送しただけだった(唯一、芸人体当たりシミュレーションの一種目である「足つぼ」がロンドンハーツでもわずかながらに取り上げられていたが、それだけである)。単に告知宣伝がまとめてできるから「合体4時間スペシャル」という言い方をしていたものと考えられるが、どうせやるならもっと両番組を絡ませた構成にしてほしかったところである。
なので、単純に両番組の感想をここに記していく。
1.アメトーーク
芸人体当たりシミュレーションもビビり-1グランプリも、芸人たちの無様なリアクションを楽しむ企画であり、トーク自体にそれほど重要性はない。どうせアメトーークなのだからもう少しトークしやすい番組作りをしたほうがいいと思うということは以前別の記事で書いたが、問題点として挙げられるのはその程度である。今回も両企画とも手堅い作りだった。
ただ基本的にリアクションをする芸人たちの面子がそれほど変わらないため、筆者はもう飽きている。そろそろ潮時だろう。
2.ロンドンハーツ
ちゃんとロンドンハーツを見るのは久しぶりである。
筆者がロンドンハーツを見ていたのは、いわゆる「格付け」企画が始まる前、「ブラックメール」や「トライアングル」みたいな色恋系のゲスい企画をやっていた2000年代初頭から、「格付け」の全盛期ぐらいまでである。
今は、様々なバラエティ企画をやっており、めちゃイケ的な総合バラエティになっているようである。
今回放送されたのは、冒頭に述べた通り狩野英孝に対するドッキリである。狩野は、「50TA」という名義で歌手活動もしている(らしい)のだが、その50TAに嘘の台湾ライブを持ちかけ、道中様々なドッキリを狩野に仕掛けるという企画である。前述のめちゃイケとの比較ということで言えば、「天然芸人に対するドッキリ」という意味で、「濱口ダマシ」との類似が色濃く印象付けられる。
例えば今回北京語で(=狩野には分からないように)ドッキリだとネタばらしをするというくだりがいくつもあったが、これなんて濱口ダマシシリーズの「株価大暴落! どぜうモンショック大作戦」でもあった手法である。
さて、この手の大がかりなドッキリ企画では、まず視聴者が「騙されている方がかわいそうだ」と感じてしまって笑えなくなるという危険があるため、冒頭に「こいつはドッキリを仕掛けられても仕方のないような奴だ」ということを説明するシーンを入れることがある。初期の濱口ダマシでは、岡村がめちゃイケメンバーを集めて濱口の行状の悪さに対して怒りをぶちまけるシーンから始まるのが恒例であり、このフリが視聴者を安堵させる役割を担っていたのだが、今回のロンドンハーツには一切これがなかった。せっかく狩野が「6股騒動」の渦中にいたのだから、この手のシーンを入れてもよかったのではないだろうか。それをやるのだとしたら、色恋系のドッキリにしてもよかっただろう。相手は芸人なのだから、それぐらい強めの演出でイジってもいいはずである。番組側も、ここで遠慮してはダメである。
次にドッキリの映像が「綺麗」すぎたのではないかということを指摘したい。今回狩野は「台湾で嘘のライブに出る」というドッキリを仕掛けられており、ライブに至る前に台湾のテレビ番組に出演するだとか、台湾のメディアから取材を受けるだとかいった様々な小ドッキリを仕掛けられることになる。ライブにしても、テレビ出演にしても取材にしても、その場にちゃんとしたカメラがあって全然おかしくないシチュエーションであるため、オンエアの映像も綺麗なものになっていたのだが、そのことが逆にドッキリ感を損なっていた。ドッキリ企画の魅力の一つは、本来カメラがないようなところに隠しカメラを仕掛けて、騙され役の「カメラを意識していない自然な様子」を映像に収められるという点である。狩野の魅力もそのド天然の部分にあるのだが、ドッキリのシチュエーションのほとんどに普通のカメラが入っており、当然狩野もそれは認識しているため、視聴者も狩野の「カメラを意識した動き」ばかりを見せられている状態であった。狩野の天然っぷりは常軌を逸しているので、それでもいくつもおもしろい天然が出るのだが、それは普段我々が見ている「テレビカメラの前の狩野英孝」であって、カメラを意識していない状態の狩野ではない。せっかくドッキリなのだから、もっと後者を見せて欲しかったところである。また、隠しカメラで撮ったような映像の不鮮明さがないことで、「そもそもドッキリ自体が仕込みで、狩野にも事前に話が伝わっているのではないか」という余計な疑念まで生まれてしまったところである。ドッキリの真実味を増すために、敢えて映像を不鮮明に加工するとか、性能の悪いカメラを使うとかいった演出を考えてもいいだろう。
ライブそれ自体も色々な問題がある。
まず、狩野の前座で出てきた渡辺直美は登場が唐突で存在意義がよく分からなかった。
またライブ自体に尺をとりすぎである。狩野が作った歌は、詞に天然がいくつか出てはいるが、それっぽいメロディに乗ってしまうとそれなりにそれっぽく聞こえてしまう。狩野の歌唱力も申し分ないため、ライブそれ自体の映像を見せられるとただの歌番組になってしまうのである。こちらはドッキリとそれに対する狩野の天然のリアクションが見たいので、狩野が気持ち良く歌っている様を見せられても白けるだけである。それこそ、ただ単に彼の歌の告知がしたいだけではないかと疑ってしまう(現に番組の最後に狩野の歌の配信が告知されていた)。もっと歌それ自体の映像は編集で短くまとめて、ライブ中に仕掛けたドッキリを前面に押し出していくべきだろう。
落とし穴というオチも唐突過ぎる上に古臭い。めちゃイケ全盛期の濱口ダマシであれば、冒頭の岡村の怒りが伏線となって、きちんとそれに関連のあるオチでドッキリのネタばらしをしていたが、今回そのような一貫したストーリーは一切なかった。台湾に連れていかれた狩野に、単発のドッキリを小出しに仕掛けただけである。始まりから終わりまで一貫したストーリーのもとにひとつながりのドッキリを仕掛けれれば、この企画も一皮むけると思う。
まあ、そういうことである。放送枠を移動したことで打ち切り説もささやかれるロンドンハーツだが、今回の出来を続けていればいずれ緩やかに墜落してしまうだろう。
最新コメント